第一章

So zieh' ich meine Straße
Dahin mit trägem Fuß,
Durch helles, frohes Leben,
Einsam und ohne Gruss.

Aus "Einsamkeit" Wilhelm Müller

そのごとく漫ろなる足どりにて
己が道を其方へと歩む
明るく喜ばしく生を営み
孤独のままにことば交わすことなく

ヴィルヘルム・ミュラー「孤独」より

日は昇り、日は沈む。

その繰り返しが緩慢に彼を(おか)している。

今日もまた、日が昇る。

柔らかい日差しを頬に感じて、ゼンガーは目覚めた。

昨日のうちに汲んでおいた水で顔を洗う。備蓄庫から適当に選んだ食料で簡単に朝食を済ませる。

この広大なアースクレイドル――その残骸――に、動く者は彼一人だった。謂わば、彼はアースクレイドルの主である。

そして、ここは、時を共に越えるはずだった多くの人々が、その意志の外で起きた(いさか)いによって永久(とわ)の旅路についた場所だった。

つまるところ、ここは広大な墓所である。同胞が眠り、仇が眠り――愛した人の眠る。

ゼンガーはひんやりとしたアースクレイドルの廊下を抜けて、外に出た。

赤茶けた大地。乾いた風。近くに人の住む町はない。

今日は何をしようか。

彼の長い人生において――そのほとんどを眠りの中で過ごしたとはいえ、ともかく生まれてから何万年と経っているには違いない――こんなにも一日が長かった時期はない。

彼に物を命ずる者もいない。彼が剣をとらねばならぬ事もない。

平和、なのだろうか。

通信も未発達で、外界から遮断されている。

彼は、今、世界の埒外にいる。

ゼンガーは入り口に立て掛けた一本の鉄の棒を手に取った。長さ八〇センチ余りのその棒を丁寧に検めてから彼はすっと立ち上がった。視線の先には鉄棒の束がある。その束は、Y字の支柱を二本使って地面に水平になるように置かれている。

ゼンガーは静かに歩み寄り、一転、気の乗った大音声を上げて、続け様に棒を振るった。

長い叫びと金属のぶつかる鋭い音は幾度も幾度も繰り返された。

本来は、振るう棒もそれを止める棒も木が使用される。しかし、この場所では木材などまず手に入らない。

そもそも、今、この時代に「刀」が作られているのかさえ分かったものではない。彼自身の持っていた、美しくも無骨な刀は()うの昔に朽ち果てていた。

だが、ゼンガーは毎日鉄の棒を振り続けている。

一刻もしただろうか。叫びがピタリと止んだ。

ゼンガーは鉄棒を片手に急に暗くなった空を仰いだ。俄に掻き現れた雨雲を見上げていると。

――雨だ……

ボツボツと鈍い音を立てて、大粒の雨が降ってきた。

ゼンガーは手を差し伸べ、身体が濡れるのもかまわず、大粒の雨が手のひらを打つのを眺めた。

しばらくそうしていて、はっと思いついてアースクレイドルの中に走り込んだ。

前の雨の時、寝台の真上にどこからか水が染み落ちてきてひどいことになったのを思い出したのである。それに、雨水を貯めておかねば、水に困る。雨が降ることはそう多くはないのだ。

感傷に浸る間もない。日常とはかくも困難なものである。

水の始末をつけた後は手持ちぶさたになった。日課はあったが、外での仕事だ。雨ではできない。

もちろん、やらねばならないことはいくらでもある。アースクレイドルの修復などそれだけで何日も、いや何ヶ月もかかる。だが、もともとが技術者でも整備士でもないゼンガーには手に余ることばかりだった。

本でも読むか。

以前――といっても、気の遠くなるほど昔――は、読書家というわけでもなかったのだが、必要に迫られてデータライブラリを読み漁るうちに、本を読むということはなかなかに面白いと思うようになった。

アースクレイドルに蓄積されたライブラリを一部なりとはいえ復旧させたのはコトセットである。

根っからの技術屋である彼は、技術書がないかと躍起になって探していたが、データセクションとの接続が切れているのか、あるいはデータセクションそのものが損傷しているのか、そんなものは見つからず、大いに落胆していた。

