第六章

so man saget,
under den eine maget,
ein kint von ahte jâren:
daz kunde gebâren
sô rehte güetlichen:

Aus "Der arme Heinrich" Hartmann von Aue

その中に少女が一人いたという。
当年八歳の子どもであった。
その振る舞いは
思いやりに満ちていた。

ハルトマン・フォン・アウエ『哀れなハインリヒ』より

最初の覚醒は、ひどく曖昧なものだった。

はっきりしない意識の中で、自分が横たわっていること、周りに見慣れない機械があること、その機械と自分とを何本ものチューブが結んでいることを感じた。

そこで、意識は短く途切れたのかもしれない。

また目覚めて、自分がいつも使っているアースクレイドルの簡易ベッドにいないことに疑問を抱き、それから身体が動かないことに気がついた。見慣れぬ部屋の中に人はいなかったが、壁の外に複数の気配がすることに警戒を覚えた。

そして、(あくまでも、自分の認識としてはだが)三回目の覚醒で、ようやく何があったのかを思い出した。

首を動かせなかったので、目だけ動かして部屋中の医療機器を見て、

――大仰な。

次いで、

――情けない。

と思った。ちょうど、この時に看護師が様子を見にきた。目が会うと、彼はちょっと驚いた顔をし、その顔が嬉しそうになったかと思うと姿を消した。医師を呼びに行ったのである。

やってきた医師が何やら処置をしたり問診をしたりするのに応え、また一人になって眠りに落ちる前、ぼんやり思った。

――謝罪しなければ……

次に目覚めたのは、それから随分経ったのではないかと思う。医療機器が減っていた。

ただ、ゼンガーがほっとしたのはそのためではなかった。そこに薄い緑の髪を結い上げた女性がいたからである。

――ソフィア……

その名を想うのと、はっと息を飲んだソフィアがベッドの側にやってくるのは同時だった。

――無事だった。

菫色の瞳を見つめながら話しかけた。

「申し訳……ありません……」

思ったよりも微かな声しか出なかった。

「何がですか、ゼンガー」

まるで付き合うように小さな声で応えるソフィアに、

「疑いました……あなたを……」

みるみる彼女の目に涙が盛り上がり、その手が気遣うようにゼンガーの前髪をかきあげて、そこで止まった。

「申し訳ないなどと……あなたは私を守ってくれたではないですか」

――いいえ。いいえ、ネート博士。俺は……

当てられた手のひらがじんわりと暖かかった。

「ソフィア」

横から静かに声がした。

自分だ。この時空の。

予想はしていたため、ゼンガーは冷静にこの写し身を見ることができた。

「そうね、疲れさせてしまいますね……」

ソフィアは手を放し、立ち上がった。

「また来ます、ゼンガー」

二人は揃って病室を出ようとしたのだが、ふと、男の方が訝しげに振り返った。

「先に行ってください、ネート博士」

ベッドの側に戻って来た自分をゼンガーは見上げた。

「話が、あるのか?」

ゼンガーは頷いた。

「質問ならば、もっと回復してからでもいいだろう。こちらから訊かねばならぬこともある」

「少しだけだ」

男は椅子を引き寄せて座った。了承ということだろう。

同一人物だからだろうか、ほとんど聞こえぬほどの(かす)れた声しか出ぬというのに、話が通じやすい。出て行こうとした時に戻って来たのも、まるでこちらの意志が通じたかのようだった。

「なぜ、目覚めている。ここは過去ではないのか」

「襲撃を受けた。この時空のアースクレイドルもまた崩壊した」

「……」

ゼンガーは女が出て行った扉を凝と見つめた。

「彼女は、守られたのだな、ここでは」

「……俺は、守れなかった。彼女は天により守られた」

それは、この男も十字架を背負ったという告白である。プロジェクト・アークの末路がそう変わりはしなかったことに己の無力を感じた。

「……イーグレットは」

「イーグレット?イーグレット・フェフか」

「ああ」

「死んだ。アースクレイドルの生き残りは俺とネート博士だけなのだ」

「……」

ならば、この〈自分〉はイーグレット殺しに手を染めずに済んだのだ。

ならば、語るまい。この時空のイーグレットがソフィアに危害を加えることもなかったのだから。

沈黙したゼンガーに向かって男は言った。

「話はそれだけか」

「今は」

「何か希望はあるか」

「……修練所を借りたい。剣の」

ふいに相手が微笑を浮かべたので、驚いた。

「承知した。そのように取り計らおう。だが、その前に、普通に歩けるようになることだ」

ゼンガーはこの自分ではない自分を凝と見上げ、しばらく経ってから、黙って頷いた。

崩壊したはずのアースクレイドルが突如出現するという不可解な事件があってから、数週間が経った。

ゼンガーとソフィアはアースクレイドルの上層部にしてたった二人の生き残りであり、当然のごとくこの事件にかかりきりになってしまった。

ソフィアは軍や政府との調整のために飛び回っている。

ゼンガーは不在のソフィアに代わり、アースクレイドル調査隊と連絡を取り、本格的な調査体制を整えるための準備をしている。

ゼンガーの方が基地に残っているのは、交渉事に不向きであることが大きな理由ではあるが、もう一つの理由は、現れたアースクレイドルに居た者の存在である。己にして己でないゼンガー・ゾンボルト。

