天使は降臨し牧者は主の前に跪く
女神の揺籃-YOURAN '96

使徒襲来……ではなく(似たようなものですが)
書いてる最中絶好調もいいところで
書き手をさんざん苦しめてくださった
全国KOFユーザーの敵、若しくは友。

無敵の聖職者・ゲーニッツ師、満を持して(笑)ご登場です。

好きなんですよ、坊主って。

張るだけ張って破り損ねた伏線の数を数えるのは
不毛なのでやめましょうね(笑)。

書き上げてみて、「……で、主役誰?」とか
思ったのも今は昔の物語(笑)。

ゲーニッツってかっこいいと思うんですよね。

初登場した「四天王」の最初の一人、だし。

オロチの牧師としての清廉潔白かつ完璧な道を歩んで来た彼。

その手がどんなに血に濡れていても外界には隠し抜き、
(いわゆる)聖職者の顔でいつづけた男。

その彼の懺悔を聞き贖罪を見届ける者とは
一体誰でどこにいるのでしょう。

「私の名はゲーニッツ。牧師です」

巻き起こる、小規模の竜巻。それを従え、闘技場の中心に出現した壮年の男。長身の体は、よく均整がとれているのが服の上からでもわかる。

しばし伏せられていた目を開き、男は静かに名乗った。

「さあ、降りておいでなさい。我が神の御名の許にたたきのめしてあげましょう!」

男は客席を見やり、自信にあふれた表情で、それでいてごく自然に笑ってのけた。名指されこそしなかったが、男の視線を真っ向から受け止めて神楽ちづるは静かに立ち上がり、草薙京は勢いよく椅子を蹴った。観客席前の手摺りを身軽く飛び越して闘技場に舞い降りた京の半歩ほど前で、八神庵は青い炎を片手に纏わせ、不機嫌極まりない様子で男をねめつけた。

対照的に愉しそうでさえあった男の青い目が光った。その虹彩がきゅうと細まる。さながら、蛇の如くに。

「では、行きますよ!」

びょお、と風が鋭く吹き抜けた。それを合図としたかのように、四者は一度に地を蹴った。

……神よ。

神よ、私は罪を犯しました。

ある、晴れた日だった。空は抜けるように青く、純白の雲を浮かべている。

サウスタウンのスラム街、そのはずれにある小さな教会。暴力とドラッグの町サウスタウン・スラムではあったが、さすがに町の中心を離れたこの教会は、暗黙のうちに何者の介入をも許さぬ完全中立区となっていた。

