Versus
「どうぞ」
答えとともに扉が空いた。ほぼ同時にゼンガーは難しい顔になった。
ネート博士の姿は見えない。奥の部屋に人の動く気配がするのでそちらにいるのだろう。まあ、それはいい。
「入って待っていてください」
そこかしこに積み上げられた本。散らばる何かの部品。雑然と置かれた工具。床を埋め尽くす書類。
入って待てと言われたからには、扉を開けたまま外で待っているわけにも行かないだろう。ゼンガーは足の踏み場を確保しようと床に手を伸ばした。
「触らないで!」
鋭い制止の声にゼンガーはそのままの姿勢で固まり、顔を上げた。見ると、固い顔をしたネート博士が非難するようにこちらを手で指している。その手にはタオルが握られ、おろした髪はぬれている。髪をふいていたのだろうと推測された。
「触らないで。どこに何があるか分からなくなる」
「どこに何があるか分かるのですか」
「分かるわ。今は」
「そのうち分からなくなるのですか」
ソフィアは肩をすくめた。
「エントロピーが増大するのは自然の法則です」
「少し自然に逆らった方がいい」
それについてはコメントせず、ソフィアは髪をもう少しふいてからポンとソファにタオルを放った。濡れたタオルはソファの上の書類の上に落ちた。
「濡れますが」
「何が」
「書類が」
「大丈夫。印字は耐水だから」
「……」
ゼンガーはしばし黙り込んでから、気を取り直して問うた。
「それで、用件は」
「斬艦刀に問題があるの」
*
経理部門の職員が一人、慌てて廊下をかけてきた。会議室に入る前に息を整える。扉を開けた時にシュッという音がして、中の人々が何人かこちらを向いたものだから、少し屈み気味に中に入り込んだ。幸いすぐに視線は外れてしまったので、ややほっとしてそろそろと同僚のいるロジ担席の方へと歩いて行った。
自分の席に座ると、隣に座る同じく経理部門の職員に小声で話しかける。
「ちょっと計算に手間取ってさ。データ送ったんだけど、来た?」
「ああ。これだろ?」
端末の画面にグラフが描かれている。
「ああ、それそれ。部長、怒ってた?」
「いや。第一、うちの部門じゃない」
「なんだ、研究部門?」
「違う」
「え、じゃ、プレゼンやってんの、誰?」
あれ、あれ、と指さされた方を見て危うく大声を上げそうになり、慌てて口を抑える。
「マジ?軍事部門?ゼンガー少佐?」
「そ」
「だって、そのデータ、エネルギー効率とかコストの……いや、その前にあのゼンガー少佐がプレゼン?」
「現にプレゼンしてるじゃないか」
「うわ、ほんとだ。なんか、歴史的な瞬間に立ち会ってる気がする」
「俺も」
経理部門の職員がいらぬところで感動しているとはつゆ知らず、ゼンガーはスクリーンをポインターで指しながら説明していた。
「これが研究部門より提供のエネルギー消費量のグラフです。x軸が時間、y軸がエネルギー消費。こちらの勾配のなだらかな方が斬艦刀のデータ。そして、こちらの急勾配の方がビームサーベルのデータです」
そもそも、なぜこんな羽目になったのだろう。
ゼンガーは説明を続けつつ、ぼんやりと考えた。時々、経理部門長と目が合うと、相手は申し訳なさそうに「すまん」と口を動かした。その隣に座っているネート博士と経理部門長を見比べてみる。
いったいどんな弱みを握られたものやら。
「つまり、この直線が交差するポイント以降は斬艦刀のほうが……」
「ちょっと待って。それは、あくまでも斬艦刀が通常の形態だった場合ですよね。斬艦刀を最大長にした場合はどうなるのですか?」
ゼンガーは落ち着いてうなずいた。
「最大長にした場合、確かに刃部の維持に通常より多くのエネルギーを使います。その場合のグラフはこれです」
ゼンガーが合図をすると、後ろに控えている部下がキーを操作した。スクリーンに青い線が重なった。それはビームサーベルより勾配が急になっている。
「おっしゃるとおり、ビームサーベルよりエネルギーは食います」ソフィアが頷くのを見てから、言葉を継ぐ。「ただし、この形態のまま維持することはほとんどありません。最大長にしないままに戦闘が終わることも多い。したがって、ビームサーベルとの比較では斬艦刀がとりたててエネルギー消費量が多いわけではないことがお分かりになるでしょう」
