ゼンガー・ゾンボルトは何度でも死ぬ
機体のオーバーホールのためにテスラ研を訪れると、珍しいことにDGGシリーズが搬入されていた。久しぶりに会えるかもしれないと思って、キョウスケがゼンガーの居場所を訊くと、コーヒーを飲みに行ったようです、と答えが返ってきた。
「いつ以来かしら」
「もう一ヶ月は経ちますね」
エクセレンやブリットを引き連れてカフェに向かい、そのドアが開いた途端、キョウスケは立ち止まった。
久しぶりに会えるというか――
――そこには、世にも珍しい光景があった。
ゼンガー・ゾンボルト少佐がソフィア・ネート博士に膝枕されている。
いったいこれはどうしたことか。
1.あれはゼンガー少佐の偽物である。
2.とうとうゼンガー少佐がネート博士に手を出そうとして返り討ちにあった。
3.ネート博士が素手で熊を倒した。
「……いかんな」
俺も相当動揺しているようだ。
「ワオ、ボスったら案外大胆!」
一緒についてきたエクセレンは案の定嬉しそうに歓声を上げた。
「やるわね。公衆の面前で見せつけてくれるなんて。先生、もう何も教えることないわ」
「隊長も生徒だったんですか?」
「恋愛に関してはエクセレンお姉様にお任せよん」
「……お前に任せるとろくなことにならんだろう。ブリット、お前もいちいち反応するな」
「キョウスケもやる?」
カモン、カモン、と手招きしているエクセレンにキョウスケはため息をついた。
「だいたい、見せつけると言うよりも完全に伸びているように見えるんだが、俺には」
キョウスケたちが馬鹿なやりとりをしている間、ソフィアはおろおろとゼンガーの額に手を当てたり頬を軽く叩いたりしており、一緒にいたのだろう、エリも何事かを呼びかけている。
「おい、お前ら、入り口に溜まるな。邪魔だろう」
「ああ、カイ少佐。それが……」
久しぶりに会った旧メンバーとの親交を深めるつもりだったのか、カイはレーツェルやギリアムと共にやってきたのだが、ブリットが場所をあけてその光景を見せると、見事にみんな固まった。
「俺は、今、とんでもない物を見ているような気がするんだが……気のせいか?」
「たぶん、気のせいではありません」
「これはいったい……」
「こんなことができるとは……侮っていた、我が友よ。もう一押しだな」
あんたは何をどう侮っていたんだ。と言うか、親友に何をさせたかったんだ。
キョウスケが心の中でツッコんだ時、
「ちょっと、あなたたち、どいてどいて」
あわてたエリが見物人の固まる入り口に小走りにやってくる。
「何があったんですか、安西博士」
「分からないのよ。コーヒーを飲んだら急に……」
ああ、とカイは唸った。
「そのコーヒーはもしかしてブランデーなんぞ垂らしたりはしていませんでしたか、博士」
「入れてたけど……底にちょっとだけよ。2ミリも溜まってなかったわ」
「……劇物だな」
「ああ、劇物だ」
「え、何、もしかして……飲めないの?」
エリは目をパチクリさせてカイたちを見つめた。
「ああ。まったく飲めない。人並みの下戸以下だ」
「鯉でさえ飲めるのにな」
「牛にも飲ませると聞く」
「もはや人類以下だな」
言いたい放題のレーツェルやギリアムの前で、エリは驚いて口に手を当てた。
「嘘、あの顔で飲めないなんて、詐欺じゃない!」
どさくさに紛れてひどいことを口走っていることにエリは気づかない。
「それに関しては詐欺師の汚名をどうやっても免れないな」
「だが、事実だ。実験の結果、コーヒー一杯に0.1mlまでは反応することを確認している」
「それ以上は、マイクロピペットで実験する前に教導隊が解散してしまったので、確認していないが,垂らしただけでも反応したから,理論的には0.01mlオーダーと思われる」
