メグレと生死不明の男

Maigret, Lognon et les gangsters/講談社文庫 105-2 BX219/長島 良三 訳

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メグレ警視と生死不明の男

読み始めてしばらくして,あれ?と思ったのだ.

この話……『メグレ赤い灯を見る』じゃないか?

そうなのである.メグレものを制覇するぞと読み始めてしばらくした頃の,3年前の11月に入手した,ジャン・ギャバン版メグレなのである.しかも,それを写原さんに教えてもらっていたことをすっかり忘れていた!

人に教えてもらったことぐらい,ちゃんと覚えよう.

それはさておき,原作である.原題は『Maigret, Lognon et les gangsters』.そう,『メグレとロニョンとギャングたち』なのである.メグレと犯罪のプロを対決させてみようという趣向なのだが,そこにロニョンが絡むのが何ともシムノンだ.ロニョンの性質を知るにはうってつけの一冊だと思う.

メグレは,作中,アメリカ人たちに,「まあ,あんた,相手はプロなんだから,よけいなちょっかいはやめときなさいよ」というようなことを遠回しに言われ続けている.いい加減,うんざりしつつ,そう言われるだけのものはあるとの用心は忘れない.

思うに,公僕である限りにおいては,危険だからとて自分の仕事は放り出せないものだと思うのだ.私なら,たぶん,怖くても,捜査をやめないだろうなあとなんとなく思う.仕事だから.メグレのようにというより,ロニョンのように.


「(前略)僕は殺されるんだと思い、ぼくは……」

 ロニョンは黙った。(中略)メグレはそのときロニョンが何をしたのか――膝をついて、哀願したのかどうかなど知りたくなかった。たぶんそんなことはすまい。ロニョンは暗い、にがい気持ちで、最後を待っていたのだろう。


 とつぜん、ある思いがロニョンを苦しめたらしかった。彼はそれを口にするのをためらっていたが、ついに顔をそむけながらささやいた。

「僕は警察にいるのがふさわしくない人間なのではないでしょうか?」

「なぜ?」

「あの男がどこにいるのか知っていたら、最後にはしゃべってしまったでしょうから」


作中メグレが言及するランドリュ事件について補足しておく.

アンリ・デジレ・ランドリュは,1910年に「妻求む」の新聞広告を出し,これに応募した未亡人から2万フランを騙し取った.この事件はこれだけで済んだのだが,その後,第一次世界対戦中に彼の周辺で次々と不可解な女性失踪事件が起きる.1915年1月から1918年1月までの間に10人の女性が失踪した.

ランドリュは逮捕後,冷静な態度で容疑を否認した.死体は見つからなかった.警察が挙げた状況証拠は彼の家の煙突から異臭を放つ煙が上がったこと,ランドリュが池に何かを投げ込み,その池で腐肉を釣り上げた者がいることだけだった.

結局,彼は有罪になり,ギロチンに掛けられたが,その最後の瞬間まで沈黙を守った.

2004/7 読書開始 − 読了 // 2004/11 読書開始 − 読了

メグレとベンチの男

Maigret et L'homme du Banc/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ15/矢野 浩三郎 訳

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新・メグレ警視
メグレとベンチの男

これを読んだ理由というのは写原さんのとこの読書ノートを読んで,「アレ?前に読んだどれかと似てるな〜」と思ったからである.このことを写原さんのところの掲示板に書き込んだところ,「『誰も哀れな男を殺しはしない』ではないか?」というお返事をいただいた.ああ,なるほど,その通り.

似たような主題を別な風に料理する,ということがメグレ物ではしばしば行われている.

『誰も哀れな男を殺しはしない』では,しばしば,この題名通りの言葉をメグレが反復していて,独特のリズムを作っているのだが,この『ベンチの男』の方では,違った味付けになっている.

というのは,ある種,「被害者の周りを彩る人間模様」が主題なのだ.疑わしい人物が舞台の上に上っては(捜査の進展により)消えていく.そして,本来なら主題であるはずの解決はサラリと流される.つまるところ,そうそう入り組んだ事件というのは起きはしないのだろうなあと思う.

一番,馬鹿なのはアルベールだろうなあ.捜査が進む前からメグレと一緒に「馬鹿だな,このあんちゃん」とか,「本気で言ってんのか,こいつは」と思ってたもんなあ(笑).

