麗人剣士

木々の色付きはじめる秋の戸羽口のことだった。

山を背負い川を擁くサナディは

「昔はこの辺りの中心都市だった」

とゲドは言う。今、ゲドはサナディを見下ろす丘の上で馬上の人となっている。

「ほう、なるほど、古都の佇まいというやつですな」

と、己の馬をゲドの馬に並ばせながらジョーカーはうなづいた。

「それが今はハルモニアの属国、住人は三等市民ですか」

「それも今から無くなる」

二人の眺めているうちに砂埃をあげながら不揃いな軍隊がサナディに迫るのが見えてきた。

ハルモニアの属国となった段階でサナディは兵力を取り上げられている。

それから十数年。迫り来る傭兵部隊を防ぐすべをサナディは持たない。

城門は中から開け放たれて、まもなく街のあちこちから煙が上がりだした。

戦端が開かれたことを示すその不穏な烽火(のろし)をしばらく眺めてから、ゲドが馬を進ませた。ジョーカーも黙って続く。

都市は最期を迎えようとしていた。

兵が襲って間もないのに、街は無残に破壊されていた。主だった建物は打ち壊され、火を掛けられていた。秋晴れの昼日中に行われた襲撃は迅速且つ獰猛で容赦が無かった。これから本隊が到着するまでの間は略奪のし放題になる。傭兵隊の目当てはそれで、ハルモニアも略奪を報酬の一部にしているのだから歯止めがかからない。

あちらこちらで悲鳴が上がった。組織立った抵抗などあるはずも無かった。傭兵たちは殺し、奪った。斬られる夫の断末魔の叫び、嬲られた女の発する気狂いのような奇声、それを間近に見て泣き叫ぶ子供の声、燃え広がる木々のはぜる音、そういったもろもろの音がわあんという雑音となってゲドの耳に届いた。

ジョーカーが面白くなさそうに鼻を鳴らした。ゲドの方は周りに対する無関心な態度を崩さなかった。

訓練された軍馬はゲドとジョーカーによく従い、並足を崩さなかった。

予定通りの道順で馬を進ませる二人に襲い掛かるものは居なかった。傭兵たちは〈味方〉であったし、サナディの人間は身を守るのに精一杯で己を襲わぬものに武器を向けて挑んでいる暇などありはしなかった。

ゲドの耳に届くわあんという雑音に二人の馬の足音が低音の調子を添えている。

街の中心へ行くほどに破壊はひどくなっていた。結局、二人の道行きをとどめたのは道を塞ぐ瓦礫の山だった。

「これでは地図が役に立ちませんな」

「さして困りもすまい」

ゲドは馬の(こうべ)をめぐらせた。ジョーカーもそれに続いた。馬の足で十歩行ったや行かぬかで、わあんという雑音とはまったく異質な音が聞こえてきた。チラとこちらを見たところをみると、ジョーカーにもそれが聞こえているらしい。

金属の打ち合う音。

剣戟の音だ。

この街に入ってまともな剣戟の音を聞いたのは初めてだった。音を頼りに馬を進めると、袋小路に傭兵たちが五,六人たまっているのが見えた。馬上からだとその一団と戦っている相手も見える。

「貴族だな」

中背のスラリとした人物が体格のいい男たち相手に打ち合ってひけをとらない。館の門を巧みに利用して、一度に打ち込める相手を絞っている。館のほうは未だ焼け落ちていないが、左右から炎が迫っており、屋根をチロチロと舐めている。もう、退く場所とて無いのだ。

