I Wish Us Both Every Happiness

外はすっかり雪だった。

斜面の上、山の中腹を走る列車が長い汽笛を鳴らして走り過ぎるのが窓の外に見える。それは、昔走っていたというSLを(かたど)ってはいたが、その実、中身は最新式で、もちろん黒煙など吐きはしない。

黒煙がないことはマニアには不評らしいのだが、雪景色の中を黒い車体が走り抜ける様は十分風情があると思う。

「先生」

シーランは呼ばれて振り返った。

呼んだのは、子どもたちの中で一番利かん気の男の子で、Tシャツに半ズボン姿だ。外がどんなに寒くても、部屋の中は空調が暑いぐらいに効いているのだからしょうがないのだが、どうにも季節感がないとシーランは苦笑した。

暖房を弱めるように園長に言ってみよう。

ただ、そもそも室内がこんな温度なのは寒がりの園長に合わせたものだろうから、シーランの申し入れは聞き入れられない可能性が大きかった。

「この人、だれ?」

男の子はさっきからいじっていた端末のモニターを指した。子どもたち数人でなにやら検索していたらしい。

「サンタさんだよね?」

「そんなの、サンタさんじゃないよ」

横から別の子どもに口を挟まれて男の子は口をとがらせた。

「だって、ヒゲもあるし、ぼうしもかぶってる。プレゼント、これだろ?」

「じゃ、なんでサーフィンしてるの?」

口げんかが始まりかけたので、シーランは笑って、絵の横の文字を読み上げてやった。

「『オーストラリアでは十二月は夏です。サンタクロースもサーフィンで子どもたちにプレゼントを届けます』」

「なんでオーストラリアは夏なの?」

「えーと……」

なんと言おう?

「お日様はね、代わりばんこにいろんな場所を暖めるの。こないだはこの辺りを暑っつくなるまで暖めたから、今度はオーストラリアの番」

「来なくていいよ。暑いのやだもん」

「そんなこと言ってると、あんたの好きなカエルもセミも出てこないよ?」

言葉につまった男の子は、ブツブツと出てこなくてもいいよと小声で言ってはいたが、やはりカエルとセミもあきらめかねたらしく、黙ってしまった。

「ね、先生の生まれたところだと、クリスマスはどんなの?」

「そうねぇ……」

シーランはちょっと困ってしまった。クリスマスという行事が重きを置かれるのはやはりもともとがキリスト教国だった地域である。

彼女の国は宗教に関してはずいぶんてきとうで、クリスマスと言えば、おいしいケーキを食べる日でしかなかった。でも、楽しい日ではあったのだ。

「私の家では、クリスマスの日にはおいしい料理を食べて、それから映画を見に行ったな」

「なんの映画?」

「いろいろだったけど、やっぱりクリスマスに関係した映画が多かったな。それからケーキを食べて」

「プレゼントは?」

「もう。あんたたちはそればかり」

「あの……」

小さくおずおずと声を掛けられて、

「どうしたの、イルイ?」

「ドイツのクリスマスは……」

そこまで言っただけなのに、なぜか少女は顔を赤らめた。シーランはクスッと笑った。

「ドイツのクリスマスが知りたいのね?」

「うん……」

ドイツ、と言ったのは、たぶん、ゼンガー少佐がドイツ系だからだろう。

ゼンガー・ゾンボルトという人は軍人で、人型機動兵器のパイロットだ。大戦の英雄で、階級は少佐。いかにも軍人らしい外見で、背丈も高く強面無口ときては、少々話しかけづらい。

なのに、なぜかこの人見知りの少女はその軍人に懐いているのだ。

ゼンガーは遠方の基地に勤務しており、園を訪れることはほどんどない。もっとも、近くにいたとしても、そうそう頻繁には来ないだろう。

その僅かな来訪があると、イルイはうれしそうに彼にくっついて歩くのだ。

対する軍人の方はいつも無表情である。

初めてのとき、シーランは、まとわりつく子どもを鬱陶しく思っているのではないのかと心配し、イルイが怒鳴られたりしないようにと用心しいしい見張っていたものだった。

だが、男が少女を怒鳴ることはなかった。そもそも、ちょっとのことで怒り出すような人物ではなかった。

いつも男は、少女のとりとめのない話を最後までじっと聞き続けるのだった。特に何を言うでもないものの、ずっと話に聞き入っていた。

少女の話は途中で空中分解してしまうことも多かった。自分でもどう終わらせたらいいのか分からなくなって口ごもってしまうことも多々あった。だが、そうすると、男の大きな手が少女の頭に伸びて二度三度となでるので、それが嬉しくて、話の結論はどうでもよくなってしまうらしかった。

