7

花京院にはなんとかすると言ったものの、まずい状況だった。勢いで部屋の奥に陣取らざるを得なかったのもまずい。あまり広くもない部屋に4対2の構図ができあがっているのもまずい。

ポルナレフは後ろにいる署長をかばうような具合に左腕を横方向に広げて中腰の姿勢で構えた。右腕には機関銃を構える。しかし、ポルナレフは戦車(チャリオッツ)を制御するのに専念した方が良さそうだと感じていた。間合いが近すぎるのだ。これは銃の間合いではなく、剣の間合いだ。

後ろでは署長が散弾銃に弾を込め直しているのが音でも気配でも感じられた。

対する屍生人(ゾンビ)は奥の扉を押さえているのが1人、こちらに向かってきて徐々に囲みを狭めようとしているのが3人だ。

戦車(チャリオッツ)の突きで頭部を完全に破壊すれば屍生人(ゾンビ)を倒す事ができる。「完全に」というのが曲者で、それには全力を1人に注がねばならない。1人の脳味噌を摩り下ろしてやる隙に他の奴に襲われたら生身では対抗できない。

つまり、一気に襲われたら非常にまずいことになる。いや、一気に襲われても剣を横に薙ぐとかなんとかで蹴散らす事はできるだろう。奴等には戦車(チャリオッツ)を見ることも傷つけることもできないのだから、体当たりだっていい。ただし、ほんとうに蹴散らすだけだ。相手は忌々しいほどの再生能力でまた立ち上がる。ポルナレフの方は疲労するのに、だ。

いままで疲労しきって戦車(チャリオッツ)を出せなかったことはない。しかし、そうなった場合はどうなるのだろうか。

ポルナレフの背中をいやな汗が一筋流れた。

考えあぐねる間も無い、ガッと3人がいっせいに襲ってきた。ポルナレフはそいつらの胸のあたりを水平になぎった。それと同時に、ターン、ターンとまた2回散弾銃が火を吹いた。屍生人(ゾンビ)が1体脳漿を飛び散らせて倒れた。

やった、また1体倒した!! そうか。散弾銃は当たって飛び散るから倒すことができるのか。こうやって1体ずつ倒していけば……

策も無く、また相手がつっこんでくる。今度は2体で。

そんな攻撃が通じるか!

そう思ったとき、左の屍生人(ゾンビ)が姿勢を低くして急に動きを速めて突進した。それだけならまだしも、そいつが前に突き出した腕がグンと伸びた。

「何ィィ!」

屍生人(ゾンビ)は署長の方を狙ったのだ。署長は身をよじって攻撃をかわした。が、ほんのちょっとひっかかっただけの人差し指一本で散弾銃を床に払い落とした。いや、叩き付けた、と言った方がいい。落ちた散弾銃は衝撃でひしゃげてしまっている。驚異的な力だ。

ポルナレフは右に払いきってしまった剣を即座に戻して、自分の腕の下を木の枝が張り出すように伸びている屍生人(ゾンビ)の腕を切り落とした。と同時に、右手に持っていた機関銃を背後に放った。署長がそれにとびついて、ゴロゴロと横に転がって移動し、伏せた姿勢でピタリと止まると、横からありったけの弾を右側の屍生人(ゾンビ)に浴びせた。その屍生人(ゾンビ)戦車(チャリオッツ)に切られた胸が再生しかかっていたところだったのだが、そこへ駄目を押すように下から上へと打ち込まれていく弾の衝撃でガクガク身体を揺れさせた。弾道が頭まで達すると、署長はその角度を保持した。体液をとびちらせて相手が崩れ落ちる。

その間、ポルナレフがボーッとそれを見ていたわけではない。そんな暇は彼には無かったのだ。

目の前にいる残りのもう1体に攻撃を集中させようとしたとき、空気が動くのを敏感に感じ取って、ポルナレフはとっさに自分の頭の上あたりに戦車(チャリオッツ)の剣をふりあげた。上から屍生人(ゾンビ)が奇怪な臭いを発するただれたような腕をふりおろしてきていた。

さっきまで扉を押さえていた奴か?

