平泉にて歴史を感じ,雫石に田舎を感ず

夜の間に台風は行ってしまったようで,その日は朝から快晴だった.

朝食を取りに食堂へ行くとカナダから来たという外人さんが先に御飯を食べていた.YHのおじさんはすこぶる御機嫌でサービスに納豆をくれるというのでありがたく2人でいただく事にする.

その外人さんは納豆はさすがに知っているものの,かき混ぜるときに醤油をつけないあたりよく知っているというわけではなさそうだった.先に言ってやればいいのに気づいたのが御飯にのせちゃった後だったので結果的に謎な納豆の食い方を教えたことになる.ええい,私のせいじゃないやい!

さて,せっかくなので平泉観光は毛越寺から始める事にする.ユースに泊まった人は拝観料がタダだしね.あ,ちなみに入って右手の奥に無料コインロッカーがあります.

この毛越寺というお寺,実は頼朝の頃に焼け落ちており,建物は最近のもの.しかし,庭園などの造りは平安時代そのままだそうで,実際,大きな池のある美しい庭でした.散歩にはとてもいいですね.ここで絵葉書を買い,祖母と両親に手紙を書いて毛越寺を後にする.

それからひとまず手紙を出すためとお金を下ろすために郵便局により,荷物を預かってもらうために平泉駅へ.駅のそばのお店に「荷物預かります」という看板が出ていたのは昨日チェック済みなのだ.

荷物が軽くなったところでさっそく観光開始.めざすは中尊寺方面.なんかねー,YHのおっちゃんは平泉なんて毛越寺と中尊寺見たらおしまい,みたいな口ぶりで午後は一ノ関で遊んでくるといいよと言っていたんだけど,歴史好きな私にとって平泉って憧れの地であり,きっと一日かかるだろうなぁと予想はしていた.

さて,弁慶の墓というのを探してたったか歩いていくと,夢館というのがあるという.蝋人形館らしい.興味を覚えて坂を登っていくとありました,夢館.

入ってすぐのところで饅頭を作っているおじさんに呼びとめられ,作ってる途中の饅頭をちぎって渡される.こういうのにすこぶる弱く,おもわず一箱買ってしまう.こいつは研究室へのお土産にしよう.

気を取りなおして夢館へ.奥州藤原氏にまつわる名場面を蝋人形を使って再現したという形式で,こういうのが好きな私はおもわず見入ってしまい,午前中はここで過ごす.蝋人形だけでなくホログラムとか和紙の人形なんかもあった.

えーっと,私が一人旅が好きな理由の1つって,こういうとこに入るとじっくり見てしまう事に加え,いちいち感激して涙を浮かべ,悲しみに沈んで涙を浮かべしてしまうからなんですが,今回もやっぱりやってしまいました.

そういえば,大阪城でもこういう名場面を再現して説明を加える系な展示物があって,そりゃあもうじっくり見てしまいましたっけ.

さて,出てきてお昼御飯.YHのおじさんが「蕎麦を食べるといい」と言っていたので.坂を降りたところ,国道4号線の傍らにあった『地水庵』という蕎麦屋に入る.中は木造,畳,木の机.一番奥に腰を降ろし,1日に10枚しか作らないという古典蕎麦を頼んでふと目を隅にやると……あの積み上げてある座布団の上にのってるの……猫?

そう,黒猫が紺色の座布団の上に丸くなっているのである.おもわず,蕎麦が来るあいだ,そうっとなでさせてもらった.その後,入ってくる人,入ってくる人,その猫を見てギョッとするのが面白かった.

腹ごしらえを済ませ,再び中尊寺を目指したところ,みつけました,弁慶の墓.なんだ,中尊寺の入り口(?)にあるんじゃん.

中尊寺は毛越寺と違って観光地,観光地してましたね.お店が並んでいて.すごくまよったけど,弁慶力餅とかいうのを仲のよい物理事務・準備室の方へのお土産に買う.般若心経の書かれた線香というのも気になったんだけど,お寺ならどこでも売ってそうな口ぶりだったので中尊寺独自の香りのよい線香を友達のために買う.

中尊寺はほんと山の上.とちゅう,木炭で絵を書いている人なんかもいました.有名な金色堂は拝観料を払わないと見られない.でも,ここまで来ておいて金色堂見ないのはないでしょう,と,ちゃんとお金を払う.

金色堂はしっかりとガラス張りの内側にあっていっぱい仏像が仲に並んでました.音声で説明が入ります.

白状します.私は金色堂の中にミイラが3体座っているんだとばかり思っていました.(笑) 仏像が並んでいてがっかりしました.

もういっこ白状します.僕が中尊寺というものを知ったのはサザエさんのオープニングで昔出ていたからです.

この頃になるとすっかり疲れきっていて,途中で座ったり餅を食べたりして中尊寺を後にしました.

あとで拝観券を見たら,切れてない切片が! うそー,讃衡蔵,見てこなかった~!

それから,つったかつったか歩いていって高館・義経堂というところに寄る.ここも入場料いるんだけど,たかが100円だし.たかが100円だけある.ちっちゃな建物があるだけ.かの義経はここで自害した……と言い伝えられているんだけど,本当のところは分からないらしい.

