メグレと消えた死体

Maigret et la Grande Perche/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ14/榊原 晃三 訳

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メグレと消えた死体

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新・メグレ警視
メグレと消えた死体

メグレはときにかなり長時間に及ぶ尋問を行う。それにしたって、この話ではひどい。長さ的には最長記録ではないが、あまりにも材料が揃ってないうちに尋問に移行するのだ。まるで相手をやっつけたいだけのように。

(略)その家のどこかに修道院長みたいな老女とトルコ人みたいな男がいた。この二人にメグレは仕返しをしてやるつもりだった。

 人生は美しかった。

窃盗犯係のボワシエ刑事と泥棒との関係って、まるで試合相手のようで、ちょっと憧れるものがある(ここでいう泥棒ってのは、盗られたことも気取られないように "仕事" するプロ意識をもっている、いわゆる小説によくある古いタイプの泥棒)。もちろん、自分が泥棒に入られたらたまったものじゃないけど。

あ、メグレがけっこう早い段階で尋問に移行したのは、試合をしたかったからなのかな。これがまた手強い相手なのだ。でも、今回、メグレが至った結論はどうも納得がいってない。たしかに伏線が無くは無いけど。

オランという老弁護士が登場しますが、メグレでさえ若造扱いで微笑まし(?)かったです。

2002/3/28 読書開始 - 2002/4/2 読了

メグレの拳銃

Le Revolver de Maigret/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ38/佐宗 鈴夫 訳

シリーズ物って「型」ができてくるじゃないですか。この話を読み始めたとき、メグレ物には最も多い、少しねじれてしまった家族関係ゆえにおきた事件を描いている、と予想していたんです。

ところがどっこい。予想以上にでかい話。発端のメグレの拳銃が盗まれた後、次から次と私のほうの予想をくつがえしてくれました。そのうえ、なんと、メグレが犯人を○○○ない。ちょっといつもとは違った展開でした。しかし、ものすごくメグレらしい話です。それは、やはり少しねじれた家族の物語でもあったし、メグレらしくじっくりと事件に――人に向き合う話でもあったからでしょう。

ところで、この話ではメグレのフルネームはジュール・「ジョゼフ・アンテルム」・メグレであると紹介されてるんですが、回想録やシムノン自身の創作秘話では「ジュール・アメデ・フランソワ・メグレ」となっています。このフルネームの相違を教えてもらって『メグレの拳銃』を読んでみたくなったのです。

読み始めてしばらく、フランソワ・ラグランジュ(うーむ、ラグランジアンを思い出すな)という人の自分を哀れっぽく見せかける(いや、自分でも哀れだと信じているのだろう)性格がどうにも好きになれず、ジャンヌ・ドゥビュルもいけ好かず、さらにフランソワの娘も「わたしは誰にも愛情を感じないわ。自分自身にだって」と言い放つ人で、立て続けにとても好きになれない人々が出てきて閉口したものでした。

うん、そう。この話がガラリと展開を変えたのはやっぱり殺されたのが市井の人ではなかったことが分かった後であり、面白くなったのは舞台をイギリスに移してからです。うまく相手に自分のやりたいことを伝えられなくて癇癪を起こしたメグレが、実際のところ、イギリス側はたいへん能くしてくれたことを知って赤面する辺りからニンマリし通しでした。

それから、スコットランドヤードのパイクさんが出てきて、さらには渦中の人・フランソワの息子のアランが登場して、この2人の人柄・性格にやっと救われた思いがしました。パイクさんは他の話にも出てくるので、読んでみたくなりました。

ロンドンの描写がいくらかあるのですが、スコットランドヤードの人間はおしゃれでそれに比べてメグレは自分は垢抜けない人間だというふうに思っているのがなんともメグレらしく思われます。

結びの一文は

 ふたりがきたのに驚いて、猫が一匹、換気窓の中に逃げ込む。それを見て、彼が一瞬暗い気持ちになったのは、なぜだろう?

