第七章

Ein Rätsel ist Reinentsprungenes.

Aus "Der Rhin" Friedrich Hölderlin,

謎とは純粋に湧き出る物だ。

フリードリヒ・ヘルダーリン『ライン河』より

ブリーフィングルームにはまだ誰も来ていなかった。

ゼンガーは窓側の席を陣取り、外を見た。外は晴れている。基地で立ち働く人々があちらにもこちらにも見える。

彼はこの頃、この世界のこの様子をよく眺めている。

こちらでも大きな戦乱があったという。それを乗り越えて、復興しつつある活気あふれるこの世界。

「よ、親分!」

聞き覚えのない呼称に振り返ると、そこには東洋系の少年が立っていた。人懐っこい印象を与える少年である。どこかで見たような気もする。何より、声に聞き覚えがある。

少年はやけに親しげに話しかけながら、向かいの席に座った。

「久しぶりだなあ。親分も呼ばれたクチかい?」

どうやら、勘違いしているらしい。口を開きかけたところに二人目が入ってきた。そちらも東洋系だったが、どちらかといえば鋭い印象の青年だった。

「先に来ていたのか、甲児君」

「鉄也さんも呼ばれてたのか。誰が来るか聞いてるかい?」

「いや」

「そっか。隼人の奴、『会ったら絶対に驚く』って言うだけで、誰だかはもったいつけて教えねえんだぜ」

「あいつらしいがな」

ということは、この二人が兜甲児と剣鉄也か。

「ところで、テスラ研の生活はどうだ。勉強は進んでいるのか」

「バッチリだって。やっぱあそこを留学先に選んでよかったよ。なんたって最先端の研究所だからさ、一流の研究者ばっかだろ?議論も白熱してて活気があっていいよ」

対照的な二人だったが、どことなく似た部分もある。

「なるほど」

「え?」

不思議そうな顔をして甲児がゼンガーを振り返った。

「いや。ジロンたちの言ったとおりだと思ってな」

「あいつら、何て?」

「お前たちは兄弟みたいなものだと。喧嘩していないかと心配もしていた」

「余計なお世話だぜ。でも、ジロンかあ……懐かしいなあ」

「甲児君!」

ニコニコと笑っている甲児の横で鉄也が血相を変えた。

「え、何?なんだってんだい?」

「分からないのか!」

鉄也が愕然としてゼンガーを見ているのにつられて、甲児もこちらを見る。と、突然、

「ああああ!!」

椅子を後ろに倒すほどの勢いで立ち上がり、甲児はゼンガーを指さした。

「まさか、あんた……あんた……」

「よーお、何騒いでんだ?」

また扉が開いて、揃った制服の男女が五人入ってきた。

「甲児、マジンガーはもう搬送してもらったのか?」

「せっかく帰省しようって時だったのに、残念だったな、甲児」

制服を見る限りでは軍の関係者のようではあるが、まだまだ年若い。幼さの残る少女も混じっている。この集団の中の金髪の青年に目を留めて、ゼンガーは眉根を寄せた。

どこかで見たような気もするが……

「お久しぶりです、ゼンガー少佐」

――そうか、エルザムの弟だ。

それまで、口をパクパクさせていた甲児がやっとのことで声を絞り出した。

「ライ、久しぶりじゃねえんだよ……いや、もしかしたら、お前の兄さんって親分の前からの友達だから、お前も面識あんのかもしれねえけどよ……久しぶりなんて話じゃ……ねえんだ……」

