第一二章
Adam schiebt die Schuld auf Eva, und Eva auf die Schlange.
Aus Sprichwort
アダムは責任をエヴァになすりつけ、エヴァは蛇になすりつける。
諺より
アースクレイドルの簡易ベッドを懐かしいなどと思うのは、我ながら不謹慎だと思う。
そもそもが厳しい戦況を越えるための施設だった。その上、同胞を守れもせずに生き残った自分にそんな呑気な感慨を覚える資格はない。しかし、沸き上がる想念は郷愁と寂寥に似て、苦い想いと混ざり合い絡み合い、胸の打ちに
ここでの作業が始まると、ゼンガーは〈自分〉が使用していた部屋をすぐに見つけ、そこを借用することにした。己の部屋はどこまでも己の部屋で、違和の感すら覚えない。
ゼンガーは起き上がると、汲んでおいた水で顔を洗い、枕元においていた
見張りの敬礼に答礼を返して外に出る。
心を鎮め――叫びと共に打ち続ける。また。さらにまた。何度も何度も。
そのうちにふと視線を感じて、ゼンガーは手を止めた。
視線の方向を振り返ると、そこに友人の姿があった。レーツェルのいつもと変わらぬ優雅な所作の中に、何か言いたげな風情を見て取って、ゼンガーは構えを解き、向き直った。
「早いな、ゼンガー」
「……」
「お前にはいつものことか」
ゼンガーが頷くと、レーツェルはやや笑いを浮かべ、改めて言った。
「クレイドルの解析は?」
「順調だ。システム専門家とネート博士がクレイドル入りして、認証の突破に成功した。建造物構造解析の方はイージー博士が指揮を執っている。調査班ベースも近くに移した。これでネート博士の手配した
「調査班ベースの移設を認めたのだな。ここは安全と見たのか」
「いや。だが、近い方が守りやすい。最初の位置が中途半端すぎたのだ」
「軍と足並みが揃っていなかったからな。――基地にいる〈お前〉はどうなった」
「病院に戻った」
「病院に戻った、か」
「あのような機体に乗るからだ。自業自得だ。それも覚悟の上ではあっただろうが」
「運が良かった。戦闘機ばかりだったおかげだ」
「攻撃力よりも機動力を取った構成だった」
「敵はおそらくネート博士の拉致のみに目的を絞っていたのだ。でなければ〈あの男〉は無事では済まなかっただろう……」
会話が途切れた。
「レーツェル」
ゼンガーはやや強い口調で相手の名を呼んだ。言いたいことがあるなら早く言えという意思表示を読み取って、レーツェルが軽く肩をすくめた。すかさず、
「〈俺〉のことだな」
と、ゼンガーが核心に切り込むと、
「どうにも話しにくいものだな……」
と、レーツェルは呟いた。
話しにくいだろうことはゼンガーにも察しが付いた。批判なり指摘なりを加える対象と、元は同じだった人間にそれを言おうというのだから。いや、これが本人を前にしての指摘や批判だったなら、友人はもっと直截に言っただろう。
レーツェルはゆっくり口を開いた。
「あの男はネート博士を守るためなら何もかも投げ出すのではないだろうか」
「……」
「お前はそれをしないだろう。できない、と言った方が正しいか……。お前と関わりを持つ者はこの世界に多く、その全てをお前は負っているからだ。何もネート博士を大事に思っていないからではない」
そこで突然レーツェルが言葉を切ったのは、妻を思い出したからではないだろうか。
ゼンガーは友人への視線にやや深い物を加えながら口を開いた。
「あの男はこの時空に対して責務を負っていないということだな。俺がこの時空にて軍人という役割を持っているようには、俺がこの世界にて『悪を絶つ剣』を名乗るようには、この世界に関わりを持っていないと言うことだな」
「そうだ。それ故に、〈やりたいこと〉、いや、〈やりたかったこと〉を全てにおいて優先させるのではないだろうか……?」
「……」
この友人にも〈やりたかったこと〉があった。だが、それを優先させることは能わなかった。
ゼンガーはゆっくりと確認するように言った。
「たががはずれている、と言いたいのだな?」
「そういうことだ」
だが答えた後で、レーツェルはふと気づいて尋ねた。
「お前はそうは思っていないようだな」
ゼンガーは頷いた。
「それは……?」
「危急の事態が起きる。命令系統からは外れている。手元には機体があり、すぐに出られるようになっている。選択しなければならないことは一つだけだ。行動の後の自分への処罰か、人命か」
ゼンガーは言葉を切ることすらせず、当然のように続けた。