教会の重厚なドアを開け、人気のない堂内に一人でおずおずと入ってきたものは、長いとも短いともつかない金色の髪と蒼氷色のきつい目をした美しい少年の姿をしていた。

壇上からドアのきしむ音にそちらを見やった男は、意外に思ったかのように目を細めてからゆるりと笑った。

柔らかく、声が堂内に響く。

「おや、おや。こんなところに天使がお一人で、ですか?」

「……あの、遅くなって……。礼拝に来たんですけど……」

磔台の聖者を象った像の下で笑いかける背の高い牧師の姿に、それは恥ずかしそうにうつむいた。

「それはそれは、良い心掛けですね。さあこちらへ、一緒に祈りましょう」

親切に手招きされ、彼は小走りに牧師の元へやってきた。そしてその蒼い目で広い中を見回し、首をかしげる。

「どうしました?」

やさしい低い声が尋ねる。牧師は腰をかがめ、青い目を彼の視線の高さとあわせていた。

「初めて、お会いしますよね?牧師様……。いつもいらっしゃるシスターや牧師様方はどうなさったんですか?」

見慣れた姿を発見できずに戸惑っている姿に、牧師は軽く目をみはった。そして、彼は少年の金の髪にそっと手をおいた。

「はは、そのことですか。昨夜、急な用事で出掛けなくてはならなくなってしまったのですよ。今晩か明日には戻ってこられますが、代わりに急いで私が参りました」

彼のやや欧州なまりの品の良い英語がよくわからないのか、首をかしげる姿に、淡い金の髪を短く刈った牧師は苦笑したようだった。

「さあ、お祈りをいたしましょう。それがすんだら、私も特に急ぎの仕事がある訳ではありません。珍しいお菓子があるんですよ、一緒にお茶でもいかがです?」

「わあ……!」

そう言ってドイツ語が印刷されているチョコレートケーキの箱を見せた牧師に、彼は嬉しそうに満面の笑みをみせた。

いそいそと壇の前で小さな手を組みあわせる少年と並んで手を組み、牧師は不思議な言葉で祈りを捧げた。

少年は不思議そうに牧師を見上げた。その視線に気づき、牧師は穏やかに笑った。

「ロシア語です。私は長いことロシアですごしました。生まれた国を出たのはだいぶ昔です、世界中を巡り歩いて……」

笑ってみせる牧師だったが、少年は悲しげな顔をした。牧師が慌てた様子で尋ねる。

「どうしました、何故そんな顔をなさいます」

「牧師様、国に帰りたいのでしょう?生まれた所に帰れないと、寂しいでしょう?」

泣きそうな顔をした少年に、牧師はあやすように笑って髪をなでた。

「……優しいのですね……?心配なさらないでください、私にもちゃんと帰る場所はありますから。神のみもとが私の家。神のみまえが私の国です」

ポケットから白いハンカチーフを取り出し、少年の頬にあてがってやる。

「だから泣かないでください。……今お茶を濾れますよ、さ、 涙を拭いて……」

そう促し、目元をこすっている小さな子を事務室へと導いてやる。

古びてはいるが手入れの行き届いたソファに少年をかけさせ、ティーセットとナイフ、白い小皿を持ってきて、自らも向かいに腰を下ろす。

よい香りのする紅茶をすすめ、牧師は楽しげに尋ねた。

「何を入れますか?普通の砂糖もありますし、蜂蜜も苺や薔薇のジャムもマーマレードもありますよ?そうそう、ミルクはいかがです?」

「あ……と、じゃあ蜂蜜とミルク……」

「ほう、“キャンブリック・ティー”ですね?いい楽しみ方をご存じです」

蜂蜜の中に含まれる鉄分のため、やや黒ずんだ色になる紅茶にミルクを加えた、美しい亜麻色・キャンブリックをも楽しむ飲み方をする少年に、牧師はにっこりした。

自身は銀色のスプーンにひとすくいの薔薇のジャムを加え、チョコレートのケーキを切り分ける。

「オーストリアのお菓子でしてね、ザッハトルテというんですが……私はどうもこれに目がなくて。どうぞ、おあがりなさい。美味しいですよ」

銀色のフォークを手に、どきどきしながらナイフが入るケーキを見つめていた少年は、小さく歓声をあげてケーキの乗った皿を受け取った。

嬉しそうに黒いケーキを口に運んでいる少年から涙の衝動が去ったのを確信し、牧師はようやく安堵を感じていた。

「美味しいですか?」

元気に首を縦に振る姿に、牧師はやれやれといった感じでため息をついた。しかし、鋭敏な感覚を持った少年は、今は目の前のケーキに夢中のようだった。

白いティーカップを口元に運び、ふっと息を吐き出す。牧師は青い視線を少年へ向けた。

「お洗礼名(なまえ)を伺ってもよろしいですか?」

ここはサウスタウンである。いくら中立区であろうと、幼い姿であろうと、本名はタブーだった。少年は軽く首をかしげ、牧師を見つめる。

「……坊やはおいくつです?」

沈黙を繕おうと、牧師はさらに言葉を紡いだ。すると、少年はきゅんと眉をはねあげた。

「12です。でも牧師様、私は坊やじゃありません」

「え!?あ、はあ……それは申し訳ありませんでした、ケーキをもう一切れいかがです」

なんと、少女であったとは。言われてみればそんな気もするが、この年齢でこの髪型でこの格好……長袖の白いシャツと紺のロングパンツで、わかる訳がないではないか。

しかし、差し出したもう一切れのケーキで、少女は機嫌をなおしてくれたらしい。

「お茶のおかわりはいかがです?お濾れしましょう」

少女だと思って見れば、なるほどこれはかなりの美少女である。白磁の肌に薔薇色の頬、蒼氷色の瞳にうっすらと紅をさしたような唇と輝くばかりの金の髪。こんな少女が、サウスタウンのそれもスラム街を白昼堂々スカートをはいて歩いていたら大変なことになる。それが目に見え、牧師は自分の洞察力のいたらなさを恥じ入った。

