私の部屋のテレビにはアンテナがついていない.
いちおう昔アンテナを付けてみたことはある.しかし,外部アンテナつけるのが困難だったので室内アンテナの,しかも一番安いの買ったのが間違いだった.はっきりいってアンテナが役に立ってなかった.付けても付けなくても画像が変わらない.北日本とNHK総合がざーざーの白黒で入るだけで,他の局は拾えもしなかった.
以来,テレビを見る試みは放棄した.
ところで,液晶テレビにしたときに,地デジ対応になったわけなのだが,地デジというのは,室内アンテナでもけっこういけるらしい.どうやら,アナログ放送は信号の強弱で情報を送っているが,デジタル放送は0,1の組み合わせで情報を表現しているため,電波が多少弱くても大丈夫らしい.え~っと,ささやき声であっても,ともかく伝わりさえすれば表示できるということか.
それで, 「地デジ 室内アンテナ」で検索かけたら,八木アンテナのUwPAというのが出てきて,amazon見ても評判よかったので,これを買ってみようと思った.
ついては,今持っているアンテナを叩き売ってしまおうと思った.今持っているのはマスプロのTEP843Jである.わざわざカタログに強電界地域用と書いてある.そりゃあ映るわけないよなと思ったが,ふと「地上デジタル放送も受信できます」と書いてあることに気がついた.あ,地上デジタルのUHFって今のUHFと同じ帯域なのか~.
このアンテナを地デジアンテナとして使ったらどうなるんだ?
それで,試しに買ったばかりのテレビに付けてみた.
テレビのマニュアルにはアンテナレベル50ぐらいあれば受信できると書いてある.
付けてみたら,北日本やNHK総合は最大59ぐらい.つくじゃん.
他の弱い局で34ぐらい.
それで,実際に試しに映像を出してみた.
全局奇麗につきました.
この時,ほんとに初めて「地デジってすごい」と思った.
......でも,考えてみたら見たい番組が入るのってたいていBSなんだよね.しかも,放送すると気づいた時にはたいてい番組終わってるし.ははははは.テレビに映るだけで,記録装置では受信できないので録画という手も使えないしな.
でも,こうやって自分の部屋でテレビが入るのを見るとなんだか不思議な感じがするなあ.まあ,結局,見ないのだろう.
「SRW」『己の傷の下に恢復せよ』第一〇章つづき.よけいなことをしている内にまたしても1ヶ月以上空いてしまったことに突然気づいて慌てて更新した.来週は東京行ってていないから無理だけど,再来週には10章を終わらせる予定.
読売だったか日経だったか忘れたが,去る有名人(誰だったか,これも忘れた)の寄稿があって,その中に,シラーの『汝の運命は汝の胸中に在り』という言葉が好きだ云々,という文章があった.
なるほど,それはいい言葉だと思って調べてみると,これは『ヴァレンシュタイン』の第2部第2幕第6場にある言葉だと分かった.
30年戦争における将軍の話だということで,好みにも合っていたので読んでみることにした.
読んで,まあ,唸ったわ.見事な序破急なのである.第2部に差しかかる辺りから,運命が,あるいは不幸が,あるいは悲劇が,鎌首をもたげて,織り成した事実と人々の意図せぬもしくは意図した動きがいろんな人を絡めて急流に押し流し去っていく.
大規模戦闘は描いていないにもかかわらず,戦争がもたらす人や心の動き,有り得る悲劇が凝集されている.この話より多くの筆を費やして描かれた,似たような話はたくさんあろう.
シラーも旗手の一人であったドイツ文学の一潮流を「疾風怒濤 Strum und Drang」と言い習わされた訳が分かったような気がする.劇的である.劇「的」ではなく,まさに劇だが.
もっとも,Strum und Drangはある作家の戯曲の名前であるらしい.
ヴァレンシュタインがプロローグに言われるような「大罪人」と誹られるような人であったとは私には思えない(そして,シラーにしても悪逆非道の人物とは描いていない).みんな同じなのだと思う.スケールの大きい小さいはあれ,同じように自分の意図どおりに事を運ぼうとしただけなのだと.