「迷うことでもない。俺でも出るだろう」
「……困った奴だ」
レーツェルがそう言うと、表情こそ大きくなかったが、武人はやや笑ったようだった。
「訂正しよう。指揮を執るという今の俺の立場ではできない。そこは確かに『世界に負う物のない者』の行動だ」
「だが、機体の不調は知っていたはずだ」
「時間稼ぎさえ出来れば良かったのだ。ラー・カイラムが出ることは分かっている。お前が居ることは予測できる。俺が来ることも」
「時間稼ぎとはな。他人に任せれば良かっただろう」
それに対する返事はなかったので、レーツェルは口元で笑った。
「それができるお前ではないか」
ゼンガーは何か言いかけて口を閉じた。反論しかけて、何も思いつかなかった、というのが正解だろう。笑いを深くしたレーツェルに、ゼンガーは一瞥をくれ、改めて口を開いた。
「……時間を稼いだ後、あの男はすぐに俺に場を譲った」
「案外と冷静だ、と言いたいのだな?」
そうだ、と首肯すると、ゼンガーは言葉を選びながらゆっくりと告げた。
「あの男は生き残ったのだ。アースクレイドル総員の命の上に。ならば死ぬことを自分に許しはすまい」
レーツェルは、はっとしてゼンガーを見た。ゼンガーの青い虹彩に宿る物は落ち着いていた。
そうだ、ここにいるゼンガー自身にもそれは言えるのだ。
「……他ならぬお前自身がそう言うのならば、そうなのだろうな……」
「あの男は心配されるということに慣れていないだけだ」
「心配されることに慣れていない?」
「そうだ。……俺は心配されたことがなかった」
「そんなことはないだろう。戦場に出る者は常に命の危険にさらされる。我らとてそれは同じ事」
「説明が難しいのだがな――」
と、ゼンガーは言葉を止めた。雄弁な方ではない。レーツェルは友人が考えをまとめて口を開くのを待った。
「先陣を務めるよう命ぜられる、あるいは隊を任される、あるいは拠点防衛を任せられる。それに従って敵を斬って戻る。うまくいったこともあればいかなかったこともある。当然、部下も上官も状況に見合った危険は予測し、相応の心配はするだろう。だがな、俺がイルイから受けたものはもっと無条件な物だ。場合によっては、戦場に出かけるわけでもないのに不安げな顔をする。上司と部下を離れてしまえば、ソフィアでさえイルイと同じ表情をする。さすがにイルイのようにはっきりと分かるような形ではなかったが、この頃分かるようになった」
レーツェルは正確に二回瞬いた後、笑みを浮かべた。
「経験からの実感か」
どう反応しようか一瞬躊躇った後、ゼンガーはこっくりと頷いた。
「あの男にイルイを頼んだのはそのせいだな?」
「悪い経験ではない。イルイも懐いていたからな」
「イルイがな、お前が二人になって嬉しいと言っていた」
「なるほど。そういう捉え方もあるか」
レーツェルは、それを聞いてつい声を立てて笑ってしまった。
「レーツェル?」
「面白い男だ、お前という人間は」
笑いを収めてから、レーツェルは訊いた。
「ところで、あの機体は何だったのだ。あのゲシュペンストは」
「あれは、欠陥品だ」
「欠陥品じゃありませんか、あれは!ブースターは機体強度に見合っていない、そのブースターに見合ったGキャンセラーは積んでいない!」
「だが、この基地の――私の基地の機体を勝手に使ったことにことに変わりはない!」
「そうではなく、少佐は嵌められたのだと言いたいのです!誰が好き好んでグレイアウトを起こすような機体に乗りますか!」
ブライトは興奮し過ぎたと自重して、ひとつ深呼吸をした。息を整え、やや冷静な口調で主張する。
「司令もゼンガー少佐のパイロットとしての能力は認めておられるでしょう。あの機体は奪っても仕方がないものだと彼が気づかないわけがない」
マブロックはぐっと口を一文字に結んだ。不機嫌そうにしているが、認めないわけではないようだ。何度か口を開いたり閉じたりしてからマブロックは低い声を押し出した。
「私にはその経緯を、ゲシュペンストを持ち出した経緯を、訊く必要がある。そのための拘束だ。それに、たとえ嵌められた上での行為でも、軍用機を持ち出した罪は無くならない」
とはいえ、マブロックの口調は先の発言ほどには強くはない。それはそうだろう。ゼンガーが機体を持ち出すに至る経緯は基地側の落ち度も大きい。責任者である基地司令マブロックが無罪潔白というわけでもないのだ。
上官二人の言い合いがやや収まったのを見計らって、ヴィレッタは発言した。
