足元に転がっている男をしばらく見下ろしていたのだが、ふと思いついて身を屈め、転がっている男の胸ポケットをまさぐる。さっき死んだばかりだというのに、死体はもう冷えつつある。
――まぁ、冬だからな。
案の定、胸ポケットには財布があった。思ったより分厚い。
――俺と同じぐらいの歳だってのに。……だから、いい気になってやがったな。
札束というほどではないが、それなりの金額が入っていた。それと。
――航空券。札幌行きか。おっと……
搭乗券を取り出したとたん、ヒラリと何かが落ちた。テレフォンカードかと思ったが、拾ってみると違っていた。
――ウィズユーカード?
裏を返してみると、「札幌市交通局」の文字が小さく書かれている。おそらくは電車用のプリペイドカード。
――なんだって、With You なんて名前なんだ。むかつくぜ……
いや、そんなことよりも、だ。カードに大きく書かれた雪だるまと「さっぽろ雪まつり」の文字に目が行った。
感心して雪像を見上げる中年、楽しそうに道行くカップル、はしゃぐ子供とそれをほほえましく見守る親、そんなものが頭に浮かぶ。
むかついた。
「久しぶりじゃないスか、承太郎さん!なんだって杜王町に?」
「ついでだ」
「ついで?」
「札幌でコロキウムがある。行く途中に寄った」
「コロシアム?そりゃ……え?……なんだってそんなことに。承太郎さん、確かに強そうだけど」
「コロキウムだ。コロシアムじゃない」
「コロ……?」
耳慣れない単語にどもった仗助に対して承太郎からの説明は無い。黙ってうなずいただけだ。相変わらずだなぁ、と仗助は内心思う。
「札幌にはいつ?」
「金曜の最終便で行く。次の週の水曜には帰る予定だ」
それを聞いて、仗助はちょっとだけ媚びるような口調になってソロソロと切り出した。
「承太郎さん、俺も行きたいなぁ、なんて思ってたりして……」
「コロキウムにか」
「違うっスよ、札幌です、サッポロ」
「なんでだ」
「は?え、いや、観光したいなぁ、なんて。雪まつりやってるんでしょう?テレビで雪像作ってるニュース、見ましたよ」
「そういえばそうか」
「ほら、俺、親戚あんま いないから、小さい頃から泊りがけでどっかに行くってことあんま やったことないんスよ。せいぜい、学校で行く旅行ぐらいで」
「そうか……」
つぶやかれて、じぃっと思慮深い視線を向けられてみてはじめて仗助は承太郎自身も親戚だったことを思い出した。
「いいだろう」
短い承諾の言葉が承太郎の口から発せられた。
――あちゃぁ……もしかして気ィ使わせちまったかな。そーゆーつもりはなかったんだけど。……いやいや、承太郎さんは『我が道を行く』人なんだし俺に気ィ使ったわけじゃねぇよな。そーだ、そーだ。そーゆーことにしておこう。
かくして、「叔父」は「甥」に連れられて雪の街へ旅行に行くことになった。
東方仗助 VS 片桐安十郎
Round 1 白い惨劇
もし、そばにいたのが承太郎でなく友人だったなら、間違いなく仗助はひっきりなしにしゃべっていただろう。
飛行機に乗る前から仗助の心は浮き足立っていて、機内に案内されるのをまだかまだかと待ち構え、飛行機が飛んだら飛んだでこの高さからの風景がわけもなく嬉しかった。
隣にいる承太郎はなにやらムツカシイ英語の文章を読んでいる(もっとも、仗助にはムツカシクない英文はなかったが)。会話はほとんどない。かえすがえすも康一か億安でも誘えば良かったと悔やまれる。
千歳空港について、寒さを覚悟したが、空港内はそう寒くない。JRのホーム(これが地下なのかタダ単にトンネルだからなのか風景が見えなくて仗助はがっかりした)まで行ったときにはじめてさすがに寒いかな、と思った。
銀色の車体に緑のラインが入った電車に乗りこみながら仗助は訊いた。
「承太郎さん、札幌まで何分ぐらいなんスか?」
「40分ぐらいだな」
40分で1040円が高いのか安いのか仗助には決めかねる。いや、仗助自身の尺度から言えば間違いなく高い。
――ま、いーや。承太郎さん払ってくれたし。
ほどなく列車は動き出す。
しばらくはトンネルで、電光掲示板で作ったパラパラ漫画みたいな物が(そうとしか表現のしようがない)「ようこそ、北海道へ」の文字と共に観光客を迎える。
そして。
ザァーっと視界が開けた。
トンネルから抜けたのだ。
――おぉ!!
