第五章

Du Doppelgänger, du bleicher Geselle!
Was äffst du nach mein Liebesleid,
Das mich gequält auf dieser Stelle
So manche Nacht, in alter Zeit?

Aus "Der Doppelgänger" Heinrich Heine

汝、我が写し身よ、蒼ざめし者よ
などて我が想いまねぶか
かつてこの地にて
夜毎我を苛みし想いを

ハインリヒ・ハイネ『写し身』より

そこに鏡像が座っていた。

鏡像はゼンガーを目だけで見上げると、ひとこと呟いた。呟くなり咳き込み、大量に血を吐いた。見る間に顔色が悪くなり、力を失って目が閉じられる。

死にかけている。

ゼンガーは最初の衝撃から我に返った。

「ゼンガー少佐!」

呼びかけに下を見ると、着地したドラゴン号から竜馬が身を乗り出していた。

「……パイロットは!」

多少、ためらうような素振(そぶ)りがあるのは、中にいるのが誰かを知っているからであろう。

「出血が激しい。意識はない」

「すぐに運びます!」

「いや、下手に動かさない方がいい。救護設備のあるシャトルを寄越せないだろうか。ラー・カイラムはどうしている?」

「今、隼人と弁慶が様子を見に行きました。ネート博士はミチルさんが」

「感謝する」

ラー・カイラムで指揮を執っていたのはブライト大佐だ。なればこそ、あの砲撃が解せない。この男の正体を知っていたからこそ、通信で呼びかけ、着艦口を開いたのだろうに、なぜ攻撃の意志の無い人間を警告無しに撃ったのか。それは、ゼンガーの知るブライト・ノアとはおよそかけ離れた行動だった。

「ゼンガー少佐、シャトルが来ます!」

ラー・カイラムから赤十字をつけたシャトルが飛来した。コクピット近くに静止して開口部が開くと、すぐにストレッチャーが伸ばされた。その横で半ば身を乗り出したのは弁慶で、ストレッチャーの反対側から顔を出した隼人が竜馬に合図を送った。

すぐにゼンガーはコクピットから男を引きずり出してストレッチャーに乗せた。男の大量の出血で、ゼンガー自身も血(まみ)れになった。

「隼人、ラー・カイラムの状況は?!ブライトさんはなぜ……」

「砲手は捕まえられた。詳しいことは後だ。リョウ、お前も来い」

「分かった」

「少佐も」

「ああ」

ダイゼンガーを着艦させ格納庫に降り立つと、先に来ていたシャトルからストレッチャーが降ろされ、救護班がその回りに群がっていた。

ブライトが早足で現れたのはその時だった。

ブライトは、血(まみ)れで立っているゼンガーを見て戸惑ったような顔をした。が、すぐに救護班員が忙しく動いているベッドに気づき、声をかけた。

「どうなんだ」

「死にかけてます!」

邪魔しないでくれとでも言いたげにつっけんどんな答えが返る。

「リョウ君、彼はやはり……」

「ええ。間違いないと思います。乗機があれですし」

「何が起きたかは言っていなかったか?」

「僕が見た時はもうこの状態で……。隼人、シャトルの中で何か?」

「いや。すでに意識はなかった」

弁慶も合わせて首を振る。

ブライトは決心したようにゼンガーを見た。

「ゼンガー少佐、コクピットを開けた時に彼は何か……」

彼、という単語がぶれたのは自分を気遣ってのことだろうとゼンガーは思った。

「いえ、取り立てて有用なことは。単なる感想に過ぎないことをひとこと漏らしたのみです」

「何と?」

青ざめた者(ブライヒャ・ゲゼレ)と」

「?」

「詩の一節です。ハイネの。題は『写し身(ドッペルゲンガー)』」

二重に歩く者(ドッペルゲンガー)……」

「艦長、レディコマンドです」

少し離れたところに正確に静止した白い戦闘機に整備員が梯子を掛けている。

機敏な調子で機体を降りたパイロットに続いて、ソフィアの姿が見えた。ゼンガーは大股で近づいた。

足元に気をつけながらロングスカートの裾を持ち上げ降りて来たソフィアは、冷静ではあったが、医師が立ち働くベッドと血塗(まみ)れで立っているゼンガーを見比べて、一度、足を止めた。