「だから、お前ら、あいつで遊ぶなと……あいつもあいつだ。なんであんなに無防備なんだ。毒でも盛られたらどうするつもりだ」
「まあ、カイ少佐、そこがゼンガーの良いところです」
「実に、遊びがいが――いや、からかいがいがあります」
「言い直す意味がないぞ、レーツェル。だが、あいつも遊ばれているのに全く気づいていなかったな。ある種、才能だ」
ああ、隊長、友人は選んだ方が良くはないですか。
キョウスケがそんなことを思っていると、エリがさっと青くなった。
「0.01mlオーダーって間違いないの?さっきのコーヒー、そんなレベルじゃ済まないわ。ああ、どうしよう、ソフィアがゼンガー少佐を殺してしまうなんて」
「いやいやいや、それはない」
「身体だけは丈夫だからな」
「醒めるのも早い」
「そうだったな。飲んだ後すぐに出撃命令が出たのでしょうがなくコクピットに詰め込んで敵陣に放り出したときも、すぐに気づいて普通に戦っていた」
「さすがですね。俺も見習わないと」
無駄に意欲を燃やしているブリットを横目に、キョウスケは腕を組んだ。
隊長、やっぱり友人は選ぶべきだと思います。
「お、目を開けたぞ」
ソフィアは、膝に乗せたゼンガーの顔を両手で固定して心配そうにしていたのだが、目を開けたのを見て少しほっとした様子で覗き込んでいる。
「なんか固まってる」
「状況を把握するまであと三秒、二、一」
銀髪の男は一気にそれはそれは見事な素早さで飛び起きて、ソフィアの前に正座した。
「おお、すごい腹筋」
「お前も無駄に予知能力を使うな、ギリアム」
「ああ、土下座してる」
「何かひたすら謝ってるぞ」
「あらん、謝るなんて、ボスったら減点よ」
「おい、誰でもいいからそろそろ止めろ。そのうち『腹を切って詫びる』とか言いだしかねん」
「いやん、私、一度見てみたかったの、ジャパニーズハラキリ」
「いや、あいつはジャパニーズじゃないだろう。ジャパニーズ以上に侍な性格しているのは認めるが」
そのとき、何事かソフィアに言われて、ゼンガーはすごい勢いで飛び退いた。そのままどこまでも下がっていきそうな勢いだったが、壁にぶつかって下がれない。
「おい、青ざめて嫌々してるぞ」
ソフィアは小首をかしげている。
「何を言ったんだ、ネート博士」
「よいではないか、とか」
「お主も悪よのう、とか」
「それは何か違わないか?」
そのうちにソフィアの顔が曇り、今度は何かを否定するようにブンブンとゼンガーが首を振っている。すると、ソフィアはにっこりと微笑み、ゼンガーは天を仰ぐと、観念したように頷いた。それからヨロヨロと立ち上がり、固唾をのんでいる見物人たちの方へと歩き出した。
聴衆を虚ろな様子でかき分けるゼンガーにレーツェルが声をかけた。
「どうした、ゼンガー」
「……レーツェル、俺は今日死ぬかもしれない」
そのまま無言で立ち去るゼンガーをあっけにとられて見守っていると、ソフィアも入り口に溜まっている人々の前にやってきて、不思議そうな顔でゼンガーを見送った。
「ネート博士……」
「コーヒーが飲めない人っているのね。私、初めて見たわ」
「え……?」
だから言ったじゃない、詐欺だって。ソフィアの頭脳をして、事実を無意識に否定したんだわ、とエリが小声でつぶやいた。
「どうしたの、エリ?」
「いいえ……それで、あなた、ゼンガー少佐に何て言ったの?」
「申し訳ないから、お詫びに今夜コーヒー無しで行きましょうって、近くのバーに誘ったの。最初、怒っていらしたらしくて嫌だとおっしゃって。私のことを怒ってらっしゃるのは分かりますがって一生懸命謝ったら、最後には頷いてくださったわ」
優しい方ね、と微笑むうら若き美女を前にして、キョウスケは心の中で思った。
優しすぎます、少佐。
2009.1.1 初稿
2009.1.4 第2稿
補足説明
ひとこと飲めないとなぜ言えない.