東方仗助 VS 片桐安十郎

Round 2 赤い衝動

寒みぃ……

日は高くなってきているが気温が上がっているとはとても思われず、学生服を貫いて切れそうな冷気が容赦無く仗助を襲う。

白い地面と抜けるような青空の間を凍れる空気がつないでいる。

娘を抱いてこわばった表情をしている母親の周りには、異変に気づいた人々が集まりつつある。

どうしたんですか。ああ、娘さんが。どこかにぶつけたのかな。揺らさないほうがいいですよ。あったかくしたほうがいいのかな。これ、使ってください。主人が係の人を呼びに行きました。私、携帯持ってる。救急車呼びましょうか。きっと、大丈夫ですよ。

人々のさざめきが仗助の耳に入ってくる。

その子は大丈夫じゃねぇんだ、もう……

それどころか、ここに集まっている気のいい人々にまで危険が及びつつあるのが仗助には分かっていた。

あいつが1人殺っただけで満足するような奴か?

手袋もしていない手のひらはもはや寒さで感覚もなく、赤く膨れていた。それをじっと見つめながら仗助は唇を噛んだ。

アンジェロの野郎はどこだ?ヤツは次にどう出る?

仗助は自分の手を見つめながら、感覚を取り戻そうとするようにグッと握りこぶしを作った。

あいつを止められるのがオレだけだというのなら。

この街の人々はオレが守る!

さっきまではこの土地の寒さに心の中で悪態をつきどおしだったが、いまは昂揚しているせいか、張り詰めた寒さが心地よい。鼻歌さえ出てきそうな気分だった。

一人殺っただけで終わるなんて、まさか、な。満足いくまでやるべきだよなぁ!

遠くからサイレンの音が近づいてくる。

パトカーだな、あれは。救急車を予想してたんだがな。

しかし、アンジェロには救急車だろうがパトカーだろうが、変わりは無かった。この殺人を証明できる者はいやしない。法廷に出せるような証拠を出せる者もいやしない。アンジェロの行動は昔から変わり無い。が、昔とは違う。まったく、自分に「スタンド」という能力があるってことは、俺が好き勝手に殺っていいって証拠だよなぁ。

サイレンが止んで、警官らしき人間が現場に急ぐ――といっても、雪で滑りやすいので小走りなのだが――のをアンジェロは遠くから眺めていた。

ま、少し、間を置くかな……

そう思って、別な方向へと向かいかけたとき、素晴らしい考えが浮かんだ。

本当に。素晴らしい。天才的だ。

仗助はとりあえず、アクアネックレスの消え去っていった方向に足を向けた。あの女の子の後にまだ人が死んでいないところをみると、アクアネックレスはいったん本体の方向へ戻ったと考えられるからだ。

しかし、すぐにあてのない行動であったことに気づく。

雪まつりだけあって、人の数は多いし、アンジェロが目立った格好でもしていればいいが、大通りで見かけた感じではごく普通のコートを着てごく普通のズボンをはいていた。どっちかって言うと、防寒という観点から外れきっているかっこうをした仗助のほうが目立つ。

そうか、目立つ、か。

仗助は滑り台のついた雪像のほうへ駆けていった。滑り台にはさまざまな色のコートやアノラックに身を包んだ子供たちがたくさん順番待ちをしている。中には、母親や父親に付き添われた子供もいる。その行列を無視して仗助は巨大雪像滑り台に近づいた。

「ちょっと、順番待ちしてんだから!!」

避難の声、完全無視。

「おりゃああぁあああああ!!」

奇声を発しながら仗助は滑り台の滑る部分を勢いをつけて駆けあが――あが――あが――

途中で滑り落ちた……

転ばなかっただけマシと言える。

「おい、何するんだ。危ないじゃないか!」

次に滑るはずだった男の子の付き添いの父親が文句を言う。まあ、当然のことだ。仗助はヘラヘラ笑ってみせ、

「いやぁ、失敗しちまったなぁ」

と言うと、ついでに横にある巨大ネコドラ君像に蹴りをいれた。ガッと雪片が巻き散る。

「おい!」

「なんすかぁ?」

「『なんすかぁ?』じゃない!何考えてるんだ!」

「え?何かなぁ」

ノラリクラリと受け答えしつつネコドラ君にパンチを入れて穴をあけてみたりする。周りに飛び散った雪で雪玉なんかをつくりながらニヘラニヘラしてみせると、相手の顔はもはや湯気でも出しそうなぐらい真っ赤になった。周りには人が集まってきて非難の視線を仗助に送る。

――温和なこの俺がこれだけ馬鹿やってみせてんだ、はやいとこ見つけろよ、アンジェロ。ここに俺がいるんだぜ。おめぇをぶちのめした俺がいるんだぜ!当然、復讐してぇよなぁ。そうだよな、アンジェロぉ!

