灯火
え?俺とギース様が出会ったときの話が聞きたいって?こんな状況でか?おかしな野郎だなぁ。
出会ったときの話ねぇ。もう、だいぶん忘れちまったなぁ。なんだかんだ言ってもう10年近くの付き合いだ。おめぇだって忘れちまうだろう?親しい人間との出会いがどんなものだったかなんてさ。
……まあ、いいや。
今日は、もう仕事終わったも同然だし、俺の方の気分もいいしな。たまには思い出ばなしも悪くない。たまにはな。
話してやるよ。
ラインの止まってしまった鉄工所の中は静かだった。あくまで中は。
「おい! ビリー・カーン! 逃げられやしないんだ! おとなしく出てこい!」
がなりたてる大声をあっさり無視して俺はつぶやいた。
「ごめんリリィ。兄ちゃん、また失業しそうだよ……」
もう日もとっぷり暮れている。工場内の明かりは俺自身が叩き壊したから頼りになるのは外からのライトだけだ。たぶん、工場長が警察だかなんだかに通報し、そいつらがライトを持ってきたんだろう。外に出たらかなり強い明かりなのだろうが、
喧嘩の原因が正確になんだったのかはどうでもよくなってしまっていた。原因などなかったからだ。ただ、むしゃくしゃしていた。きっかけさえあれば、自分が大暴れしてしまうのは前から分かっていた。いや、暴れるきっかけを探してさえいたのかもしれない。きっとそうだ。
自分のこのむしゃくしゃする気分がどこから沸いて出るのかも分からなかった。ともかく、周り中が嫌だった。
ただ、リリィと一緒にいるときだけは暖かい気分に浸れた。
けれど、それだけで鬱憤を晴らしきれるほどおとなしい
もっと別なことが自分にはできるとか、自分は特別な存在だとかいう甘い幻想をいだいてるわけじゃない。そう言い聞かせていたが、この鬱屈感はなんだろう?
俺は声を出して自分を
そして声を出して言ってみた。
「おい、ビリー・カーン、お前は何がしたいんだ? お前なんて他の奴等と変わらないんだぜ? 自分が特別だなんて思わないこったな」
で、また
工場は暗闇の中だったが、闇に慣れた目には所狭しと置いてある機械が陰影の中にはっきり見えた。
「さて……どうするかな」
そのとき、工場の真正面のドアがガラガラと音を立てて開いた。速すぎもせず、遅すぎもせず。
俺はすぐに体中の神経をそっちに向けた。いつのまにか工場長のがなり声が止んでいる。まずった。
俺は大量の警察官が突入してくるのを予想していたのだが、実際のところは男が一人立っていただけだった。
背は……高い。まるで、危険なぞ何も心配していないかのように背筋を真っ直ぐ伸ばしてただ歩いてきた。スーツを着ている、おそらく。ともかく、シルエットは警官らしくはなかった。無論、デブの工場長でもなかった。
だが、俺は警戒した。何人もの警官が、入ってくるなり散開するよりはるかに警戒した。
罠?
男は中に入って十数歩歩くと立ち止まった。陰になっているので表情は見えない。
奴から俺は見えるか?恐らく見えていない。奴が暗闇になれる前に、と俺は手に鉄パイプを持って移動した。
自分の呼吸と鼓動が聞こえる。それと同時に、俺はぞくぞくしてきた。高揚していると言ってもいい。
音も立てず、俺は奴の左側に躍り出て、鉄パイプで殴り掛かかった。
殺った、と思ったとたん、俺のからだが反転した。何が起きたのか分からなかったが、俺はとっさに背を丸めた。肩からコンクリートの床に叩き付けられた。その瞬間、呻き声さえでないほどだった。
立て、止まるな。
俺は本能的に体をゴロゴロと転がして場所を移動すると、なんとか片膝をついた姿勢に持っていった。
顔を上げたとき、重い扉の隙間からの光が相手の顔を照らした。
第一印象?
