第九章

Das Firmament blaut ewig und die Erde
Wird lange fest stehen und aufblühn im Lenz.
Du aber, Mensch,
wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde!

Aus "Das Trinklied vom Jammer der Erde" Hans Bethge

蒼穹は永久(とこしえ)に青く、壌玄は
久遠に揺るぎもせず在り、陽春ともなれば花開く。
だが君、人よ、
お前はどれほど生きるというのだ?
この地の儚き瑣事悉皆
君 百歳(ももとせ)愉しむ能わぬのだ!

ハンス・ベートゲ『大地の嘆きに寄す酒宴の歌』より

今日も天気がよい。雲一つ無い。天気はこのところ、ずっとこの調子である。

ゼンガーは窓から離れ、端末の前に座った。キーを操作して、この世界に起きた出来事を調べた。一般的な情報でいい。彼が知りたかったのは、枝分かれした後の世界の大まかな動きだった。

彼の世界に現れた〈イレギュラー〉は元々が〈プリベンター〉という組織であり、それはこの世界に帰還してから〈αナンバーズ〉という呼ばれる部隊の中核になった。

大きな戦争があり今は戦後である、らしい。

戦闘のいくつかは一般に知れない外宇宙で起きたようだ。問えばアースクレイドルのために集った若者たちが喜んで教えてくれるのかもしれない。

そして、どうやって世界が復興の途に着いたのかも。

コツ、コツ。

思ったより記録を読むのに没頭していたらしい。小さく扉が叩かれたのを聞き逃しかけた。

コツ。コツ。

「開いている」

答えたが、入ってくる様子はない。

ゼンガーは用心しながら扉に近寄り、開けた。真正面に人はおらず、ゼンガーの目測よりも若干左下に金色の物が揺れた。

それは少女の金髪で、その少女はといえば、扉を開けるパネルに手を伸ばそうと背伸びをしているところだった。

少女は、突然開いた扉に驚いて目を丸くしていた。それから、背伸びをしていたかかとを下ろして、

「届かなかったの……」

といいわけするように口籠もった。

「そうか」

こういう場合、中に入れてやるべきなのだろうか。

「入るか」

「うん」

イルイは嬉しそうに中に入り込み、よけいな物のない殺風景な部屋を見回した。その様は、初めての場所に連れてこられて用心しいしい周りを窺う小動物を思わせた。

少女は荷物を持っている。布に包まれた長い棒状の物だ。

部屋は検め終わったらしい。少女はゼンガーを見上げ、持って来た物を差し出した。

「これは?」

「プレゼント。とどいたの、さっき。ゼンガーにきいたら、ゼンガーにって、言ってたから」

「俺に?」

ゼンガーはイルイの差し出す布に包まれた棒を手に取った。持ち上げた瞬間、それが何か分かった。

「……重かっただろう」

「ううん……。中を見なくてもなんだか分かるの?」

ゼンガーは布の口を縛る紐をほどいた。

柄頭。

布袋を下ろしていくと、柄巻を細身に巻いた長い柄。

無骨な薩摩拵。

布を取り払い、柄に手をかけ、鯉口を切り、垂直に持った打刀を三寸ばかり静かに引き上げる。

肉厚の嵩ね。やや幅広の刀身。それはいかにも堅牢な――

ゼンガーは鞘を抜き払った。

「同田貫……」

「どうたぬき?」

否。これは同田貫ではない。この刀はもっと実戦的な物だ。最新技術を使い、特殊鋼を素材として現代に甦った刀。覚えのある作風だった。

「打ってくださったのか……」

ゼンガーはそれを握り締めた。

「ゼンガーがたのんでたの。ゼンガーが病院にいたときに」

「……」

気まぐれな刀工に、刀を打つよう仕向けるのは骨が折れたはずだ。

ゼンガーは押し戴く仕種をしてから、静かに刀身を納めた。それから、整えられた下緒の結び目を解き、栗形から鐔の笄櫃に通した。

「ゼンガー?」

鞘と鐔とが固く結びつけられるのを見て、少女は目をパチパチと(しばた)かせた。

「どうして結んじゃうの?」

「刀は何をする物か分かるか」

質問を返されて、イルイは少し自信なさそうに、

「斬るもの……?」

「そうだ。何を斬る物かは分かるか」

「……ひと……?」

少女が答えるのを相当ためらったのをゼンガーはいいことだと思った。

「そうだ。刀は人を斬る物だ。人の命を奪う物だ。人の命を奪うことは悪いことだ。分かるな?」

「うん……」

「だから、刀は滅多なことで抜いてはならない」

「でも……ゼンガーはそんなことしなくても、大事な時しか抜かないでしょう?」

そう言って見上げる少女がいかにも不思議そうだった。この少女にはゼンガーが無体なことをするなど思いもよらないに違いない。今はアースクレイドルに出向いているあの〈自分〉とこの少女の間に何があったかは知らないが。

