メグレとひとりぼっちの男

Maigret et l'homme tout seul/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ26/長島 良三 訳

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メグレとひとりぼっちの男

眼目は第7章,第8章だ.

メグレが新聞社で古い記事をひっくり返して,8月17日の見出しを見つけたときも,あ,と思ったけど.見た途端,可哀想になってしまったのだ.それまでの生活を投げ出してしまったというのに,こんな結末が待っているなんて,思いもよらなかったろうと可哀想になってしまったのだ.

そこにいたる眼目が第7章,第8章だ.

いくらかそんな風な目に会ったし,あなただって,はじめはそうしようとしたんですよ.と語り出した瞬間,ああ,おちた,と.人は理解されると伝えたくなるのかもしれない.私は,そんな真相だとは思ってもいなかったから,驚いた.幸せそうな姿が見かけられていたから信じてしまったのだと思う.

全生涯を終えてしまった男,没落する道を選んだ男,哀れな残骸のようになってしまった男,彼がそれをもって安楽な気持ちになったという考え方は理解できる.全然違う話になるが,たとえば,家族が誰かのせいで事故にあったり死んだりしたとしよう.加害者が毎日謝りに来たとしよう.嫌にならないか?その行為は心からの謝罪からのものかもしれないけれど,どこかに「許されるはず」「許されてしかるべき」という考えが浮かばないか?私が被害者の家族側だったら,責めることもしないからもう目の前に現れないでくれと思うに違いない.

最後の電話のシーンだが,妻が知らないだろうと思っていたせいで,ある種自分が優位にいると勘違いしてはいなかっただろうか?だからといって,彼女は責められるべきではないと私は思う.誰よりも愛した女が他にいると言い切った男など,優しくしてやる義理はないだろう.

ヴィヴィアンとメグレが同じ歳だということにふと気が付いた.ひとりぼっちの男という訳になっているけれども,原題だと「独りで死んだ男」になるのかな.

訳者あとがきで,メグレはもう舞台表に現れないような人生模様には冷淡になっているように見えると書いてあったが,私は同意できない.確かに,自転車で運河沿いを漕いだメグレも,ピストルを相手に渡したメグレも,怒ってるみたいにストーブの火を掻き立てたメグレもいないのだけど,それは現れが変わっただけで,メグレを動かしているのは依然として「彼らはどんな人生を持っていたか」という興味だと思う.

2009/1/2 読書開始 − 2009/1/10 読了

メグレ氏ニューヨークへ行く

Maigret Á New-York/河出書房新社版 メグレ警視シリーズ10/長島 良三 訳

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メグレ、ニューヨークへ行く
(河出文庫)

アメリカ出張に行くときに,時間つぶし用にメグレ物を1つ持って行こうと思って,「アメリカ行くならコレでしょう」と思って荷物に入れたのがコレ.まあ,私が行ったのはニューヨークじゃなくてアトランタだったが.

メグレは引退しているし,舞台がニューヨークだしでおなじみの面々は出てこないんだけど,代わりに出てくる人々がまた何とも言えない.

デクスターはもう哀れっぽくて仕方がない.もう自分で自分の性癖分かり切ってて,それでいてちっとも這い上がれないような感じの人.金に困って金が欲しいにもかかわらず,使ってしまうから困窮するぐらいずつしかもらっていかない等,彼の態度はある種 特異だと思う.二十年間私はピエロをしてましたという台詞に彼が分かり切っているというところが如実に表れていると思う(ちなみに,この台詞の前にオブライエンの実際的な感覚とユーモアにという(くだり)があるんだけど,これ,デクスターの間違いじゃないだろうか).今回のお話の中では一番印象に残ったかな.

あ,霊媒の人もだな.何か,自分で作った世界にはまっていないと生きていけなそうなところが.

メグレに協力してくれるオブライエンの愛想の良い態度に時々メグレは苛ついているんだけど,ちょうどアメリカで疲れてたからなんとなく共感したなあ.私の場合は,アメリカ人に疲れていたと言うより,同行した大先輩に「アメリカ人と付き合う際の心得」みたいなものを吹き込まれすぎて疲れたんだけど.アメリカ行くと,けっこう警備で立ってる人とか売店の人とかが用が無くてもHelloとかHow are you?とかニッコリ笑いかけてくる.観光で行ってるとこの愛想の良さがなんとなく嬉しいんだけど,こういうときにニッコリ笑って自分もHelloとかFineとか返して,いわば「私は敵意はないんですよー」と表明しなくちゃならないわけで,それを「やらなくちゃならないこと」と思った瞬間に,疲れるんだよね.食事してたら会話しなくちゃいけないとかさ,会話を弾ませるための話題提供しなきゃならないとか,今回の出張はそういうところでホント疲れた.もともと社交的に出来ていないから,アメリカでなくてもこういう人付き合いは消耗するんだけど,それを英語でやらなくちゃいけなくて(しかも当然うまくできなくて),アメリカちょっとだけ嫌いになった.ああ,これは余談だね.疲れてなきゃ,この人なつっこさは心地よいのだろうけど.メグレがオブライエンに感じたのも多少はそんな気分もあったんじゃないかなあ.メグレも英語は苦手だしね.半分ぐらいはオブライエンの中に「まあ,あなたが頑張る必要ないですよ」という意識を感じたからなんだろうけど.

お話は,大筋では予想通りだったんだけど,そこまでしていたのかということと,メグレが直接には会っていない人が,それはそれは酷い人なのが予想外だった.真相が明るみに出ることを恐れてはいるんだろうけど,結局のところ,今はのうのうと生きてるんだから.ああ,今気づいたけど.『ひとりぼっちの男』とは対照的だ.メグレに意気地のない者はだれでもそんなことをいうもんです.そんなことをいってながら,裏切るとか,さようなら,卑劣漢めとピシャリと切り捨てられたとき,きっと怯えていただろうなあ.彼にそこまで言う人はいなかっただろうから.相棒は半ば共犯だったから言えなかっただろうし.

ふと考えてしまったんだけど,リトル・ジョンの愛情というのはどうしても格差があるよな.自分でも抑えられずに溢れんばかりの愛情を注いでしまう相手と,いわば義務的に愛を注いでいる相手と.人の感情はそこまでシンプルに区別できるようなものではないだろうけど,大まかに言えばそういう違いがあると思う.だとすると,ジーンはとても気の毒だと思う.彼はマックギルのことに気づいているのだろうか.いっそ,気づかない方が彼のためにはいいように思うのだが.もしマックギルに異存がないなら.

2009/5/20 読書開始 − 2009/5/23 読了