ホフマン短篇集(E.T.A. ホフマン/池内紀)
ホフマンの短篇6編である。実を言えば読みたかったのは『砂男』だけだったのだが,他もうっかり読み進めてしまった.訳文は別に好みではないのに,なぜか読みやすかったのである.何故なのだろう.
- クレスペル顧問官
- 語り手は真相を知って,
感動し,かつまた恥じ入って部屋を出た
わけだけれど,私も同じような気分だった.才能は儚く消えて,遺された者は無為に泣く. - G町のジェズイット教会
- 酷い人と言えば,確かに酷い人で,まるで熱に浮かされたような芸術への執念だなと思う.いや,変な話だが,執念と言うほどおどろおどろしくはなく,盲目的な愛,かな.
- ファールンの鉱山
- すごくファンタジー色が強い.悲しいけれど,美しい結末であるように思う.
- 砂男
- 「人形に恋する」というのが主題かと思って読み始めたけれど,「目を取られる」というモチーフの方が遙かに目立っている.事実,「目」とか「瞳」とかいう単語が出てくるたびに何かが起こりそうで怖かった.最初のナタナエルとクララの下りは,どっちもどっちだよなあ,と思った.ナタナエルからすると,クララは分かったようなこと言ってさっぱり分かろうともしない,と思っただろうし,クララに対するナタナエルの態度が自分勝手なのもよく分かるし.コッペリウスがナタナエルの父の事件にどういう役割を果たしたのか,コッペリウスは結局コッポラだったのか,コッポラとスパランツァーニ教授との関係はどうだったのか,そこははっきりとはしない.そして,幼少の時も物語の最後にも,コッペリウスはナタナエルに影を落として雲隠れする.読み終わったときに,カフカの『変身』を読んだときのような寂しさを感じた.つまりは,クララが幸せになったがために.別に責める気はないし,そうなるべきなのだとは思うけれども.もしナタナエルの母が全てを知っていたらどんな反応であったろうかなあと思う.あと,ジークムントはいい人.
- 廃屋
- 不思議なことに首を突っ込んで行く人は不思議なことに魅入られるのかなあ.可哀相なのはアンゲリカだなあ.彼女が気の毒なのは,捨てられてなお諦めきれなかったことと,気位が高かったこととその両方が揃っていたことなんだろう.
- 隅の窓
- ホフマンはきっと,人間が,人間の営みが好きだったのだろうな,と思う.外から見える言動が何の故かは何通りでも解釈しようがある.実は,こういう遊びは私もよくやる.主に,自動車で追い越しされたときに.彼らが急ぐのは,どういう理由が想定されるかなあ,と思ってみたりする.