広島に行くはいいけど何見よう?と思ったとき,ふと,呉が近いじゃんと思いついた.我が上司のIさんが「1/10大和あるんやぞ.模型だけど,造船所で作ってるもんね,ありゃすごいぞ」と曰っておられたのを思い出した.うむ,それを見に行こう,というわけだ.
広島に着いた直後は腹が減って仕方がなかったので,いきなり広島風お好み焼きと言うヤツを食べてみる.何が広島風なのかは知らん.食べ出してから思ったのだが,友人にあったらおいしいところ知ってたんじゃないだろうか.いや,仕方がない.私は飢えている.
それでガツガツ食べた.広島はICOCA地域だったので,モバイルSuicaで支払いをした.870円なり.
最初はホテルに荷物を置いてから呉に行くつもりだったのだが,そもそもホテルが広島駅直近じゃなかったのと,乗車券が広島市内有効だったので,呉までカバーは出来ないにせよ途中までの足しになるんじゃないのかと,そのまま直行することに.
広島から呉に行く列車は1時間に1,2本ぐらいだろうか.どうもこの辺りは音節2つの地名が多いように思う.呉(くれ)にしろ広(ひろ)にしろ.音節が少ない地名というのは歴史が古そうな感じがする.ほんとのところはどうか知らない.呉で精算したら,340円ぐらいだったので,いちおう乗車券は若干の足しにはなっているようだ.(帰りは480円だったので)
コインロッカー借りようとしたら100円が無くて困ってしまい,改札横の土産物屋で両替してもらった.店の人が「千円?ああ,よかった.1万円出される人多くて」と言っておられたので,旅行に出るときは小銭大事だなあと思った.
1/10大和のある呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)は呉駅から歩道橋を渡ってすぐだ.観覧料は500円.ちょうど14時からボランティアによる展示解説ツアーが始まるところだったので,つんだって歩いた.
もちろん,一番大きい売りは1/10大和なんだろう.ただ,回天の実物とか,琵琶湖に墜落していた零戦を引き上げて修復した物とかも展示があって,これもすごいもんだなあと思った.
それでねえ,大和の最後もいろいろエピソードあって泣ける.最後の沖縄行き前,片道だけの燃料でという命令があったんだけど,それはあんまりだろうということで,一生懸命調達してくれたとか,20才以下の乗組員は途中で下ろしたとか,行くにあたって,「日本は進歩という物を軽んじすぎた~」という言葉とか,必死だし真面目だったと思うんだ.
回天なんかもね,思ってたのと全然違ったなあ.回天は人間魚雷っていうから狭いところで寝そべって行くのかと思ったら,ちゃんと座れるようになってる.全長9mという巨大な物なんだよね.それで,もともとは,それに乗り込もうという下からの上申だったらしいんだよ,回天って.それを最初は海軍上層部が馬鹿なこと言うなと止めていたのが,戦局が抜き差しならなくなってGoが出たらしい.たぶんだけれど,命令に変わった瞬間から暴力になったのだろう.そんな作戦で戦局がひっくり返るわけがないんだから,確かにその段階では何かが狂っていたんだろう.回天見てたおっちゃんが,奥さんらしい人に回天の説明をして「きちがいだよね」とかるーく言って通り過ぎて行ったんだけど,そんな言葉で説明できるようなことなんだろうかなあ.多分,そのおっちゃんはちゃんと見てないんだろうけど,回天に乗った人の肉声も展示してあって,自分は家族や同胞とずっと一緒にいたい,だけど,それより前に自分は日本人だ,だから征く,というようなことを言ってる.何て言うのか......回天はたしかに間違ってると思うんだけど,じゃあ,それが狂信がもたらした産物だったのかと言えばそれも違うと思う.そんな物を持ち出さすような状況に陥らないことが(戦争を避けることが)第一なんだろう.
あと,どうにもやりきれなかったのが長門.帝国海軍旗艦を長いこと勤め,終戦まで残った唯一の戦艦ですが,この後が.アメリカに接収された後,ビキニで水爆実験に具されて沈んだそうだ.ある意味,日本にとってシンボルだった艦が,日本にとってとても耐えきれないA兵器の実験に使われたということが堪らない.つまるところ,戦争に負けるということはそういうことなんだろう.
3階はなぜか宇宙戦艦ヤマトの展示で,松本零士さんの言葉で「大和を軽々しく扱っていいのか,大和の話にするからには必ず還ってこなければならない」という意味の事が書いてあった.きっと,初代の後の「さらば」から「完結編」に至るまでの,どんどん人が死んでいく展開はやりきれなかったんじゃないのかなあ.
展示を見ながら途中から涙目になって鼻ぐじゅぐじゅ言わせてました.......まあ,なんだ,一人旅は気楽でいい.
外にはIHIのドッグがあってそこに「大和のふるさと」と書いてある.ここで隠しながら作ったのだそうだけど,う~ん,とてもこんなところに入りそうにない.分解したパーツでも作ってたのかなあ.それとも,当時はもっとでっかい塀があったんだろうか.
外には艦で鳴らす鐘もあって,紐がついていて鳴らせそうだったので鳴らしてみたら注目を浴びてしまった.(恥ずかしい)
大和ミュージアムの向かいに海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)もあったんだけど,大和ミュージアム見ている間に入館時刻過ぎてしまったので,行けませんでした.残念.
帰りに駅の方へ向かっていくと,映画『男たちの大和/YAMATO』のロケセットが駐車場ビル2階にあるというので,眺めてから帰ってきた.