という謎めいたものなのですが、この余韻の残し方が和風な情緒にも通じているように思います。


「人殺しができるような人間だと思うかね、弟さんは?」

(中略)

「もちろんですわ。誰にだって、それぐらいのことできるでしょう?」

(中略)こんなカフェテラスでなかったら、おそらく彼女をどやしつけていただろう。それほど、彼は腹を立てていた。

メグレの倫理観がここに出ているように思う。数え切れないほどの殺人に付き合いながら、殺人とはこんなふうに軽く言えるような事象ではないと思い切っているのだ。


「とにかく、部下にはなんでも申しつけてください」

「よろしければ、フェントンでないほうをお借りします」

思わず吹き出してしまった。可哀相なフェントンさん。こういった会話や、食べたいものを頼めず、飲みたいものも飲めずにまごまごしているロンドンのメグレがとても可笑しいです。

2002/4 読書開始 - 読了

メグレ保安官になる

Maigret Chez le Coroner/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ39/鈴木 豊 訳

今度はメグレ、アメリカに登場です。メグレ(シムノン)にとって、アメリカという国はイギリス以上に違和感を感じる国だったようです。冒頭から、いかにアメリカ人はフランス人と感覚が違うか、がメグレのまごつき具合と共に強調されています(これがまたコミカルで面白い)。読んでいる私は日本人なので、メグレとはまた感じ方が違い、アメリカの感覚と共にフランスの感覚にも興味深いものがあります。

メグレの感慨は一口に言うと「西部劇映画の世界に来てしまった」というところのようです。

 実際のところ、自分を取り巻いているものの現実味にあまり確信がもてなかった。(中略)陪審の老黒人が、まるで自分たちは仲間だと言わんばかりに、ニッコリ笑いながらメグレを見つめ、メグレもお返しに、彼にニッコリ笑ってやった。

まごついているメグレをアメリカにおけるメグレの世話役、fbiのハリイ・コールが面白そうに眺めている。

ところがメグレは、人間というものは、人間の情熱というものはどこへ行っても同じだという意見を述べていた。

ふと、物理の問題を解くときのことを思い出しました。物理において省略できるところを省き、問題を簡潔な形に置き換えることは重要な手法です。ただし、あくまでも全体を見通した上で適切な方法を取らないと現実から離れて行ってしまう。メグレの言う「人間はどこへ行っても同じだ」という信念――「人」という存在の共通化は、問題を簡素化する手法に通じ、事にあたって人を理解できるまで現場に身を置くというメグレのやり方は、全体を見通して適切な簡素化を選択する手法に相通ずるものがある用に思えます。

いつもは、メグレが犯罪者側に慣れていくのを外から眺めて、最後の最後に「なるほどなあ。パトロンはすごいなあ」という感想に落ちていましたが、この話では少し様相が違いました。メグレがアメリカの社会に慣れ、法廷に慣れ、今回の犯罪を起こした若者たちに慣れていく様子がしっかり描かれていて、メグレばかりでなく読者自身も「なるほど、なるほど、それでそういう反応だったんだね」と理解していけるような書き方でした。たとえば、冒頭のメグレが注意される場面。きっと終わりの方にはいっしょになって注意される人に微笑を浮かべていると思います。

事件の進行自体も、いつもとは違って「法廷物」。あくまで法廷での証言がメイン。だから、原題の『検死官審問廷のメグレ』の方が内容にあっています。この人の証言ではこう行って、ここで車が止まって、足跡がこうで・・・とメモを取りたくなりました。

休廷時に街を歩き、アメリカ側のハリイ・コールやマイク・オルーク主任副保安官の話を聞くことは、アメリカ社会に対するヒントをもらっている状態です。オルークさんが今回の事件の担当者ですが、この人、すごく切れる人で、メグレとはやり方が違うけど、それはあくまでアメリカ式の裁判のやり方に適した方法をとっているからであって、メグレとはすごく馬が合いそうでした。

アメリカと言うことで、メグレは「ジュリアス」と呼ばれているけれども、どうも気に食わないようです。これは分かるなあ。自分も名前の方で呼ぶ友人はいないし、名前で呼ばれるのは好きでないので。