「経緯説明はさきほどの通りです。私たちが許可を得た区画でRシリーズの調整をしていた時に、この基地の兵士が呼びに来たのです」
マブロックの口がへの字になった。
「その兵士は偽物だった、と?」
「私たちはこの基地の人員すべてを把握しているわけではありません」
「それで確認を怠った」
「……」
そう持って行きたいわけね、とヴィレッタは冷静にマブロックを観察し、様子を窺いながら先を続けた。もちろん、窺うような様子はおくびにも出さない。あくまで忠実な部下のように、だ。
「私の部下が言うには、呼び出し先のハークという整備担当中尉にも話は既に通じており、ゼンガー少佐がテストパイロットになる件は誰も咎めなかったとか」
「……」
今度はマブロックが黙り込んだ。
ブライト、ヴィレッタ、マブロックの三者がそれぞれ次の一手を探っていると、エア音と共に扉が開いた。
「ナラカイ長官!」
立ち上がろうとした三人を、そのままでいいと手で押しとどめ、ナラカイは空いていた椅子に座った。
「すまんな、長い間開けた。政府や議会への説明に手間取ってな」
「もう少しお帰りは遅くなると聞いていました……」
喉の奥から唸るようにマブロックが言うと、
「ああ。状況を聞いて急いだ。襲撃への対応の方が説明より先だ。さて――」
口調が穏やかだったのはそこまでで、ナラカイは真剣な面持ちになり、肘をついて、自分の顔の前で手を組んだ。
「スレードゲルミルの強奪未遂があったそうだな」
「それと、調査班の輸送機への襲撃です。輸送機への襲撃は、敵機の構成と襲撃方法から言って撃墜を狙ったものでありません。おそらく目的は乗っていたソフィア・ネート博士の拉致です」
ブライトの説明を聞いて、ナラカイは手を組み替え、じっと正面を見据えた。
「スレードゲルミルとネート博士。この組み合わせで生まれる物は明白だ」
「マシンセルの機動兵器への組み込み。それによる、自己回復能力のある人型機動兵器」
「そうだ。――スレードゲルミルの奪取犯は捕らえたと聞いたが」
「ええ、ここにいるヴィレッタ大尉の部下たちが」
ブライトはマブロックへの牽制も籠めて言った。マブロックの眉が忌々しげに歪む。ナラカイの方はヴィレッタに向かってそうか、と労うように頷き、次いでマブロックに向き直った。
「スレードゲルミルのあった区画に出入りしていたSRXチーム及びゼンガー・ゾンボルトは基地の兵士に呼び出され、その呼び出された先の格納庫に閉じこめられたそうだな?」
「……はい」
「君がその命令を出したのか」
「いいえ。呼び出しに来た兵士というのは、PTを運び込んできたロシア方面軍からの異動者です」
「ロシア方面に確認は?」
「入隊から三年の兵士に間違いないという回答でした。奪取に加わった者皆がそうです」
偽兵士ではなかったわけね、とヴィレッタは頭の中にこの情報を刻んだ。一方、ブライトはおやっと思った。ナラカイが口の中で呟きを漏らしたのだ。が、ナラカイの次の発言は呟きとは関係がなかった。
「ハーク・ハーツ中尉は元からこの基地の者だろう」
「ハーク中尉は閉じこめられた方です。奪取に荷担したわけではない」
そうじゃない、とナラカイは首を振った。
「ハーク中尉はゼンガー・ゾンボルトがPT調整に協力することを上官から聞いたと言っているそうだが?」
「……」
「違うのかね?」
「……確かにそう言っております」
「その『上官』とは誰かね?」
「……通常の命令系統です」
「それは、取りも直さず、君の承認事項ではないのかね?」
普段穏やかなナラカイが珍しく畳みかけるように詰問する。対してマブロックの目がすっと細くなり、低い掠れた声が言った。
「……お疑いですか?」
「そうは言っていない」
「私はそのような命令も承認も出していません」
しばし二人は探るように睨み合っていた。が、やがて諦めたように、もういい、とナラカイは手を振った。
「マブロック准将。君はこの基地に内通者がいないか調査したまえ。ブライト大佐、君にはスレードゲルミル奪取犯の尋問を頼む。私はロシア方面に連絡を取る」
「ゼンガー・ゾンボルトの処分は」
「処分?」
「確かに、基地のことは私に責任があるでしょう。だが、PT持ち出しを不問にすることは断じて許されない。それだけは譲れません」
マブロックが頑固に言い張ると、ナラカイは少し考える様子を見せた。
「……分かった。君の主張も道理だ。しばらく拘束しよう」
「長官、それは――」
言いかけたヴィレッタにブライトが首を僅かに振ってみせた。ヴィレッタはそれを察して口をつぐんだ。