厳めしい軍人と小さな少女の組み合わせが面白くて、いまでは、二人を眺めているとシーランの口元は自然とほころんでしまうのだった。

「ドイツねえ……あそこは確か本場だわ」

端末の前に座っている子どもに席を代わってもらおうとしたとき、チリン、と玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」

返事しながら玄関に向かうシーランに、子どもたちが何人かくっついてくる。

「お届物です」

配達の若者が大きな段ボールに積もった雪を払った。

「あら。重いでしょう、置いて置いて」

「いや、かさばってるだけで、見た目ほどは。よければ中まで運びましょうか?」

「助かるわ。中身は何かしら」

「食べ物みたいですよ」

伝票を確かめながら若者が言った。

「じゃあ、居間に運んでもらっていい?――ほら、邪魔しない!」

段ボールにちょっかいを出そうとしている男の子の手をピシリと軽くはたくと、それを見て若者は笑い、段ボールを持ち直した。

「送り主はゼンガー・ゾンボルト……はは、〈剣神〉と同じ名前だ。本人かな」

「そうだよ!来たことあるもん」

子どもに言われて、本当に?とでも言いたげにシーランを見るので頷くと、若者はヒューと短く口笛を吹いた。

「イメージ変わったな。じゃ、指をここに……ありがとう」

シーランが受け取りのPOSに親指を当てるのを確認すると、荷物を下ろした青年は軽々とした足取りで出て行った。

「気をつけて」

それに答えて帽子が一度振られ、配達の小さなトラックは雪道を走りだした。

「先生、はやく開けて、開けて」

「はいはい」

シーランは開けてみて驚いた。

「これ……」

「わ、おかしだ。おかしだよね?」

「うん、そうね……」

お菓子、だとは思う。

白い物、おそらく砂糖がかかった焼き菓子。大きめのパンのようなそれを一本持ってみると、思ったよりはずっしりと重かった。

量が尋常でない。どう考えても、一度に食べきれる量ではない。

シーランはもう一度送り主を確かめた。間違いない、ゼンガー少佐である。

彼はこの園の人数ぐらい知っているはずなのに。近所に分けろとでも言うのか。日持ちしないとそれも難しいだろう。

「やることが普通じゃない……」

シーランは小さく呟いたのだが、のぞきこんだ子どもたちは、すごい、すごい、と単純によろこんでいる。

「何を騒いでるんです?」

「ああ、園長」

「見てみて。おかし。こんなにいっぱい」

「ゼンガーさんが送ってきたんですが……」

困り切ってシーランが園長に箱の中身を見せると、園長は鼻眼鏡を上げ上げ中を覗いて、ゆったり笑みを浮かべた。

「まあ、シュトレン。ちゃんとみんなの分あるみたいね」

「量が十分なのは分かるんですけど、これはちょっと……」

「ローソクも入っているのね。ふふ、ちょっとずつ食べてクリスマスを迎えましょう」

「園長、あの……」

「あら、知らない?」

「いいえ……」

「なんでもね、ドイツでは一ヶ月前からクリスマスの準備をして、静かにクリスマスを待つんですって。シュトレンは期間に少しずつ食べるのだそうよ」

「日持ちはするんですか?」

「もちろん」

「ああ……そうなんですか」

シーランは早とちりしたのをちょっと恥ずかしく思った。

「私もキリスト教とは縁遠いけど、これは憧れたのよねえ」

感慨深げに箱からシュトレンを取り出すと、園長はめっきり皺の多くなった顔いっぱいに嬉しそうな笑みを作った。

「あ、園長、これ」

段ボールの横に張り付くようにして手紙が入っていた。「園長殿 親展」と書いてある。

「いまどき紙の手紙なんて……」

「ふふふ、風情があるわねえ」

園長はにこにことしたまま鼻眼鏡を持ち上げて、封を切り、すばやく中を見て、シーランにだけそのうちの一枚を見せた。有志一同による寄附を送金した旨、クリスマスのプレゼントについては、物品と贈る日について有志内部で意見の一致を見なかったので、送金した金を使って適切な物を適切な日に渡してほしい旨が書かれている。

