天使の呼び声 女神の揺籃’98
KOF98、ラストステージ。
背景に、ゲーニッツ師らしき首無しの身体
(顔があるべき部分から妙なチューブがのびている)
があります。
牧師、96で死んでなかったのか?
ていうか、なんで首が無いの?
なんで、ラストステージなんかにいるの?
……諸々の疑問が氷解せぬまま、
あまりの衝撃につい書いてしまった「女神の揺籃’98」です。
このシリーズは97で完結しますので、これは外伝になります。
まだ書きあがってません。
未完になりそうな気がします。
呼ぶ声が、聞こえる。遠く遠く、かすかに。
暗い。
暗くて、寒い。
湿った空気は清浄とは言いがたく、妙な甘さを感じさせる不快な臭気に満ちていた。
意識が無意識との境界線上で頼りなく揺れている。五感の不確かな感覚など覚えたのは久しぶりだった。
青白い人影がゆらめく。金色の髪をしたそれに手をのばしたかったが、それは適わなかった。
ドクン
耳元でか、もっと遠く離れた所からか、はっきりとした鼓動が響いた。
「私を呼ぶのは……貴方ですか」
かすれた声が音になったのか。青白いそれに聞こえたかどうか、それさえ彼にはわからなかった。
流れてゆく。
腕から。脚から。首筋から、ゆっくりと。
細く延びる管を通って、少しずつ流れてゆく。
何故私はこんなところにいるのだろう?ぼうっと彼は思っていた。ここは、どこだろうか。薄暗く、ごちゃごちゃとチューブがのたうつ研究室(ラボ)になど縁は無かった。
大丈夫。わかる。覚えている、私の名。私の名はゲーニッツ。“吹き荒ぶ風”、それこそが私の名。
自分自身を確認し、ゲーニッツは耳をすました。風は何も告げない。聞き取る能力が弱っているのかもしれなかった。ただ、指一本も動かせないほどのひどい倦怠感があった。
“吹き荒ぶ風”たる彼が為す術もなく囚われている、その原因として致死量ギリギリまで血液が抜き取られていることを察知し、彼は長く吐息した。
よく考えたものである。いかなオロチ一族とはいえ、肉体的に人間と大差がある訳ではない。傷つけば血を流し痛みを覚え、失血死する可能性もある。現実に、彼は重度の貧血のため身動きすら取れない状態であった。ただ、彼らは滅多なことでは人間ごときに傷つけられることなど無かったし、回復力もヒトのそれを大きく上回っていた。
人の世の、人を護りしモノたちによって死の淵へ追いやられたはずの自分を、絶妙のタイミングで『保護』した者がいる。だが、その者が、彼を一切の抵抗ができない状態に維持している以上、目的が彼の『保護』ではないのは明らかだった。察するに、狙いはオロチの血か。彼を弱らせたまま生かしておき、新鮮な血液を生産させる腹であろう。
細い吐息と共に、再度思考能力が薄れていく。集中力すら数分と持続できず、急速に暗く沈んでいく意識が一つの姿を呼び起こす。蒼い瞳を涙でいっぱいにして彼を呼んだ声が、やけにはっきりと耳元で聞こえた。
ゲーニッツは伏せかけた瞼を上げ、遠くて近いその綺麗な貌に向かって微笑んだ。疲労も痛みも全く伺い知れない、嬉しそうな顔で優しく呼びかける。
「やはり……私を呼んだのは貴女だったのですね」
今、参ります。
もう一度、貴女のもとへ。
ゆらりと立ち上がり、四肢に纏わりついている管を引き抜く。出口の場所など知らぬまま、ゲーニッツは歩き出した。足取りはおぼつかないが、迷わずに進んでいく。
『行かせぬよ』
声が響いた。
ぶっん。
太い弦の切れるような音。高く鋭い笛の音が鳴り渡った。
──今。今すぐ、会いに行きます。だから、泣かないでください。貴女のもとへ、今すぐ参りますから。
瞳の深い青が光を失っていく。胴体から切り離されてなお、ゲーニッツは幸せそうに微笑んでいた。
呼ぶ声が、聞こえた。遠く近く、確かに。
「……?」
キングは不思議そうに振り返った。振り向いた先には誰もいない。
「どうしたんですか、マスター?」
「ああ……。呼ばれたような気がしたの。牧師様のお声が聞こえたような気がして」
「でも、誰も何も言ってませんよ?」
「そう……だよね。気のせいか」
主人が闘う姿を特等席で見てみたい、と、わざわざイギリスから付いてきた忠実なウエイトレスたちに苦笑してみせる。
キングオブファイターズ・96大会直後、死亡したはずのゲーニッツの体が運び込まれた病院から消失した。無論、死者が勝手に姿を消すはずはなく、それは何者かによって持ち去られたものと思われた。以降、神楽グループあげての調査も空しく、彼の体は二年が経った今も発見されていなかった。
何も聞けぬまま消えてしまった男を恨むこともできず、深い悲しみの後に再度穏やかな敬愛が沸き上がったことを自覚して、彼女は今なおゲーニッツを『牧師様』と呼び慕っていた。
「マスターの牧師様……早く見つかるといいですね」
美貌の主の心の傷を慰めるべく、ウエイトレスはそっと言ってやった。キングは寂しそうに微笑み、唇から言葉を押し出した。
「……病院から消えてしまって、今どこにいらっしゃるのかな。一人きりで、暗くて冷たい海の底なんかにはいてほしくないね……」
「大丈夫ですよ、マスター!どこにいらっしゃるにしたって、きっとマスターが会いにこられるのを待ってらっしゃいますよ」
「そうですよ!あの方、マスターがそんな顔をなさってるって知ったらきっと悲しまれますよ」
ひたむきに主人を力づけようとする二人に、キングはごく軽く唇を噛んで微笑んだ。
「ありがとう。二人とも」
さわ、と風が駆けた。
──肉体は精神の容れ物に過ぎません。肉体という牢獄から解放されれば、精神は自由です。あらゆる制限なく、一瞬でどこへでも参りましょう。
今、参ります。今度こそ、貴女のもとへ。