「貴族のお遊びとは思えぬ腕ですな」

「ここは三等市民の都市だ」

ゲドが説明しなかったことをジョーカーは明敏に理解した。

「力無くば生きることあたわぬ、ですか」

ゲドは応えなかった。十分に近づいたところで二人は馬を止めた。

「や、あれは――女」

声を揚げたジョーカーとは別なことをゲドは言った。

「もう一人居るな」

言われてジョーカーは目を細めた。ゲドが言っている〈もう一人〉はすぐ判った。一合、二合と剣を打ち合う女の傍に華奢な影がうずくまっていた。体の造りから考えるに少年のようだった。その肩というより胸のあたりに矢を受けている。矢を受けながらも懸命に自分の剣を上げている。立つことさえかなわぬのに、その瞳だけはギラギラと眼前の敵を見据えていた。

「長くは持ちますまい」

ジョーカーが囁いたのは少年のことだったか、女のことだったか――

()っと()ていたゲドの手が不意にあがった。

何事か感じてジョーカーは馬を数歩下がらせた。

刹那、(いかずち)が辺りの空気を震わせてゲドの手から(ほとばし)った。

(はや)い。

ジョーカーは内心舌を巻いた。火の魔法を得意とするジョーカーは魔力も高いほうだと自負している。だが、時にゲドは易々とその上を()く。

雷鳴が轟き渡った後には傭兵たちの死体が転がっていた。

突然、切り結んでいた敵が居なくなっても女は驚愕の色を見せなかった。二つ三つ呼吸をする間に上がっていた息を整え、剣を構えて馬上の二人を()っと見据えた。

何故(なにゆえ)の振る舞いだ!」

ゲドは引き戻した己の右手を見つめていたのだが、その視線を上げ、女を見た。口をあけ、考え直して言葉を飲み込む。替わりに

「もうすぐ本隊が来る」

と言い捨て、元来たほうへと馬を向けた。慌ててジョーカーもそれに従う。

二人の背中を女が睨みつけていた。

「少々急ぎませんと」

二人は馬をだく足にしている。

「震えておりましょうかな、待ち人は」

「さあな」

街はそろそろ断末魔をあげている。

待ち人は震えてはいなかった。

「テイン・ド・カッサレラ様ですか」

「テイン・ド・キャッサレラだ」

やんわりと訂正した声は落ち着いていた。街を焦がす炎がその頬に陰影を映し出した。

造りの立派な馬車のそばに立っている人物。

五十前後、と見える。貴族だ。

角ばった顎に丁寧に手入れされた口髭、静謐の宿る瞳。栗色の髪と顔のつくりがサナディの出とはとても思えず、ジョーカーは内心、おや、と思った。

従者らしき男がひとり。こちらはもっと年を取っている。老僕である。

馬上のゲドを貴族は見上げていた。

「失礼しました、キャッサレラ様」

十分に近づいたところでゲドが馬から下りた。

ゲドが馬から下りるのにあわせてテインは視線を下げたが、身長差のせいで見上げることに変わりはなかった。

ゲドが馬から下りたので、ジョーカーも地面に降り立った。

「あなたがハルモニアの寄越した護衛か」

「はい」

「まだ他に来るのか」

「いいえ」

「小隊を寄越す、と聞いたが」

「隊員は二人です」

「二人だけで小隊か」

「書類上、そうなっております」

ふ、とわずかにテインが声を立てた。

「あなたが隊長か」

「はい」

「名は」

「ゲドと申します」

「そちらは」

「ジョーカーです」

テインは黙って二人を見比べていた。近くで音を立てて家が焼け落ちた。

「隊長はどうやって決めたのだ」

変なことを訊く、とジョーカーはこの実直そうな貴族に興味を覚えた。

「籤です」

表情を変えずにゲドは答えた。テインの口元がきゅっと上がった。