「園長先生、何書いてあるの?」

「はいはい、ちょっと待ってね。『時季になったので、シュトレンを送る。これは友人に焼かせた物で――』」

「友人って?」

「レーツェルさんだと思う……」

イルイが言うと、すぐに反論が起きた。

「レーツェルって〈黒い竜巻〉じゃないか。パイロットだろ?」

「パイロットだけど、おりょうり上手なの。すごく楽しそうに作って、すごくおいしいの」

「イルイ、食べたことあるの?」

「うん……」

「いいな。ずるい」

「はいはい、だから、みんなで食べましょうね」

「先生、続き続き」

「手紙の?『――友人に焼かせた物で、間違いなくうまい』」

シーランはその断言調がおかしくて、おもわず吹き出して、慌てて口を押さえた。

「『待降節(アドヴェント)の間に皆で分けられたい。子どもたちにあってはクリスマスまで――』」

そこで園長の読み上げが止まった。

「園長?」

シーランはのぞきこんで、とてもこらえきれなくなった。おなかがひくひく震える。たぶん、まなじりを手で擦っている園長も同じ気分だったに違いない。

「せんせぇ!!」

「クリスマスまで……悪いことしちゃ……ダメだって」

震える声でシーランは言ってやったが、笑いがどうしても止まらなかった。

手紙は堂々たる文字で「悪行を犯さぬよう心するように」と結ばれていた。

やっぱり普通じゃない、とシーランは思った。

――悪いことしたら悪を断ちに来るのかしら。

「先生、なんで笑ってるの?」

「ううん、なんでもないの」

それから、子どもたちにせがまれるままに、みんなでシュトレンを壁際に並べた。段ボールの中には、一緒に大きなローソクが四本入っていた。そのうちの一本に火を灯すと、飾り付けもしていない室内でさえ、やわらかい物が漂うようだった。

