Le Chien Jaune/東京創元社 世界名作推理小説体系3/宮崎 嶺雄 訳
この話はパリの話ではないのでメグレ班レギュラーの刑事は出てこない.もっとも,いっしょに捜査するルロアはメグレのつれていたメグレの部下だけど.途中,ルロアはメグレがモールス信号で書いた手紙をもらってるけど,警察にとってモールス信号って常識だったのだろうか.
メグレの考えは捜査の最初の段階からこのルロアとも解決をせっつく市長とも違って,正しい方向を突き進んでいたので,2度読むと「なぜメグレがこう動いたのか(もしくは動かないのか)」というのが分かってオモシロい.
この話で一番可哀相だなぁと思ったのは,恐怖に駆られた住民に殺されてしまう黄色い犬だな.たしかに,出てくるたびに無気味に思ったけど,それは思い込みにすぎない.
作中,足を撃たれて治療を受けた税官吏が「足がひどく痛むんですが……」と言うと医者が「そんな筈はないさ!大丈夫だよ!」と断言する場面がある.ここで思い出したんですが,私はかつて病院で(治療のために)足の爪を根元から切られたことがあるんですが,痛くてかなわないってのに,「麻酔かけてるから痛くないはずだ」と主張されて涙を浮かべてたことがあります(けっきょく,看護婦さんが見かねて麻酔を追加した).ったく,医者って奴は!(笑)
そういえば,ドクトルことエルネスと・ミシューは最後の解決しつつある場面で突然手帳に何事かを書き出すけど何を書いていたんだろうなぁ.
最後の場面はすっかり人情話ですね.わたしは刑務所でのメグレの説明を読みながら「いつ毒を入れたんだ?」と頭をひねってたんですが,そうか,分からなくてよかったんだ!と満足してました.そういえば,一番になんでこの人が疑われないんだろうって思ってたんだった.
強い物が臆病者を軽蔑するのは,たやすいことです…….しかしそれにしても,そういう風に臆病になる根本の原因を,知ろうと努める気持ちぐらいはあってもいい筈です…….
同感.もっとも,言った本人が本当に「ただの臆病者」だったかと言うと….
メグレの方は恐ろしく心をゆすぶられていて,その反動で危うく笑い出しそうになった.
2001/7/25 読書開始 - 読了
L'amoureux de Madame Maigret/偕成社文庫4063 メグレ警視の事件簿2/長島 良三 訳
メグレの短編ってはじめて読んだ.メグレ夫人の名前がアンリェットだということもはじめて知った.そのメグレ夫人が大活躍(言い過ぎ?)する一篇.
メグレとメグレ夫人の会話が実にいい.メグレは夫人を愛情を持ってからかい,夫人は「そんなふうにバカにしててごらんなさい!」とばかりにちょっぴりだけすねてみせる.すごくいい夫婦だよね.あと,夫人はメグレを苗字で呼ぶようだ.「メグレ」ってね.あ,これいいなぁって思う.フランスでは普通なのかな?彼らはvousで呼び合うのかね,tuで呼び合うのかね?
夫人がからかわれていた理由が広場にいつもやってくる男.夫人は「何か妙だ」と感じてメグレに男の事を話してたんだけど,メグレはそれを「君の恋人は今日はどうだね?」とからかうばかり.この楽しそうなメグレが,男が本当に渦中の人となったとたん豹変する.「司法警察局のメグレ」になるのだ.さすがにプロだ.
一番好きな場面はオーギュスティーヌ家にメグレが行ったとき.メグレ夫人がいるのを見て,メグレが驚くと同時に不機嫌になるのがなんとも微笑ましい(この話の終わりのメグレの言葉にも注目!).最もおかしかったのは何と言っても「人をスパイしはじめたら,最後までやらなければだめだ,良心的に!」という台詞だ.良心的にスパイするっていったい?(笑)
結局,政治的圧力により捜査は途中で終わるけど,後味が悪くないのはひとえにメグレ夫人のおかげだろう.