ライは眉根を寄せた。

「言いたいことがわからん」

「あー、俺も今度ばかりはライに賛成」

そこへ女性が二人さんざめき、笑いながら入ってきた。そのうち緩やかなウェーブのかかった髪の持ち主が笑いを納めて挨拶してきた。

「ゼンガー少佐、お久しぶりです。アヤたちも元気そうね」

「久しぶりね、ジュン」

「そこでさやかさんと一緒になって。テスラ研での様子をちょっと聞いてたの」

「何笑ってたの?」

「フフ、秘密。……ねえ、甲児君、さっきから何やってるの?」

そこでさやかと呼ばれた長く黒い直ぐ髪の少女は腕を伸ばしてゼンガーを指さしたままの状態で固まっている甲児に目を向けた。

「いや、だって……」

「俺もそれ聞きたかったんだ。さっきから何興奮してるんだよ」

ちょうどそのときまた扉の開くエア音が鳴った。リュウセイは、入り口を塞いでいることに気づき、

「あ、すんません、ゼンガー少……佐ぁ!?」

弾かれたように飛びのいて、見事なぐらいに派手に机を引っ繰り返した。

と、同時に、ほとんどその場の全員が、入ってきた人物を指さして叫んだ。

「ああああああ!」

入ってきたゼンガーは黙って眉根を寄せ、甲児がほらな、と呟いた。

「やってるな」

戸口のゼンガーの後ろ、廊下にいた隼人がニヤリと笑いながら言うと、

「隼人!この野郎!」

竜馬は、食ってかかった甲児と隼人とを見比べた。

「言ってなかったのか、隼人?」

「その方が面白いと思ってな」

「リョウ!お前、リーダーだろ!何とかしろ、こいつ」

「俺たちばかり驚いてちゃ不公平だろう?」

「あー、それもそうか」

「弁慶君!」

ミチルに怒られて弁慶は頭をかいた。隼人の方は悠然と、

「まあ、座れ。机も直してな。あとはネート博士とブライトさんたちが来たら始まりだそうだ」

リュウセイが机を直し、それを竜馬が手伝っている。エルザムの弟が入ってきたエルザムに微妙な礼をしている。

「ゼンガー少佐」

呼ばれて扉の方を向くと、そこには緑の髪を結い上げた女性がいた。ソフィアは滑るようにゼンガーの方に歩み寄り、

「良かった、もうずいぶん回復したのですね」

ほっとしたようなその笑顔に向かって、ゼンガーは黙礼した。

彼女は依然として「ネート博士」である。「その方が耳に快い」とはもう一人のゼンガーの言だが、ゼンガー自身もそう思う。

「おーい、ブライトさんとアムロさん、来たぞ」

ずいぶんと若い集団による会合だとゼンガーは思った。

みんな揃ってますと言われて、ブライトはメンバーを見回した。

まず、ゼンガー・ゾンボルト少佐が二人。そしてソフィア・ネート博士。彼らは言わば今回の事件の当事者なので外せない。

それから、流竜馬、神隼人、車弁慶の三人と早乙女ミチル。彼らは、最初に現れた敵機体がメカザウルスだったため、真っ先に出動を要請された。

それから兜甲児と弓さやか、剣鉄也と炎ジュン。彼らは後から現れた地底勢力の検討のために呼ばれている。ビルドベースから司馬宙らを呼ぶことも考えたのだが、極東地域が手薄になるため、今回は招聘を見送っている。

そして、SRXチーム。彼らは「時空転移がらみの事象については、テスラ・ライヒ研とSRXチームの協力があったほうがよい」というビアン・ゾルダーグ博士の助言により呼び寄せることにした。

そして、とブライトは当然のように座っている男に目を転じた。男は、ブライトと目が合うと、口元に品よく笑みを浮かべた。ゴーグル越しの目も穏やかに笑っている。

彼は呼んだ覚えがないのだが……

ブライトは素早く判断を秤に掛け、参加させておいた方が得であろうと決断を下した。

あとは……

「アムロ、お前が手配したという人物はまだなのか?」

アムロが答える前に、ちょうどドアが開いた。

「みんな、久しぶりだね」

「万丈さん!!」

「俺に声が似てる男、か……」

アムロは笑い、話しかけた。

「よかった。つかまえるのが大変だとベルトーチカが言っていたよ」

「ははは。今回はまともにビジネスやっていますから、さほどのことはなかったと思いますよ」

「ビジネス?」

さやかが小首をかしげると、

「探偵、なんてのをね。――おやおや」

終わりの台詞は、二人のゼンガーの方に視線を移したせいだったらしい。

「『おやおや』って、それだけなの、万丈」

「それだけと言われても……」

少し呆れたようなジュンに向かって、万丈は肩をすくめて見せた。

「もっと、こう、リアクションあってもいいんじゃない?わたしたち、大騒ぎしてたんだから」

特に甲児君なんかはね、とさやかが横を見ると、甲児が俺だけじゃない、と口を尖らせている。

「いや、驚いてるよ。ただ、アースクレイドルが増えたんだ。一つの可能性として、まあ、こんなこともあるかと思ったのさ」

「こんなことも、って……。呆れた」

「褒め言葉と取っておきますよ」

万丈は、自分の席を決め込んで、それで、と水を向けた。

「話の腰を折ったんじゃないかと思ってるんですがね、ブライト艦長」

「いや、ちょうどいいところだった。では改めて――皆、よく来てくれた」

「そりゃ、ブライトさんに呼ばれりゃすぐ来るさ」

ニッと笑った甲児を見て、ブライトは少し笑みを浮かべた。

やはりこの集団はいい。

だが、慌てて口元を引き締める。

いや、苦労も多い。

「さっき万丈も言ったが、アースクレイドルが出現したそうだな?地底勢力と共に」

鉄也の口調は堅い。無理もない。

「そうだ」

ブライトはパネルを操作した。地図が浮かび、赤い点が二つ光る。

「この点が我々が今いる基地。そしてここがアースクレイドルが現れた場所だ」

「これは元々アースクレイドルがあった場所では?」

「そのとおりだ、ヴィレッタ大尉。知ってのとおり、アースクレイドルは邪魔大王国の襲撃を受けて壊滅し、以降は再建されていない」

「そこに重なるようにして今回問題になっているアースクレイドルが突如現れた、というわけですね?」

「元々あったアースクレイドルはどうなったんですか?あ、私が言ってるのはその……アースクレイドルの残骸というか……」

ソフィアやゼンガーに気を遣ってアヤが口籠もる。気まずくなる前にアムロがすかさず答えた。

「無くなっている。入れ替わったのかもしれない」

「えっと……いったい何が起きてるんですか?」

リュウセイが困惑した口調で疑問を口にする。

「そこだ。今回のブリーフィングは主に情報の整理に費やそうと思っている。状況を知っている者も、一部しか知らない者もいるだろうから、現時点で知り得る限りを互いに共有することが目的だ」