瀕死の男のために、彼はすぐに医師の元に出頭できる場所に居なければならなかった。だが、結局、血液その他の物のを提供しなければならなかったのは最初だけだった。

その男も回復し、今は歩けるようになっている。

今日は天気がいい。おそらく、リハビリを兼ねて外を歩いていることだろう。

ゼンガーは見上げていた窓から端末に視線を戻し、眉をひそめた。

しばらくぶりに私用のアドレスに接続したところ、メールが何十件と溜まっていたのだ。ゼンガーは知人とまめに連絡を取り合う質ではない。従って、今までにこんなことはなかった。

不審に思いながら一通目に目を通して気が付いた。

「死にかけていると聞いたのですが、本当ですか」

表現はいろいろだったが、だいたいがそんな内容だった。

たぶん、あのゼンガーのことを勘違いして、病院勤務の連中が他意無く話を広めたのだろう。いや、ゼンガー・ゾンボルトが意識不明の重体であったことには違いないのだから、勘違いとは言えない。

もし、本当に自分が死にかけたり死んだりしたならば正式に伝達がなされるだろうが、あのゼンガーはこの時空ではどこにも属していない。IDもない。従って、正式発表もなされない。故に――

故の、この有り様か。

ゼンガーは未読の表示が並ぶ画面を眺めた。

自分の生死を気にかける者がこんなにいるとは思わなかった。しかし、死にかけている(と思われる)本人に通信を入れて何が分かると思ったのだ?

しばらく考えた後、ゼンガーは今まで使ったことがなかった公開通知(サインボード)への回線を開き、通知を出した。

「生きている。 S・ゾンボルト」

それだけしてしまうと、ゼンガーは立ち上がった。出迎えの時間だ。

滑走路へと歩いて行き、係員に正確な到着時刻を訊こうとしたところで、先に向こうが話し出した。

「お会いになりませんでしたか、ゼンガー少佐」

「……?」

「一〇分程前に到着されたのであります」

「予定より早いな」

「気流がこちら向きで、フライト時間が若干短かったのであります。病院の場所をお尋ねでしたのでお教えしたのですが……」

「分かった。そちらへ回る」

病院へ続く廊下を歩いて、病棟へ続く廊下とロビーへ続く廊下の合流点に出た。

少し考えて、ゼンガーはロビーの方を選択した。総合案内所はそちらにある。おそらく、待ち人もそちらに行っただろう。

「ゼンガー」

果たして、推測は当たっていた。

「レーツェル。付き添い、感謝する」

気にするなとでも言いたげにわずかに手を動かした後で、レーツェルはゼンガーを上から下まで眺めた。

「死にかけていた、と聞いたが怪我すらないようだな」

「誤報だ」

短く答えると、友人は頷いた。

「情報が錯綜しているぞ」

「知っている。事情があるのだ。死にかけた男がいたのは事実だ。会ってやってくれ」

「何?私の知った人物か?」

「説明が難しい」

そこでゼンガーは周りを見回した。

「イルイは?」

「ああ、そこに……」

言いさして、珍しく金髪の男が慌てたような口調になった。

「さっきまで……」

「いや、大丈夫だ、レーツェル。あそこだ」

ロビーの外、うららかに日の射す歩道。ベンチ。少女。そして――

友人が自分をまじまじと見つめるのをゼンガーは黙って見返した。

起き上がれるようになるなり始めたリハビリが功を奏して、ゼンガーは既に介助者無しで歩行できるようになっている。

毎日、病院の前の歩道をひとまわりし、芝生のそばのベンチで短い休息を入れ、それから帰るのがこのごろの日課だ。

退院後は基地の側の官舎暮らしになるともう一人のゼンガーが言っていた。

「上がお前をどう扱うか決めかねているようだ」

「ネート博士はそのために?」

「飛び回っている」

「そうか……。無理はしないでほしいと伝えてくれ」

「ああ」

ベンチに座って、ゼンガーは空を見上げた。入院していたためか、まだ太陽光の刺激が目に痛い。

官舎暮らしはしばらく続くだろう。

トレーニングルームを借りられるだろうか。

医療スタッフの指示で自重していたが、そろそろ筋力をつけるためのトレーニングを始めたい。筋力が落ちるのはすぐだが、戻すのには時間が掛かる。剣の修練などまだほど遠い。

光を遮るように額に手をやり、ゼンガーは目を眇めた。

今日は合わせたい人物がいると言っていたが……

ふと、視線を感じ、ゼンガーは視線を下ろした。

子供?

