怪奇植物トリフィドの侵略(ジョン・ウィンダム)

一般には,『トリフィドの日』の方が通りがいいのかな.私は,あかね書房の少年少女世界SF文学全集で読んだけど,もう1回大人向けで読んでみたい気もする.ちなみに古いから,訳文に「めくら」連呼である.おそらく,この訳文はもはや使われることはあるまい.

さて,『海竜めざめる』を読んだ後で読んだから,最初の流星の場面も,『海竜めざめる』の時のような繋がりがあるのかなと思ったんですが......うーん,原因であることは間違いないんだけど,意味合いが違うんですね.それに,実のところ「トリフィド」の立ち位置も『海竜めざめる』のベイシーとは違う.

なんというか,自滅なんじゃないの?と思った.自滅,と思うとだ.なぜに周囲を危険物で満ちあふれさせて暮らしていたのか,という疑問になる.特にトリフィドの扱いはさ.小説では危険物が分かりやすい形で提示されるけど,うがった見方をしたら,まあ,化学物質とかそういうもんに擬えることもできなくはないんだろう.個人的にはそういう見方は嫌いだが.ただ,扱いという物を考えなきゃいけない,という意味では考えさせられる.

それから,あっという間に秩序が崩壊して,自殺する人が出たり,商店から物資を盗み出したりが標準になってしまうけど,ちょっと唸ってしまった.最初,そうありたくは無いなあと思ったけど,目が見える側になっても,目が見えない側になっても,その後の生活・経済・農業の営みの見通しの無さを考えると,自分も安定した社会が持つ倫理観は保っていられないのかもしれないなと思った.

私が案外好きなのはコーカーさんです.あれほど有能でも行動的でも無いけど,立場の変遷として一番理解できるのがコーカーさんだと思う.

そうそう,そのコーカーの発言なんだけど,そうでなければ,アメリカの連中がやってきて,なんとかしてくれたはずだよ.いつものように......という一文があって,それを読んだときにふと寂しくなってしまった.アメリカという国は,強大すぎて憎まれ役だったりすることもあるし,自分も別に取り立ててひいきする気もないけど,世界の警察であり,pax americanaという言葉に違和感がなかった時代があって,この言葉はまさにそんな時代におけるイギリス人から零れたアメリカ観だと思う.現代においてそれが徐々に薄れてきていることに,突然に感傷を覚えたのだ.

新しい秩序を打ち立てようとするいくつかの勢力があると示唆されて物語は終わる.文明を持ったまま邑が一行政単位になってしまったようだ.点在した個々の社会が繋がる過程に,また争いがあるのだろう.そして,トリフィドはその争いの周囲で闊歩する存在であって,賢い捕食者ではあっても意図した侵略者では無い.題名に反して,トリフィドは実のところ問題の中心ではなく,数ある問題の1つに過ぎない.

ワイルドアームズに出てくる植物のモンスターに「トリフィド」がいるんだけど,その元ネタをやっと知った.

トリフィド時代―食人植物の恐怖

日時: 2011年8月17日 | 感想 > 本 |

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