我これに報いん

何かつきぬけたような表情をしている、とギース・ハワードは目の前の青年を見ながら思った。

「それで? 明日から3日休暇を取ると言うんだな?」

「はい」

青年と少年の羽間ぐらいの年齢の人物はさして力もこめずに肯いた。

はたから見れば普通の問いであり、普通の応答だった。が、ギースは内心、首をかしげる。『休暇を取ります』と言ったのだ、彼は。『取らせてください』ではなく。そこにある微妙なニュアンスの違いは何を意味するのだろうか? 単に慣れのためか、あるいは?

ギースはだまって目の前の人物の表情を窺う。たいして熱意のこもった様子でもない。ダメだ、と言えば「そうですか」と黙って引き下がりそうでもある。彼が拾ってきたこの部下はひどく表情が読みやすいかと思うと、時々どうしても読めないときがある。今のように。

相手の表情は読みきれない。が、自分への不利益はなさそうだ、とギースは判断した。「よかろう」

ギースはしばしの逡巡の後にそう言った。結局のところ、ギース・ハワードに取って重要なのは自分の不利益になるか否か、その1点でしかないのだから。

「ありがとうございます」

ギースの許可を当然のごとくに受け止め、礼を言い、クルリと背を向ける。そのまま、重厚なつくりのドアを開けて出ようとしたところで、青年は入ってくる人物とぶつかりそうになった。

「おっと、……なんだ、ビリー・カーンじゃないか。お早いお帰りで」

入ってきた人物は出ようとしている人物に皮肉っぽい声を浴びせ掛けた。

「けっ、俺はお前と違って仕事は早ぇんでな」

「は! そいつは初耳だった。覚えとくぜ」

やはり、表情が読みにくいと思ったのは気のせいだったろうか? 2人の部下のやりとりを眺めながらギースは考える。ビリーはチンピラのごとくむき出しの敵意を相手にまきちらしている。いつもどおり、わかりやすい反応だ。

考えているギースの前でビリーはふん、と鼻を鳴らすと廊下を歩み去っていった。残ったのは入ってきたばかりの赤毛の青年だった。

この男、名前はエド・ケースレーという。年はビリーより10歳ほど上で30になったかならないか。体格も性格も今出ていったビリーに似ていた。が、先を読む能力や思慮深さという点ではこの赤毛の青年のほうに分配が上がる。ビリーとはどうも根本的なところで馬が合わないようで、遭遇するたびに今のような小競り合いめいたやり取りを繰り返す。

実のところ、ギースは面白半分、静観を決めこんでいる。

「昨日の取引の事か、エド」

「ええ。首尾は上々。コネクションにとって有利になるように事を運んできました」

そう前置きしてエドが報告するのをギースは満足げに聞いている。

そういえば、この男も明日から休暇を取っていたな、とふとギースは思い出していた。

エドワード・ケースレーことエドが地下の駐車場に行くとそこにはいつものように男――名前はチャールズ・ガストと言った。しかし、ファーストネームを呼ばれるのは嫌いらしかった――が1人エドの車にもたれていて、エドを見ると声をかけてきた。

「その様子だと上首尾だったようですね」

「分かるか?」

エドは軽く答えると口の端にだけちょっぴり笑みを浮かべみせた。

エド・ケースレーがこういう笑みを見せる事は少ない。きっと、見たときがある者は自分を含めてほんのわずかに違いない、とガストは思う。こういうはにかんだような笑みを浮かべると、エドは30過ぎた男であるのに少年のように見えた。

エド・ケースレー付きのボディガード兼運転手を自任するガストは後部座席の扉をエドのために開けた。

エドはそれに乗りこみながらいつも感じる疑問を今日も感じていた。ガストはなぜ自分の運転手などやっているのだろう。エド自身はガストに何をしてやった覚えも無いのだが、ガストはエドのどこかしらが気に入ったらしい。まだ若かったガストが自分の前に飛び出してきて、「あんたのために働かせてくれ」と言った時のことを思い出すと、不思議に思うと同時に笑みも浮かんでくる。ガストはねばりにねばり、エドは用心深くガストの背後を洗い、ようやく雇い入れたのはその3ヶ月後だった。