「だいたいね、データの保存方式からして分からない物が多いんですよ。これでも、あの戦いの最中にずいぶんいろんな機械をいじったんですがね」

それでも、今度来るまでに何か方策を考えるとコトセットは言っていた。彼はまだ、望みを捨てていないらしい。

結局、今、ライブラリで読めるのは、文芸書の類いだけである。

エルチは「文化よ、文化の薫りよ!」と喜んで、ビューワーとデータを幾つかゼンガーからもらって持って行った。

ちなみに、コトセットはビューワーの仕組みを知りたがり、ゼンガーにはそれが分からなかったので、余っていたビューワー――アーク計画参加者のために物自体はたくさんあった――をいくつか渡して分解していいと言っておいた。今頃は修理ぐらいできるようになっているかもしれない。

しばらく雨の中を読書にふけっていて、ふと、コーヒーが飲みたくなった。

ゼンガーはビューワーから目をあげて、首を振った。

アースクレイドルに住まう決意をして最初に片付けなければならない問題は食料だとゼンガーは思っていた。

だが、それはあっさり解決した。食糧庫があったのである。しかも、保存の利く物がかなりあった。

考えてみれば、メイガスやイーグレットたちは完全に機械だった訳ではないし、普通の人間に偽装する必要もあったわけであるから、まともな食料が見つかってもおかしくはないのかもしれない。

ただ、どうにも缶詰を食べている彼らを思い浮かべることができなかった。

量から考えると、外の者に補給をさせるためであったのかもしれない。補給を取引き材料に、自分たちのために何かをさせていたという可能性は大きいだろう。

かくして労せずして食糧問題は解決した。

だが、コーヒーはまだ〈発掘〉していない。食糧庫だった場所の惨状を思い浮かべるに、コーヒーにありつけるまで途方もない労力がかかるのは目に見えている。

――いつかはやらなければならぬことだ。

午後は食糧庫の整理に費やそうと立ち上がった時、警報が鳴り響いた。

ゼンガーは速足で通路を急いだ。はしごを上って、物見にしている狭い足場に立つと、壁にかけた双眼鏡を覗いた。

アイアン・ギアーだ。

艦橋で手を振る人々が何人も見えた。

ゼンガーはアースクレイドルのゲートを開けるために下に降りていった。

 おーい、おーいと何人もの人が手を振っている。近くに来たところでアイアン・ギアーは止まり、ジロンが怒鳴った。

「ゼンガーさん、元気だった?」

「ああ」

「入っていいかい?」

「ああ」

「入口はこの前と同じ?」

「ああ」

「エルチ、こないだと同じ入口だってさ!」

「コトセット!」

「了解!」

アイアン・ギアーが再び動き出すのを見ると、ゼンガーは格納庫へと出迎えに向かった。そこでゼンガーを見るなり頭上から真っ先に声をかけてきたのは、珍しくコトセットだった。

「鳴りましたか、警報」

「ああ」

「役に立つでしょう」

「ああ」

コトセットが自慢げな顔をしているのはこの「警報装置」を取り付けたのが彼だからである。もっとも、決められた信号を発している物体が来たら鳴るだけの代物で、今のところその信号を発しながら近づいてくるのはアイアン・ギアーだけなのだから、「警報装置」という名前は正しいとは言い難い。

艦橋からコトセットが叫んでいるうちに他の乗組員がバラバラと甲板に出てきた。開閉口付近で他の者がなにやら作業しているのを尻目に、アイアン・ギアーの女艦長が降りてきた。

「久しぶり、ゼンガーさん。元気だった?」

「ああ」

「たまたま通りかかったのよ。だから寄ったの」

「そうか」

「おーい、エルチ、取り分けてる荷物、降ろしちゃっていいか?」

ジロンの叫び声が聞こえると、エルチはさーっと赤くなった。

「訊かなくても分かるでしょ!さっさと降ろしちゃって!」

「分かった!」

降ろせってさ!と叫んでいる声が聞こえる。エルチはゼンガーの方に向き直ると、早口で言った。

「たまたま食料とか資材とか余ってたのよ。いつもどおり物々交換でお願いするわ。後でコトセットが交換リストを持ってくるから確認して」

物々交換というものの、彼らはアースクレイドルにある壊れた機械から適当にパーツを持っていくだけである。ゼンガーは自分の方が得をしているのではないかと危惧しているのだが、好きな物を好きなだけ持って行けという申し出は、容れられないどころか「お人好し過ぎる」と説教を喰らうに終わっている。