「そろそろ街を出たほうがよいと思いますよ。本隊が到着したら面倒でしょう」

ジョーカーが口を挟むと、テインは周りを見回した。老僕のほうは黒々とした目に涙を一杯にためている。

ひととおり見回すと、テインは馬車の扉を開けた。老僕が御者の位置に乗り込む。テインは足をかけながら言った。

「豪奢な護送車だ」

莫迦ではない、とジョーカーは思った。

それからさほど間をおかずして。

サナディを見下ろす丘の上にふたたびゲドとジョーカーの騎馬を見ることができる。今度は馬車がその間にある。

馬車の中からコンコンと御者に合図する音が聞こえた。

「止まってくれ」

馬車が止まると、テインが顔を出した。

丘の下、燃え落ちるサナディはハルモニア正規軍に呑まれようとしていた。

テインはじっとその(さま)を見ていた。

やがて、

「行ってくれ」

合図を出すと、ふたたび馬車が動き出した。

ジョーカーはゲドだけに聞こえるように言った。

「訳あり、のようですな」

「理由など何にでも何とでもつくものだ」

ジョーカーは肩をすくめ、馬を馬車の前に進ませた。

ゲドには、燃える古都が突入するハルモニア軍を飲んでいるようにも見えた。

いつかどこかで見た水責めがまざまざと思い起こされた。

捩じ込まれた漏斗(じょうご)、大量の水、膨れ上がる腹部――

パチン、とゲドは無理やり思考を切った。

少なくとも、切ろうとは、した。

()ちた都を出てから四日は平穏無事な旅だった。

道筋は草原で、見晴らしがいいだけに、潜む人影を見つけるのも容易だ。

昼間だけ進み、夜は指定の宿に泊まる。宿に着くと馬車は直接窓につけられ、出入りする人が外からは極力見えないように配慮された。

宿の部屋にいる間の警備は街の警邏の者が担当し、その間、ゲドとジョーカーは休息を取ることができる。

「厳重なものですな」

二人は場末の酒場で飲んでいる。

「テイン・ド・キャッサレラは何をもって己の保身を図ったのでしょうな」

ゲドは黙ってジョーカーがしゃべるのを聞いている。

「まず、金ではない」

相手が寡黙なのにジョーカーは慣れている。寡黙なだけで黒髪の男は人の話をよく聞いている。

「情報、でしょうな」

隻眼に同意の色が浮かんだ。

「おそらくは、真の紋章の」

「……」

ゲドがわずかに手を動かして給仕を呼び、酒を追加した。

「しかし、あの貴族、とてもサナディの者とは思えませんが」

「おそらくは、毛並みのいい、意に反した間者……」

むしろ、ぼんやりとゲドは自分の意見を口にしたのだったが、ジョーカーははっとなった。言われてみると得心が行く。

毛並みのいい間者、とはもちろん揶揄表現である。

しばしば亡国の貴族がその任に当たる。任に当たるといっても、当人は何も知らない。ただ、本国の意向のままに目的の土地に流される。そして、何年も、ときに何十年も経ったある日、自分が何を探らなければならないかを知らされる。それまで、ハルモニアからの接触はない。人々の同情を集めた亡国の温和な貴族は長い年月をかけて土地のものの信頼を得ており、そして、知ってしまう――

間者はもちろんハルモニアに弱みを握られている。住み暮らすうちに愛着のわいた土地と〈弱み〉を天秤にかけたとき、彼らがどちらを選ぶか。

気の長いやり方だが、いかにもハルモニアらしい。

ふう、とジョーカーは酒気を帯びた息をついた。

「明日からが正念場ですね」

「ああ」

〈正念場〉とジョーカーが言ったのは、道が森に差し掛かるからである。整備された道ではないので、馬車の速度は遅くなり、どうしても抜けるのに三日はかかる。その上、森を抜けるまで宿がなく、野宿を余儀なくされる。

