支倉未起隆 VS 空条承太郎(4部)

ROUND 2『遭遇および再遭遇』

遭遇直後

奇妙な沈黙は約1分続いたのだが、破ったのは承太郎だった。

「……俺はジョークを聞きたいわけじゃないんだがな」

「ジョーク?何か面白いこといいました?わたし」

再び会話が途切れた。

承太郎は黙って吟味するように未起隆を上から下まで眺めている。対する未起隆はそんな承太郎を不思議そうに見返している。

「宇宙人だ、と言ったな?」

「ええ、職業は宇宙船のパイロットです。宇宙船、呼びますか?」

「いや、いい」

嬉々として腕時計に話し掛けようとする未起隆を承太郎は遮った。この方向で話を進めると不毛なことになりそうだと判断したからだ。

この際、この少年が質の悪いジョーク好きな人間だろうと、本気で自分が宇宙人だと信じていようと、もしくは本当に宇宙人だろうと承太郎には興味がなかった。

問題は、協力的か否か、だ。

もう一つ。さっき見たと思った、体格の変化、あれは見間違いだったのか。それとも?

承太郎は用心深く口を開いた。

「君はドクトル・ホイスの知り合いなのか?」

「はい。さっき知り合いました」

「……」

があかない答えに耐え、承太郎は辛抱強く質問を続ける。

「誰かに紹介してもらったのか?」

「ああ!そうですね、どこから話ましょうか。わたしには〈叔父〉がいるんですが――といっても」

そこで未起隆は誰も聞いてもいないのにヒソヒソ声になった。

「もちろん、洗脳して私のことを甥だと思っている人物なんですが」ここでまた普通の声に戻り、「その〈叔父〉さんが医者をしていて、ドクトル・ホイスとナチォナーリ・ホテルのロビーで待ち合わせをしていたんです」

声を潜めるべきところが逆だろう、と承太郎は思った。

「でも、すべての交通機関がドクトル・ホイスの敵になったようで時間どおりに来られなかったドクトル・ホイスは〈叔父〉に会うことができず、〈叔父〉を見送った私に会ったというわけです」

そして、この少年にアタッシュ・ケースを託した、というわけだ。

承太郎は考える。

ドクトル・ホイスはこれをそれほど重大なものだとは思っていないようだ。少なくとも、怪しげな連中に狙われるようなものだとは思っていない。このケースの中身が弓と矢だとして、ドクトル・ホイスがその効果に気づいておらず、狙っている連中だけがその効果を知っているのか?

だが、承太郎はその考えを捨てた。

もし、効果を知らなかったら医者が出てくる幕がはない。もちろん、ドクトル・ホイスとこの少年の叔父が骨董品の収集を趣味としていて弓と矢を骨董品として見ていれば、効果を知らないというのもありうることだが。

承太郎は考えを進めるためにさらに質問を続けた。

「君の叔父さんの専門は何なのか知っているか?」

「なんでも、義手や義足の研究をしているそうです」

義手に義足?

かなり意外な答えだった。義手や義足に関する物なら、なぜ怪しげな連中に狙われるのだ?「人間を超えた能力を付加する」とは?狙っている連中が勘違いしているのか?それとも、本来の研究とはまったく別物でドクトル・ホイスもこの少年の叔父も禁断の力を手にしようとしているのか?

承太郎は考えるのをやめた。

データの出揃っていないままに推測をしても、事実とは程遠いところにしか行きつかないのは分かりきっているからだ。やはり、このケースの中身を見なければ謎は解けない。ここからは慎重に事を運ばなければならない。

僅かの間にそれだけ判断して、承太郎はおもむろに口を開いた。

「ドクトル・ホイスが君の叔父さんにこれを渡そうとしたわけがそれで分かった」

そこで自分の言葉の与えた印象を確かめるべく、承太郎は少年を窺った。自分の次の言葉を待っているのを確認してから承太郎は話を続ける。

「ドクトル・ホイスが忘れていったものを持ってきたんだが、それも君の叔父さんに渡さなければならないんだ」

承太郎は自分のカバンから大判の封筒を取り出してみせた。実は中身は承太郎自身の論文なのだが、大学の公用封筒に入っているのでいかにも「それ」らしく見える。ダミーにはうってつけだ。

「ああ、それならお預かりしますよ」

未起隆がそう言うなり、承太郎は相手が手を差しだす前に言った。

「じゃ、一緒にそのアタッシュ・ケースに入れておこう。開けてくれないか」

自然な流れを装ったつもりだったのだが、未起隆が動きをピタリを止めて柔和な笑みを消した。

しまったか。

「あなたはさっき『これを渡そうとしたわけが分かった』と言いましたよね。ということは、事情に詳しい人のはずだ。なのに、わたしが鍵を開けられるとあなたは思っているのですね。それとも、そもそも鍵がかかっていることを知らないのですか?あなたが本当にドクトル・ホイスの忘れ物を届けるような人なら、鍵はドクトル・ホイスとわたしの叔父しか持っていないのを知っているはずです!!」

断言するなり未起隆は走りだし、承太郎の脇をすり抜けた。

脇をすりぬけられた瞬間、承太郎は未起隆の右腕を掴んだ。いや、掴んだつもりだった。

掴んだはずの右腕が承太郎の手の中でシュルシュルと細くなっていく。

「何?」

つるつるしたナイロンの糸状になって自分の手から逃れ去ったその腕が、走り去る少年の腕へと戻っていく。

やはり、変身能力がある!

