14:45,とうとう柳生に着きました!円成寺出たのが10:45だから,6時間掛かってしまったか.道にも迷っとったしな.道理で,一緒のバスに乗ってた人に会わんはずや.平日だったからかもしれんけど,山ん中じゃ誰にも行き会わんかったしな.
宗矩さんが作ったという柳生の陣屋敷は,もう無くなっていて,跡しかありません.ちょっとした公園になっとりましたが,残念やね.
これまた宗矩さんが作ったという八坂神社にお参りし,てくてくと歩いていきますと,道ばたで野菜を売っていました.ふふ,ええね.のどかやね.
そのまま歩いていきますと,小山田家分家(非公開)と並ぶようにして,家老屋敷があります.
この家老屋敷は,柳生藩末期の家老小山田主鈴の屋敷だったそうで,資料館として公開されています.驚いたことに,作家の山岡荘八さん(あの『徳川家康』の!)が所有していたこともあるそうです.ここで柳生家の話『春の坂道』(昭和46年NHK大河ドラマにもなっているそうです)の構想も練ったとか.入場料350円を払いまして,入っていくと,新陰流の使い手の名前を書いたボードがあったのですが,うっかり五味康祐の『柳生武芸帳』を思い出しました.あれは面白かった.
ここを出て,「これ見んにゃ柳生に来た意味ないやろ」と十兵衛杉を見に行きました.
十兵衛杉は十兵衛三厳が手ずから植えたという伝説のある杉で,今は枯れてしまっています.この杉は,山の斜面にある墓地の一番上にあり,上ってみると,柳生の里を見守るように立っています.本当に十兵衛が植えたのかどうか分からないけれど,柳生を見下ろす位置にあるこの老木に何か名前を付けたくなるのは分かるような気がします.
ちなみに,この枯れた木の前に元気のいい杉があり,小十兵衛と言っているそうな.(広まっているかどうかは知らない)
この後,本当は柳生家の墓のある芳徳寺はぜひとも見たかったのですが,バスの時間が迫っていて,見られませんでした.本当は,16:56の後にもう1本,最終バスの18:49というのがあるにはあったのですが,いい加減,暗くなっていたので,行きかけた歩を戻しました.
この判断が良かった.戻り初めてすぐに雨が降ってきたんです.
ところで,柳生のバス停周りには,十兵衛茶屋だか十兵衛食堂だかそんなような名前の店が並んでいたんですが,どうして十兵衛さんは人気あるんでしょうね?政治的にはたいしたことしていないのに.宗矩食堂とは誰も名乗りません.
かくいう私も,昔々,『サムスピ』『真サム』『斬サム』を一気買いした時に,店員さんに「好きなキャラクターいるんですか?」と問われ,「十兵衛さん(原文ママ)」と答え,内心,「しまった~!!さん付けするんじゃなかった~!!」と思った人間です.(厳密に言うと,サムスピの十兵衛さんは設定的には同姓同名なだけで,実在の十兵衛三厳とは別人)
ちなみに,TVドラマで好きな十兵衛さんは『将軍家光忍び旅』で勝野洋さんが演じる十兵衛さん.(なぜ有名どころでないのだ)
帰りはバスで柳生から奈良まで一気に帰ります.おお,私が6時間かけた道が20分だよ.このバス,あちらこちらと国道から入っては国道に戻りを繰り返し,興東中学校など,スイッチバックまでしており,おかげで大柳生は2回通る有様です.近鉄奈良まで1時間弱,950円.
一気に烏丸御池まで帰る電車がなかったので,近鉄東大寺で乗り換えまして京都に戻りました.
夕食は疲れ果てていたので,「最初に目についた店に入る」と固く決意し,かつくらという店へ.たれに使うというごまをゴリゴリと擂りながら,「なぜ京都でトンカツなんだ」と自分に疑念を抱く.でも,ああ,トンカツはうまかった.ガツガツ食べた.