折紙

酒場の扉が開いて閉じると、そこには見慣れぬ娘が立っていた。酒場はいつもの喧噪で、娘に気づいた者もいれば気づかない者もいる。

きつい瞳と、燃える赤毛。人目をひく容姿ではあった。

まあ、若すぎて自分の好みからは外れるが。

ジョーカーはいつものように酒を飲みながら、自分勝手に値踏みした。

「――だから、そろそろお仕事に励んでもいい頃合いだろ?」

エースが何やら言っている。

そっちは無視を決め込んで、扉の辺りを窺っていると、娘は扉に一番近い(テーブル)の一団に話しかけた。

娘は、「美しい」とか「綺麗」と形容してしまうには少々勇ましい雰囲気を醸している。背中に背負った細身の槍は決して伊達ではないだろう。

傭兵か?

ジョーカーは目を細めて(グラス)の酒を飲み干した。

娘の唇を何の気なしに読む。

クイーンたちの声が耳に入る。

「私はまだ手持ちがあるよ。アイラだってジャックだって、まだあるんだろう?」

「うん」

「……」

「だいたい、あんた、今回、金無くなるの早すぎだよ。なんかやらかしたのかい?」

「人聞きの悪いこと言うな。大将、大将は――」

とめどなく続く会話をジョーカーは遮った。

「エース」

「――って、なんだ、じじい」

ジョーカーは娘の方を顎でしゃくった。

「十二小隊を探しているようだ、身に覚えがあるんじゃないか?」

からかうように言うと、エースは焦ったように娘の方を見てから、ほっとため息をついた。

「あ、俺じゃねぇ。あの女にゃ見覚えはない」

「なら、別な女には心当たりがあるんだ」

「うるせえな。お子様は黙ってろ」

「お子様じゃない!」

アイラが机の下で何かしたらしく、エースは変なうめき声を上げて足を押さえた。

見当違いか、と思ったジョーカーはふとゲドに気が付いた。

ゲドは目を細めて娘を見、ほんのわずかだったが眉を寄せているようだった。怪訝そうに見えなくもない。そのまま、手の中の(グラス)を傾けても、視線は娘の上だ。

ほう?

なにやら訊かれていた連中がこちらを指さすのが見えた。娘はまっすぐにこちらにやってくる。

「十二小隊ってのは……」

「あたしたちだよ」

足を押さえて呻いているエースの代わりにアイラが言った。

そのアイラと、(もだ)えているエース、横でエースの様子を伺っているジャック(多分、心配しているのだと思われる)、興味津々の自分とクイーン、それを順々に見てから、娘の目がゲドの上に止まった。

「隊長は?」

「その御仁じゃ」

どうやらそれは確認でしかなかったらしく、娘はためらいもせずにツカツカとゲドの真ん前に立つと、座っているゲドをしばし見下ろして、

「やっと、見つけた」

「……」

ゲドの視線は娘が動くのに合わせて動いていたが、娘を見上げた状態で止まっている。

「これを――」

言って、ずい、と差し出されたのは紙だった。トラン辺りで使われるもののようだ、とジョーカーは踏んだ。

差し出された紙はずいぶんと年季が入っていた。ゲドが手袋をしたまま無理矢理開こうとしたのを、娘は慌てて取り上げた。槍使いにしては繊細そうな指で注意深く開いてから、ずい、とゲドの眼前に差しだす。

示された文面を読んだゲドは、紙と娘を見比べ、しばらくしてから、

「ああ」

得心のいったような声を上げた。

「ああ、ってあんた――」

「しばらく待てるか」

「は?あんた、もしかして――」

「すぐには無理だ」

娘はなぜか驚いた様子で何度かパチクリと目を(しばた)かせた。だが、すぐに挑戦するような調子で言った。

「いいよ、この辺りには他の用もあるから」

「分かった」

あっさり言うと、ゲドは立ち上がって、扉の方へと歩き出した。慌てて娘が追いすがる。

「ちょっと、あんた、逃げるんじゃないだろうね。いい?あたしじゃない、あんたが言い出したんだ。言った責任は取ってもらうよ!」

ゲドについて外に出た娘が叫んでいるのが聞こえる。

「あたしは本気だからね!だいたい、今度いつ会うってのさ……!」

叫び声は遠ざかって行く。

いつの間にか酒場中の人間がこのやりとりに耳をそばだてていて、しばし、静かになっていた。が、すぐに前以上の喧噪に包まれた。寡黙な常連傭兵の、思いがけない一悶着は十分に酒の肴になる。