「あれは……誰なのですか?」

青白い顔をして掠れた声を出すソフィアに、ゼンガーは手を差し伸べかけ、血だらけの自分の手に気づいてやめた。

「あれは自分です」

はっとなってブライトはゼンガーを見た。

「ゼンガー少佐、あなたは知っているのですか?」

「報告書を見ました。あれは、あなた方が会った『そうなるはずだった』自分だと推測しますが?」

「……おそらくは」

封印戦争から共に戦って来た者たちが敢えて隠してきた心遣いを慮って、ゼンガーは自分が〈未来〉を知ったことを黙っていた。

また、ゼンガーがソフィアに(未来)を語ることは無かった。この世界においてもプロジェクト・アークは完遂しなかった。既にそれに対して痛手を負っているソフィアが、分かたれた未来を知ることをゼンガーは望まなかった。

「輸血を!」

「組織培養の必要がある!適合者を検索しろ!」

指示に動きかけた救護班員にゼンガーは言った。

「俺を使え」

ゼンガーと横たわる男を見比べて、相手は驚いたような顔をした。

「あの……?」

「縁の者だ」

面倒を避けて短く答えた。DNAを調べられればすぐに分かる話だ。双子とでも言っておいた方がよかっただろうか?

「ブライト艦長、後でお話を伺いたい」

「分かった」

ゼンガーは傍らのソフィアを見た。

「私は大丈夫です。まずは、彼を」

しっかり頷くと、ゼンガーは医務室へと動き出したストレッチャーについて歩きだした。

医師による検査を終えてからソフィアがまずしたことは、家に連絡を入れることだった。

「イルイ、しばらく私もゼンガーも帰れないかもしれません。大丈夫?」

「うん」

「すぐに誰かよこすわ」

「あのね、ゼンガーがミナキさんとトウマさんを呼んでくれたの。あと、マイさんとかアヤさんとか……」

「え?そんなに大勢?」

「ううん、かわりばんこ」

「そう。みんなに私たちは無事だと伝えてくれる?」

「うん。あのね……」

「なあに?」

「イージーさんが心配してた」

「あら、そう」

「連絡してあげてね」

「ふふ、すぐするわ。ありがとう」

金髪の少女がモニタから消えても、ソフィアの唇に浮かんだ微笑はしばらくほのかに漂っていた。

自分たちには過ぎた子だ。

笑みを納めると、ソフィアはイルイと約束したとおりすぐに調査班ベースを呼び出した。

「ネート博士、無事だったか!」

通信が繋がるなり、イージーは挨拶も抜きにそう言った。

「実は、娘さんのことをすっかり忘れていたんだ。考えてみたらネート博士もゼンガー少佐もアースクレイドルにいるんなら一人で居ると後になって気が付いてな。けっこう経ってしまってから」

「仕方がないわ。博士はアースクレイドル周りを調査しようとしていたのでしょう?」

「ああ。突然出現したこと自体が不可解なのだが、機器が壊れたり、通信が効かなくなったり、訳が分からんよ」

「何か分かったことは?」

「いや。そもそもあれだけの物が突如出現したのだ。空間の歪みとその余波だとは思うんだが、定かなことは。私の専門分野からは外れるから、別班を編制して時空屋に仕切りを任せているんだが、データ取り自体が難しくてはかどっていない。それで、煮詰まっていたときに娘さんのことを思い出したんだ」

「そうだったの」

「びっくりしたよ、てっきり一人でいるんだと思ってたら、娘さんは少佐と一緒にいると言うんで。私は博士こそがゼンガー少佐と一緒にいるんだと思っていたものだから。通信機の前にゼンガー少佐を呼んでもらうまで信じられなかったよ」

「そう……」

「それで、齟齬に気づいて、ラー・カイラムに連絡を取ったんだ。幸い、ブライト艦長は別ルートでアースクレイドル周辺に地下勢力の機影が確認されたという連絡を受けて、既に出発してはおられた。……ネート博士、あなたは結局誰と一緒にいたんだ?」

本当に、あれは誰だというのだろう。会った時から挙動がおかしいとは思っていたのだが、不審が募り不安に駆られても、最後の最後のところで、彼は「ゼンガー」としか感じられなかったのだ。

