札幌。2月初旬。

この日の日の出の時刻は午前6時41分。南中時刻は11時48分。

そして、今、時刻は13時半になろうとしていた。

東方仗助 VS 片桐安十郎

Round 3 青い結末

ワゴンが停まっている。警官に注意されそうな、側面と後部の窓が濃い色ガラスのワゴンだ。その正面に仗助は立っている。その斜め後ろに名も知らぬ青年がいる。彼は車内の様子と殺気立っている仗助の様子に気圧されて、オロオロと買ってきた缶ジュースを抱えたまま静かに様子を見守っている。

そして、車内。

助手席に中年男性の死体。その後ろに恐怖と血と涙にまみれた若い女の人。そして、その後ろ。車の最後部に人影があった。おそらく、アンジェロ。

「そこに、奴が…あんたをこんなめに合わせた奴がいるんだな?」

女の人は「うん」とも「ううん」とも言わなかった。こわばったままの表情で視線を後ろにやる。

愚問だった。

すぐ後ろに危害を加える男がいるのだ、下手に質問に答えられるわけがない。

「ね、君、女の子はもう一人いるはずなんだ」

仗助の後ろから青年が小声で言った。そのことは、指摘されれるまでもなく、気づいている。それに、アンジェロの人影は、1人にしては大きい。アンジェロの野郎、もう一人の女の人を取り押さえてるに違いない。

仗助としては車内の様子をもう少し見極めたい。1歩、2歩、歩み寄る。

「止まれ、仗助ェ」

声がした。

同時に、ワゴン車の後部の窓がパーンと内側から割れる。光が車内にサァと入る。雪かき用のスコップを持った男の姿。アンジェロ。スコップで窓を割ったのだ。

アンジェロの腕の中にグッタリとなった女の人がいた。

おそらく、アクアネックレスはあの女の人の中。車のドアをはさんじゃいるが、本体・敵スタンド一緒にすぐ傍にいるとは、グレート!十分クレイジーダイヤモンドの射程距離だぜ!

「おめぇが怖いのは射程距離の長さと水に混じる能力だけ!!! こんな密室でどうするつもりだ?!」

どうするもこうするも、アンジェロとしては不本意な状況だったのだ。

そりゃ、人質はいる。もし、相手が仗助でなければ十分に役に立たせられただろう。そう、仗助でなければ、だ。

車内にある水は人の血ぐらいだ。人が2人に新鮮な死体が1体。これだけの駒で切り抜けなければならない。

内心の焦燥はまったく見せずにアンジェロは言った。

「見えるだろう。こいつが俺の駒だ。知ってるか? こういう、何不自由なく育った若い女ってなぁ『これからの生活』って物になんの疑いも持ってねェ。大きな障害は周りが取り除いてくれると思ってやがるんだ。いい気なもんだよなぁ。いい気になってやがるよな……。俺はな、そういう奴は『絶望』ってものにぶちのめされるべきだと思ってるんだ」

そこまで、一気に言うと、アンジェロはニヤァリと笑って、抱え込んでいる女の人のほっぺたをベロォリとなめた。女の人の唇が震え、ぎゅっとつむった目じりから涙が一滴つたった。

「でな、けっこう、死んでてもいけるんだ、これが」

アンジェロは持っていたスコップを逆手に持ってぐっと引いた。もとからぐったりしていた女の胸のあたりにスコップが刺さる。血が、女の人の口からツッと流れた。

瞬間、仗助はぶち切れた。

「てめぇ!」

ユラリ、と現れた精神体。クレイジーダイヤモンドは現れるなり、拳を振るった。

ドゴォ!