「……お前はゼンガーが好きなのだな」

言われた途端に少女はさあっと赤くなり、はにかみながら、うん、と頷いた。

少女の無条件の信頼はあのゼンガーに寄せられた物だ。

ゼンガーは手の中の、人を斬るための刃物を見た。

自分には敵が見えていない。その点、クレイドル内でソフィアを疑っていた時と状況は変わっていない。

いずれにせよ、信頼は態度で応える物だ。

竜馬はモニター越しに並んで座っている鉄也とジュンに呼びかけた。

「では、今のところアースクレイドル内部に動きはないんですね」

「ああ。基地にいる方のゼンガー少佐が爬虫人類と戦ったというところも調べてはみたんだが、確かに言っていた通りだった。少佐を追ってきた跡はある。乱闘も跡もある。だが、去っていった跡もなければ死体も残骸も無い」

「鉄也ったら、基盤を取りに行く途中で勝手に調べに行くんだもの。きっと、ばれたらゼンガー少佐、怒るわ」

「調べに行かないとは言ってない」

甲児はニヤッと笑った。

「それ、親分も似たようなことやってたよな」

竜馬も笑う。

「長野の時のことか?そうだったな」

「びっくりしたわ。来てくれたのは助かったけど、まさか山を崩すなんて」

溶岩を堰き止めるには仕方なかったんだけどね、とさやかがモニター越しに説明すると、ジュンがクスクスと笑った。

「よかったわね、鉄也。怒られずに済みそうじゃない」

鉄也は表情を変えないまま、

「ばれるも何も、それぐらい気づいているだろう。俺たちが同行したのはそのためだったし、それは最初から隠しちゃいない」

「ちげえねえ」

弁慶がニヤニヤ笑った。隼人もその横で薄笑いを浮かべ、

「ゼンガー少佐は未来から帰ってきてからの鉄也さんしか知らないからな。信用したんだろう」

「ちょっと、隼人君!」

ふん、と鼻を鳴らして、鉄也はモニターに向かって尋ねた。

「そっちはどうなんだ。外の哨戒をしているんだろう?」

「こっちも動きはないぜ。暇なぐらいだ」

「思ったよりも広い領域が入れ替わっていることが分かったぐらいです」

土が違っているのでそれを調べるのは簡単でした、とリョウ。

「どれぐらいの範囲だ?」

「場所によっては、アースクレイドル外周よりも一〇キロメートルは大きい」

「上から見下ろしたら偏った目玉焼きに見えるぜ」

弁慶が空中に手で形を描いてみせた。

「アースクレイドルが黄身か」

「そういうこった」

「ゲッター線は?」

「増加はありません」

「お父様も研究所で観測してるんですが、漸減傾向に変わりはないって」

「僕たちが真ゲッターを持ってこなかったのはそのせいもあるんです」

「動かないのか」

「ええ」

「だがリョウ。例え動いたとしてもお前は持ってこなかったんじゃないか?甲児君がカイザーを持ってこなかったのと同じ理由でな」

隼人が甲児を見やると、甲児は真剣な顔をして言葉を選びながら言った。

「よっぽどのことがない限りあいつらは眠っているべきなんだと思う」

隼人が肩をすくめる。その肩にそっと手を置くと、ミチルは話を変えた。

「今日はソフィアさんが調査班入りすることになっています。解析のための新しいシステムをここに搬入・構築するということでした。これで、解析がもっとスムーズになるんじゃないかしら」