「ブライト艦長、その前に訊いていいだろうか」

マイがゼンガーを指さした。

「なんでゼンガー少佐が二人になってるんだ?」

「一人はもとからいたゼンガー少佐。もう一人は未来から来たゼンガー少佐だ」

「未来?」

マイは少し首をかしげ、ゼンガーを交互に見た。

「そう歳が違うように見えないな」

「それは、冷凍睡眠(コールドスリープ)の状態にあったからだ。年齢の話をすると――」

ブライトが口籠もったので、ゼンガーが継いだ。

「俺自身にも分からん。おそらく、約一万才、誤差は数千才だ」

「……ずいぶん大ざっぱですね……」

「待ってください、ブライト艦長。ならば、そちらのゼンガー少佐はもしかして、リュウセイやヴィレッタ隊長が未来世界で出会い、イージス計画最終段階に我々と協働した……」

「そうなんだよ、ライ」

甲児の発言を受けて、ブライトは頷いた。

「この場にいるほとんどの者にとって、初めて出会ったゼンガー少佐は彼の方だ。機体越しだったがな。――今回の事件について整理するにあたって、実際の時系列から考えると前後するが、彼から話してもらった方が分かりやすいと思う」

「私からですか」

「お願いします」

「どこから」

「あの月での攻防を終え、未来に帰ってからです」

ゼンガーは頷いた。

「未来に戻ってから、俺はアースクレイドルで暮らしていた。ある日地震が起きた。おそらくそれは本当は地震ではなく、俺はその時にアースクレイドルごとこの時空に現れた。以上だ」

「……」

「……」

「……それだけ……ですか?」

多分、アヤの発言は皆が思っていたことだったろう。ゼンガーが頷くのを見て、ヴィレッタが苦笑しながら提案した。

「こちらから質問してもよろしいでしょうか」

「かまわん」

「では――未来に戻ってからあなたが再びこちらに来るまでどれだけ時間は経過していたのですか?」

「おそらく、一年弱だ。正確な日にちは数えていない」

「適当だな」

「必要がなかった」

「アースクレイドルには他に人はいなかったのですか?」

「俺一人だ」

「ずっと……一人だったのですか?……一年間」

その生活を思って、ソフィアの表情は自然と気遣わしげなものになった。

「いえ。アースクレイドルに戻るまで半年ほどかかりました」

「そんなに?」

マイはゾラと呼ばれるようになったあの世界のことを知らない。人類が外宇宙にまで出るこの世界しか知らないマイにとって、それは当然の疑問なのかもしれない。

「グルンガ――スレードゲルミルが正常に稼働していなかったため、アイアン・ギアーに付近まで送ってもらわねばならなかったのだ」

「あれはランドシップだからな」

鉄也が言うと、ゼンガーはごく僅かに首を振った。

「それもあるが、稼ぎも補給も必要だったため、真っすぐには向かえなかった。一番大きかったのは、見送りのためだ」

「見送りとは?」

「月に行くジャミル・ニートの見送りだ。それとディアナ女王――キエルと言ったか」

最終的に旗艦ソレイユに乗って指揮をしていたのはディアナで、でもディアナとキエルは一時入れ替わっていたこともあって……

考えるだに混乱してきて、弁慶は音を上げるように声を上げた。

「待った、待った。結局、月に行ったのはキエルさんの方?」

「そうだと聞く。女王ディアナとして。元の女王は大地に朽ちることを希望して、ロランと共に旅立ったそうだ」

大地に朽ちることを。

それを聞いたとき、理解できると思ったものだ。ゼンガーとディアナとの接点は短いものでしかなかったが。

「そうですか、ロラン君はディアナ様といっしょに……」

竜馬が呟いた。

「ジャミルの乗るローラ・ラン号を見送った後で――」

「ローラ・ラン?新造艦ですか?」

「いえ。ブライト艦長にはなじみの深い(ふね)です。元はアーガマですから」

「アーガマを……」

「月と地球との間に起きた戦争において主要な役割を果たした二人の少年の名前から取ったと聞きます」

「『ラン』はガロードだろうけど、ローラって?」

「……ロラン君だと思うよ、リュウセイ」言いにくそうに竜馬が言った。「女装した時にそう名乗ったそうだから」

「女装?」

甲児が笑うと、レーツェルが、

「趣味か……」

と呟いた。竜馬は困った顔になったが、その時のことは彼もよくは知らないので、弁護ができない。

「――それで、彼らの見送りの後に少佐はアースクレイドルに戻ったのですね?」

ブライトは話の軌道を修正した。

「はい。スレードゲルミルが正常に稼働していなかったので、アイアン・ギアーに送ってもらったことは先に言った通りです」

「分からんな。月での戦いが終わってゲートに入るまではそんなに損傷していなかったように見えたんだが。それに、スレードゲルミルには自己修復能力があったはずだろう?」

倒しても倒しても立ち上がってきた白を基調とした機体と、そしてこの男のことは鉄也の脳裏に深く印象づけられている。

「ああ。スレードゲルミルは未来に戻ってから徐々に機能が落ちていった」

「もしかして、アースクレイドルの方もですか?」

ジュンが訊くと、

「……おそらくは。俺がたどり着いた時、アースクレイドルは不在だった期間が半年とは思えないほどの朽ち方をしていた」

まるで、時が一気に流れたかのように。

「では、現在、アースクレイドルは稼働していないわけだな?」

確認した鉄也にゼンガーは頷いた。

「多少は生きている部分もあるが、概ねはそうだ」

「軍備の方は?」

声音に緊張を加えて、ブライトが尋ねた。ブライトにはそれを把握して報告する義務がある。それはゼンガーにも察しがついた。

「軍備こそが、全く稼働していません。私は技術者ではありませんので推測に過ぎない意見ですが、メイガスが機能を停止したことがマシンセルの機能停止に繋がったのではないかと思います」