作中,メグレが局長に白紙の捜査令状をくれと言う場面がある.局長は「だめといったら?」と言いつつ,すぐに作ってくれる.ものすごく信頼されているのだ,メグレは.「外」の人にはいろいろと口出しされるけど,司法警察局内部での信頼といったら絶大なものだ.
さいごに.〈円満な顔〉ってどんな顔だ?
2001/7/26 読書開始 − 読了
La Fenêtre Ouverte/偕成社文庫4063 メグレ警視の事件簿2/長島 良三 訳
これも短編.
トリックらしいトリックがあってびっくりしてしまった.というのは,メグレ物ってトリックと無縁だと思っていたから.それをまたメグレは速攻でといてしまう.そして「たくさんの仕事をてっとり早くかたづけたのをいいわけするかのように」判事に謎解きをしてしまうのだ.(当初予定通りリュカが出向いていたらどうなってたかな?)
メグレは語る.「彼は,戦争がもたらしたもっともあわれな遺産ともいうべき,戦後の落伍者の一人,とにかくもっともいたましい犠牲者なのです.(中略)反抗はだんだん弱まっていき,ついには(中略)憎悪だけがのこった」
でも,反抗の理由は「憎悪」にふさわしい「殺したいから」というものではなく,莫大な利益でもなく,ただ現在の生活を,自分が今得ている小さな小さな取り分を守りたかったから,なのだ.憐れでならない.
ところで,メグレが床にパイプの葉をあけて新しいのを詰めなおす場面があるけど,いいのかなぁ.向こうなら普通の行動なのだろうか?
2001/7/29 読書開始 − 読了
Sept Petites Croix a'ans un Carnet/偕成社文庫4063 メグレ警視の事件簿2/長島 良三 訳
最初に1つ言わせてくれ.人の職場に来て寝るな,ジャンビエ!!(笑)
これは中篇ぐらいの長さ.(そもそも,メグレ物ってそんなに長くない) 原題は『手帖の七つのx印』で,1951年に出版された「メグレのクリスマス」という表題の短編集に<メグレ物ではない>2編が付いていたうちの1つだそうです(写原さん,ありがとうございます).実際,メグレは出てくるものの,主人公は中央電話交換室勤務のアンドレ・ルクール.事件を発見するのも筋道をつけるのも彼.場面は始終交換室で,現場にメグレが赴いて事件に関わる人たちを理解していくという手順を踏むメグレ物とは一味違う.ルクールは不安を胸にひたすら考えつづけるのだ.いろんなところからの連絡を受け,線を繋いで連絡を伝えるという交換室の仕事のさまも興味深かった.
この話は普段日の当たることがなく,これからも日の当たることのない交換手に一時日が当たる話だと言うこともできるだろう.
ルクールは控えめだが勤勉・几帳面な人物で,自分の能力も限界もすっかり把握しきっている.彼は「自分が頭の鈍い人物であることを知っている」とあるが,おそらく違う.彼は小さいときから分をわきまえることを望まれたのだ.病弱な気遣う兄の役を望まれて,実際,面倒を見つづけてきたルクール自身は,ある種,達観の境地にいて,劇的な事件を手帳の十字に要約してしまうというのは,この人の性分なのだと思う.
ルクールの弟,オリヴィエ・ルクールは小さいころ病弱であったがゆえに家族の中では特別扱いされ,また,他の子との接触もあんまりなくて,どうやら人とうまくやっていくという能力を身に付けることができなかったんじゃないかと思う.人と一緒のことができないことに鬱屈を覚えて過ごす彼は「不満を飲み込んで黙って耐え,あるときかっとなってしまう」ということを繰り返してきたようだ.これを読んで,僕はかつて何かで読んだ日本外交についての論評を思い出した.「日本は黙って受け入れるように見える.しかし,突然ヒステリックに被害者じみた様子でnoと言いだす.」そういう主旨だった.でも,それじゃ議論はできず外交にならないわけだ(ずいぶん前に読んだ文章だったから,それが的を射た意見であるのかも,現在の状況とあっているのかもよく分からない).話がそれた.オリヴィエの息子にしてはフランソワはずいぶんとまともに腕白に育ってるなぁと思う(ホントに!).たとえばオリヴィエは息子のことをこう語っている.