金髪の少女が目の前に立っていた。年の頃、四、五歳といったところか。肩の線も首の造りも華奢で、軍の施設には不似合いだった。

もちろん、ゼンガーに覚えはない。だが。

「ゼンガー?」

少女が問うように語尾を上げて自分の名を呼んだので、驚いた。どうやらこの時空の自分を知っているらしいが。

「俺はお前の知るゼンガーとは――」

「〈いつ〉から来たの?」

ゼンガーは目を見開いた。

「分かるのか?」

「ちゃんとは分からないけど……」

暖かい色をした瞳をこちらに向けて、小首をかしげている。この少女は、何者なのだろうか。そして、この時空の己とはどんな関係にあるのだろう。およそ、子供と縁があるような人間ではないのだ、自分という人間は。

――どうも、こちらはこちらで色々あったらしい。

ゼンガーは口調の選択に迷いながら少女に問うた。

「名は?」

「イルイ」

「そうか。俺は――」

「知ってる」

少女はそこでにっこりと笑い、嬉しそうに続けた。

「ゼンガー。ゼンガー・ゾンボルト。悪を断つ剣」

陽光と、陽光を映す髪と、陽光の色をした瞳を持つ少女。誇らしげにゼンガーの名を告げた少女はゼンガーを見上げている。

「……」

ベンチに座ったままのゼンガーを見上げる少女の顔が、今度は不思議そうになった。

「ゼンガー……」

「?」

「眠いの?」

「ねむ……い?」

――むしろ、眠りすぎだ。

少女は不思議そうな顔をしてゼンガーを見上げているのだが、ゼンガーには少女の方が不可解だった。

何とも応えられぬまま見ていると、少女は後ろを振り返って、嬉しそうな顔をした。

――今度は何だ。

「ゼンガー!」

短く声を上げて、少女が走り出した。見ると、この世界の自分がやってくる。

少女にまとわりつかれながらこっちに歩いてくる自分には連れがいる。ゼンガーは驚いて立ち上がった。

「エルザム?」

語尾が疑問の形に上がったのは、相手が妙な格好をしていて確信が持てなかったからだ。緩くウェーブのかかった髪は後ろで束ねられ、革のジャケットを着込み、極めつけは目立つ色をしたゴーグル。