「そして、兵装こそがマシンセルによる改変が最も甚だしかった部分、ということか」

足を組み、腕を組みながら鉄也が確認する。

「その通りだ」

「てっきりあなた達が壊したのかと思ってたわ」

「人聞きの悪いこと言うなよ、アヤ。俺たちが戦ったのは、アースクレイドルの外だったし、その後、中に入ったけど、戦闘をやったのは最深部だけなんだ」

「その侵入の際には戦闘はなかったのか?」

アヤの方を向いていたリュウセイが反対側から声を掛けられ、ライの方に向き直る。

「いや。中への手引きをやったのはゼンガー少佐だった。迷うこともなかったし、戦闘もなかった」

「アースクレイドルはもともと機動兵器の配置数が多くはない。途中で中途半端に仕掛けても仕方がない手合いならば、戦力を集結した方がいい。メイガスがそう判断したのだろう」

答えたのはこちらの世界のゼンガーの方だった。もう一人のゼンガーにも異論はないらしい。そのゼンガーに向かってソフィアが質問した。

「ゼンガー少佐、メイガスによる機動兵器及びアースクレイドルの改変はどの程度進んでいたのですか?」

「私には分かりません。私はアースクレイドルにいるそのほとんどを冷凍睡眠施設の中で過ごしていましたので。ただ、メイガスやマシンナリーチルドレンには、アースクレイドルすべてを改変してもまだ有り余るほどの時間が有ったことは確かです」

「……分かりました。すみません、ブライト艦長。話を続けてください」

「では、アースクレイドルに戻ってからのことを話していただけますか?」

「最初にやったことは――」

ゼンガーの言葉が少し途切れた。ソフィアは視線を感じたような気がして、ゼンガーの方を見た。だが、その時には何でもなかったように、武人は先を続けていた。

「――最初にやったことは、生きて行けるだけの環境を整えることだった」

「アースクレイドルの修復を?」

質問した友人をゼンガーは見た。あのゴーグル越しの視界は煩わしくはないのだろうか、とたわいもないことを考える。

「いや。まずは、水と食糧の確保だった。食料の方はすぐに保存食が見つかったため、問題はなかった」

「それ、何千年前の?」

「さほどには経っていなかった。推測だが、メイガスたちはそれらの補給を条件にあの世界を生きる者を使ったことがあるのではないだろうか」

「それは考えられるな。あいつらは自分たちでは動きたがらなかっただろうし、あんたじゃ細かい工作をしたい時には都合が悪かっただろうからな」

鉄也の言い様は無躾だったが、ゼンガーも(もっと)もだと思った。

「俺はいつ降るか分からぬ雨を集めるため、貯水槽めいたものを作った。アースクレイドルという雨露をしのぐ場所があるだけで、実態は野営とそう変わらなかった」

「ということは、アースクレイドルの修復は放棄していたようなものなのですか?」

「やりだしたばかり、というところだ。問題は山積していた。その一つがデータライブラリーだ」

「データセクションへのアクセスは死んでいましたね」

「そうです、ネート博士。興味をそそられたらしく、コトセット――アイアン・ギアーという陸上戦艦(ランドシップ)の技術者です――がいろいろと弄ってはいましたが、データを取り出すことには成功していません」

「しかし、コトセットが水の生成装置を直したと聞きましたが」

アムロが尋ねる。そもそも、ラー・カイラムに入った通信でコトセットの名を聞き、ゼンガーのことに気が付いたのはアムロである。

「整備士たちのビューワーに残っていたデータをかき集め、それを元にコトセットがムーンレイスのところで解析やモジュールの作成を行ったのだ」

「ジロンたち、元気だったかい?」

甲児が訊くと、

「ああ、変わらん」

「他には誰か来なかったんですか?キエルさん――今のディアナ女王は?」

尋ねた竜馬にゼンガーは首を振った。

「無理だろう。復興は始まったばかりであり、それは技術力に勝るムーンレイス主導で行われる。それを快く思わぬ思わぬ者もいる。もし、アーサー・ランクが生きていればまだ彼女の負担も軽かったかもしれぬが」