「(前略)ねむってなくても,ねむっているふりをして,わたしがキスをして鼻をつまむまで待ってますよ.それが,あの子のわたしにたいする思いやりなんでね.(後略)」
この子のために,勇敢な酒場の主人に拍手.
車を盗まれた連中が悔しくてたまらないのは,きっと,地下鉄で家まで帰らなければならないことでしょうね.
(前略)冬のあいだじゅう風邪をひきつづけていたので,しじゅうグロッグを飲んで風邪の手当てをしていた,というより風邪と仲よくしていた.
グロッグってよく出てくるけどどんな飲み物なのかな.温まるらしい.飲んでみたい.
補足
2001/7/29 読書開始 − 2001/7/29 読了
Maigret et le Corps Sans Tête/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ8/長島 良三 訳
この事件の解決って偶然だよなぁと思う.首はどうしたのかなぁ.
メグレは最初に一緒に事件にあたる刑事を選びますが,これって,「カルヴァドスで始めた事件はカルヴァドスで」というメグレのクセと一種通ずるところがある.じゃ,刑事は酒か?(笑) 今回選ばれたのはラポワント.
ラポワントの若さ,熱心さ,へまをしでかしたと思い込んだときの狼狽ぶりなど,メグレには楽しかった.
メグレ,ちょっと酷い人だ(笑).いや,分かるよ,メグレって若者に対して始終度量の広い愛情を持った目で見ているから.実際,事件に関わるアントワーヌという若者が反抗的な態度を取ったときも,おもわず微笑んでしまっている.息子が欲しかったけれど息子がいないメグレにとってラポワントは息子のようなものなのだろう.しかも,ラポワントときたら実の息子だったら望めないであろうほどの素直さとメグレに対する尊敬を持ち合わせているのだ.
「人々は奇妙なことに,ばらばらで見つかった死体の前では普通の死体のときと同じ反応――たとえば,同じ憫れみとか,同じ嫌悪の情を示さないのだ」と作中にある.実際,発見された死体は始終ある意味無視されたような状態に置かれている.メグレの興味もカラ夫人にばかり向いている.そもそも,発見された死体をラポワントが車のトランクに入れて運ぶ場面もむしろ滑稽だ.それに,検死のときも.ポール医師の仕事っぷりは初めて見たように思うが,これが可笑しい.さんざん嬉しそうにいじくりまわす医者と,死体をなるたけ見ないようにしている刑事が2人(=メグレとラポワントである).ラポワントなど法医学研究所の近くの
メグレの宿敵コメリオ判事がこの話にも出てくる.どうも,この人は裁判所内でも「厄介な人」と見なされているようだ.物語の最後で,(メグレが)猫の世話をしているかと訊かれたからメグレには他にやることがあると答えておいた,とコメリオが言っている場面があるけれど,メグレと同じく恨めしく思われた.猫好きの私としましては,メグレにまとわりつく猫とか猫に話し掛けるメグレとかの場面が好きなので.
1つ疑問.メグレ物を読んでると,昼食に家に帰る場面(もしくは帰れないと連絡を入れる場面)が何度も出てくるけど,フランスじゃ普通なのだろうか?
「ユトリロの絵のようにさわやかに見えた」とあるけど,ユトリロの絵,分かりません.名前しか聞いたことがない.美術にはとんと縁がないもので.
この作品の中心はやはりカラ夫人なのだろうけど,私にはどうもピンとこない.彼女がなぜにこういう人物になったのかが分からないのだ.なぜ父親を嫌うようになったのかが分からないのだ.
