跳的湧夢/銃が見た夢
忘れる頃に、それを許さないかのように湧き起こる痛み。
それが一生癒えない傷であることを思い出させようとするように。
おなかがすいてたんです。
寒くて寂しくてなんだかとても悲しくて、ああパパどこにいるの。
誰か教えてください。パパはどうして何も言ってくれないんでしょう、なんでそんなうつろな目をして僕を見るんでしょう。
寒くて寂しくて、なんだかとても悲しくて。どうしたらおなかいっぱい食べられるでしょう。どうしたらおかねがもらえるでしょう。
ぼくは、おなかがすいてたんです。寒くて寂しくてとてもとても悲しくて、ああ、どうしたらぼくに笑顔をむけてくれるんでしょう。
ch.0.『ジョニー』
その日も朝から雨が降ってた。細かい霧雨が音も立てずに道を濡らしてた。
じゃり、と石畳を踏む音がして、座り込んだままふと顔を上げたらコートを着た男の人が立ってた。誰?知らない人……。
「ジョニー?」
ぼくの名前。呼んでくれる人なんてもういないぼくの名前。呼ばれる意味の変わってしまった、かわいそうな『単語』。
口にされたら、それは始まり。たったひとつの、ぼくのビジネス。
「ぼくを買ってくれるんですか、ミスター」
語尾が震えたのは怖いからじゃもうない。ただ寒いだけ。そりゃあ怖い人もいたけど、みんなごはん食べさせてくれたやさしい人達だった。
朝から雨に打たれてたからくしゃみをしたら、この人は無言でハンカチを出してくれた。……でも、ハンカチ食べられないし。
「いいから使いなさい」
半分あきれたみたいに言うから、おとなしく受け取ることにする。怒らせちゃったら、ビジネスはそこで終わっちゃうから。
ちん、と鼻をかんでたら、その間に腰をかがめてぼくと視線を合わせてくれた。大抵のお客さんは、いっつもぼくを見下ろしてそれきりだったのに。
金色の髪の毛が、雨に濡れて重たそうだった。あおい、目が……晴れた空の色が、綺麗でなんだか嬉しい。
「ベン・スミスという男を知ってるかい?」
「パパのこと?」
くしゅん、と鼻をふいて聞き返す。この人、パパのおともだち?
「君のパパか。そうか」
確かめるみたいに一人で頷いて、この人は笑った。笑ってくれた。『サードストリートのジョニー・ザ・バニー』じゃなく、『ベンのむすこのジョニー』に。
「君を探していたよ、ジョニー」
雨に濡れてぺたんこになった髪の毛がほっぺたに張り付いていたのを払ってくれる。
手袋ごしにも、その手はあったかくて。『ジョニーに』じゃなく、『ぼくに』笑ってくれるのは嬉しくて。
「私と来たまえ」
差し出された手はあったかくて。とてもあったかくて。
この手を握っていられるのなら。ぼくに、笑いかけてくれるのなら。
もしこの人が悪魔で、ぼくを地獄に連れていくために現れたのだとしても、かまわなかった。
「連れていってください……ミスター」
「ギース・ハワードだ。ギースで構わない」
「……サー・ギース──ギースさま。ぼくを……連れていってください……」
泣いたからかどうかはわからないけど。泣いたのかどうかもわからなかったけど。
まるで綺麗な夢か幻のようにぼんやりとした印象の中でも、その手の温もりだけははっきりとぼくをとらえて離さなかった。