(こぼ)れた記憶

標的の隠れ家は数年前に打ち捨てられたという空家だった。

「あれか」

「そ。俺のさぐりじゃ中に五人ほど。首領は夫婦者で子供が一人いる」

「五人てのは子供を入れた数なのかい?」

「いんや。入れりゃ六人だが、戦力に数える必要はない。まだ四、五歳ってとこだからな」

訓練重ねた暗殺者ってんならともかく俺のみたとこそんな感じじゃない、とエースは付け加えた。

「お前の見立てではのう」

などと言うジョーカーも他の二人もエースの見立ての確かさに疑いは持っていない。

「出入り口は正面と裏口の二箇所。窓から出るのはまず無理だ」

「あの大きさではな」

「で、だ。俺とジョーカーとで裏口から強襲する。派手に火を使ってな。大将にはクイーンと正面で待ち伏せしてもらって、出てきたやつらを一網打尽にしてもらいたいんです」

それまで黙っていたゲドが始めて口を開いた。

「それでいいだろう」

許可をもらって大きくエースがうなずいた。

「じゃ、俺たちは裏口に。やるのはすっかり日が暮れてからです。それまではまぁくつろいでとはいかないでしょうが、ブラブラしててください」

ジョーカーとエースが立ち去ると、はたしてゲドは立ち話をしていた木陰にぼんやりと突っ立っている体勢を崩さなかったので、クイーンは思わず笑みをこぼした。

「……?」

「なんでもないよ、ゲド。らしいなと思っただけさ」

その答えを測りかねた様子でこちらを見ているゲドがなんとも可笑しい。

「ふふ……」

微笑を浮かべるクイーンからついと視線を夕日に移し、あいかわらずゲドは黙って立っている。クイーンも視線を夕日に移した。燃えるような赤だった。その赤が頬に微熱をもたらしている。

「非生産的な仕事だよね、傭兵なんてさ。斬っただの壊しただの燃やしただの」

クイーンは少し寂しげな調子を加えて言葉を継いだ。

「もう慣れちゃったけどさ、家が燃えてる風景ってなんか心がざわつくんだ。サナディがハルモニアに呑み込まれたのは知ってるだろう?どうもあの陥落の日を思い出すからみたいなんだ」

ゲドは黙って自分の背後に居るクイーンの言葉を聞いている。

「あのとき、私の両親も死んだ。火に巻き込まれてとかそういうんじゃない。斬られたんだ。それは覚えてる。斬られたってことは覚えてる。でもね、相手がどんな顔したどんな奴だったか覚えてないんだ。両側の家が燃えてたことも、逃げる行く手に誰かが立ちはだかったことも覚えてるのに……」

ゲドは視線だけをクイーンのほうに動かし、また正面の夕日に目をやった。

「小さかったからだろう」

「そうだね。ショックだったからだろうって思う。でもね、『私ともあろう者がふがいない』とも思うんだ」

まあ、今だからそんなふうに思うんだろうけど、とクイーンは苦笑を浮かべた。

日は暮れつつある。

木にもたれている二人は端から見るとどんな風に見えるだろうか、とクイーンは考えていた。

怪しい奴に見えてなきゃいいけど――無理だろうね。

日はとっぷり暮れた。

ゲドとクイーンのいる木陰は星明りも月明かりも届かず、道からは見にくい。黒っぽい服装で身じろぎもしないゲドはなおのこと見にくいだろうし、クイーンのほっそりとした身体は木の後ろにすっぽり隠れている。

さほど待つこともなかった。

標的の家のあたりがざわついたと思ったら、見る間に炎がチロチロと家の両側から見え隠れし出した。そのまま窺っていると、人影が塊となって二つ転がり出てきた。一つめの塊が男女と子供、二つめの塊は男が二人。

「子連れは任せたよ、ゲド」

相手の程度は分かっている。クイーンは一度に四人を相手して逃げられるほうが厄介だと判断し、ゲドの了解も確認せずにスルスルと道端を走って間合いを詰めた。子連れ三人を遣り過ごし、割って入るように二人組の前に飛び出した。