「街ではあれだけ厳重に警護しているというのに、なぜ、応援を寄越さないのでしょうな」

「街には人がいるからだろう」

ジョーカーはゲドの短い返答を謎解きするのがいつのまにか癖になっていた。

「情報が消えるより漏れるほうを警戒している、というわけですな」

つぶやきながら考え込む。どうも、上の対応に一貫性がない。いずれ、なんらかの駆け引きがあるのであろうが。一介の傭兵に政争は関係ない、と思い定めている。

月のない晩だった。

森の中のこととて星明りさえ届かない。

その時、火の番をしていたのはゲドだった。

気配のした方向にはたと顔を向けると、ゲドは愛剣の鞘を握って、地面を強く一度打った。ジョーカーが起き上がるのを衣擦れの音で確かめてから立ち上がり、来た道をひたひたと戻った。

風、と知覚したその瞬間、反射的にゲドは抜ききらぬ剣を己の首の辺りに構えた。

ガ、と鉄の噛み合う音がして、強い衝撃が伝わった。

首を薙ぐはずだった刃を止めて、ゲドはそのまま走りぬけ、剣を抜ききる動作の延長で滑らかに振り向いた。

細身の人影。

女。

火を背に立っているせいで顔ははっきりしなかったが、その体格、その刀、その打ち込み具合、溢れ出る殺気の(さま)でゲドは気づいた。

相手にも分かった筈だ。一度会っていることが。

ゲドは振りぬいた剣を中段に置き、打ち込みを留める不可視の壁とする。

女もまた中段を取っている。その切っ先はゲドのそれのわずかに下だ。

構えた体勢に秘められた輝かしい必殺の気配をゲドは確かなものとして捕らえていた。

――いい腕だ。

その時だ。

「どうしました」

ジョーカーが声をかけた。他からの襲撃はないと見て、こちらにやってくる。

ちら、と声を気にして女の視線が流れた。瞬間できたわずかな隙をゲドは打ちこまなかった。

女の視線がゲドに戻ったかと思うと、その瞳がすっと細くなった。

「名を――」

相手の唇から流れ出た声音(こわね)は、端整で切れのいい、(がく)のような()

