ささもてこ
不退転。
――それが我が流儀。
「それ」が入ってくるなり、彼は
目の前に来るずっと以前に彼には「それ」が――「それ」が内包する物の正体が――分かった。そして、「それ」を持ってきた者を識別して、己にどんな未来が待っているか瞬時に悟ってしまった。
不退転。
――それは我が流儀。
「それ」は予想通り彼の前にやってきた。
彼は黙して「それ」を見つめ続けた。
彼の内部に葛藤があった。
不退転。
――それは確かに我が流儀。
「ゼンガー?」
金髪の少女は固まっている彼を不思議そうに見上げている。
それを見てから、彼はもう一度自分の前の「それ」を見据えた。
――最近、よく笑ってくれるようになったんですよ。
嬉しそうに少女の様子を報告してきたのは比瑪だったか、ミドリだったか?
再び少女に目をやると、その表情がだんだん不安げなものに変わっていくところだった。
――不退転。不退転。
頭の中をその単語しか浮かばなかった。後で考えてみれば、立ち上る湯気に混じった物が既に彼を侵していたのだ。
彼はカップを持ち上げ、やおら一気に飲み干した。
「確かにブラックコーヒーだ」
自分の声がやけに遠かった。自分の身体が遠く、周りの人間が慌てふためくのも遠く感じた。
この辺りで、彼の意識はもう白濁し、記憶は靄のかなたである。ただ、誰かが呟いた、「ゼンガーさん、それ、ブラックじゃなくてアイリッシュ・コーヒー……」という台詞だけはなぜか頭に残った。
――それをイルイにも教えてくれ……頼むから。
彼はゼンガー。ゼンガー・ゾンボルト。
友人に「生体酒精検知器」と揶揄された彼の知覚は、残念ながら今回も間違ってはいなかった。
*
意識が戻ったとき、ゼンガーには自分がどういう状況にあるのかとっさに判断がつかなかった。
脈打つような鋭い頭痛がしていた。
低い耳鳴りが煩わしい。
胸焼けがする。
「俺は目覚めたのか……ここは……グルンガストのコクピット?」
モニター上をチロチロと動く光が神経に障る。
ゼンガーは腕を伸ばし、光量を最小に絞った。外部モニターも見にくくなってしまったが、敵と味方の区別は何とかできそうだ。
“……ゼンガー少佐、聞こえましたか?”
通信はどうやら少し前から入っていたようだ。
ゼンガーは答えようとして、口の中がカラカラなことに気づいた。
「すまん、もう一度言ってくれ」
“何ですか?”
出てきた声が掠れていたので、相手に聞こえなかったようだ。
「もう一度言ってくれ」
ゼンガーは繰り返した。その声もしゃがれていた。
“先にボルテスとガオガイガーが出てます。この二機が敵に接触するタイミングで少佐も出てください”
「承知」
そう言って通信を切ったとたん吐き気に襲われて、ゼンガーは下を向いた。下を向いて肩で息をしながら必死に耐えた。
ドクン、ドクン。
血潮が脈打つのに合わせてか、頭痛が酷くなる。
ゼンガーは歯を食いしばって、モニターを見据えた。二機が技のモーションに入るのが見えた。
“超電磁――”
“ブロウクン――”
その瞬間、ゼンガーは――悪を断つ剣と呼ばれるゼンガー・ゾンボルトが――確かに恐怖した。
「ま、待っ……!」
咄嗟に出かけた制止の声を軍人の義務感で飲込んだ時。
“――ゴマァァァァァァァ!!!”
“――マグナァァァァァム!!!”
二種の武器はそれぞれに敵を粉砕した。
ついでに、某少佐の脳髄も完膚なきまでに粉砕された。
*
悶絶した後、ブリッジからの再三の指示に従って、なんとか出撃したのは、精神力の賜物だった。
そして、彼の目下最大の敵はバーム軍ではなかった。
絶叫。
これである。
モニター上の光は絞ることができる。だが、通信音量は下げられない。下げれば指示が聞こえない。
ゼンガーは、特機乗りの、スピーカーがハウリングを起こすほどの強烈な絶叫から逃れるべく距離を取り、既に展開していたモビルスーツ部隊へと合流した。
ゼンガー自身の乗機は特機に分類される。攻撃力に秀でる特機と機動力に優れるモビルスーツとの組み合わせは基本的な運用であり、端から見た場合、グルンガストの動きに特におかしな点はない。
が。
“前に出てくるなんて、そんなに死にたいのかよ!”
“んなくそぉぉぉぉ!!”
“当たるなあぁぁぁぁぁ!!”