紅茶の香気の向こうから、牧師は少女をしみじみと眺めていた。

「大きくなったらさぞかしお綺麗になられるでしょうねえ……。いえいえ、もちろん今の貴女も美しくていらっしゃいますよ?貴女が素敵なレディにおなりになる頃、またお会いできたら嬉しいですね……」

お世辞でもない牧師の言葉に、少女は恥じらいながらにっこり笑った。つられるように牧師も笑い、穏やかな時間が流れていった。

聖堂内部ステンドグラス

聖堂の門の内側で、牧師は帰ろうとする少女を見送ることにした。

「生きてさえいれば、必ずまたお会いできましょう。彼らが戻れば、もう私も行きますけれど……」

牧師は少女の髪にそっと手を置いた。洗礼を与えるかのように荘厳に、また恭しく言葉を紡ぐ。

「貴女に、我らの神の祝福あらんことを。貴女の魂に、幸いあらんことを」

跪き、牧師は少女の小さな手に軽くくちづけた。神のみもとに跪く罪人のように。

「……貴女の輝きが、罪深き子らを導きますことを」

少女は困惑して言葉を失った。そっと、恭しく祈る男に尋ねる。

「お名前を、牧師様」

その問いに、牧師は顔を上げた。少女の美しい顔を一度見上げ、膝をついたまま右手を垂直に折って礼を取る。

「ゲーニッツと申します……麗しき御子よ」

不思議な響きの名を反芻し、少女は頷いた。

「ゲーニッツ様ですね、私の……私の洗礼名はジャンヌといいます」

「良い名です」

フランスを守り戦い、魔女の濡れ衣を着せられて死んだ聖女と同じ名。ゲーニッツと名乗った牧師は、勇ましくも一抹の悲しさを感じさせる名を持つ少女に今一度微笑みかけた。

「今日は天気が悪くなるそうです、早くお帰りなさい。嵐は突然にやってくるものです」

そう言いながら、手ずから扉を開けてやる。まぶしい光の洪水の中、ゲーニッツ牧師は半歩早く外に身を出した。かるく辺りを見渡し、彼女を待つのであろう車が待っているのを確認してから少女を促す。

「さ、お行きなさい。……さようなら、ジャンヌ」

「さようなら……パスター・ゲーニッツ」

彼女が軽やかに階段を駆け降りる。車の横まできた少女が今一度振り返ると、牧師は親しげに手を振った。それがよほど嬉しかったのか、少女は輝くばかりの笑顔になった。

少女を吸い込み、黒い車が走っていく。牧師は車が見えなくなるまでそれを見つめていたが、やがて反対側に目をやった。少女の目に触れぬよう、今まで背中に隠していた握りこぶしを胸の前で開くと、黒く光るものが足元の石の上で乾いた音を立てた。

銃弾だった。

「神の家で無粋なことをなさる。神罰ですよ、受け取りなさい」

軽く手をかざし、牧師は笑った。青い目が冷ややかな怒りを浮かべていた。

そして牧師が堂内に戻り、重厚な音をたてさせて扉を閉めたのとほぼ同時刻。

金の髪の美しい少女の保護者でもある、ある組織の幹部。その男と対立している別の幹部の配下にいたスナイパーが、教会から帰ろうとした彼女を抹殺しようとして失敗した。

彼は確かに少女に向けて発砲したのだが、その結果を知る事なく、全身を鋭利な刃物で切り刻まれて無残に殺された。そこには凶器も人がいた形跡も何一つなかったが、それは事故というにはあまりにも不自然な死に様だった。