「昔の女、って訳ゃないよなあ」

やっと立ち直ったエースにしてから、第一声がそれだった。

「あの若さで?そりゃ、無理じゃろ」

「じゃ、今の女」

「いつ会ったんだ、いつ」

「じゃ、あたしは親の(かたき)に一〇〇ポッチ」

微笑を浮かべながらグラスを傾けるクイーンが冗談に金貨を放った。

「……俺は……隠し子に」

ジャックがボソッと言って、そっと一〇〇ポッチ(テーブル)に載せた。

「……お前もよくわかんないヤツだね、相変わらず」

エースが言うと、ジャックは小首をかしげた。

「ね、それで、ゲド隊長はどこに行ったんだ?」

「あ……」

そういえば、何も聞いていない。

「やっぱり、逃げたのかのう……」

「さあね」

クイーンが肩をすくめた。

それからしばらく、ゲドは帰ってこなかった。

ジョーカーもクイーンも慌てる様子がない。

ジャックは(ボウガン)をばらしては、部品をいつもの無表情で眺めている。

アイラは少々つまらなそうにしていたが、別に自ら仕事を請け負うわけもなく。

「結局、隊のこと考えてるのは俺だけだ」

エースが言ったとたん、クイーンはひらひらと手のひらを振った。

「あのね、隊費とあんたの懐具合、一緒にするんじゃないよ」

「今度はどの女に貢いだ、ん?」

「貢いでねえ!」

「ま、稼ぐんなら一人でやるんじゃな。大将がいないんじゃ、でかい山は請け負えん」

エースは悠々と席についているクイーンとジョーカーを恨めしげに睨んでから、諦めたように立ち上がった。

「どこへ?」

「本部」

「何の用が」

「ひとりで稼げっつったの、お前らだろ。適当な仕事ないか物色するんだよ!」

まだ何やらブツブツ言いながら、エースは出て行った。

それと入れ替わるように入ってきた男が、ジョーカーたちのいる(テーブル)に歩み寄った。

酒場の常連で、この男も傭兵だ。いつもは、特に話しかけてもこないのに、今日は一体何の用だと思っていると、

「おい、お前らの隊長、どうにかしてくれ」

「ああ?隊長?エースでなくてか」

「エース?違う、ゲドだよ、ゲド」

ジョーカーは訳が分からないままに、クイーンを見た。クイーンも心当たりはない、と首を振った。近くでおとなしくしていたジャックも、その隣でソーダを飲んでいたアイラも、こちらに注目してはいるが、何か知っていそうではなかった。