クレイジーダイヤモンドの右腕は、車を突き破り、助手席後部の女の人の体を貫通し、(じか)に瀕死の女の人に触れた。女の人をつかんで、アンジェロから奪い去ると同時に、左手の一撃を繰り出す。アンジェロは割った窓から転がり出て、かろうじてそれをかわす。

仗助は女の人2人を自分の元に引き寄せた。

「そして、『治す』」

ひしゃげたはずの車は直り、体を貫通されたはずの女の子は自分の体がなんともないのに驚いた。もう一人はまだ横たわっているが、もう口からの流血は止まっている。

「逃がすか!」

仗助はすぐに走り出そうとした。が、とたんに、左足にはしる鋭い痛みにガクッと膝をついてしまった。

「アクアネックレス!?」

自分の足元からアクアネックレスが去っていくところだった。

うかつだった。窓は先に割れていた。奴はアクアネックレスを使わず、スコップで女の人を傷つけた。つまり、先にアクアネックレスは外に出て、俺のすぐそばまで来ていたわけだ。

「くそ!」

仗助は裸の拳を雪にドンと打ちつけた。

真琴は自分の側にいる妙な髪形の男の子が悔しげに拳で地面を打ち据えるのをぼんやりと眺めていた。

だが、急にハッとなって、パンパン、と両手で自分の頬を叩いた。

ぼっとしてる場合じゃない。

「若林さん、範子見て!」

そう言って、ゴシゴシと自分の顔を腕でぬぐった。それから、かばんから大き目のハンカチを取り出す。

「出して、足」

側の男の子にそう言うと、相手は「え?」という顔をした。

「血が出てる」

それだけ言うと、少し強引に相手の足をひきよせて、傷の部分にハンカチをあてた。

何が起きたか真琴は把握しきってはいない。けど、どうやってかはともかく、自分と範子を助け出したのがこの少年だということは分かった。あの人殺しと敵対していることもわかった。

「これで、大丈夫だと思う」

固めにハンカチを縛り上げると、真琴はそう言った。ほんとは、何もしていないと泣き出しそうだった。だから、手当てしてみせた。そんな外に対する虚勢をはるのが真琴の常だ。

「河嶋さん?河嶋さん!!」

若林が雪の上に横たわった範子をまだゆすっていた。

真琴は不安に襲われた。

「バカな。間に合ったはずだ。傷は完璧に…」

側の少年がわけのわからないことを口走った。そのとき、範子の右手がパッと上がって若林の腕を軽くはらった。

「なんだ。一瞬、あせったぜ」

少年はそう言ったが、真琴はおかしい、と思った。すぐに範子のそばによる。

「範子?」

呼びかけてみる。

「や。」

範子は短くはっきり言った。

ぱっちりと目を開いていた。けど、表情は無かった。ぱっちり開いた目もどこも見てないみたいだった。そして、差し出された若林の腕をはたくようにして拒むのだ。「や。」という拒絶の言葉だけが口から漏れる。立ちあがろうともしない。恐怖も怒りも現れてはいない。ただただ機械的に拒絶する。

若林は難しい顔をしていた。真琴は浮かんでくる涙をせいいっぱいこらえた。

「壊れた精神も治せない、治せやしないんだ」

少年がそう言った。振り向いてみると、彼は、堅く、強く、こぶしを握り締めていた。それから、握りこぶしを開くと、少年は去っていった。

あの凶悪犯を追っていったのだ。

それはなんとなく分かっていたのに、真琴には止められなかった。

この日、放射冷却現象により夜のうちに下がった気温は早朝にこの日の最低気温マイナス10度を記録した。その後、快晴の太陽のもと、気温は10日ぶりにプラスになった。

現在、温度は1度近く。

本当だったら、このいい天気を見上げて「雪像が溶けたらどうしよう」と、平和な悩みをいだいていたろうにな。

「ミカドさーん!御門一尉!隊長!たいちょ!」

そんなに呼ばなくっても聞こえている。ちょっと苦い顔をしながら御門は振り返った。案の定、白い息を吐きながら此川三尉がやってくる。

「大丈夫です、雪はあらかたどけましたが、人が埋まっている様子はありません。不幸中の幸いですね」

「幸い、か。この惨状を見ると消し飛んじまうな」

「ああ…」

さすがに、能天気で知られた(不名誉な知られ方だが本人は気にしていないようだ)此川三尉も声を落とした。まわりには10名足らずの死体が転がっている。警官が銃を乱射したのだそうだ。犯人もこの死体の中にいる。

