たぶん偶然でない出遭い

小雨が降りそぼり少し肌寒い気候だった前の日とは一転、その日は穏やかなほどに晴れていた。境内のその道は広めのもので地面は露出した黒土であり、そこへ左右からの木々が天を覆うかのように枝を広げている。見上げると左右の枝の切れ目を青空が小道のように続いている。

道を行くのは上背のあるがっしりとした体型の2人連れ。体格の良さも顔の造りも良く似ている。ひとりは鷲鼻によく動く目を持った白人だった。年の頃、50代後半から60代前半ぐらいに見える。物珍しそうに辺りを見回しているが、連れに話し掛ける様子はない。もうひとりは若い日本人のように見受けられる。が、彫りの深い顔は異国の血を感じさせる。若い、しかし物静かな男だ。物静かではあるが、迫力のある静けさである。この若さにしてその佇まいは希有の物であろう。

境内の道、と先に言った。いま、2人は寺の墓場への道を歩いている。彼らにとって特別な存在であった男がそこにいるのだ。

ジョセフ・ジョースター――壮年に見えるが実は老年の白人――には日本風の墓というのが風変わりに思われた。ジョセフは日本語は日常会話で済むなら流暢にしゃべることができる。一人娘が日本人に嫁いでしまって以来、「なんで地球の裏側に嫁いでいかにゃぁならんのだ」という文句とは裏腹に何度も会いに来、もともとの社交的な性格となんでも器用にこなす才能により、覚えてしまったのだ。しかし、さすがに読むほうは苦手だった。

「この漢字というやつがなぁ…」

墓に刻まれた文字と言うのはほとんど漢字ばかりだったので、ジョセフには識別するのに時間が掛かる。しかし、彼は見つけた。

「あれじゃったろう?」

孫――連れの物静かな若者――に確認を取ると、承太郎は黙って肯いた。

そこには“花京院”とあった。

彼らには忘れることが許されない――と同時に懐かしい名前だった。

以前、旅の徒然に漢字というものに興味を持ったジョセフが名前の意味を訊いたことがある。承太郎は面倒くさくて、

「たいした意味なんてねーぜ。じじぃ、てめーの名前の意味は知ってるのか?」

と言ってやったが、もう1人の日本人たる花京院はちょっと考えた後、律義に答えていた。

「華やかな都にある塀の巡らされた屋敷という意味です」

そして、ふと笑った。不思議そうな顔をするジョセフに花京院は言ったものだ。

「“院”という文字の意味には“法皇”の住まうところという意味もあるんです。僕もいま気付きましたが、奇妙な符号の一致だと思ったんです。もちろん、“法皇”の意味は違うんですが、日本語だと同じ文字をあてるんです」

この言葉の意味が分かる人間は少なかった。ジョセフや承太郎、その場にいた連れには分かることだったが、普通の人間には分かる話ではなかった。説明しようにも、彼らスタンド使いでなければすんなり理解できることではなかったのだ。

だからこそ、悪しきスタンド使いとの戦いやその過程における花京院の死はその両親には詳しくは説明されなかった。承太郎とジョセフたちの現在というのは若い花京院典明の犠牲の上に成り立っている。しかし、その関係は両親には伏せられ、承太郎もジョセフも「偶然の発見者」を装い、その縁による儀礼上という意味で葬式に参列した。

「俺はやめておくよ」

とは、激戦に生き残れた最後の一人、ポルナレフの台詞だった。

「俺はたぶん、ボロボロ泣いちまう。こっぱずかしい話だがな。でも、変に疑われるとまずいだろう? おしつけるようで悪ィけど、葬式に出るのは勘弁してくれ」

代わりに彼は誰もいない時に墓に来てボロボロ泣いたらしい。想像の域を出ないが、たぶん、間違いないだろう。ポルナレフはそういう男だ。情と無縁でいられない質の男だ。

孫のするのを真似て墓石に向かって手を合わせて黙祷する。ちょっと経ってから、頭を垂れたその姿勢のままジョセフは小声で言った。

「さっきから誰かに見られている気がするんじゃが」

「俺もそう感じていた」

殺気、というのではない。視線だけを感じる。

2人揃って警戒したとき、拍子抜けするほどあっけなく相手が現れた。

「ジョセフ・ジョースターさんと空条承太郎君でしたか。息子の墓参りにわざわざ来てくださったのですね」

現れたのはどことなく上品な物腰の人物だった。かけられた言葉は日本人に珍しい流暢な英語だった。ジョセフも承太郎も彼を見たことがあった。花京院の葬式で。

花京院の父親だ。

彼に対して2人には真実を隠しているという負い目がある。だから、その顔を忘れるはずも無かった。

葬式での印象では、息子と同じく――いや、息子のほうが彼に似ているのだろうが――あまり表情を露にすることの無いような人物に思われた。有能で仕事をこなし、家ではあまりしゃべらない、そんな人物であるように思われた。少々、冷たすぎるような印象さえ最初は受けた。それほど淡々と葬儀をとりしきっていた。