2004/12 読書開始 − 読了

メグレと溺死人の宿

L'Auberge aux noyés/講談社文庫 105-1 BX216『メグレ警視のクリスマス』所収/長島 良三 訳

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メグレ警視
集英社文庫
世界の名探偵コレクション10

クリスマスが近づくとなぜかメグレが読みたくなる.そのものずばりの『メグレ警視のクリスマス』は読んだので,今回は同所収の『溺死人の宿』.

この『溺死人の宿』は,どこかで「中期の傑作」と聞いていたので,大事に大事にとっておいた作品です.(私は好きなものを最後に食べるクチ)

読み出して,「ああ,古き良き時代のメグレだなあ」とすぐに思いました.メグレが山高帽をかぶっていると,初期の作品だとつくづく思うんですよ.

そんな些末な部分は置いておくとして,確かに,初期の傑作です.最初からヒントがたくさんばらまかれるので,それぞれの証言が噛み合うようにあれやこれやと頭をひねりました.私の予想(推理とはあえていわず)は途中までしか合っていませんでした.

娘さんがどういう役割を果たしてどうなったのかが心配だったので,諧謔のきいた最後の一文に(あれは諧謔だと思う),ほっと一息つきました.親が思うほどバカじゃないんだと思う.早く元気になるといいな.


「(前略)彼は典型的な若い日和見主義者です、すねた話しぶりといい、態度といい。こちらが一瞬、これはポーズなのではないか、内気さを隠すためではないかととまどったほどです。(後略)」

ラ・ポムレーさんに良い印象を持った台詞.この人,別に物わかりの良くない人ってわけじゃないなあと思ったのです.ちゃんとした相手だったら階級がどうあれちゃんと相手しただろうと思います.


「(前略)ところで、駆け落ちするとき、妻は事務室の金庫から十万フラン持ち出しています……ヴィヴィアンヌはこの母親に似ていますから……」

「そうだといいのですが……」

 メグレがこうため息をつくのを聞いて、ラ・ポムレー氏はびくっとなった。

たとえ犯罪者であれ生きている方がいい,と言われたようで,はっとしました.

2005/12/14 読書開始 − 読了

メグレと優雅な泥棒

Maigret et le voleur paresseux/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ18/榊原 晃三 訳

旧知の泥棒が死体となって発見される,そこから話は始まります.話はこの泥棒オノレ・キュアンデの人と態を浮かび上がらせていくのが主題かな.

このキュアンデという人,普通の仕事も人並みにできるのに,窃盗を働かずにいられない.でも,そこに悲壮感はないんですよね.「やらずにはいられない.俺はダメな奴だ」じゃなくて,「やらずにはいられない.だから仕方ない」なんでよ.だからといって,開き直っているとか悪いことだと思っていないというわけでもない.ううん,なかなか難しい人物造形です.

人のいるアパートにしか興味を持たない(人のいないシーズンオフの別荘は狙わない)というところを見ると,金を得ること自体が目的じゃないんでしょうが.じゃあ生意気な奴かというと,う〜ん…….エヴリーヌの語るキュアンデが,なんとも静かで控えめな感じがするせいでしょうか.(エヴリーヌが一番可哀相だったな)

キュアンデの母親というのが,息子を盲信し,至るところに罠をかぎつけるほとんど無学にひとしい老婆なんですが,オノレ・キュアンデは本当に彼女の言うように母親のことを手当てして逝ったのかなあ.私は,何もなされていないような気がするんです.でも,彼女は最期まで頑固に息子のことを信じてるんじゃないかと思います.

『優雅な泥棒』という邦題がついていますが,あんまり「優雅」という感じはしなかったな.

今回,メグレの手足となって働くフュメル刑事が惚れっぽいので笑いました.


(前略)七十六歳でなお死体解剖を行っていた老医師ポールが死んで、(後略)

えええ!Σ(゜□゜)

2005/上半期 読書開始 − 読了

メグレの失敗

Une erreur de Maigret/角川文庫『メグレ夫人の恋人』/長島 良三 訳

特殊本屋の店員エミリエンヌが死んだ.死因は多量の睡眠薬を嚥下したため.

気にくわない発見者に連れてこられて,初っぱなから機嫌の悪いメグレが最後に……という話.

メグレは聖人君子じゃないなあと思うけど,拍手喝采(笑).今時だと,訴えられたりなんだりしちゃうのかしらん.