「いったい何が」

「カードで有り金全部巻き上げられた」

「は?あの人が?金を巻き上げる?」

両の手を肩の高さに上げてみせ、クイーンは呆れたように首を振った。

「信じられないね」

「そりゃ、カードに誘ったのはこっちだが」

「じゃ、自業自得じゃないか」

アイラが横から口を挟むと、男はひどく情けない顔をした。

「いや、だけどな。いつもなら乗らないじゃねぇか、賭け事にゃ。それに、あんなに強いたぁ……」

「お前さん、いつものイカサマはどうしたい?」

ジョーカーが言ってやると、男は顔を紅潮させて何か反論しかけたが、古参の傭兵相手に言い繕うのは止めたらしい。

「カード抜いたとたんな、黙って、こう――」

男は何かを垂直に振り下ろす仕草をしてみせた。

「剣で(テーブル)叩き割られたよ」

とたんに、クイーンが吹き出した。

「あの人が?あんた、よっぽどひどいことやったんだろ」

「そんなこたあ――だいたい、ゲドの逆鱗がどの辺りにあるかなんて、俺は知らねぇよ。――んで、その後はさ、いつものだんまりでカードを見てるわけだ」

ブルッと肩を震わせて、

「『止める』なんて言い出せる雰囲気じゃなくて、そのまま――」

「金が無くなるまでやってたってわけか」

「『金が無くなった』って言うのだって怖かったんだぜ?」

「別に凄まれなかったろう?」

「そりゃあ、まあ、『そうか』ってひとこと。――なあ、頼むよ、ジョーカー。俺、本当に有り金あれで全部だったんだ。ちったぁ返してもらえないと、今日の飯も食えない」

「そういうことは、本人に言うんじゃな」

ちょい、ちょい、とジョーカーが男の背後を指さした。

ゲドが黙って突っ立っている。

「出たぁ!!」

とびあがった男を見て、アイラが弾かれたように笑い出した。ジョーカーも人の悪い笑みを浮かべている。

「何か用か」

「いや……また、今度にする……」

後ずさってから急に回れ右をした男を見送って、クイーンが立ったままのゲドに笑いかけた。

「あの恐がりよう、尋常じゃないね。フフ、あんた、何やったんだい?」

「ポーカーだ」

そういう意味じゃなかったんだけど、と思いつつ、クイーンはただクスクスと笑って、

「今度お相手願いたいね」

「……」

クイーンのセリフを聞き流し、定位置につこうと歩きかけたゲドに、後ろから声がかかった。

「あ、いたいた。逃げなかったね」

あの、赤毛の娘だった。

とりあえず、座る方を優先させたゲドが腰を落ち着けたとたん、今度は、バタン、と酒場の扉が壊れそうな勢いで開いて、頓狂な大声が響き渡った。

「大将!なんてことしてくれたんです!」

エースだった。

そのまま突っ込むように駆け込んできて、

「一人で請け負えそうなもの、根こそぎ取ってっちゃって、そんなんなら、仕事請けてくれてもいいじゃないですか!」

ゲドは、どなりちらすエースをよそに右手を上げて合図を送った。心得た酒場の主人がいつもの酒を持ってくる。

「大将〜」

エースが恨みがましく声をあげるのも構わずに、ゲドはグラスに琥珀の液体を注ぐと、まずは一杯、ぐっと飲み干した。

「借金がある」

開口一番がそれだった。

瞬間、その場の面々が動きを止めた。

「なんですって?」

「……」

「じゃ、あんたは……」

「そ、あたしはその取り立て」

ちゃっかり同じテーブルについた娘は遠慮もせずにグラスになみなみと酒を注いでいる。

「た、大将〜。大将だけは信じてたのに〜」

「ゲド隊長もオンナにミツいだのか?」

「エースじゃあるまいし」

「うるさいぞ、そこ」

立ち上がって怒鳴るエースを見上げて、ゲドがゆっくりと瞬きをした。

「ちょっ……俺のことはおいといてですね、今、問題なのは大将です」

クイーンがふーとため息をつき、首を振りながら肩をすくませた。

「それで、借金の額は?」

ゲドは少し考え、娘に向かって、

「五億ぐらいになるか」

「まあ、そんなもんだね」

「ご、ご……」

エースは口をパクパクさせ、どうにかこうにか立ち直ると、

「借金は隊費で賄えるぐらいに抑えてください」

「隊費でまかなっていいのかい?」

「まぜっかえすなよ!大将、いったい、何に使ったんです?」

(いくさ)の支度に」

「戦って……戦費一人で負担したんですか?!」

「戦費、と言えば戦費になるな」

「は?」

「……」

「そこで黙っちゃ分からないでしょう!」

ゲドは眉根を寄せた。

「何が訊きたい」

「だから、何に五億も使ったんです?」

「いや、使ってない」

「ダーーーーッ!!大将、ちゃんと説明する気あるんですか!」

「まあ、待て、エース」

最初こそ呆気に取られていたのだが、なんとなくジョーカーにはゲドの反応が分かってきた。質問が具体的だから逆に系統立たなくて分からないのだ。そして、ゲドのほうはと言えば、説明するためにわざわざ人の話を遮る質でもない。

その時、娘が景気よく話し出した。

「あー、もう、かったるい。あたしが説明するよ。借金の元金は百万だったんだ」

「それがどうして五億になるんだ」

「借金したのが六十五年前だったから」

「踏み倒しなさい、そんなものは」

間髪いれずエースはゲドに向かって頭ごなしに言った。ゲドは黙ったままだが。

――まあ、踏み倒すって柄じゃないだろう。

エースはがっくりと肩を落とした。

「しかし、お前さん、せいぜい一八にしか見えんが」

「この私のどこが六〇越えてるように見えんのさ。そちらさんが代替わりしてんのと一緒。あたしもばあさんの代理だよ」

「代理?」

「そ。まあね、あたしも別に返してくれるなんて思っちゃいなかったんだ。自分の親だかじいさんだかがこさえた借金なんてね」

最初、娘が何を言っているのか飲み込めなくて、怪訝な顔をしていた一同は、はたと気づいて目配せを交わし合った。

――この娘、勘違いしている。

おそらく、借金はゲド本人のものだ。だからこそ、証文(たぶん、最初に見せられた紙は証文だったのだろう)を見たとき、ゲドはすぐに気づいたのだ。自分の字が書いてあったのだろうし、自分でも思い当たっただろうから。