――変わらん。
技名を叫んでないだけで、基本的に変わりはない。
「なぜ……」
両側のスピーカーから交互に――時に同時に――攻撃を受けながら、ゼンガーは脳天から脊髄を突き通すような痛みにただひたすらに耐えていた。
「……なぜ、この部隊は声のでかい人間が多いのだ……」
普段の自分を棚に上げ、ゼンガーは呻いた。
急にみぞおちの辺りから苦いものがこみ上げてきた。
ゼーゼー言いながら、ゼンガーは斬艦刀を引き抜いた。重みでグルンガストが沈んだ。普段ならなんでもないその沈み込みの動きで、胃の腑の中身をぶちまけそうになった。
――だめだ……
「(俺の)被害が拡大しないうちに片づけねば……」
武人としてあるまじきことかもしれないが、そのとき、ゼンガーには三輪長官の占拠するビッグファルコンなどありていに言えばどうでも良かった。
ゼンガーは敵に向かって突撃した。
ゼンガーの意思によって可変する斬艦刀は、実はそのときほんのちょっぴり曲がっていたりするのだが、巨大さのほうに気をとられて誰一人気づかない。
そして、それを横薙ぎにしたゼンガーは……
回った。
いや、よく分からない。
グルンガストはパワーに優れた機体だが、巨大な斬艦刀を振り回せば、さすがに振りぬいた遠心力をすべて殺すことができない。ゼンガーが思っていた以上に機体は勢いよく腕を振りぬいていた。
慣れているはずのその動きに今のゼンガーの身体がまったくついていっていなかった。
妙な回転運動に眩暈がする。もはやゼンガーには自分が斬艦刀を振り回しているのか、斬艦刀に自分が振り回されているのかさっぱり分からなかった。
周りがぐるぐる回っているような気がする。
“グルンガストに近づくな!”
“退避〜!退避〜!”
“なんだありゃ!新技か?”
“少佐、広範囲攻撃するなら先に言ってくれないと!”
通信が錯綜している。
――本当に回っているのかもしれない……
ゼンガーは説明か警告――ともかくそのどちらか――をしようと通信を開いた。が、とたんに強烈な吐き気に見舞われ、慌てて回線を切った。口を押さえて波状的に襲う吐き気に耐える。
結局、息も絶え絶えなまま、ゼンガーには何一つ言うことができなかった。
全滅した敵の真っ只中でグルンガストは仁王立ちになり――
――ゼンガーはそのコクピットでぐったりとしていた。
*
その後、敵の罠でパイロットたちは気力をそがれ弱体化した、らしい。
らしいと言うのは、もとより気力など残っていなかったゼンガーはそれ以上弱体化しようがなかったからだ。
敵方の新兵器への対処を考えるべく、とりあえずの帰投を命じられ、ゼンガーはなんとか格納庫にグルンガストを収めた。
ほとんどずり落ちるように機体から降りる。
次の出撃までにまともな状態になること、それが目下の最優先事項だった。
口の中が粘ついていた。
まずは水だ。
「ゼンガー……」
心配そうな顔をしたイルイが格納庫の外で待っていた。
「大丈夫だ」
気力を総動員して答えるゼンガーは顔面蒼白で目は充血し、脂汗さえ浮かべていてとても「大丈夫」に見えるような状態ではなかった。
「これ……」
イルイはコップに入った水を差し出した。
「すまんな」
こんな子供に心配されるとは情けない。
思いつつ、コップの中身を一気に飲み干した。
そう、それがトドメだった。
*
「ゼンガー!ゼンガー!!」
甲高い悲鳴交じりの叫び声にその場にいた人々が振り向いた。
見ると、銀髪の男がバッタリと床に倒れていて、そこに金髪の少女がすがりついている。
「どうしたんだ?!」
「ゼンガーが……」
「何があった?」
「これ、飲んだら……」
泣きながらイルイはコップを差し出した。コップは空である。
「何が入ってたんだ?」
「ウモンさんが持っていくといいって……」
イルイはそれきり泣きじゃくった。
「じいさん!」
キンケドゥが周りを見回して叫ぶと、ウモンがのんびりとやってきた。
「いったいゼンガー少佐に何を?!」
「向かい酒じゃ」
「向かい酒?」
事情が分からずとまどうキンケドゥのそばまでやってくると、ウモンはゼンガーを見下ろし、首を振った。
「情けないのう」
「ちょ、ちょっと!コーヒーに混じったお酒で倒れる人が向かい酒なんて無理に決まってるじゃないですか!!」
比瑪の非難にウモンは頭をかいた。
「ほっほっほ」
「好々爺ぶった笑いでごまかさない!」
「なあ、向かい酒って……?」
集まったパイロットやら整備士やらがもめたり事情の説明を求めたりしているところに、コウがおずおずと手を上げた。
「あの……」
「何?」
「ゼンガー少佐、血、吐いてるけど……」
「きゃーーーー!!」
「誰か、医者だ、医者!!」
蜂の巣をつついた騒ぎはまったく収拾がつかなかった。
*
その後、バーム軍の新兵器対策会議の裏で、一部エンジニアによる「グルンガストマップ兵器搭載計画」が立てられた。が、ゼンガーに付き添う涙目のイルイを不憫に思った一部勢力(主に女性陣)により(本人たちが知らない間に)闇に葬り去られた。
また、αナンバーズ内部では「ゼンガー酒禁止令」が出され、南極条約より堅く守られた。
平成18年1月1日 初稿
平成18年1月8日 第2稿
補足説明
ありがち.『ささもてこ』は『
イルイはこんなふうに我知らず最後のトドメを刺しそうな気がする.