ゆるやかに車をスタートさせながらガストが尋ねる。

「ミスター・ハワードは満足したようですね、その分だと」

「ああ。ギース様は満足してくださった。今後についての提案も承認してくださった」

エドの答えにガストが小首をかしげる。

「ミスター・ハワードはどんな人なんですか? あなたを見ているとすっかり陶酔しているように思える」

「陶酔しているんだよ、ガスト。わたしはギース様に陶酔しているんだ」

「ふむ。尊敬に値する人のようですね」

「むろん」

「あなたより?」

「比べるな、馬鹿」

そうは言いますけどね、と前置いてガストは言った。

「俺が尊敬したいのはあなただけですし」

分からないな、とエド。

「なんだって私を尊敬しているんだ、お前は」

身に覚えが無いぞ、と言ってやるとガストはそれはですね、と言ったきりくちごもった。前を見たまま言おうか言うまいか迷っているのか、それともどう言っていいのか分からないのか、ガストは口を開けたり閉じたりを繰り返した。

この質問をするといつもこういう反応が返ってくる。エドは小さく息をついて黙って窓の外を眺めた。まぁ、そのうち分かる時も来るだろう。エドは瑣末な事は気にしない男だった。

車が街一番の繁華街を抜けたあたりでエドは止めろ、と言った。ガストは承知して静かに車を停止させる。

「明日から休暇なんですね?」

ガストにそれが分かったのは、このあたりで車を止めるのは休暇の前ばかりだったからだ。

「そうだ。3日ばかしな」

予想に反することなくエドはうなずいた。彼はここから歩いていく。歩いて休暇を過ごす場所へ行く。歩くのはきっと1人になっていくための儀式なのだ、とガストは思っている。しかし、それがガストには不安でもある。1人になる、というのが不安なのだ。エドは――ギース・ハワードほどで無いにせよ――自分が十分権力を持っており、とりもなおさず誰にでも狙われ得るのだということが分かっているのか?

分かっているんだろうな、とガストはため息をつく。

「なにため息ついてるんだ?」

「いいえ、別に」

誰か護衛をつけたほうがいいと言いたかった。しかし、休暇をいつも1人で過ごすことにしているエドはそれを言っても聞き入れはしないだろう。

人通りがまばらになった路上でガストは車にもたれて首を振る。それじゃ、明後日に迎えにあがります、と言おうとエドのほうを向いてみて、ガストは目を見開いた。

そのガストの表情を見てとって、エドはすばやく自分の背後に視線をチラリと投げ、投げるなりわずかに横に移動して、突き出されたナイフをなんなくかわし、ナイフを持っている腕を取ると、ぐっとネジあげた。そのまま握力に任せて手首を締め上げると、ナイフを持つ手が徐々に開き――音を立ててナイフが落ちた。ガストがすばやくそれを拾う。

得物を落としてしまった暗殺者は死に物狂いでエドの腕を振り払った。わずかに距離を取った男は両手で拳銃を構えていた。エドは落ち着き払って言った。

「震えているな?」

男は答えなかった。膝の擦り切れたジーパンに薄汚いジャンパーといういでたちで、年は20前後だろうか? 武器を構えているのに怯える自分を奮い立たせるため、荒く息をついている。

「当たらんぞ、それでは」

ガストは言ってやった。この距離ならナイフを投げても十分届く。密かに構える。

「アーネストの差し金か?」

エドは現在、利害が対立している人物の名をあげてみた。男は――青年はぎゅっと口を閉じた。

「そうか……」

エドは1人で合点し、つぶやくなり、スーツの内側にわずかにさし入れていた手首を返して――引き金を引いた。

青年には自分が撃たれた事が分からなかったようだった。エドは立て続けに3発撃ちこんだ。周りに身体を支えるものは無く、青年の身体は当然のごとくくず折れた。

「ガスト」

「はい?」

「葬ってやっておいてくれ」

構えを解いてガストはやれやれと首を振る。

「分からないな。容赦はしないくせに、情けはかけるというんですか?」

エドは青年を見下ろしながら答えた。

「俺は……私は……ここまで来るのになんでもやった。ちゃちな悪事でも馬鹿げた事でも人に言えない事も、まとめてすべてやってきた。俺にもこんな時期があったんだ。だから、せめて――俺に危害を加えなくなったなら情けはかけてやりたい」