ところで、お話の中で「酔いをさます器械」というのが出てくるんですけど、成分は何なんでしょう。すごく知りたい。


 結局はみんな子供だ、二十歳の、その上筋骨たくましいがっしりした子供だ、とにかく、ついうっかり、大人と見まちがえてしまった子供なのだ。


 コールは相変わらず、人生と戯れている様子だ、まるでほんとうに楽しいように。


 彼にこんにちはと挨拶をした者が、少なくとも三人はいた。おかげでメグレはすっかり嬉しくなった。

上記3つの文章が話が進むにつれどんな具合に表現が変わり、メグレの理解が進んでいくか、というところが私には興味深かったです。


2002/11/14 読書開始 - 2002/11/23 読了

重罪裁判所のメグレ

Maigret aux Assises/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ17/長島 良三 訳

前に読んだ『メグレ保安官になる』がアメリカの法廷でまごまごしているメグレだったので、では勝手知ったる自国の裁判ではどうなのか、と思い、今度はこれを読んでみた。

『保安官になる』とは違って、手続きも何もかも慣れた物なのだけど、メグレは違和感を感じている。つまりは

(前略)自分の執務室でなら、(中略)ともかくまだ人間対人間の、言ってみれば対等の勝負だった。

 いくつかの廊下を渡り、いくつかの階段を上り下りする。(中略)そこでは、言葉がもう同じ意味をもっていない。抽象的で荘厳、尊大で珍妙なひとつの世界だった。

こういった風に、メグレの感ずる違和感が繰り返し繰り返し語られる。メグレの思考を知る上ですごく重要な話だと思う。つまり、切り取られた言葉では決してひとりの人間を表しきれないのだ。たとえそれが「普通の人」であっても。

このお話では、定年を意識したメグレの姿がある。退職後に住むための家を買ってしまったのだけど、それをメグレは誰にも言えない。

(中略)こうして将来に備えたことが、まるで恥ずかしいことででもあるかのように。それがオルフェーヴル河岸への裏切りででもあるかのように。

メグレの定年を考えたくない、思ってもいないのは上層部よりも部下たちだと思う。

結局、メグレが家の話を一番先に明かした相手はジャンヴィエだった。今まで何度もメグレはジャンヴィエに一番目をかけていると書かれていたけど、このことで「本当に一番なんだなあ」と実感した。

では、この2点をもってメグレが裁判所を批判していて、自分の今の仕事こそを肯定しているかというと、そうでもないのだ。「好むと好まざるとにかかわらず」「登場人物を完全に操って」しまうときがある、この職業を彼は無批判に正しいとは思っていないだろう。思えば、メグレは正義を口にしない。メグレがしばしば感じるのは無常である。と言って、無常観に押しつぶされるわけでもない。メグレが「私は何も知らない」とよく言うのは切り取られた真実、観察されえる真実が決して包括的真実になりえないからなのではないだろうか。

殺されたのは一人暮らしの老女と彼女が預かっていた幼い少女。隠し場所から現金がなくなっていた。被告はその甥。事件は、メグレ自身が捜査を手がけ重罪裁判所に送ったわけだから、事件は既に解決しているのかと思いきや、第一章の終わりに証言台のメグレが爆弾発言をして突然話が動く。

今回ちょっぴり出てくるデュプーという刑事は優秀だが、事細かに話をするのが唯一の欠点。話を聞いている相手はついつい「はやく、はやく」と急かしてしまうのだが、そうするとデュプーは実に悲しい顔をするので、急かした方は後悔してしまうのだそうな。こういったちょっぴりだけ出てくる刑事にちょっとしたエピソードがあって、心に残る。


 いつか、ささやかながら雇主になること、自分の金で店をもつこと。これほどすばらしい復讐があるだろうか?

いろんな復讐の形があるだろうけど、これは本当に素敵な復讐だ。デュシャンにはできなかったけれど。


2002 年末 読書開始 - 2003 年始 読了

メグレ式捜査法

mon ami maigret/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ13/谷亀 利一 訳

舞台は眠たげな南仏で、時が非常に穏やかに流れているのですが、読んでいる間中ずっと、「パリに帰りたい」と思っている自分がいました。それは、あまりに時が止まっているからかもしれません。その気候がまるで身体にまとわりつくように感じたからかもしれません。