果たして、エルザムと思しき男の方も、

「ゼンガー?」

絶句して一緒に歩いてきたゼンガーを振り返った。

「説明が難しいと言っただろう」

「双子の兄弟が居るなどは聞いていなかったがな」

「違う」

冗談だ、とエルザムは肩をすくめた。この芝居じみた仕草は確かにエルザム・V・ブランシュタインだ。

エルザムは、二人のゼンガーを見比べて、

「面倒なことになっているな、また」

「また?」

異口同音に訊き返すと、やれやれとでも言いたげにエルザムは首を振った。

その間も、金髪の少女はもう一人のゼンガーの右足あたりにぴったりとくっついている。

「この子供は?」

「ゼンガーの娘だ」

答えたのはエルザムである。

「むす……め?」

思考が停止して、思わず、己をまじまじと見つめると、相手は常になく急いで喉を震わせずに口だけ動かした。

〈違う〉

一瞬置いてから、ゼンガーはもう一度少女の方に視線を移した。

少女は二人のゼンガーを見比べて、やってきた方のゼンガーの足の後ろに少し隠れるようにしながら、小声で言った。

「あのね……ゼンガーの子じゃなかったんだけど、ゼンガーの子にしてもらったの……」

「分かった。すまん」

パン、とエルザムが気を引くように手を打った。

「私にはお前の方が分からないのだがな、ゼンガー。――ゼンガーでいいのか?」

「かまわん」

「ややこしいな」

「仕方がない。――俺は未来から来た」

我ながら胡散臭い話である。

「未来?」

「しかも、数千年、悪くすると数万年の未来からだ。この男は、あのアースクレイドルと共にこの時空に現れた」

「ふむ……」

多少、予備知識があるらしい。エルザムは案外すんなりとこの話を受け入れたようだった。

「詳しいことは、後ほど関係者を集めて話がされるはずだ」

病院の方へと足を向けながら、銀髪の男が言った。

「まずは、退院の手続きだ」

「官舎はとれたか」

「ああ」

「ほう?退院祝いとなれば、久しぶりに腕を振るうべきだな」

「変わらんな、エルザム」

「いついかなる時でも愉しみを忘れないのは大事なことだ。食材の質は望めないが、できるだけのことはしよう」

エルザムは歩き出しかけて振り返った。

「言い忘れていた。私はエルザム・V・ブランシュタインではない」

「……?だが、お前は――」

「私の名前はレーツェル・ファインシュメッカーだ」

謎の食通(レーツェル・ファインシュメッカー)?」

友人の顔に意味ありげな深い笑みが浮かんだ。

「座興と思ってつきあってもらいたい」

これで、この友人は言い出したら梃子でも動かない。

「承知した」

たかが名前一つのことだ。ゼンガーは大人しく従うことにした。

やりとりが終わったのを察して、金髪の少女がレーツェルの服の裾をちょっと引っ張った。

「どうした、イルイ?」

「手伝って……いい?」

「これは頼もしい。お願いしよう」

言うと、エルザム――もとい、レーツェルは先に立って歩き出し、少女もそれについてちょこちょこと歩き出した。

その背中を眺めながら、残った自分に問いかける。

「黒いのか」

「黒い」

「トロンベなのか」

「トロンベだ」

ゼンガーは眉根を寄せ、再び問いかけた。

「偽名の意味はあるのか」

「無い」

即座に断言した己に不審げな視線を送ると、

「あれは、他者に対する偽名というよりも己に対する偽名なのだ、と俺は思う」

「……」

「……汲んでやってくれ」

「承知」

彼の友人は、優雅さの陰に鋼の強靱さを持ち合わせている。その彼が語らぬ物を問う理由がゼンガーにはなかった。

会議という物は、とブライトは考える。

会議という物は往々にして意図しない方向に流れていく。それが自分の段取りがまずいせいなのか、会議という物の一般的な性質なのかは分からない。

会議は非公式な物だった。会議室は小さく、参加者はブライトを含めて五名。会議というよりは協議の場であり、ラー・カイラムにおいては艦長を務めるブライトも今は報告者でしかない。

厳しい顔を崩そうともせずに、基地司令マブロックが口を開いた。

「その男が攻め込んできたとも考えられる」

馬鹿な、という台詞をブライトは辛うじて飲み込んだ。

「一人で、ですか」

定年間近いマブロックは皺の目立つようになった顔に浮かぶ不審を隠そうともしなかった。

「一人、とはその男が言っているだけのことだ。あのメカザウルスと推測される機体も、その男が率いてきた物かもしれん」

「お言葉ですが司令、ならば、何故、それを自ら破壊するのです。何故、アースクレイドルやその保有兵器は万全の状態でないのです」

「あの施設をあの場所に出現させる時に失敗したため、とも考えられる」

「そんな……」

「私は何もこのように、データ無く論を戦わせるために主張しているのではない。言いたいことはただ一つ。『それを探るのが君の仕事だ』」

ブライトは黙り込み、密かに視線を走らせた。

机に肘をつき、軽く握った右手を口に当てて様子を窺っているソフィア・ネート博士は、たぶん、今、論をどう持って行くか考えを巡らせている。

その隣に座るビアン博士は椅子に深く腰掛け、腕を組んでいる。彼の人と為りはよく知らないが、ネート博士が呼んだということは、そうおかしな事を言う人物ではないのだろう。

――と、思いたい。

もう一度、ビアン・ゾルダーグの表情を窺って、ブライトは思った。

単に今は無きDC総帥だった絡みで呼ばざるを得なかっただけだったとしたら……

「君の報告によれば、その人物は未来世界で敵として現れたのだろう?」

ブライトは意識を発言者の方に向けた。マブロックの口調と対照的な、慎重な物言いがナラカイらしい。

「その通りです、ナラカイ長官。しかし、敵対したのは遭遇時のみであり、その後、彼は自発的に我々に味方しました。それは報告済みです」

そうだったな、と呟いたナラカイは思案顔で背もたれにもたれかかった。そのナラカイに向かって、ソフィアが始めて発言した。

「一つ伺いたいのですが」

「なんでしょうか、ネート博士」

「もし、その人物――未来から来たというゼンガー・ゾンボルトと名乗る人物――があのアースクレイドルを国として扱えと主張したらどうなさいます?」

ブライトはちらりとソフィアを見た。たぶん、彼女が例のゼンガーのことをことさらに余所余所しい言葉で表現するのは、考えあってのことだ。

「君はあれを国と認めろと言うのか!」

マブロックが噛みついたのをソフィアはやんわりといなした。

「そんなことは申し上げておりませんわ。単に、仮定の話としてお伺いしているのです」

「埒もない。領土もなく、国民もなく、主権もない」

「領土はあのアースクレイドル、国民は彼と、司令が主張している、もしかしたら居るかも知れない人々、そして保有軍」

「何を馬鹿な。そんなものは、ただの暴力集団に過ぎない。認められるわけがない」

「マブロック大将は――」

「私は准将だ、ネート博士」

「失礼いたしました、マブロック准将はそのゼンガーという人物が、戦力を保有し、敵対行動を取る可能性があると先ほどからおっしゃっているのですね?」

「その通りだ。我々はあらゆる危険に備えなければ――」

「ならば、何故、軍の方々はわたくしたちに協力をしてくださらなかったのでしょうか」

「それはどういう意味だ」

「申し訳ありません、マブロック司令。わたくし、あの施設に閉じこめられる形になって、襲撃まで受けて、ずいぶん難儀したものですから、つい、このような……。わたくしの同僚は軍がなかなか救援をよこしてくださらなかったと零しておりましたが、もちろん、准将はそのような末端でのいざこざなどご存じなかったのでしょう?軍がわたくしたちを見捨てるような行動を取ったのは、マブロック司令の真意ではございませんわね?」