「――訊こうか」

「ゲド」

「ゲド」

女が短い答えを復唱した。

()るなり、翻ったその身が茂みに隠れた。下生えを踏む音がさわさわと静かに遠ざかって行った。

ゲドは追わなかった。

「見事なものですな」

近づいてきたジョーカーも女を追おうとはしない。

「今のは、サナディで――」

「ああ」

剣を納めながらゲドは女の消えた茂みを見つけていた。

「山猫のようだな」

ぽつり、つぶやく。

「山猫、ですか」

繰り返したジョーカーに沈黙を返し、ゲドはゆっくり火のほうへ戻っていった。

「ゲド殿、だったな」

日が昇り、ふたたび移動をはじめて一刻ほどして、馬車からテインが呼びかけた。後ろに回っていたゲドが窓に馬を寄せる。

「何か」

「昨夜のような襲撃が再びあるだろうか」

「あるでしょう」

そっけない返答に、テインはきゅっと口角を上げて笑みめいたものを一瞬見せた。

「君はハルモニア兵なのか」

「正規軍かと言う意味ならば違います」

「傭兵、だな」

「はい」

テインはそこでためらって、口を閉じた。テインの口髭が急に動きを止めたのを眺めながらゲドは待った。

「私が君を雇うことはできるか」

「現在受けている命に反することはできかねます」

「金次第で――」

「いいえ」

ゲドが遮ると、テインは感心したような面持ちになった。

「傭兵というものは利で動くと聞いていたがな」

「長く傭兵を続けるならば〈腕〉以上に〈信用〉が売りになります。一時の利で信用を落とせば、長期的には間尺に合わないことになります」

「傭兵になって長いのか」

ゲドは視線をわずかに落とした。

「実質上傭兵以外の職についたことはありません」

「君が現在受けている命はなんだ」

「キャッサレラ様をクルーニャまで護衛することです」

「私の希望はその先、リアノまで行くことだったはずだが」

「クルーニャ市門で市兵と護衛を交代します。そこから先は我々の知るところではありません」

「ならば――」

ゲドは動く口髭を眺めながらテインの言葉を聞いている。

以降、何事もなくクルーニャに到着した。

夜の闇に焚かれた火が市門を明るく照らしていた。市門には衛士が待ち構えて居、派手ではないが立派な造りの馬車を見て、道をふさいだ。

「警備隊の者か」

「はい」

身振りで馬車を示す。

「キャッサレラだな」

「はい」

上官らしいのが合図すると、市兵がたちまち馬車を囲んだ。

「御苦労だった。これが後金だ。経費は込みだそうだ」

渡された小袋を騎馬のまま受け取ると、ゲドはそれを無造作にジョーカーに放った。ジョーカーが片手で器用に受け止めたときには、既にゲドは馬を返している。

「クルーニャに逗留しないのですか」

視線だけがジョーカーに向けられる。返答はない。

肩をすくめてジョーカーも馬を返してまもなく、背後が騒がしくなった。

剣の打ち合う音。

「自分の力の及ぶ範囲のものを守ることの、何が悪い」

テインの叫び声。

「ならば、その力で私から身を守るんだね」

鋭い女の声。

ジョーカーは振り返った。馬車のあたりが騒がしくなっている。武器を持った人影がしばらく入り乱れていた。怯えたのか、傷つけられたのか、突然、馬車馬が狂ったように走り出し、影たちを蹴散らして去って行った。

前を行くゲドに声をかける。

「いいのですか?」

「任務は門までだからな」

「気づいていましたね?」

「気づいていただろう?」

「それは、まあ」

ジョーカーが鼻の横を掻いたとき、駆けて来る足音がした。二人は馬を止め、向き直った。駆けて来るのが誰だか、大方は予想はついた。

予想は裏切られなかった。

二人が向き直るや、女が止まった。

短い黒髪の、滑らかな白い肌の、きつい眼をした麗人剣士――

馬上のゲドを見上げ、

「やるかい?」

ひた、と刀を構えた女に只ひとこと、

「乗れ」

躊躇は一瞬だった。

女が自分の背後に飛び乗り、ピタリ身を寄せるとゲドは馬に拍車をくれた。

薄墨の闇を二頭の馬が疾駆していった。

クルーニャから十分離れると、ゲドが馬の速度を落とした。気づいて、ジョーカーもそれに合わせる。

止まって、振り返る。

追っ手は、ない。

亡国の貴族の死など、誰が気にかけよう。

騒がしかった市門が今は閉ざされている。そこに明かりがポツリ灯っている。

「サナディで一緒に居た少年はどうした」

ゲドの問いは唐突で、自分に訊かれているとも分からず、女はしばらく黙っていた。あるいは、音が言葉として届いていなかったのかも知れぬ。ずいぶん経ってから背中で女の顔が上を向き、下を向くのをゲドは感じた。