メグレは「《運命の修理人》になりたかったのである」という.これほどメグレにぴったりの職業はないだろう.メグレはいつも愛情を持って人々を眺めているから.堕ちてしまった人々,堕ちずにいられなかった人々に同情し,できうることなら正しい軌道に乗せてやりたいと思いながらいつも彼は仕事をしている.だから,メグレは真実を推理したりしない.真実を感じ取ろうとするのだ.メグレはどうも
バラバラ死体は出てくるけれど,非常に密やかな事件であるように思う.静かな派手さのない変わらない生活をこそ望んだ人々が,起こしてしまった犯罪.いや,犯罪とか事件とか言う言葉でさえも強すぎる.彼らには犯罪でなかったのだと思う.起きてしまった出来事に対処するために,黙々と処理した結果がバラバラ死体だったように思う.彼らは恐ろしいと思っていないと思う.発覚して肩の荷が下りたわけでもないと思う.ただ,少し溜息をついて,また再び今度は裁判に向けての処理を黙々とするのだろう.
メグレは,転落する人たち,特に好んで自分を汚し,たえず下へ下へと転落することに病的なほど夢中になる人たちは,いつの場合でも理想主義者なのだと,これまでにもたびたび,経験豊かな人々をも含めて,多くの人々に納得させようとしてきた.
しばしば表面に現れる行動が本当の心情の裏返しであることは,私の短い人生経験でも見てきたことだ.それに気づかないとはなんと幼いことだろうと思ったこともたまにある.
2001/7/29 読書開始 − 2001/8/3 読了
La Pipe de Maigret/偕成社文庫4064 メグレ警視の事件簿3/長島 良三 訳
私はなぜかこの話のドイツ語による朗読を持っている.(他に『溺死人の宿』と『首吊り舟』と『通りの男』も持っている)
メグレが「すてきな老パイプ」と呼んでいるお気に入りのパイプが無くなったことに気づいたところから話が始まる.メグレはパイプがなくなってから気になって気になってしょうがないのだけど,自分のその執着が我ながら子供じみているとでも思っているのか,夫人にも打ち明けられないままずっとパイプのことを考えている.メグレって,自分の周りを馴染みのもので固めることで,自分のスタイルを守っているのだと思う.事件が始まると,解決するまで同じ酒・同じ刑事で通すのも,そうやって自分の基礎を守りつつ事件に対して攻めに入っていくからなのだろうなと思う.
このパイプのせいで,本来ならメグレが乗り出さないような些細な事件を自ら手がけ,それが思いがけない大きな事件になる,という話.最初に出てくる不満と猜疑心とでいっぱいのルロワ夫人のおかげで,暗い話になるかなと思ってたんだけど,パイプを追い求める(?!)メグレと,ルロワ夫人の息子ジョゼフの意外な冒険心とが面白い話だった.ジョゼフはそのせいで酷い目に会ってるけど,終わりよければ全て良しってことで.
もし,パイプが割れてたらメグレはどうしただろう?(笑)
2001/8/5 読書開始 − 読了
La Nuit du Carrefour/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ46/長島 良三 訳
私はこの話に出てくるエルゼがすごく好きだ.彼女がカールのことを煙たく思っていたし,元の生活を懐かしがっていたのも本当のことだけど,彼のことを大事に思って酷い目に遭ってほしくない,死んでほしくないと思っていたのも,また,カールに自分の元を去って行ってほしくなかったのも事実だろうと思うのだ.
このカールという人がまたすごい.17時間の尋問の間,貴族的な態度を変えず,メグレたちのほうに音をあげさせてしまったのだ.ここでいう「貴族的」というのは,いやみな感じでなく,控え目さと堅苦しさと礼儀正しさと上品さを言う.彼は本当の意味で貴族なのだ.堕とせば堕ちていくような柔な貴族のぼんぼんではないのだ.彼はオスカールという修理工に「憂い顔の騎士」と言われているが,まさしくその通り.