「……ゼンガーだとゼンガーは言ったわ……」

呟くと、イージーは怪訝な顔をした。

「博士?」

「このことは誰にも言わないでもらえないかしら?私にもよく分からないのです。何か大きな出来事が背後にあるらしくて」

「軍がらみか?……ブライト艦長は何か知っておられるようだったが」

「たぶん。調査班の人たちはうまくごまかしておいてもらえると助かるのだけれど」

「それは難しい。だいぶ騒いだからな。すまない」

「仕方がないですね、それが普通の反応だと思います。では、せめてそれ以上広がらないようにしていただける?」

「努力する。調査の方は?」

「続けてください。ただ、中には入らないで。襲撃を受けたのです」

「襲撃?!」

「それについても、よく分かりません。相手も目的も。どうせ、かなり大規模な修復を施さないと内部データを取るのは難しいわ。場合によっては連邦軍との共同作業になるかもしれません」

「軍か……」

嫌そうな顔をしたイージーをソフィアはなだめた。

「ブライト艦長は話の分からない方ではないと聞きます」

「私はブライト大佐のことを心配しているんじゃない。ただ、ブライト大佐も連邦軍に籍を置くからには、立場的に我々の要望すべてを受け入れられるとは限らないと思うんだ。今回の調査だって、所有権がどうのとか主導権はどうのって揉めたじゃないか。だいたい、博士の救助を要請したのに中々動かなかったのだって――」

「軍は渋っていたのですか?」

「ああ。許可なく勝手に入ったのが悪いとか何とか。人命救助にあたってそんなこと言うか、普通。だいたい、博士がアースクレイドルに入るのに誰の許可が要るって言うんだ?しかも、博士がクレイドルに入ったのは不可抗力じゃないか」

ソフィアは身振りでイージーの言葉を止めた。

「あまり不満ばかり言っても仕方ありません。それぞれにそれぞれの立場があるのですから」

この通信もどこで盗聴されているか分かったものではないのだし、と心の中で付け足す。いずれ、面倒な折衝が必要になるかもしれない。

「しばらくそちらへは行けないと思います。毎日連絡を取るようにはしますけど、不在の間の調査を頼みます」

「分かった。では」

通信が切れ、モニタが暗転したのを見計らったかのように、ノックの音がした。

「どうぞ」

入ってきたのはゼンガーである。さすがに血塗(まみ)れだった衣服は着替えている。

「ゼンガー。あの……あの人は?」

どう呼べばいいのかよく分からなかった。

「医師の話によれば、予断を許さない状況です。出血と内蔵の損傷とで」

「あなたも、顔色が悪いような気がするのですけれど」

「かなり血を抜かれたからでしょう。体組織も取られました。培養して何かに使うとか。自分は医師ではないので詳しいことは分かりませんが」

ソフィアは手を伸ばして、そっとゼンガーの頬を触った。その手を引き寄せられ、抱き寄せられる。

「ソフィア……大丈夫か?」

押し当てられた胸板全体を通して、低く声が響いた。ソフィアはしばらく頭をつけたまま、男の鼓動を聞いていた。少しして、揺るぎない声を出せると自信がついてから、

「ええ」

と頷く。

ゼンガーは両手をソフィアの腕に添えて少し身体を離し、見通そうとでもするようにソフィアの目を見た。この鋭い視線を欺くことは難しい。だからこそ、ソフィアは落ち着いたと自分に自信が持てるまで待ったのだ。

しばらくしてゼンガーは頷き、添えていた手を離した。

「博士、お見せしたい物があります」

ソフィアは疑問を差し挟まなかった。必要のないことはしない男である。案内するように歩き出したので、そのままついていくと、

「ライブラリー?」

「はい。ブライト艦長に閲覧の許可はもらいました」

二、三、操作をしてゼンガーはソフィアに席を譲った。

『地下世界に関するデータ〜現代世界と未来世界の戦力比較〜』

「未来世界……?」

ゼンガーが控えるように背後に立っているのを感じながら、ソフィアはデータに目を走らせた。

アンセスター、イーグレット、メイガス、スレードゲルミル、そして、ゼンガー。

ソフィアは手を止め、一度大きく息を吸った。

「では、彼は……」

「おそらくその資料にある分かたれた未来からこちらに来たのではないかと。少なくとも、ブライト艦長やアムロ大尉はそう考えているようです。それに、自分も」

「……あなたが『あれは自分だ』と言った意味が分かりました」

「その記録は、あくまでもブライト艦長たちが調査・分析した結果しか書かれてはいません。おそらく、敢えて記録から排除したこともあるでしょうし、結局のところ、アースクレイドルに起きた真実を知るのは――」