だいたい、アイアン・ギアーはこんな何もない場所に「たまたま」一カ月に一度必ず通りかかるのだ。そしていつも「たまたま」物資が潤沢なのである。それを指摘すると、エルチは全力で否定するのが分かっていたので――と言うより、前回その愚を犯したので――ゼンガーはただ頷き、

「感謝する」

とだけ言った。

「ゼンガーさん、これ見なよ!」

ラグが棒のような物を高々と掲げながらやってきた。

「これは……」

ラグだけでなく他の者までやってきて、期待に満ちた目でゼンガーを見ている。

「――刀か」

それは、刃のついていない、模造刀とも呼べない代物だった。が、確かに白鞘に入った刀を模している。

「こないだ写真見せてもらっただろ?バザーで見つけたんだ。あたしが」

鼻高々にラグが「あたし」を強調した。

「……もらって、いいのか」

「ああ、もちろん」

ゼンガーは押し頂くようにして刀を受け取った。

「感謝する」

ラグは何かに見蕩(みと)れていたらしい。チルが後ろからつついて、怒られている。一方、ゼンガーは手の中の刀を凝と見た。

これは、アイアン・ギアーの乗組員からの好意の印だ。

刀だけではない。こうしてここにやって来ること自体が好意の証であることが分からぬゼンガーではなかった。

「ゼンガーさん、またここ探検していい?」

チルが期待を込めて見上げてきた。何が楽しいのか、明かりもつかぬ残骸ばかりのこの廃墟を歩き回るのが気に入っているらしいのだ。ゼンガーが頷いてやると、嬉しげにチルは走り出した。

「待て!」

はっとなって、ゼンガーはチルの方へと走り出した。

「え……あっ!」

後ろを振り向いた途端、突然、足場が無くなって空中に放り出されそうになったチルの首根っこをゼンガーが辛うじて捕まえた。

「あ、ありがと」

チルが冷や汗をかきながら言うと、ゼンガーはその小柄な身体を今できたばかりの穴の横に降ろした。

「修復が追いついていない。足場には気をつけろ」

「うん、分かった」

ジロンやエルチ、サンドラットのメンバーが一緒になってチルと共に「探検」に歩き出す。そこへ遅れて出てきたのはコトセットである。

「修復が追いついていないったって、ひどい有様じゃありませんか?」

「……」

「一人じゃできることも限られてるでしょうに」

「……」

遠くから笑い声が聞こえてきた。見ると、ジロンたちが何やら叫びあっては笑っている。

「また、何をやってるんだか……」

言いさしたコトセットは隣に立つ男が彼らを凝と見つめていることに気が付いた。いつも独りでここにいるこの男に()ぎる物は何なのだろう。コトセットはブルブルと頭を振った。