「そっか……」

さやかはキエルが背負った重責を思って、少し声を落とした。

ゼンガーは、改まった面持ちになり、ブライトの方に向き直った。

「お話ししておかねばならないことがあります」

「何でしょうか」

「アースクレイドルがこちらに来る何ヶ月か前のことでしたが、ローラ・ランが来たことがあります」

「ジャミル艦長が?」

「そうです」

「彼が何か?」

「アウルゲルミルを置いていきました。保管するよう頼まれたのです」

「何ですって?!では、今、アースクレイドルにはアウルゲルミルが存在するのですか?」

「その通りです。正確に言えば、その(コア)ですが」

「ということは、アストラナガンか!」

ブライトは乗りだした身を背もたれにもたれかけさせて、わずかに首を振った。

「厄介なことになったな……」

「アウルゲルミルっていったい何なんですか?」

「そういえば、ミチルさんは知らなかったわね。メイガスが搭乗した機体で、ゲートを開く力を持つのよ」

ジュンが説明すると、

「ゲートって、あの?」

「俺やマイやイルイが使ってみせたヤツじゃなくて、また別のシステムだと思う。メイガスはそれを使って、時間移動を行ったんだ」

「待って。なら、そのゲートの使用には念動力を必要としないってこと?!」

「え?――そういや……言われてみれば……」

会話を聞いていたブライトは、厄介なことになったな、ともう一度呟いた。

「その機体が今回の事件の一つの要素だろうな」

鉄也はその巨体を思い出していた。あれもやっかいな相手だった。

「ネート博士、あなたはその機体をごらんになりましたか?」

アムロに訊かれて、ソフィアが記憶を辿る素振りを見せたので、ゼンガーは助け船を出した。

「お解りになったかどうか分かりませんが、一度御覧になっています。格納庫にいらした折に。格納庫にいらしたのは覚えておいでですか」

「ええ」

「スレードゲルミルはお解りだと思います」

「ええ、あなたの機体ですね。一番外に近いところにあって――」

「壁際に何体か並んでいた機体がベルゲルミル。そして、格納庫のほぼ中央にあった物がアウルゲルミルです」

「中央?でも、中央にあったのは何かの残骸でしか――もしかして、それが?」

「はい」

「では、ネート博士、あなたにはアウルゲルミルは残骸にしか見えなかったわけですね」

「ええ」

ブライトは今度はため息をついて頭を振った。

「それで、友よ。整理すると、お前は世捨て人じみた生活をしていた――」

「世捨て人?」

「そんなようなものだろう。――アースクレイドルは、ほぼ機能を停止していた。お前を訪ねてくる者も時にはおり、お前はアウルゲルミルと呼ばれる時間跳躍システムを持つ機体の保管を頼まれた」

「機体の残骸だ」

「――残骸の保管を頼まれた。そして、ある日地震が起きたらここにいた。そういうことか」

「その通りだ。――今度はこちらから訊きたい。この事象は、この時空ではどのように発現したのだ」

「こちらでも分かっていることは多くはありません。この時空に存在したアースクレイドルは――」

アムロが口籠もったのをゼンガーが引き継いだ。それを語る者は自分以外には有り得ないだろうと判断したのである。

「お前が入院していた時に少し話したとおりだ。この世界のアースクレイドルは、全員が眠りについている時に地底の勢力に急襲を加えられた。中枢に直接攻撃を受け、アースクレイドルは完全に崩壊した。生き残ったのは、俺とネート博士だけだった」

「この時空のアースクレイドルは無くなっていたのだな?」

「その通りだ。ところが、その場所に、お前のアースクレイドルが突如として現れた。直ちに調査団が結成された。総責任者はネート博士だ。俺ももちろん、招集された」

「私は、最初、軽く上空から様子を見るつもりで調査機に乗ったのですが」

「調査機は故障を起こし、不時着した、というわけですね」

「ええ……」

「俺は、ダイゼンガーの準備が整い次第――」

「ダイゼンガー?」

「俺の機体だ。見ただろう。お前と対峙した機体だ」

「変な名だ」

「ええ?!」

思わず声を立ててしまったアヤは、二人のゼンガーの視線を受けて、ごまかすようにぎこちない笑みを浮かべた。声こそ立てなかったものの、その場の多くが気の毒そうにアヤを見た。当の本人(ゼンガー)たちは、周囲の微妙な反応を気にも留めず、

「Dynamic General Gardianの略だ」

「ならば仕方がないな」

今度は誰もアヤと同じ轍を踏まなかった……

「俺は調査団に合流する予定だった」

「ここで、手違いがあったのです。私がアースクレイドルに足を踏み入れたあの時最初に入れた通信を覚えていますか?」

「はい」

「研究班の副責任者を務めるサイデンステッカー博士に連絡したのですが、そのときに私が『ゼンガー・ゾンボルト少佐』と一緒にいると伝えてしまったため、サイデンステッカー博士は、勘違いしてしまったのです」

「救助の遅れは、連邦の方に意見の対立があったことも原因ではあります。そのことについては謝らなければなりません」

「ブライト大佐のせいではありません」

「それで、多少はデータ取りしたんですか?」

尋ねたミチルに向かってソフィアが頷いた。

「最初は、アースクレイドル周囲に電波妨害・空間の歪み等が観測されました。それから――」

「メカザウルスに襲われた?」

俺たちゃそれで呼ばれたんだし、と弁慶が言うと、

「正確に言うと、爬虫人類の襲撃を受け、それからメカザウルス含む複数の機体が現れました」

「恐竜帝国に襲われたってことですね?」

だが、確かめたつもりだったジュンの言葉をゼンガーは否定した。

「分からん」

「?」

「分からんと言うのは、それがロボット兵だった上に、倒したはずの機械人形の残骸が消え失せたからだ。俺は――幻覚を疑った。あるいは夢か」

ソフィアが気遣わしげな表情になったのに気づき、ゼンガーはわずかに頷いた。

「この時空では恐竜帝国は現存しているのか?」

「こちらでも倒しました。少なくとも帝王ゴールをはじめとした幹部は倒しました」

武蔵という犠牲のもとに。それは竜馬にとって未だ痛い記憶である。

「だから、メカザウルスが出たって知らせを聞いたときゃ驚いたんだ」

「ええ。お父様はすぐに私とリョウ君たちをアースクレイドルに派遣しました」

「私も正式に命令を受け、ラー・カイラムを向かわせた」

「俺もブライトから呼び出されてラー・カイラムに合流した」

「アムロ大尉は今は確かテストパイロットをなさっていましたね」

「ああ。サイデンステッカー博士から通信が入ったのは俺が着いた直後だったんだ」

「博士は、ネート博士の言った『ゼンガー少佐』がお前のことであって、俺ではないことに気がつき驚いていた。俺はサイデンステッカー博士に、ラー・カイラムに直接を連絡を取るよう言い、即座に出撃した」