「――彼だけ、ということね」

「はい」

「あなたはこの未来を知っていたのですね?」

「封印戦争のおりにこの資料だけは見ましたが、詳しいことは聞いてはおりません。αナンバーズには未来に行った者たちが多かったにもかかわらず、私には何も語りませんでした。語らずに、彼らは私に力を貸してくれました。それ故、私は自分が知ったことを知らせぬのがせめてもの礼だと思ったのです」

「そうですか……」

武人がこの未来を胸の内にしまい、自分には何も知らせなかったことをらしいと思った。今になってこの資料を閲覧させたのは、今度の件に自分がかかわらずにいることが不可能だからであって、そうでなければ永遠にこの未来を知ることはなかっただろう。

ゼンガーが自分にこれを見せたのは、自分がこの事実に耐えられると信じたからだ。それでいて、自分の背後、体温を感じさせる距離で立っているのは、自分を気遣ってのことだろう。

「ありがとう、ゼンガー」

「……はい」

ソフィアは声の調子を改めた。

「今回出現したアースクレイドルについて、連邦軍側の持っている情報を聞きたいものですね」

「我々とあまり変わらないでしょう。結局、未来にあるはずのアースクレイドルが何故この時間軸に出現したのか、アースクレイドル周辺に現れた地底勢力の機動兵器が関わるのか、あの男から聞かねば分からぬことも多いのですから」

「検討はあの人の回復を待った方が効率がいいでしょうね」

「地底勢力の件もあります。検討に加わる人数は多くなるでしょう」

「ゲッターチームは既に来ていましたね。他にも話を聞く権利のある方、協力を求めた方がいい方はいるでしょう」

「はい」

時々、思うのだ。自分は彼らに借りを返すことが出来るのかと。ゼンガーはいい。彼は悪を絶つ剣として、共に彼らと戦ったのだから。

「博士?」

「少し、休むわ。疲れている時はいい考えが浮かばない」

「それがよろしいでしょう」

翌日、ゼンガーは請われて格納庫に赴いた。

「あ、来た来た」

アストナージが待っていたとばかりに手招きした。

「俺にしかできないこととは?」

「こいつのコクピットを開けてください」

言いながら、アストナージはスレードゲルミルを指さした。

「昨日は普通に開いたが」

「少佐だから開くんです」

「……個人(パーソナル)認証(オーセンティケーション)か」

「ええ。考えてみれば、あの人は運が良かった」

「あの人?」

「治療室送りになってる方の少佐ですよ。もし、撃墜時に少佐がいなければ、コクピット開けられなかったんですから」

「……」

「解析している最中に、せっかく開いてる物を閉めた馬鹿が居まして」

アストナージに指を指されて面目なさそうに首を縮めたのが「閉めた馬鹿」なのだろう。

「以前に使っていたグルンガスト参式の整備用のコードを試そうとしたんですけど、そもそも接続できるような所がないんです。緊急時に開けるための仕掛けがどこにもない。こいつはパイロットのことを考えた造りじゃないですね」

「必要なかったのだろう」

「どんなエースパイロットにだって必要ないわけが――」

「資料を読む限り、あの男には仲間はいない。緊急時に外からコクピットを開けるような仲間は。違うのか?」

「あ……」

ゼンガーは整備用の足場に上って、コクピットを開けてやった。既に、血は奇麗に拭われていた。

「よし、開いたぞ、かかれ!」

了解の声がいくつか飛んだ。

「機体の状態は?」

「まだハード面しか見てませんが、ひどいもんですよ。よく動かしたもんです。自分なら乗りたくはないですね」

「そうか」

「まあ、この状態で敵を蹴散らしたってんだから、(はた)からは、何も言えませんけどね。根本的な問題として、こいつはスカスカなんです」

「どういうことだ」

「どこまでご存じかは知りませんけどね、こいつはマシンセル製なんです。装甲を削って材質を調べてみましたが、いわゆる普通の金属部分、有機材料の部分、それとマシンセル、これらが混じり合っているんです。強度と柔軟性を併せ持たせるための造りで、マシンセルは、自己修復だけが目的じゃなくて、金属と有機材料の糊も兼ねてるんですよ。で、このマシンセルが機能していない。つまり、この機体は見た目以上にボロボロというかスカスカというか――」