「な……」

「ひい……」

奇襲になったのもあっただろうが、この二人がまともにクイーンと対峙していたとして反応できたかどうか。翻ったクイーンの刀が一人目の男の右手首を打ち、その刃が返ったと思ったら二人目の男の大腿部から血飛沫があがっている。さらに一閃したときには最初の男も足をやられ、その場を動くことができなくなっていた。

「情けないねえ」

頬にかかった返り血をぬぐいながらこともなげにクイーンは言ってのけた。それを怯えた目つきで見上げている男どもにクイーンは人に見えなかったかもしれない。

戦意喪失を確認したクイーンはゲドのほうを振り返った。

まさにゲドが道に立ちふさがるところだった。クイーンはそちらに歩を進めた。これで挟み撃ちになる。

「ここは行き止まりだ」

静かなゲドの低音が聞こえてきた。

え……

クイーンの歩が止まった。

夫婦者は剣を抜き、子供を後ろにかばって身構えた。クイーンがいることには気づいていないのだろう。あるいは気づいていながら、目の前の男も一人で対処できそうになく絶望的な気分でいるのだろうか。

ゲドの構えは一種独特で、切っ先を相手に向けるのと地面に向けて降ろすのとの中間地点を微妙に刃が漂っている。握る剣の形も古風なもので、砥ぎに出すときは古刀を専門とする職人を好んで使う。その剣をあやつって引きぎみに戦うのがゲドの型だ。

まず打ちかかったのは男のほうだ。とたんに、漂っていたゲドの剣が()っと上がり、斬りかかる剣を払いのけた。刃はそこで止まることなく、男の二の腕を裂いている。女が突進したのはその時だ。絶妙のタイミングだったが、相手が悪い。ゲドが女の振りかざす剣のわずか一寸を擦り抜け(つか)で女の胸を突くと、女はズルズルとくずおれた。

「野郎!」

叫んで体勢を立て直し剣を振りかざした男を、振り向きざまに剣の平で殴りつけると

「ぐうう」

と一声発して男が吹き飛んだ。肉厚な剣だからこそできる芸当だ。

その間、助勢しようとしていたクイーンが固まったまま一歩も動かない。

二親が地面に転がるのを見ていた子供がペタンと尻餅を突いた。

クイーンははっとなって子供に駆け寄った。

ゲドはちょっと子供のほうを見て、そっちはクイーンに任せたとでもいいたげに横を向いて剣を降ろした。

クイーンは子供の両腕を後ろから抱きとめた。自然とゲドを見上げる形になる。ゲドは右半身をこちらに見せていて、必然的にその隻眼は見えない。

「ゲド……あんた……」

おもわず口走ったクイーンの声音に常ならぬものを感じたのだろう、ゲドはこちらに顔を向けて、自分を見上げる四つの瞳を眺めた。それもちょっとの間で、ゲドは斜め下に降ろした自分の剣の先を見つめるように視線を地面に落とした。

「思い出したか……」

気が利かない――

クイーンが思ったのはそのことだった。

一番言って欲しくないことを言ってくれるもんだよ……

クイーンは泣き笑いの表情を浮かべた。

「ゲド、あんた……知ってたのかい?」

視線を落としたまま頷く男が恨めしい。

「おーい、首尾はどうだ?よりによって煙に巻かれた奴がいて、引っ張り出すのに手間取ってたんだが――」

エースの叫び声が聞こえたとたん、クイーンに浮かんでいた泣き笑いの表情が消え去って、平常どおりの〈余裕の微笑〉に摩り替わった。

「みてのとおりだよ」

「ま、こんなもんじゃろ。楽な仕事だったな」

「あのなぁ、ふんじばるの手伝えよ!」

いつもどおりの掛け合いで、いつもどおりクイーンは笑みを浮かべて立っていて、いつもどおりゲドは黙って眺めている。だが、いつもと違ってクイーンの胸のうちは粟だっていた。