ヘラヘラした表情を作りながら、その実、仗助は必死だった。

この騒ぎは当然、真っ平らな会場のどこからでも見えた。片桐安十郎ことアンジェロもいぶかしげに人々の集まりを眺めていた。

いま、会場には2つの人だかりがあった。ひとつは、女の子が死んだあたり。事故か病気かと騒いでいるが、まもなく警官やら救急隊員やらがかけつけるであろう。もう1つの騒ぎ、ありゃあなんだ?イベントってわけでもなさそうだ。

アンジェロは首からぶら下げていた双眼鏡を眼前にあてた。狭い視界をそろそろと動かしていって、はたと手を止める。

学生だ。と言っても、ただの学生じゃない。

「あのガキィィィ……よーーーく覚えてるぜェェェェ〜っ!『東方』!東方仗助。あの変形学生服にもチンケな髪型も忘れようがねぇからなァァ〜!そうか、仗助の野郎。こんなところで出くわすとはな。おめーには因縁ってやつが目白押しのようだなァ。だが、後だ。どーせ、おめーに俺を止められねぇ。俺のアクアネックレスをよぉ!」

2組の騒ぎを気にしながらも、気にせず見物をしている人々はたくさんいる。もちろん、いま、この瞬間、ブツブツつぶやいている安十郎のそばを通る者もいたのだが、この男の凶悪さにもこれから起こる更なる凶事にも気づいた者はいなかった。

そんな不吉な連想など、観光客にはあまりに程遠く、雪まつりにはあまりに不似合いだったのだ。

ハァー、ハァーと手のひらに息を吹きかけながら若い警官は先輩である壮年の警官の様子を眺めていた。女の子をかたく抱きかかえている母親はぐっと口を閉じていて、質問に答えるのはもっぱら父親のほうだった。見たところ、女の子は口だの鼻だのから血を流していて顔色は土気色、もはや死んでいるのには間違いなかった。救急車も呼んだというが、手の施しようがなさそうだ。

かわいそうに……

若い警官の感慨は女の子とその両親のどちらにも向けられていた。

年取った方の警官はわざと事務的に話を訊いていた。非情なように見えるが、この先輩が実は涙もろいのを若い警官は知っている。

「じゃ、見ていた感じでは滑り降りるときにどこかにぶつけたふうではなかったんですね?」

「はい。どちらかというと、滑り出す直前にフッと倒れたように見えたんです」

「うーん……」

と警官は唸って両の手を寒そうにすりあわせた。

「その前に何か飲んだり食べたりしました?」

「このジュースを」

なぜかそのときまで後生大事に持っていた紙コップを父親が差し出した。警官がそれを受け取って、臭いなどかいでみる。が、何が分かるということもなく、黙って首を振った。。

「おい、持っててくれ。いちおう、調べてみよう」

「わかりました。わっ!」

パチャッと若い警官の顔に紙コップの中身がかかった。

「すまん、だいじょうぶか。飲むなよ」

言いながら、警官は首をひねった。中身が飛び散るような荒い渡し方をしたつもりはなかったのだ。

「もう、遅ぇんだよぉ……」

「……何?」

若い警官は全身を震わせていた。

「おい、吐き出せ」

「イヒヒヒヒ、もう遅いって言っただろぉぉ!!」

違う。苦しんでいたのではない。笑っているのだ。

うつむいていた若い警官は顔をゆっくり上げた。その顔に凶相が浮かんでいるのをもうひとりの警官はポカンと眺めていた。これが、いつも「そんな気の弱いことでどうする!」と怒られている奴の顔か?

若い警官は右手を肩のところまでまっすぐに上げた。

その手に銃が握られているのに気づいたのは破裂音がしてからだった。

おい、むやみやたらと拳銃を抜くなよ。

それが、警官が最後に思ったことだった。

血が飛び散った。衝撃で少し後ろにのけぞって警官が倒れた。額の真中に穴が開いていた。

その光景を一部始終見ていたのに、まわりの人間は麻痺したように動かなかった。

若い警官がゆっくりと銃殺死体に近づいて、その腰から拳銃を取りあげ、左手に構えた。

「キャーッ!」

誰かが悲鳴を上げた。そのとたん、人々は我に返った。

「助けて!」

「逃げろ!」

「誰か!」

悲鳴だの何だのをあげながらこけつまろびつしている人々を高笑いしながら若い警官が無造作に撃っていく。

「グヘヘヘへへ、イヒヒヒヒヒヒ!逃げろよ、逃げろよ、逃げろよぉ!」

二挺拳銃の要領で両方の手から弾が飛び出す。ターンと音がするたびに誰かが倒れる。身体が跳ねる。血が飛び散る。狙いなど、つけていない。ただただ、人体であれば誰でも標的だった。