「つまり、海綿状ということだな」

「スポンジ状。ええ、そいつが一番いい表現ですね。まともな状態なら、主砲ならともかく砲撃一発で落ちるような機体じゃないんです。特にコクピットブロックは通常最も強固に作る部分ですから」

「この機体に武器は無いのか」

「有ります。いや、有りました、だな。未来で見た時にはドリルブーストナックルと斬艦刀を使っていました」

「だが、俺が対峙した時は使っていなかった」

「おそらく、使えなかったのではないかと思います。あそこに肩パーツがあるでしょう?」

「ああ」

「あれが斬艦刀なんです」

「あれが?」

「そうです。たぶん、マシンセルの機能を利用して形状変形して、柄とえーと……」

「護拳か」

「それ、それになるんです。その後の刀身形成は参式斬艦刀と同様じゃないですかね」

「つまるところ、マシンセルが復旧しない限り、この機体は正常には作動しないのだな」

「ええ」

そこで、アストナージは少し言いにくそうにしながら、

「その……ネート博士の協力は得られますかね?」

「……」

「難しいですよね」

「……」

その作業はミケーネに捕らわれていた時のことをソフィアに思い出させるだろう。それに、マシンセルを兵器に利用することをソフィアは望んでいない。

「ゼンガー少佐!」

大声で呼ばれてそちらを見ると、整備士の一人が壁際の受話器を振り回している。

「艦長が呼んでます。ブリーフィングルームに来てほしいそうです!」

「すぐ行くと伝えてくれ」

ブリーフィングルームの扉の前に来ると、ちょうどソフィアが反対側からやって来るところだった。

「博士も呼ばれたのですか?」

「ええ」

「現状整理といったところでしょうか」

「そうだと思います」

扉を開けてソフィアに道を譲る。

中にはすでにブライトとアムロがいた。

「よく来てくれました、ネート博士、ゼンガー少佐」

「こちらこそ、助けていただいたお礼も言わずに」

「不都合な点があればお申し付けください。艦内でできるだけのことはいたします」

「お気遣いなく」

「では、早速、本題に入ります」

「その前に、お訊きしたい、ブライト艦長」

「どうぞ」

「現状、アースクレイドルはどうなっているのですか?調査隊は?監視の状況は?警戒の要員が必要であれば自分も戻りますが」

ブライトは首を振った。

「哨戒はゲッターチームがやっています。この艦からも人員を降ろし、調査隊ベースキャンプの警護をしています。それよりも、ゼンガー少佐には他に協力いただきたいことがいくつかありますので」

「スレードゲルミルですか?」

「それと、もう一人のゼンガー少佐です。呼び出しにすぐに応じられるようにしてほしいと医師が言っています」

ある意味、自分は彼の替えパーツだ。だからだろう。

「分かりました」

「あの人の状態は……?」

少し硬い表情でソフィアが問うと、ブライトは困った表情になった。

「申し訳ありませんが、私には分かりませんとしか言えないのです」

ソフィアは頷いた。ゼンガーが気遣わしげな視線を送ったのに対しても小さく頷いた。

「それで、お二人に訊きたいのですが――」

アムロが口を開く。

「ジョゼフ・デュフールという名に聞き覚えは?」

「ありません。あなたは、ゼンガー?」

「いいえ。何者ですか?」

ゼンガーの問いかけに、アムロは表情を曇らせ、ブライトがそれを受けて答えた。

「砲手です。スレードゲルミルを撃った。ラー・カイラムに配属になったのは大戦の後です」

「では、この艦の勤務になってあまり長くはないのですね」

「ええ。直属の上官の話では、アースクレイドルに向かっている最中から様子がおかしかったそうです」

「どんな風に?」

「緊張しきっているようだったとか。顔色も悪かったと同僚の者が言っています」

「戦闘経験は?」

アムロはゼンガーが考えたことを汲んで頷いた。

「あります。新兵ではありません」

「そうか……」

「現在、経歴を洗っている最中ではあるのですが、ひとつ引っ掛かるのは――」

「何か?」

口ごもったアムロを促すようにソフィアが言う。ブライトとアムロは視線を交わし合った。

「弟がプロジェクト・アークに関わっていたようです」

一瞬、二人は言葉を失った。

「アースクレイドルに居たのですか」

「そのようです」

「……」

生き残るということは、時として辛いものだ。もし、彼らが単なる参加者であったならば、同情だけで済んだだろうが、彼らはその計画の責任者だったのだ。糾弾もなかった訳ではないことをアムロは知っている。