花京院が行ってしまって帰ってこないのを確信して天井にはりついていたってわけか。

スルリと滑らかに天井の屍生人(ゾンビ)は床に降り立った。さっきから目の前にいるのとそいつとは識別が難しいほど良く似ていた。

「弾、切れのよう、だ、な」

変な具合に言葉を切って屍生人(ゾンビ)が言った。いつのまにか、機関銃の音は途切れていた。署長は舌打ちした。

部屋の前を一団の足音が通っていくのが聞こえる。

花京院……うまく合流していてくれよ。

ポルナレフはあらためて構えを取った。

ここは俺がどうにかする。しなければならない。俺も署長も必ずあの扉を無事にくぐりぬけてやる。

「あんたはそこの机の後ろに隠れてろ!!」

ポルナレフの指示に逆らわずに署長はスチールの事務用机の後ろに身を隠した。キャスターがついているタイプだったのでそのぶん隙間ができている、それがなんとなく頼りなげな風情だったが、他に身を隠せるような所が無い。

ポルナレフは敵に集中した。そして、探るようにトットッと2歩右に移動してみた。ゾワリと2体の屍生人(ゾンビ)がそれに合わせて動いた。

トットッ

今度は左に。さっきより速く動いたのだが、それにもピッタリついてきた。それだけでなく、止まったとたん、いっせいに襲い掛かってきた。あやうく切り付けて押し戻す。ちょっと身体を後ろに揺らしただけで、切られた事などなかったように屍生人(ゾンビ)は立っている。見ている前でドンドン傷が塞がっていく。

畜生、あと2体なのに。こいつら、屍生人(ゾンビ)のくせにコンビネーションはやたらいいぜ。

"屍生人(ゾンビ)のくせに"という修辞が適当かどうかは知らないが、腹立たしく思っていたポルナレフの正直な心情だ。

「せめて時間差を作れたら……」

ポロリ、と本音が漏れる。

「あきら」「めろ」

チロリチロリと細長い舌を口の周りにちらつかせながら屍生人(ゾンビ)が言うのを聞いてポルナレフは気がついた。

こいつら……さっき変な風に言葉を切ってしゃべると思ったが、2人で交互にしゃべってやがる……ということはだ、こいつらはどうやってかは知らねぇが、思考が完璧に同期(シンクロ)してるってことだ。つまり、奴等のコンビネーションを崩すのは難しい、てぇこと…………か?

考えがそこまで行ったとき、右の屍生人(ゾンビ)の舌がピーンと伸びた。目だ。目を狙ってやがる。ポルナレフは戦車(チャリオッツ)の剣で舌を叩き切った。その時、左腕に焼きごてを当てられたような痛みがはしったので慌てて腕を払った。触られただけだというのに腕がただれて赤くなっている。

2体の屍生人(ゾンビ)は笑ってでもいるのか口の端をキューッと上げてヒュタリヒュタリと空気の漏れるような音をだした。

まずいぜ、こいつぁ。どうするよ、おい、どうするよ……

そのとき。

カチン、と音がした。小さな音だったが、確かに。

机のあたりか?

三者同時に注意を向ける。

「何をしてい」「るか知らん」

カチン

「がこいつをやった」「ら次はそこに隠れ」

カチン

「ているお前」「だ」

カチン……

音は止んだ。ちょっと間をおいて、署長が机の向こうに立ちあがった。

何やってんだ、まずい、隠れてろ!!

とっさにポルナレフは自分に注意を向けようと右に走った。あわせて屍生人(ゾンビ)もズズズィッと動く──

「隠れているだと? 隠れていたんじゃない!! 私は隠れていたんじゃあない!!」

言うなり、署長がドン、と力いっぱい机を押した。すごい勢いで机が左の屍生人(ゾンビ)めがけて滑っていき……命中した! それでも止まらず、机はポルナレフの左、空いた壁へと屍生人(ゾンビ)を押しやっていった。その瞬間を逃すポルナレフではなかった。グッと力を込めて、自分の目の前に1人残った敵に突きを連打する。

よし、殺った!

「き……さま……机のストッパー……をはずして……いたな……」

机を押しのけた残りの屍生人(ゾンビ)がたどたどしく言ったときにはすでにその前にポルナレフが仁王立ちになっていた。

「そして、貴様の命運は決まった……!」

鬱憤を晴らすようにポルナレフは怒涛の連撃をそいつの頭部に食らわせた。

やるだけやると、ピシリ、と剣を構えの位置に戻す。右手を横に振るうと同時に戦車(チャリオッツ)を消す。剣を鞘に戻すように。それから、署長の方を振り返ってニヤリと笑いかける。

ほんの一瞬だけ署長も笑みを浮かべてみせた。

「さ、早く吹き抜けに行こうぜ」

ポルナレフが先に立って扉に向かいノブに手をかけようとする直前、向こう側から誰かが取っ手を回した…………

8

承太郎とジョセフと花京院はそれぞれに激しく考えを巡らせながら、男から目を離さなかった。男の方も3人が不審な動きをしないか注意深く見守っている。

「もうすぐ、現れるはずだ。貴様の仲間を襲ったはずだが、戦いの物音はもはやしていない。もうすぐやってくる。あるいはお前らの仲間も屍生人(ゾンビ)としてこの場に現れるやもしれんぞ」