また,有名な松尾芭蕉の句,「夏草や 兵どもが夢の跡」もここで詠まれたと言われていて,それの碑もある.そうそう,そこに親子3人と外人さん1人が来ていたんだけど,あやしげな英語で「Summer grass ...」なんてやってたところをみると,説明しようとしていたんだろうなぁ.

高台にあるので北上川やその周りの田んぼのよく見えるところでした.

あとでYHで一緒になった人が言うには時間外に行くと入場券を売っている人がいなくて入りたい放題らしい.

そうして,ブラブラ平泉駅につき,荷物を引き取る前に時刻表を確認するかぁ,と行ってみると,1冊しかない時刻表を眺めている人がいる.この次だなぁ,待つか,と思ってよくよく見ると,これが知った顔.(笑)

「M先生!」

「おお!」

そう,私の直接の指導教官M先生なのでした.そして,私に一言.

「いま JR 止まってるよ」

なにぃぃぃぃ!

なんでも,送電の事故だそうで,新幹線は別から電気を取ってるから動いているとの事.バスで一ノ関まで行けるのでそこから新幹線に乗ろう,と一ノ関行き15時36分のバスに2人して乗る.

どこ見て回った? とかいう話をして,

「じゃ,帰りも28日(=フリー切符の期間が切れる日)にするの?」

と言われた.実を言うと26日にもともとは帰りの指定を予約していたのだが,この一言と先生の口ぶりで遠慮する事ないや,という気になり,28日に帰る事に決める.

16:15一ノ関発の新幹線で盛岡へ.

M先生
今日はどこ泊まるの?
Sousui
雫石のユースです.
M先生
いいねぇ.スキーができる.

まだできませんって.それに,私,スキーできないし.(※M先生はスキーが大好きである)

盛岡着 16:58.

Sousui
じゃ,私は田沢湖線に乗りますんで.
M先生
じゃあね.

と分かれたのに……次の電車,18:00発でやんの.なめてんのか! 予想はしてたけど,やっぱ1時間に1本単位の世界なのね.

しょうがないのでいったん改札を出て,待合室にいたら,本日2人目の知った顔!

同期で他研究室のKである.

Kは今日札幌に帰るという.会ったからにはサルでも使えという格言どおり(そんな格言は無い),荷物を見てもらって,買ってしまった土産ともはや使うあての無い学会用のトラペと概要集を札幌に送り,緑の窓口で指定席の予約を変更して戻ってきて見ると,Kは泣きそうになっている.(笑)

いや,電車の時間が迫ってるんだって.先に言え,そういうことは!

いちおう謝ってKと別れる.彼は無事に帰れたのかしら.

18:00に(たぶん)青森行きの田沢湖線に乗った.私はいっつも不思議なんだけど,どうして東北地方の普通電車って手動で開けるようになってるのかね? 寒いから? でも,札幌はそうなってないよ.おかげで雫石駅でぼーっとしてたら横から手を出されちゃった.

さて,雫石駅でバス乗り場がわからずマゴマゴしていて,こっちかな,と出てみたらたしかにロータリーらしきものがあり,バスが4台いる.

突然ですがね,皆さん.路線バスって言ったらどういう物を思い出します? 私は上に行き先をでっかく表示されたものを思い出します.夜でも見えるような行き先表示がしてあるやつ.

その時,そこにいたバスってのは,私には観光バスにしか見えませんでした.バス停らしき所に横付けになってるのは1台だけだったし.よくよく見たら下のほうに「~行き」って書いてあるような気もしたんだけど,暗いし字も小さめで確信が持てない.さらにここで判断ミス.普通さぁ,バスのロータリーってトコトコ降りて歩いてっちゃいけないよね? よね? 歩いてたら怒られるよね?

なもんだから,私はたとえこれが路線バスだったとしてもバス停に順繰りに横付けになるだろうからそのときに行き先見ればいいや,と思っていた.

18:20.運命の時間.

バスはあっけに取られている私の前で4台とも次々と発車していきました.

取り残されて呆然としている私.

はたと我に帰り,YH に連絡.

「すいません,バスに乗り遅れちゃったんで,これから歩いていきます.2,3時間でつくと思います……」

そうしたら,ペアレントの方は「そこで待ってろ,迎えに行く」と言ってくださった.バス停で1人満月を見ながらおもわず風流を感じてしまいましたとさ.

迎えに来たおじさんに「何で乗り遅れたの?」と訊かれ,事の顛末を述べたところ,

「だから言ったじゃない,ちゃんと行き先確認して乗ってくださいねって」

と言われたのだが……普通さぁ,そう聞いたら「違うバスに乗らないでね」って言うことだと思うよね? ね?バス視認次第,車道に飛び出して即飛び乗れって事だとは思わないよね?

そうして,迷惑をかけつつたどりついたこじんまりとした雫石YH .部屋に通されて,「きゃー,きれー!」と思った(決して叫んだわけではない).フローリングの素晴らしい部屋だったのです.お風呂もそれなりに綺麗でした.

日時: 1999年9月25日 | 旅行記 |

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