ガストは再びやれやれと首を振り、ふと思いついた言葉をつぶやいた。

「『いいインディアンは死んだインディアン』か……」

これは誰の言葉だったろうな……。

なんか、そわそわしてるなー、お兄ちゃん。

リリィ・カーンはこれでいてけっこうちゃんと人の事を見ているほうなのだ。

ほら、また。私に何か言いかけては口を閉じて……落ち着かなく目を左右にやって……あ、また口開けた。

きっと言いにくいことがあるんだろうな、とリリィは分かっていた。でも、こういうときのお兄ちゃんって、たいてい、たいした事じゃないのに言えないでいるんだよね。

人にけんか売るときは躊躇しないくせに、自分に対しては最初から全面降伏気味の兄の様子がおかしくって、リリィはクスクスと笑った。

「な、なんだよ?」

ビリーは、ビクンと身体を1つ震わせて、そーっと妹に声をかけた。

「ううん……お兄ちゃん、何か言いたいことあるんでしょ?」

リリィは座っている兄の正面に立って、心持ち身を屈め、澄んだ青い目でビリーの顔を覗きこむ。実は、リリィとしては兄が話をしやすいように助け舟を出しているつもりなのだ。

ああ、やられたなぁ……この表情にはどうにもこうにも……弱いんだよなぁ……。

思いながら、やっとのことでビリーは口を開けた。

「あ、あのな、リリィ……」

「なぁに?」

なぜかドギマギしながらビリーはそれでも思いきって言った。

「兄ちゃんな、明日、出張で帰らないんだけど」

ほぅら、たいしたことじゃなかった。

「大丈夫……か?」

もう、いつまでも子供扱いして……

「お兄ちゃん、私、いくつだと思ってるの?」

「13」

即答する兄にちょっと呆れた視線を向ける。

「あのねぇ、お兄ちゃん。13歳って言ったら、留守番ぐらいできる歳だと思わない?」

「でもな、リリィ。昼間ならともかく……」

「お兄ちゃん!!」

ぷぅ、とむくれてみせる。いや、本当はむくれてなんていないのだ。ただ、この世界一やさしい兄に心配をかけたく無いだけ。

「わかった、リリィ。でもな、もし、何かあったらな……」

「大丈夫よ。何にも無いって。だから、お兄ちゃんは心配しないでお仕事頑張ってきて。帰ってきたら、私がとびっきりの料理でお兄ちゃんをねぎらってあげます」

ね、だから心配しないで、とそっと兄の頬にキスをする。

そんなけなげな妹の頭をビリーはそうっと撫でて感謝するのだ。

休日のはじまりは快晴だった……といけば良かったのだが、そう都合良くいかなかった。空のほとんどをを灰色の雲がおおい、昼近くなっても薄暗いままだった。エド・ケースレーが目を覚ました時はそういう状態だった。

いつもより長いまどろみの時間を過ごした後の目覚めはトロリとしていて爽やかではなかったが、時間を無駄遣いしても良いという感覚は悪くなかった。ベッドをぬけだして照明をつける。クラシックのレコードを選んでプレイヤーに乗せる。サーという静かな雑音の後に音楽が流れ出したのを確認してから着替えてブランチを適当に採る。今日は万事この調子で過ごすつもりだった。

空はますます暗くなってきていた。雨が降りそうだ。なんとはなしに肩をすくめてから読もうと思って放っておいた本を手に取りソファに腰を落ち着ける。前後編の長い本だが今日中に読めるだろう。

そういえばもらったワインがあったな、と思いついたのは前編を読み終えて軽く伸びをした時だ。雨がふりだしてきていて、雷が鳴っているのも聞こえる。

グラスの並ぶ棚から一脚選んでテーブルに置き、半分ぐらいワインを注いだ時に照明が2,3度瞬いてフ、と消えた。

停電か?いや、ブレーカーかもしれない。

エドは部屋を出てブレーカーを見に行った。ヒューズが飛んでるわけでもなさそうだカチ、カチと配電盤を操作してみるが直る様子は無い。やはり、停電かもしれない。どこかに雷でも落ちたか。

頭をフリフリ戻ってきて部屋のノブに手をかけかけてエドは躊躇した。人の気配がする。エドは素早く自分の左脇に常に吊っている短銃のふくらみを確認した。ホルスターからソロリと銃を抜く。構える。扉を一気に開け放つ!