「死んだよ」

「係累か」

「弟さ」

「他に係累は」

「サナディがどうなったか見ていただろう!」

叩きつけられた声にゲドは逆らわなかった。

「そうだったな」

しばらくクルーニャの明かりを眺めてから再びゲドが口を開いた。

「どれだけ()った」

女が身を硬くするのを背中に感じる。

「キャッサレラだけ。サナディを裏切ったのはキャッサレラなんだから」

声がつぶやきになった。

「サナディが生かされていたのは――サナディを守っていたのは情報だけ、〈真の紋章〉なんて訳の分からないものの情報だけだったのに」

ゲドは皮手袋に覆われた(おの)が右手に視線を落とした。

その手の握る手綱をやにわにはっしと打つ。

馬が駆け出した。

慌てて追いすがったジョーカーがゲドの横に並んだ。

「どこに」

「仕事だ」

「私も〈仕事〉とやらをやらされるのかい」

「金は出る。まだ生きていくつもりがあれば生計(たつき)は要るだろう」

ふん、と女が鼻を鳴らした。

軍馬は平原を一陣の風となって疾駆する。

そろそろ口を開くだろう、とジョーカーは耳を抜けていく風と蹄の音に負けないように叫んだ。

「目的地は」

「リアノ」

「そこで何を」

「女を奪う」

「それはいい」

ジョーカーが笑い声を立てると、ゲドの背にしがみついている女剣士が呆れたような仕草をしてよこした。

リアノに市門はない。旅人と傭兵の町で、猥雑な活気に溢れている。

軍馬の速度を緩めつつ一気に宿の並ぶあたりにつける。

一夜の宿をジョーカーが見つけてくると、馬を宿の者に任せ、ゲドはスタスタと歩き出した。

「蔦の絡まる鉄格子に囲まれたリアノ唯一の白い館、その東南隅の二階にいる女と子供をここから東に伸びる街道と川とが交差する場所で待っている人物に引き渡すのが任務だ」

簡潔にゲドが説明する。

「警備は」

「外は二人だそうだ。中は分からん」

「こういうときは、探りを入れてからやるもんなんじゃないのかい?」

口を入れた女にゲドは視線だけ寄越した。

「そうするべきだが、時間がない」

「やっかいですな」

もう一度、女が何か言おうとして口を開いたとき、ゲドが立ち止まった。

「あれのようだな」

館は大きくなかった。リアノの規模からいえば妥当、とも言える。館が大きくないわりに鉄格子は高く、忍び返しが黒々とそそり立っている。

正門の両脇は衛士の立つ石造りの番小屋になっている。

「外の警備があれだけだとしたら、ずいぶんと手薄ですな」

「知らんよ」

無責任な言葉をゲドは投げて寄越した。

「それで?あたしは何をすればいいんだい?」

「あの衛士が仕事の邪魔にならないようにしてくれ」

「どうやって」

「任せる」

女の目つきがきつくなるのをジョーカーは面白そうに眺めた。

衛士の方をじっと見てしばし考えた挙句、女はジョーカーに向けて手を出した。

「それ、貸しておくれよ」

「これか?」

腰に吊るしていた酒入れをジョーカーが放ると、女はふたを開け口をつけるとゴクゴクやった。

「おい、強いぞ」

「何か言ったかい?」

ふふん、と笑い、むせもしない。

それから、剣帯をはずした。じっと見つめた愛刀をゲドに手渡すときはさすがに躊躇があった。

それから、自分の胸元を破く。いい眺めだ、とジョーカーはにんまりとした。

準備を整えると、女は千鳥足を装ってフラフラと門に近づいていく。

離れたところから窺っているゲドとジョーカーには言葉は聞こえない。聞こえるのは切れ切れにあがる嬌声じみた笑い声。

「貴族とは思えませんな」

「蝶よ花よとは育てられておらんだろう」

チラとジョーカーはゲドを盗み見た。この男にしては文章が長い、と思ったのだ。しかし、確たる表情は浮かんでいない。ジョーカーが視線を館の方に戻すと、ちょうど衛士二人が女に近寄るところだった。突然、女の体がバネのように動いた。