「これって……誰が調査するんでしょうね。基地の敷地内だけど、死んだのは――亡くなったのは一般人だし」

「さあな。とりあえずは、警察に協力、だな」

「それで思い出した。道警から応援が来るそうですよ。途中、渋滞に巻き込まれてて遅れてるようですがね。いま、1人だけ残ってます。ほら、あそこに立っているのが見えるでしょう。あとの警官は駐車場のほうで混乱を静めてるところです」

「あの警官のまわりの連中は?」

「うちの隊と雪祭り運営委員です。大雪像崩壊現場は目処がたったんで、そろそろ運営委員は引き取ると思いますよ」

「そうか。じゃ、うちの連中もいったん引き上げよう。楽器を片付けないと邪魔だろう。行って、そう言ってくれ。ああ、お前は残ってくれ。楽器は誰かに頼んで」

「りょーかい。隊長のトロンボーンも片付けさせときます。その指揮棒も持って行きましょうか」

そう言われて、御門は、自分がなぜか後生大事に指揮棒を握っていることに気づいた。ちょっぴり苦笑を浮かべて此川にそれを渡す。

「じゃ、行ってきます。すぐ戻ります」

「そうだ、警務の連中に連絡いっているか誰かに確認させてくれ。言うまでもないことだが、楽器片づけたら待機だからな」

「分かってますって!!」

叫び声を残して此川が走り去っていくと、御門はくるりと元の位置に向き直り、はぁ、とため息をついた。

本当ならあそこにできてる特設ステージでいまごろ指揮棒をふってたのに。練習もちゃんと重ねてきたし、選曲も良かったと自負してる。きっと、親子連れが拍手をいっぱいしてくれて…

御門はゆっくり辺りを歩いてみた。大雪像だけでなく、立像も1体壊れている。

──いや…

かがみこんで、何かの破片を拾い上げる。

──こりゃ、支柱じゃないのか?支柱の破片…

御門はそこで崩れ去った大雪像の方を見た。

──支柱が折れて破片が飛んでくる…

想像してみた。

不自然だ。支柱は雪像の中にあるのだ、破片がここまで飛んでくるか?しかも、一本だけ。角度もおかしい。

ねじ切られたような断面を見ながら思考に沈む。

あれが、事故でないということはありえるだろうか?誰かの作為による物ではないか?しかし、そうだとしても、どうやってねじり取ったというのだ?

ちょうどそのとき、中年の男が走り込んできて御門の思考が中断した。

「おい、君!ここは立入禁止──」

台詞が途中できれた。誰かが御門を後ろから羽交い締めにして口を押さえたのだ。もがく御門に後ろの男が強い囁き声で言った。

「隊長、暴れないでください、自分です。此川です。いいですか、手、放しますけど、大声出さないでください」

御門がうん、うん、と大きくうなずくと此川はソロソロと手を放した。

「いったい、どうしたって言うんだ」

「あの男、妙です。まずいです。危険です」

「此川三尉──」

「分かってます、要領を得ないってんでしょう?でも、説明のしようがないんです。来てください」

中年男から見えないように雪像の影を選びつつ、此川は御門を導いた。

「アレです、アレ」

死体があった。耳だの口だのから血を流して死んでいる。物問いたげに御門は此川を見た。

「誰なんだ?どうして?」

「実行委員です。あの男が駐車場の方から来たので止めようとしたら、ああです。自分は隊の連中を帰して、隊長のところへ戻る途中で目撃しました」

「あの男がやったのか?」

「…だと思います」

「『思います』? 見てたんじゃないのか?」

「見てました。でも、分かりませんでした」

「此川三尉──」

「分かってます、訳が分からないってんでしょう? でも、理解できなかったんです。自分が見た事だけ言います。男が来て、実行委員が声をかけました。男がじろっとにらみました。一拍おいて、委員は血を拭き上げて倒れました。男は手を触れていないんです。武器も持っていないんです。ほんとに、にらんだだけなんです」