「さあ、白状するんだ!」

「誓って申しますが、警視さん……」

「誓うんじゃない!白状するんだ!」


「そのとおりだ……おまえは殺さなかった」

2005? 読書開始 − 読了

メグレ警部と国境の町

Chez les Flamands/東京創元社 創元推理文庫/三輪 秀彦 訳

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新・メグレ警視
国境の町

『自由酒場』と共に,拝むのが困難な『国境の町』.ときどき,Yahoo!オークション等で見かけるのですが,そのたびに1万を超えるので,とうとうあきらめて国会図書館に行ってまいりました.当たり前ですが,1961年1月6日初版,「国立国会 36.1.16」の印.他の『男の首』『黄色い犬』『ゲー・ムーランの踊子』『三文酒場』『第一号水門』は今でも版を重ねているのに,なんだってこの話だけ幻のメグレ物になっちゃってるんですかねぇ.

訳文はときどきメグレの台詞が妙でした.「もどってきたんか?」「きみはねばったんかい?」など.うっかりメグレが脳内で富山弁しゃべってました(「ねばったんけ」「ねばったんけ」等).同じく三輪氏の訳している『サン・フィアクル』も早く読みたいところ.

事件は,ベルギーとの国境の町・ジベで起こる.ジェルメーヌというタイピストが姿を消し,彼女と関係のあったジョゼフ・ピータースの一家に嫌疑が掛かっている.ピータース一家は80歳の家長,その妻の60歳ほどのピータース夫人.そして28歳の長女マリア,26歳の次女アンナ,最後に末っ子のジョゼフである.

メグレがこの事件に引っ張り出されたのは,アンナが個人的なツテを頼ってパリまでやってきたからだ.このツテというのが,アンナが「メグレ夫人の従兄の義兄の10年来の知り合い」だという事実なのである.最初,この説明を見たとき,なんどか読み返してしまった.要するに,ほっとんど関係ない(笑)?こういう,遠い関係が出馬の理由になるところがなんとも田舎だなあと思う.

そんなわけで,メグレはジベに来たものの,公的には何の権限もない.

ピータース一家はフランドル人で,ジベの町の人たちにとっては「金持ちの外国人」であり,敵意を持って見られている.ゆえに,アンナ・ピータースの連れてきたメグレも敵意を持って迎えられる.

メグレ物によく出てくる構図ではあるのだが,私はそのたびになんだか微妙な気分になる.というのは,シムノン自身がリエージュからパリに出てきてから生涯異郷にあり続けたからだ.多分,それを冷静に見据えて作品に生かしているのだろうけれど.なんとなく,微かな郷愁めいたもののあったのではないだろうか.この話でも,舞台になっている町・ジベに流れるムーズ川は遠くリエージュまで続いているのだから.

この話では,『ソルヴェイグの歌』がひとつのキーになっている.ご存じ,イプセンの劇詩『ペール・ギュント』の中の詩で,グリーグによる作曲があまりにも有名.フランス語の歌詞は知らないのだが,ここに原語(ノルウェー語)とその試訳を書いておく.

Kanske vil der gå både Vinter og Vår,

(冬が去り 春も行く)

og næste Sommer med, og det hele År,

(次の夏もまた そして年が過ぎていく)

men engang vil du komme, det ved jeg visst,

(でもあなたは帰ってくる 私には分かる)

og jeg skal nok vente, for det lovte jeg sist,

(そして私は待ち続ける 遠い昔に約束したとおり)

Gud styrke dig, hvor du i Verden går,

(あなたがどこにいようとも 神が導くでしょう)

Gud glæde dig, hvis du for hans Fodskammel står,

(その足下に(ぬか)ずくとき 神は加護を与えてくれる)

Her skal jeg vente til du kommer igjen,

(再びここに(まみ)える日まで 私は待ち続けるでしょう)

og venter du hist oppe, vi træffes der, min Ven,

(もしあなたが天上に在るというのなら そこで逢いましょう 最愛の人)

試訳と言いつつ,訳している私がノルウェー語を知らないので,まあ,雰囲気だけ.あんまり信じないでください.ちなみに,曲自体が分からない方にはクラシックMIDI ラインムジークをオススメします.「クラシックMIDI」で作曲家名「グリーグ」にあります.ちょうどピアノアレンジなので,小説中にアンナやマルグリットが演奏する雰囲気にぴったりです.

歌は大変美しい.ただ,作中,メグレも思った通り,これはイプセンの詩的な世界ではなく,ひどく生活感漂うとある閉鎖的な家庭内の話なのだ.なのに,自家中毒のように,女たちは劇中人物になっていはしなかったろうか?メグレが途中でこの異国の書き割りのなかで、雨にぬれているのか?という印象を覚えているけれど,それはまさに的を射た感慨だったのではないだろうか?