だが、初印象はすぐに修正された。

参列者に向かって挨拶をしている時だ。花京院の母親が堪えきれずに泣き崩れた。滞りなく葬儀を終えることを第一に考えているように思われたので対面を気にして渋い表情をするかと思いきや、彼の顔にはすっといたわりの表情が浮かび、挨拶を中断して妻の手を取りそっと「奥で休んでいなさい。私があとはやるから」と言ったのだ。その出来事で承太郎は亡き友人を思い浮かべた。「花京院は父親似だったに違いない」と。

だが、今、彼が1人で墓地にいることに承太郎は疑問を感じた。なるほど、心の奥は優しい人物であり、家族を息子を愛していたのだろう。しかし、妻と連れ立ってというなら分からないでもないが、1人で墓参りに来るような人物とは思われなかった。

だから、少し話でもしませんか、と言われた時、何かあるなと思った。それは顔を見合わせたジョセフも同じであったらしい。

案内された店は、墓地から少し距離があった。喫茶店と言うには高級な造りの店だった。店内は落ち着いた色のソファが置かれており、話声がそれに吸い取られるのか、何組かの客がいたが実に静かだった。そう、他人に聞かれたくない話をするにはうってつけの店だ。

注文を取りに来たウェイトレスが行ってしまうと、しばらく3人の間に沈黙が流れたのだが、突然、相手がしゃべり始めた。内容も唐突だった。

「薄情に思われるかもしれないが、私は息子が死んだと言う知らせを受けた時、何も感じませんでした。遺体を見た時も、葬式の時もです。妻が蒼白になり嘆き哀しむ様子も、参列者の弔辞も私の前をただ事実として過ぎ去っていきました」

語り口は淡々としていた。ウェイトレスが紅茶を3つ並べて行ったので少し話しが中断したが、すぐに続いた。

「あれは、ある休日のことでした。よく晴れていました。そう、ちょうど今日のような天気でした。私はちょっと調べ物があって書斎に行きました。本を手に取ってベランダのほうを見た時、ふと違和感を感じたのです。何か物足りないな、と。ちょっと考えて気付きました。ああ、典明がベランダにいないな、と。息子はそんな晴れた日に外の椅子に腰掛けているのが好きだったようで、静かに本を読んでいたものでした。何度かその姿を見掛けましたが、とりたてて気をひくできごとではありませんでした。そもそも、その日、いないなと気付いてから『ここでよく本を読んでいたな』と思ったぐらいでしたから。けれど、その時は息子が椅子に座っていないこと、その影が部屋に入り込んでこないことを非常に物足りなく感じました。さらに、『もう、その姿を見ることはない』という考えに至った時、不覚にも……」

語尾が震えた。承太郎は相手が涙をこぼすのではないかと思った。が、彼はちょっとうつむき、拳をぎゅっと握ったのみですぐに自制したようだった。その様子を見て、承太郎は花京院は父親似だったのだと再び思った。

「失礼……こんな話をするつもりではなかった。ただ、少し切り出しにくい話をしようと思っていたので」

そう言うと、彼は紅茶で口を湿らせた。それからおもむろに口を開いた。

「ずっと私の中で引っかかっていたことがあります。いえ、その日までは引っかかっていたことに気付いてなかったのですが。

「息子に何が起こったのか。これは当然の疑問でしょう。検死結果を聞くと『全身骨折・致命傷は腹部の貫通傷、しかしどうやってこんな怪我をしたのかは不明』という。そもそも発見された状況が尋常でない。『給水塔に叩き付けられたような状況』だったというが、これも『どういう手段でそうなったかは不明』という話だった。何か想像を超えたことがあったに違いない。

「失礼ながらあなた方を疑ったこともありました。誘拐されたか騙されたかしてついて行った、もしくは連れて行かれたのではないのかと。君が――」

と彼は承太郎に視線をやった。

「息子を担いで学校を出ていったと言う話も聞きましたし。

「私は手を尽くして情報を探しました。あなた方と息子が一緒にいたという証言を各地で得ました。でも、無理矢理つれまわされていた風だったという証言はありませんでした。それどころか気心の知れた仲間のようだったという話さえ聞きました。それに、パスポートの記録はしっかりしているし、何より息子はいったんあなた方から離れているのにまた合流している。これは息子の自由意志だったとしか考えられない。ここまで状況を掴んだ時、私はずっと引っ掛かりを覚えていたことを思い出しました。

「――それは息子の最期の表情です」

言葉を切って、彼はじっと脇のほうの虚空を見詰めた。さも思い出そうとする情景がはっきりしてくるのを待つようにじっと視線を動かさなかった。

「息子は無念の表情を浮かべていたか? 違う。満足した表情だったか? もちろん、違う。あれは……『気遣い』だった。『祈り』だった。それに気付いた時、私の疑問はより意味深に私の前に現れました。『息子に何があったのか』と」