「此川三尉──」

なかばあきれたような声を御門が出したので、此川がまた口を開こうとしたとき、駐車場の方からまた人がやってきた。今度は変な髪型の(いまや死滅したようなリーゼントだった)高校生だ。

「おい、」

「そこの君、」

2人して呼びかけたとき、高校生が叫んだ。

「アンジェロ! 貴様、ぜってー、許さねぇ!」

御門と此川は揃って黙り込んだ。高校生の視線の先にさっきの得体の知れない男が立っていた。

中年の男のいるのは、乱射事件のあったあたりで、死体がまわりに散乱している。高校生は男を睨みつけてはいたが、死体のある辺りには踏み入れようとしない。

「同じ手が通じるか!」

「ふん、おめぇこそ、俺を射程距離に入れられないんだろう?」

2人はしばし睨み合った。先に動いたのは中年の男の方だ。といっても、向かってきたわけではない。背を向けて走り出したのだ。

「逃がすか!」

すかさず、高校生も走り出す。御門と此川もあわてて雪像の影をぬいながら移動する。

前方に人々の輪が見える。

「此川、あれは──」

「まずい、警官と実行委員たちです」

御門と此川のやりとりが終わらないうちに高校生が叫んだ。

「逃げろ!!」

叫び声に気づいて人々がこちらを向いた。

「なした?!」

その一団のあたりまで来てピタリと中年男が立ち止まった。ザザーッといくぶん滑ったが、高校生の方も止まった。何かを警戒しているようだ。といって、男が飛び道具のようなもの持っているようには見えないのだが……

「『同じ手』と言ったな、仗助。だがなぁ、こいつは『同じ手』じゃねぇ。『応用』だ!」

中年男が言い放ったとたん、すぐ横で訝しげな顔をしていた実行委員のうちの1人が血へどを吐いた。

「あれです、隊長!」

此川が強い囁き声をかけた。

「もう1人だって殺させやしねぇ!」

言うなり、高校生が走り込んだ。高校生は手に缶ジュースを持っていた。と思ったら、その缶ジュースが空中に浮いて、瀕死の人物にぶつかったように──ちがう、腹を貫通した?!

だが、次の瞬間、苦悶を浮かべていたはずの怪我人は、目をぱちくりさせて自分の腹の辺りをさすっていた。口から血を流していたはずなのに、それも今は止まっている。そんな様子も意に介さず、高校生は自分の手元に戻ってきた缶ジュースを見て、

「くそ、逃がしたか!」

と吐きすてた。

「人殺しはさせないんだったよなぁ、仗助」

ニヤニヤしながら、男が言った。とたんに、今度は別な実行委員が、持っていたスコップを振り上げた。違う、こんなことしたくない!とかなんとか叫びながら、それを高校生に振り下ろす。危ういところで高校生はスコップをよけた。また、缶ジュースが宙を飛ぶ。

「ちくしょう!」

高校生の試みは失敗したらしい。何を試みているかは不明だが。あの缶の不可解な動きはいったい?

「おい、此川──」

「ほっぺたつねってさしあげましょうか、隊長?」

「遠慮する。自分のほっぺたにしてくれ」

2人の会話の間も謎の戦いが続く。今度は高校生の背後から、いやだ!よけろ!よけてくれ!と言いながら青年が体当たりを食らわせた。気づくのが遅れて高校生はふっとばされ、雪の上に倒れ込んだ。そのまま1mほど身体が滑る。その手から缶が離れて転がっていく。