「……ああ」

ソフィアは頷き、微笑を浮かべた。

「安心しましたわ」

虚を突かれ、マブロックは黙り込んだ。

「わたくしたちは、あのアースクレイドルを是非解析したいと思っております。もちろんこの解析はあなた方のお役にも立つものと思いますわ」

いかがです、とでも言いたげにソフィアはマブロックに目配せした。准将はソフィアの申し出を考え、吟味している。ソフィアは気にならないほどやんわりとたたみかけた。

「できれば、調査隊防衛の任はブライト大佐にお願いしたいのですけれど、いかがでしょうか。大佐は元々事情を全てご存じです。わたくしの個人的な意見としては、ここで新たな方が任について、秘密を知る者が増えるのは望んでおりません。もちろん、これはわたくしの勝手なお願いですから、軍の決定には従いますわ」

じっと話を聞き入っていたナラカイが頷いた。

「もっともな話です。元々、私はそのつもりでした。いいかな、マブロック准将、ブライト大佐」

「……了解」

「了解しました」

ブライトはほっとした。この場の責任者はナラカイ長官である。その彼が決めたことだ、いくらタカ派で知られたマブロックもそう強硬なことは言わないだろう。

今まで黙っていたビアンがおもむろに口を開いた。

「あの施設の所有権だが……」

「DCはアースクレイドルの所有権を主張するのか」

「間違えないでもらいたい。DCはもはや存続しておらん」

ブライトはマブロックが口の中で何か言ったのに気づいた。おおかた予想はつく。

確かに、総帥ビアン・ソルダーク不在中、イージス計画の折りにシュウ・シラカワが起こした事件のせいでDCは解体した。だが、その後、姿を現したビアンの下、DC関連の研究所群はゆるやかな連携を保ち、連邦議会にも少なからぬ発言権を持っている。

それがマブロックには面白くはないのだろう。

マブロックの口の動きに気づいたか気づいていないのか、ビアンは平然と続けた。

「存続していたとしても、あれはそもそもDCの手を離れた設備だ。アースクレイドルの計画を遂行したのはネート博士なのだから……」

「私の物でもありません。法的な所有権は運営のための非営利法人にありますが、そのNPOが今、どのような状況にあるかは……」

「混乱が続いておりましたからな」

「ならば、連邦法に基づき――」

「連邦の、軍の管理下に置きますか。人ごと」

「人?」

「ゼンガー・ゾンボルトです」

「くっついてきたのだったな」

まるでゼンガーが何かのおまけだったような言い種である。

「その人物は拘束し、尋問をするのが妥当だ」

おまけ扱いした割に主張は厳しい。ブライトは苦い想いでそれを聞いた。ソフィアは目の前で手を合わせて、マブロックを見つめた。

「それは良い方法だとは言えませんわ」

「ほう?」

「今のところ、あの施設のシステムにアクセスできるのはゼンガー・ゾンボルトのみ。解析して認証を突破する事も考えましたが、その場合、グロリア級のコンピューターで何ヶ月もかかる可能性があります。最悪の場合、解析不能であることも」

「ネート博士、君にはアクセスできないのか。あれはつまるところ、アースクレイドルなのだろう?」

「できませんでした。あの施設はこの時空に元々あったアースクレイドルと全く一緒とは言えないようです。だからこそ、彼の協力を得たいのです。内心がどうあれ、少なくとも今は敵対行動は取っておりませんし、表面上は協力的なのですから」

「……」

「わたくしたちがほしいのはデータです。軍の方でも、防衛施設や機動兵器に興味があることと思います。それを知るにはシステムへのアクセスが不可欠です。ことは速やかに進む方がいい、そうではありませんこと?」

「泳がせた方がいい、ということか……」

「ええ。その人物も未だ回復期にあります。直ぐに何か行動を開始するとも思えません。それと、これは余談ですが、あのアースクレイドルについて所有権を主張するのはあまり意味のあることとはわたくしには思えないのです」