雪だぁ……
仗助のこの時の感慨は一言で言うとそうなる。というか、その一言しか思いつかなかった。2月の北海道だ、雪があって当たり前なのだが、それでも、思わず感動してしまった。無理もないかもしれない。杜王町ならば冬でも雪がそうは積もらない。
降ってはいなかった。ただ、雑木林みたいなゆるやかな丘がやわらかくやわらかく、雪に包まれているのだ。
夜だった。
空は雲がなく、くっきりと黒い。
その下に雪が幽かな青白さで地面を浮かび上がらせている。
――雪だぜ、雪。やっぱ、いいなぁ……
柄にもない感動は札幌駅に着き、地下鉄に乗り換えてホテルの最寄駅に降りてからも続いていた。承太郎が空を見上げた。
「明日は冷え込むな」
「え?これ以上寒くなってどーするんスか」
外に出るとさすがに寒く、吹きっさらしになっている顔は痛いほど冷え、鼻など凍ってしまいそうだった。しかし――
「すげぇ、雪ってホントにこんな音がするのか。こんなの、TV の効果音ぐらいでしか聞いたことねぇっスよ、俺」
あまり人通りのない道の端、まだ踏み固められていない雪をわざわざ選んで踏みながら、仗助は声に出した。
ちょっと目をやると車道の細かい雪が風に吹かれて舞っている。
「モノホンのパウダースノーだ!」
もはや、承太郎が聞いていようが聞いていまいがおかまいなしである。あるいは、内心苦笑していたかもしれないが、それは承太郎の顔には出ていない。
「明日はどうするんだ?」
「え?」
「俺は朝からコロキウム会場に行く。夕方は空いているから時間を合わせればメシを食わせてやっても――」
「おわ!!」
奇声に承太郎が振り返ると、仗助が背後にいない。
――いや……
承太郎は視線を下に降ろした。
「何やってるんだ」
滑って転んでるんスよ、承太郎さん……
次の朝。空はそりゃもう嘘みたいに真っ青だった。快晴だ。
「いやぁ、日頃の行いがいいスから」
とお決まりのボケをかましてみたが、承太郎さんはつっこんでくれなかった。サブい。
ホテルを出て雪まつり会場の大通りまではいっしょに行った。承太郎さんはそこの地下鉄駅からコロキウム(いまだに何の事だか分からない)の会場になっている大学に行くそうだ。
「あ、その大学、知ってますよ、こういう像があるんでしょう」
と、仗助は腰に左手をあて背筋をぴんと伸ばして右手で虚空を指差す。
「ない」
承太郎さんはシンプルにそう答え、地下鉄駅の下り階段を降りて行った。シンプルすぎて謎は深まるばかりだ。
広い通りは人通りが多いからだろう、白い路面がこれでもかというほど踏み固められていてツルツルだ。
周り中みんなが両手で微妙なバランスを取りながら足をするようにひょこひょこと歩いている。まるでペンギンの大群だ。
うわ!とかきゃ!とかいう声がときおり響く。
自分が滑るのもビビるものだが、近くの人が滑るのもタックルされそうで恐ろしい。みんな観光客なんだろか。靴にスパイクが欲しい。
欲しいといえば、サングラスも欲しい。快晴の日の光と雪に反射した光との両面攻撃に仗助の目が悲鳴を上げている。そもそも、俺、色素薄いしな〜と仗助はちょっとボヤキ気味だ。
ホテルは立派だったが、中心地から離れていたので、仗助はちょうど雪まつり会場の端から歩き始めたことになる。大通り公園は見事に細長く、1.6km(とパンフレットにはあった)の公園に沿ってずーっと雪像が並んでいる。仗助の歩き始めた場所は小さめの雪像が(とはいえ、仗助の身長ぐらいはある)5mおきぐらいに並んでいる。これは、抽選に入ったグループが作るものらしいが、素人が造ったにしては凝ったものがあったり、魚の顔がドーンとあったりして(きっとウケ狙いだろう、と仗助は思った)なかなか楽しい。