男はそこで神経質な笑い声を立てた。

ジョセフがおもむろに口を開いた。

「ひとつ、訊きたいんじゃが。お前は、ちょうど吹き抜けの手すりの下にいる。ということは上の階に飛び上がって逃げるつもりじゃろう? なんでお前はその女性をつれて上の階に飛び上がらない? さっきの跳躍から見てお前にはそれが可能だとわしは判断した」

「さすがに2階まで飛び上がるのは私でも難しいのでね」

「2階? なぜ? 1階で十分じゃろうが」

「……ジョセフ・ジョースター、おまえがまだロープの端を持っているのは分かっているんだぞ。そうだ、1階に巡らされたロープ。お前が私の僕どもに波紋を流したロープをまだ握っていることを私は知っているのだぞ」

ジョセフがチ、と舌打ちした。

黙ってその会話を聞いていた承太郎がジョセフや花京院よりも一歩前にずいと出た。

「近づくな!」

承太郎は一歩出ただけで止まった。屍生人(ゾンビ)に言われたからではなく、最初からそれだけしか動くつもりはなかった。

「俺からも訊きたい」

「?」

「もし、お前が頼みにしている(しもべ)とやらがいつまで経ってもここに現れなかったらどうする気だ? 俺達といつまでも対峙しているつもりか?」

言いながら承太郎はゆっくり横に移動した。屍生人(ゾンビ)もそれにつれて移動する。承太郎の反対側に陣取るようにだ。

「動くな、と言ったはずだぞ!…………その質問はお前らの仲間が私の部下をたった1人で倒すという確信から訊いているのか? 波紋の使い手なのか? それとも貴様らの持つその奇妙な能力のゆえか?」

「やれやれ、屍生人(ゾンビ)に奇妙なんぞと言われたくはねぇもんだな。が、まぁ、その公算は高い。もっと言えばポルナレフがお前の(しもべ)どもを片づけなかったとしても、お前の(しもべ)はここにはたどり着けない」

「……どういう意味だ?」

「さっき、じじぃが1階に波紋を流したろう? あの時、いっしょに罠も張った。1階の廊下から吹き抜けに出る出口は波紋で障壁が作られている。そこをくぐったらお前らの僕は跡形も無く溶けるだろう」

「嘘をつけ」

「嘘、と言いきれるか? じじぃの波紋とここにいる花京院の能力でできるかもしれない。違うか? さっきお前自身が『奇妙』と言った能力で、だ」

屍生人(ゾンビ)は考え込んでいる。また一歩、承太郎が右へと歩いた。ヒタリ、と人質を抱えたまま屍生人(ゾンビ)も横にずれた。

「そこで、取り引きがしたい」

「取り引き?」

「そうだ。俺達は先を急いでいる。おまえなんぞにかまけている暇は正直言ってない。お前もDIOのために死ぬ覚悟はない、違うか?」

否定しないところをみるとその通りらしい。

「俺達はお前には興味はない。その女を置いて逃げるなら見逃してやってもいい。俺達は手を出さない。どうせそうするつもりだろう? やってきた(しもべ)たちに俺達の注意を逸らさせてそうするつもりだったろう? どうだ……来ない可能性が高い(しもべ)どもをあてにするより取引に乗った方がいいとは思わねぇか?」

屍生人(ゾンビ)は承太郎の言葉を咀嚼している。ズイッと承太郎がまた右へ一歩踏み出す。屍生人(ゾンビ)もそれに合わせて左へずれる。

「いや……やはり、駄目だ。(しもべ)は来ないかもしれない。が、来るかもしれない。貴様の仲間をも屍生人(ゾンビ)と化してやってきて、お前の言う罠で溶けるかもしれない。あれば、だが。…………しかし、だ。お前らの言うことが信じられると思うか? 罠があると信じられるか? 私が逃げるまでお前らが手を出さないと信じられるか?」

承太郎はその答えを聞いても落ち着き払っていた。帽子のツバを人差し指でちょっと触りながらあっさり言った。

「だろうな。……ところで、上を見てみろ」

虚を衝かれて一瞬屍生人(ゾンビ)は躊躇した。花京院はジョセフが小声で「お前は次にその手にのるか、という」と言うのを聞いた。

「何を馬鹿な。その手にのるか! …………?!」

そのとき。

空気が動いた。

男の側に誰かが着地した。

瞬間、男は人質の命を奪おうと腕に力をいれた。が、力を入れたはずの腕が男の体から離れていた。上から飛び降りてきた男は人質となっていた女を3人の方へつきとばした。ジョセフが失神しかかった女を支える。