――まったく……

「メデックが診てやると言ってましたよ。ケンコーシンダンとか言って。まあ、金を取る気なんでしょうがね」

子供たちから目を離したゼンガーがコトセットに視線を戻した。そこに冷静な無表情以外の物は浮かんでいない。

「飲みながらか」

「そりゃ、いつもですからね。飲んだくれでも腕は確かですよ」

「苦手でな」

「医者が?そりゃ意外ですね」

「……」

「こないだ言ってたモジュールってんですか、あれ、作りましたよ」

「作った?」

「まあ、中の集積部分は頼んだんですけどね、図になかったとこを付け足したのはわたしです」

「……」

「本当にこんなんで水が出るんですか?」

「セットしてみんことには分からん。俺は残っていた設計図を渡しただけだ。設計に造詣はない」

「試させてくださいよ。どこに設置するかは分かるんですか?」

「ああ。場所ならば分かる」

「さすが部門長」

ゼンガーは壁にかけた懐中電灯を取った。

歩きだしたゼンガーの後をついて歩きながら、コトセットは尋ねた。

「明かりはまだ点かないんですか?」

「線を取り替えれば通路の非常灯ぐらいは点くだろう。だが、エネルギー残量が少ない。そのモジュールを試したいなら、今は極力使用を避けた方がいいだろう」

「ええ?でも、これ、ここが稼働してた時は常時動いてたんでしょう?」

「アースクレイドルはもともと一〇基のパワープラントで運用していた。今はそのうち一基が稼働しているに過ぎない。しかも、修復が不完全で出力は約五パーセントだ」

「修復の目処は?」

「稼働している物の出力を上げることならばできるかもしれんが、他の物の見通しは立っていない」

「よっしゃ、じゃ、そいつだけでもなんとかしましょう。遊んでる連中にも手伝わせればいいですよ」

「……」

「なに、あいつらだって明かりが点いてる方がいいでしょう」

「……明かりが点かない方が面白いのではないか、〈探検〉には」

コトセットはそれを聞いてちょっと目をみはった。そんなことに気が回る人間だとは思っていなかったのだ。

ゼンガーは歩を止めることなく歩いて行く。やや置いて行かれた形になったので、急ぎ足になりかけて、コトセットは見慣れぬ鉄屑が小山を作っているのを見つけた。それは大型の機動兵器に見えなくもない。

「こんなもの、ありましたっけ」

「いや」

歩みよってよくよく吟味してみて、

「こいつは……」

絶句した。

「アウルゲルミル、その中核(コア)だ。おそらくな」

「どうしたんです?」

「ローラ・ランが置いていった」

「ジャミルさん、来たんで?」

「ああ。保管を頼まれた」

「保管ったって、これじゃただの鉄屑じゃないですか」

コトセットは残骸の端を軽く蹴った。

「メイガスもイーグレット達もいなくなった今、アウルゲルミルは完全にブラックボックスだ。残骸とはいえ、下手な者の手に渡るのを恐れたのだろう」

「でも、何もゼンガーさんとこに置いて行かなくたって。ムーンレィスってのはわたしらよりずっと技術も人手もあるじゃないですか」

「難しい時期だからな。俺の所に置いていったのは、俺がどこの勢力にも属していないからだろう」

と同時に、そんなにも易々と自分を信じるのかとも問うたのだ。

――他の誰よりもあなたが適任だと思います。あなたにとって心安らかでいられる機体でないのを承知でお願いしたい。

自分は危うく彼らを殺しかけたというのに。彼らが当然手にするべき未来を摘み取りかけたというのに。

信を置くに足る何をも自分はしていない。

ゼンガーはそう思っている。したがって、彼にはジャミルが自分をなぜ信頼したのかが未だに分からない。

まだ残骸をつついているコトセットを見ながらゼンガーは思った。

アイアン・ギアーにしてもそうだ。

彼らがなぜ自分を訪ねてくるのか、それが分からない。好意の現れであるのは分かるのだが、好意を受けるに値することを自分はしていない。

今のところゼンガーは、それに対してただただ感謝することしかできていないのだった。

「何かの間違いで変なことに使われたら、まあ、まずいんでしょうけど」

「いずれ、調査にくるだろうな」

「完全に破壊・破棄って選択肢は?」

「マシンセルを解析できないと難しいだろう」

「まさか、また再生するんですか!?」

コトセットが目を剥いたのを見て、ゼンガーは首を振った。

「これ以上の再生はしない。それと同時にこれ以上の破壊もできないのだという」

「?この形にまでは再生してしまうってこってすか?」

「そうだ」

まるで時を止めようとでもするように。凍結した機体は、あたかもアンセスターを象徴しているかのようだった。

「マシンセルの資料はないんですか?」

「マシンセルはアースクレイドルの最高機密だった。その存在すら外部には知られないように扱われていた。技術情報となるとネート博士とその直属のマシンセル専門の研究班員でなければ触れることすらできなかった」