それは和やかなひとときだった。

だから、イルイが少し寂しげにしていることには誰も気づかなかった。

シュトレンを切り分ける時間は、子どもたちのちょっとした楽しみになっている。

「ずるい、そっちのが大きい」

「先生、へただな」

「う、うるさい!」

「じゃんけんだよ、じゃんけん」

よこからやいのやいの言われながら薄く切っていく。口ではいろいろと言っていても、それはシーランにとっても楽しい時間だ。

切り分けた後に大きな声でじゃんけんをして、それぞれの取り分を決める。

皆が自分の皿を持って席に着くと、園長が厳粛な面持ちで二本目のロウソクに火を点けた。それから、園長は、いただきます、と宣言するように厳かに言った。

子どもたちが静かになるのはそれについて、いただきます、と唱和するときだけで、後は、また、わあわあ大騒ぎである。

イルイは自分のシュトレンと、まだ壁際に並んでいるシュトレンを見比べて、

「小さくなってっちゃう……」

と、ぽつり、つぶやいた。

「食いしん坊だったんだな、イルイ」

横に座った男の子が言ったとたん、イルイの目にじわりと涙が浮かんだ。あわてたのは言った方だ。

「なんで泣くの?ねえ?」

気が付いたシーランが二人の所にやってくると、

「ちがうよ、ぼくのせいじゃない!」

言うなり男の子はすばやく逃げてしまった。そちらの対応は後にすることにして、シーランはイルイのそばに座った。

「本当にちがうの……」

目をこすりながら言うイルイにシーランはうなずいてみせた。

「どうしたの?」

「分からない……」

イルイはそう言って、目尻に残る涙をこすりあげた。

シーランはその両肩に手を置いて、

「大丈夫?」

うん……、とイルイは頷いた。

「せんせー!!」

「はい!……ちょ、何やってんの!ベタベタじゃない!」

シーランはもう一度イルイを見て、その頭をなでてから、呼ばれた方に飛んでいった。

イルイはおとなしく自分のシュトレンにフォークをさしいれた。

食べ終わったころ、男の子が戻ってきて、自分の皿をイルイに差し出した。

「あげる」

皿には焼き菓子が一口だけ残っている。

「ありがとう……」

食べたかったわけではなかったが、男の子が心配しているのは分かったので、そう言った。

イルイはそこでちょっと笑い、またちょっと泣いた。

今年は雪が多い。

今日は皆で手分けして雪かきだった。

ざっと入り口と道とを確保したところで見切りをつけて屋内に入る。

子どもたちはまだまだ元気だったが、シーランはくたくただった。

しょうがない。子どもたちにできるのはせいぜい雪を崩すぐらいで、それを融雪溝に放り込むのはシーランの仕事だったからだ。

途中途中で融雪溝をのぞき込もうとする子どもを叱ったり追い払ったりしながらの作業で、まだ眠る時刻ではないのに、シーランは眠くて仕方がなかった。

「先生、大丈夫?」

女の子たちが何人か声をかけてきた。

「ん……ちょっと眠いかな……」

「寝ててもいいよ」

「あらー、やさしいのね。でも、おとなしくしてられる?」

「できる」

「おとなしくする」

シーランが笑みを作ったとき、

「その前に、おかし切ってー」

「ゼンガーさんのおかし!」

別の子どもたちが壁際に並んだシュトレンを指さして騒ぐので、シーランはため息をついた。

「分かったから!」

三本目のローソクが灯り、シュトレンはずいぶん小さくなった。

シーランはすばやくイルイを盗み見た。

――やっぱり。

金髪の少女は寂しそうな表情を浮かべていた。

分かるような気はする。

イルイはゼンガー少佐に会いたいのだ。でも、一カ月前に来た手紙には来訪を告げるようなことは書いていなかった。子どもたちに宛てたメッセージはあったが、「イルイ」の文字はどこにもなかった。