視線をジョセフと承太郎に戻した時、表情こそ静かだったが、眼光には有無を言わせぬ迫力が加わっていた。

「私はあなたがたがそれを知っていると踏んでいる。また、私には知る権利があると信じている。――どうか、話してはもらえませんか。知っていることをすべて」

孫は祖父を見、祖父は孫を見た。視線の交換はほんの一瞬だったが、2人は自分達が同じ決心をしていることに気付いた。

「最初に断っておきますが、これは想像を絶する話です。じゃが、真実だということは我が血統にかけて誓います」

主に説明をしたのはジョセフだった。承太郎はほとんど同意を求められるのに対して頷くのみだった。長い話だったが、ジョセフは自分の前の紅茶で喉を湿らせながら包み隠さずすべてを語った。それだけの労力を惜しんではいけない相手であった。

「――わしやわしの娘やこの承太郎は彼のおかげで今、生きている。息子さんには恩の返しようがない」

さらにジョセフは静かにつけたした。

「あの旅を終えてから、幾度か思ったことがあります。本当ならわしのような老いぼれが代わりに死ぬべきだった、と」

その言葉に承太郎は内心、驚いた。ジョセフがある種の責任を感じるのは当たり前だろう。承太郎自身、花京院には借りがあると感じている。しかし、ジョセフがこういった後ろ向きな方向に想いを傾けているのは、性格が性格だけに意外だった。

テーブルをはさんで座っている相手は質問を挟むこともなく、黙って話を聞いていた。話が終わっても一言も言葉を発しなかった。事の真偽を疑っているのだろうと、「たぶん、信じられる話じゃないだろうが――」と承太郎が話しかけたとき、相手がそれを遮った。

「いえ、信じます。全面的に信じるとは言えないが――というのは、その能力…スタンドですか、それを実感できないからなんですが――信じられる節もあるのです。私は息子の能力にちゃんとは気付かなかった。でも、今思えば息子の幼い頃にしばしば不思議な出来事があった。きっと、まだ自分のもつ力が特殊であることに気付いてなかったか、子供ゆえにうまく隠しきれなかったからでしょう」

それから、ここが重要だ、と言いたげな顔になってひときわ重々しく言った。

「1つ訊きたいのですが」

「なんですか?」

「息子はお役に立ちましたか?」

「役に立った?!」

ジョセフも承太郎も同時に同じ言葉を同じように強い口調で口にした。続けてジョセフが2人の言葉を代弁した。

「日本人風の謙譲の意味でおっしゃるのかもしれませんが、彼のことを『役に立った』などという軽い言葉で片づけないで下さい。彼は『頼りになる男』だった。そのことをわしは話の中で強調したつもりだったのじゃが」

最初、声高に言っていたジョセフだったが、相手が件の花京院の父親であることを思い出して、最後のほうは辛うじて冷静さを取り戻した口調になった。

「『頼りになる』『男』ですか…」

相手はふぅ、と深く溜息をついた。

「あなたがたが興奮なさるのは意外でしたが、それは嬉しい驚きです。あなたがたは息子のことを信頼していたようだし、息子もあなた方には心を開いていたようだ。でなければ命など懸けられないだろう。きっとあなたがたは私が見ることの無かった息子の表情をたくさん見たのだろう。その点についてはあなた方が羨ましい」

何とも言えずに承太郎もジョセフも黙っている。

「息子の人生は短いものだった。が、『充足』を味わってから逝ったという事実は救いです。そのことについて感謝すると言えるような度量は私にはありませんが――」

それまでむしろ無表情だった眼差しに柔らかいものを加えて彼は言った。

「承太郎君、といったね。君は息子と同じ歳だ。君の前途が満ち足りたものであることを祈ります。それからジョースターさん。代わりに死ぬべきだったなどと言わないでください。それは私の息子の死をおとしめる事です。そう思って、どうぞ末長く御壮健にお過ごしください」

承太郎もジョセフも個々に深く頷きつつ驚嘆の思いで彼を見つめていた。「度量が無い」と言いつつ、これは相当の度量の持ち主でないと言うことのできない台詞ではないか。

「さて――私からここに誘っておいて申し訳ないが、1人にしてもらえませんか」

否むべくも無かった。ジョセフと承太郎は席を立った。

店を出てから、承太郎は振り返った。承太郎とジョセフが席を立った時と同じ姿勢のまま物思いにふけっている男を見ながら、承太郎はまた「花京院は父親似だったのだ」と思った。いま、彼の頭をよぎっているのはなんだろうか。内省? 息子との語らい?

「承太郎、どうした?」

「いや――」

承太郎は帽子をかぶり直した。

「なんでもねーぜ」

日はそろそろ陰ってきていた。夕日が背の高い2人の影を長く長く伸ばしている。きっと夜は少し寒くなるなどと思いつつ、2人は家路についた。

1999/3/9 初稿

1999/3/13 第2稿