金が入ってしばらくはいつも自由行動だ。

盗賊一味を生け捕りにする今回の仕事は、相手との格の違いもあって、わりに楽なものだった。

次の日、エースはご機嫌でちょっぴり豪勢にした朝食をかっこんでいる。ジョーカーは朝っぱらから酒瓶を抱え込んでいる。クイーンもグラスを手にしているが、こちらは朝はたしなむ程度だ。

そのクイーンが朝食を終えると微笑を浮かべてゲドに声をかけた。

「ちょっとそこまでつきあってよ、ゲド」

エースは眉をちょっと上げ、これまた口元にやったグラスをはたと止めたジョーカーと視線を交わした。

静かに食事をしていたゲドはクイーンを見やるとそのまま黙って頷いた。

エースの眉がさらに上がり、ジョーカーはグラスの中身を飲み干した。

先に立って歩くクイーンにゲドは黙々とついていった。

導かれるままに落ち葉の吹き溜まるちょっとした広場に足を踏み入れた。小さな町のことゆえ店が立ち並ぶ表通りから一本はさんだだけで人通りはほとんどなくなる。

これまた黙って歩いていたクイーンがピタリと立ち止まった。

ゲドも歩みを止めた。

くるりと振り向いたクイーンの表情は険しかった。

「分かってるね?」

言うなり、クイーンは愛刀を引き抜いた。

答えもせず、頷きもせず、ゲドもゆっくり自分の剣を抜いた。

「容赦……しないよ」

刹那、クイーンの剣が獲物に襲い掛かる蛇のようにしなった。カシンと剣と剣がぶつかった時にはすでにクイーンの身体はよこざまに飛び退(すさ)っていて、ゲドの斜め前に(たい)を変えている。

カンカンカンカンと息つく暇なく打ち合った二人がはたと互いに飛びのいた。

さっとクイーンが正眼に刀を構えた。呼応するようにゲドの剣が緩々と上がった。珍しく真直ぐに指し伸ばされた切っ先を鋭くにらみつけたままクイーンは呼吸を整えた。

対峙した二人はそのまま()っと動かない。

いっとき、にとき。

落ち葉がカサと音を立てても、表通りの喧騒が高くなったり低くなったりしてもピタリと固まった剣士は微動だにしない。

ゆら、と切っ先が揺れたのはどちらが先だったか――

「ハッ!」

烈迫の気を込めて打ち出されたクイーンの剣は、ゲドの刃にあたりながらスルスルと上っていった。ゲドの剣が跳ね上がりそれを防いだが、その跳ね上がる動作すら利用した次なる一撃はあまりに鋭く、まるで魅入られるように動きの止まったゲドの腹部に食らいついた。

深い。でも、まだ足りない。

ゲドの懐に飛び込んだ形だったクイーンがさらなる一撃のため離れようとしたとき、男の左手がクイーンを抱え込んだ。攻撃を防ごうとして力をこめて押さえ込んだのではない。そっと抱きかかえたのだった。

とたんに、何か熱い物がクイーンの目からふきこぼれた。

――こんなはずじゃ……

クイーンはキッとゲドを見上げた。

黒い眸が見下ろしていた。

その目がふと疲れたように閉じられると、長身の男の身体が力を失って崩れ落ちた。

クイーンは横たわる男の身体を最初ぼんやりと見つめていた。目の前の光景の意味がよく分からない。自分が何をしたかったのか分からない。自分が何をしたいのか分からない。

このまま放っておけばこの男は死ぬ――

ふと思考が文章となって明確に意識に迫ったとき、クイーンの身は震えた。

死んでしまう……

我知らずクイーンは叫んでいた。

「誰か!手を貸しとくれ!」

医者を呼ぶだの床をしくだの慌ただしく(せわ)しなく事が進んで、やっと一服ついてエースはジョーカーと二人テーブルについている。

「あのさ……あの刀傷(かたなきず)……」

「言わずとも分かっておる」

「……痴情のもつれ?」

ジョーカーがエースをジロリとにらんだ。悪かったよ、と言ってエースは自分のグラスを傾けた。変わりにジョーカーがグラスから口を離し硬い表情で

「聞き出そうなどと思うなよ」

「わぁってるよ」

力不足な自分が情けなく、力不足だと判ってしまう自分が恨めしい。

(クイーン)は静かに待っていた。

静かに(ゲド)の傍らに在った。

食事のためにジョーカーとエースの前に現れた時は、まったく平静そのものだった。だが、食べ終わるなりゲドの眠る部屋に引き篭もってしまったのは、疑いようもなくいつもとは違う在り様だった。