「よお。勝手に飲んじまってるけど悪かったかな」

ソファには男が悠々座っていてエドが飲もうとしていたワイングラスを傾けていた。

「ビリー……カーン……」

「呼んだんだけど出てこないから、勝手にあがらせてもらったぜ」

上着も何もかも濡れたままなのにおかまいなしにソファに座っているビリーを見てエドは眉をしかめた。

「外は雨がひどいようだな」

「まあな。――いいワインだな、これ」

「何をしに来た?」

「昔話さ」

「昔話?」

「ま、座れよ」

まるで自分がこの家の主であるかのような鷹揚さでビリーは自分の前のソファを身振りで示してみせた。エドは躊躇した。

いつだったか、ガストが言ったことがある。「ビリー・カーンがあなたの地位を狙うってことはありうるんじゃないですか?」ゆえにエドの生命を脅かす存在でないかとガスとは暗に言っていたのだ。対してエドは答えていた。「ヤツはそういう考え方をする人間じゃあない。『支配される』のはもちろん真っ平ご免と思っている。だからといって『支配する』側に回る事にも興味はない。そういったヤツだよ」

だから、エドはビリーを正確な意味で『ライバル』とは思っていなかったし、その判断には自信があった。しかし、今、目の前にいる男には何か不穏なものを感じる。静かすぎる。喩えるなら波がない海のような不自然な静けさだ。

ビリーの真意を測りかねているエドは黙って次の言葉を待っている。

「なに突っ立ってるんだよ」

もう一度座るように勧めた口調はわずかながらいつものにくったらしい調子があった。その普通さに少し警戒を緩めてエドはビリーの真正面に座った。銃は自分の側に置いて軽く手を置いたままにしておいた。ビリーはそれをちゃんと見ていたが、気にはしていないようだった。

「ずいぶんいい家だよな。いい家にいい家具。それから、いいワインだ」

グルリと見渡し、クィとグラスを傾ける。

「何を言ってる。お前だってこれぐらいの生活はできるだろう」

エドの言葉にビリーは肩をすくめてみせる。

「まぁ、今じゃ、な」

空になったワイングラスをテーブルに置く。ステレオスピーカーから流れていたレコードの音が途切れていて、雨音がはっきりと聞こえる。

「あんた、ギース様のとこに来る前は何してたんだ?」

「いろいろだ」

「具体的には」

「ありとあらゆることだ。なんだってやった。およそ悪事と呼べる事なら何でも。人並みの生活をするために。人並み以上になるために。それを非難したいわけか?」

ビリーは何も言わずにワインをグラスに注いだ。

「言っておくがな、俺は後悔して無い、悪いとも思ってない」

それを聞くと、コト、と静かにビリーはグラスを置き、おもむろに口を開いた。

「ああ、別にそれについて文句を言うつもりはさらさらねぇよ」

ほんのちょっとだけ言葉を切ってすぐ続ける。

「ただ、おめぇの権利は認めてやるから、俺の権利も認めてもらう、ってだけさ」

瞬間、ふくらんだ相手の殺気にエドは軽く手を置いていた銃を取り上げた。それを構える前にビリーはソファの裏に隠れた。

テーブルとソファの間にいるのはまずい、動きが取れない、とっさにそう判断して自分の側のソファを飛び越えたのと、今まで座っていたところに太い棒が振り下ろされたのは同時だった。

やばい、こいつの棒術は荒いが一級品だ。もっと間合いを離さなければ。

ブンと振り下ろされた棒が左肩をかすめる。

後転する要領で移動し、間合いを離して素早く体勢を直す。銃を構える。

「動くなよ、この間合いならお前が棒を振り下ろすより俺の銃がお前の頭を打ちぬくほうが先だ」

ビリーはエドの手の中の銃を見つめながら両手で構えていた棒からゆっくり右手を離した。棒を持ったままの左手も下ろしてしまって完全に構えと解く。

もはやこいつとは共存できない。が、片付ける前に訊いておくことがある。

「なんで俺を襲った?俺の地位を狙ってか?」

エド・ケースレーをねめつけながらビリー・カーンは淡々とした調子でしゃべりだした。

「いまから9年前のことだ。裕福じゃないが貧しくも無いごくありふれた男がいた。その家に強盗が押し入った。強盗は今の俺より少し若いぐらいだった。男は家庭を持っていた。男はごくありふれたヤツだったが、せいいっぱい家族を護ろうとした。が、結局は妻の目の前で殺された。その妻もすぐ後に殺された。物入れに押しこまれた子供が声を殺して隙間から窺っているその目の前でな」