得体の知れない男がそれを見て嫌な笑い声をたてた。

「死体を大量生産しながら飛び回ればそうそう捕まえられはしねーぜ!まぬけなお前に教えてやるがな、てめぇがこいつらを治し続ける限り、俺の有利はかわらねぇ。死体になっちまえば流れる体液もいつかは固まる。利用できなくなる。だが、生き続ける限り!俺はこいつらを利用できる。もっとも──」

そこでちょっと言葉を切って、男は言った。

「悪知恵のまわるお前だ、そんなことはとっくに分かっているよなぁ、分かっていても見捨てられねぇんだよなぁ……そいつが、命取りだ!」

この長広舌の間にも高校生は周りの人間から殴られかけ、蹴られかけ、踏まれかけ、転がったり滑ったりしながらどうにかこうにか避けている。殴っている連中も苦悶の表情を浮かべていたかと思えば次の瞬間には生気を取り戻していたりして、見ている御門には訳が分からない。分からないながらも「死の舞踏」という言葉が浮かんだ。

「続くか、仗助、続くかぁ!」

確かに、高校生の息はあがっていて、ハァハァと白い息を吐くばかりだ。どうにか息を整えて、絞るように叫ぶ。

「まわりくどいな、アンジェロ!俺の中に入ってこねぇのか?」

「誰が入るか!悪知恵だけははたらく奴だからな。またゴム手でも飲み込まれてりゃ事だ」

それを聞いて高校生はキッと男をにらみつけた。だが、追いつめられた表情とも取れた。御門は早口で部下に言った。

「此川。道警が来るんだったな」

「ええ」

「連絡をつけて、あの男に分からんようにここを包囲させろ。拳銃を持ってな」

「うちの連中には?」

「連絡はしとけ。だが、自衛隊員が武器を使うと警官が使うよりもまずいことになる。いざというときのための準備はしておくが、まずは警察にやらせよう」

「了解」

文字どおり、滑るように此川がこの場を離れる。御門はふたたび不思議な戦いに目を向けた。高校生はいまや、雪像を背後にまわりを囲まれ、追いつめられていた。御門は覚悟を決めて、飛び出せるように身構えた。なんの因果か、高校生の背後にあるのはやけにラブリーなピカチュウ像である。

囲みが狭まる。

高校生が3歩下がる。

背中が雪像にぶつかって、止まる。

悔しげな表情がうかび、高校生の右手がまさぐるようにかきむしるように雪像を虚しく削った。

「トドメだ、仗助ぇ!」

勝ち誇った男の声が響いたとたん、高校生があらぬ方向に雪玉をなげた。いや、あらぬ方向ではない。雪玉は正確にただ1人だけいた警官の顔面にぶつかった。間髪入れず、高校生が背後のピカチュウ像についた手にぐっと力を入れた。

「『直す』!」

高校生の言葉とともに、雪玉が警官の顔から離れ飛び、行きとほぼ同じ軌跡を描いて高校生の手元、元の雪像へとくっついた。

ぐぅ、と男が変なうめき声をあげた。

「へへ、トドメは絶対、拳銃だろうなと思ってたんだ、俺の読み勝ちだな」

御門は目をこすった。何か形勢逆転するような事がおこったらしい。いままで勝ち誇っていた中年男の方は動きを止めて怒りで顔を真っ赤にしていて、高校生のほうは追いつめられた表情から勝利を確信した冴えた表情に変わっている。