「どういう意味だね?」

「あなたはどうお考えですか、ビアン博士」

ビアン・ゾルダーグはいつのまにか瞑っていた目を開いた。

「同意見だ。あのように突如として現れた物、突如として無くなってしまう可能性も否定できん。何を目的とし、どういう仕組みで現れたかが分からない現状では特に、だ」

ナラカイが頷いた。

「お二方の意見はよく分かりました。ですが、その話は私の権限で決められる話ではありません。それについては、私が上に上げましょう」

それから、マブロックにも頷いてみせた。

「マブロック司令、君の懸念ももっともだと私は思う。よって、その現れた人物は一定の監視下におくことを命じる。詳細は君に任せる、ブライト君」

「了解しました。同時に、その人物は何者かに狙われている可能性があります」

「砲撃を受けたのだったな」

「君の艦の砲手がな」

マブロックの揶揄をブライトは気づかなかったことにした。

「内々に調査する手配をしていただきたいのですが」

「そうだな。マブロック司令、この基地から調査員を選任してくれ」

「……了解」

「以上だ」

マブロックはまだ何か言いたげにしていたが、最初に立ち上がり、ナラカイに礼をして席を離れた。

その姿が扉の向こうに消えると同時に、クックック、とビアンが笑いを漏らした。

「ビアン博士?」

「君は何かを仕掛けるとき、不自然なほど丁寧な口調になるな、ネート博士」

「そうでしょうか」

「そうだ。わざと煽ったろう。刺もあったな」

「危うく見捨てられるところだったのですから、あれぐらい言っても構わないでしょう。公の場で糾弾しないだけ感謝していただきたいものです」

「怖い女性(ひと)だな、君は」

「御存じなかったのですか?」

ふふ、とビアンは低く笑った。さもおかしげなビアンを見ながらナラカイは、

「ブライト君、君にしろ、ネート博士、あなたにしろ(くだん)のゼンガー少佐を敵だとは見なしていないようだが……」

「私は公平にみた意見を――」

ナラカイは手を上げてソフィアを遮り、わずかに苦笑した。

「あなたは、結果的にそのゼンガー少佐の行動の自由を確保なさった」

「それは、アースクレイドルのシステムに――」

「ゼンガー・ゾンボルトはもう一人いる。まさか、誰あろうあなたがそれを知らないと言うつもりはないだろう。そのことに言及しなかったのはわざとだったのではないのか。それとも、この世界のゼンガー少佐はシステムにアクセスできない、とでも?」

ソフィアは顔を紅潮させ、何か言おうと曖昧に口を開けた。ナラカイはそれを見て穏やかに頬笑んだ。

「正直な方だ。博士、ここは『できない』と言い切らなければ駄目なところだ」

「……覚えておきます」

小さく言ったソフィアにナラカイはまた苦笑を返した。

「本来研究を職としている方が策を弄さなければならないというのは、世間の方がまともではないのかもしれんな」

ナラカイはそこで急に表情を引き締めた。

「だが、ブライト君、マブロックの言うことにも一理あるのが分からぬ君でもあるまい」

「はい」

「我々は戦いすぎた。戦いがありすぎた。まだ人を信じられる状況にはなく、施設一つを許容できる余裕がない。ましてや、アースクレイドルは軍事施設になりうる。戦後という状況抜きにしても猜疑の的になるのはむしろ自然な流れだ」

「……」

「率直なところを聞きたい。君はそのゼンガー・ゾンボルトをどう見る。信じられる人物だと思うか」

「はい」

ブライトは返答を躊躇わなかった。

可能性ならば、いくらでもあるだろう。ただ、一つ確かなことは、ブライトがあのゼンガー・ゾンボルトを信じている、ということだ。

ブライトは未来から来たゼンガーが意識を回復してから一度だけ会いに行った。通常の個室に移されて、ようやくベッドの上で身を立てられるようになった頃だ。痩せて筋肉も落ちてしまっており、声も未だ出しにくいようだったが、あの真っ直ぐな眼光は健在だった。

「部下の命令違反を謝りたい。結果的にあなたを騙し討ちにしてしまった」

そう言うと、ゼンガーは目を閉じて静かに首を振り、掠れの混じる声だったが、はっきりと言ったのだ。

「いえ。気を抜いた自分にも責めはあります。必要以上に気に病む必要はありません」

口調の真摯さと己への厳しさは、この時空のゼンガーと変わりはなかった。

それもあって、ブライトはゼンガーを信じた。彼が、自分とアースクレイドルがいかなる作用でこの時空に現れたか分からないと言ったのも信じた。

だが、こういった機微は、当事者でなければ分からないことである。責任ある立場の者は、主観を判断材料にはできはしまい。

ナラカイはブライトを見て、感慨深げに言った。

「常に激戦の真っ直中にありながら、そういう判断ができる君が驚異的ですらある、と私は思う」

「いえ……周りが良かったのです。いい部隊でした、αナンバーズは。精鋭部隊、最強の軍隊、色々と言われていますが、あの部隊はそんなものでは――それだけの部隊ではありませんでした」

「そうだな……。希望をもたらす者は英雄と呼ばれるにふさわしい。ならば、αナンバーズは英雄と呼ばれるにふさわしい」

ナラカイは帽子をかぶり、立ち上がりながら、

「私は英雄にはなれんよ。だから、やはり、気を許し過ぎるなと言わざるを得んな」

「……了解しました」

ひとつ頷くと、ナラカイは出て行った。ブライトはふう、とため息をついた。

「ブライト艦長……」

ソフィアが窺うように話しかけたので、ブライトは笑みを浮かべて見せた。

「大丈夫です、私は信じます、先ほども言ったとおり。あのゼンガー少佐があなたを守ったのは事実です。それだけではありません。あのゼンガー少佐は、それ以前に我々に手を貸してくれた人物です。他に材料がない限り、敵に回るとは私は思いません」

