支倉未起隆 VS 空条承太郎(4部)

ROUND 3『壁のそばに川は流れ』

発動 10分前

もり?

少年が変身したのは長い()のついただった。それが唸りをたてて飛んでくる。

承太郎はまったく慌てなかった。実際、とある国で見せてもらったクジラ漁を思い出す、そんな余裕すらあった。

なんなくそれをかわす。だが――

「どうやら――」

かわされるのは予想済みだったらしいな。

少年が兵士をかばうように承太郎の前に立ちはだかったのを見てそう判断を下す。

少年は手に持っていた紙束を地面に置いた。おそらく、次の手こそは本気だろう。

少年は再びになる。さっきより勢いのある軌跡で承太郎に迫り来る。

だが、対処できない速度ではない。承太郎はまたもそれをかわす。

と、かわされたは方向を変え、再び承太郎に襲い掛かる。それも承太郎には予見済みだった。

少年が変身したからには意思のあるだ。それぐらいはやってのけるだろう。

が、そのが目の前ではじける様に分裂したとき、承太郎は初めて驚きを感じた。

複数のものにも化けられるのか――

カカカカカカカカカカ!

四本にはじけたがクレムリンの外壁と兵器庫の間を跳ねまわった。

これは、よけられない。ならば。

承太郎はスタープラチナでそれらをすべて叩き落した。

「痛い!」

がしゃべったので承太郎はおや?という顔つきになった。

痛い?どうやら、基本的には人間としての感覚が残っているらしいな。しかし――

「早とちりしたのが悪いんだ。自業自得だ」

対してから少年の姿に戻って未起隆が承太郎をにらみつけた。

「何が早とちりなんですか!兵隊さんを襲っておいて!」

そうだ、兵隊――

未起隆のほうに気を取られていてその男をすっかり忘れていた。

振りかえる。――いない。

兵器庫の角を曲がってみると走り去る偽兵士の姿が見えた。手には紙束を持って。

承太郎はひとつ舌打ちした。そいつを追うのがいいか、少年をしぼりあげるのがいいか判断をくだそうとしたとき。

「あ、待ってください!」

少年が兵士の後を追って走り出したのだ。

――なぜだ?

そうは思ったが、とりあえずはその疑問を保留にして承太郎も二人の後を追った。

発動 7分前

すごい勢いで駆けていく兵隊に驚いて、ツアー客がとっさに道を開けた。

()けた人々は、その後を東洋人だろうか、細身の少年が何事か叫びながら走っていくのを見て、不思議そうな顔をし、さらに、これまた東洋人だろう、ずいぶんと体格のいい青年が走っていくのを見て目を真ん丸くした。さらには、その後をピピピピピピーー!と警笛を鳴らしながら数人の衛兵が追いかけていくに至って、とうとう人々は逃げ出した。

公用で停まっていた車の周りには黒いスーツ姿のSPがこぞって警戒にあたり、謎のおいかけっこをしている以外の兵士たちは逃げ惑ったり、野次馬を決め込んだり、途方にくれて座り込んだりしている人の流れをどうにかしようと懸命だ。

もちろん、入り口であり、出口であるトライスカヤ塔は完全閉鎖である。

とっさに追いかけてしまいましたけど、どうも変ですね。あの人が調べてたのはあのがっしりした男であって、叔父さんの書類じゃないでしょうに。

未起隆はそう思っていた。

それに、なんだか騒がしくなってきてしまいましたし。誰か何かやってるんでしょうか。大道芸とかだったら見たかったような気も……

脇の下あたりが痛い。さっきあの男の変な背後霊みたいなのに殴られたためだ。ちょっと払ったぐらいの動作しかしてなかったのに、強烈だった。男はまだ追いかけてくる。

あの男、わたしを追いかけてるのでしょうか。それとも兵隊さんを追いかけているのでしょうか。いや、やっぱり書類がほしいのかもしれません。書類を奪うつもりで追いかけてきてるんだったら問題ないんですが。なんにせよ、今度はもう少し策を考えて行動しなくてはなりませんね。