「そして、我々は遭遇し――」

「そうだ。ブライトさん、ラー・カイラムはなぜスレードゲルミルを砲撃したんですか?」

竜馬たちはまだそれを聞いていない。

「ええ?!ブライトさんがゼンガーさんを撃墜したんですか?」

現場にいなかったさやかが驚いて声を上げる。

ブライトは難しい顔をした。

「実は、こちらの方も面倒な話になっている。私は砲手に砲撃を命じていない。従って、砲撃は命令違反ということになる。当然のことだが、すぐに砲手は捕まった」

「ジョゼフ・デュフール、ですね」

「その通りです」

「何者なんですか?」

「連邦軍の兵士。フランス系。弟がアースクレイドルに居たらしく、おそらくは崩壊の折りに死んでいる。それ以外の繋がりは一切不明。僕が聞いているのはそれぐらいなんですが?」

「その通りだよ、万丈」

「尋問は?」

「もう、無理だ。自殺した」

「何だって?」

「そりゃ……胡散臭い話ですね」

「ああ……」

なるほどね、と呟いたきりで、万丈は詳しいことを訊こうとはしなかった。ブライトとしても皆を前にして軍の内情を話したくはない。そのあたりを分かっているのはありがたかった。

「一通り話は終わった、かな?」

「現象として何が起きたかは分かったが、理由は分からんままだな」

「そうね。謎ばかり残ってる。なぜ、どうやって、アースクレイドルはここに現れたのか。そして、ゼンガー少佐はなぜ撃たれたのか。現れた地底勢力はこれにどう絡むのか」

「アースクレイドルについて言えば、狙われるだけの強大な力があるのは確かだな」

「時間を越える力のこと?」

「そうだ。しかも、さっきミチルさん自身が言ったとおり、特別な能力がいらない。誰にでも使える。それに、分からないか?こいつは単に時間を超えるという以上の物だ」

「どういう意味だ、隼人」

「あんたの」言いながら隼人はゼンガーを見た。「話によれば、あの場にいた……月で戦った未来の連中皆が元の世界に戻り、それからしばらく経って、あんたは再びここに来た」

「そうだ」

首肯してすぐにゼンガーは、そうか、と呟いた。

「気が付いたみてぇだな」

「もったいぶってないでちゃんと説明しろよ」

弁慶が焦れったそうに言うと、隼人は手元のパネルを弄ってディスプレイに直線を描いた。その上に四つの点を書く。

「これは時間の流れを表した線だと思ってくれ。左が過去。右が未来。この一番左の点、これをAとする。このAは、バルマー戦役の頃、次の点Bは俺たちがグランゾンに巻き込まれて未来に飛ばされた点、C点は俺たちが月に帰ってきた時点。最後にこのずっと離れたD点が俺たちが飛ばされた未来なわけだ。分かるか?」

「あ……」

「つまり、私たちはA点から普通に生活して――」

「普通って言えるかなあ」

「ちゃちゃ入れないでよ、甲児君!……普通に生活してB点の時点でグランゾンのせいでD点まで飛んだ。それから、D点でしばらく生活してアウルゲルミルが開いた時空の門……って言うのかしら、それを通って、C点に帰った」

「そうだ。そして、俺たちは重力波を防ぎ、未来は改変され、新たな時間が流れ出したってわけだ」

隼人は言いながら先に書いた線の下に平行に線を引っ張った。

「これが点Cプライムから始まる新たな時間直線。さて、ここで問題だ。そこにいるゼンガーさんはどこに帰ったんだ?」

「あ……あれ?」

「元の線だ。元の線のD点だ」

リュウセイとマイとが口々に声を上げる。

「そうだ。そもそも、普通ならあの未来は無くなってしまう」

「だが、世界は分かれていくという理論もあるだろう」

「平行世界の理論だな」

ライの発言を受けてレーツェルが言うと、ライはぎこちなく頷いて兄に同意した。

「平行世界、という考え方自体は昔からあったものです。それこそ、お話の世界なら遙か昔、中世の頃から。ただ、それが科学で語られることはごく最近までありませんでした」

「平行世界ってのは無いと思われていたという事ですか、ネート博士?」

「そうです。それは科学ではなく幻想として扱われる物だったのです」

「しかし、ネート博士。結局、平行世界は存在したのでしょう。例えば、そこに座っている我が友が証拠だ」

それと、隊長と……あの人も。

アヤはそっとヴィレッタを見てから膝の上の自分の拳に目を落とした。会話はアヤの心を素通りして続いて行く。

「平行世界に類する世界が実際に存在するのではないかという考えは、科学者たちの議論の俎上に載せられることは、長い間ありませんでした。ところが、ほんの数年前、バルマー戦役の前頃に、それを実践で証明してみせてしまった科学者がいます」

