ch.3.『ビリー』

奥のソファで、ホッパーは眠っている。きっかり二時間分の睡眠薬と精神安定剤を投与した結果、彼は今深い眠りの中にいるはずだった。

秘書室のソファに腰掛け、既に冷めかけているコーヒーに手も出さず、何の罪もないカップを睨みつけたままビリーは奥歯を噛んで黙り込んでいた。リッパーは腕を組んだまま、片手を顎に当てて吐息した。

「ギース様が割り込んでくださらなかったら、お前……殺されてたぞ」

「……わかってる」

痛いほどに。銃口がまっすぐ自分を見つめていたのも、ホッパーがためらいなく引き金を引いたのも、この目で見たのだから。

「俺は何もミスしてない、当たるはずがなかった!なのに……」

「当たるはずがなくてもだ。本当ならお前は死んでる。額を撃ち抜かれて、間違いなく、な」

リッパーの冷静な事実の指摘も、ビリーを納得させなかった。ビリーは机に手のひらを叩きつけた。コーヒーカップの中で褐色の液体が波立つ。リッパーは眉を寄せた。

「何でだ!?……あいつ、何者なんだよ」

本来守るべき主に助けられた情けなさと、過信していたわけでもないはずの、己の技量に基づく判断が現実として敗北した悔しさが声になった。いくら銃の名手だとはいえ、たかが『秘書』に元用心棒の自分が負けたのだ。それは許されることではなかった。

リッパーはサングラスの向こうで憂鬱そうにため息をもらした。

「ギース様は『話は後だ』とおっしゃった。後でお呼びがかかるだろう、その時にでも伺うんだな。……今、俺の口から言えることじゃない」

リッパーのデスクの電話が鳴る。受話器を取り、短く受け答えしていたリッパーは、やがてフックを押さえるとビリーに視線をよこした。

「お呼びだ。行け」

ビリーは唇を噛み、立ち上がった。

重厚なマホガニーのデスクに両足を乗せ、ギースは眉間に手を当てあきれたように吐息した。

デスクの向こうには、複雑な表情をしたビリーが立っていた。

「私が割り込まなければ殺されていた。わかっているな」

「……はい」

「今回のことでわかっただろう。ホッパーにマイナスの感情をぶつけるな、次は保証しない」

「あいつ、何者なんですか!?」

強い声音の問いに、ギースは眉を動かした。部下の非礼は、しかし怒りには直結しなかった。

彼はひとつため息をもらした。椅子に座り直し、デスクにひじをついて組み合わせた手の上に顎をのせる。

「……あれは『異能力者』だ。お前ともリッパーとも違う意味で手がつけられん」

「『異能力者』……って……」

「持った銃の射程内であれば的は決して外さん。的がどれほど小さくとも、どれほど高速でまた不規則に移動しようともだ。……そして精神・肉体的にどれほど劣悪な状況に置かれていようとも、指が引き金にかかってさえいれば……」

ギースは片手で銃をかたどった。無造作に、まっすぐビリーに狙いを定める。冴えた青の双眸がビリーを見据える。ビリーはわいてもいないつばを飲み込んだ。

「……Bang、って訳ですか」

「信じようが信じまいが、な」

「いえ、信じますよ。……目の前で見たんですから」

自嘲のようにビリーが言う。ギースは椅子の背にもたれ、目を伏せた。

「分かればいい。少し話しすぎたようだな、下がれ」

無言で奥歯を噛みしめ、頭を下げて踵を返す。なお心中複雑であろうビリーの背に向け、ギースは再度呼びかけた。

「『あれ』はお前を気に入っているようだ。変わらず接してやれ」

「……ご命令とあれば」

「そうか。ならばもう一度言おう、これは命令だ、ビリー」

逆らうことは許さない。

重ねて伝えられた主の意向に最敬礼で応え、ビリーは執務室を抜け出した。

「Fuckin’shit!」

あらゆる意味で悔しかった。

『ホッパー』に敗れたことも、それを咎められなかったことも、あまつさえ『ギース』が『ホッパー』をかばうような発言をしたことも、さらに『ホッパー』を嫌うことさえ許されないことも。

ギースの意向は、絶対だった。



ch.4.『リッパー』