分かっている。

ゼンガー少佐は独り者で、戦いがあれば先陣を切るパイロットだ。小さな子どもを引き取れる環境ではない。

そして、ゼンガー少佐は、この園にいる以上イルイ独りを特別視するわけにはいかないと思っているらしい。

かわいそうだと思っても、シーランにはどうしようもない。

パンを切るナイフを取りに行こうとしたとき、いそいそと園長が居間に入って来た。

「園長、どうかしました?」

「月から連絡があって」

「月?ゼンガー少佐ですか?」

期待を込めて訊くと、園長はうなずき、それから子どもたちの方を向いた。

「皆さん、ゼンガー少佐から連絡がありました。クリスマスに来るそうですよ」

「ほんとう?」

少女は、はた目にはっきり分かるほど目を輝かせた。

「また泊まってってくれるの?」

「ええ」

「イルイ、ダイゼンガーに乗ってきてってたのんでくれよ」

「こーら、無理なこと言わない!」

「いいじゃん。乗ってみたい」

「だめよ。ダイゼンガーはゼンガー少佐のものじゃないんだから」

「ゼンガーさんのだよ」

そんなことも分からないのかとでも言いたげな口ぶりに、シーランが言い返そうとしたとき、イルイが珍しく口をはさんだ。

「あのね、ゼンガー、乗せてくれないと思う……」

「なんで?」

「がんばらないと乗れないの。ダイゼンガー」

「ゼンガーさんでも?」

「うん。まいにち『しゅぎょう』してたもの」

「『しゅぎょう』って何するの?」

「分からない……。見せてくれなかったから……」

「ひみつ?ひみつのしゅぎょう?」

「うーん……」

イルイは困ったような顔をした。

「ひみつじゃないみたいだったけど、見たらダメだって。こわくなるからって、ゼンガーが……」

「ぼく、こわいの平気だ。今度見せてもらおう。それで、がんばって、ダイゼンガーに乗るんだ」

「ぼくも」

イルイはうん、とうなずいた。

「がんばったら、なんだってできるもの……」

少女はいつになくよくしゃべり、それは幸せそうに見えた。

外は真っ白だった。

雪は町を覆い、なおもまだ静かに降り積もる。もともと雪の多い山里だが、今年は特にひどい。

ホワイトクリスマスはいいんだけど……

壁際にならんでいたシュトレンはもうなくなっている。

出窓に並んでいた大きなロウソクは四本目。それもだいぶ短くなっている。

「ゼンガーさん、いつ来るの?」

「そうねえ……」

予定ではもう一時間は前に着いているはずだった。そうして、イブを共に過ごせるはずだった。

だが、ニュースはさきほどからSLのダイヤの乱れを告げている。あの山の中を走るSLが唯一の交通手段なのだから、到着はいつになるか分からなかった。

「ざんねんだけど、明日になるんじゃないかな……」

シーランはもういちどニュースを確かめた。一番近い乗り換え駅の様子が映し出され、運休により後の列車に回された乗客でごった返していた。

この分だと、SLに乗れるかどうかも分からない。

「あなたたちは、もう寝なさい」

「やだ。待つ」

「いい子だから。明日、ゼンガーさんが来たとき、寝てたら、きっとがっかりするよ」

もう眠い目をこすっていた子どもはともかくとして、ぐずったりだだをこねたりしている子どもに手を焼いた。

イルイはがっかりしているようだったが、自分でちゃんとベッドに入った。

シーランは子どもたちを寝かせてしまうと、居間の灯りを消し、事務室に入った。園長もちょうど部屋に入って来て、暖房を強めた。

相変わらず寒がりなんだから……

「ゼンガーさん、うまく宿が取れてるといいけど」

「そうね。ホテルはきっと満室でしょう」

ニュースをつけっ放しにして、ふたりで仕事をこなす。

ニュースの音と、暖房の音。

ふたりが端末を叩く音と、時計の音。

雪の降り積もる外の世界と、暖かい部屋の中は切り離されている。

一時間ほどしただろうか。

キィィィ……

ごくわずかな音だった。だがそれは、遠くから空気を貫いて、外と中とを結び付けた。

二人は顔を見合わせた。

シーランは席を立ち、隣の部屋へ行って、そこに白い物が動いたことに驚いた。

「イルイ!びっくりした!」

「ごめんなさい、眠れなかったの……」

そう言うと、イルイは出窓のところにあるソファから立ち膝になって、また外を見た。

シーランはイルイが何を見ているか気がついた。ロウソクの火ではない明かりが、窓の外に見える。

「なにかしら……」

「シーラン!」

隣の事務室から園長が呼んだ。普段のおっとりした調子がそこにはなかった。

シーランはすぐとって返した。イルイもいっしょについて来る。

「園長、どうしたんですか?」

「見て。SLが脱線したと……」

シーランはイルイが青くなるのを見て、後悔した。

失敗した。すぐに部屋に連れて行って寝かせるべきだった。

「先生……ゼンガーは……」

「乗ってない。きっと乗ってない」

すぐに言ったが、イルイは不安げなままだ。

「イルイ、いらっしゃい」

園長が自分の隣のいすをポンポンと叩いた。

「いっしょに待ちましょう」

このままでは、とても眠れたものではないと判断したのだろう。園長はイルイにニュースを見ながら待つことを許した。

「シーラン、暖かいものを何か……」

「はい」

シーランは台所に行くと、自分と園長にお茶を、イルイにホットミルクを作り、事務室に戻った。

園長が夜着のイルイに自分のケープをかけていた。イルイは肩からすっぽりと大人用のケープにくるまって、じっと口を結んでいた。自分の前におかれたミルクにも手を伸ばそうとはせず、食い入るようにしてニュースを見ている。