鉄也は椅子に背をもたれかからせて足を組み直した。

「こいつは勘だが、今回の件は俺達が主役じゃないな」

「それは恐竜帝国やミケーネの連中が敵ではない、ということですか?」

「少なくとも中心には居ない」

「同感。やっぱりゼンガー少佐達が事の中心だと思うわ」

「敵は誰なんですか?」

「分からん。だが――」

急に鉄也が言葉を切って考え込みだしたので、甲児は思わず勢い込んで尋ねた。

「どうしたんですか、鉄也さん」

「――いや、すまん。何か引っかかりを覚えることを見聞きしたような気がするんだが……それが何だか分からない」

眉間に皺を寄せて考えている鉄也を、ジュンがちょんちょんと指さした。

「ここのところずっとこうなの。思い出すものがあるんならさっさと思い出せばいいのに」

「鉄也さん、ぼけるには早いんじゃないかい?」

ニヤニヤしている弁慶を鉄也は黙って睨みつけた。ニヤニヤ顔を崩さない弁慶の横から隼人が鉄也に話しかけてきた。

「で、どうするんだ、鉄也さん?降りるのかい、この件から?」

「いや」

鉄也が間髪入れず否定すると、甲児も勢い込んで、

「俺も降りる気はねえ。だいたい、お前だって降りる気なんかサラサラねえんだろうが、隼人」

「まあな」

「ゼンガー少佐は仲間です。放っておく気はないですよ」

さやかは皆を眺めて小さく笑った。血の気の多いお人よしたち。

「鉄也さん、今日は万丈さんがそっちに行くと言ってました。そろそろ着くんじゃないかと思うんですけど」

ジュンが外の様子を窺って、鉄也に言った。

「来たみたいだわ」

「また連絡する。そっちも何かあったら知らせてくれ」

「分かりました、鉄也さん」

「無茶しないでくれよ」

通信を切った後で、鉄也は腕組みをした。そんなに無茶な事をした覚えはない。少なくとも、あの面子に言われるようなことは。

後ろでジュンがまたクスクスと笑っていた。

アムロはマッハアタッカーから降りると、腰を伸ばした。

「大丈夫ですか、大尉」

「ああ、大丈夫だ。案外スピードが出るもんだな」

「ええ。負荷がひどいんであまりやらないんですが」

アムロはマッハアタッカーを振り返った。最大飛行速度マッハ二〇。そんな機体にはとても見えない。いつも思うが、特機の動力源はどうなっているのだろう。MSとは設計思想が全く違っていて、興味をそそる。もっとも、何もかも一緒くたに整備をやらされていたアストナージは始終ぼやいていたが。

「万丈!アムロさん!」

手を振りながら現れたジュンに、万丈が笑いかけた。ジュンの後ろには鉄也の姿も見える。四人は揃って歩き出した。

アムロは自分の横に長々と続いているキャタピラ付きの台のような物をコンコンと叩いた。

「これは何だい?」

ジュンが答える前に万丈がニッと笑った。

「特機用の輸送台じゃないかい?」

「フフ、さすがね」

「伊達にダイターンを運用してないな」

「輸送には苦労したからね」

「……そうか、大事を取って陸路を使ったんだったな」

特機乗りでないアムロにピンと来なかったのも無理もない。しかも、今どき陸路で長距離を移動するのは珍しい。

「グレートやビューナスもだが、一番面倒だったのはやはりダイゼンガーだ。今回搬入した人型機動兵器の中で一番でかいからな」

「調査隊のベースまではラー・カイラムだったから良かったんですけど。ランドシップがどんなにありがたい物だったかよく分かったわ」

「飛行しないのならば二足歩行するしかないからな。操作系もDMLだから確かに長距離を移動するのには向いてないな」

「そうなんです、大尉」

「アウセンザイターだったらまだこんな大がかりな仕掛けは要らなかったんだろうが」

「あれは陸路には向いているからな。それでも平地ばかりではないのだから、もし持ってくるとしたら面倒だったろう。――ところで、ゼンガー少佐はどこに?」

「今は下層のBブロックです。大変なんですよ、ゼンガー少佐」

「大変?」

「ありゃ(キー)代わりだな」

鉄也は肩をすくめた。

「システムを動かそうとすると何かとアクセス制限があってな。そのたびにあちこちで呼ばれている」

「そういえばアクセスの権限がゼンガー少佐にしかない、と言ってましたね」

「ええ。ゼンガー少佐のことだから、あっちに行ったりこっちに行ったりで音を上げるってことはないんだけど、ゼンガー少佐は一人なのに作業は同時進行でしょう?効率が悪いの」

「プロテクトを外すか、認証ダミーでも作らないと面倒だな」

「今、システム系の人員で弄っている。ネート博士も近いうちに調査隊ベースに入るはずだ。どうにかするだろう」

ねえ、と思い出したようにジュンが声を上げる。

「なんでソフィアさんにはアクセスできなかったのかしら」

「俺はむしろ当然だと思ったが」

「え?」

アムロは歩調を崩さず言葉を継いだ。

「アクセスの必要が無くなった者はユーザーから外しておく、これは基本だろう?例えば、異動になった者は元の職場でのアクセス権は抹消される。君たちの研究所もそうなってるんじゃないか?」