邦題は『メグレ式捜査法』になっていて、確かにそういう側面もあるのですが(イギリスからやってきたパイクさんが眺めているので)、むしろ原題のmon ami maigret(わが友メグレ)のほうがよいように思います。というのは、事件としてはその言葉がひとつのキーになっているからです。

なぜか、メグレは心の中でパイクと功名を競っている感があります。きっと、メグレは自分が有能だなんてかけらも思っていないのだろうなあと思うのです。経験はあるし、それについては自負もあるのでしょうが、才能だとは思っていない。そんな愚直さがメグレにはあります。

2003/2 読書開始 - 2003/3 読了

オランダの犯罪

Un Crime en Hollande/創元推理文庫/宗 左近 訳

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新・メグレ警視
フィンランドの犯罪

メグレ物に珍しく,最後に一堂に集めて謎解きをするというので,どんなもんだろうと内心期するもののあった『オランダの犯罪』.

題名どおり,オランダに赴いての捜査である.最初に水郷であるオランダの描写があるのだが,銀色に光る水の長いリボンという表現を見たとき,突然,目の前に眼前に走る一筋の運河が見えるような気がして,気分はオランダ旅行.

メグレの出馬を要請したのは,ジャン・デュクロという犯罪学の教授で,専門が専門だけに,一説ぶってくれるんだが,これがまた,一般論に始終していて,間違うにせよ正しいにせよ,まったく役に立たない.いやあ,もう,そりゃ,大学教授らしいですわ.

たぶん,メグレは捜査に当たりたくなかったのだろう.別に波風を立てたいわけではなかったのだろう.だから,犯人のその後を聞いて,部下に当り散らさずにいられなかったのだろう.

2004/6/1 読書開始 - 2004/6/3 読了

自由酒場

Liberty-Bar/アドア社/伊東 鍈太郎 訳

この項は,引用部分に旧字旧仮名を使っているため,いくつか機種依存文字があります.

去る2004年6月5日国会図書館に行ってまいりました.お目当ては,そう,『自由酒場』!

少し前まで検索かけても引っかからなかったのに,ちょっと前に再挑戦したら,なんとひっかかったのである.どうやらやっと入力が済んだらしい.何はともあれ,いそいそと読みに行く.初めて行った国会図書館は,快適な読書空間で,それだけでなんとも嬉しい.

待つことしばし,我がもとに来たのはアドア社版の『自由酒場』.奥付を見ると,

昭和11年11月9日發行
定價1圓80銭
(ママ)市神田區神保町一丁目五六
發行所アドア社(社は実際は旧字体)

なんかこれだけでじ~んとなってしまったんですが,馬鹿ですか.

さて,このアドア社版には乱歩による序文があるんですが,

 私は低調なスリルは輕蔑するけれども、かういう人の心の奥底の祕密にふれたスリルには,高い價値をおきたいと思ふ。

とあって,いちいち「そうなんだよ,そうなんだよ」と偉大な先人に頷いていた.

さて,被害者のブラウンというのは,大戦中,第二局に勤めていたのだそうで,その意味するところは「間諜」であったということだそうだ.最初,このブラウンという人に好意を持って読んでいた.メグレも,

 メーグレは滿足の微笑を押へえなかった。

(するとブラウンは、十年間を、この女たちと差し向かひで暮らした譯ぢゃなかったのだ!)

とか,

 二人の惡女と一緒に棲みながら、十年間も收入の源を隠し通したブラウンといふ男が判かる氣がした。

という感想を抱いていて,ブラウンには割りと好感を持っていたと思う.

ところがだ,捜査が進み,ブラウンの収入源が分かってくるとこの印象が地に落ちる.いよいよ佳境というところまで,その印象は下り坂まっさかさまだったのだが,最後の最後でまたひっくり返る.

 庖丁は、もう眼もくらみかけてゐたウイリアム・ブラウンが、恐らく機轉を利かして草の繁みにでも投げたのであらう!

地に落ちたように見えていたが、ブラウンは家族に対して意固地になっていただけで,義理とか良心とかがなかったわけではないのだ.彼は,刺された瞬間に,自分の求めたものと相手の求めたものでは種類が違ったことを察し,己の最期も察し,できるだけ誠実であろうとしたのだ.彼は何を思って途切れかける意識をおして凶器を隠したのか.