と、そのとき、後ろから御門は口を押さえられた。目だけを動かして背後を見る。此川だった。うん、と1つ頷いてみせると此川三尉は手を放した。

「いちいち私を羽交い締めして現れるのはやめろ」

「いや、声を立てられたらまずいと思って」

不機嫌な御門に気づきもしないように此川が続ける。

「連絡は取りました。この辺を警官が包囲しています。例の男が凶悪犯で高校生を殺そうとしてると言っておきました。でも、なんか形勢が変わってますね」

「そうなんだ、さっき高校生が雪玉を警官にぶつけたら──」

「隊長!」

御門の言葉を遮って此川が叫ぶ。

「ピカチュウが動いてます!」

「何を寝ぼけた事を──」

言いながらクルリと振り返って、御門は絶句した。

「隊長…」

「…なんだ?」

「寝ぼけてます?」

御門はとうとう此川をぶん殴った。

白いニコニコ顔のピカチュウが高校生を踏み潰していた。

「油断したな、仗助。この陽気で雪像の表面は溶けてるんだよ。そいつに混じって──動かしてやったぜ。いま、その雪像はアクアネックレスの殻を覆っているも同然!」

「く……おめぇのスタンドにそんなパワーはなかったはず……」

「パワーがないだと!ふん、確かにな。普通ならそんなもの動かせねぇ。だが!いまのアクアネックレスは強力だ!俺が怒り狂っているからだ。それもこれも、おめぇのせいだ。おめぇがいい気になって俺の邪魔をするからだ!」

ピカチュウに下半身を踏まれて動けないままだったが、その姿勢で高校生が怒りの叫びをあげた。

「てめぇ、蚊でもつぶすみてぇに人を殺しやがって」

男はそれを聞いて鼻白んだ表情になった。

「『蚊でもつぶすみてぇに』?馬鹿か。人だから殺すんだろうが」

「んだとぉ?!」

「頭の悪ィ貴様に分かるように易しく言ってやる、耳の穴かっぽじってよく聞けや。例えばトンボだ」

「トンボ?なに言ってる?」

「俺がガキのころはよく飛んでたもんだぜ、杜王町にもな。ガキの俺はトンボを捕まえた。それで、ちょいと好奇心を出したわけさ。『こいつの羽をむしって胴体だけになったらこいつはどうするのか』、ってな。俺は右手で前の羽2枚、左手で後ろの羽2枚をこう持って、ひっぱった」

そこで男はその仕草をしてみせた。

「どうなったか。真っ二つになったよ、胴体が。あっけなくな。ほうっときゃ死ぬには違いねぇんだろーが、しばらくは動いてたぜ。自分が2つになってるなんて気づいてもいなかったろうな。分かるか?奴ら、俺がムカつこうが何だろうが気づきゃしねぇんだ。貴様だって、電車で足踏まれて踏んだやつに文句つけたらそいつが大音量でウォークマン聴いてて気づきもしなかったら頭にくるだろうが。その点、人間ってなぁ反応がある。いいか、人間と虫とじゃ話が違うんだよ」

そこまで黙って聞いていた高校生がひどく冷静な表情になった。たっぷり3秒かけてからゆっくり口を開いた。

「俺がバカだった」

男がいぶかしげな顔になる。

「てめぇなんぞの話に耳を傾けた俺がバカだったぜ!」

「だからどうした!だからどうするっていうんだよぉ!」

男は側で惚けていた警官にとびついて、拳銃をうばい、すがりつく警官にむけて撃った。とっさに身をひねったのがよかったのか、悪かったのか、脇腹を撃たれて警官は白い地面に赤い染みをつけながらのたうった。