自分のほうが歩幅(ストライド)は大きいだろうに、距離がつまらない。なかなかいい足だ。

余裕を持つつもりでそんなことを考えてみたが、実はさっきよりまずい状況だと承太郎はしっかり認識していた。

何故と言えば、後ろから(おそらく本物の)兵隊数人が何事か叫びながら追いかけてくるからだ。

ロシア語の分からない承太郎にもそれが「止まれ!」という意味の台詞だろうことは容易に想像がついた。

そもそも、クレムリン内部はけっこう人の流れが厳重に管理されていて、道を外れるとそれだけで兵士が真っ赤な顔をして怒り出す、と聞いている。にもかかわらず、こんなおいかけっこをして、間違いなく立ち入り禁止であろう建物の裏の細い道だの抜けた先にある道もない茂みだのを踏み荒らしているのである。追いかけてこないのを願うのは少々虫が良すぎるだろう。

どうやら、正式な出入り口は封鎖されているらしい。たとえ、封鎖されていなくても、さっき駆けぬけてきたばかりの所にこの状況で戻れるとは思えなかった。承太郎が追いかけている痩身の少年も、その10mは先を走っている偽兵士も、障害物も何のそので無理を押しとおして直進しているのだ。

やれやれ。よりによってこんなところで追いかけっこをする羽目になるとは。どうにかして、外に出る方法を考えておかなければ。――といっても、外をグルリと囲む赤い壁を越えるぐらいしか方法はないのだが。

目標を逃す気はないのはもちろんとして、自分が公的機関に捕まる気ももちろんなかった。

やっかいごとは御免だ。常人に説明できないことで動いている今はなおさら。

発動 5分前

茂みのような公園のような場所をジグザグに突っ切る頃には後ろを追いかけてきていた兵士の姿が消えている。

まいた――とはとうてい思えない。おそらく、対処法を変えようとしているのだろう。

別方向から突然現れるとか、ふと気がつくと兵士たちに囲まれているとかいうのはありうることだ。

幸い、外壁が近いようだ。さっさと用を済ませてあそこを乗り越えて出ていってしまいたいものだ。

問題は、どうやって用を済ませるかだが……

実は、承太郎は少年を見失ってしまっていた。少年よりさらに前を走っていた兵士のほうはそのもっと前に見失っていた。

少年のほうはもしかしたら何らかの物に化けているのかもしれない。

あの少年の能力はなかなかのものだった。何かに化けているとしたらちょっと目を凝らしたぐらいでは分かりはしないだろう。

木々が風でざわつく。外壁の向こうからだろうか、水音が聞こえる。

承太郎はモスクワの地図を頭に思い描いた。たしか、クレムリンの傍にはモスクワ川が流れていたな。

どうするか。

ふと見まわしたとき、承太郎は探していた相手を見つけた。というより、目に入らざる得なかったのだ。なんせ、少年は赤い壁の上にいたものだから。

いつのまに登ったものか……

無意識のうちに承太郎はため息をついていた。そろそろこの追いかけっこにも辟易していたのだ。

キョロキョロとあたりを見まわすのだが、追いかけていたはずの兵士の姿はどこにもなかった。

けっこう見晴らしはいいのに見つからないとなると、自分はずいぶんと見当違いの方向に来たことになる。

ふと、背後を見ると、自分をしつこく追いかけていたコート姿の男が塀をよじ登ろうとしている。背後霊のような人物が壁にかなり強引に張りついて(ありていに言えば、壁に指で無理矢理穴をあけて手懸かりにしていた)青年本人を引き上げつつゆっくり上ってくる。

どうあってもわたしを逃すつもりはないんでしょうね。そういうことなら、そろそろ決着に持ちこまなくては。

未起隆は壁の向こう側へと飛び降りた。

発動 2分前

少年が壁の向こうに飛び降りたのを見て承太郎は訝しく思った。こちらを認めるなり襲ってくると思っていたからだ。なにせ、自分はいま、ひどく不安定な体勢なのだから、向こうからすれば好機も好機だ。しかし、襲ってこないとなると――

「逃げたか、あるいは――」

――罠、か。

逃げた可能性は低いだろう、と承太郎は思っている。

だから、壁を登りきってみて少年の姿がないのを意外に思った。

目の前の川縁の通りには人々がいる。こちらを遠巻きに見て何事か叫んでいるあたり、自分はどうやらひどく目立っているようだ。

――当たり前だな。

承太郎は1つ舌打ちすると、道路に飛び降りた。

とたんに、壁が――

「何?!」

壁が倒れてくる! 馬鹿な!