夜が来た。

月は細く、星明りは弱々しい。

この男は夜が似合う。夜と夜をとりまく仄かな光がよく似合う。

クイーンはそっと男の頬に触れた。

血の気の引いた皮膚は冷たかった。

理由もなくクイーンは恐ろしくなった。人を斬って恐ろしくなることなどもうありはしなかったのに。

ゲドの目蓋が動いた。

ゆっくり隻眼が開いたとき、クイーンは安堵した。同時に哀しくてたまらなくなった。しばたいた隻眼からクイーンは目をそらさなかった。

「ゲド、ゲド、私、殺せなかった」

男が紙のように白い女の顔を見上げている。

「殺せないよ」

自分で自分を確認するように呟いた女の頬を涙がつたった。男の手がのびてきて、人差し指で涙をうけた。頬に触れる男の指を逃れてクイーンは顔をそむけた。

「ゲド、何であのときあの場所にいたのさ」

男は答えない。クイーンも理由など聞いても感情には関係ないと分かっていた。でも、言わずにいられなかった。なぜ、他の誰でもなくあんただったのか、と。

ゲドは視線を正面に据えて暗い天井を見つめていた。しばらくして

「もし、あの状況に置かれたら――向かってくるお前の親と対峙することになったら――二度なら二度、三度なら三度、必ず俺は斬っただろう」

手加減できるような生易しい腕ではなかった、とそこまで言って男は口をつぐんだ。

女は唇を噛みしめた。

「あのときお前が子供でよかった――剣ももてない子供で」

またしばらくしてゲドが口を開いたとき流れ出た声は空気をほとんど震わせないほどささやかだった。

「……」

「剣の持てる歳だったらお前は必ず向かってきて、俺は必ず斬っただろう」

「私があんたを斬り捨てたかもしれないじゃないか」

「同じ事だ」

男は(かぶり)を振った。

「いずれにせよ、お前が俺の(そば)に在る事は無かった」

クイーンは立ち上がり、クルリとゲドに背を向けて窓から夜空を見上げた。

「ずるいよ、ゲド」

――そうだな。

「やっぱりあんたを許せない」

静かに言ってクイーンはゲドに近づいた。ゲドは為されるがままに女の(かな)しいくちづけを目蓋に受けた。

「おやすみ、ゲド……」

女が静かに部屋から出て行き、扉がパタンと静かに閉まると、ゲドは目蓋を閉じて(しず)かな(おも)いに(しず)んで()った。

平成十四年九月二八日 初稿

平成十四年十月一日 第二稿

平成十八年二月十一日 第三稿

補足説明

この話は群青さんとのメールのやりとりに端を発している。私がちょっとしたお話の断片を書き送ったところ、群青さんは丁寧に感想を返してくれて、さらにこんな意見を披露してくれた。

私はサナディ滅亡はクイーンがもうちょっと小さい頃かと思っていたから、クイーンの両親(あるいは家族)を殺したのがゲドだったらどうしよう〜、とか妄想してた(笑)。クイーンはそれがゲドだったなんて微塵も思ってなくて(たぶんショックのあまり殺されたのは分かってても仇が誰なのかは記憶から落ちてる)。

さすがにそれはないだろう、と双方共に思ったものだが、「仮に」ゲドがクイーンの仇だった場合、どうなるだろうと考えを膨らませたのがこの話だ。真っ先に思い浮かんだのがなぜか『子連れ狼』だったので、こんな話になってしまった。

好きだの嫌いだのという話をめったに書かない私にしては珍しい類の話ではある。