ターン、ターン、ターン、ターン……

乾いた音が青空に(こだま)する。

離れた場所にいた人々の中にはこんなに雪なのに運動会か、さすが北海道。と呑気に考えていた人もいたという。

銃声が()んだ。

伏せていた人々がそろそろと顔を上げた。

その人たちは後にこう証言したという。

「まるで、(いとおし)んでいるみたいでした」

(いとおし)んでいるみたいにうっとりした目で警官は銃身をあげ、自分のこめかみに銃身を当てた。

タン!

軽やかな音がした。

軽やかに警官は倒れた。

血みどろの死体たちが白い地面に華を添えていた。

「ほんとにグレートな状況ってやつだぜ……」

銃の乱射された現場を眺めながらつぶやく。

発想の転換・その1。

俺が奴を見つけられないなら、奴に俺を見つけさせればいい。

――と、思ったってのに。

アンジェロの奴、俺を無視するほうを選びやがった!

前に奴と対峙したときの執念深さからみて、俺を襲ってくると予想したってのに。

あれが、あの銃の乱射がアンジェロの仕業で無いなどとは考えられなかった。奴のことを考えると怒りがフツフツ後から後から沸いてくる。警官?そうだ、奴は仗助の父親代わりであり、警官だった祖父を殺しているのだ。

落ち着け……クールに行こうぜ……まだ怒りに任せてぶち切れるには早すぎる。奴を目の前に射程距離に捕らえるまでは。熱くなるのは奴の思うツボだ。

そこで。

発想の転換・その2。

奴が殺しをやめないなら、殺される人間のほうをこの場から減らすべし。

「こんなこと、ホントは、したくねェんスよ、俺ぁ。けど、非常事態ってことで……」

ぶつぶつ言いながら仗助はいままで騒ぎを起こすべく立っていた滑り台付き雪像からポンと飛び降りた。さっきまで人々の非難の視線が痛いほど突き刺さっていたのだが、いまはそれを上回る大騒ぎのせいで仗助から注意がそれている。

仗助はそろそろと移動して、とりわけ立派な雪像の裏にまわった。ヨーロッパの議事堂っぽい建物で、見物客も多い。

「もったいねぇよなぁ……けど――雪像製作者の皆さん、ならびに雪まつり開催者の皆さん、ごめんなさい、すべてアンジェロのやろうが悪ぃんス!」

そこまで言って、やっと踏ん切りがついた。仗助はクレイジーダイヤモンドを呼び出し、ありったけの精神力を込めて雪像を殴りつけた。

ドグワァ!!!

大穴が開いた。中の張りぼてがむき出しになった。支柱を一本ぐっと握って引いた。

バキッ!!

パワーなら承太郎さんのスタープラチナにだって負けないんだぜェ!

雪像が揺れる。仗助は周囲の人に聞こえるようにありったけの大音声を上げた。

「逃げろ!崩れる!!!」

コロキウムが終わり帰り支度をしていると、懇意にしている研究者(たしか、助手だったはずだ)から一緒に昼食でもどうか、と声をかけられた。午後の予定はなかったし、その人物――古坂という――には研究上の話もあったので、承太郎は頷いた。

「エンレイソウとかいう上等な食堂が構内にできたんですよ。2、3年前だったかな。あれこそ官々接待のための建物だけど、物珍しいもんだから一度行ってみたかったんですよ。」

「まだ行ったことが?」

「ええ、ないんです。建物が上等なだけに値段も上等でね。こういう機会でもないと踏ん切りがつかなくて。おっと、先に研究室に寄ってもらえますか」

研究室のドアを開くと左手にコゲ茶色のソファが置いてあり、そこに学生が寝そべってTV を見ていた。学生は人が入ってきたので慌てて姿勢を正した。古坂はニヤニヤしながらそれを見て学生に話しかけた。