「誰です、それは」

「エドモン・バチルス博士。政府の技術顧問も勤めていらっしゃる方です」

「そうか……そうだった」

「知ってるんですか、万丈さん」

「知ってるも何も。僕らは、その〈実践〉を見ているよ」

「え?」

「ブライガーだよ。あの機体こそ、エドモン博士のシンクロン理論を実践した物。そして、シンクロン理論こそ、他の世界と質量を融通し合う理論だ」

「破嵐総帥、もし伝手(つて)があるのでしたら、エドモン博士の協力は得られないでしょうか」

「総帥などと堅苦しい呼び名をお使いにならなくてもいいですよ。それに財閥は解体しました。万丈でけっこうです、ネート博士」

緑の髪の美女に向かって軽く笑顔を見せたものの、万丈は頭をかいた。

「困ったな。アイザックも手を焼く偏屈者だそうだから」

「あの『かみそりアイザック』が?へー!」

「全然頭が上がらないらしい。……まあ、手は尽くしてみます」

「ブライト艦長、それと、もう一つ。私が引っかかりを覚えていることがあります」

「どのようなことでしょうか、ネート博士」

「たいしたことではないのかも知れませんが……」

「いえ、今は何でも情報がほしい」

「マシンセルのことです」

「マシンセル?」

「ええ……。ゼンガー少佐は先ほど、『メイガスが機能を停止したことがマシンセルの機能停止に繋がったのではないか』とおっしゃいましたが……」

「そうではない、と?」

「仕組みの上から考えれば。あれは、あくまでも自律型金属細胞。他の助けを必要としない物です」

「ならば、アースクレイドルの一連の機器群はなぜ急速に朽ちていったのですか?」

「何とも言えません。何故、急にそれらが機能しなくなったのかは調査してみない事には分かりません」

ソフィアは科学者らしく、慎重な口ぶりで言った。

「故障したんじゃ?」

「全て一度にですか?」

「それは……」

「謎は深まるばかり、か。とにかく、調査を開始しなければ話は始まらないわけですね」

「ええ」

「行動に入る前に質問があります、ブライト艦長」

「なんだ、ヴィレッタ大尉」

ヴィレッタはゼンガーを見た。

「今はまだ手段があるのかも分からない段階ですが……ゼンガー少佐。あなたは帰りたいのですか、あの未来に」

「むろん」

冴えた声音を出す女性に対して、ゼンガーは返答を躊躇しなかった。

「世にゼンガー・ゾンボルトは二人はいらぬ」

互いに見やっている様を見るに、それは少佐なりの分かりにくい諧謔であったらしい。性格からいって自虐ではないとは思う。ただ、いくらでも思いを隠し通すだろうという感はある。それがヴィレッタには気になったが、今のところは頷いた。

「ならば、その方向で手段を模索いたしましょう」

「あては?」

「俺達の出番ってとこさ、鉄也。XNディメンジョンが完成すれば平行世界にも行けるんだ。俺たちの目的はそれ、でしょ、隊長?」

「その通りよ、リュウセイ。今回の時空跳躍現象は私たちの役にも立つかも知れない」

「よし、やることは大きく分けて四つ。アースクレイドルの調査、地底勢力への警戒、スレードゲルミル砲撃の背景調査、それとゼンガー少佐の帰還手段の模索だ。不穏な動きがある。君たちもできれば、調査班の手助けをしてほしい」

「もちろん。そのために来たんだ」

甲児が人懐っこく話しかけた。

「また頼むよ、ゼンガーさん」

「……ああ」

「そういえば、こうやってしゃべったことはなかったよな。あんときゃ、それどころじゃなく、戦って、こっちにきてグランゾンをやっつけて、あんたはあっちに帰って」

「そうだったな」

「ゼンガー少佐が二人か。紛らわしいな。見分けはつくが」

マイが髪を指してみせたとおり、未来からやってきたゼンガーの頭髪は何の作用でか紫がかっていて、並んで立つと銀髪とは違うのが分かる。

「歳も同じぐらいのようだし」

「いや、先に言ったとおり――」

「そうじゃない。肉体的な年齢のことだ」

ゼンガーはゼンガーを振り返った。

「いつから?」

ゼンガーは質問を正確に把握した。

「起きてから約一年になる」

「ならば、俺の方が二、三上になるのではないかと思う」

「しかし、未来の世界に帰って一年だとさっき――」

「俺の世界のアースクレイドルでは、人と呼べるものが俺しかいなくなっていた。その俺も謂わば参式のパーツの一部にだった」

「パーツって……」

「その後はメイガスの要請があれば目覚め、戦い、必要がなくなればまた眠った」

「……」

「戦って眠って、戦って眠って、戦って眠った」

聞きながら、言葉を失った。

「合わせれば二年や三年にはなるだろう」

この男の言っていることは事実なのだろうが、その壮絶さというものを思うと空恐ろしくなる。プロジェクト・アークに参加した者は逃亡者と(そし)られたという。何が逃亡者だ、と思った。

話を変えようと甲児は無理矢理言った。

「あ、あのさ。呼び名の話なんだけど。こっちが親分だから――」

「そう言ってんの、お前だけだろ」

弁慶がすぐに話に乗ったのは、暗い話がイヤだったからに違いない。甲児は感謝しながら続けた。

「――そっちのゼンガーさんは大将ってことで」

「もう、甲児君たら」

「かまわん」

同時に二人のゼンガーがそう答えた。

「……で、では解散だ」

しばし固まっていたブライトが気を取り直して号令をかけると、とりあえずのブリーフィングは終了になり、各々マシンの搬入と、居室の準備に移動する。

ブライトは気が重かった。

結局のところ、ゼンガーには監視が付けられることになったのだ。

「マブロック准将は馬鹿ではないのだよ」

とは、基地を離れる前にナラカイ長官が言った言葉だ。

「彼とてゼンガー・ゾンボルトが二人いることなど百も承知だったんだ。そこを折れたのだ。君たちもそれぐらいは折れて欲しい。『拘束』とまでは言わない。それに、注意を払うことは必要だと私も思う」