「ええ。それは分かるんですけど、ソフィアさんはアースクレイドルに最後まで――」

「違うよ。アースクレイドルに最後までいたのはネート博士じゃない。メイガスだ」

「あ……」

「姿形こそ同じだが、メイガスは決してソフィア・ネート博士ではないんだ。メイガスは人でさえない。そもそもメイガス自体はここのOSであり、いわばシステムの管理者(ルート)だ。普通の意味での生体認証のような物すら必要なく、自由にシステムを操れた可能性がある」

「なるほど、ね」万丈は呟いた。「いわゆるアクセスに関する設定が為されていたのはゼンガー少佐と三人のマシンナリーチルドレンだけ、というわけ――」

見覚えのある深紅のコートを認めて万丈は口をつぐんだ。

気配を感じたのだろう、ゼンガーは兵士の隣でパネルをいじっていた姿勢から腰を伸ばし、振り返った。

「ゼンガー少佐、お邪魔しますよ。ちょっと話を聞いておきたくてね」

「俺にか」

「ええ」

「ここでいいか」

「ちょっとした密談なんですがね」

万丈が戯けたように言うと、ゼンガーは察して頷き、作業中の部下に命じた。

「続けてくれ。俺はしばらく外す。認証が必要になった場合はこの作業は中止し、イージー博士の方を手伝え。博士の所在は分かるな?」

はい、と部屋の端で作業をしていた兵士が答えるのを確認すると、ゼンガーは皆を促し部屋を出た。

「作業は進んでいますか」

「捗ってはいない。システムの復旧を図っているのだが、今のシステムとは中身が違うらしい」

「でも、インターフェイスは一緒みたいでしたけど?」

「一皮剥くとハードウェアを構成する素材すら違うそうだ」

「……変だな」

「変?」

アムロの呟きを鉄也は聞き逃さなかった。

「ああ。そのインターフェイスは誰のためだったのだろう」

「誰って、それは人が動かすんだもの、そんなに大きく変えたりは――」

ジュンが思い当たって口をつぐんだのを、鉄也が引き取った。

「そうだ、ジュン。ここに人は一人しかいなかった」

鉄也はゼンガーを気にしなかった。今更この話は避けて通れない。ならば躊躇(とまど)ったり(はばか)ったりは時間の無駄だ。

「〈俺〉のためだったというのか。だが、あの男に行動の自由はなかったのではないのか」

「だからこそ変なんだ」

「なに、あの少年達――マシンナリーチルドレンだっていたんですから」

「……そうだな」

それ以上異を唱えず、アムロは万丈に同意した。自分が物事を複雑に考えすぎきらいがあることはアムロも自覚している。

「ゼンガー少佐、調査隊の博士の方は何をしてるんです?確かサイデンステッカー博士でしたね」

「アースクレイドルの構造調査をしている」

「構造調査?」

「現状の、だ。強度の基礎調査を終え次第、工事要員を入れるらしい」

「直すんですか?」

「多少。ここはボロ屋敷と変わらん。大人数が通れば穴が空く。話にならん」

ゼンガーの口調は真面目一辺倒で、笑っていいのかどうか万丈には分からなかった。

そのゼンガーがとある部屋の前で立ち止まった。

「ここは?」

「簡易の指揮室の一つだ。聞かれたくない話がある時にはうってつけだろう」

万丈は頭に手をやった。

「大仰にやるつもりはなかったんですが、僕とアムロ大尉はスレードゲルミル砲撃の調査を仰せつかってるんです。ということは、どうしても二人のゼンガー少佐の話になってしまうもんでね」