「俺でよかったね、三波君」

「ボスかと思いましたよ。ああ、びっくりした」

「会ったことなかったよね?こちらは空条さん。こっちはうちの学生の三波君です。いま、マスターの1年」

承太郎と三波が挨拶を交わし終わると、古坂はまた三波に話しかけた。

「〈御無沙汰〉君と一緒に行ったんじゃなかったの?」

「御無沙汰君?――ああ、若林さんですか?」

「そう。朝、一緒に雪まつりに行くって言ってたけど。それとも、また壁 登ってるの?」

「壁登りはしないでしょう、いくらなんでも。今、冬なんですから。――若林さんは瓜生さんを迎えに行きましたよ。瓜生さんの友達と3人で真駒内会場を見てからこっちにきて、それから僕も入れて4人で大通りに行くことになってるんです」

「なんだ、〈お嬢さん〉のアッシー君になってるのか」

「まぁ、そうとも言います。僕としても女の子が多いほうがいいですからね。でも――」

三波という学生はそこで眉を寄せた。

「でも?」

「何かあったみたいなんですよ、真駒内で。さっきからニュースやってて」

そこではじめて承太郎と古坂はテレビを覗きこんだ。三波が気を利かせてボリュームを大きくする。

“警官が銃を乱射するというおよそ考えられない事件は、ここ、サッポロ雪まつり・真駒内会場で起きました。事件があったのは今からわずか10分ほど前。大勢の観光客で賑わっていた会場で――”

「こりゃ、ひどいな」

映像を見て、古坂が誰に言うともなしにつぶやいた。さすがに、死体こそ映っていないが、想像で惨状を再現できるほど広い範囲に血が飛び散っていた。

「でも、マスコミが来るのが早くない?」

「もともと、この時間、雪まつりの生放送をやるみたいだったんですよ。僕も、それで若林さんとか瓜生さんが映らないかなとちょっと思ってつけてみたら、こうだったんです」

そのとき、テレビから「崩れる!」という声が流れてきて3人は揃って目を向けた。

カメラは青空を背負っているヨーロッパの会議場風の雪像を映し出していた。

はじめは、雪像の上の部分から静かにサラサラと雪が落ちてきて、まるで、砂時計の砂が落ちるようだった。それが徐々に大規模になり、速度を速め、ついには白い塊のままなすすべも無く崩壊していく。ズーンというか、ゴワーというか、言葉にしがたい地響きは若干遅れて聞こえた。カメラに風が吹き付けて、見ている者に吹雪の中にいるかのような錯覚を起こさせた。

「崩れた……」

三波はそれだけ言って絶句した。古坂は黙って目をむいている。

しかし、承太郎には別のことが気になっていた。

あの声……仗助?

「キャー!」「うわー!」「早く!」「誰か!」「逃げろ!」

人々が口々に何事かわめきながら駐車場へ、駅へ、と殺到していく。『蜘蛛の子を散らすように』とはこのことだ。

「いや、本物の蜘蛛の子が散っていく様子なんてみたことねぇけどさ……」

呆然として今の状況とに似合わぬ台詞をはいたのは、東方仗助本人だった。自分が引き起こした事態ながら仗助は少々青ざめていたのだ。

――これで怪我人なんか出ちまったら。俺、完璧に『少年A』だよな。いや、俺の仕業だってわかんなきゃ大丈夫か。

とはいえ、仗助はやるべきことはやっていた。怒涛のごとき人の流れをにらみつけるように凝視し、不審な人物を――簡単に言えばアンジェロを――探していたのだ。自分の引き起こした惨劇に陶然となっているはずの人物を。

「!!」

いた。

あれだ。

大通りで見かけたときと同じ服装。

『さっき』俺がいた滑り台のほうを双眼鏡で見つめている奴。

片桐安十郎は思ったよりは近くにいた。その距離、20mほど。

「神様って奴がいるとしたら、やっとお仕事始めてくれたようだぜぇ……」

つぶやいて、仗助は人並みをうまく利用して徐々に徐々にアンジェロに近づいていった。逃げられたらコトだ。

そこにじっとしてろよ、アンジェロぉ……

片桐安十郎は大雪像が崩れたとき、双眼鏡を目に当てて、唇の端をクッと満足そうにゆがめていた。自分の行為にひどく満足していたためか、それとも、崩れた大雪像が思いのほか近くだったためか、とっさの判断と言うものが酷く遅れた。

これは……ただの『事故』か?