ああ、覚えてる。鮮やかだ、と思ったのさ。
いや、手際がいいとかそういう言い回しの上での意味でじゃない。本当に色を思い浮かべたんだ、俺は。真っ白い紙に真っ黒いマジックで字を書いたみたいな。白い紙に赤でもいい。変だろう?別に俺に絵心がある訳じゃないってのに、俺は確かに色を思い浮かべたんだ。
「悪くない。だが、まだまだだな、ビリー・カーン。期待外れだったな」
そいつは薄く唇の辺りに冷笑を浮かべてそう言った。
『なんで名前を知ってる?』なんて馬鹿な質問、俺はしなかった。
「あんた、知ってるぜ。ギース・ハワードだろ?」
「知っていて当然だな。直接ではないがお前の雇い主だ」
「は!」
俺はそっと立ち上がりながら
「それだけじゃないだろう?新聞にも出てたぜ。『サウスタウンを窺う若き実業家』だっけかな?」
「ほう?」
ギース・ハワードは微妙な相づちをうった。
「字が読めるのか」
「でなきゃ新聞はよめねぇだろ?あんた、写真写り悪いぜ」
かすかに相手が笑い声をたてた。
「実物の方がいいか?光栄だ」
「自分の都合のいいように解釈する奴だ」
「前向きなものでね」
「はん!」
今度は俺が笑ってやった。
「それに、俺の知るかぎりじゃ、裏で相当やってるそうだが?」
「まぁな」
ギース・ハワードは否定しなかった。余裕の笑みを浮かべてすらいた。
「他に私について知っていることは?」
「相当腕が立つって事、邪魔な奴には容赦しないこと、いろいろだ」
俺はそこで一呼吸おいた。
「それで、来たのかい?俺が邪魔だから」
相手が何か言う前に俺は続けた。
「違うな。俺はあんたにとってそれほど価値がない。『サウスタウンの若き遣り手実業家』様にとっちゃ、俺なんぞゴミみたいもんだもんな」
俺は内心物凄く緊張しながら言った。
「あんた、何しに来たんだ?」
しばらく黙ってギース・ハワードは俺を見ていた。
「期待外れかと思ったが……案外掘り出し物だったかもしれないな」
俺は相手のつぶやきを無視して――けど、しっかりと記憶して――黙って待った。
「私はお前のような無鉄砲な人間が大好きでね」
「よく言うぜ。回りくどいことは無しにしてもらいてぇな」
とたんに、ギース・ハワードは笑い出した。いや、本当に。声を立てて笑ったんだよ。で、しばらく笑った後、こう言った。
「いや、失礼」
そう言いながらもまだ笑いを含んだような表情だった。
「ビリー・カーン、さっき言ったことは本当のことだ。私は無鉄砲な人間は大好きでね。率直に言おうか。『逃がしてやる』」
俺は毒気を抜かれたように立ち尽くしていたんだが、その言葉を聞いて目を細めた。
「そっちの横の方の通りは私の部下達が警官を遠ざけている。そっちを通ればこの場を切り抜けられるぞ」
「……それが罠じゃない証拠がどこにある?」
ギース・ハワードはむずがる子供に言って聞かせるような声で言った。
「わざわざそうする必要がどこにある?ん?仮に、だ。仮にこれが罠だとしても正面きって出るよりは確率は高いんじゃないのか?もちろん、信じるも信じないもお前の勝手だが」
「少なくとも、正面から出れば俺のプライドは保てる。わけの分からねぇ甘い話にのった罠にはまった挙げ句ボロ雑巾みたいに死体を捨てられるよりはな。貴様にはちっぽけなことだろうが、俺は俺の誇りを泥塗れにしちまうつもりはねぇぜ」
ギース・ハワードは短い前髪をちょっとかきあげた。また笑っていた。だが、言った言葉には笑いはなかった。
「ビリー、お前は何をしてでも必ず帰らなければならないんだろう?」
その言い方でピンと来た。
こいつ、リリィのことを知ってやがる。
「……分かった。あんたの有り難い申し出に従いましょう、ギース様。だがなぁ、もし俺が帰って妹に何かあったら――」
「何のことかな? さっぱり分からん」
「ふん!」
俺は鼻を鳴らすと奴に背を向けた。
「――ミス・リリィ・カーンによろしく」
やっぱり知ってやがった。
けど、俺には直感的に分かった。奴の言った道に罠はないだろう。リリィはおそらく無事で、帰ったらいつも通りの笑顔を向けるだろう。
俺はギース・ハワードの言ったとおり、横のほうから裏通りに出て行こうとした。
「ビリー・カーン」
後ろからの声に俺はちょっと立ち止まった。振り向いて相手のシルエットを見ると、相手はこういった。
「貸しだぞ」
けちくさい奴だ、と俺は口の中で言った。それから
「分かってら。ちゃんと利子付けて返してやるから待ってろ」
「なら、明日の朝一〇時、私のオフィスで待っている」
白状する。そんとき、俺はきょとんと立ち止まった。
「もっとも――」
「「来るも来ないも俺/お前の勝手」」
二人で同じフレーズをはもって、俺達はニヤリと笑った。
ま、無理矢理にでも貸しを取り立てにきそうな奴だとは思ったけどな。
「悪くない。そうだな、悪くないな」
外に出て俺は一つ伸びをすると、独りごちた。
やりにくい相手だが、悪くない。このゾクゾクするほどの冷えた感覚は悪くない。
冷え切った空気の中でネオンサインだの車のライトだのがサウスタウンの高級街のほうから見えていた。
……へぇ、感心だ。最後までちゃんと聞いてたか。おめぇの様子見て途中で切り上げようと思ってたのにな。
でも、そろそろ終わりだ。
いいかげんに帰ってやらないとリリィが心配するしな。
じゃ、あばよ。
(そういうと、バンダナの男は私の脇腹に突き刺さっていたナイフを引き抜いて私の喉を掻き切った)
- 平成9年6月
- 『
是 、首 の日なり』着手 - 平成10年10月28日
- 『
灯火 』として新規脱稿 - 平成11年1月15日
- 『
灯火 』改訂 - 平成11年6月1日
- 『
是 、首 の日なり』原稿発見.『灯火 』を本文にする形で合成.