しかし、その事件はとある組織の構成員が一人死んだという程度でしか扱われず、あっという間に人々の記憶から消えた。この街で、人死に自体は不思議なことでも何でもなかった。

覚えているのはただ一人、優秀なスナイパーになるはずだった部下を、子供一人を片付けるという簡単なはずのミッションで失った男だけだった。この男だけが、ただならぬ興味をもって執念深くこの奇妙な事件を追い、長い時間をかけて真相を突き止める。

だが今現在、この事件は表向きにはまったく謎の事件として処理されていた。

その夜、牧師の予言どおり激しい嵐がサウスタウンを襲った。吹き荒れる風は限界を知らぬかのように荒れ狂い、雨はすべてを打ち壊さんとしてたたきつけるかのように降り続いた。

嵐の去った翌朝、少女は街外れの教会が燃えたことを知った。何一つ残さず燃え尽きた焼け跡から男女数人の焼死体が発見され、それがサウスタウンに戻ってきた牧師とシスターのものであるのが確認された。

街に暮らす者たちはそれぞれの方法でそれを悼んだ。こんな街でも、神に仕える人々は一応の敬意を表されていたから。

そして少女は、その痛ましい犠牲者たちの列にあの背の高い不思議な牧師が含まれていなかったことをせめて喜ばしく思い、ちいさな胸をなでおろしたのだった。

「生きてさえいれば、また必ず会えるって牧師様がおっしゃっていたもの。きっとまたどこかでお会いできるわ」

そう言って自分を慰め、少女は胸をはった。泣いている時間は、彼女にはなかった。

貴方に忠誠を約し、貴方を愛すべき職にあるこの私が、人の子を愛するなどと。

それも貴方の子ですらない、ただびとの子に恋するなどと。

それから十年近い年月が流れた。

ジャンヌを取り巻く環境はさまざまに変わったが、本人は特に気にしていない。しかし自らの内面をも磨くことを怠らない彼女の美貌と魅力はいやまし、多くの男が彼女を愛していた。

洗礼名こそ変わらないが、彼女は今また公の呼び名を変え、強力なパトロンの庇護を受けつつも保護者の元を離れてイギリスでバーを経営していた。

弟と二人生活していた彼女は、とある夕暮れ時、偶然通りかかった古い教会の前で足を止めた。

「こっちまで来たことなかったっけ……。教会、あったんだ」

古いというより荒れているといったほうが良さそうな、雑草は生え放題、門は赤く錆び付き扉は破れたままの教会に、彼女はほんの気まぐれで足を踏み入れた。よもや人がいるなどとは思ってもみなかった。