園長はシーランにお茶を手渡されたときに静かな声でありがとう、と言ったきり黙り込んだ。

シーランも黙って椅子に座った。

〈ただいま、救助活動が開始されたとの情報が――〉

〈詳しいことは情報が入り次第――〉

ニュースの展開は緩慢で、アナウンサーが何度も何度も同じことを繰り返した。

それは、行き詰まるような時間だった。

ニュースの音と、暖房の音……

どれほど時間が経っただろう。

〈現場からの中継です〉

新たな映像に、三人そろって注目した。それは、救助されたらしき親子連れで、唇まで青くなった若い母親が興奮気味にしゃべっていた。

〈わたし、車両のいちばん端の席で……〉

ぎゅっと子どもを抱きかかえたまま、誰かにどうにか伝えようと、順番もめちゃくちゃにしゃべっていた。

〈人が外に落ちたんです。わたしとこの子をずっと支えていたんですけど、最後の最後で手が滑って……!わ、わたしたちの身代わりになったんだわ……!〉

〈落ち着いてください、奥さん〉

〈『剣神』でした!ゼンガー少佐でした!〉

「イルイ、待って!」

とたんに部屋の外に飛び出したイルイをシーランは懸命に捕まえた。

一人残された園長は、画面に流れた「行方不明、一」の文字を悲しく見つめた。

シーランとイルイは居間のソファに並んで座っている。

天井の照明はつけないままで、明かりは出窓に置いたロウソクのともしびだけだ。

イルイはその灯火(ともしび)をじっとみつめて、ときどき、すすりあげた。

シーランは隣にすわって、その小さな肩を抱いていた。

凍えた窓の隅に、雪がくっついている。窓の外に雪は降り続いている。

「わたしのせい……」

イルイがそう言ったのは、ずいぶんたってからだった。

「どうして?」

ごく小さな声でシーランはきいた。

どこから何を話していいのか分からなかったらしい。イルイが再び話をするまでに少し間があった。

「おかしを送ってくれたとき、うれしかったけど……」

とても小さい声でイルイは言った。

「わたしだけのおとうさんになってくれないかと思ったの。みんなのじゃなくて。ゼンガーはみんなにくれたのに……わたし……わたし……わがままだって分かってたけど、でも……」

シーランはイルイの肩に置いた手にほんの少しだけ力を込めて、イルイが続きを話すのを待った。

「がんばったらなんでもできるって思って……でも、何をがんばったらゼンガーがおとうさんになってくれるか分からなかった……」

イルイはそこでしゃくりあげ、ロウソクを見ながら言った。

「何かちがうと思ったんだけど……がんばっておいのりすることにしたの……ゼンガーをおとうさんにしてくださいって……おいのりしたの……まいにち、夜ねる前に……おいのりしたの……」