とっさにスタープラチナの右手を上げて自分をかばう。その振り上げた右腕を包み込もうとするように壁が変形した。

承太郎は理解した。

壁は壁ではなく、少年だったのだ。広範囲にわたって壁自体に変形してはりついていたのだ。

人々が最初から自分のすぐ近くにはいなかったのを承太郎は思い出した。少年が飛び降りるなり壁になってしまったのを見て、あまりの面妖さに慌ててこのあたりから逃げたに違いない。

承太郎は、振り上げた右腕をさらに突き上げて少年を殴りつけた。

もはや、手加減する気はなかった。もともと温和な方でない自分がここまで我慢してやったのだから、もう、加減をしてやる義理はない。

遠慮なく振り上げた右手が〈壁〉を粉砕する――はずだった。

ブヨン。

柔らかい手応えとともに〈壁〉は衝撃を吸収してしまった。

ゴム?

思うなり、間髪いれず承太郎はそれをスタープラチナの片腕一本で川へと投げ込んだ。

「ほら、どうする? 変身をとかないと川底で眠りにつく羽目になるぜ?」

すると、ゴムが針金状になって承太郎の身に絡みついた。

「それで、しばっているつもりか!」

この程度のしめつけをほどくのはスタープラチナの力なら造作ないことだ。

「これが最後通牒だぜ。ひきちぎられたくなかったら大人しくこれをほどいて俺の質問に答えてもらおうか」

答えの代わりに針金がぐっと承太郎の身体を川のほうへと引きづりこもうとした。

「それが答えか!!」

承太郎がとうとう、スタープラチナに本気の力をこめようとしたとき、針金の中ほどが少年の姿に戻って、言った。

「いいえ――これが、答えです!!」

――しまった!!

薄れゆく視界の端で承太郎は針金のもう一方の先端が上空の電線に絡まっているのを確認していた。

発動 1分前

未起隆は変身を解いた。片膝をついて、肩で息をしていた。

コート姿の青年は川に仰向けに落ちて動かない。

けれど、今の攻撃は、未起隆自身の中を電流が走っていったに変わりなく、針金になっていたとはいえ、未起隆自身もノーダメージでは済まなかったのだ。

どうにか身を起こしたとき、かたわらに車が停まるのに未起隆は初めて気がついた。

一瞬、身構えた未起隆だったが、降りてきた人物を見て、ほう、と安心した吐息をついた。

「未起隆!何やってるんだ、お前!」

「ああ、叔父さん。会えて良かった。預かり物があったんですよ」

「それは分かってる」

「私が預けたんだから」

「ああ、ドクトル・ホイスもいらしたんですか。僕はちゃんと他人には見せませんでしたよ」

「……いや、それよりも、だ。どうしてこんな所で、暴れまわってるんだ! 大事なことづけがあるってのに、お前がホテルに帰ってないっていうから探していたんだぞ! クレムリンなら家族で一緒に後で見られるじゃないか!だいたいだな――」

「あー……ハゼクラ……どうも論点がズレかかっている気がするのだが」

「ああ、そうだった。――未起隆、いったいこの騒ぎは何なんだ?何だっておま――」

未起隆の〈叔父〉は急にその場にくず折れた。

〈叔父〉さんを昏倒させた人物が、間髪いれずドクトル・ホイスを後ろから羽交い締めにし、さらにコメカミに短銃を突きつけるのを未起隆には防ぐすべは無かった。あまりに滑らかな動きだった。

「兵隊さん、なんで…!」

絶句した未起隆に対して、男が言ったのはたった一言だった。

「本物はどこだ?」

カチリ、と音をたてて未起隆の頭の中で歯車がぴったりあったような、そんな感覚があった。

この男が〈書類〉を持って逃げたときから違和感は感じていたのだ。

悪いのはこの男のほうだった。

そして、そのときになって、自分が攻撃していた相手がことごとく手加減していたこと、あくまで話し合いを求めていたことに思い当たる。

未起隆は悔しくてたまらなかった。自分の勘違いも悔しかった。男に人質を取られたのも悔しかった。

「本物はどこだ?」

もういちど、ゆっくりと、はっきりと、男は言った。

「いったい、どういう――」

抗議の声をあげかけたドクトル・ホイスを乱暴にゆすり、さらに強く、コメカミに銃を押し当てる。

自分に対する示威行為であるのはよく分かった。あまりに分かりやすすぎて、未起隆は唇をかんだ。

答えるべきか――

引き金にかかった男の人差し指にぐっと力が入った。

「!? 待て!」

銃口から火が吹い――

発動

あたりに静寂の(とばり)が下りた。

凍りつく通り、凍りつく空気、凍りつく――時間(とき)

