京都行ったら「鍵善」のくずきりを食べろというNKからのミッションを敢行すべく,ホテルに荷物を置くなり歩き出す.
ホテルから木屋町通りに通じる道は工事でふさがっていたので,河原町通りを下って,河原町三条で曲がり,橋を渡った角に小さな寺があった.説明書きを見ると,豊臣秀次とその一族の墓があるという.
秀次は秀吉の姉の息子で,秀吉の養子となり関白まで次いだ人物だが,後,疎まれて切腹させられた.あげくに,死後にその一族が処刑されたという.死後に,だ.そうまでして血を絶やさずにいられなかったのかと身震いせざるを得ない.
寺はごく小さなものである.
その中に地蔵菩薩がある.一族処刑の折りにとある僧が刑場の片隅に持ち込んで,次々と処刑される子女に引導を授け続けた,と説明書きがあった.次々と殺されていく39人もの人々に,引導を授け続けるとはどういう心持ちであっただろう.彼らは遺骸をまともに弔うことすら許されていない.ということは,この僧のこの行動も一歩間違えば咎めを受けるという死の覚悟ではあったと思う.それでも,その命を救うことはできずに,引導を授け続けることに無力を感じはしなかっただろうか.