「……ありがとうございます」

話し合いの最中の、背筋をピンと伸ばした姿は鳴りを潜めて、少し不安げな若い女性がそこに残っている。無理をしているのだろうとブライトは思い、そうせざるを得ない立場を気の毒に思った。

「私が指揮を執っているうちはできる限りの配慮をお約束します」

一礼して、ブライトは席を立った。

それに続いてビアンも立ち上がった。

「心配するな、ナラカイは性急な真似はせん男だ」

「ご存じなのですか?」

「以前、何度か顔を合わせたことはある。なかなか判断をつけんのが欠点ではあるが、判断を遅らせすぎることもないだろう」

「安心しました」

頷いてビアンは背を向けたが、思いついたように振り向いた。

「二、三、仕事を済ませたら、一度顔を出したいものだな」

「ビアン博士自ら?」

「見てみたいのだよ、そのグルンガスト――いや、スレードゲルミルだったな――それを」

ソフィアは小さく笑みを浮かべた。この人はいろいろな権限を持ってはいるが、やはりその本質は根っからの研究者なのだ。

「他にも見たがる方は多そうですね」

「そうだな。本当に行けるかどうかはスケジュール次第だが」

「もしできましたら。少佐にも会ってさしあげてください」

「どんな男だ?」

「どこまでもゼンガー・ゾンボルトです」

答えを聞いて、ビアンは再びクックックと低く笑い、別れの合図に少し手を上げて、去っていった。

ビアンに先立って会議室を辞したブライトは、ラー・カイラムに戻ろうと廊下を歩いていて、立っているアムロに気がついた。待っていたのだろう。

「どうだったんだ、ブライト」

「なんとかアースクレイドルの調査の方は進みそうだ。だが、ゼンガー少佐が何故撃たれたかという調査の方は力を入れてやってもらえるか分からん。うっかりしていた。この基地の司令がマブロック准将なのを忘れていた」

「保守タカ派、という噂だったな」

「その通りだ」

「悪い知らせがある。ジョゼフ・デュフールなんだが――」

歩き出しながらアムロは声を潜めた。

「スレードゲルミルを砲撃した?」

「そうだ。自殺した」

「何だと?!」

ブライトは思わず立ち止まった。

「銃を渡した奴がいる」

「……闇の中、か」

ブライトは呟いた。

「軍の人間では内偵は期待できないかもしれんな」

「それについては思い当たる人物がいる、とベルトーチカが言っていた。渡りをつけてくれると言っていた」

「カラバに連絡したのか?」

「向こうから連絡してきたのさ。言っておくが、俺から漏らした情報はまだ無い」

「信頼できるのか?腕の方は?」

「間違いない」

断言したアムロにブライトは困惑した。

「誰なんだ?」

アムロは微笑を浮かべた。

「お前に似た奴さ、ブライト。声はね」

基地にほど近い白い建物群、それが連邦軍が保有する官舎である。

家族用の官舎は過不足無い広さだった。台所の設備も一般家庭用としては悪くない。

「さあ、メインディッシュだ」

レーツェルがカウンターに大皿を置くと、イルイはふみ台にのぼってのぞきこんだ。

「おいしそう……」

「シュヴァイネブラーテン・ミット・ブラートカトーフェルン・ウント・ロートコールだ」

「えっと……」

聞き慣れない言葉の響きにイルイが口籠もる。

「ふふ、覚えなくてもいい、イルイ。料理は耳よりも舌で味わう物だ」

「……教えてあげたかったの」

そう言った少女が、ダイニングの方を気にするそぶりを見せた。そこには二人のゼンガーが向かい合わせに座っている。

ピンと背筋を伸ばしており、およそくつろいでいるようには見えないが、これはゼンガーの常態である。二人は概ね黙っているのだが、たまに、ボツリボツリと会話を交わしている風情だ。

――交わしているのは会話というより単語か。

この少女はこの光景に違和感を覚えないのだろうか。

「どう思う、イルイ。あのゼンガーを」

何がききたいのか分からなかったのだろう。イルイは困った顔でレーツェルを見上げた。

この少女の直感を聞いてみたかったのだが、どう問いかけたものか。

レーツェルが問い直そうと口を開きかけた時に、先にイルイが言った。

「うれしいよ」

「嬉しい?」

「ゼンガーが二人になったもの」

レーツェルは苦笑を浮かべた。

「そうか、嬉しいか……」

この言葉を聞いたらあの二人はどんな顔をするだろう。

「持っていっていい?」

「ああ。持てるか?」

「うん」

イルイは両手で皿を持ち、テーブルへと運んでいった。テーブルまで行くと、背の低いイルイに代わってゼンガー――銀髪の、この世界に元から居る方だ――が大皿を受け取って、テーブルに置いている。