「では、解散だ」
マブロックの執務室を出ると、ナラカイがブライトとヴィレッタを振り返った。
「どうせ、休養が必要だろう、彼には」
「ゼンガー少佐ですか?」
「ああ。多少負傷したと聞く」
「外傷はありません。適切なGキャンセラーが搭載されていない機体で出撃してグレイアウトを起こしたぐらいです。今は回復しています」
「いずれにせよ、だ……。――ブライト君、もう一度敢えて訊く。君は例のゼンガー少佐をまだ信じているのだな?」
「はい」
ナラカイは何度か顎をさすった。
「君は軍人らしくないなあ。軍歴も長いし、ある面から見ると物凄く軍人らしいのに、時々軍人に似つかわしくなくなる」
怒っているというよりもしみじみと言われ、ブライトは居心地悪い思いを味わいながら意味無く手を握ったり開いたりした。自分が軍人に似つかわしくないなどと言われるのは、軍人としてすっかり馴染んでしまう先に、民間人を指揮するという立場に放り出されたからなのかもしれない。
「甘いでしょうか」
「どうだろうな……」
明言を避け、ナラカイは肩を竦めた。
「いずれにせよ――そんなに何度も庇うことはできん。自重してくれと伝えてくれ」
「了解しました」
頷いて自室に向かいかけたナラカイを、ブライトは急いで呼び止めた。
「長官。『病巣は深い』という意味は?」
それが、話の途中でナラカイが呟いた言葉だった。
ナラカイは、しばし迷った後で、低い声で答えた。
「コネクションだ、ブライト君。コネクションがあらゆる所に根を張っている……」
「コネクション絡みというわけだね、君たちが動いているということは」
万丈はいつもの自分の席に座って、ギャリソンが給仕したティーカップを持ち上げながら言った。
万丈の邸宅の食堂である。少々多めの客人を迎えるには円卓は手狭で、トッポ、レイカ、ビューティは席を譲って、ソファの方から会話を眺めている。
テーブルについたアイザックは、優雅な仕種でティーカップを持ち上げ、頷いた。荒くれ相手の稼業に似つかわしくない高貴の雰囲気が所作の端々に出て、彼の素性を物語っている。
ひとくち口を付けたアイザックは、その紅茶に蜂蜜が入っていることに気づいた。
――ロシアン・ティー……か。
控えているギャリソンに視線を向けると、相手はすまし顔で小さく会釈した。会釈を返しながら、アイザックはやや苦笑した。時々、万丈の執事は万能なのではないかと思うことがある。
「この件、裏に動く輩がいる」
「『この件』か。僕らの追っている面と君たちの追ってる面を摺り合わせないと訳が分からないな」
「んじゃ、こっちから説明しようか――まあ、発端は、ある自殺した兵士の恋人さんからのご依頼だったってわけ」
キッドはすっかり寛いでおり、隣の席では稀代のレーサーが、とてもそうとは思えない軽い調子で、そうそう、と頷いた。
「んで、こちらさんがその恋人さん本人ね。マリーちゃん」
ボウィーがひらりと手を翻して示したのは、先ほどから硬い表情のままじっとティーカップを見つめている娘だった。年の頃は二〇になるかならずといったところだろう。色白で黒い目をし、緩いウェーブのかかった髪を肩で切り揃えた、どこにでもいそうなごく普通の娘で、コネクションなどに関わるようには見えなかった。
「自殺した兵士というのはジョゼフ・デュフールのことなのか?」
「その通りです、大尉」
端正な顔に表情すら浮かべずアイザックが頷くと、アムロは眉根を寄せた。ジョゼフはラー・カイラムの砲手で、スレードゲルミルの砲撃をした後すぐに捕まり、ブライト自らが尋問をする前に誰かに渡された銃で自殺した。万丈と自分は彼女にそれを知らせるためにあの街に赴いたはずなのに。
「君はジョゼフが死んだことを知っていたのか」
「基地から知らせがありました」
はじめてマリーが口を開いた。やはり紅茶を見つめたままで、声は小さかった。
「知らせがあった?誰から」
「覚えていません。事務的な人で、印象に残らなかったんです。受け取った通知文も事務的な物で……最後に基地の人の名前が書いてありました。多分、基地の偉い人の……」
それは、多分、正規の通知だ。末尾の名前はこの場合基地司令になる。
「その人が、遺体は渡せないと……。取調中に自殺したからって……そんなわけ……」
娘はアムロを真っ直ぐに見た。
「軍人ってそういうものなんですか?死んだら文章になってしまうんですか?私、ジョゼフを見てもいないんです」