そっと、堂の中をのぞいてみる。と、中は思ったより整っている。人の手が入り、まめに掃除されているのが良くわかった。

「どなたかいらっしゃるの……?」

薄暗い堂に踏み入り、彼女は尋ねた。余韻をひいて、声が消えていく。すると、別の声が響いてきた。

「……どなたです?いらっしゃるのはどなたです?」

ぽっ、とろうそくが灯される。その明かりはそろそろと数を増し、やがてランタンに移されて堂の中を照らし出した。

穴の空いたステンドグラスが光を浴びて浮かび上がる。赤子を抱く聖母の像の下で、長い人影が動いた。

「牧師様……?」

女はそっと言葉を紡いで呼びかけた。心が震えた。

聞き覚えのある声をしていた。

「確かに私は牧師ですが……あなたは?」

「ああ、牧師様!お忘れですか、サウスタウンでいつかケーキをご馳走になりましたわ!ジャンヌです、お忘れですか、ゲーニッツ様!」

はやる心をなだめ、けげんそうな人影に駆け寄って跪く。さらりと音を立てて金の髪が揺れた。

「私の名をご存じですって?サウスタウン……ジャンヌ?ああ、ジャンヌ!思い出しましたよ、貴女でしたか……お久しぶりです」

す、と腰をかがめ、跪いて震えている女を促して立たせてやる。あの時から見れば、牧師はさすがにやや年を重ねたように思えた。

「お綺麗になられた……、わかりませんでしたよ、ジャンヌ」

「牧師様にはお変わりなく……」

牧師は感嘆してみせた。別れた時には少女であったかもしれなかったが、歳月は確実に流れ、ジャンヌを美しく成長させていた。

「いつイギリスへおいでになったんです?おなつかしいわ、もう十年も前になるかしら」

「イギリスに来たのはつい先日ですよ、この教会を修理してきちんと使えるようにするのが今回の私の仕事です」

前と同じように微笑んでみせてから、牧師は案ずるように軽く首をかしげた。そっと、女の白い頬に手をやる。

「すこし、お痩せになったのではありませんか?」

「そんな事はありませんわ。牧師様こそ……」

前よりも更に背の高さが強調されたような印象のある牧師に、何も言わずに問う。牧師の手に自分のそれをかさね、温もりを確かめるようにかるくそれを握る。

「ジャンヌ?どうしました」

温かいものに濡れる感覚に、ゲーニッツは気遣うように呼びかけた。ジャンヌは明確な答えを口にせず、小さく首を振るといま一方の手をも牧師の手に添えた。

「牧師様……私は、……罪深い女です……!」

小声の、叫ぶような告白。震える肩を哀れに思い、牧師は優しく声をかけた。

「お聞きしますよ、懴悔なさい。そうすれば、神の前に貴女は許されるでしょう」

そう告げて、ゲーニッツはジャンヌの小さな肩を抱いてやった。小さかったあの頃と同じか、それ以上の頼りなさで彼女は泣いていた。

「お言いなさい。落ち着いたら、でよろしいですから……」

優しい牧師の言葉が、彼女にしみこんでいった。

これは貴方への反逆。私を愛してくださった貴方への裏切り。

せめて貴方への愛の証として、この命を捧げます。

わが魂を、どうかお受け取りください、神よ。

手元の資料をめくっていた男は、あるページまでくると手を止めた。しげしげと、すみずみまでなめるように視線を動かす。

彼は天を仰ぎ、目を伏せた。

「貴女だったのですか……」

感慨深い、としか言えない様子で男はつぶやいた。悲しみでも、喜びでもない感情がこもった声だった。

「TVでCMを見ました。驚きましたが間に合ってよかった」

キング・オブ・ファイターズ’96の会場で、背の高い牧師は目当てのチームの控室を捜し当てた。そこを訪ね、彼はためらわずに言った。

「こんな大会、出るのはおよしなさい」

牧師は3人の女たちに説いた。辛抱強く、熱心に聞かせる。

「まだ遅くありません。出場は辞退なさるべきです、怪我でもしたら大変ではないですか」

「牧師様……」

金の髪の女は困惑している。牧師はさらに続けた。

「貴女にもし何かあったら、悲しまれるのは貴女の大切な弟君ではないのですか?いいえ、それだけではありませんよ。私も悲しく思います。貴女はもう長いこと出場を果たしておいででしょう?もう良いではありませんか。お願いです、ジャンヌ……いいえ、今はキングと名乗っておいででしたね。どうか危ないことをなさらないでください」

「で、でも牧師様……キングさんに抜けられたら私たちも出場できません!父様を探さなければいけないのに……」

小柄なアジア人の少女が訴える。牧師はちらりと視線を流し、口調は穏やかながらも苛立ちを含ませて断じた。

「お黙りなさい、お嬢さん!貴女がたもですよ、なるほどお父上をお探しだそうですが、だからといってこんな危険なことに首を突っ込まずとも良いでしょう!警察にはちゃんと届けたのですか?」