首筋と横腹。

それぞれ打たれてくず折れる。

「いい腕ですね」

「そうだな」

「それに、性格も。向いてますよ、この仕事に」

「ああ」

「試したんですか?」

「……」

歩み寄りながらゲドが刀を差し出すと、女は奪い取るようにさっと引き寄せた。ゲドはそのまま番小屋に背を向け、手を組んで立った。

「ジョーカー」

「了解」

構えたゲドの膝と組まれた手と肩をジョーカーは身軽に駆け上った。

「へえ」

感心して女剣士が声を漏らした。

番小屋の上から飛び降りたジョーカーは膝のバネを利かせて地面に降り立つ音を殺した。そして、門の閂をそろそろと外す。

「では、私は陽動に」

「頼んだ」

「宿の前でいいですかな」

「ああ」

短いやりとりの後ジョーカーが離れていくのを見送ると、黒髪の女が振り向いた。

「それで?」

「しばらく待ちだ」

好きにしてくれとでも言いたげに、女が首を振った。細い月の晩なので、表情はよく見えなかったが、闇夜に黒髪がサワサワと揺れるのが分かった。

二人は目指す東南の隅でしばし待った。

若干の物音がして、館の中を人が数人動き出すのが聞こえた。

「もっと派手にやるのかと思ったよ」

「本物らしくなければ陽動にならん」

「今度は?」

「木に登れるか」

溜め息が返ってきた。

「あんた、何もしてないじゃないか」

「そうだな」

その返答に思いがけず笑いが含まれていたので、女は思わず闇を透かしてゲドを見つめた。見つめながら、暗くて表情が見えないのが残念だ、と思っていた。

スルスルと木に登ったはいいが、窓まで少し距離がある。

どうしたものか、と考えたとき、内側に人影が立つのが分かった。

おもわず身を硬くする。

さっとカーテンが開かれる。

顔を出した品のいい婦人に、とっさに、シッと合図する。

驚いたようだったが、貴婦人は声を立てなかった。

「ちょっと、そこどいてくれないかな」

ためらいはあったが、貴婦人は素直に窓辺から離れた。

そこへ勢いをつけて飛び込む。

少し音がしてひやりとしたが、他に誰か来る様子はない。ジョーカーとかいうのを追うのに忙しいらしい。

つい、と侵入者に近寄って、貴婦人は声を低くして問いかけた。

「夫に頼まれたのですか」

「知らないよ」

窓の下を指し示す。

「あちらに訊いとくれ」

覗きこむ女性に、ゲドが立派な装飾のついた短剣をかざしてみせた。それを見て、女性は頷いた。

「わたくしはどうしたらいいのですか」

「そうだね、シーツとカーテンをつたってもらおうか」

すでに女剣士はベッドの足にシーツを結び付けている。

「子供は」

見ると、一歳ほどだろうか、暗い部屋でこちらを見上げる目が二つ。

果たして子供を抱えて降りられるだろうか、と抱いて窓辺に立ってみたが、難しそうだと判断する。

「ちょいとあんた」

周りを警戒していた男が見上げる。

「子供が居るんだ」

「投げろ」

母親が四の五の言う前に子供を投げ落とす。はっと息を呑んだ婦人は、子供が男の腕の中にしっかりと抱えられたのを確かめて、ヘナヘナとくずおれた。

「ねえ、そんな場合じゃないんだけどね」

うん、うん、と何度もうなずいてはいたが、婦人はなかなか立ち上がれなかった。

館の敷地から出るときにこちらを見つけた衛士を四人ばかしゲドが叩き伏せるというハプニングはあったが、町が町だけに夜の店の立ち並ぶ通りにまぎれてしまうと、あとは簡単だった。

張り詰めた顔をして押し黙っている婦人に服を見繕って着替えさせながら、女剣士はぼんやりと考えていた。

故郷を無理やり捨てさせられて、その憤りのままに剣を振るって、自棄気味に駆け抜けてみたが、ふと気づいたのだ。

自分は生きていて、これからも生きていく。

着替えが終わって、抱えた子供を揺らす母親を見ていて、なおのこと思った。

サナディの死は自分の死に直結しない。

(おこり)が落ちたような気分になっていた。

朝になると、いつのまにか話がついていて、隊商と共にリアノを出ることになっていた。

話を持ちかけたのは二人の男のうちのどちらなのだろう、と女剣士は考えている。

剣士は今、隊商の幌馬車に親子を守る形で一緒に乗っている。

隊商の護衛としてジョーカーとゲドとが馬に乗って後ろをついてくる。

川が見えてきたところで、幌馬車は止まった。

「ここでいいんですね」

「ああ。助かった」

浅黒い顔をした商人達が過ぎ去ってしまうと、急にあたりが寒々しくなった。

「あれに」

一点を見据えていたジョーカーが身振りで示した方向を見て、女剣士は息を詰めた。

馬車が一台やってくる。

「ここで待っていろ」

ゲドは親子を連れて馬車のほうに歩いていった。

遣り取りをしているのが見えた。御者が馬車から降りて、貴婦人にすがりつかんばかりにしている。貴婦人はその老爺の手をとって、なにやら語りかけている。それから、二人がゲドに向かって何度も礼をして――