「そうなると、なし崩し的に未来の話になる。事情を知らない者の前ではしたくなかったんだ」

ゼンガーは頷いて、部屋の中央にあるテーブル――本来は戦況を映すパネルディスプレイだが、今は動いていない――の前にかけるよう皆を促した。

万丈がコンコンとそのディスプレイを叩いた。

「見る影もないってとこかな。修復は大がかりな物になりそうですね」

「ああ。調査班員や兵士では間に合わず、民間の建設会社を入れるらしい」

「気に入らないようだな、少佐」

鉄也が言うと、ゼンガーは頷いた。

「工事を請け負うことを熱心に言ってきた会社があるらしい」

「疑ってるんですか?」

「……」

「何か企みがあるとでも?」

「でも、何の?」

「分からん。何らかの企みがあった場合もそうだが、俺は企みがなかった場合も懸念している」

「なぜですか?」

「ここは危険な場所だ。そんな場所に民間人を入れていいわけがない」

万丈はニヤッと笑って、鉄也とジュンとを眺め見た。ゼンガーの中では彼ら三人は民間人ではないらしい。まあ、危険など今更のことである。

「で、その殊勝な会社は何て名前なんです?」

「ヴィントソー」

「ヴィントソー建設?そりゃ、確か……」

「知ってるの、万丈?」

「もしかして波嵐財閥の?」

「いや、系列会社じゃないですよ。そこの会社の会長と社長にパーティで会ったことがあるんです。新興のと言えば新興の会社だけど、大きくなったのが最近ってだけで、昔っからの建設会社です」

「どんなヤツだったんだ?」

「僕は悪い印象は持っていませんね。会長は飾らない人で、そのパーティでも『根っからの土建屋ですよ』って言っていました」

「土建屋、か……」

「そう。別に卑下した意味ではなくて職人的な誇りだろうな、あれは。社長は会長の息子なんですが、親に似て堅実そうでした」

「受け入れるんですか、その建設会社を」

「訊いていないか、アムロ大尉。俺はブライト艦長からそれを言い渡された。ブライト艦長はマブロック基地司令から」

「マブロック准将の……」

「そういうことだ。マブロック准将はアースクレイドル調査を急ぎたいのだろう」

「ナラカイ長官はこのことを?」

「了承はしているとのことだった」

「解せませんね。もっとも、長官はどちらかというと何でも受け入れる性格のようでしたが」

それで万丈、とゼンガーは話を変えた。

「俺に訊きたいこととは?」

「ええ、基地にいるゼンガー少佐を砲撃した人物のことです」

「それならば、前にもブライト艦長に訊かれたが」

ゼンガーは、聞き取りの際に一緒にいたはずのアムロを見た。

「正確に言うと撃った人物の弟のことなんです」

「アースクレイドルにいたのだったな」

「ええ。照会結果が来て名前が分かったんですよ。それで、聞き覚えがないかと思って」

「名は?」

「カーブル。エミリアン・カーブル」

「待て、万丈。砲手はジョゼフ・デュフールじゃなかったか」

横から口を出した鉄也に向かって、うん、と万丈は頷いた。

「両親が別姓だったんだ。ゼンガー少佐のとこみたいにね」

「そういえば、ソフィアさんは今も『ネート博士』でしたね」

「それと同じことさ。兄弟は長じてからそれぞれ別の姓を選んだわけだ。両親は戦災で亡くなっており、弟のエミリアンがアースクレイドルに志願した頃には兄弟は疎遠になっていたらしい。連絡を取り合っていたという話はない。――少佐?どうかしたんですか?」

「……ヌビアだ」

「え?」

「DCにおけるアーク計画の経緯をお前たちがどの程度知っているのかは知らんが――」

「ムーンクレイドルを優先させたため、アースクレイドルの建設は凍結されたことは知っています」

「それは、事実上アースクレイドル建設の放棄だった。だが、ネート博士はそれをよしとせず、計画を独自に続けることにした。DCが手を引くということは、資金の供給源が無くなるということだ。まずはそれを解決せねばならなかった」

「そこに出てくるのがヌビア・コネクションですね?」

「ああ。その様子だと、それは知っているようだな」

足を組んで話を聞いていた鉄也がやや首を動かした。

「知っていたというより今の話で確認した、だな。話自体は未来世界で会ったカーメン・カーメンが口にしていた。だが、俺たちにはそれが正しいかどうか判断しようがなかった」