最後に.

ずっと突っ張った様子だった娼婦の

「あなたに誓って云ひます。ジャジャはこの世で一番立派な(ひと)でした」

という発言も,彼女とジャジャの関係を思うと,なんとも味わい深いものである.

2004/6/5 読書開始 - 読了

月曜日の男

Monsieur Lundi/角川文庫 赤503-6『メグレの退職旅行』/長島 良三 訳

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メグレ警視
集英社文庫
世界の名探偵コレクション10

これ読んだとき,こんな死に方やだなあと――いや,どんな死に方もやだけど――すごく思ったものだ.なんだか,腹部がチクチクするような気がして.

いわば,ストーカーの話だと思うわけです.最近聞くようになった単語のようだけど,こういう踏み外し方をする人間というのは,特に今になって現れたわけでなく,昔もいたんだと思うのです.それに名前が付いただけで.

ちっとも癒えない様子が最後の一文に現れていて,空恐ろしくなりました.

2004 夏 読書開始 - 読了

ピガール通り

Rue Pigalle/角川文庫 赤503-6『メグレの退職旅行』/長島 良三 訳

なかなか味わい深い一編.

始終,場所は変わらず,メグレが酒場で3人の男を相手に尋問しているだけ(サン・フォリアンの終わりの方を思い出した).

ちょっとした推理劇なので,一緒に考えてみよう.(ちなみに,私は分りませんでした)

2004 夏 読書開始 - 読了

メグレと老婦人

Maigret et la Vieille dame/ハヤカワミステリ文庫 HM(16)-2/日影 丈吉 訳

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メグレと老婦人

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新・メグレ警視
メグレと老婦人

突然オフィスに現れた「可愛らしい老婦人」ヴァランティーヌの訴えとその息子の代議士シャルル・ベッソンの要請により今度はエトルタへ.陸地の育ちのメグレはしばらくは海の情景に子供の頃に思った憧憬を思い抱くが,結局のところ,彼が来たのは捜査のためであり,昔抱いたほどの心の動きはなく,それがまたメグレをすこし哀しくしたのであった.大人になるということは寂しいものかもしれない.でも,人生は子供でいる時期よりも大人でいる時期の方が普通は長い.

今回はヴァランティーヌとその娘アルレットの二人の美女(ヴァランティーヌは元がつくか?)が出てくる.姿こそ似ているが,性格は対称的で,天真爛漫といった様子のヴァランティーヌに対して,アルレットは人と自分を斜めに見ている.といっても,それは彼女らの「見せたい姿」でしかないのだと思う.私はアルレットの方が好きだ.たとえば,彼女とメグレの会話はこんな具合だ.

「(前略)一年あまりの間,私に近づいて来る,あらゆる男と一緒に寝ましたわ」

「嫌悪からかね?」

「ええ.(後略)」

彼女はとても寂しいのだと思う.小さな頃から自分は愛されていないと思ってきたのだと.美しい外見だけを愛でる輩が多くて,それに気づいてからはさらに.だからこそ,幾人の男と行きづりの関係を結びながらも,夫だけは真剣にそれはもう真剣に尊敬しているのだ.

今回の相棒はル・アーブル警察のカスタンさん.パリから出るときというのは,どんな人間と組むことになるのかと楽しみになったりしないのかね?まあ,どんな人間があいてであろうと,メグレは変らないのだろうけど.

思うに,アルレットもさほどの繊細さを持ち合わせていないシャルルも薄々は感じていたんじゃないだろうか.それでいて,口にするのを憚ったのだと思う.アルレットでさえも,そうでなければいいと思ったのだと.

被害者のローズなのだが,私はどうにも好きになれない.なんとなれば彼女は知的であろうとし,そうでないと彼女が見なした家族たちを軽蔑していたからだ.知的であるということはもっと謙虚なものだと思う.

ところで,今回2度読んでみて分ったんですが,メグレ物って雰囲気とか情景とか心情とかそんな物の方が強調されるけど,ちゃんと推理小説なんですね.パズリックでこそないけど,手がかりはちゃんと落とされていた.

2004/6 読書開始 - 読了 // 2004/10/25 読書開始 - 11/8 読了