この話ではリュカが自分の考えを若干披露する場面があった.今までそういう場面を読んだことがなかったので意外だったけど,リュカは好きな刑事なのでちょっと嬉しかった.
事件を起こしたのは誰なのか?という答えは意外なものだ.その答えは納得してもいいと思ったけど,じゃあ人殺しは誰なのか?の答えのほうは,うーんと唸らざるを得ない.誰でも良かったんじゃあ?
2001/8/3 読書開始 − 2001/8/5 読了
Tempête Sur la Manche/偕成社文庫4064 メグレ警視の事件簿3/長島 良三 訳
退職旅行に出たら英仏海峡が嵐で足止めを食らってしまい,そこで事件に遭うという話.メグレは暇を持て余して熊のごとく宿泊先でウロウロウロウロしている.「部屋から部屋へ,ストーブからストーブへ,火かき棒から火かき棒へ」と書かれていて,そういえばメグレの古いストーブに対する執着は尋常じゃなかったなぁと吹き出してしまった.寒がりだよね,この人.
今まで読んだ中では一番印象薄かったなぁ.そうだねぇ,メグレ物は短編よりも長編(といってもそんなに長くは無いけど)のほうがいいような気がする.たぶん,メグレと同じく読者にも被害者・犯罪者の生活になじむだけの時間があるほうがいいからだと思う.
2001/8/6 読書開始 − 読了
Mademoiselle Berthe et Son Amaut/偕成社文庫4064 メグレ警視の事件簿3/長島 良三 訳
読み始めてすぐに
リュカーーーー!!!!!!!!
って,これぐらい衝撃を受けてしまった.でも,この設定ってなかったことになったんだよね?ね?(そういえば,このお嬢さん,どこでリュカのことを知ったんだ?)
これもメグレが退職した後の話.メグレは事件と聞いて思わず駆けつけちゃったけど,新米刑事のごとく,やっきになってる自分をちょっと恥ずかしく思っている.どこに行っても定年後の生活ってのはちょっとした問題なんだなぁと思う.私の祖父も定年後もよく前の職場に顔を出しているようだった.(そして,そこ宛に来る手紙のうち記念切手が張ってあるものをもらってきて孫にくれていた)
そのメグレを呼び出したベルト嬢なのだけど,やさしい笑顔の似合う人なのだろうなと思う.この人に関しての記述で一番好きなのは「彼女は(中略)名前を,普通の声の調子でいえなかったのだ.どんなに努力しても,あまりにやわらかく,あまりにやさしくなってしまう」という部分だ.想いがどうしても出てしまうほどに彼女は一生懸命なのだ.
事件が見えてこない間,メグレはこのベルト嬢を前に「若い女と浮気をしている既婚者のような気分にさせられ」てちょぴりまごついているような感じがするのがコミカルです.もっとも,いったん見えた!となるとすっかり変わってしまうのがメグレの味.
ちびのルイは登場時たいへん生意気な態度だったので(メグレにとっては懐かしい反応だったらしいけど),嫌なヤツかと思ったんだけど,実はその逆でした.悪ぶってるだけなのかもしれないな.
読後に微笑の残る素敵な小品です.
「わたしがけっして思ったりしないことは,よく知っているだろう……」
断定しない,何でもありうる,と考えるのがメグレ流.
「ほんとうは,きみは嫉妬ぶかいんだ……そう,とても嫉妬深いんだよ(中略)おまけに,私のことも嫉妬した.」
あとで請求書を送るよ,と出て行くメグレが粋です.
2001/8/6 読書開始 − 2001/8/13 読了
Les Mémoires de Maigret/早川書房 世界ミステリ全集9/北村 良三 訳
読み出してすぐに軽い驚きを覚えつつニヤリと笑みを浮かべた.第1章のサブタイトルがこうだ.