「正しい。奴は資金を供給する対価として、奴を信じる者をクレイドルに受け入れるよう要求した」

「その要求を呑んだ?」

「一部。クレイドルに入る者は皆何らかの役割を担わなければならない。従って、受け入れ可能だったのは、それなりの技能を持つ者だけだった」

揺り籠(クレイドル)の名と裏腹に、安寧の施設ではなかったというわけですね」

「……」

それをソフィアが悲しんでいたことをゼンガーは知っている。無骨な彼にはそれに対して己の武しか提供できなかった。

「エミリアン・カーブルはその時に送り込まれたヌビア・コネクションの者だったと?」

「そうだ」

「どんな人物でしたか?」

「……詳しくは知らん。クレイドル参加者全員の為人(ひととなり)を知っているわけではない。それどころか、全員を覚えているわけではないのだ……」

自分はアースクレイドルの生き残りである。だが、自分がどんな人間の命の上に立っているのか、分かっていない。

アムロと万丈は沈黙したゼンガーを見て、目配せし合った。

「……しかし、ヌビア絡みと確認できただけでも充分です、少佐」

「そうか。だが、こんな情報は基地の方にいる〈俺〉も知っていることだろう」

それを聞いて万丈が微妙な表情を浮かべた。

「実はマブロック司令が向こうのゼンガー少佐に接触するのを快く思っていないのです」

「マブロック司令はゼンガー少佐を――甲児君いうところの〈大将〉の方よ――敵だとでも思っているの?」

ジュンが小首を傾げると、アムロが、いや、と首を振った。

「それもあるんだろうが、マブロック司令は自分が選任した調査官が居るのに、ブライトが俺と万丈を動かしているのが気に入らないのさ」

「まあ、ブライト艦長の立場をあんまり悪くしたくないんでね。いざって時には全部かぶってしまう立場だから」

「可哀相なブライト艦長」

ジュンのコメントを聞いて、アムロはわずかに微笑を浮かべた。

「他に用はあるか」

「おっと、そうだった。僕はいいんですが、アムロ大尉は――」

「アースクレイドルに残されていた機動兵器の状態を見たい」

「ベルゲルミルとアウルゲルミル・コアか。どれもボロボロだ。俺が案内しよう」

いいな、と確認を取るように鉄也がゼンガーを見たので、ゼンガーは頷いた。

「私も行くわ」

歩き出した二人にジュンも加わる。

「格納庫は開いているのか?」

「最初にゼンガー少佐が一通り扉を開けて、そのまま開けっ放しにしてある」

話声が遠ざかっていく。

二人になると、万丈は珍しくやや沈んだ調子で話し出した。

「ゼンガー少佐、僕は後悔していることがあります」

「後悔?」

「ええ。僕たちが未来から帰った時、ギャリソンに尋ねられたのです。この時代のアースクレイドルに眠っている人々をどうするか、と」

そこで万丈は目を閉じ、首を振った。

「僕は何もしないと答えました。衝撃波の阻止に成功し、未来が変わったのなら、あなたたちはアンセスターにはならないかも知れない、と。アースクレイドルに眠る人々は本来人類の未来を信じている人々なのだから、その眠りを妨げるなんて……僕は……嫌だった」

溜め息をつき、

「けれど、もし、その時、僕らがあなたがたを起こしていたとしたら――」

「起こしていたら、やはり後悔していただろう。起こさなければ我らが使命を全うできたのではないかと」

ゼンガーは万丈を遮った。

「気に病む必要はあるまい。あんなことが起きることを予見する方が無理なのだ」

そして、真っ直ぐに万丈を見ると、明瞭な発音で言った。

「むしろ、その時に持ったその心遣いに感謝する」

ビッと短く機械音がした。

急に鳴ったその音が何なのか万丈には初め分からなかったのだが、ゼンガーがコンソールの方に歩み寄ったので気がついた。

内部通信(インターコム)は機能しているのですか?」

「完全ではないがな――ゼンガーだ」

〈ゼンガー少佐、哨戒部隊が外で妙な物を見つけました〉

「場所は?」

〈ここから 一〇キロメートル西です。アースクレイドル出現に巻き込まれた物と思われ、ほとんどの部分が埋まっていました〉

「出現範囲の端にあったのだな?」

〈ええ、ギリギリでした。土の入れ替わり範囲から見て、もう一メートル外だったらここには現れていないでしょう。ここに出現したのは偶然なのではないかと推測されるので、重要な物とも思われませんが、一応、連絡をと思いまして〉

