夜間飛行(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)

サンテックスの作品は読んだことがなかった.あの有名な『星の王子様』すら読んだことがなかった.

ただ,ずっと読みたいとは思っていた.作品を著した当時現役のパイロットだった彼の小説を読んでみたかった.サンテックスの作品はほとんど飛行機がらみなので,パイロットとしての感性を,現実に寄り添った飛行を読んでみたかったのだ.

そう思って読み出した『夜間飛行』だったが,もちろん飛行機乗りも出てくるにせよ,主人公は支配人のリヴィエールである.彼は地上にいて無電の情報に耳を傾けつつパイロットに命じる立場だ.

考えさせられた.ここまで厳然と上司の孤独という物を保っていられる物だろうかと.リヴィエールは立派な人物だ.ただ,例えば,現代だったら,彼は大衆から非難され更迭されるかもしれないな,と思った.部下を叱れない上司というのは増えているそうだが,上司なんて陰で悪口を言われるぐらいがちょうど良いのかもしれないな,と思う.冗談の飛び交う楽しい職場,といのは楽だ.そう,楽なのだ.誰しも人に嫌われるのは嫌だから.だけれど,指示がジョークであるかのように取られて人が動かないというのは非常に困るのだ.部下の物を愛したまえ.ただそれと彼らに知らさずに愛したまえ.というリヴィエールの真似ができたらと,思わないこともない.

彼は徹底して上司と部下という立場を保ち,監督ロビノーにもそれを求める.孤独であることを求める.ただ,別に何も感じない冷血漢であるわけではない.僕は,自分がしてくることがよい事かどうか知らない.僕は,人生に正確にどれほどの価値のあるものかも,正義にどれだけの価値があるものかも,苦悩にどれだけの価値のあるものかも知らない.彼は煩悶する.ただ,絶対にそれを人に見せない.パイロットではないのに,彼はいつも永遠の旅人といった格好でブエノス・アイレスに居る.

私がこの話の中で一番の場面だと思っているのは,ファビアン機が行方不明になり,生存の望みが絶たれた後,ロビノーがリヴィエールの心痛に寄り添おうと思って彼の部屋に訪れる場面だ.リヴィエールがロビノーをじっと見つめている.ロビノーは「あなたの今の気持ちは分かります」とでも言うつもりだったのだろう,ただ,結局,この厳然たる意志の人の凝視の後にロビノーが言えたことはご命令をいただきに参りましただった.そして,リヴィエールは夜間飛行の続行を命ずる.この場面に,非常な高揚を私は感じるのだ.

さて,いっぽうの飛行機乗りたち.颱風に翻弄されるファビアン.彼はもうせめて彼には,一声,たった一声,既に見失ってしまった地球から来る声が一度だけ聞きたかった.飛び立ってしまうと,地上と人との関係が何か変転するようだ.地上と切り離された感覚.当時の装備になるのだろうが,彼はハンドルを握り続ける.両手が離されたときに自分と一緒に乗っている無線通信士との命が消えるからだ.だというのに,彼は空への陥穽に,美しい光明への渇仰に負けて上昇してしまう.彼の気分はどうだったろう.彼に生命を預けた状態だった通信士は何を思っただろう.

そういった,美しい悲劇がありながら,また一人の飛行機乗りは自信を持って空に飛び立つ.この欧州機の操縦士は微笑する.この操縦士の心持ちこそがそれでも空に帰って行く飛行機乗りの心持ちなのだろう.

夜間飛行 (新潮文庫)

日時: 2012年1月15日 | 感想 > 本 |

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