「……」

「私は議会に報告に行かなければならない。軍だけが動いているわけではない、軍だけが(いたずら)に不安を口にしているわけではない。人々の理解を得ることは大事なことだ。説明責任は必要だ。そのためにも彼の動向は把握しておかねばならない」

「……了解しました」

専用機の待つ滑走路へと向かながら、もう一度ナラカイは言った。

「マブロック准将は馬鹿ではない。君は彼の下で働いたことはなかったな、ブライト君」

「はい」

「固い男だが悪い人間ではないんだ。うまくやってくれ」

「は」

出立前の慌ただしい時間を使ってわざわざ自分を呼び止めたということは、よっぽど自分は不満を顔に出してでもいたのだろうか?

「いかんな。毒されてきたかな」

呟いたブライトはラウンジへ向かう廊下を見た。あの後ろ姿はSRXチームとゼンガー少佐たちか。

――やはり……気が重いな。

深々とブライトは溜め息をついた。

ブライトの眺めるその集団がちょうどラウンジにたどりつくと、椅子に座っていた金髪の少女がそれと気づいて頭を上げた。現れた一団を認めると、少女は嬉しそうな顔になり、とっとっとと小走りにゼンガーの――こちらの、だ――元にやって来た。

「おはなし、終わったの?」

「ああ」

イルイを見ながら、ぽつりとマイが言った。

「……イルイなら――」

自分の名前を口にされ、イルイはマイの方を見て目をぱちくりさせた。

「――ゼンガー少佐を元の世界に……」

「マイ」

アヤにたしなめられて、

「ごめん」

マイは目を伏せた。

「いいえ。それはできません。彼はそうやって来たのではないのですから」

神託を下す巫女のような厳かな声に皆がはっとなった。

ゼンガーは少女を見下ろした。少女は今までと打って変わった大人びた表情で、すっとゼンガーを見つめている。

――この娘……は?

「イルイ、それはどういう意味なんだ?」

その瞳に立ち上った神性が霧散した。

少女はパチパチとまばたきすると、申し訳なさそうに、

「分からない……」

それから、ゼンガーを見上げて、ごめんなさい、と言った。

ゼンガーにはその少女こそが分からなかった。

ブリーフィングの後、議会事務局から呼び出しを受け、ずいぶん時間が経ってしまった。アースクレイドルが軍事基地視されているのは、しょうがないと分かってはいたが、ソフィアに複雑な思いを抱かせる。

通信室を出ると、ソフィアは小さく息をついた。高度な暗号通信が必要だったとも思えない。要は、文句を言われただけである。

日は暮れてしまっている。

今から帰ることは、部屋を出る前に官舎のゼンガーに連絡を入れておいた。通信を切ってから、与えられたばかりの仮住まいに「帰る」というのは変だと思った。

ちょっと肩をすくめ、官舎へ向かって歩き出した時、ふと思い直して角を右に曲がった。格納庫へ続く廊下である。

見張りを務めている兵士が敬礼を受ける。ソフィアは頷き、話しかけた。

「ゼンガー・ゾンボルト少佐は見かけませんでしたか?」

「ゼンガー少佐?」

「ええ。来ていなかったかしら」

「さきほどスレードゲルミルの所在をお尋ねでしたので第二区画だとお教えしました」

「そう……」

当たった。この世界のゼンガーは官舎でイルイと居るのだから、残るは一人だ。

スレードゲルミルが納められた格納庫は、しばらく部外者――この基地の所属外という意味だ――が出入りすることが必至だったため、見られても問題ない物を残して、他の物は撤去したという。もう何回か通っていたので、ソフィアが奥に進んでいくのを止められることはなかった。

敬礼を何度か受けて格納庫に着く。開放された入り口に立つと、すぐに探し人の姿が目に入った。長身の男は、いつも背をピンと伸ばしていて、それが更に背の高い印象を強めていた。

ソフィアが近づいていくコツコツという足音に気づいてゼンガーが振り向いた。

「私にはパイロットの気持ちは分からないのですけど」

前置き無しに話しかける。

「気になりますか、自分の機体は」

「……」

軍人は再び機体を見上げた。装甲は破損している。いや、装甲ではない。機体の根幹をなしていたマシンセルがすべて使い物になっていないのだ。

「スレードゲルミルは――グルンガストは共に時を越えた者です。感慨がないと言えば嘘になる」

「そうでしたね……」

ソフィアはスレードゲルミルを見上げた。全体的に見て白っぽい色をした機体。マシンセルによって変異したその機体は、今は武器を持っていない。ゼンガー自身しか振れぬ、かの斬艦刀も。

眠れる機体だ。

――眠ったままにしておくべきではないのだろうか。

機体を見上げていたソフィアはふと視線を感じて、横の男を見た。

「……」

「ゼンガー少佐?」

男は凝とソフィアを見つめ、ややあってから言った。

「ネート博士……マシンセルを復活させることは可能ですか?」

「あなたは……」

ソフィアは口籠もった。

言葉少ない男の(おもて)はいつも通り厳格な無表情である。

だからソフィアは自分が感じたことに自信が持てなかった。

だが、もしそれを言ってよければ。

武人は哀しげだった。

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