そんなこととはつゆ知らず、

「だからさ、あたしもね、頼まれはしたけど、ちょっと凄んで、そちらさんが断ればそれで義理は果たせるかなって思ってたわけ。でも、この人、心当たりがあるって言い出した()()に返すって言い出すだろ。正直、呆れたよ。でも、なんか、そう言われちゃうと引っ込めなくってさ」

娘はばつ悪げに続ける。

「しかもね、どうも無理矢理貸したみたいなんだ、うちのばあさん。質のいい装備に買い替えろ、ってね。それであんたのじいさんだかなんだか、剣だの鎧だの全部買い替えさせられたらしよ。そりゃ、うちは借金取りだけどさ、理不尽なまねだけはしないってのが家訓なんだ。ばあさんの話聞いて驚いたさ。そんなまねする人じゃないって思ってたから」

「いや、役に立った。あれは正しい判断だった」

「え?はは、あんた、自分のことみたいに言うね。――そう言ってもらえると嬉しいけど。――ま、そんなわけで、あたしも返してもらえるなんて思ってなかったし、ばあさんもそんなに期待はしてなかったみたい。いつもなら『地獄の果てまで追いかけて取り立てろ』が口癖なのに、その決まり文句、言わなかったから。見つけられるかどうかも危ぶんでたみたいだけど、そこはそれ、あたしの執念の勝利ってヤツだね。でも、あんたも、よく返す気になったね」

「嬉しかった」

ボソリ、とゲドが言った。

「は?借金がかい?」

「……」

ゲドは黙って、少し目を細めた。

娘は、変なヤツだね、と言い置いて、

「ま、いいや。今、いくら返せるんだい」

「五百万」

「百分の一か」

娘は腕組みをすると、あごに指先を当ててしばし考えた。そんな仕種をすると、ずいぶんと可愛らしい印象になる。

「いいや、二百万で手を打とう」

「いいのか」

「いいよ。もともと、観光がてらのお遣いだったのさ。二倍も取れりゃ万々歳。ばあさんには土産話で手を打てって言っとくよ」

「よろしく言ってくれ」

「ああ。――このお酒、奢りでいいよね」

「ああ」

「ありがと。じゃあ、またね」

娘が金を受け取って出て行くと、「また」はなくていい、とエースが小さく言った。

そして、ゲドの手元には、ジャラジャラと金の音のする小袋がまだ残っている。

「エース」

「はい?」

「貸すぞ?」

至極まじめにゲドは言った。

金を返してもらったと聞いて、最初、心底驚いたような顔をしていた老婆も、孫の話が終わるころにはだいぶ落ち着いていた。

「ただ『借金した奴に似てるようだ』って言われた時は、ホントに仕事になるのかと思ったけど、ほんと、世間って狭いもんだね」

「ああ、まったくだ。……それで、その人はどんな人だった?」

「名前はその借金したヤツと同じでゲドって言った。無愛想で悪人面でさ。片目で背が高くて、こう、威圧感があるんだよね。こりゃ、こんなわけわかんない話を持ちかけたって無理だろうなって思ったけど、話してみたら、案外、いい奴だったよ」

「そう、片目で――」

老婆の脳裏をくるくると記憶が流れていく。

戦の前に、金を渡されて、ほんのわずかに困惑した男。

戦場で肩口を切られて荒い息をしていた自分を馬上に引き釣り上げた男。

抗う自分を無視して、馬を走らせ、自分は残った男。

振り返った自分の目の前で、矢を受けた男。

戻ろうにも、敵に囲まれ、そこから逃れることで精一杯で、無力のうちに男を見失ったことが、あの時どんなにじくじくと胸を押さえつけたことだろう。

長い長い年月の間に、その胸を穿(うが)つ楔は、小さくはなっても無くなりはしなかった。だが、それがスッと消えた。消えることなどないと思っていた楔が跡形もなく消えた。

「ね、土台、無茶な話だったんだ。この土産話で手打ちなよ」

「ああ、五億に値するね」

孫娘と同じ赤い髪をもつ老婆は、静かに品よく微笑んだ。

平成十七年九月十三日 初稿