Author's Note
♪ともしび 手に高く〜
かかげて 歩いていこうよ♪
は,歌ってしまいました.すいません.
題名に意味はないんです.ほんと,なんのひねりも無く「鉄工所」って付けたろうかと思ったんです.でも,なんかライトが出てきてたんで「街の灯」って付けたくなってしまったんだけど,かのチャップリンの名作と同じにするわけにゃいかんと思って,『灯火』になりました.
でもって,珍しく速成品です.1日で書きあがりました.考え込んでた時期は長いんですが,考えあぐねて「もういいや!」とばかりに書いてしまいました.
なーんか,不発っすねー.
ビリーとギースの話といったらやっぱりこの「出会い」の話というのは書きたくなるだろうし,事実,たくさんの人が書いてるでしょう.けど,「これが決定版」って物はいまだかつて見たことが無いです.
自分でも今回,書いてみたんですが,いまいちなんすよねー.
何と言っても,やっぱり,なんでギースがビリーを気に入ったのか分からないんです.で,考え込んでるうちに出会いなんて重要じゃないんじゃないか.もっと重要なエピソードは初代餓狼のとき,ギースがビルから落ちて瀕死になった時に,ビリーがギースの元を去らなかった事なんじゃないかと思えてきちゃったんですよ.
「運命的な出会い」とか「一目見てピンと来た」とかそーゆーもんはまったく信じない主義なんで.
出会いが重要だったかのように錯覚してしまうのは,相手が自分にとって重要だと認識してからです.間違いなくね.
ところで.
この鉄工所の話は,別バージョンがあったはずなんです.「あったはず」というのは,私が原稿を無くしてしまったらしいから言うんですが.もっとも,そうたくさん書いていなかったから惜しくはないんですが,どこ行ったか不思議で不思議で.
そっちのバージョンでは話が二重構造だったのですが,やめました.構造を複雑化してしまうのは悪い癖だと思ったんで.
ただねぇ……私,結びの言葉がうまく書けないんですよ.いまさら気付くのもなんですが.参ったなぁ.
話をギースとビリーに戻します.
思ったんですが,ビリーが単なる無鉄砲な大暴れ野郎だったらギースは気に入らなかったでしょう.
それだけじゃない,と気付いて初めて気に入るんじゃないでしょうかね? たとえばそれなりに頭が回るとか,独特ではあっても自分なりの行動規範があるとかね.
まあ,これは私のビリーに対する願望でもあるんですがね.
冴えた冷たさと冷えた知性と.さぁて,本当の彼の姿はどんなもんでしょう?
平成13年2月17日・Author's Note 補足
ページデザインを変えた際に上記「無くした原稿」を発見して合成したバージョンを2年前に作っていたのでそっちにしてみました.
このように,私は1つの話についていくつかバージョンを作っていることがあります.というのは,ある程度お話がたまったら印刷したいなぁという気持ちがあって(注:印刷屋にまわしてするわけじゃなく,プリンターで出しておきたいというだけ),もそもそとTeX原稿を書いているからです.最初にテキストファイルで書き,次にHTMLにするときに手を加え,TeX原稿にするときにまた手を加えるというプロセスをたどるのが通常のパターンです.