エド・ケースレーの記憶の中におぼろげに浮かび上がってくる光景があった。エドは殺人を楽しむタイプではなかった。ただ、必要に従って効率的にそれを行うだけだ。それについてたいした感情は持っていない。といっても、若い頃の――慣れない頃の殺人はどうにも頭を離れないものだ。

そこまで考えてから目の前にいる男を見た時、エドの頭にひらめきがつきぬけた。

「お前が……!」

そのときだ、エドの腹部をピストルの弾が抜けていったのは。

何が起こったのか一瞬分からなかった。判断力を失ったその一瞬がさらに致命的だった。銃を構えていた手を撃たれ、武器を取り落としてしまう。

エドは自分の身から流れ出る血を見下ろし、それからゆるゆると目の前の男を見る。ゆるやかな視線がビリーの手に握られているピストルを捕らえる。

「俺の得物が棒だけだなんて誰が決めたんだよ、え?」

言うなり、さらに四発立て続けにビリーは撃ちこんだ。

エドの視界が反転した。違う、自分は床に倒れたのだ、とエドはあたりまえのことを認識した。

「お前が……」

「そうさ、親に『絶対に出てくるな』と言われ、ぐっすり眠っているリリィを腕に抱いて俺はじっと見ていた!言われた通り声は出さなかった。強盗が出ていった後も、見つけ出されるまで歯を食いしばったままずーっとそこにいた。――会えて嬉しかったぜ、エド・ケースレー」

荒々しくまくしたてたビリーの声の調子が最後に柔らかくなった。

――ああ、別件だったか。

エドは床に倒れたまま思った。自分の判断に間違いはなかった。ビリーは支配する、されるというところとは別なところで生きている人間だという判断に狂いはなかった。

――しかし、だ。

この偶然というにはあんまりな自分に降りかかった災難をエドは嗤いたかった。身体はもはやほとんど動かせない。まだ動かせるのは視線だけ。ビリーに目をやる。無表情に自分を見下ろしているのが見えた。

――なるほど、これがギース様の言っていた「読めない」表情か。

「いつか……おまえも……」

どうにかしぼりだしたかすれた声を聞いてビリーは不敵に言葉を受け継いだ。

「こんな風に死ぬってか?ん?」

しゃべりながらエドを覗きこむ。

「なんだ、もうくたばっちまったか……」

ビリーは1つ肩をすくめると、テーブルに残っていたワインを一気に飲みこみ、ピストルを懐に仕舞い、ゆったりとした足取りで部屋を出ていった。

いつものように部下が今日の報告をして仕事を終えようとしている。ギースは報告を聞き終わった後、あたかも、いま思い出したかのように言った。

「エド・ケースレーが殺された」

「へぇ?それはそれは」

ギースは声には出さずに部下の台詞を心の中で反芻してみる。それはそれは、か。

「お前も気をつける事だな」

言われてビリーは鼻を鳴らした。

「俺はそんな間抜けじゃありませんよ」

小生意気な若者の背中が消えたところでギースは書類に目を落とした。そのまま、傍らに控えていた主任秘書に命を出す。

「リッパー、エドの手がけていた仕事をビリーに回せ」

差し出がましいとは思いますが、と前おいてリッパーはギースに意見を述べた。

「ビリーだけでは手に余ると思います」

その時のギースの表情をきっと彼は忘れない。リッパーの台詞が終わってからゆっくりギースは彼を顧みて――凄鋭な笑みを浮かべたのだ。気圧されたリッパーにできた事は従順に頭をたれる事だけだった。

「さっそく手配いたします」

扉の外に出たところでどっと汗がでた。

(あるじ)がなぜギース・ハワード足り得るのかという事を失念していた自分に心の中で舌打ちしてから、リッパーは自分のこなすべき事を果たすべく歩き出した。

平成11年11月18日 初稿

Author's Note

9/5は以前「LIGHT-HOUSE」(すでに閉鎖)というサイトを運営していた森野ケラさんの誕生日で,そのときにプレゼントでした代物.都合3回に分けてメールを送りつけたひどいヤツ,それは私.でも,2ヶ月ほどで完結しているから,まだまともに連載になっていたと思う.

最初は『復讐は我にあり』という題名にしようとしてたんだったと思う.

読み返すとリリィちゃんのあたりなんか悶絶しそうですよ.あははは.でも,晒しておきます.笑ってやってください.

平成17年11月3日 記す.