 たしかに! この男を悪しざまにいうのはよくない! 彼は真心を持っている! 真心がありすぎて素朴なほどだ!

この親にしてこの()ありという気がする.


 それは愛情ではなかった! 尊敬の念だった!


 ジェラールは(中略)その日の午後のできごとのなかにどれほど深刻で、決定的な意味が秘められているのか理解できないのだ……

そして,私には決定的であったのは分かるけれども,その意味を正確には捉えかねている.ジェラールは単に代理だったのではないのかと少し思ってもいる.


「ぼくはどうしても彼女と結婚しなくてはならないのです! その必要があるんです! それだけですよ!」

利己的でもなく,対面でもなく,ただ与えられた役に押し込められた男.


 そのとき、メグレが長いあいだ待っていた涙がほとばしり出た。それと同時に、彼女はのどをつまらせ、まるで自分にすべての責任があるかのように語った。

たぶん,全てをなげうってやる価値など無かったのだ.でも,そんな人間にしてしまったのもまた彼女だったように思う.

2006/1/28 読書開始 − 読了

競売前夜

Vente à la bougie/心交社 『ワイン通の復讐』 美酒にまつわるミステリ選集 所収/芦 真璃子 訳

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ワイン通の復讐

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新・メグレ警視
ローソク売り

私が読んだのは,ピーター・ヘイニング編のアンソロジー『Murder by the Glass』の邦訳なので,多分,英語からの重訳なのではないかと思う.このアンソロジー,最初に著者や探偵役の紹介があって,本編に入るのだが,真っ先に酒と名がつけばえり好みしないジュール・メグレと書いてあって,そうかなあ?と唸ってしまった.けっこう好みはあるよね.なお,訳者が『行方不明のミニチュア像』と訳している短編は,邦訳はおそらく矢野浩三郎氏が訳してミステリマガジンに載ったのみの『メグレと消えたミニアチュア』のことだろう.

余談だが,ピーター・ヘイニングはこれに先立つ『Murder in the Menu』にもこの話を入れているので,よほど気に入っているのだろう.

それで,話自体のことなのだが,私は二人の女のそれぞれの涙が印象的だった.テレーズとジュリアの.

テレーズはもっと冷めているかと思いきや,情はあったのだと.ここで泣いてくれて,なにかほっとした.

でも,それ以上に私はジュリアの涙に同情する.

2006/1/23 再読開始 − 読了

街中の男

L'homme dans la rue/メグレ警視―世界の名探偵コレクション/長島 良三 訳

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メグレ警視
世界の名探偵コレクション

凍てついたパリが舞台の冬に読むに相応しい話.

これがまた,短いのに素晴らしい.導入もいいし,メグレ以下,トランス,リュカ,ジャンビエ等も出てくる.これ,メグレ物の紹介にもいいんじゃないだろうか.

今回相対することになる人,この人の描写も大変好きで,それは,尊大ぶって居るとも,挑戦的態度とも言うことはできない.(中略)静かな,熟慮に熟慮を重ねた上での悲しみ.こういう,普通の人なんだけど,何かが背後にあって,それがために悲愴に決意をしている人に,私はどうにも惹かれるのです.

そうして,別につきあわなくてもいいだろうに,パリをさ迷い続ける男をひたすら追うメグレ.互いに気づいていて,単に後をついて歩くという奇妙な関係で,メグレの方はといえば,本当は他の刑事の交替したっていいのに,ずっと追っている.

多分,対等になりたかったんじゃないだろうか.でも,立場上,対等でありえないから,尋問の時にイギリスの警官のように言いたくなり,最後に昔の仲間に話しかけるようにつぶやいたのではないだろうか.

最後の一文からしても,メグレにとって重要な事件だったのだろうなあと思う.

2007/1/1 読書開始 − 読了

メグレと若い女の死

Maigret et la jeune morte/ハヤカワポケミス1188/北村 良三 訳

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メグレと若い女の死

それにしても,手数のないロニョンの方が先回り先回りしてるのは本当に凄い.

はい,ロニョンの出てくる一編です.何でこの人,こんなに卑屈なのかなあ.すごく有能なのに.

 彼の価値――それは誰でもが知っていた。知らないのは、本人ぐらいのものだった。

メグレってなんでロニョンにこんなに気を遣っているのかなあ.よく,「報・連・相」なんてビジネスでは言いますが,ロニョンってこれを全くしない人なんですよね.ってことは,メグレは怒り狂っててもおかしくないような気もするんですよ.