これは,大晦日から新年にかけてのチャットに由来する.(その節はバカ話につきあっていただきありがとうございます)
- Sousui
- 今日食べた年越しそばなんですが,なんか酒で練ってあるらしくって,「アルコールが飲めない人はご注意ください」って書いてあったので,「うわ,気づかないで食べちゃったらどうなるんだろう!」って.
- きさいしさん
- ……たぶん一口目で気づきますね。下戸は人間アルコール検知器ですので。
- Sousui
- そうなんですか.私はぜんぜん気づかなくて「どの辺に酒のありがたみが?」と思っていたんですよ.ゼンガー食べちゃったら,バタンキューだなあと思ってました.
- きさいしさん
- ゼンガー親分レベルなら匂いで気づく可能性あります(笑)
- Sousui
- でも,ゼンガー,無防備に口にしてますよね.なんか,酒でいっぱい失敗していそうな気がします.イルイのコーヒーイベント見てて思うんですが,ほんとに無防備だなあと.毒盛ったら一発なんじゃないかと不安になりました.
- きさいしさん
- イルイちゃんのコーヒーはわかってて飲んだんじゃないかなあ、と。断って傷つけるよりは飲んで倒れたほうがマシみたいな。
- Sousui
- うわ,いい人だ.いい人過ぎる.でも……倒れたほうが迷惑なような……(言っちゃ駄目?)よく,あの後すぐに出撃できたなあと思いましたよ.
- きさいしさん
- 下戸には酔うのも早いけど醒めるのも早い人がいます。でも、あの後の出撃は、個人的にあまり想像したくないです(笑)
- Sousui
- 自分が斬艦刀振り回してるんだか,斬艦刀に自分が振り回されてるんだか分からない状態に.(苦笑)
- きさいしさん
- 斬艦刀がMAP兵器になってます(笑)
- Sousui
- ああ,そうかも!!(爆笑) 「グルンガストに近づくな!」「退避〜!退避〜!」「なんだありゃ,新技か?」「少佐,MAP兵器ぶっ放すときは言ってくれないと」「……(息も絶え絶えで答えられない)」
てなことを言った瞬間から,突然なぐり書きました.突貫工事1日で完成.
ちなみに,私は二日酔いになったことがない(そこまで飲めない.飲んでも吐く)ので,症状なんかはよく分かりません.
まあ,本当のところは,ゼンガーは常に出撃できる状態に己を持っていきそうな気がするので,どんなにイルイに気を使っても,アルコールに気づいていたら絶対に飲まないと思います.でもって,飲んじゃったら飲んじゃったで二日酔いにはならずにすぐ醒めると思います.だいたい,量自体はあまり飲まない(飲めない)んだし.
ちなみに,「アイリッシュ・コーヒー」という単語を出しましたが,アイリッシュ・コーヒーはウィスキーに砂糖も入り,ホイップクリームが浮かびます.うわ,ゼンガー絶対に飲まなそう.
おまけ
アイリッシュ・コーヒーの作り方
- 耐熱グラスに砂糖をティースプーン2杯ほど入れる.ブラウンシュガーがベスト.(量はまあお好みで)
- アイリッシュ・ウィスキーを大さじ2杯ほど入れる.(まあ,これも量はお好みで)
- コーヒーを注いでかき混ぜる.
- ホイップクリームを浮かべる.
クリームを入れた後はかき混ぜず,溶け出すに任せてゆっくり飲むこと.
さあ,あなたもゼンガー気分でどうぞ.(ぶっ倒れるのはやめておこう!)
というか,作って飲んでみたけど,ゼンガーほど酒に弱くなくてもアルコール入ってたら気づくよ,絶対.
やっぱり飲んであげたのかなあ.いい人だなあ.なんか,悲壮な決意で飲み干したかと思うと涙ちょちょ切れてきた……
いや,待て.ゼンガー,自分が酒に弱いって気づいてないという説はどうだろう.即効ぶっ倒れて,即効醒めるので,記憶の断絶が短すぎてよく分かってないっての.だから出撃できたとかさ.
まったく,この人,やることなすこと激しすぎて面白すぎるわ.
これ書いた後,すごい勢いで熱が出たのでバチが当たったかと思いました.