まさか。雪まつりの雪像が崩れるなど、聞いたことがない。

アンジェロは双眼鏡をさっと滑り台のほうに向けた。さっき仗助を見かけたあたりだ。

やはり、いない。

確信を持ってアンジェロは双眼鏡をおろした。

あの野郎だ。あの野郎の仕業だ。チマチマした小細工が好きな野郎だとは思っていたが、こんな大胆な真似もするとは。だが、何のためだ?混乱が起きてるだけじゃねぇか。

さらに考える。

俺の行動を封じるため?おいおい、こんなことで俺を止められるとでも思ってんのか。まぁ、ここでボケっと突っ立ってるのはまずいかもしれないが。

あらたな犯罪を考え考え振り向いたとき、バチッと視線が合った。

「仗助!」

おもわず、口走っていた。もう5、6歩というところだった。間には誰もいなかった。間にあるのは転がっている死体だけ。

ちぃ!

思わず知らず、両者ともに舌打ちした。

この距離は双方にとって微妙だった。アンジェロにとっては近すぎる。仗助にとっては遠すぎる。

さきに動いたのは仗助だった。

「くそっ!邪念が入るとか行ってる場合じゃねェか!食らえ!」

ドバァ!

クレイジーダイヤモンドが投げつけてきたのは、なんだ?柱?何かの折れた柱?

尖った先端がうなりを上げてアンジェロに迫る。

投げつけた仗助自身も走ってくる。

とっさにアンジェロはひょいと頭を下げた。

ゴボワ!

音がして、背後の雪像に柱が突き刺さった。人間大ぐらいの小ぶりの雪像だったのだが、雪塊が飛び散り、アンジェロの頭に背中に冷たく降り注ぐ。破壊のすさまじさは走り寄ってきた仗助の前にまで雪が飛び散ったことでも分かる。これが自分に当たっていたら、とぞっとするが――

「はずれたぜ、間抜けがぁ!」

捨て台詞だけ吐いてアンジェロは横っ飛びに飛びだそうとした。

「はずれ?違うな。『予想通り』ってヤツだ!」

仗助は自分の前に飛んできた雪塊をすばやくつかんだ。

「そして、『直す』!」

凄まじいまでのクレイジーダイヤモンドの能力が瞬時に発動した。

ブワッと雪混じりの突風に押されて、アンジェロは背後にたたき付けられた。

アンジェロの身体が間にあるというのに、それを上回る勢いで雪塊が雪像へと『直った』のだ。

前後から雪がはりついたかっこうになってアンジェロはもがいた。

仗助は用心しながら近寄った。アンジェロ自身を殴りつけて雪と一体化させてしまえば勝ちだ。だが、事をあせってアクアネックレスの侵入を許せば形成は一変してしまう。

アンジェロは雪像を壊してなんとか自由を取り戻そうともがいている。

くそう。早く来い、早く。

ギリギリと歯軋りをしながらアンジェロの頭の中はその文句だけがグルグルしている。

ボコッ!

なんとか腕が出た。

「させるか!」

仗助がクレイジーダイヤモンドを呼び出す。

その時、背後から仗助に寄りかかった者があった。

「うわっ!」

振り向くなり、血まみれの警官の顔がどアップで目に入って、とっさに仗助はその身体をふりほどいて押しやった。

「アクアネックレスか!」

捕まえる物……は、今は何も持っていなかった。

地面に転がった警官の肢体はやや動いたものの、それっきりだった。スルリとアクアネックレスが口から出て行く。追いかけようとしかけ、あわてて仗助は振り向いた。

「あ!」

そこには崩れた雪像があるばかり。

ほんとうに一瞬だったのに。

「チクショー!!」

罵声とともに仗助は雪像を殴りつけた。哀れな雪像はもはや原型をとどめていなかった。

ザッと見回すと、駐車場のほうへと走っていくアンジェロの後姿があった。

一拍も置かずに仗助はそちらへと走り出した。

雪まつり・真駒内会場近くの駐車場。

会場をいち早く抜け出た3人の男女が歩いている。

1人は身長160cmぐらいで20代前半の女性。名前は瓜生真琴。北海道有数の大学に通う院生である。一行をリードしているのはこの女性で、クリクリとしたよく動く目やきっぱりはっきりしたよく通る声が勝気な感じをかもしだしている。しゃべり方はボーイッシュだが、肩につくぐらいのまっすぐな髪の毛はよく手入れされていてツヤツヤと光沢を帯びている。

もう1人の女性は少し小柄。真琴の友人で河嶋範子といい、真琴より年は1つ下。まだ学部生で、医学部に行っている。真琴とは対照的なおっとりとした感じの女性で、暖かそうな灰色のフェルト帽をかぶっている。

最後の1人が男性で、真琴と同じ研究室に所属する若林智明。真琴からすれば先輩にあたる。山岳部に相応しい大柄のがっしりした体格をしており、今は長い手足をゆったり動かして女性2人の歩調に合わせている。