しかしだ、やっぱ、雪まつりといえば――
見えてきた。
巨大な雪像。
――いや、『像』なんてもんじゃねぇな、こりゃ。
ヨーロッパかどっかの会議場でも模したものだろうか、まっ白い建物が威風堂々立っている。これは道の両脇ではなく公園の中心部分のベルト地帯、大通りをぶった切っていて、その威容を誇っていた。製作者の表示がこれまたすごい。
「りくじょうじえいたい、ほくぶほうめんつうしんぐん、だい301つうしんしえんちゅうたい……」
思わず発声がひらがなになってしまった。
転びそうになりながら歩いているくせに、周りの奴らのあげる悲鳴は嬉しそうな響きを含んでいて、いちいち片桐安十郎をいらだたせる。まぁ、そういった気分を押し隠すだけの賢さを彼は持っているが。IQ の高さは伊達じゃない。
目の前を親子連れが歩いている。若い夫婦とその娘。金持ちじゃあないが、生活に困るほど貧乏じゃない。子供は小さくて、可愛い盛りなのだろう、父親は頬を緩めっぱなしだ。日頃から娘に甘いと見た。子供がギャーギャーわめいて何かをねだっている。ジュースか。この寒いのに。母親はたしなめているが、あの父親なら買うだろうな。ほら、みろ、小銭を渡してる。
買いものを済ませた子供が安十郎に軽くぶつかった。
安十郎は一瞬怒りの表情を浮かべたが、誰にも見られないうちにその表情をねじまげ、ニィとした笑みにかえた。
子供は怯えたような顔をして逃げるように親の元へと去っていく。
――ち、勘のいい……
だから、子供という物は嫌いだ。特に、親に愛されている子供は。
気温は低い。空は快晴だ。コンディションがいいとは言えないが――
「やるか」
短く呟いて安十郎は親子をつけだした。
東方仗助は大通りに設置されたベンチでへばっていた。
「こんなに体力なかったかなぁ、俺……」
みょうに足が疲れている。慣れない雪道で変な風に力を入れていたからか、脛の筋肉が突っ張っているように感じる。ベンチの誘惑に勝てず、おもわず座りこんでしまったが。
――ケツが冷てェ。
下から這い登ってくる冷気に身体が凍ってしまいそうだが、いったん止まってしまうとなかなか立ちあがる気にならない。いつ立とうか、いつ立とうかと思いながらジィッとまっ白い地面を見つめていた時、
「やるか」
という低い声が聞こえた。
5秒ぐらい経ってから「え?」と思った。こんなところで聞くはずのない声だったのだ。
顔を上げる。
――気のせい……だよな?
気になって立ちあがる。人ごみを見わたす。
――あれか?
気になる後姿を見つけた。仗助は歩きだした。早く前に進みたいのに、人ごみと滑りやすい地面が行く手をはばむ。
――あれだ!
目をつけた男。その前に親子連れ。ヤツはぴったりとその後ろをつけている。
ヤバい、と直感が告げた。
ヤツ、こと片桐安十郎・通称アンジェロは地下鉄に乗るようだった。というより、あの前を歩いてる親子が地下鉄に乗るんだろうな。
なかなか追いつけないが、女の子が原色・赤のコートを着ているせいで追うのは楽だ。つけるのが楽だってのはヤツにとっても一緒なんだろうが。
地下鉄構内に入ってしまうと人は少なく、走りやすくなった。仗助は一気に間を詰めた。あと10m、8、7、……何ィ?!
親子が改札を抜けた。それだけでなく、アンジェロの野郎までポケットからカードを出して改札を抜けてしまう。
なんだって、あいつ、地下鉄のカード持ってやがるんだ!
腹立たしく思っている時に気づいた。
ま、待てよ……あのキュルキュルいってるのって……電車!来た!