「イージー博士は何と言っている」

〈イージー……?ああ、サイデンステッカー博士ですね。危険がない物ならば、時空変動の影響を調査する対象物に加えたいそうです〉

「映像は送れるか」

〈映っていませんか?さっきから送信はしています〉

やにわに、ゼンガーがコンソールを殴ったので、万丈は驚き、それから笑い出した。

「原始的ですね」

「……」

むずがるように歪みながら映像がモニターに現れた。時折画面が揺れるので、正常に動作しているとは言えないが、なんとか視認できる。

「大きさは?」

〈長さ一八〇〇ミリメートル、幅一〇〇〇ミリメートル、高さ七〇〇ミリメートル程度です。誤差はあります〉

「材質は?」

〈木材のようです。ここに出現するより前から埋まっていたらしく、損傷があります〉

「何?穴が?毒物その他の危険物の痕跡は?」

〈透過調査ではその兆候は見られませんでした。中は空洞もあるらしく、みっしり詰まっているわけではないようです〉

「運べるか」

〈はい〉

「分かった。アースクレイドルに搬入しろ。西側の格納庫に置いておけ」

〈了解しまし……〉

最後のひと言が聞こえる前に、ブッと音がして画面も音も消えてしまった。

「……システムダウン?」

「そのようだ」

「こりゃ、確かにひどい状態ですね」

「ああ。内部調査をするにあたって多少の修復が必要なのは――」

ゼンガーが言葉を止めたのと同時に二人は部屋の入り口を見やった。整った足音が近づいてくる。

「ゼンガー少佐!」

「ここだ!」

ゼンガーは部屋から廊下に出て、兵士に呼びかけた。

「ネート博士が調査班のベースに到着しました。通信を回そうとしたのですが――」

「今、システムがダウンした」

「上にお越しいただけますか」

「分かった」

歩き出そうとしたところに、今度は慌ただしい足音が近づいてきた。ガランとした廊下を走る音が、わんわんと反響する。

「少佐!ゼンガー少佐!!」

「どうした」

「すぐいらしてください!基地から緊急通信です!」

「敵襲か?!」

「いえ、違うのですが、至急の暗号通信です。受信者はゼンガー少佐かネート博士が指定されています」

「発信は?」

「ヴィレッタ・バディム大尉です」

「少佐、ネート博士の方はどうなさいますか?」

「後でこちらから連絡する。今は基地からの通信が先だ」

急いでください、とせっかちに走り出した伝令を追って全員が上へと向かった。

――……!……!

誰かを呼ぶ声がする。

誰を?

――……ガー!……ゼンガー!

俺を、だ。

誰が?

ゼンガーは目を開けた。視界に飛び込んできたのは、涙を浮かべた少女だった。

「ゼンガー!!」

心配でたまらなかったかのだろう、少女はゼンガーに飛びつき、そのまましっかりとしがみついた。ゼンガーは分からないままに金髪の少女の背に手を回した。

「どうした……?」

「う……動かなくなっちゃって……!」

何かにおびえているのか、少女の身体は小さく震えていた。

「何が?」

「ゼンガー……ゼンガーが!」

しゃくりあげ、つっかえつっかえ、イルイは言った。

「俺が?」

「お願い、お医者さんのところに行って。お願い!」

ゼンガーは状況を確認しようと考え込んだ。

ここは官舎の横にあるちょっとした広場である。そのベンチにゼンガーは座っている。そして、少女だ。昼食後のトレーニングを終え、一度官舎に戻ってから外の日差しに誘われてここに来て座った……

意識が途切れていたのは確かだ。だが、それは午睡の類ではなかろうか?

もう一度少女を見る。少女は涙をまなじりに残したまま、真剣にゼンガーを見上げると、ゼンガーの胸に頭を押しつけた。

ゼンガーは困惑気味に眉根を寄せた。対処に困って周りを見回す。まだゼンガー監視の命令は解除されていない。近くに誰かがいるはずだ。目に入ったのがアヤだったので、うってつけだと思った。大尉には年若い妹がいる。きっとこういうことには慣れているだろう。ちょうどアヤも何が起きたのかと近づいてくるところだった。

「どうかしたんですか?」

「分からん」

「ゼンガー、動かなくなっちゃったの。ぜんぜん動かなかったの……!」

「ええ?!」

ゼンガーは急いで訂正した。

「少し眠っていただけだ」

だが、アヤはほっそりとした腕を組んで、思いがけず深刻な表情になった。

「診察を受けた方がいいのではないでしょうか」

「何?」

「診てもらって、何もないと分かればそれでいいじゃありませんか」

少佐がのどかに日溜まりの中で昼寝なんて考えられないんですもの、という言葉をアヤは心の中でだけつぶやいた。

「……」

ゼンガーの答えを待たず、アヤは通信機を取り出した。ヴィレッタに連絡を取る。見ていたゼンガーが制止しようとしたのか、アヤの方にやや手を伸ばした。その手にアヤは通信機を載せた。ゼンガーは戸惑って通信機とアヤを見比べた。

