青年期の悩みにおける傾向と対策・
二階堂紅丸の場合(傾向篇)
〜砂の花びら〜

「キングオブ可哀想」にはどうしてもなれない、

ある意味なんだかとても悲しい男・二階堂紅丸。

そんなきみに花束を。

失恋大王への道は確実に彼の前に拓かれていますね……。

報われない恋心と流されるであろう涙の報酬、
それをぼくは彼に与えることができるでしょうか。

時期的には94、もしくは95の大会前までですかね。

彼女がフリーだった、ほんの短い期間に起こったおはなしです。

さらさらと風に舞う金色の長い髪をなびかせ、美姫にするかのようにいとおしそうに抱きしめた真っ赤な薔薇の巨大な花束とともに、颯爽と歩いてくる細身の美形。

道行く女の八割は振り返るであろう、実際ウエイトレスたちの視線を釘付けにしたままの美貌が、真紅の花びらの向こうからカウンターの中めがけて全開で笑った。

「Hello!キングさん、会いたかったよ」

「あら、やだ!ベニーじゃない、あなた学生じゃなかったの?夏休みには早いわよ」

「嫌だなあ、言わなかったっけ?仕事だよ、し・ご・と」

ウインクなどしてみせ、紅丸はいそいそとカウンターに陣取った。

「これ、おみやげ。陳腐だけどね、でも思ったとおりだ……良く似合うよ」

手渡された花束に埋まりそうになっているキングにぬけぬけと言ってのけ、さらに紅丸はにっこりと笑ってみせた。うわあいやみ、とつぶやくウエイトレスの横で、あたしも言われてみたあいっと言う者もいる。どちらの意見がより正しいかは謎である。

「仕事って?卒業してたの?」

花弁をかきわけ、顔を出してキングが尋ねる。紅丸は頬杖をつき、やたらと機嫌良く答えた。

「俺、学生もうやってないんだよ。言ってなかったっけ?ちょっとばっかり家の手伝いするかたわらモデルのバイトをね、してるんだ」

グラビア撮影するんでイタリアまで来たからついでにね、と無茶なことを口にする。

「……顔が見たくなっちゃって。ちょっと、ね」

わずかに眉をひそめ、表情をくもらせる紅丸の低まった視線に合わせ、キングは金色の液体にその赤い花びらをうかべた華奢なグラスをすべらせてやった。

「私、ときどき耳遠くなっちゃって。困るわ、いやあね」

やさしく彼女は言い、紅丸は切なそうな目をして嬉しそうに笑った。

「いろいろあったんだよ、ちょっとね……俺一人じゃあね、つらいかなあって思っただけなんだよ。次にキングさんの耳が聞こえるときは、ちゃんとカッコいい俺でいるからさ。今日だけ……ん、今だけでいいや。ちょっとだけね、ちょっとだけだから……ちょっとだけ、カッコ悪くてもいいよね……?」

うつむき、すっきりと切れ上がった目を伏せがちにおずおずと言葉を紡ぐ紅丸に、キングは決して優雅さを失わないながらも無造作にまっすぐ手をのばした。

頬に触れたキングの手のぬくもりに、紅丸はうつむいたまま唇に笑みをはいた。そのまま自分の手を重ねてとらえ、白い指先の整えられた爪の先に軽くくちづける。

「キングさん、優しいんだもんなあ……。惚れちゃうよ?俺……」

思わず口にしてしまった言葉にも、キングは言葉を返さない。ただ、彼女は己の手を紅丸の手の中から取り上げようとはしなかった。

「ねえ、俺のこと好きになってよ。俺にだけ優しくしてよ……。お願いだから……」

かなりまいっているらしい紅丸の甘えてくる声に、キングは困ったように首をかしげた。

そして紅丸は、頭上からかかってきた声に固く目を閉じ唇を噛んだ。

「いいこね、ベニー……とてもいいこ」

優しい響きの言葉は、紅丸を否定してはいなかった。それどころか紅丸の我儘を肯定し、受け入れてさえいた。

けれど、彼女にとって紅丸は『特別』ではない。彼はキングの『一番』にはなれない。それが痛いほどわかってしまい、紅丸は何も言えなくなった。

「……ずるいよ、キングさん」

「あなたはいいこよ?とてもかわいい、いいこ……」

やさしい彼女の言葉は、やさしすぎて切なかった。

プレイボーイの名が泣いても、ファンの女の子が泣いても、今この瞬間に紅丸は彼女に抱きしめられることを望んでいた。

かなわない願いも、届かない想いも、彼に縁深いものではなかった。

ただ一つの希望は、他の誰であってもキングの『特別』にはならないであろうこと。

紅丸が受ける以上に、彼女から愛され優しくされるような者は存在しないこと。

彼女の、いとしい弟君ただ一人を除いては。

だから、紅丸はこうつぶやくのだ。せめてものささやかな思いとともに。

……せめて、誰のモノにもならないで。誰も愛さないでいて。俺を好きになってくれなくてもいいから、美しくて冷たい女神のようにそうやってひんやりと微笑っていて。

夢でしかないのなら、夢のままに。すべてを呼び寄せひれ伏させ、何一つ受け容れることのない氷の美貌に手を触れることはかなわないのだから。

どんなにか優しい言葉をかけてくれても、彼女は抱きしめてはくれない。

抱きしめてくれることがあったとしても、彼女を抱くことができたとしても、彼女は愛してはくれないだろう。

彼女の中に、深い静かな絶望が宿っているのを、紅丸は感じてしまったのだ。

彼女の繊細な白い手を中につつんだ己の手が不覚にも震えた。

「貴女は……そんなにも、何に絶望しているんですか……?」

かすれた声に、キングはゆっくりと目をみはった。その蒼い目を伏せ、おだやかに息を吐き出して、キングは短く泊まっていくといい、と告げた。それに悲しく頷き、紅丸は彼女に導かれて席を立った。