その光景を見ながら身を硬くしている若い女剣士をジョーカーは油断なく見張った。

やがて、ゲドを残して馬車が動き出した。

馬車がずいぶん遠くに行ってから、やっと剣士は力を抜いた。愛刀にかけていた右手がゆっくり開かれる。

戻ってきたゲドは、小袋を持っていた。

女は去っていく馬車を見据えたまま言った。

「あの御者――」

「そうだ」

女の視線がチラとゲドに流れた。

「あんた、皮肉屋だね」

目を閉じてゲドは首を振った。

「そのつもりはなかった」

ゲドは報酬の金貨を正確に三等分した。そのうち三分の一を小袋に戻し、女剣士に差し出した。女が両手で袋の底を受け止めたとき、袋を持ったまま隻眼の男が唐突に言った。

「剣にて身をたてる気があればついてこい」

瞳に静かな(いろ)(たた)え、二人はしばし見つめあった。やがて、吐息とともに女は言った。

「それも、悪くないね」

女の、己と同じ黒い瞳を眺めながら、ゲドはそっと袋から手を離した。

ゲドと女とを見比べながらやけに満足げにジョーカーが言った。

「ならば、そろそろ聞かないと不便じゃな」

「何を」

「名前を」

「名前?」

女の目が鋭くなった。

「そんなもの、あの日、あの時、サナディと一緒に燃えてしまったよ」

はすな言い方をしてはいたが、貴族らしい発音と(あふ)れる哀惜の念は隠しがたかった。

――この女は、その心根において、どうしようもなく貴族なのだ。

対して。

「俺は未だにゲドだ……」

つぶやきは誰に向けて発せられたものでもなかったが、しかと二人の耳に届いた。

ジョーカーはわずかに眉を上げた。

視線を地に落とす男の横顔を、不思議な生き物を見てでもいるかのように女がしげしげと眺めている。

「そろそろ、帰るか」

自分が作った波紋など知らぬ風に、ゲドはいつも通りの口調で空気を(はら)った。

「どこへ」

「カレリアじゃ。儂らはハルモニア地方軍の南部辺境警備隊第十二小隊ということになっておる」

「ハルモニア……」

「考え直すか」

女は(かぶり)を振った。白い肌に浮かんだ笑みは微かで自嘲めいていた。

「あんた、最初から引き込む気だった?」

向けられた質問に素直に男がうなずくのを、女は落ち着いた心持で見つめていた。

「あんたが皮肉屋なんじゃないね。世界がそうできてるんだ」

自分を納得させるようなつぶやきだった。

ジョーカーとゲドが馬に乗る。ゲドの後ろに上りながら、女は言った。

「私の馬も調達すれば良かったよ」

「そうだな」

「あんたの後ろも悪くないけどね」

艶やかに()んだ女の顔をしばらく見つめ、正面に向き直りながらゲドが言った。

「カレリアに着くまでにゆるりと考えるがよかろう」

「何を」

「名だ」

後ろから上がった女の笑い声は耳に快かった。

平成十四年十一月十六日 初稿

平成十四年十一月六日 改稿

補足説明

という類推のもとに書いてみた。幻水の話の中で書き始めたのが一番早かったものである。ただ、冒頭でえらい力を入れて書いたら後が続かなかった。視点の移動を頻繁に行っているが、視点を据えた方がやはり好み似合っていたかもしれない。気力があれば書き直してみたいものである。