小夜啼鳥(さよなきどり)

ゼンガーは剣の型を一通り遣って、ふう、と息を吐いた。

時刻は遅かった。消灯の時刻はとうに過ぎ、運動その他に使われる多目的なホールに明かりはない。天井近くに設けられた明かり取りから微かな光が射し込むのみだ。その(ほの)青い空間でゼンガーは無心に刀を振るっていたのだった。

日課をこなすには、いつもより遅くなってしまったと思ったが。

――却ってこの方がいいかもしれんな。

いまこの空間を支配するのは静謐だ。

残心より静かに納刀し、ゼンガーは壁に掛けていた手拭いを取った。

大空魔竜は戦艦である。したがって、停泊中の夜だとて全ての者が寝てしまうわけではない。だが、自室へ向かう廊下に歩む者は無く、あたかも独り(ふね)に残っているかのようだった。

ラウンジを通りかかった時、物音がした。

ゼンガーは眉を顰めると、入り口のアルコーブをくぐりぬけた。

暗く広い空間にうっすらと白い小さな人影が動いている。最初それが何か分からず、ゼンガーは気配を殺して近づいた。

そして、気づいた。

白い人影は夜着を来た幼い子供だったのだ。その子供に心当たりがなかったので、一瞬、訝しく思ったのだが、ふと、少し前に助けた少女だと気が付いた。雰囲気が違って見えたのは、いつもは結っている淡い金髪を今はおろしているからだった。

少女はラウンジの椅子にぽつねんと座って、声を殺して泣いているのだった。ときどき、抑えかねた泣き声がくすんくすんと漏れている。

こんなところでこんな子供がひとり泣いているのは不憫に思えた。

「どうしたんだ」

できるだけ静かに言ったつもりだったが、少女はびくっと肩を震わせて、ゼンガーを見上げると、

「あ……」

と小さく声をこぼして、急いで両手で涙をぬぐった。

「なんでも……」

か細くそう言うのだが、何でもないようには見えなかった。といって、ゼンガーには何を言ってやるのがいいのか、何をしてやるのが正しいのか分からなかった。

誰か呼ぶべきだろうか。子供の世話のうまそうな。

だが、ゼンガーは浮かんだ考えをすぐに捨てた。誰を呼んでくるにせよ、もう眠っているだろう。それを叩き起こすわけにもいくまい。第一、それではゼンガー自身はこの少女を見捨てることになるではないか。

ゼンガーは机を挟んで少女の真正面に座った。座ってみたものの、取り立てていい考えが浮かばない。

少女はまだ泣いている。

戦闘に巻き込まれた恐怖で自分の名前以外何も思い出せないのだ、と聞いた。そういった心細さはゼンガーの想像の範囲外だったが、ならば、泣くのも仕方がないのかもしれない。

少女は泣くのをやめようと無理をしているらしい。それを見ていると、自分がここに来たのは却って悪かったのではないかという罪悪感に似た感情がだんだん強くなってきた。その上、少女を見下ろしているこの体勢はまるで叱りつけているようではないか。

ゼンガーはしばし真剣に考えた挙げ句、立ち上がって、少女の隣に座り直した。そして――また考え込んだ。

腕を組んで考え込むゼンガーの横で、少女はまだ泣いている。しばらくその状態が続いた後で、しゃくり上げながら、少女が言った。

「部屋が……」

「部屋が?」

「……広くて……」

さんざん考えたあげく、ゼンガーは尋ねた。

「狭い部屋がいいのか」

我ながら馬鹿なことを訊いた、と思った。案の定、少女はううん、と首を振った。

「いつもは……広くないの……」

それっきり、やはり泣いている少女を横に、ゼンガーは短い単語をなんとか解釈しようと、頭をひねりながら、真正面に設けられた大きめの窓の外を見上げた。

月のない夜だ。

天上の闇は黒々と広がり、星の影は弱々しい。

「そういえば――」

想念(かんがえ)が思わず知らず出てきたことに、ゼンガー自身が驚いた。

横の少女を見下ろすと、少女は潤みの残る瞳をこちらに向けていた。そうやって、真剣にゼンガーのことを見つめているのだった。

ゼンガーは居住まいを正した。

「昔、あの宇宙(そら)が怖くなった時がある」

少女は思いがけないことを聞いたように目を丸くして一度まばたきをした。

「いや、正確には――空恐ろしくなった、かな」

どうも、うまく表現できない。

「この星が――地球が――太陽系の一部に過ぎず、その太陽系が銀河の一部に過ぎず、その銀河さえ宇宙の一部に過ぎず、その宇宙さえ数多の宇宙の一つに過ぎず、宇宙の(はて)が未だ分からず、宇宙の外が未だ分からず、時間と空間とが同質の物だと知った時に」