「私の……腕!」

うめき声に凛とした別の声が重なった。

「誰が屍生人(ゾンビ)になるだって?」

「上出来だ、ポルナレフ」

いたのだ。瞬時に人質と男とを引き離せる人間が。

今の状況をポルナレフに知らせたのは花京院の法皇(ハイエロファント)。そして、取り引きをしている風をみせかけてちょうどいい位置に屍生人(ゾンビ)を誘導したのは承太郎だった。

「おい、おっさん! あんたの家族は無事のようだぜ」

見上げると、署長が手すりの上からのぞいている。

屍生人(ゾンビ)に蒼くなれるとしたらなっていただろう。しかし、最初から蒼白なのだから、顔色が変わるわけはない。だが、浮かんだ表情が恐怖であることは明らかだった。

屍生人(ゾンビ)は逃げ場を求めてあとじさった。承太郎はずいっと前に出て、その腕をがっしりと星の白金(スタープラチナ)で掴んだ。

なぜ自分が動けないのか、何が自分を掴んでいるかも分からないままに屍生人(ゾンビ)はただ顔を歪め、目を見開いたまま首を左右に振った。来るな、とでもいいたげに。

対して承太郎の表情は無情だった。

「やれやれ……だから上を見ろと俺は言ってやったんだぜ。もっとも、言ったらますます見ないことは計算済みだがな」

「馬鹿な……なぜ? なぜ私は動けない…………?」

「フン。スタンド使いでもねぇおめぇに『理解しろ』っていうのも酷だな。もっとも、『酷』なんて言葉はてめぇにはもったいねぇ。貴様にくれてやるのは……」

承太郎は言葉を切った。

この瞬間の星の白金(スタープラチナ)は嬉しそうだと花京院はいつも思う。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ……オラァ!」

星の白金(スタープラチナ)がその精密な動きを遺憾無く発揮して、屍生人(ゾンビ)の頭部を完全に粉砕した。

事が終わった後、花京院とポルナレフはそっと窓から自分たちの部屋に戻り、承太郎とジョセフは(悪いとは思ったが)宿の女主人を夜中にたたき起こして頼み込んで泊めてもらった。あてがわれた部屋についてベッドに倒れ込むなり意識を失うように眠りこけてしまって、起きた時はすでに日が高くなっていた。

人のいい女主人が用意してくれたブランチをモゴモゴと食べると4人はすぐに出発する事にした。

「まだ川は渡れないんじゃないのかい?」

「まあ行ってみて駄目だったら引き返してくるよ」

宿の主人と会話を交わすポルナレフをジィッと子供が見つめている。それに気づいて、ポルナレフが

「坊主、元気でな」

と言うと、プイと子供は宿に引っ込んだ。母親が困ったような顔をする。

「ごめんなさいねぇ」

「ま、いいさ。じゃ!」

車を発進させてから、ぼやく。

「俺、嫌われるような事したかなぁ……」

「違うよ」花京院は微笑した。「寂しいのさ」

「そんなもんかねぇ……」ポルナレフはちょっと言葉を切ってから1つうなずいた。「そんなもんかもな」

町中なので車をゆっくり進ませる。今日は天気が良い。人通りは昨日よりはある。

「見ろ」

ジョセフが指差したのは、警察署の2階窓。その窓辺に警察署長が立っている。直立不動の姿勢を取って、こちらに向かって敬礼をしている。署長はずっとそうやっていた。

今回の事で公になったのは──公にできるのは──多数の警官及び使用人が彼の屋敷内で死んだという事実だけだ。屍生人(ゾンビ)の事を話したとしても、信じる者はいないだろう。ごまかすのは難しい。署長は先を急ぐジョセフたち一行を妨げる事のないよう彼らの事は伏せておく、と明言した。その口調は実直そのもので、彼が警官になったのはその元々の誠実な性格ゆえだったことを思わせた。

彼は道を外れた。外れさせられた。他人の命を代償に自分の家族の命を買った。

彼が自分を許せるかどうかは知らない。この後も警官を続けるかは知らない。

ただ、今は、この男が今後、自分に忠実に生きられる事を祈ろう、せめて。

車はとうとう町の外へ出た。

ポルナレフがグッとアクセルを踏むとグンと車が加速した。同乗者達はシートに押し付けられた。ジョセフと花京院が口々に「気をつけろ」「運転が荒い」と文句をつけた。

ふぅ、と1つ嘆息すると承太郎は帽子を目深にかぶり直して腕を組み、背もたれに体重をあずけた。

1999/3/31 初稿

1999/5/9 第2稿