ロウソクの明かりがゆらゆら揺れた。

「そうしたら、ゼンガー来るって……!」

来る、という言葉を言ったとき、わずかにイルイの声に力がこもった。

「だから、きっと、おねがいごとが通じたんだって……。おとうさんになりにきてくれるんだって……思ったの……」

イルイの身体が震えている。

「そうしたら……汽車が……」

「違う、イルイ、あなたのお願い事と事故とは全然――」

「わがままなおねがいしたから、ゼンガーが……!」

「違う。そんなことない。そんなことがあるわけがない」

シーランの言葉がイルイに届いていない。結び付いてしまった原因と結果が、イルイの頭から離れないのだ。

泣き続けていたイルイだったが、瞳にたまった涙がまた一段ともりあがった。

「おとうさんじゃなくていい、おとうさんじゃなくていいから……ゼンガー、帰ってきて……!」

やっとのことでそれだけ言うと、イルイはもうポロポロと涙を流すことしかできなくなってしまった。

事務室では、まだ園長がニュースを見ていた。

「イルイは?」

「寝ました。泣き疲れて眠ってしまいました……」

他の子が起きてしまうと思ったので、シーランはイルイを別な部屋――ゼンガーが泊まるために用意した部屋だ――に連れて行き、そこでイルイが眠るまで付き添った。

「何か情報は……」

シーランの問いかけに園長は静かに頭を振った。

「私たちも眠りましょう。あなたも疲れたでしょう、シーラン」

「いえ、大丈夫です」

すると園長はまた頭を振った。

「いいえ、シーラン。自分では分からないかも知れないけれど、ひどい顔をしていますよ。よくお眠りなさい。子どもたちには私から明日話すから」

「はい……」

二人は事務室を出た。

シーランはいつものように戸締まりを確認して回った。

居間の出窓にまだロウソクの灯が揺れている。イルイがそれを見つめていたのを思い出して、シーランも悲しくなってしまった。

気を取り直して、玄関の戸締まりを確認したときだった。

コツコツ。

ためらうような小さな音だったが、シーランは突然おどかされたように息を詰めた。

コツコツ。

確かに扉を叩く者がいる。

「だれ?」

小さな声で訊いてみて、これでは外に聞こえないと思い、決心して、はっきり言った。

「どなたですか?」

「夜分に申し訳――」

声を聴いた途端、シーランは相手が言い終わらないうちに扉を乱暴なくらい急に開けた。

「ゼンガー少佐……!!」

それだけ言うと、イルイの涙がうつったようにシーランは両手を口にあてて、涙を浮かべた。

外に立っていたコートの男はそんなシーランを見下ろして、戸惑ったような顔をした。

「シーラン先生、でしたか」

うんうん、と両手を口に当てたままシーランは頷いた。

「申し訳ありませんが、連絡を入れたい場所がいくつかありますので、電話を貸していただけませんか」

「はい!……はい!」

シーランはゼンガーを中へと招き入れ、今、消したばかりの事務所に明かりを灯した。

男は若干、足を引きずっていた。

物音を聞きつけて園長もやってきて、ゼンガーを見るなり、息を詰め、それから吐き出した。

「ゼンガー少佐。よくご無事で」

「申し訳ありません。少々面倒があったのです」

少々で済ませる気だ、この人は。

シーランは泣き笑いの顔になった。

〈ゼンガー少佐!無事でしたか!〉

ゼンガーが連絡を入れたのは基地だった。画面に映った相手の声が嬉しそうに弾んだ。

「ああ。今、目的地に到着した。事故があってな」

〈ええ、連絡来てます〉

「各所への連絡を頼みたいのだが、いいか」

〈もちろん!警察にも鉄道会社にもマスコミにも!〉

そこでゼンガーは眉根を寄せ、ゆっくり言った。

「居場所はできれば……」

〈分かってます、せっかくの休暇ですからね。必要最小限にしておきますよ。少佐、それよりお怪我は?〉

「たいしたことはない。捻挫と擦過傷、その程度だろう」

〈いずれにせよ、後の処理に必要になります。傷の程度を確定するため、医師の診察を受け、データを電送してください〉

「了解した」

ゼンガーは通信を切ると二人を振り返った。

「夜分にお騒がせして申し訳ない」

「いいえ――そうだ、イルイに!」

「眠っているのならば、起こさずとも――」

「ダメです。泣きながら寝たんですから。泣きながら眠るって、すごく冷たくて侘びしくて、悲しいものなんですよ。そうでしょう?」

シーランはそう言うと、ゼンガーの腕を引っ張った。とたんに、相手が顔をしかめたので慌てて手を離した。

「ご、ごめんなさい。怪我に?」

「いや。たいしたことはない」

「医者には私が連絡をします。病院に行くタクシーが来るまで少し時間があるでしょう。早く顔を見せてあげてください」

園長もそう言ったので、ゼンガーは頷き、事務室の入り口に待つシーランについていった。

イルイが眠る部屋を開けると、シーランは仕草でベッドを指し示した。

ゼンガーは明かりは点けずに薄闇の中を静かにベッドに近寄り、イルイが眠る様を眺めた。それから、確認するようにシーランの方を見たので、シーランは起こして、と言うつもりで頷いた。

ゼンガーはイルイの耳元に顔を寄せ、ためらいながら呼びかけた。

「イルイ……」

「……ん……」

寝苦しそうに寝返りをうった少女に、もう一度呼びかける。

「イルイ」

少女のまぶたが動いて、うっすらと目が開いた。それから、パチパチとその瞳が(しばた)いたかと思うと、大きく見開いて,イルイは身を起こし、ゼンガーの首筋に抱きついた。