髪が紫の方のゼンガーはそれを眺めている。特に表情は浮かんでいない。もともと彼の友人は表情に乏しいので、何を考えているのかは分からない。

そちらのゼンガーには独身者用の部屋が与えられている。しばらくはそこで暮らすことになるという。

――この一件、長くかかるな。

それは、一人レーツェルだけの予測ではないだろう。ゼンガーがイルイを呼び寄せたのも、おそらくそのせいだ。

「ワインに頼れんのが難しいところだな」

レーツェルはひとりごちて、一人で笑った。

この基地に持ってきた僅かな荷物の中からビンを取りだし、

「さて、食前酒(アペリティフ)といこうか」

そう言って軽く振ると、ゼンガーが二人揃ってこちらを見て、二人揃って不審そうな目付きをしたので、レーツェルは危うく吹き出しかけた。

「大丈夫だ、ゼンガー。最近見つけたのだが、イルイにも飲める。お前でも大丈夫だ」

優雅な手つきでそれぞれのグラスに注ぎ、

乾杯(プロースト)

「乾杯」

喉を湿らせた後に、それぞれが食事に手をつける。

が、病み上がりのゼンガーは一口食べるなり、ナイフとフォークを持った手を止めてしまった。

そのままじっと料理を見つめているのに気づいて、

「どうした、ゼンガー。口に合わなかったか」

声をかけると、

「いや……」

ゼンガーは止めていた手を再び動かした。

「……うまい」

レーツェルはしばし言葉を失った。

考えてみれば、このゼンガーが最後にまともな料理を食べたのは、一体いつの話か分からないのだ。命を繋ぐだけの食さえあれば文句を言うような男ではないが、それは文字通り味気ない。

何かを感じたのだろうか、今度はイルイが手を止めて、紫の髪の男を見上げている。心配そうに見上げる瞳がわずかに潤んでいる。

「いっぱい食べてね。いっぱいいっぱい食べてね」

言われてごくごくわずかにゼンガーの表情が動いた。

「……ああ」

レーツェルがチラリともう一人のゼンガーを見ると、分からないぐらいかすかに笑みが浮かんでいた。友人よりも表情を浮かべる術には長けていたので、レーツェルは口元にはっきりと笑みを浮かべた。

未来から来たゼンガーは、これで困惑しているのだろう。

静かで落ち着いた食事が終わると、今度はゼンガーがイルイと食器を片付けに行った。イルイは皿を拭きながら、いかにも嬉しそうにゼンガーに話しかけている。久しぶりに会ったのだ、無理もない。

レーツェルは、居間に残ったゼンガーがそれを(じつ)と見ているのに気が付いた。

「どうかしたのか?」

「……俺に子供が懐いている……」

目を見張ってから、レーツェルは声を立てて笑い出した。

「イルイのことは奇跡だ。いろいろな意味でな」

「……」

「もしイルイがいなければネート博士のことも――ネート博士とゼンガーのことは?」

「聞いた」

それをこの男はどう思っているのだろう?

「奇妙なものだ。自分が家庭を持つなど、思ったこともなかった。幸いという言葉も自分には無関係な物と考えていた」

「戦場に生き、戦場で死ぬ、と?」

「ああ。もっとも……」

言葉を飲み込んで、ゼンガーは少女と一緒にいる男をじっと見据えた。

「ゼンガー……」

「……」

貝のように押し黙ってしまった男が飲み込んだ言葉を話すことはないだろう。

少ししてからゼンガーが再び口を開いた。

「お前達にとって俺の世界は霧散した未来だろうが、俺にとってこの世界は有り得ない過去だ」

「奇妙か」

「奇妙だ。ただ……」

一度言葉を切ると、改めてゼンガーは話し出した。

「俺がこの世界に来てからしばらく、ネート博士と二人で過ごした」

アースクレイドルで腹の探り合いだったわけだが、と注釈をつけた後で、感慨深げに彼は言った。

「ネート博士はよく笑った」

それから、ほんの少し目を細めた。

「あそこにいる〈俺〉の決断が彼女に笑みをもたらしたのならば、そんな生き方も悪くあるまい、と思った。ああやって、あの少女も笑っているのならば、それもまた悪くはあるまい、と思った」

レーツェルは用心深く声を落とし、問いかけた。

「あれが自分ならばとは思わないか」

「お前はどう思うのだ、エルザム」

切り返しは鋭かった。本名の方を呼びかけたのも意図的だろう。

「あれを見て自分を哀れと思うか、エルザム」

「……いや」

痛くとも嬉しい。それは本音である。

「そういうことだ」

「……」

「すまない、レーツェル・ファインシュメッカー」

「何がだ?」

(えぐ)った。傷を」

「いや」

レーツェルは深く深く息をついた。

「……お前は確かに我が友だ、ゼンガー」

「……」

「ゼンガーが――あそこにいるゼンガーが――お前を自分だと断じたのだから、間違いはないとは思った。だが、それはそれとして、私自身で確かめたかったのだ。すまない」

「いや」

真っすぐで強靭で、だが苦さを知る魂がここに在る、とレーツェルは思った。

ここにいるのはゼンガー・ゾンボルトである、と。

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