ネート博士は不満そうにいちおう頷いた。ゼンガーは無表情ながら内心ほっとした。
実のところ、このエネルギー消費量のグラフには細工がある。このグラフには刀を振るために機動兵器が消費するエネルギーが入っていないのだ。もっと問題なのは、刃の形成時にかかるエネルギーが入っていないことだ。実のところ、斬艦刀が莫大なエネルギーを食うのはこの変形時である。
ゼンガーがそのことを指摘すると、部下達がものすごい勢いで言い募った。曰く、嘘ではない言わないだけである。曰く、気づかない方が悪い。曰く、斬艦刀を守りたくはないのか等々。プレゼンの際の「嘘ではないが、誤解を招きやすいしゃべり方」をレクチャーされ、練習までさせられて、ゼンガーはすっかり疲れてしまった。
そこで、自分は得物は選ばない、斬艦刀にコストがかかるのなら別にいいではないか、と言ったとたん、斬艦刀はおとこ(「漢」のほうだと念を押された)のロマンだ、それを捨て去っていいのか、自分たちはそんな人間の子分になったつもりはない、と泣き崩れられた。
ゼンガーの方こそ、こんな人間たちの親分になった覚えはさらさらなかったが、ひとこと言うたびに墓穴を掘っているらしいのは確かだったので、「いざとなったら勝手に使えばいいし」という言葉を飲み込んだ。
表面上、このプレゼンはアースクレイドル総責任者VSゼンガーの構図ではあったが、その本質は斬艦刀フリーク(必ずしも軍事部門のものとは限らない)による斬艦刀死守作戦であった。
「それでは、次に射撃兵器との比較です」
ゼンガーの言葉と共にビームソードのグラフが消え、変わりに平坦な線が階段状に上って行く図が示された。
「射撃兵器の場合、その特性上、エネルギー消費は射撃のたびに上がり、このように飛び飛びの値を取ります」
ソフィアがガウス関数を思わせるわねと言い、イーグレットが私はエネルギー準位を思い出しますと述べた。
反応に詰まったゼンガーの後ろから「専門用語に惑わされちゃだめです、親分」「多分、プレゼンとは関係ありません」との声が飛んできた。
代理戦争とはほとほと疲れるものだ。
「このままでは比較がしにくいですので、時間で平均した直線にします。なお、この平均は戦闘時の一般兵の射撃回数から割り出しています。この通り、斬艦刀との比較で言えばエネルギー消費量、ひいてはコストの面でさほどの違いはありません。それは実弾兵器の場合も同様です」
もちろん、このグラフにも細工がある。
確かに、これは一般兵の射撃回数を平均したデータである。より正しく言うと、かなりの激戦だった戦場で恐慌に陥って銃を乱射していた、とある一人の一般兵の射撃回数を時間平均したものである。
恣意の入った統計データというものはまったく信用ならん。
「ゼンガー少佐の主張は分かりました」
〈俺の〉ではない、とネート博士の発言に心の中で付け足す。後ろから「やりましたね、親分」という声がかけられたが、たぶんこのままでは済まないだろう、とゼンガーは思っている。
ソフィア・ネートという人物は頭の良い女性だ。こんな基本的な細工に気づかないわけがない。それを敢えて見逃したからには何か考えが――
「つまるところ、そのグラフの交差するところ、そこが斬艦刀とその他兵器とのコストの分かれ目になるわけですね」
「はい」
「時間としてはどれぐらいですか?」
「一時間と四三分です。計算値は」
言いながら、ゼンガーは罠にはまったことに気づいた。
「そう。一時間四〇分ほどです。では、今度は私の方から。映像を出してください」
スクリーンからグラフが消え、代わりに次々に敵を斬り倒して行く人型機動兵器の映像が映った。
「これはグルンガスト零式の映像。この場にいる方々にはお分かりでしょうが、搭乗者はゼンガー・ゾンボルト少佐」
すごい、だの、さすが、だの囁き声が聞こえる中で、ゼンガーは観念して目をつぶった。
「そう。ゼンガー少佐が第一級のパイロットであることは皆さんにも異のあるところではないでしょう。だからこそ、私もゼンガー少佐をこのアースクレイドルの軍事責任者として招いたわけです」
そこでソフィアは言葉を切り、自分の話が聴衆に染み渡るのを確かめた。
「それゆえに。お分かりでしょうか、それゆえにこそ。ゼンガー少佐の交戦時間はいつも短いのです。敵に一時間四〇分もてこずることはまず無いと言ってよいでしょう」