生き残った者は、全てを甘んじて受けた上で、一歩一歩を前に進んでみせることしかできないのだ。

「そんな背景もあり、怨恨という意見もあります」

「それはない」

言下にゼンガーは否定した。

「そうです。怨恨だというのなら、撃たれるのはダイゼンガーでなければならない。それに、その方はラー・カイラムに来てそう日も経っていないのでしょう?」

「ええ、その通りです」

ブライトはソフィアの方を向いて頷いた。なるほど、彼女は聡明だし、冷静だ。

「ジョゼフ・デュフールがスレードゲルミルを知っていたとは考えにくい。その中にゼンガー・ゾンボルトなる人物が乗っていたと知っていたとはますます考えにくい。戦闘中に外の機体と通信を行うのはブリッジだけ、すなわち、スレードゲルミルのパイロットの声を聞いた者は、我々が未来に行った時にブリッジにいた者だけですから」

「本人はなんと言っているのです?」

「黙秘です。ただ、何かにひどく怯えている。それも解せない理由です」

「そうですか……」

「いずれにせよ、ジョゼフ・デュフールについては未だ調査中です」

「分かりました。お任せします、ブライト艦長」

「何か思い出したことがあればすぐにお知らせください」

「ええ」

「それから、実は、もう一つお話があるのです」

ブライトは机に肘をつけ、顔の前で手を組んだ。

「先ほど、竜馬たちから連絡がありました。敵の残骸が無くなっていたそうです」

「無くなっていた?」

「そうです。今、昏睡に陥っているゼンガー少佐が撃墜した敵、それが無くなっている」

「だが、私がアースクレイドルに着いた時は確かにあった。ゲッターチームの三人も見ているでしょうし、ラー・カイラムからも――」

「ええ、見ました。ゲッターチームの三人は、本当にあれが地底勢力の物か、機体を調べるつもりで行ってみたそうです。調査隊ベースキャンプでだいたいの解析をするつもりで、残骸を拾いに行ったところ、何もかもなくなっていた。あるのはアースクレイドルだけだった……」

「!」

「ネート博士、たぶん、この中で一番間近に敵を見ているのはあなたです。敵はどの勢力の物でしたか?」

「メカザウルス、機械獣、戦闘獣、ハニワ幻人です」

「確かですか?」

「イエス、であり、ノーです」

「……おっしゃることがよく分からないのですが……?」

ブライトが問うと、ソフィアは説明を始めた。

「まず、イエス、という理由。私は人型機動兵器に関しては専門家ではありませんが、地底勢力の機体はかなり見ましたので、形状がそれらに似ていたということは言い切ることができます」