「隊長が替われと」

ゼンガーは通信機を耳に当てた。

〈ゼンガー少佐、医師の診察を受けてください〉

「だが……」

〈病み上がりであることは確かですから〉

「……」

――何故、俺ではなく幼子の意見の方が通るのだろう。

あいにく医師の手が空かず、診察はすぐには受けられなかった。官舎での待機を命ぜられ、ゼンガーは自分の部屋に戻ることにした。その後ろを少女が一生懸命ついてくる。ゼンガーは小さく嘆息すると、歩調を弛めてやった。

呼び出しが掛かるまで、金髪の少女はピッタリと離れなかった。

二時間が経った頃、部屋の呼び鈴が鳴った。扉を開けると、呆れたことに銀髪の男が居た。

「戻ってきたのか」

「お前の身体に何かあるのならば、対照物として俺がいた方がいい」

「……」

「何か」などあるわけがないのだ。ゼンガーは請われて長期冷凍睡眠の影響調査に協力しており、毎日検査を受けている。そこで異常が見つかったことはないのだ。

「異常があると言っているのは、その子供だけだ。何故、それをお前達は殊更に――」

「違う」

「違う?」

銀髪のゼンガーは重々しく頷いた。

「イルイだけではない。ネート博士もお前が意識を失うのを目撃している。しかも、話の途中で、だ。それも午睡とお前は言うのか?」

思い出した。アースクレイドルにいた時だ。

あの時は、ソフィアの存在自体を幻覚か夢かと思っていた。だが、結局それは幻覚でも夢でもなかった。ならば、自分は確かに意識を失っている。

話を聞いていたイルイがますます不安げにギュッとゼンガーの手を握った。

ピ、と内部通信(インターコム)が鳴った。

「医務室からだな」

医師は、まだ会ったことのない小柄な男だった。年は若くもなく老いてもいない、中堅どころの軍医だろうに、やけにおどおどしていた。医師に珍しいタイプである。

聞き取りにくいぼそぼそとした声で質問を続けた医師は、何度か申し訳なさそうに首を縮め、それから僅かに捻った。

「では、自覚症状は全く無いのですか?」

「無い」

症状のないゼンガーには症状を訊かれても否の返答しか出来ない。

「何か思い当たる節もないのですか?」

「自分は医者ではありませんので」

「何でもいいんです。つまり、少佐の行動は少佐しか知らないからです」

「…………いえ、全く」

全くですか……と医師は困り果てた顔をした。

だが、そんな医師とは対照的に、銀髪の男は返答を訊くなり鋭い視線をゼンガーに投げかけた。

「取り敢えず、精密検査をしてはみます。ただ、現状ではどこを焦点にした検査をしたらよいのか分かりませんので、検査の種類はずいぶん増えます。つまり、時間がずいぶん掛かります。つまり、入院してください」

ゼンガーが眉根を寄せると、医師は縮こまった。

検査の準備をすると言って医師が出て行くと、アヤがやってきた看護師をつかまえて、少し訊きにくそうに訪ねた。

「あのドクター、……その……大丈夫なのですか?」

「ああ。ごめんなさいねえ。腕は普通なのにあんな受け答えだから患者さん怯えるのよねえ」

あっけらかんと言われて、アヤがもごもごと口の中でごめんなさい、と言い、看護師は、いいのよいいのよ、と笑っている。

やりとりをよそに、立っていたゼンガーが口僅かに動かして尋ねてきた。

「何を思った」

声は他の者にはほとんど聞こえなかったはずである。ゼンガーも相手が自分であり、何を言うか推測できたからこそ、言葉をたどれただけだ。

――己を(いつわ)るのは難しいということか。

「……いくらそのほとんどを冷凍睡眠(コールドスリープ)で過ごしたとはいえ、人という種に数千年という時間は長過ぎたのではないのかと……」

ごく僅かに喉を震わせて答えた。ほとんど声にはなっていなかった。それでも相手がはっと身動ぎしたので通じたことは分かった。途端にゼンガーはそれを口にしたことを後悔した。

それを聞けば心優しき彼の(ひと)はまた覚えなくてもいい自責の念を覚えるだろう。

アースクレイドル参加者の中の誰よりも、ゼンガーは果報者である。何となれば、彼は人類がその命を未来に嗣ぐ様を()ることが出来たのだから。

それをソフィアに知ってほしかった。もう見ることはないと思った深い藍色の虹彩が、自分のために翳るのを、もう見たくはなかった。

第一〇章>>