「そういう専門知識の部分ではなくても、何か知らないんですか?だって、ゼンガーさん、軍事部門の最高責任者だったんだし、ソフィアさんて人とも親しかったんでしょう?」

「いや」

「いや?」

コトセットは思わず立ち止まり、前を行くゼンガーの背中をまじまじと見つめた。

「第一に、我々はマシンセルを軍事利用してはいなかった。第二に、俺はネート博士と親しくはなかった」

「親しくなかった?」

鸚鵡返しの声が裏返っていたのに比べて、ゼンガーの返事はあくまでも淡々としている。

「もちろん、同じ組織に属しているのだ、会話をしたことぐらいはある。だが、只それだけだ」

「は……あ……」

でも、彼が「メイガスの剣」を名乗っていたのはその親しくない人間の存在があったからではないのだろうか。そのせいで危うく命を捨てかけたのではないのだろうか。

コトセットはゼンガーの後ろを歩きながらやれやれと首を振った。

――どうもこの人はよく分からない。

アイアン・ギアーの連中はいいにせよ悪いにせよ、言動は分かりやすい。それにくらべて、ゼンガー・ゾンボルトという人物は分かりにくいのだった。

「ここだ」

示された扉は、何の装飾もない滑らかな金属製の引き戸である。本来は自動であるはずのそれを、ゼンガーが手で無理やり開けた。中はいろいろなパネルがはめ込まれた狭い部屋だった。

「水を作る機械ってのは?」

「周りの壁だ。正確に言うと、ここは生命維持にかかわるシステムの制御室で、機器本体はこの周辺部ほとんど全てを占めている」

「本体は無事なんですか?」

「比較的損傷が軽微なものがある。それを試す」

ゼンガーは懐中電灯を壁に近づけ、擦り付けるようにそれを動かしながら、目当てのものを探した。ややあってから、目の高さにあるくぼみに指をかけて引き出すと、五センチばかりの幅のパネルが二十センチにわたって外に出てきた。そこにはスリットが並んでおり、その一つ一つにコトセットが持ってきたような平らなモジュールが刺さっている。

「えーと……」

コトセットは辺りを見回して、少々癪に思いながら折り畳みの踏み台を持ってきた。

「ゼンガーさん、ちょと手元照らしててもらえます?」

手元に向けられた明かりを頼りに、コトセットはずり落ちる眼鏡を上げ上げ、うっすらと刻まれた文字やら記号やらを読み下した。

「……これがそうだな。モジュール組んでる時も出てきてたし」

「分かるのか?」

「ま、勘ですがね」

言いながらコトセットは手早く古いモジュールと自分が組み上げたモジュールを交換した。

「スイッチは?」

ゼンガーが扉近くの壁際に行き、配電盤(だとコトセットは思った)を開けると、並ぶスイッチの一つを迷うことなく押し上げた。

「なんだ、よく知ってるじゃないですか」

「パワープラントを稼働させるためにスイッチをすべて探さなければならなかった」

「なぜです?」

「明かりがすぐに切れたからだ」

「ああ、どっかエネルギーが食うところのスイッチが入ってると蓄積されない、と」

と、急に横から顔を照らされ、コトセットは驚いてそちらを向いた。見ると、壁だと思っていたところにモニターがあって、文字の羅列が流れて行く。

「ははあ……んー、まあ、大丈夫そうじゃないですか、OKって出てるし」

「……」

「で、水はどこから出るんですか?」

ゼンガーはしばし考えるようなそぶりを見せた後、部屋の外に出た。慌てて後を追うと、そう遠くもないところに洗面台のようなものがあった。

ゼンガーは蛇口に手をかけかけていたのだが、やってきたコトセットに場所を譲った。

「どうも」

コトセットは喜んで、洗面台の前に立った。少々わくわくしながら、蛇口に手を出しかけて、回すようなものが付いていないのに気がついた。

「あれ?」

「手をかざせばいい」

「は?」

「手をかざせば自動で出る」

「ねえ、ゼンガーさん、その機構は生きてるんですか?」

「……」

コトセットは疑念を抱きながら手をかざしてみた。

何も起きない。

いや!

ポタリと滴が落ちてきて、コトセットの手のひらを濡らした。

「は……ははは……」

見る間に水量が増えてきて、洗えるぐらいの量になった。

「やった、やりましたよ!見ましたか、はははは!」

コトセットは興奮して、濡れたままの手でゼンガーをバンバンと叩いた。ゼンガーは喜ぶコトセットに頷いた。

「見事だ」

「どんなもんです!ははは、この調子でいきましょう、この調子で!」

だが、難は多かった。

稼働中のパワープラントの出力をどうにか上げようといろいろといじってみたのだが、せいぜい数パーセントしか上がらなかった。ゼンガーの見つけた設計図やメンテナンスマニュアルにはデータの欠損があって、肝心な部分が見つからない。