やわらかな声で、しかし厳しく一喝され、黒い髪の少女はしゅんとうなだれた。今にも泣き出しそうな少女の肩に手を置き、もう一人のアジア人の女性が何か言いかける。

それを片手でさえぎり、キングと呼ばれた女は牧師を仰ぎ見た。そっと手を組み合わせて跪く女に、牧師はしかたなく父親から懴悔を聞く聖職者の顔になった。

女は床を見つめ、慎重に言葉を選びながら少しずつ声を紡いでいった。

「牧師様、私は罪深い女です。弟のために……交通事故で入院しているあの子を喜ばせるために、それだけを思って私はこの大会に出場を決めました。あの子の喜ぶ顔が見たいがために、それだけのために……私は……」

言葉すくなにうつむく女は小さく首を横に振った。

「あの子の望みが、闘うことで輝く私を見ることだというのなら、と……あの子のために、何でもしようと思ってしまう私をお許しください……」

女の悲しい懴悔の言葉を聞き、牧師は長く吐息した。半ばあきらめたような感じであった。

「決意は変わらぬようですね……」

「申し訳……」

重ねて謝しようとした女をさえぎる。苦笑いではあったが、牧師は笑ってみせた。

「ならばこれ以上止め立ていたしませんよ。……貴女と貴女のチームに神のご加護があらんことを」

牧師は腰をかがめ、女の手をとると、白い指先の丁寧に整えられた爪の先に軽くくちづけた。

「怪我だけはなさらないよう、お気をつけて。約束していただけますね」

「は、はい!お言葉の通りにいたします」

一幅の絵のような一連の牧師の行為に、初心な少女の様に頬を赤らめる彼女を、手を貸して立たせてやる。

笑みを残して牧師が部屋を後にすると、キングは一緒になって赤面している二人のチームメイトを振り向いた。

「舞、香澄!さ、行こうよ!お祈りまでしてもらったんだ、きっとうまくいくよ」

常にも増した華やかな笑顔。つられるようにさっきまで半泣きだった香澄も笑顔になり、舞も笑う。

「キングさんキングさん、ひょっとしてあの牧師様……?」

舞が内心の期待を隠さず尋ねてくる。キングは彼女にしては珍しく、はぐらかすこともせずに答えた。

「そう、ずっと昔に初めてお会いした時から大好きだった人。優しい方なんだよ」

「あ、やっぱり!素敵な方ね、ユリちゃんくやしがるだろうなあ……自慢しちゃおう」

昔の事を話したがらない彼女が教えてくれた、数少ないものの一つが初恋のことだった。背の高い不思議な牧師の話は、若い彼女たちを喜ばせた。

けれど、その華やかな談笑は凍りつく。ほんの数時間後、天使のような三つの笑顔は永遠とも思われる重苦しい驚愕と自失の牢獄に閉じ込められる。

そのことを知る者は、今この世界には存在していなかった。

……神よ。

神よ、私は罪を犯しました。

貴方に忠誠を約し、貴方を愛すべき職にあるこの私が、 人の子を愛するなどと。

それも貴方の子ですらない、ただびとの子に恋するなどと。

これは貴方への反逆。私を愛してくださった貴方への裏切り。

せめて貴方への愛の証として、この命を捧げます。

八神と草薙の炎にまかれるわが魂を、どうかお受け取りください、神よ。

八神が放った炎が赤い。それに続けて放たれた草薙の炎が赤いのは常だったが、八神の裔はその事実に驚愕した。そしてその驚愕は、常人離れした運動能力を誇っていたはずの僧服を着た男がまともに炎を受けたことにのみこまれて一時消え去った。