イリュージョンを最上階にいただくホテルの中、キングが店のゲストと従業員のために長期で借り上げた部屋のひとつに彼は案内された。

バスローブやタオルの場所を教えてやり、チェックアウトはフロントで普通にすればいいと告げて彼女はふうわりと笑った。

「おやすみ」

やさしく響く声を残してきびすを返しかけたキングのことを、次の瞬間紅丸は背後から抱きしめていた。

「行かないでください……キングさん」

耳元でささやかれた恋しがる台詞にも、彼女は何も答えなかった。

「一度でいいんです……。それだけで満足だから……」

彼女は何も言わない。いやがりもしなければよろこびもせず、ただ彼女は長く長く吐息した。

紅丸はそっと彼女の白い耳のはたにくちづけた。まるきり少年のようにおどおどしながら、小さく震えてさえいる腕で彼女の細い肩を抱きしめた。

「あなたが、すきです……」

かろうじて喉から追い出した言葉は、彼女の心に届いたろうか。

どういうことだろう、なんということだろう。いつもなら、もっとスマートに口説けるはずなのに。こんなの、簡単なゲームにすぎなかったはずなのにどうしてこんなに怖いのだろう。なぜこんなに心臓の音がうるさいのだろう。

「へ……変だな、俺……。ほらっ……おかしいよね、こんなに震えてる……」

道化て笑ってみせたのは、不安をごまかすためだった。そして女の華奢な手が、彼女を抱きしめたまま小刻みに震えている己れの腕に触れた瞬間、その不安とすさまじい重圧を伴う緊張はあっさりと極限を越えた。

その手はひんやりと乾いていて、不思議なくらい心地よかった。

「少しだけ……」

静かな、耳に心地よく響く声に、紅丸は我に返った。つい息を詰め、言葉の続きを待ってしまう。

「少しだけ、こうしててくれるかな……」

「……!」

紅丸の耳が聞き慣れたフレーズは、この上なく意外な印象で紅丸の中にしみこんできた。

安堵するとともに、彼は自分のペースを取り戻した。

「ええ……。貴女が望まれるだけこうしています」

気高き姫君に仕える騎士のように。女神を抱いた信奉者のように。

紅丸は、華奢な体を抱いたままに立ちつくしていた。

予感が、していた。

紅丸の意識が覚醒に向かい始めたその時、予感の正体は知れた。

「いやああああ!!」

隣から絹を裂くような悲鳴が上がる。彼は跳び起き、鋭く頭を振って眠気を追い払うと強く呼びかけた。

「キング!?」

隣で眠っていたはずの人を抱き起こし、激しく名前を呼んで肩を揺さぶる。

「いや、いや、いや!近寄らないで、触らないで、私にはいってこないでパパ……いやよお!」

「キング!しっかりするんだ、それは夢だよ!目を覚ますんだ、キング、起きて!」

「いや!私をいじめないで……いやあああ!」

パニックを起こしている体をシーツごと抱きしめてやる。震えている細い体をきつく抱いて、ひたすら名を呼んでやる。

「キング、キング……目を覚まして、ここにいるのはこの俺。落ち着いて目を開けるんだ、ここにいるのはこの紅丸だから……だからもう怖くないよ、キング……」

かたかたと震える小さな手をとり、きつく握りしめてやりながら、紅丸は漠然と彼女の手はこんなに小さかったかと思っていた。

同じ言葉を繰り返してやる。

「もう大丈夫、大丈夫だからね?……貴女を怖い目にあわせるやつはここにはいないから……泣かないで」

「あ……ああ、ああ……!!……ベニー……」

自ら紅丸にすがってか細く泣く声に、紅丸は彼女の耳元にそっと唇を寄せた。

「大丈夫、もう平気だよ?……もう怖くないでしょう?」

優しくささやいてやりながら、震えの止まらない彼女の体に腕を回して抱きよせる。役得、というものであろう。

小さく泣きじゃくっているキング、などというものを紅丸が目の当たりにしたのは初めてのことだった。またしても柄にもなく緊張などしてしまう。初心な少年でもあるまいに、奇妙な高揚を感じながら豪奢な金の髪をそっと梳いてやる。

「大丈夫。俺がここにいるから、怖くないよ。だから……泣きやんで」

そっと目元にくちづけて、止まらない涙を吸う。

「泣かないで……」

繰り返して、そっと思う。

諦めるには早いにしても、今はこれで満足しよう。涙の理由は、今は要らない。いつか話してくれる時まで。

大丈夫。俺は待てる。待てるから。今は何も話せなくても、俺は待ってることができるから。

「泣かないで……」

Author's Note

アップは1998.6.6です。

お誕生日のはずなのに、ああ紅丸ごめん。ほんとにそんな話です。めっちゃ不幸だわ。報われてない訳じゃないし、かなり恵まれてるのにめちゃくちゃ不幸。だって紅丸は絶対特別になれないから。

彼の場合、恋敵に行き着くまでがそもそも怖いしな……。リョウがぼやぼやしてるぶん、五割増しでロバートに敵視されてそうだし……。油断したらすまきでエーゲ海だよ、きっと……。

恋敵(のナイト?)はめちゃくちゃ怖いわ、肝心の彼女には全然振り返って貰えないわ、後から来た赤頭にあっさり持っていかれるわ。踏んだり蹴ったりですわね。これから先、状況が好転することも考えられないし。

それでも、報われてないわけでは決してないので、彼はキングオブ可哀想にはなれないのです。同様の理由でロバートもゲーニッツもキングオブ可哀想にはなれません。