ソフィアは確かめるように、手元の資料に目を落とした。いや、おそらく確かめているのではあるまい。あれも一種のプレゼンテーションなのだろう。
「データによれば、いままでの戦闘においてかかった時間の平均は五五分。それも、突出して長い数度の戦闘を除いてしまえば、もっと時間は短くなります」
目をつぶっているゼンガーの後ろからぼそっと「親分、強すぎ」という声があがった。
そんな非難を受けるいわれは無い。
頭の中ではそう思ったが、ゼンガーは目をつぶったまま沈黙を保った。
「ですから、ビーム兵器や射撃武器を使った方が……」
「発言をよろしいでしょうか、ネート博士」
突然、声が挟まれた。
意外に思ってゼンガーも発言者を注視した。
衆目を集めたのはイーグレット・フェフ博士である。
「いま、ネート博士が問題にされているのは、ようするに費用対効果の問題ですね?つまり、コストではなく、コストパフォーマンスの問題と捕らえてよろしいですね?」
「もちろん、その通りです」
「ならば、そもそも斬艦刀ではなく専用機を切った方がよろしいのではないですか。専用パーツも多く、メンテナンスに特殊な知識がいるし人手もいるわけですから」
「フェフ博士のおっしゃるのは、グルンガスト参式のことですね?」
「そうです」
「あれはいいの。グルンガスト参式のテストを引き受ける代わりに参式にかかる費用はすべてDC本部から出るから。テストパイロットの人件費も含めて。部門長の給与が全部ですよ?」
初耳である。
「参式を切る理由はありません。切ればデメリットの方が大きいのです」
つまり、俺の給与のことだ。
……俺がグルンガスト参式のテストパイロットなのは、軍事部門の中で一番給与が高いからではあるまいか。
「分かりました。では、焦点を武装の方に戻します」
どうやら、イーグレットはこの回答を予想していたらしい。落ち着き払ったイーグレットが合図らしきしぐさをすると、広報部門の職員が何やら用意を始めた。
「準備に少々時間がかかりますので、この時間を使って先に何をお見せするかの説明をしておきましょう。ゼンガー少佐はアースクレイドル配属に先立って人型機動兵器を何種か使用しておられる。その中には射撃武器が主武装の物も何機かある。これからお見せする映像はそういった物も含まれます。必ずしも実戦の記録だけでなく、性能調査のためのデコイを使った物もあることはご承知おきください。では、準備ができたようですので――」
広報部門の職員がうなずいて、映像を回し出した。
「これはライフルを使った時の戦闘記録」
珍しい、と誰かが囁くのを耳にしながら、ゼンガーは口を微妙な大きさに開いて固まった。
「見ていてください。はずしている、すかしている、はずしている、やっとかすって、ここで止どめです。別な映像もご紹介しましょう。かすって、かすって、はずして、命中。では、今度は刀を使った戦闘です」
なぜかイーグレットは楽しげな調子だった。
「一撃だ。つぎも。この時など、三機まとめて撃墜」
ソフィアは握りこぶしを口元にあてて眉根を寄せた。
「要するに、だ。要するに、ゼンガー少佐に射撃武器をもたせるのは愚の骨頂であり、使いどころを間違っている」
ゼンガーがわずかにみじろぎしたとき、後ろから「だめです、親分、必中・直撃持ってるから当てようと思ったら当てられるなんて言っちゃ」「ここは涙を呑んで名を捨てて実を取るんです」と次々に声がかかった。
後ろを振り返り、そこに目を潤ませている子分どもを発見すると、発言する気力が萎えてしまった。
「でも、ビームサーベルにしたらどうなのです?できるのでしょう、ゼンガー少佐?」
急に名を呼ばれ、ゼンガーは急いで向き直った。
「何がですか?」
「ビームサーベルを使って斬艦刀と同程度の戦闘ができるかということです」
「できます」
ゼンガーの即答を聞きながらも、イーグレットはゆっくりと首を横に振った。
「斬艦刀には別な意味があるのです」
「別な意味?」
「そう。目立つためです」
「目立ってどうするというんですか?」
「もう一度、映像をご覧ください」
イーグレットの言葉に広報部門がいささか慌てている。イーグレットの席によってきて、二、三小声の指示を受けると、頷いてから帰っていた。まもなく、スクリーンに映像が出た。