しょうがないので、コトセットはデータの復活の方に手をつけだしたのだが、そもそもハード部分が悪いのかソフト部分が悪いのか分からない。

慣れない手つきでキーを叩きながらコトセットはぼやいた。

「ゼンガーさん、こういったシステム、全然使ったこと無いんですか?」

「使ってはいたが、操作はほとんど音声による物だった。全く分からんとは言わんが……」

「音声?機械に命令すれば勝手に動くんですか」

「そうだ。使う側の声を認識し、各部システムを然るべく動かすのは〈メイガス〉の役目だ」

「メイガス?あの女の人がやるんですか?」

「違う」

「へ?」

「〈メイガス〉はオペレーティングシステムだ。元々は」

「人じゃないんで?」

「ロボットですらない。単なるOSの名称だ」

「へえ。あたしらが会った〈メイガス〉はずいぶん敵意に満ちて……」

コトセットは言葉を止めた。ゼンガーがすっかり手を止めて考えに沈んでいたからだ。

「あ、あのですね、ゼンガーさん、ここの……」

話題を変えようと画面を指さしたところで表示が消えた。

「あれ?」

「……エネルギー切れだ」

「時間切れってこってすか。そもそもパワープラントの燃料はなんだったんです?」

「太陽光だの地熱だのを組み合わせていたと聞く」

「そんな物で賄えるんですか?だいたい、ここ、ほとんどの部分が地下にあるじゃないですか」

「冬眠時はな。戦闘になれば、上層が今のように浮上する。その際、戦闘その他に必要な莫大なエネルギーを賄っていたのが水素生成装置であり、それに光が必要だと聞いた」

「水素?それ、エネルギーになるんですか?」

「……」

質問攻めにされて、ゼンガーは眉根を寄せた。

「詳しいことは知らないんですね」

「ああ。理屈は分かるが、具体的な機構は俺には分からない」

ブラックボックスだらけだ、ここは。それゆえにコトセットの技術者魂がくすぐられるのだが。

「どっから手をつけて良いか分かりませんね、ほんと。これでしばらく使えないんですか?」

「ああ」

「勝手に再充填されるんですか?」

「するようだ」

「便利なもんですね」

「使いこなせなければその価値も半減する」

「解析しなけりゃなりませんね。是非とも」

「……」

ゼンガーが立ち上がったので、コトセットも部屋を出ることにした。

アイアン・ギアーのある格納庫に戻って、夜の準備をしなければなるまい。

アースクレイドルはそもそも地下施設がほとんどであり、電灯がつかなければ昼間から暗い。ゼンガーが住まい、いまアイアン・ギアーがある格納庫は浮上部なので、昼はなんとか外の明かりが入るのだが、夜ともなれば真っ暗である。

ゼンガーとコトセットがアイアン・ギアーまで戻ってみると、ジロンたちは〈探検〉からもう戻ってきていて、エルチの号令の下、食事の準備をしていた。

「バーベキューですかね、今日は」

「……」

「ゼンガーさーん!警報切ってほしいんだけど」

「切ってある」

格納庫で焚き火なぞするものだから、以前やったときは生きていたらしき火災報知器が鳴りだして、大騒ぎになったものだ。アースクレイドルはちぐはぐに機能していて、それが悩みの種でもある。

「でもよ、なんで外でやんないわけ?」

ブルメがもっともなことを言うと、

「面白いからだろ」

とラグが串刺しにした肉を振った。その影が格納庫の高い天井に大写しになってゆらゆらと揺れるのを見て、ダイクが大声で笑った。

「面白い、ねえ」

少々呆れた声を出しながら、ブルメはざくざくと野菜を切り続けた。

「野菜などよく手に入ったな」

「マリアにもらったんですよ」

食事が始まると、すぐに誰かが怒鳴った。

「なんかやれ、プロポピエフ!」

「はいはい、ただいま。――いいかい、ラブリーローズ」

「まかせとくれ、あんた。――あんたたち、気合いれてくよ!」

「はあい」

イチ、ニ、サン、ニイ、ニ、サンと踊り子たちが踊りだし、笑い声やら手拍子やらが格納庫に充満する。

しばらくぶりの喧噪の中で、ゼンガーは周りを眺めながらゆっくりと食べ物を口に運び、惜しむように咀嚼した。

「ねえ、ゼンガーさん、また部屋使っていい?」

横から話しかけてきたエルチの方を向く。

エルチが言っているのは、アースクレイドルの部屋のことだ。元は格納庫周りに配されたパイロットや整備員たちの仮眠室で、ゼンガーが今使っているのもその一つである。

使われることのなくなった部屋は廊下の両側に要らないほどあって、まったく手を入れていないため埃が溜まっているのだが、彼らはそこに泊まるのが気に入っているらしいのだ。