ヴァレンシュタインが,進む道が一つしかなくなった事を嘆く場面があるのだが,もうその前から彼は自由を失っていたのではないだろうか.イロもテルツキもオクターヴィオ・ピコローミニもヴァレンシュタインの意思と違う動きをし,最終的にそれが破滅に繋がるのだから.面白いのは,一方は自分の利のためにヴァレンシュタインを動かそうと事を運び(もっともやり方は画策というよりは浅慮だと思うが),もう一方は破滅をもたらした結果が自分の栄達になってしまったことだ.栄達を望む気持ちはあったのかもしれないが,血塗られた栄達は必ずしも意図してはいなかっただろう.ブトラーの伯爵の件へのヴァレンシュタインの謀は本当のことだったのか?嘘だったのか?ブトラーを引き入れるための嘘だったとしたら,もたらした結果が余りにも罪深い.
マクスがなじるまで思いもしなかったのだが,別の道というのはありえたのだろうか?つまり,諌めたとしたら聞き入れられていたのだろうか?
どうも,皇帝とヴァレンシュタインの間で起きた,徐々に心離れるということが,ヴァレンシュタインとその部下にも起こったように思え,皇帝の元で起きたヴィーン貴族とヴァレンシュタインの確執が,ヴァレンシュタイン麾下でも起きたように思う.
そして,一貫して思ったことは,皇帝であるというただ一点だけで,何もせずに忠誠を受けることができるなんて,ずるいなあということだ.ずるいのは皇帝というより,それを取り巻き利用する貴族かもしれないけれど.この話において皇帝自身は出てこず,皇帝自身がどういう感情を抱いていたかは描かれない.
渦巻く利己心の中で,己の高潔を守ったのはマクスだけだったかもしれない.自分で認識していた通り,彼が罪を負うとしたら,それは自分と共に死に追いやった忠実な部下達に対してだけだろう.
ところで,冒頭に書いた「汝の運命は......(In deiner Brust sind deines Schicksals Sterne. 直訳:君の運命の星は君の胸の中にある)」の文章であるが,これだけ読んだ時に感じるような,勇気を鼓舞するような――それだけを意図したような――輝かしい文脈では使われていない.鴻門の会で玉玦を振った范増を思い出す.もっとも,言ったのは范増のような知恵者ではなく,学も無く思慮に欠けたところのある人物だった.それは傭兵部隊のたたき上げが大勢を占めていたヴァレンシャタインの軍においては仕方のないことだったのだろう.ヴァレンシュタインに心底必要だったのは知恵者である盟友だったのかもしれない.
例のリンゴの場面で有名な『ヴィルヘルム・テル』を読んだときは,読み流した感があったが,『ヴァレンシュタイン』は,もっとずっと面白い.だが,面白いという言葉を使うにはいささか重い話ではある.
ヴァレンシュタイン(岩波文庫)濱川 祥枝 訳
もう発売から随分経っているのにIIIの話に反応があるというのは嬉しいです.「文章が好き」というのは私にとっては大変な褒め言葉で,特に嬉しいです.ありがとうございます.
12小隊はあの隊員構成が楽しいと思います.書いてると面白いですから.
シラーの『ヴァレンシュタイン』を借りてきたときに近くに並んでいて,「そういやこの話どんな話だかちゃんとは知らないなあ」と思い,借りてみた.
が,読み出して間違いに気づいた.これ,有名な童話じゃなくて,それを借りた演劇界(文芸界)批判だったのである.そういや『長靴をはいた猫』ってそもそもシャルル・ペローだったっけ.(気づけよ)
『長靴をはいた猫』を上映しようとする作者,役者,大道具などなどと,文句つけまくりの観客とが入り乱れている上,劇がなんか微妙に変だ.大筋間違いなく会ってるんだけど,周りを気にしない恋人たち(しかも結婚後すぐに倦怠期),なんか変な王様とその娘の王女.
何を批判したかったのかと言えば,何だろう,ひと言で言えば,芸術は心で味わうものであって知識でこねくり回すものじゃないってことなのかな.途中で劇場から追い出されてしまうやけに衒学的な観客は,ティークの時代有名な演劇界の権威だったらしいので,えっらい怒ったんじゃないかなあ.
薄いから読めるけど,物凄く面白いかと思うと首を傾げる.
長靴をはいた牡猫 (岩波文庫 赤 443-1)
自分用メモ……ですらもはや無くなってしまったのだが,「無線LAN導入記その2:ADSLモデムNVIIと無線LANルータNETGEAR WGR614でネットワーク構築」というのを書いた.これを書き留めておこうと思ってスクリーンショットを取ったのがもう2,3年前というダメっぷり.しかも,もうWGR614は売りました.(苦笑)