仗助はあわてて発券機に駆けよった。初乗り料金だけ支払う。切符が出てくるまでの一瞬の間が惜しい。改札に切符を放りこもうとした時、電車が出ていってしまった。
「ちっっっくしょう!」
おもわず、強い調子で口に出していた。
いやいや、待て待て、考えろよ、仗助さんよ……あの親子、家に帰るって感じじゃなかったよな……
仗助は近くのキヨスクにズカズカと近づいた。
「すいません、雪まつり会場って大通りだけなんスか?」
「会場?大通りのほかはねェ、すすきのに氷像あるんじゃなかったかい。すすきのなら歩いて行かさるさぁ。あと、ほれ、その緑の線の先っぽの――」
「えーっと、あれっすか?〈しんこまうち〉?」
「ちがう、〈まこまない〉だって。ローマ字書いてあるしょ」
そりゃ、確かに、漢字の下にローマ字もあるけど、んなもの、わざわざ読まねぇって。身はともかく、心は生粋の日本人なんだから。
「その真駒内にもあるよ。でも、子供向けかね。滑り台なんかがあって。お兄さん、滑ったりしないしょ」
子供、こども。親子連れ。なんかピンと来ちまった。それに、すすきのと大通りだったら歩いて行ける。わざわざ地下鉄に来たってことは、そっちだ。
「会場、駅から近いの?真駒内の」
「真駒内で降りないで自衛隊前で降りたほうがいいよ」
「自衛隊前、ね」
お礼もそこそこに切符を買って、自動改札を駆けぬけた。
「あ、ほら、見て見て、大きいねぇ、あゆみちゃん」
「滑ってくるか?」
「うん、持ってて、これ」
「ああ、走らないで!転ぶでしょ!」
離れたところから双眼鏡を構え、雪像を眺める振りをして、その実、親子を眺める。見ていると、赤い小さなコートが雪像についた滑り台へと駆け出して行く。
アンジェロは身の回りに弾性のある壁を感じている。そう、人間の体内に侵入するといつもこんな感じがする。柔らかい、暖かい壁が身の回りにあるのを感じる。スタンドの感じる感覚は本体にも還元される。他人の体内を這いおりていく時のこの感覚がアンジェロは大嫌いだった。はやく弾けさせたくなる。弾けたときの快感は味わうに値する。だから、嫌な思いをしてまで入っていくのだ。
人の流れについていくと、雪まつり会場にはすぐついた。何基もの巨大な雪像がある。ミニSLがどうこうという看板があったり雪像に滑り台がついていたりして、完璧にお子様向けだ。
仗助はキョロキョロと周りを見回した。親子連れはいっぱいいるし、雪像にカメラを向けている観光客も多いしで、アンジェロがどこにいるのかさっぱり分からない。
そもそも、どうしてあいつは「アンジェロ」なんだ?素直に「安十郎」じゃだめなのか?……あ、いや、そんなことはどうでもいいんだった。ちくしょう、どこにいやがる!
ふと、目にとまった。
親子連れ。さっきの。いや、子供は?
2、3歩そちらへ歩く。
母親が紙コップを片手に持って、もう一方の手を振っている。父親も笑顔を浮かべて手を振っている。笑顔が向いている先に視線をやる。赤いコートが滑り台の上で手を振っていた。
赤いコートは滑り台の上から手を振った。チラリと見ると、笑みを浮かべて親も手を振っている。
順番が来た。女の子が勢いよく滑りだした。
「『バン、お前は死んだ』」
どこかで見た台詞を口にしながら弾ける、弾ける、弾ける。
滑り降りた女の子はただ赤い固まりとなって動かない。動くわけがない。
ニイィ、と笑みを浮かべて双眼鏡を眼から外すと、アンジェロはゆったりとした歩調で場所を移動した。
アクアネックレス!
少女の身体からスルリと抜け出ていくスタンドはまちがいない、アクアネックレスだ。こちらを見向きをしない。すぐにも追いかけたかった。しかし、それ以上にやるべきことがあった。
どうしたの?と駆け寄った母親が言っている。
待ってろ、いま係員かなにか呼ぶから、と父親が言っている。
仗助は走った。
「どうしたんすか?」
声をかけながら、間に合え、とばかりにクレイジーダイヤモンドの腕を伸ばす。
「急に……この子が……」
泣きそうになりながらも母親はしっかりと子供を抱いている。
子供の唇からはわずかに血が流れていて。
動かない。
動き出さない。
逝ってしまった。
帰って来ない。
仗助のスタンドをしても。
間に合わなかった。
「チクショー……」
血を吐くような呟きをもらす。
少女は今や赤い固まりだった。