ch.4.『リッパー』
こうなるような気はしていたから、リッパーは別にビリーが雷雲を背負って戻ってきても驚いたりはしなかった。そっとしておくに越したことはなかろうから、彼は無言で毎日山と届けられるギース宛の手紙類をチェックしていた。
ふと腕時計に目を落とし、リッパーは肩を鳴らした。コーヒーでも、と思ってビリーを見やる。
「コーヒーを濾れるが、飲むか」
「もう飲んでる」
ぼそっ、と言われる。冷えきっていたはずのコーヒーカップに口をつけ、ビリーは苛々とバンダナをもぎ取って髪をかきまわした。
「不味い」
「だろうな」
ふう、とため息をついて、リッパーはコーヒー豆の粉を棚から取り出した。
ドリッパーにお湯を注ぎながら、リッパーは尋ねてみた。ビリーの返答は不機嫌なものだった。
「ギース様は何だって?」
「……ホッパーにマイナス感情をぶつけるな、だと。それと……変わらずに接してやれ、だとよ。ちっ」
本来秘書室に居座れる身分ではないはずなのにもかかわらず、秘書室の備品で濾れ直してやったコーヒーをあっと言う間に飲んでしまったビリーに軽く眉をひそめる。やれやれとでも言いたげにお代わりを注いでやりながら、リッパーは水を向けてやった。
「……何か聞きたそうだな」
ビリーは小さく唇を開閉させたが、言いかけた言葉ごと新しいコーヒーを飲み下した。改めてリッパーを見やり、ビリーは低く尋ねた。
「……お前はホッパーのこと、詳しいのか?」
「それなりにな。お前とホッパーの付き合いよりは長い」
「あいつは何者だ!?」
叩きつけるような声音に、リッパーは表情をくもらせた。つい、とホッパーの方を見やって、彼が眠っていることを確認する。しばし沈黙した後、咳払いをひとつして、リッパーはサングラスをいじった。それらの儀式を経て彼の声が聞かせた言葉は、爆弾と称して差し支えのない威力を有していた。
「……あいつがギース様の愛人だったという噂は知ってるか」
がしゃんと音を立ててコーヒーカップが受け皿に着地した。ビリーは愕然とリッパーを見つめた。
「誤解するな、噂は噂に過ぎない。事実無根の中傷のたぐいだ、知ってるだろう」
「何で……そんな噂……!」
今にもそれを流した相手を抹殺しに行きそうな勢いのビリーに、リッパーはもう一度告げた。
「何で、と問うか。噂の母体になった事実はこれだ、ストリートで体を売ってたホッパーをギース様が拾ってきた、というな。……間違えるなよ、ビリー。ギース様は『ホッパーだから』連れてきたんだ、男娼を欲された訳じゃない」
リッパーのサングラス越しの視線が鋭利なナイフと化す。ビリーは天井を仰ぎ、片手で目許を覆った。幾度か呼吸を整え、かすれた声を喉から追い出す。
「それだけの理由が……あいつにあったってことだろ……?」
「正解だな。あいつは本物のガンマスターだ。俺のようなただのナイフマニアとは違う」
リッパーは即答した。その表情はいつになく固い。
「あいつの能力は危険だ。だから、自ら出向いて傘下に加えられた。……幼かったあいつが何をしでかしたと思う?」
低く、押し殺すような声でのリッパーの問いに、ビリーは無言で肩をすくめた。
「初めて見た、と言いながら、あいつはワルサーP38の完璧な分解図をひいたんだ。分解再組み立てまでしてのけたんだぞ。実戦仕様以外の何でもないシンプル構造のトカレフとは違う、ドイツの芸術品ワルサーP38をほんのガキがだ!」
リッパーが、貸与されていた拳銃を手入れしようとデスクに置いた時だった。目を輝かせてホッパーは言った。
『綺麗だねえ。これ、何ていうの?……すごくいい子だね』
『いい子?って、お前……』
確かにワルサーP38の性能は世界屈指ではある。しかし、発言の意図が読めずに彼は問い返した。
『あのね。声がするんだ。“仲良くしよう”って』
楽しそうに彼はペンを取った。さらさらと図を書いていく。
『お前、これ……ワルサーの構造図!?どうして……』
『ん?呼びかけてくれるんだ。“こうなってるから、上手に使って”って』
幼い彼は無邪気に笑った。「すごいでしょう?」と言いたげに。
リッパーは背中に流れた冷たい汗を悟られぬよう、苦心しなければならなかった。
その能力は、ギースが所有し彼に与えたかぎりのあらゆる銃器に適用された。拳銃から狙撃銃、機関銃から重火器に至るまで、彼はおもちゃのように分解し改造し性能をアップさせた。
改めて報告を受け、その能力を目の当たりにしたギースはさすがに言葉を失っていたが、面白そうに笑ったものだった。
『銃工の子は銃工か。父を越えたかな』
「だからギース様はホッパーを……?」
古すぎる酒でも飲んだような胃の重さを感じながら問いかけると、リッパーは短く首肯を示した。
「俺はナイフが好きだから集めるが、ホッパーは違う。あいつの親父さんというのが腕のいい銃工だったそうでな、幼いあいつの回りにはいつも銃があった。今も、あいつのところに銃が集まってくる。どれもこれも『偶然』、まるで『呼ばれたように』ホッパーの前に飛び出していく。あいつは銃に愛されている……馬鹿みたいな話だがな、あいつの手にかかって性能を超える働きをみせた銃はいくらでもある。お前も見ただろう、あいつの手にあってあいつのために動かない銃はない」
黙ってしまったビリーに、リッパーは小さく首を振って言ってやった。
「ホッパーは、お前のようにギース様の下でこそ最高に能力を発揮できるという人種じゃない。だが、あいつはギース様無しでは確実に生きられない種類の人間だ」
ビリーをなだめるような、ホッパーを弁護するような、おそらくその両義で発された言葉にビリーは軽く唇を噛んだ。辛うじて問い返すことに成功する。
「……お前は?」
尋ねると、リッパーはわずかな空白の後で笑ったように見えた。なりを潜めている時間の方が長くなった、底の見えない薄気味悪さがリッパーに纏わりつく。
「俺?……ふん、俺をまともに使えるのはギース様くらいのものだろうな」
他の奴ならすぐにでも寝首をかく。そう言う代わりのように、リッパーは唇に薄く笑みをはいた。