驚きはしたものの、動きを止める承太郎ではない。

間髪入れずに未起隆を追って走り出した。

クレムリンの赤い壁と大会宮殿の間の狭い空間を飛び出すと、アルミニウムと大理石でできた建物が日の光を反射して白いのを通り越して銀色に輝き、承太郎の目を眩ませた。そのわずかな一瞬がまずかった。

未起隆を追って道を横切ろうとしたとき、ピピピピピピと甲高い笛が鳴らされて警備の兵隊がやってきて、ロシア語で何事か言いながら承太郎を阻んだ。何が起きたのかと思っていると、近くを公用の黒塗りの車が三台ほど走りすぎて行った。

クレムリンはたしかに観光用に開放されているものの、いまでも建物を使っているせいか、兵隊が物々しくあたりをうろついていて常に人の動きを制御しているのだ。

承太郎のほかにもう5名ほどのグループ旅行者が兵隊を道を渡らせてくれるようになるのを待っている。

一方、未起隆は駆けていく。背の高い承太郎には未起隆が植え込みの向こう、元老院の建物の横を走っていくのが見える。見えるのだが、そちらへ行けないのがはがゆい。

承太郎は舌打ちした。

策を弄しすぎたか。

それに、あの少年、宇宙人発言の意図はともかく、かなり鋭い。

未起隆は左に進路を変え、元老院の建物の裏に隠れる形で承太郎の視界から消えうせてしまった。

遭遇15分後

公用車が走り過ぎ道を渡れるようになると、承太郎は未起隆が姿を消した方へと急いだ。

元老院の建物とクレムリン劇場との間の狭い路地へと入っていったはずだ。そちらへ目を向けてみたが、少年の姿はなかった。

馬鹿な。

承太郎は自らも路地へ入っていった。

入ってすぐ右に折れる道があるのに気づいた。

いや、違う。道ではない。

クレムリン劇場の建物はフォーク形をしていたはずだ。とすると……

目を転じてみると、ちょうどフォークのつけねともいえる突き当たりで少年が立ち往生していた。

うずくまってまわりを見廻すも、すべて壁。

承太郎は未起隆のほうへ走っていった。

足音に気づいて未起隆が振り向く。

未起隆が射程に入ると承太郎は何も言わずやにわにスタープラチナを呼び出し、強引に未起隆が右手に持っていたアタッシュケースを奪った。

奪われたほうの未起隆は、急に引っ張られたことに驚いたらしく、持ちあがった右手をまじまじと見つめ、さらに承太郎の方に視線を向けた。

スタープラチナが見えてない……?スタンド使いではないのか?

「おい、そこの!何をやってるんだ!」

英語を投げかけられて振り向くと、警備兵らしい服装の男が二人こちらにやってくる。

やっかいだな。

承太郎はそう思ったが、考えをめぐらせて黙って待った。

警備兵二人はそんな承太郎をねめつけている。未起隆のことは無視だ。

まあ、この柔和な顔をした少年より俺のほうが危険と見るのは当然か。

承太郎は十分自分の与える印象というものを把握していた。

「その手に持っているアタッシュ・ケースはなんだ?ちょっと来てもらおうか」

強引な要求だったが、承太郎は逆らわなかった。

ロシアで公的機関に逆らうとどういうことになるのか、ロシアの状況に(うと)い自分には分からない。それに、ほんとうにやばいとなったときに切り抜ける自信が彼にはあった。

見物客の目を引くことのないようにという配慮からか、二人の警備兵は承太郎をメインストリートではなく、赤い壁のほうへ導いていった。

承太郎を前後に挟んで歩いていく。

壁のところまで来ると、今度は壁に沿って左に折れた。

壁と元老院の建物との間はだんだん細くなっていく。壁の向こうは名高い赤の広場で人の声もするのだが、ここには誰もいない。

前方にバロック風の建物が見えてきた。たしか宮殿兵器庫だ。そこを左に曲がればクレムリン入り口があるし、そこには詰所もある。当然、そこへ連れて行かれるのだと思っていた。

