ch.5.『ハワード・ファミリー』
ぼくが さいしょにひとをころしたのは もうだいぶむかしです。
ただ むちゅうで きがついたとき それはもう うごかなくなっていました。
こわくて さみしくて ……おなかがすいていました。
なくのにつかれて そとで すわりこんでいたら こえをかけられました。
ベッドでねかせてくれる ごはんもたべさせてくれる そういわれたから。
かみさま ぼくはわるいこでしょうか。
かみさま ぼくはじごくにおちるのでしょうか。
かみさま
かみさま
かみさま
あんたは、俺を助けてくれなかった!
「Jesus Christ……」
かすかにもれた呟きに振り返る。えらく懐かしい、本来の意味で聞かされた単語にあきれたように、リッパーは短く口笛を吹いた。
「“神様”とはまた、ずいぶんと懐かしい言葉を聞かせる奴」
薬の投与後も軽い興奮状態が続いていたのを、やっとの思いでなんとか寝かしつけたホッパーがうなされているのを傍らまで近寄って確認し、リッパーはビリーを振り返って言ってやった。
「ビリー。こいつが泣いてるところ、見たことあるか?」
「……いや」
「見ておくか?そうそう見られないぞ、俺たちじゃあな」
まあ、見ておけ。
無言で半強制的な響きを醸し出すその声に、しぶしぶ席を立ってリッパーの横に並ぶ。
その顔を見下ろして、ビリーは何とも言えない居心地の悪さを感じていた。
「こんなふうに泣くんだよ、こいつ。俺たちにさんざんとんちき呼ばわりされても『やだなあ、あはははは』しか言わないこいつがな。“神様”って言って泣くんだよ。こんなふうに、な」
「……こいつ、アマいよ。神様なんかいねえ」
吐き出すようにビリーが言うと、リッパーはビリーを見て微妙な笑い方をした。もう一度ホッパーの横顔に視線を落とす。
「神よりギース様を選んだくせに……な。まだこいつは神を許していない。まだ神を捨てられない。堕ちてもまだ神の国を思っている、堕天使のように」
哀れむようにリッパーは言った。
「叶わない恋をするように泣きやがる。……可哀想にな」
そっと頬にかかる髪をはらってやって、リッパーはビリーの方を振り返った。
「俺からも頼む、ビリー。こいつのあれは発作みたいなもんだ、悪気はなかったはずだ。邪険にしないでやってくれないか」
弟の世話を焼く兄のような、はたまた心配性の母親のようなことを言う。ビリーは興ざめだ、とでも言いたげに肩をすくめた。
「……け、ずっりィよな、お前ら。そこまでやられて邪険にできるかよ」
舌打ちまじりに言った言葉に、リッパーの纏った空気がふっと和らぐ。ビリーは深くため息をついた。
「お前、こいつのこと甘やかしすぎなんじゃねえの?」
「俺はお前のこともかなり甘やかしているがな」
意外な方向からすぱんと切り返され、さすがのビリーも言葉を失う。ビリーが目を白黒させているうちに、リッパーは薬の切れる頃合いの甘やかされっ子を揺り起こしにかかった。
「おい、ホッパー。良かったな、“ビリー兄貴”が許してくれるとさ」
「ん……。あ……あ、兄貴!?」
がば、とホッパーはブランケットをはね飛ばして跳び起きた。きょろきょろと周囲を見回し、リッパーが肩越しにさし示す先にそれを見いだすと、しばし言葉も無く唇だけを開閉させる。
「……おう」
なんとなくビリーが手など掲げてやると、ホッパーはうつむいて肩を震わせた。
「兄貴、俺……兄貴になんてこと……。ごめんなさい、兄貴、許してください!」
「……ああ、もう、うるせえなあ!さっさと顔拭けよこのとんちき!」
泣きそうな声で叫ばれて、ビリーはばふん、と懐から取り出したハンカチをホッパーの顔にぶつけてやった。
「いいかキッチリ洗って返せ!俺のリリィが“俺に”ってくれた大ッ事なハンカチなんだからな!」
びし、と指を鼻先につきつけて、音節ごとを殊更に強くはっきり発音してやる。
ホッパーは目をぱちくりさせたが、ぶつけられたハンカチを片手で支え、涙を浮かばせたまま笑顔になった。
「……はい!」
余りにもストレートに嬉しそうなその顔に、ビリーは機嫌悪く踵を返した。見とがめたリッパーが呼びかける。
「おいビリー、どこ行くんだ」
「タバコ喫ってくるだけ!……あっ、畜生、無え!ホッパー、ゴロワース1カートン!」
「あ、は、はい!」
「わかったらさっさと行ってこい、燃やすぞ!?」
「はは、はい!」
転がるようにソファから降り、駆け出したホッパーがドアの前で本当に転ぶ。慌てて振り返ってぺこぺこ頭を下げ、今度こそドアを開けて飛んでいく。しかし、転んだとはいえ、薬の効き目が完全には切れていないはずなのに走ることができたというのは、驚異的であった。薬の投与量を調整したほうがいいかもな、と、リッパーは一人で頷いていた。
「……あいつ、ほんとにギース様の側近勤まってるのか?」
「あれでなかなか、な。末っ子には多少甘くもなるだろう」
「末っ子……ねえ」
あきれたようにため息をつくビリーに皮肉っぽく笑ってやり、リッパーはコーヒー豆の収められている戸棚を親指で示してやった。
「買い置き、あるんだろう?」
「……うるっせえなあ。忘れてたんだよ、いっぱいあるぶんには構わねえだろうが」
うるさそうにビリーが顔をしかめると、リッパーは喉の奥でくっくっと笑った。
「お前も結構甘いんじゃないか?」
「末っ子ってのは甘やかされるもんなんだよ」
けっ、とビリーは言い、軽く目配せしてやった。
「そんなものかもな」
「そんなもんだろうよ」
リッパーはひそやかにつぶやき、ビリーはすっきりとした面持ちでもっともらしく頷いた。
「心配すんなよ。俺はあいつが何だって別にびびりやしねえ、俺もギース様も立派にバケモンだからな。それに、要はあいつに銃持たせるようなことをしなきゃいいだけの話だろ?」
「そういうことになるな」
「楽勝」
へらりと言ってのけ、ビリーはにやりとした。
咳払いなどして、まあな、と前置く。
「俺だってうまいことやりてえと思ってるさ。おんなじファミリーの一員なんだからな」
しおらしいことを言う。リッパーは唇をゆるめ、微笑した。彼には珍しい、ごく穏やかな表情だった。
「殊勝なことを言うな、ビリー?」
「似合わねえか、やっぱり」
苦笑するビリーにはあえて答えない。
リッパーはゆっくりと吐息した。