零式、か。
「さきほども出ましたが、グルンガスト零式。もちろん搭乗者はゼンガー少佐。武装は零式斬艦刀。刀の各所にスラスターを付けたある意味無理やりな代物だが、斬艦刀には違いない」
イーグレットはそこで話を一度止めた。映像の中では、敵が零式に群がって行く。零式はそれを一振りごとに蹴散らして行く。
「お分かりですか、この効率のよさ。敵に目を付けられ、集中攻撃を受けることにより、一振りごとの撃墜数が格段に上がる」
「確かに」
「まあ、逆の効果も考えられますが」
「敵が恐れをなして寄ってこないということですね」
「ええ。ですが、その場合は武器を振るわなくていいわけです」
「つまり、ゼンガー少佐には敵の密集するポイントに突っ込んでもらうか――」
「――敵に勝手に群がってもらうのが一番コストパフォーマンスが良い」
俺の命が安売りされているような気がするのは気のせいだろうか。
「でも、別に斬艦刀である必要はないでしょう?隊長機であり専用機であるというだけでかなり人目をひくのだから。なんだったら、機体を派手な花柄にでもして……」
途端に、ゼンガーをのけて、後ろに控えていた軍事部門職員が起ち上がって叫んだ。
「断固、拒否します!」
「親分だって嫌でしょう!」
「俺は……」
「花柄の機体になぞ付き従いたくありません!」
「本気でグルンガストを花柄にするおつもりなら、我々はストを起こします」
「いや、プロジェクト・アーク自体からおろさせていただく!」
「いいじゃない、花柄でも。機体性能は変わらないんだし」
自分からは見えないから別にいい、というゼンガーの言葉は誰も聞いていないようだ。
「花柄の機体から出てくるような人間に指揮を執って欲しくはありません!」
「出てこなければいいのね?なら、ゼンガー少佐はグルンガストの中に閉じこめて――」
「それは困ります」
さすがに、慌ててゼンガーは口をはさんだ。
「ほら、少佐だって嫌だと!」
いや、別に花柄が問題なわけではないんだが……
「もう。分かりました。あなたたちには負けたわ。斬艦刀は現状維持とします」
苦笑しながらソフィアが言うと、やった!とか、勝った!とか、後ろではわいわいとさんざめいている。
「では、今日は散会といたします」
その宣言をもって、職員たちは三々五々持ち場へと帰っていく。
自席に残っていたゼンガーに、これまた最後まで残っていたイーグレットが近づいてきた。
「おめでとう、ゼンガー少佐」
「……ご助力、感謝する」
いちおう、礼を述べておく。この礼はゼンガー自身と言うよりも、子分たちの代わりの礼と言った方が当たっている。
「ところで……」
「何かあるんだな」
疑問ではなく、断言する調子にイーグレットはコホンと咳払いをした。
「実は、私の研究に緊急に必要になってな。斬艦刀に使っている液体金属を使わせてもらった」
「……」
「いちおう、寸は通常通りなのだが、その……」
「密度だな?」
「その通り。実弾を切り払うのはとうてい無理だから、攻撃は気合で避けたまえ。あと、標準の寸を保つためのエネルギーもいつもよりかかるわけだから、できれば使わないでもらいたい。ネート博士にばれるとやっかいだからな」
「……」
「なに、あと一ヶ月もすれば発注した分が納品されるはずだから、スリープに入る前には元の通りにしてカタパルトに載せておく」
「カタパルト?」
「大気組成を調べるボットを打ち上げるための物があるだろう。あれに載せておく。なに、メイガスに射出用のプログラムも打ち込んでおくから、安心したまえ」
では、と言ってイーグレットは出て行き、ゼンガーはひとり残された。
かなり長いこと虚脱した後で、ぽつりと呟いた。
「俺は……勝ったのか?」
頭を一度振ると、ゼンガーは刀を背負い、とぼとぼと自室への道をたどっていった。
平成18年1月29日 初稿
補足説明
アースクレイドル,みんな変な人.
ごめん,このゼンガー,中身私だわ.
いや,最初はね,「ネートさんもゲーム中でもう少し崩れてくれたら楽しいのに」と思って,部屋の中散らかりまくってるのどうだろうと思ってたら,あれよあれよという間に長くなっていってこんなことに.いったいなんだってこんな話に力を注いだものやら.