「やれやれ、なんとか――」

空条承太郎はびしょぬれの身体を川からひきあげ、凍りついている未起隆の傍を通りすぎるとドクトル・ホイスのこめかみに銃を押し当てている男の前に立ち、十分タメをつけて――殴った。

「間に合ったようだな」

とたんに、世界は音を取り戻し、偽兵士は後ろにふっとんだ。

「え?!」

――何が……何が起きたんだろう?

未起隆の目にはいきなり承太郎がホイスの目の前に現れていて、偽兵士が突然ふっとんだようにしか見えなかった。

ホイスなど、何が起きたかまったく分からず、驚きのあまり口をサカナのようにパクパクさせるばかりで声が出てこないようだ。

承太郎は説明しなかった。代わりに、ホイスに言った。

「その車は、あんたのか?」

「いや。ハゼクラ……ドクトル・ハゼクラのものだが」

黙って、気絶している男を担ぎ上げ、車に放りこむ。車のキーがささったままなのを確認すると、承太郎はホイスと少年とに言った。

「ともかく、今は乗れ」

二人が言葉に含まれる圧力におされて、車に乗りこむと、承太郎はべったりアクセルを踏み込んだ。

集まりつつあった人垣の横をすり抜けると、車はすごい勢いでモスクワの街を疾走していった。

かくて、事は終わりき

未起隆の叔父が意識を取り戻した。

とたんに、質問を浴びせようという雰囲気になったのを見て取って承太郎は先に口を開いた。

「俺の名前は空条承太郎。先に言っておく。俺は、必要なことしか答えない。仕事柄、守秘義務がある」

わざわざいかめしく言ってみせる。

「あなたの仕事は何なのですか?」

「エージェントだ」

便利な言葉だ。なぜか、たいていの人はその一言で納得する。承太郎自身の持つ雰囲気と言うものがそれを後押ししているのは間違いない。

「さっき、未起隆が――甥が川にあなたを投げ込んでいたのはどういうわけですか?」

「ああ。叔父さん。それは僕が悪いんです。空条さんが兵隊さんを殴り倒していたので悪い人だと勘違いして――」

「兵士を殴り倒した!?」

「偽者だったがな」

「ええ、僕はさっきの偽兵士が叔父さんを気絶させてドクトル・ホイスを人質に取るまで気づかなかったんです」

言われて、未起隆の叔父は殴られた頭をさすった。

「さっきの男、ドクトル・ホイスの持ってきた書類が見たかったようで……」

「そうだ!書類!未起隆、どうしたんだ、書類は!」

「それは大丈夫です。とってきましょうか?」

「どこにあるんだ?」

「クレムリンの中です。隠してきました」

承太郎が少々げっそりしたのは誰にも悟られなかった。

市内に一番詳しい未起隆の叔父に運転を代わってもらい、クレムリンに戻った。

未起隆はさっき車から降りてクレムリンに入っていった。

警備兵に目をつけられなければいいがと承太郎は思ったが、あの少年ならどうにでも手段はありそうだと考えて、心配することもあるまいと判断した。

後部座席に移った承太郎に、助手席からドクトル・ホイスが質問する。

「ヘル・クウジョウ、なんでミキタカを追っていたのですか?」

「俺が追っていたのはあの少年じゃない。アタッシュケースのほうだ」

答えるなり、ホイス、ハゼクラ両医師の目が剣呑な光を帯びたので承太郎は急いで付け足した。

「と言っても、中身が書類なら、俺の見こみ違いだがな」

「そもそも、なんだって私のアタッシュケースに目をつけたのかね?」

「あんたを調べていたら、あんたの同僚に少々不審な動きをしている人物がいることが分かってな。そいつから流れた情報をもとにやばい連中がアレを狙っていたので、これは危険物が流れているのかと判断したんだが――」