「別荘代わりなんでしょうよ」とはコトセットの言だが、そのコトセットはといえば、他の者がいないのをいいことに、ランドシップにあれこれ手を加えているらしい。

「構わん」

「ありがとう」

チルが何かを手にやってきた。

「ゼンガーさん、これ何?」

チルが持っているのは、手のひらほどの大きさをした金属板だった。

「ホログラフビューワーだ」

「ホログラフ?ビューワー?」

「ホログラフとは写真の一種だ。写した物を立体的に復元する」

「面白そう。でも、なんにも――」

言いながら裏を返したり表を返したりしているチルに言ってやった。

「開け」

言われて、横の隙間に爪を立てて無理矢理開けようとしているので、ゼンガーは手を差し出した。その手と金属板を見比べてからチルは意図を飲み込んで、ゼンガーの手の上に板を載せた。

渡されたホログラフビューワーは光沢を失い、年月の経過による劣化を免れてはいなかった。結局のところ、メイガスが維持管理していたのはアースクレイドルのシステムだけだ。このような私物など歯牙にもかけることはなく、朽ちるに任されていたのだろう。

ゼンガーはラッチをずらした。

「何にも見えないじゃん」

「電池がないか、もう壊れてるのだろう」

「なあんだあ」

チルがひどくがっかりしているところに、ひょいっとジロンが首を突っ込んできた。

「どうだったんだ、チル」

「電池がないんだって」

「電池って?」

「ビューワーなんだって」

「なんだ。おーい、コトセット!」

ジロンが大声を張り上げると、コトセットがえっちらおっちらやってきた。

「ビューワーってヤツの電池、たくさん買ってなかったっけ」

「あるが、何をするつもりだ?」

「これ、見たいんだよ」

「何だそりゃ?」

「そりゃ……何なんだ、チル」

「写真だって。写真だけどリッタイテキなんだって」

「へえ。面白そうじゃない」

今度はエルチがやってきた。

「コトセット、電池、出しなさい」

「へいへい……」

言いながら、コトセットがアイアン・ギアーに戻っていく。好き勝手に騒いでいた者が皆、ゼンガーの周りに集まってきた。

「写真って言えばさ、撮っときゃよかったよな」

「何を?」

「鉄也とか甲児とか」

「んな暇無かったろうが」

ブルメがつっこむと、ジロンは膨れっ面になった。

「そりゃ、そうだけどさ……」

「写真ならあるかもしれんな」

「え、ゼンガーさん、それ本当?」

「人型機動兵器の開発史の中には必ず出てくる名前だ。アースクレイドルの資料が復活できれば写真ぐらいあるかもしれん」

「へえ、あいつら、有名だったわけね」

「元気かな、あいつら」

妙な言いぐさだ、とゼンガーは思った。彼らはもう遙か以前に寿命を全うしているはずなのだ。

「またケンカしてるかな」

「かもな。でも、もうあんな兄弟喧嘩はしないよ、きっと」

「兄弟?あの二人は兄弟だったのか」

問いかけたゼンガーにジロンが笑った。

「兄弟みたいなもんだよ、ありゃ。すごかったんだ、命懸けで喧嘩してさ」

「はた迷惑だぜ、あいつら」

「全く。けど、ジロン、お前、人のこと言えるか?」

「本当にね」

ジロンがやりこめられて情けない顔をし、他の皆がゲラゲラと笑い出したところにコトセットが帰ってきた。

「ったく、人が取りに行って戻ってみれば……お前ら、明日はこき使ってやるからな」

ゼンガーが渡された電池を入れるのを、皆が今か今かと待っている。

ひっくり返して改めてビューワーを開けると、

「あ、なんか出てきた」

チルが起動の表示を見て嬉しそうに言った。

そして――浮かび上がったホログラフを見て、ゼンガーは息を詰めた。

「わあ、ゼンガーさんだね、これ」

「……」

正装時に着る儀礼用の制服の自分。

そばに置かれた椅子に腰掛ける女性。

「この人は?」

「……」

「メイガスよ。そうでしょ?」

「……」

「ゼンガーさん?」