思うに,メグレって,ロニョンと競っているような気になるのかもしれません.それも,自分が圧倒的に有利な競争をしているという.それ故に,なんとなく後ろめたくなって,なんとなく気を遣っちゃうのかな,と.(挙げ句に心配までしちゃってる)

でも,お仕事はお仕事だから,最後はバンと「引き返せ」と命じますけどね.

この「引き返せ」ってところで,自分もビックリしました.ホント,自分も分かってなかったから.そこんところがメグレの面目躍如であり,メグレ式捜査法だなあってところ.メグレの捜査法は事象を識るというより人を識るってところですね.それをうまく表現しているなあと思ったのが以下の部分です.

 ルイーズ・ラボワーヌのことは現像液に浸したネガのようだった。(中略)今では、彼女は名前をもち、まだ図式的ではあるが、一つのイメージとして浮かび上がりつつある。

このお話でぼんやり思ったことがもう1つあります.それは,「死んだら可哀相と思わなければならないのか」ということです.

いや,悪いことをしてる娘じゃないんですよ,被害者は.でも,私も嫌うと思うんですよ.死ぬ前から可哀相と言えば可哀相なんだろうけど,やっぱり「嫌い」の方に意識が傾くんです.でも,死んだら途端に「可哀相な娘」になるのかなあと思って.

ニースにいるフェレという刑事が今回捜査に協力するんですが,この人,ロニョンと対称的にいい時にいい情報をくれるんです.それに,こうした話をすべてするのは、あなたが物事をご自身で理解するのを好むからです。という台詞から分かるように,この人はメグレのこと分かった人だなあと思いました.

そうそう,ハネムーン中の旦那の反応が普通の人っぽくて,いい描写だなあと思います.最初苛ついてるんだけど,メグレの話を聞いて「そりゃ大変」とばかりに協力するところが.

しばしば思いますが,シムノンは終わり方が私好みです.このお話も終わりの一文がお気に入りです.


 メグレは放心状態だった。こういうことは彼にはよく起るのだ。この場合、大きな眼でじっと相手を見つめる。だから、メグレを知らない人々は、まさか自分たちがこの眼にただの壁か、幕のようにしか映っていないとは夢にも思わない。

私も良くそんな状態に陥るので,親近感を覚えました.(^_^ゞ

2007/5/3 読書開始 − 23 読了

サン・フィアクル殺人事件

L'Affaire Saint-Fiacre/創元推理文庫 139-5/三輪 秀彦 訳

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サン・フィアクル殺人事件

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最初から最後までメグレはひどくノスタルジックだったように思う.きっとこういう気持ちは,一つ所に生まれ育って住まう場所を変えたことのない人には分からないのではないかなあ.故郷でなくてもいい.「もう二度と住まうことのない土地」に感じる感情なのだろう,これは.一所にいると,こういう感情は起きないのだ.例え,故郷がどんどん様相を変えていっても.

 彼はもちろん人間に対して、なんらの幻想をも抱いていなかった。それでも彼は、幼年時代の追憶を汚す者には激しい怒りを感じた! 特にあの伯爵夫人、まるでおとぎ話の主人公のように気高く美しく見えたのに……

そうなのだ.いつものメグレは人々の様子をじっと眺め,そこに自分を置き,人を理解することに労を傾ける.事件に関わる人間が悲惨であっても哀れであっても,理解するという作業については,メグレの精神はぶれない.しかし,この事件に置いてはメグレは追憶との乖離を感じるたびに幻滅を覚えている.

威厳ある伯爵が健在であったならば,それでも故郷はメグレに感銘を覚えさせたのではないだろうか.ただ,その場合,きっとメグレが帰ってくる理由は起きなかっただろう.

故にか,捜査をしているはずのメグレが傍観者のように見えるのだ.

モーリス.親子関係って,往々にしてモーリスと伯爵夫人のような関係ではないだろうか.しっかりはっきり見える形で示す人たちだけが「孝行息子」になるのだ.でも,そんな人は滅多にいない.だから「孝行息子」は称えられるのだ.たいていの人は,モーリスのように,迷惑を掛けたり,疎遠になったりしていく.愛情が無くなったわけではないのに.そして,どうしようもなくなってから悔恨の涙を流すのだろう.

2008/3/14 読書開始 − 3/17 読了