「シムノンなる男と知り合ったときのことを語る機会がやっとあたえられたことを,わたしはよろこぶ」
そう,この話にはシムノン自身が出てくるのだ.
内容はメグレ自身が筆を取った,まさしく回想録.もう少し突っ込んで言えば小説になってしまった舞台裏の暴露話(メグレ自身が現場を歩き回ったりしない,小説に出てくるよりもっと大勢の人々が捜査のために動いている,メグレは古いストーブを移す許可を願ったりしなかった,小説の年代はむちゃくちゃだ,エトセトラエトセトラ).それから,メグレ自身の幼いころ・若かりしころのエピソード(ビスケットをばくばく食ってるメグレは必見)が語られる.
と,まぁこんな具合な内容だから,メグレ物を何冊か読んでないと楽しめないだろうと思う.最初にコレを読むのは止めましょう.ちゅうか,メグレ物としてはこの話1作だけを『世界ミステリ全集』に入れちゃった早川書房はつわもんだと思う.
若い生意気なシムノンに勝手に小説の主人公にされ(しかも本名で!),不機嫌なメグレが楽しい.部下たちのほうの反応がまた面白く,リュカは冷やかし半分の視線を送り,若いジャンビエは毎朝メグレの机の上に1冊本を置いていた,という.不機嫌なメグレがシムノンを問い詰めてやろうと待ち構えてたのに,逆にとうとうと演説をぶたれ,《実物より真実らしくない》警部(=メグレ)はとうとうやりこめられてしまう.
思うに,シムノンはこれを楽しんで書いているだろうね.メグレは,物事を正確に把握し記述しようとする,誠実さを持って描かれている.メグレ夫人は「善良な《おかみさん》」のイメージに満足している.(この話ではメグレ夫人は「ルイーズ」だけど,『メグレ夫人の恋人』に出てきた「アンリェット」という名前はいったい??)
この話の中でメグレが警官になるにあたって「制服を着るのが恥ずかしくないかい?」と訊かれているけど,この頃のフランスでは制服警官は蔑まれていたんだろうか?私なんかは,小さい頃お巡りさんにある種の憧れを持っていたものだが.
メグレに言わせると,驚くほど本物に似ていたメグレ役者はピエール・ルノワールだそうです.1932年製作の『深夜の十字路』でメグレに扮しているそうです.どんな人なんだろうな.
フランスでは労働力が不足していたのでポーランド人をうまいこと言って連れてきた,という記述がありました.ふと,「白いニグロ」と呼ばれたというアイルランドの人々を思い出しました.
ちょっとだけ紹介のある宝石泥棒の手口なんですが,子供の頃読んだ,子供向けの推理小説紹介みたいな本に書いてあった手口だったので懐かしく嬉しくなってしまいました.
わたしの父は決して人間に絶望しなかった.
メグレの父親は,メグレの父親としてすごく納得の行く人柄であり,メグレが尊敬しているのも無理もない人です.
私の人生は全てガデールから(中略)始まったのではないかと,時々考える.
その理由は,ガデールが医者であったためだ.挫折した医者であったためだ.
素晴らしい医者を尊敬する,という単純さじゃないところがメグレらしいと思う.たぶん,メグレは人々の運命に対する好奇心でいっぱいなのだ.理解したくて仕方が無いのだ.
クリシイ通りの娼婦と,その娼婦を見張っている刑事は,どちらも同じようなみすぼらしい靴をはき,どちらもアスファルトの上を数キロメートルも歩きまわって足にまめを作っている.
警官とその相手はしばしば同じ境遇にあり,互いにそのことが分かった上で相対している.端から見ると奇妙な関係だ.
疑問:
「部長にはカルチエ・ラタン――カルチエ・ラタンがまだファルスを愛していた時代の――に住む人間の気質が残っていたからだ.」という表現があるのですが,この意味がわかりません.カルチエ・ラタンとは?ファルスとは?結局,どういう気質だといいたいのか?
2001/8/9 読書開始 − 2001/8/23 読了