我に返ってゼンガーがエルチを見ると、エルチはもう一度繰り返した。

「メイガス、でしょ?覚えてるわ」

「違う」

「え?」

「ソフィア……ネート博士だ」

エルチはもう一度ホログラフを見直した。

硬い表情で背筋を伸ばして立っているゼンガーと、控えめに微笑を浮かべる緑の髪の女性。言われてみれば、印象が違う。メイガスはもっと冷たい感じだった。

「これは……どこで?」

「地下の降りて行ったとこに部屋がならんでて、その中にわりときれいにしてある部屋があって……その……ごめんね、ゼンガーさん」

小さく謝ったチルにゼンガーは首を振った。

「謝らずともよい」

「だって……」

「気にするな」

ゼンガーはもう一度写真を見た。

自分はこのような物を持っていなかったのだから、おそらく、ネート博士の私物だったのだろう。なぜとっておいたのか分からないが。

いつ撮ったのか思い出せないことに長い時間の隔たりを感じた。

「優しそうな人だね」

ジロンが言った。

「ああ。彼女は優しかった……」

ゼンガーはホログラフを見つめたまま呟いた。

食事の後始末も終わり、皆が皆好き勝手に「自分の部屋」を決めて引き取りだすと、喧噪は遠のいていった。

ゼンガーも自室に戻ろうと立ち上がった。チルが残して行ったホログラフビューワーを手にとって、どうしたものかと考えていると、足音が近づいてきた。

ジロンである。

「なあ、ゼンガーさん。俺たちと一緒に来ないか」

開口一番、ジロンはそう言った。

「前にも言ったけど、あんたならいいブレーカーになれるよ」

ゼンガーはジロンの目を見ながらゆっくりと首を振った。

「いや、ありがたい話だが、俺はここに留まる」

「なんでだよ。一人でいたっていいことないじゃないか」

「……」

「例えば……例えば、階段から落ちて怪我して動けなくなってても、一人じゃどうしようもないじゃないか」

「落ちないようにしよう」

「そうじゃなくて!」

とうとうジロンが叫んだ。

「だって、これじゃ墓守じゃないか!」

歯に衣着せぬ物言いは嫌いではない。

ゼンガーが見つめる前でジロンが主張するように両手を振るった。

「あんた、今、いくつなのさ!」

「分からん」

「ああ、もう!正確な年齢なんてどうだっていいんだ!あんた、せいぜい三〇か四〇だろ!なんでこんなところに引っ込んでなきゃならないのさ!」

「……」

「俺たちを殺そうとしたからなんてのはなし。ラグだって言っただろ。俺たちそんなこと、気にしちゃいないんだから!」

「……」

「俺だって、あんたがただ一人なんだったら、こんなこと言わないよ!一人でこんな所にいるから、こんなに冷え切った場所にいるから言うんだ!」

息をついたジロンに対してはっきりともう一度ゼンガーは首を振った。

「ゼンガーさん!――こんなことなら、あの時、ここまで送ったあの時、縛ってでも引きずってでも連れて行くんだった!」

「それは、無理だ」

「くそ!」

しばし睨んでいたジロンだったが、急にクルリと背を向けた。

肩を怒らせながら去って行くその背中をしばらく見ていたゼンガーは、やがてその場を離れて行った。

アイアン・ギアーはそれから一週間滞在した。

コトセットが宣言通り皆を「こき使って」通路の非常灯と主要な場所の明かりを修復していった。

作業中に「ジロン、あんた、ちゃんと言ったの?」とか「ごめん、断られた」とかいう会話が耳に入ってきてはいたが、ゼンガーは何も言わなかった。

そして、アイアン・ギアーは来た時と同じく騒々しく出て行った。

別れに際して、彼らが何か言いたそうにしていたことも分かってはいたが、敢えて気づかぬふりをした。

物見から去って行くアイアン・ギアーを見送る。

その姿が見えなくなると、ゼンガーに緩慢な日常が戻ってきた。

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