「ごめんなさい……!」

面食らったような顔をしながらも、ゼンガーは少女の背に腕を回した。

「イルイ?」

体格の良い軍人には軽いその身体を抱きかかえながら、ゼンガーは考え込むような面持ちになった。

事情を知っているシーランには少女の第一声が「ごめんなさい」だったのが、痛ましかった。

ゼンガーはベッドの端に座り、しばらく、イルイが泣くのに任せた。

そして、頃合いを見て、囁いた。

「後で来る。一人で眠れるか」

「うん……」

「いい返事だ」

ゼンガーはベッドにイルイを横たえると、寒くないようにとイルイの肩まで掛布を引き上げ、具合を見た。それからシーランに目配せし、来た時と同じように静かに部屋を出た。

事務室に戻る途中、ふとゼンガーは立ち止まった。

シーランは男が居間の出窓に灯るロウソクを見ているのに気がついた。

「少佐が送ってくださったものです。みんな、喜んでいたんですよ」

「そうか」

「本当に怪我はたいしたことないのですか?列車から滑り落ちたとニュースでは……」

「幸い、山の斜面は雪のため柔らかかったため、怪我はたいしたことがなかったのです。ただ、足場になる雪が崩れるのでどうしても上に戻れなかった。それで、降りることにしたのです。というよりも、半ば雪に巻き込まれて滑り降りざるを得なかった」

「ここまで……!この雪では方向も分からなかったでしょうに」

「……道は分かったのです」

「え?」

「妙なことを言い出すと思うでしょうが――」

珍しくゼンガーは口籠もった。

「――あの灯りが視えたのです」

ゼンガーはもう一度ロウソクを見た。それはイルイがずっと見つめていたロウソクだった。

「で、でも……」

この園から山までに建物はいくつもある。雪は降り続けて視界を覆っている。山には木々がある。なのに――

視えたのです、と至極真面目な顔をして背の高い軍人は繰り返した。

小さな灯りはそれに答えたかのように、ゆらゆらとやわらかく揺れたのだった。

2006.12.24 初稿

補足説明

自分で書いてて自分で悲しくなってしまった私を罵倒する権利がここまで読んだ方々にはあります.

「戦争が終わったらゼンガーがおとうさんになってくれる」と思ってたのに,なってもらえないまま今に至る,と思うと,もっと悲しくなるんですが,いかがでしょうか.

まだ続きがあったんですが,想像はどんどん悲しくなっていきました.どうしようと思ったんですが,ここで切っておけば,まだ悲しくないと気づいたので,ここで切り上げます.

これ以上悲しくしてってどうするんだ.そんな話,誰も読みたくないよ!悲しいの禁止.バカヤロー解散.

ええ,実は悲しい話大得意.放っておくと登場人物を不幸のどん底に叩き落とすので,極力書く時は避けてます.

気づいたんですが,(自分が書く話なら)ゼンガーあたりがどんなひどい目に遭おうとさっぱり悲しくないんですが,イルイが可哀相なのは悲しくなると分かりました.

そもそもこの話は,去年のクリスマスに何か書こうかなあと思った時に最初に思いついたネタです.その頃,私は3次αをやりだした頃でした.

「クリスマスか〜,戦後がいいかな」→「ゼンガー,ひとりもんだから引き取れないなあ」と思った瞬間,イルイが「おとうさんじゃなくていい、おとうさんじゃなくていいから!」と泣いていました(私の頭の中で).

「クリスマスなのに何悲しい話考えてるんだ」と慌てて違うネタを持ってきたのも分かっていただけるかと.

それからずいぶん経って,3次α終わってみたら,ゼンガー,あっさり引き取ったよ.欲しいものまとめて鷲づかみ.ブラボー,オフィシャル.

戦場に生き,戦場で死すとか言い出しそうだと思っていたので,「吹っ切れちゃったみたいだよ,この人」と思いましたよ.欲しいもの欲しいって言わないと貧乏くじばかり引くって悟ったか.

ところで,シュトレンて←こんなだ.すんごく無骨.

書き出してみて,なぜ前編が微妙にギャグになったのか分からない.一番ひどい目に遭っているのはDie schwarze Trombe氏のような気がするのだが,気のせいか.まあ,段ボール一箱分のシュトレンぐらい,友のためなら笑って焼いてくれるだろう.