「おめぇの射程には入らねぇ。これで始末してやる」

男がまっすぐニューナンブを高校生に向けた。

奇妙な事に、高校生は不敵な笑みを浮かべていた。

「う、動けねぇ。何故だ!」

「フフン、長い口上ご苦労様ってとこだな、おかげで『直す』時間が取れたぜ」

「『直す』だと?何を直したんだ?……?……さ、寒い。身体の中から冷たく……まさか!」

「溶けた水を雪像まで『直し』てやったぜ。アクアネックレスごとな。スタンドが固まれば本体も…ってわけだ」

男は高校生に銃口を向けたまま硬直して動かない。怒りで顔をどす黒く染めて、一心に自分の右手人差し指を見つめている。

「あきらめろ、アンジェロ」

言うものの、高校生も焦りだしたようだ。雪像に足を下敷きにされていて動けないのだ。御門が引っ張り出してやろうと動きかけたとき。

「動くな!」

数人の揃った声がした。

やっと警官隊が到着したのだ。手に手に銃を持っている。震える手の先にある銃口はすべて中年の男の方を向いていた。

きっと、銃を人に向けるのは初めてなんだろうなと御門は思った。

「貴様は取り囲まれている。いますぐ銃を捨てて投降しろ!その少年に危害を加えないなら──」

警官が皆まで言い終えないうちに3つのことが起こった。

「アクアネックレス!」男が叫んだ。

「動くなぁ!」怯えをふくんだ警官の声がした。

「待て!」逼迫した高校生の声。

パパパパパン

白い地面と青い空の間の透明な空気に不揃いな銃声が響いた。人の少ない雪像に囲まれた空間に、それはわずかにこだました。

「仗助!」

飛び込んできた声は承太郎さんのもので、緊迫していたように思われた。だから、ことさらにのんびりした調子で手をあげて、ちょっとだけ身を起こした。

目を開けて見た瞬間は、承太郎さんの表情に心配そうな気配があったような気がしたけど、ちゃんと視界がはっきりしてみると、そんな様子はどこにもなくて、いつものポーカーフェイスだった。

担ぎ込まれた病院の一室、ベッドの上。こういう時は自分を治せないのがうらめしい。

「無事のようだな」

「そりゃ、死んじゃいないッスけど、怪我はひどいんすよ。骨も3ヶ所折れてるっていうし。アンジェロの野郎のせいでさんざんスよ。札幌観光どころじゃなくなっちまうし、野郎との関係、聞かれたもんだから、じいちゃんが奴を逮捕したことがあって、逆恨みした奴が家の周りうろついてた事があるんだってごまかしたら、無茶するなってこってり絞られたし。これで、もし雪像を壊したのばれたら下手したら少年Aっスよ」

「それだけしゃべれりゃ上々だな…。雪像の事はばれないだろう。人間業じゃない。怪我の方は……あきらめろ」

承太郎さんは言いながら確かにニヤリと笑ったように思う。

「分かんない事があるんすよ」

「……?」

「アンジェロの野郎が射殺されたとき、俺はとっさに『待て』と言ってたんスよ。それが分からねぇ。だって、そうでしょう?死んで当然の奴だったし、実際、死んでせいせいしてる。悲しいなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇ。けど、あの時、とっさに出てきたのは『待て』って言葉だったんスよ」

承太郎さんはそれを聞いてひどく思慮深い表情になってゆっくりはっきり言った。

「それは悪い事じゃあない」

意味を取りかねてひとつ首をひねったけど、承太郎さんはそれ以上は何も言わなかった。しょうがないから暗くなった窓の外を眺めてみる。昨日と違って今日は雲が出ている。

「なんか、雲、ピンク色っすね。明るいや」

「…雪国はたいていそうだ……」

「へぇ…」

しばらくぼんやりと雲を見上げていた。なんだか無力感に襲われて泣けてくるような気がしたから、横を向いて布団をかぶった。

Result

片桐安十郎死亡
仗助雪像の下敷きになって重傷。次の日到着した朋子に泣かれるやら怒られるやらもみくちゃにされる。
承太郎朋子の到着を見届けて立ち去る。
雪祭り即座に中止。死者10名余りを出したうえ、大雪像が崩壊するという事態に、存続問題が議論されるが、僅差で来年も続けられる事に決定。事故現場に居合わせた人々が多数 PTSD を発症したことも付記しておく。
銃を乱射した警官遺族に非難が集まり、逃げるように引っ越した後、ひっそりと暮らしている。
河嶋範子精神科医にかかっているがあまりよくなっていない。家にとじこもって、誰にも合わない。
瓜生真琴1人で人気の無いところにいけなくなった。
若林智明責任を感じてはいるが、めげてはいない。
御門一等陸尉あいもかわらず音楽隊隊長。
此川三等陸尉あいもかわらず演奏班長。今日も今日とてマイペース。

2000年8月3日 初稿

2006年1月3日 第2稿