男はわざと動きを止め、2つの炎を食らったように見えた。その証のように、直前の一瞬、男の口元に笑みが浮かんだことを庵の目ははっきりととらえていた。

「貴様ァ、わざと……!」

さらに向かって行こうとした庵を、神楽ちづるの手が止める。鋭くそちらを振り向いた庵の目の端で、不知火舞と藤堂香澄が彼の突進を阻もうとするかのように立ち塞がった。

「時間をちょうだい!少し、少しだけでいいの!……今のうちに!」

「お願いします!キングさん、早く……」

「あ、ああ……すまない!」

蒼白になり、その凄まじい攻防に立ち尽くしていた金髪の女が矢のごとく駆け出す。 朱の炎纏う男も、純白の衣の女も、真紅の髪の長身も顧みることなく真っすぐに。

「……何があったというの?彼にもう戦闘の意志がないとはいえ……」

口調は穏やかながら、危険を冒した彼女を非難する響きでちづるが言う。京は短くため息をつき、庵は音高く舌打ちをした。

「あの人……キングさんの、っ!」

涙が舞の声をつまらせた。そのまま泣き崩れる二人の女と、それらをなだめるちづるにもはや一瞥もくれず、庵は不機嫌に押し黙った。

冷ややかな視線を地に伏した男に投げつけると、黄金の女の膝に抱き起こされ、まだ辛うじて息のあるらしい男は苦しげに呼吸音をたてていた。

「……ジャンヌ」

ようやく目を開けることに成功した男は、そっと女の名を呼んでやった。ほとんど全身黒焦げの中、どうかばったのか奇跡的に軽い火傷で済んでいる牧師の頬に、ジャンヌは震える指先を触れさせた。

「汚れて……しまい……」

案じるような牧師の言葉に、彼女は強く首を振った。せきを切ったようにはらはらと落とされる涙を頬に受け、女をあやすように牧師はゆるりと笑った。

「……泣かせてしまいましたね」

「牧師様、何もおっしゃらないで!お願いです、すぐにお医者様が来てくださいますから!」

悲鳴のような言葉にも、牧師は静かに笑うだけだった。どうにもならぬとは思っても、女はなお牧師の額に頬を寄せて低く哀願した。

「死んではいやです……牧師様、死んではいや」

必死の思いがこもった懇願に、牧師は短く息を吐き出すようにして笑った。聞かぬ子供に言うように、とぎれとぎれながらも優しく慈愛のこもった声で言う。

「は、は……。私のいるべき場所へ帰るだけですよ、心配なさらないで……ください」

「帰る?何処に、いったい何処に帰られるとおっしゃるの?」

「召されるのです。……天へ」

静かな、牧師の声。牧師は目を伏せ、微笑した。

「ああ、いい風が……吹いてきました」

「牧師様!?」

ゆるく牧師は吐息した。わずかに唇が動き、かすかに言葉を紡ぐ。

「……愛して、いましたよ……。ジャンヌ、私の……天使……」

高音のアリアが遠く聞こえる。不思議な安楽を感じ、牧師はそれに身をゆだねた。

長い、安らかな吐息がもれた後、再び空気が牧師の喉に流れ込むことはなかった。

悲痛なレクイエムのようにも聞こえる女の声が、尾を引いて天へとのびていった。

Author's Note

アップは1997.10.14です。

やけに牧師の評判が良く、ほくほくしてます(笑)。

嬉しかったのが、「おかげでキングとゲーニッツ好きになりました」と言ってくださった方がいらしたこと。僕ほんとに嬉しかったんですよ。

このカップル(苦笑)自体は鬼のように少数派だと思いますが、単品ででも「キング」「ゲーニッツ」というキャラを新たに好きになっていただけたというのは字書き冥利に尽きます。

でもげに蔵様(笑)は無制限に優しい方では決してないんですよ(ニヤリ)。某小説で、名前も出てないくせに某ナンパ師をこてんぱんにのしてますし。げに様は基本的にキングにしか優しくありません。他の人はかなり露骨に「どうでもいい」と思ってそうです。どうでもいいから殺さないし、どうでもいいから表面を取り繕うくらいのことはしておられますけど。この人に冷笑されたら次の瞬間殺されてますねきっと。

ちなみに、「ゲーニッツ」は「キング」にとってリョウとも庵ともジャン君とも違う位置にいる人だと思っています。「ただひとり、彼女より高いところから彼女を抱きしめることができた人」と申しましょうか。彼女の中で、「父親」に近い位置づけではないかと思ってます。

ついでに申し上げますと、「Mr.BIG」は彼女から少し離れた、いつでも手が届くようなところから見ている人、です。「父」よりは「兄」ですかね……。