砂の本(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)

ボルヘスの物語は書きたいとこまで書きました,という感じがものすごくする.突然始まり,突然終わる.

他者

時間の隔たりが自分を他者にする.ボルヘスは若い頃の自分に物申してみたかったのかな.批判でも反省でもなく,あくまでも「言ってみたかった」だけで.そういう意味で,「他者」なのかな.

君のいう,抑圧され疎外されている大衆なんて,たんなる観念にすぎないんだよいやしくも(中略)個人のみが存在するんだを読んで,幸福は似通っているが不幸は様々な形がある(というような文章だった)という有名な一説を思い出した.当事者でない人ほど十把一絡げに観念で語ることをしがちだと思う.だから,良かれと思っての言説が現状から離れていく.

作中引用のあるユゴーのL' hydre0unicers tordant son corps écaillé d'astres (星辰の鱗まといし身をよじる天の海蛇)の全文を読んでみたい.

ウルリーケ

ちょっとした願望的なロマンスかな(笑).ヨークの大聖堂にあるという可哀相な剣を見てみたい.

『永久に』というのは,人間には禁じられている言葉よ.我ら死すべき運命の生物よ.

会議

壮大に立ち上がり,愚かを重ねて外れ,創始者の盛大な花火で立ち消えた,奇妙なプロジェクトの話.

おれは,悪を働くつもりで善をなしたわけだなトワールは確かにドン・アレハンドロを欺いていたのかも知れないが,ドン・アレハンドロの盛大な幕引きは,そんな物の遥かに上を行ったわけだ.妙な話だが,彼らは財が無限にあると思い込んでいたのではないだろうか.

人智の思い及ばぬことThere are more things

時間,すなわち,昨日・今日・未来,あるいは,恒常と非存とを綴るこの無限のたて糸こそ,唯一の謎であって,他はとるにならぬそれは,夏が人を虐待し侮辱するばかりか,卑しめているとさえ感ずるような,ブエノス・アイレス特有の一日だった.

なんだかラブクラフトみたいな面白い話だなと思ったら,思いっきり冒頭にハワード・P・ラヴクラフトを偲んでと書いてあった.両眼を閉じなかった「わたし」はその後――

三十派

厳格なキリスト教の一派の振りをして,まったくそうでない気がするのだ.あるいは,厳格すぎる神に従う一派であろうか?

恵みの夜

なぜにしてこれが恵みの夜なのか.愛と死とを一度に見た一晩だったからか.話と全然関係ないけど,この話でアギラが鷲という意味だと知りました.

鏡と仮面

ボルヘスさんの話読んでて時々思うのは,この人は「究極の文」を信奉していて(少なくとも,あったらいいなという願望を持っていて),それを読んでみたいと思っていたんじゃ無いだろうか.

ウンドル

御言葉は人生を自体を示すようなそんな言葉なのか.人生はすべてをくれたというのは翻って考えれば,「その人のすべて」が「人生」というものなのかという――いや,「その人にとってのすべて」の方がより正確か.味わうことのできる「すべて」.

疲れた男のユートピア

個人だったり個性だったりするものが無くなって,本は繰り返し読むための限られた物になって,差異という差異が無くなって,人類全体で倦怠期に入っているような,そんな侘びしい世界.あの中にはガス室があります.なんでも,アドルフ・ヒトラーかいう名の博愛主義者が発明したんだそうですよ.

贈賄

この短編集の中で一番好きだ.ありそうな話だもん.清廉潔白であるという名誉のために,「賄賂」を受け取るのだ.

アベリーノ・アレドンド

ただ事を成し遂げ,後への影響を残さないためだけに縁を全て断った,その驚異的な意志.この正義の行為は,私だけのものである.さあ,裁きを受けよう.

円盤

なぜにそこまで円盤が欲しくなったのかは詳細に語られない.木樵は探し,おそらく死ぬまで見つからない.

砂の本

大金を出して手に入れ,恐ろしくなって手放される,不定型な本の話.以前に,似たような本――というか,予言書を思い浮かべたことがある.いや,砂の本の方が存在自体が曖昧さを持っているという点で,奇妙なのだが.

作者後書きのまた,今これを閉ざす人々の,好意にみちた想像力の中で,その夢想がどこまでも分岐し続けることを願ってやまない.という言葉がとても好きで,何故かと言えば,書物は書き手で完結することは無くて,読み手があって初めて完結すると思っているから.読み手の中でさらに昇華し展開する物語の幸せなことよ.

2013.1.16 読書開始 - 2/23 読了

日時: 2013年2月23日 | 感想 > 本 |

コメントを投稿

(空欄でもかまいません)

(メールアドレスは管理人に通知されますが,Web上には表示されません)

Powered by Movable Type