新月の静かな夜を見上げる。つられたように、少女も空を見た。

「あの小さな白い点にしか見えぬ光のそれぞれが、地球の幾万倍もの星で、今、目に入る光の中には何千年も何億年もの(とき)をかけてここに届いた物もあると知った時に」

考えてみれば、その感情は畏怖であったのだろう。

といって、別にゼンガーはそういった感情を持ち続けたり、深く考え抜いたわけではない。そういった感情に引きずられるにはゼンガーは散文的で実際的過ぎた。それは、一時(ひととき)胸に去来した埒もない感慨に過ぎず、今こうして思い出すまで、露ほども蘇ったことはなかったのだ。

ふと、気づいて頭を振った。

「すまん、分からんな、これでは」

似ていると思って話してみたのだが、言葉にしてみると、少女の抱いた感情とは全く関係がないように思われた。

それでも、傍らに座っている少女は、言われたことを咀嚼しようとしているのか、一生懸命夜空を見上げている。

「あそこに、地球がいっぱいあるの?」

少女は、星空を指さした。

「あの星の中には、地球のような惑星を伴った物もたくさんある」

「人もいっぱい?」

「いくつかは」

パチ、パチ、とまぶたを二度(しばた)いて、少女は思いがけないことを言った。

「おとなりさん?」

ゼンガーが今度は目を瞬く番だった。そして、ゆっくり言った。

「ああ、そうだな……」

言われて気が付いた。わずかしかいない遠い隣人と砲火を交えている自分たちは、いったい何をしているのだろう。

少し、考え込んでいたらしい。気が付くと、少女が心配そうにこちらを見上げていた。丸く暖かな色をした虹彩に薄闇の蒼が交わり、それはなんとも言えぬ色を湛えていた。

ゼンガーは安心させようと、手を伸ばして少女の頭の上に載せた。怯えるかとおそるおそる載せた手だったが、少女の顔面にわずかに喜色が交じったことに安心し、軽く二、三度なでてやる。少女がにっこりと笑うのを見て、ゼンガーの口元にも幽かな笑みめいた物が浮かんだ。

冷えてきた、とゼンガーは立ち上がった。少女がこちらを気にしてじっと見ている。

ラウンジの隅のベンダーまで行って、夜でも稼働しているらしいことにほっとする。

ホットミルク(ハイセ・ミルヒ)

思いついて急いで付け足す。

蜂蜜入りで(ミット・ホーニッヒ)

付け足した指示は間に合わなかったかと思ったが、ゼンガーの希望に忠実に飲み物が出てきた。自分にはブラックコーヒーを頼み、少女の元に戻る。

少女の目の前にカップを置くと、物問いたげに見上げてきたので、頷いてやった。

少女は手を伸ばしてカップを両手で持つと、熱いのを冷ましながら少しずつ飲んでいる。

そういえば、もう、泣いていない。

よかった、と心から思った。

二人並んで座って、窓の外を黙って見上げてしばらく経って、少女がコクリコクリと舟を漕ぎ出した。ゼンガーは目を細めた。

起こさないように少女を抱え上げて右手に安定させ、左手に刀を持ったところで気が付いた。

自分にはこの少女の部屋は開けられない。解錠パネルに登録されているのは、少女自身と、その友達と、世話をしていた比瑪あたりか?

ゼンガーは確認するように腕の中の少女を覗き込んで、ひとり首を振った。起こすに忍びなかった。

薄闇の廊下を静かに歩いて自室に向かう。扉が開く音さえ大きく聞こえる。

ベッドに少女を横たえて、注意深く毛布をかけてやる。

かたわらに椅子を引き寄せて、腰掛けると、ゼンガーは黙って窓の外を見た。

静かに更ける夜、星影が(さや)かだった。

平成一七年九月二八日 初稿

平成一八年四月二九日 二稿

補足説明

ゼンガーがポエマーだ.おお.

この後,朝になって,「イルイがいない」と大騒ぎになるんだ.でもって,ゼンガーが「俺の部屋で一緒に寝てた」と無表情に言って,物議を醸していると楽しいなあ.

イルイが髪をおろしているのはですね,私には全然考えつかなかったことなんですけど,前に書いたお話に挿絵を付けてもらったことがあって,そのとき眠るイルイが髪をおろしていたのがむちゃむちゃ気に入っていて,それで真似しました.悪いか,長い()ぐ髪のおろしてるの好きなんだよ,悪いか!

この話,イルイにくすんくすんと泣いてほしくて書きました.(先生,ここに人非人がいます)

大空魔竜がもれなくエンタープライズですいません.音声認識のベンダーも静脈認識のドアも大空魔竜には無いと思うよ.

TNGでピカードさんがレプリケーターに向かって「Tea, Earl Gray, hot」って頼むのが好きなんだ.飲んでみて不満そうな顔をするのが好きなんだ.データもきっと真似ているに違いないのが好きなんだ.

イルイも「同じように言ったらゼンガーがくれた物が出てくる」と思って,この後,こっそり毎日頼むんだよ.「イルイちゃん,何飲んでるの?」とか声を掛けられて一人でムチャムチャ赤くなるんだよ.

ごめん,なんか自分がもう戻れない領域に行っているような行っていないような気がしてきた.うっちゃっといてください.