女性が2人に男性が1人、とくれば両手に花という光景であるが、範子が青ざめた顔をしていて真琴がそれにつきっきりとなり、男1人放り出されている形である。

「大丈夫?大通り行くのやめて家に帰る?」

連れを気遣って真琴はそっと声をかけた。範子はまだ青ざめていたが、ううん、とはっきり首を振った。

「さっきよりはマシ。ごめんね。血ってダメなの」

「無理もない。あれは、ひどかった。血がダメとかそういうレベルじゃないよ」

と慰めてやる。本当にひどかったのだ。

その音がしたとき、真琴と友人・河嶋範子は雪像を眺めながらさんざめき、笑いころげていた。音を聞いておや?と思って口を閉じたときに、2人よりもずっと背の高い若林が「伏せろ!」と言って2人におおいかぶさったのだ。そうなってみてもいったい何が起きたか分からなかった。あの乾いた音は銃声だったのだろう。いまならそう推測できるが、そのときは何の音だったのか分からなかった。分かったのは音がやんで若林がそろそろと立ち上がってからだ。

人が倒れていた。何人も。

血が、或いは流れ、或いは飛び散っていた。大量に。

範子がその光景を見るなり、気分が悪いと言い出したので3人で出てきたのである。真琴も範子よりはマシとはいえあまり見物する気分でもなかった。何も知らないで見物している人はともかく、殺人現場を物見遊山で見守っている野次馬たちの気が知れなかった。そして、その後の大雪像崩壊。

真琴は首を振って、ふぅ、とため息をついた。

「ごめん、何か暖かいものが欲しい」

範子がそう言うと、いっしょに脇を歩いていた若林が気を利かせて、

「たしか、近くに自販機あるよ。買ってくる。河嶋さん、コーヒー?ココア?」

「あればココア」

「〈お嬢さん〉も何か欲しい?」

「もう!〈お嬢さん〉っての、やめてくださいよね」

「カウンターでしか寿司を食ったこと無いような人間だからなぁ。で、何かいる?」

と若林がからかうように言った。

「あれば紅茶。なければ何か暖かいものを適当に見繕ってください」

「了解。車の場所わかる?」

「たぶん」

「じゃ、鍵渡すから中で待ってて。寒いしょ、ここじゃ」

「分かりました」

のっぽの若林は鍵を渡すとゆっくり歩み去っていった。

「ね、寿司って?」

若林の車が駐車してあるところへと歩を進めながら範子が訊いた。真琴はシブい顔をして、情けない調子で説明した。

「前にね、研究室で寿司屋の話になってさ。『カウンター以外でどうやって寿司を食べるんですか?』って訊いちゃったの。松とか竹とかいうメニューあるの、知らなかったんだよ」

範子がクスクス笑い出した。真琴はだから嫌だったんだよなぁ、と心の中でぼやいた。この分だと、寿司屋には何度も行ったが回転寿司に行ったことがないことも言わないほうがいいだろう。でも、笑えるぐらいだから大丈夫かな、と友人の体調については安心する。

きっと三波さん待ってるだろうし。若林さんが来たらすぐに研究室に行かなくちゃ。

目印にしていた渋い青色のワゴン車が見えてきた。窓ガラスが運転席以外濃い色をしていて運転しにくそうだと思ったのを覚えている。若林の車はそこから5台ほど前のはずだ。

「すいません」

「え?」

後ろから声をかけられて、2人は揃って振り向いた。そこにはにこやかな表情の男が立っている。運動でもしてきたのかちょっと荒めの息をしていて「おや?」とは思ったものの、とりたてて不審な感じではない。

「なんですか?」

「失礼だけど、話聞いちゃって。そこでココア買ったんだけど、子供が急にいらないって言い出してね。よかったらもらってくれませんか?」

「うーん……どうする、範子。もらう?」

「でも、若林さんが……」

「いいんじゃない、私、あとで範子の分ももらっちゃってもいいし。気分悪いんでしょ?」

言われて範子はちょっと考え込んだ。その時だ。

トサッ

そんな音がした。

「?」

音がした、ワゴン車のほうにまた向き直る。そこで息を呑んだ。

コゲ茶色のダウンジャケットを着た、見たところ40ぐらいの男性が白い地面に倒れて蠢いていた。運転席の扉が開いている。扉を開けてどうにか転がり落ちてきたというところか。

「どうしたんですか?!」

真琴は駆け寄った。さっきの銃の乱射劇が頭をよぎる。男は右腕をふんばってどうにか頭をもたげて、口をパクパクさせた。口が開いたり閉じたりするたびにそこから血がダクダク流れ出た。

「何?何が言いたいの?」

耳を寄せる。小さな囁きだった。

「ダメ。……アイツ……飲む……な」

とっさに真琴は立ちあがって、鋭く叫んだ。

「範子、離れて!」

「え?」

こっちを見ていた範子には表情の変化が――にこやかにココアの入った紙コップを差し出していた男の表情の変化が見えていなかった。にこやかな表情が掻き消え、ヌメリとした顔をどす黒い表情が塗りつぶしていく。

ガッ!