しかし――

「そのアタッシュケースだが」

やにわに立ち止まった男が承太郎の持っているアタッシュケースを指差した。

「中は何だ」とか「開けてみせろ」とかいった文章が続くのかと思ったが、相手はもっと性急だった。

アタッシュケースに手をかけ、奪いとったのだ。

ついでに一緒に中を見てしまえばいいと思い、承太郎も敢えて逆らわなかった。

後ろの警備兵は承太郎の動きを警戒した様子で見守っている。

片膝をつき、アタッシュケースを地べたにおいていじっていた警備兵は、鍵がかかっているのを知ると、今度は

「鍵をかせ」

と言った。

「持ってない」

承太郎は答えた。

「嘘をつくな」とか「そんなはずがあるか」とか言うだろうと思ったが、またも外れた。

相手は、黙ってホルスターから銃を抜くと、左右についている錠のあたりに一発づつ弾を打ち込んだのだ。

そして、黙ったまま開ける。

後ろの男も承太郎も作業をしている男の肩越しに覗きこんだ。

中は空だった。

戻って遭遇10分後

大きな男が警備兵二人に連れて行かれてしまうと、未起隆は握っていた左手をあけた。その人差し指が鍵の形になっている。未起隆はそれを元の形に戻した。

同時に、壁の一部もスルスルと未起隆の身体に同化した。

いままでダミーの壁があった場所からパサリと紙が倒れた。未起隆はそれを揃えて拾い上げた。

さっきあの大きな男に言ったことには少し嘘がある。

未起隆にはアタッシュケースを開けることができたのだ。鍵の形が分からなくて苦労したが、柔らかくした指先を鍵穴に入れて手探りでどうにか形をみつけ、開けることができた。

未起隆はその作業をする時間がほしくて走って逃げて距離を開けたのだ。

未起隆は手に持った大判の紙の束を眺めてみた。

ドクトル・ホイスは他人に見せるなって言いましたが、わたしは他人じゃないですしね。

それは何かの設計図のように見えた。

専門家でない未起隆にはよく分からなかったが、手のひらのように見えるものもある。手首とおぼしきところから中指まで線がひっぱってあって250という数がある。きっと単位はmmですね。他には……最大出力1950kg/cm2

紙の一枚一枚に特徴的な記号が書いてあった。

「……お寺のマーク?」

未起隆の頭の中を地図記号がよぎっていった。

――ちょっと違うみたいな気もしますけど。

なぜ、これをあの大きな男が見たがったのか未起隆にはよく分からなかった。

でも、狙われるってことはすごく重要な物なのでしょう。ホテルに戻って大人しくしていましょうか。

未起隆は紙を丸めて手に持った。

歩き出そうとしたとき、うめき声のようなものが聞こえたような気がした。

いったい、何が……?

良からぬことが起きているような気がして、未起隆は警備兵が大きな男を連れていった方へと走っていった。

14時55分――遭遇25分後――そして再遭遇

「中身はどうした?」

そう訊かれると、一瞬おいてやおら承太郎は屈めていた腰をピンと伸ばし、自分の背後で銃を抜こうとしていたもう一人の警備兵を殴り倒した。

「抵抗するか!」

「……おかしいと思ってはいたんだ。流暢に英語をしゃべることも、詰所ではなくこんな物陰で調べ始めたことも、性急なやり方も。そのうえ、『中身はどうした』だと?お前らの目的は『俺』じゃなくて『中身』だ。それとも、正確に『中にあるはずだった物』と言った方がいいか?いずれにせよ、お前らは『中身』を知ってるな?」

多分にはったをは含んでいたが、相手の沈黙を承太郎は肯定と取った。

殴り倒した男が鼻血をだらだらと流しながらも起きあがって銃を構えた。承太郎自身の拳は届かない。となると――

「オラァ!」

武器を構えた相手に遠慮なくスタープラチナの拳を叩き込む。

不可視の力に相手は十数メートルは吹っ飛んで呻き声も揚げずに動かなくなった。

その様子を見ていたもう一人の男は何が起きたか分からず、緊張した面持ちで承太郎に向けて構えた――発砲した。

足元に警備兵の身体が吹っ飛んできて未起隆は驚いた。

顔は血だらけになり、口からも鼻からも血を流して気絶している。ひどい怪我だ。

未起隆は男が吹っ飛んできたほうを見た。

あの大男がいる。その傍にうっすら筋骨隆々たる闘士の姿が見える。

未起隆は直感で分かった。

アレが警備兵さんを傷つけたに違いない。

男は残った警備兵と対峙している!

兵隊が発砲する!

しかし、弾はすんでのところで傍らの闘士が掴んでしまった。

Unglaublich(ウングラウプリッヒ)……」

目を見開いてつぶやく警備兵。

「信じられない、か。ドイツ人だな」

短く言って男が兵士に向かって一歩前進した。

兵隊さんがやられてしまう!

「わたしを騙そうとしただけでなく兵隊さんまで!あなたはひどい人です。……ピストルの弾はつかめるようですが、これならどうです!」

未起隆は叫ぶなり走った。

承太郎は振り向いて未起隆を視認した。

手に持っている紙の束、さっきは持っていなかった。あれがもしかしたら中身だったのか?

同時に気づいた。

弾を「つかめる」だと?この少年、スタープラチナが見えている!スタンドが見えている!

少年が何者かは知らない。知らないが、分かったことがある。

ひとつめ。少年はいわゆる『悪人』ではないこと。ふたつめ。にもかかわらず、どうやら一戦を交えなければならないこと。

鋭い視線を送りながらたたずむ承太郎に未起隆が迫ろうとしていた。