そうだった。彼女は地底に捕らえられ、敵の機体にマシンセルを組み込むことを強制されていたことがある。

「それで、ノーという理由は?」

「二点。先ほど私は『形状が似ていた』と申し上げました」

「翻せば、完全には同じではなかったと?」

「ええ。機体はいずれも、私が見たことのある物とは少しずつ違いました」

「改良型かもしれませんね」

アムロが感想を述べる。

「あり得ると思います。ただ不審な点はがあります」

「それは?」

「霧に紛れてか、私たち――というよりゼンガー少佐があの機体に気づいたのは、敵がかなりアースクレイドルに近づいてからでしたが――」

「どのぐらいですか?」

急にゼンガーが口を挟んだので、ソフィアは少し不思議そうな顔をした。

「ほとんど外壁に隣接するぐらいです」

ゼンガーは、難しい顔になった。

「〈私〉はおかしかったですか?」

「かなり。……なんだか変な会話だわ」

「すいません、話の腰を折りました。先を続けてください」

気を取り直して、ソフィアは話を続けた。

「敵に気づいた時、私たちは戦闘指揮室に居ました。敵に気づいて、ゼンガー少佐はスレードゲルミルを起動しに行きました」

「敵が来てから起動したのですか?そんなに敵が近づいていたのに、攻撃は受けなかったのですか?」

アムロが驚いて立て続けに質問をした。

「もし、その間に攻撃を受けていたら!」

「そうです、そこが不審な点です。いずれの機体も、あまりにも動きが緩慢だったように思います。故にこそ、スレードゲルミルを起動することができた、とも言えます」

「新型を投入して襲ってきたにしてはおかしな話ですね」

ブライトが組んでいた手を離して、首を振った。ソフィアはそれに対して頷き、次いで、ゼンガーの方を向いた。

「あなたが先ほど質問を挟んだのは何故ですか?」

「……彼らがどこから現れたのかを考えていたのです」

「私は地下からかと思っていたのですが。実は、前の日に爬虫人類に襲われたのです。倉庫で」

「それはアースクレイドルのどの辺りにあるのですか?」

「浮上部下層です。浮上部、と言っても地下にあたります」

聞きながらゼンガーはゆっくり言った。

「ブライト艦長、未来では、ネート博士は亡くなっていたそうですね」

「……亡くなっていました」

「そう、そこにあなたが現れる」

と、ゼンガーはソフィアを見た。

「〈私〉はかなり警戒したはずだ。その状態で、敵の接近を許したとはずいぶん迂闊だと思ったのです」

「何らかの遮蔽手段を持っているか、あるいは近距離ワープでもしたものか……」

会話が途切れたところに、呼び出し音が鳴った。

「ブライトだ」

「艦長、ブリッジに戻ってください。まもなく基地に到着します」

「分かった、すぐ戻る」

通信を切ると、ブライトはソフィアとゼンガーを振り返った。

「ご足労いただきありがとうございます。また動きがありましたらお知らせいたします」

「分かりました」

足早にブライトが出て行くと、ソフィアがためらいながらアムロに話しかけた。

「あの……あの人の様子を見ることはできるのでしょうか」

「ああ、その話もするつもりだったのに、すっかり忘れていました。緊急処置の装置からは出たそうです。移送の用意もあってばたばたしていますが、ガラス越しになら見られるそうです」

「ありがとう、アムロ大尉」

「アムロでいいですよ」

今や伝説と化しているエースパイロットは穏やかに言った。

「モニタリングデータの転送は」

「逐一送っています」

「向こうの受け入れ態勢は?」

「粗方できているそうです」

「シャトルは?」

「大丈夫です」

医務室は慌ただしく人々が立ち働いていた。その人々の中心に、ベッドがあり、ケーブルやチューブ、波形を描くモニタ、その他諸々の物に繋がれて、男は横たわっていた。

ソフィアとゼンガーはガラス越しにその様を見た。

ガラスの前に立ったゼンガーのやや後ろからソフィアは呟いた。

「紫色……」

「……?」

目の前の男の銀髪を眺めながら、ソフィアはぽつりと言った。

「髪が。アースクレイドルの中はあまり明るくなかったから気づかなかったけれど……」

ベッドに横たわった男は力なく目を閉じていたのだが、二人が見ていると、何の作用だろうか、億劫そうに目を開いた。

唇がわずかに動く。

「無事だ」

傍らの男が突然答えたので、ソフィアは驚いた。

「ネート博士、ここに」

「え?」

「姿を見せてやってください」

ソフィアはやっと理解して、ガラスに近寄った。

男と目が合う。

ベッドの男はソフィアを認識すると、フ、と目を閉じた。途端にソフィアは悲鳴に似た声をあげていた。

「ゼンガー!」

再び、男の目が開いた。

「ゼンガー、死んではいけません。死んではいけませんよ」

男はわずかに唇を動かした。

男が何を言いたいのか理解しようと、ソフィアは男の唇の動きを真似た。

――はい、分かりました……

それだけ伝えると、男は目を閉じた。

「ゼンガー……!」

空間を隔てるガラスに、ソフィアは手のひらを押し付けた。だが、その冷たさにぞっとして、すぐに離した。

その時、ガラスの向こうを医療スタッフが何人もやってきて、作業を始め、男の姿はそれに遮られて見えなくなってしまった。

やがて、二人の見ている前で男は運ばれて行った。

「ゼンガー……」

ソフィアは俯いた。

「……彼は……守ってくれたの、私を……」

今になって、涙が溢れそうになった。

「疑っていたでしょうに……」

「死にませんよ、あの男は」

ソフィアがはっとなって頭を上げると、ゼンガーは男が搬送されて行った方向を真っすぐに見つめていた。

二人は同一人物だ。

「分かるの……ですか……?」

「死にません」

男は、ただ繰り返した。

第六章>>