背後から首に腕を巻きつけられ、河嶋範子は文字通り息が止まった。ガバッっと口で口をふさがれる。範子の腕が男の身体を押しやろう空しく抵抗する。しかし、男は離れない。

何か生暖かい物が口の中に入ってくる。

何?何で?何が――?

まるで、スイカの種でも捨てるように、唐突に男は範子を突き放した。ヘナヘナと範子は座り込んだ。あまりのことに、雪の冷たささえ感じなかった。

ヌメリとした表情の男はそのまま、ゆうゆうと範子も真琴も無視して口から血を吐いて蠢いている男のところまで来ると、その顔をこれでもかというほど踏みにじった。男のウゥウゥゥという呻き声が真琴を我に返らせた。あわてて範子のそばに駆け寄る。

「ほら、立って。しっかりして。逃げるの!」

「ちが……う、動けないの。足、動かせないの。何かが身体の中にいるみたいな感じ。気持ち……悪い……」

範子はポロポロと涙をこぼした。

呻き声はもう聞こえなくなっていた。影が上から差したのに気づいて、はっと鋭く見上げると、ヌメリとした表情の男が笑いをたたえて2人を見下ろしていた。倒れていたはずの男性がいない。車の中に押し込んだ?

「さて、と。話があるんだが、な」

「ちょっと、範子に何したの!」

そうかみついたとたん、男は表情も変えずに真琴の顔面をこぶしで殴った。たまらず、倒れこむ。痛みは後から来た。鼻血が流れた。男を見上げると、

「周りにいる人間が多めに見てくれるってんで、いつもはわがまま放題なんだろう。いい気になりやがって」

真琴は何か言い返したかった。何か気丈な言葉を吐きたかった。そんなふうに声を荒げて脅して、体力の違いをいいことに暴力で人を従わせようとするなんて、最低だ、とかなんとか。でも、唇は震えるばかりで何も言葉は出てこなかった。

アンジェロは地面にペッタリと座り込んで自分を見上げている女2人の様子にとりあえずは満足して、ワゴン車の後ろを開けた。

「乗れ」

分かってないのか、女は動かない。

「乗れってんだ。聞こえねェのか。早くしろ。おっと、おまえはこっちだ」

アンジェロは口答えしてきたほうの女を奥の助手席の後ろあたりに追いやると、自分は大人しい方の女を後ろから羽交い締めにしながら立たせ、押し込むように車に乗せた。アンジェロ自身もワゴン車に乗り込み、後ろを閉める。閉めてしまえば濃い色ガラスのせいで外から中の様子はちょっと見、分からないはずだ。

さっきは危なかった。

仗助に追い詰められ、とっさに死体にアクアネックレスを入り込ませて動かしたものの、アクアネックレスは「死体」を動かすスタンドではない。死んだばかりの人間の体液に混じっただけだ。ずっと死体に入り込んだままで凍り付いてしまえば、死体がそのままアクアネックレスの棺桶になってしまう。

今、アクアネックレスはアンジェロが自分の足の上に座らせている女の中にいる。少し中で暴れてやると女の身体が苦痛でビクッと動く。なかなかいい気分だった。こいつは綺麗に殺そうと思っている。特別に。出血がわずかになるように細心の注意をして。そうしておいてから、この綺麗な人形を汚すのだ。完膚なきまでにめちゃくちゃにするのだ。俺がこいつの支配者になるのだ。