「危険――まあ、使いようによっては危険ですかね。でも、信じていただきたいのですが、私たちはあれを純粋に医学の発展のために使おうとしているのです」

「そもそも、何の書類なんだ?」

「あ、未起隆が戻ってきました。お見せしたほうが早いでしょう」

後部座席に乗り込んだ未起隆に渡された書類にざっと目を通し、それが本物であることを確認したホイスが承太郎にそれを渡す。

「鉤十字……ナチスか」

専門家でない承太郎には詳しいことは分からなかったが、人体を模した物の設計図であることは分かった。

「ロボット?」

「ロボットと言うよりサイボーグ、のほうがぴったり来ますかね」

「これはまた……」

「――馬鹿げてる、と言いたいんだろう? 実際、これが本当に使われ実戦投入されたかどうかは定かでない。被験者もSSの少佐だか大佐だかが1名――たしか、シュトロハイムという名前だったかな、その記録しかない」

「でも、図面は正確だし、サイバネティックス技術もちゃんとしたものなんです。それで、私とドクトル・ホイスの研究――義手と義足に関するものなんですが――それの参考にできないかと思いまして」

「たしかに、もともとば兵力強化のための代物だ。使う人間が間違っていれば、悪用はできる。しかし、そういう部分は私たちに必要ないものだ」

「わたしはね、いいことだと思うんですよ、空条さん。戦争に使われた技術が平和利用できるってことはね」

かわるがわる説明する二人の医師には技術への情熱は感じるが、悪意はなさそうだった。

承太郎は頷いて、賛意を表した。

ナチォナーリに泊まっていると告げると、そこまで送ると言うので、承太郎は好意に甘えることにした。といっても、クレムリンからホテルまではたいした距離ではないのだし、承太郎がしてやったことを考えればそれぐらいはしてもらっても当然だろう。

車が走り出すと、隣に座っている未起隆という少年が申し訳なさそうに小声で話しかけてきた。

「ほんとうに申し訳ありません。つきましては指を詰めてお詫びをいたします」

承太郎はその言葉を聞いて、相手が本気かどうか確かめようとじっと観察した。

あきれたことにこの少年――ミキタカだったか――は本気のようだった。

承太郎はおもむろに口を開いた。

「指を詰める必要はない」

「え? いいんですか? 母船のライブラリ・コンピューターでは日本という国ではそのようにして謝るのが正式だと学習したのですが」

「……それを本気で言っているのなら――」

「はい」

「――そのコンピューターのデータを直しておくべきだな」

「分かりました。そのようにいたします」

「……」

車を降りる段になって、ホイスが承太郎を呼び止めた。

「あー、ヘル・クウジョウだったな――君は何だって私のことを調べていたんだね?」

承太郎は答えを質問にすりかえた。

「ジャン=ピエール・ポルナレフという男を知っているか?」

「ジャン=ピエール……フランス人だな。もしかして、イカレタ髪形をした口の悪い男のことか?」

問いは答えを期待して発せられたものではなく、その場をごまかすためだけのものだったので、まともな答えが返ってきて承太郎は驚いた。といっても、少し目を見開いただけだが。

「知って……覚えて……いるのか?」

「ああ、あんなひどい怪我はめったに見ないし、にもかかわらず、あんなに元気であんなに文句の多い患者もそうそういない。経験豊富な医者として言わせてもらえば、ありゃあ、患者としては最悪だな」

言いつつ、このドイツ人の医師の口ぶりは面白そうだった。

「知り合いだったのか。元気にしてるか。どうせ、また私の作った義足にケチをつけてるんだろう。まさか、わざわざイタリアからケチをつけるために知人をよこしたわけじゃあるまいな」

「イタリア?」

「あそこで養生してるんじゃなかったのか?ドイツと違って気候がいいからな、なんて減らず口を叩いていたからてっきりイタリアに行ったんだと思っていたがな」

「ああ、そうか――そうだったのか……」

自分が微妙に質問に答えていないことも、不思議そうにドクトル・ホイスが自分の顔を覗きこんでいたことも考えに沈んでいた承太郎は気づかなかった。

――ポルナレフは、イタリアに、行った。数年前。……生きている。

その後

空条承太郎→共同研究で訪れた大学にてやることはきっちりやってのち帰国。
支倉未起隆→この後、サンクト・ペテルブルグへの旅をのんきに続け、帰国。〈両親〉にはなにかと注意をされるが、彼自身がマイペースなのは変わらない。

1999年8月18日 初稿

2004年12月31日 二稿