が、その前に。

前に座ってこちらをにらみつけている女から訊くことを訊いてしまおう。

それまでは生きているほうがいい。苦痛の表情を浮かべるほうがいい。

アンジェロは猫なで声を出した。もっとも、下卑た笑顔が自然と浮かんでくるせいで、必ずしも意図したような印象を相手に与えてはいないようだった。

「名前は?」

「瓜生」

「ウリュウ? 下の名前は」

「真琴」

「親の職業は?」

「会社員」

「会社員?……役職は?」

「常務」

「馬鹿にしてんのか?それともてめーが馬鹿なのか?それは『会社役員』だろう!」

ちょっと荒い声を出してやると女はザァッと青ざめた。それがまたアンジェロには楽しい。

「何か書くもの持ってるか?」

「書く……もの?」

「テメーの住所と電話番号とそれから親の名前を書くんだよ」

こちらを気にしながら女は手に持っていたバッグから手帳を出した。

ま、連絡先が分かってしまえば用済みだ。今は鼻血だの涙だのでひどい状態だが、なかなか綺麗な顔立ちをしているし、いろいろと『楽しく』遊べるだろう。

書き出した女にアンジェロが鋭い声を投げた。

「おい!」

ビクッとなって女は手を止めた。

「フリガナ付けとけ」

観光バスはもう数えるほどしか残っていない。乗用車用のスペースもだいぶん開いてきている。さっきまでは出口の辺りが混んでいるせいで、なかなか外に出られなかったのだが。もう、人々は大分、会場から脱出してしまったようだ。

この辺りにアンジェロの野郎が逃げ込んだのは確かなんだが。

仗助は駐車場の出口を中心に目を光らせていたのだが、いまのところ、アンジェロが出ていった様子は無い。

雪まつりの運営委員会が綱を張ってしまって、会場へ入ることができなくなってしまっているから、外へ出るところに張り込んでいればアンジェロを逃すことはないはずだ。

しかし、次第にあせってきた。

もし、もうアンジェロが外に出ていたら?

仗助は自分を鼓舞するように、右手をブン、と振った。

「うわ!」

「え?」

振った右手が何かに当たったと思ったら、横にはジュースかなんかの缶を地面に落としている人がいた。どうやら、叩き落してしまったらしい。

「すんません」

慌てて、仗助は缶を拾って渡した。素手を通して缶ジュースの暖かさが伝わってくる。

「いいよ、いいよ。ありがとう」

気のよい返事とともに立ちあがった人物は仗助と同じぐらいの身長だった。仗助自身けっこう背は高いほうだから、相手も相当なものだ。

「あのさ、君、ずっとここにいた?」

思いがけず、相手が話し掛けてきた。それどこじゃねーんだよな、とは思ったが邪険にはできず、頷いく。

「2人連れの女の子が出て行かなかった?あー、女の子つっても、君より年上だろうけど。1人はこれぐらいの身長で。ショートカットで……うーんと、茶色い皮製の手提げを持ってて、もう1人はもうちょっと小柄でフェルトの帽子をかぶってて……」

「見てないス」

「うーん……そうかぁ……」

困ったような顔をした相手に向かって今度は仗助が訊く。

「どうかしたんスか?」

「いなくなっちゃったんだよねぇ。車の鍵を渡したのに、車の中にはいないし。どっかに散歩に行ったとは思えないし」

いなくなった2人の女性、か。

不穏な物を感じて仗助は考え込む。

「――いっしょに探しますよ。どの辺で分かれたんスか?」

「えーとねぇ――」

賭けだった。この場を離れていいものかどうか分からなかったが、仗助にはけっこう割りのいい賭けのように思えた。

アンジェロは呼吸するように犯罪を犯す。

逃げるにも、足がいる。

この2つの条件から考えれば、その女性2人はかなりの確率でアンジェロの餌食になっている。

『餌食』っての、考えたくねェけど。

「ここで、僕が自販機のほうに行って、2人はこっちに行ったわけ」

背の高さを利用してキョロキョロと左右に目を配りながら歩く。

「で、こっちの列、見える?あの灰色のセダンが僕の車」

仗助はその説明を聞いてなかった。スッとしゃがむ。

「どうしたの?」

「鍵ッスよ。車の」

落ちていた鍵を拾ってスッと差し出す。

「……僕のだ。どうして……?」

のんびりめだった口調に不安な調子が混じる。さっきから起きている血なまぐさい事件を思い出したのだろう。

「ここに落ちてたんだよね?」

言いながら、そばの車の中を覗く。右にあった車には誰も乗っていなかったらしい。しかし、左にあった渋い色のワゴン車を覗きこんで、叫んだ。

「お嬢さん、何やってんの!」

ダンダンダン、とフロントガラスを叩く。仗助は慌てて側に駆け寄った。覗きこむと、助手席の後ろ辺りに青ざめた女性が後ろ向きに座っていて、こちらを振り向いていた。その顔は血と涙にまみれていた。

もっと奥に人影がある。

仗助は、叫びながらダンダン窓ガラスを叩いてる男性の腕をつかんで自分の後ろにやった。

やっと見つけた。

けど、グレートな状況って言わねぇか、コレ。