アムロは舌打ちしたい気分になった。多分、その事務的な軍人は調査の任に着いたテレンス大尉である。規則通りだ。間違った行動ではない。結局、ブライトはマブロック司令の協力を引き出すことができなかったわけだ。もっとも、ナラカイ長官から砲撃事件の調査を命じられたのはマブロックであり、この場合、自分たちを動かしているブライトの方が越権行為であるのは言い逃れができないのだから、仕方がなかった。
「……渡す物がある」
アムロは持ってきたデータ・カートリッジを渡した。ジョゼフ・デュフールの遺品である。
「君に宛てた物だ」
ありがとう、と言おうとした娘の唇が震えた。それから手を伸ばしてカートリッジを取る。下を向いて肩を一度振るわせ、詰まった声ですいませんと呟いた。お町が近づいていって、そっとマリーの肩に触れた。
「この
「それを調べましたところ、ちょいときな臭くなってきたってわけ」
言いながらキッドはくるりと意味なく愛銃を回した。
「それがコネクション」
「ご名答」
「ジョゼフ・デュフールは、もともとコネクションに関わりがあった」
「でも、それは……!誰も私たちみたいな人間を助けてくれなかったから!政府が助けるのは偉い人ばかりじゃないですか!少なくとも、ある程度以上のお金がある人ばかり。私たちみたいな、戦争前から貧乏だった人間は、まるで最初からいなかったみたいに!」
「だからコネクションに頼ったの?」
ビューティーが尋ねると、
「少なくとも手は差し出してくれたもの!」
「はっきりさせておこう、君がコネクションを擁護するなら我々は手を引く」
鋭く、はっきりと、アイザックの声が空気を冷やし、マリーは黙り込んだ。
「あなた、そうは言っていなかったでしょう?」
お町が助け舟を出すように言うと、マリーは肩を落とした。
「ええ……。私は……いいえ、彼も手を切りたかったの、もう……。あいつらの言う甘い言葉が甘ったるくて胸焼けがするのだって、最初から気づいていたの……。でも、飢えた時に差し出されたご飯ってとても拒めるものじゃなかった。それだけは分かって……」
「まあね、分からんでもないんだけどね。世間様ってのは冷たくできてて、いったん低い方に生まれっちまうとよっぽど運がない限り這い上がるのが難しいもんだからね」
帽子のひさしをいじくりながら、ボウィーが低い声を出した。
「おやおや〜、常になく真面目なお言葉じゃないですこと、ボウィーちゃん。どうしちゃったのかな?」
お町がちゃかすと、ボウィーはニヘラと表情を崩した。
「何をおっしゃいますか、いつも真面目な勤労青年スティーブン・ボウィーとしましては、いろんなことを常々考えておりまして、今回はどいつから報酬をふんだくればよいのかななどと、思ったりしておりましたのでありますよ」
「またメイに金借りてたもんね、ボウィーさんは」
「あら、ここでそればらす?それはないんでないの、キッドさん」
「怒らない、怒らない」
アムロは遣り取りを眺めながら、わずかに微笑した。こういうところが強いのだ、彼らは。アムロはほころばせた口の端をきゅっと引き締めてマリーに向き直った。
「ジョゼフは以前からコネクションに繋がりがあったんだな。軍に入ったのもコネクションの命令だったのか?」
「命令、といえば命令なのかもしれません。職がなかったときにコネクションの口利きで入ったんです。でも、大戦中は何かをしろとか情報を流せと言われたことはなくて、ジョゼフも真面目に勤めを果たしていたはずです」
「あの情勢ではコネクションもそれどころではなかったのだろうな」
「コネクションからいろいろと情報を要求されるようになったのは、大戦が終わってからでした。ジョゼフは最初、拒んだんです。でも、次の日に、艦の自分のベッドの枕の下に紙が一枚あって……」
「紙?」
「……私の住所が書いてあったのだそうです。ただ、それだけ。様子がおかしかったからジョゼフを問いつめたら、彼、そう白状したわ」
「同僚の悪戯じゃなかったの?」
レイカが口を挟むと、マリーは頭を振った。
「私の名前なら同僚にも話したことがあるそうだから悪戯だと思っただろう、けれど、住所が書いてあった。住所だけが書いてあった」
それは怖いかもしれない。
「コネクションとは繋がりが無くなったような気でいた時に、そんなことがあって。そんなことをするには絶対に軍に内通している人がいなければできないし、ジョゼフはすっかり無抵抗になってしまったの。それからは言われるがまま……」
万丈は腕組みをして、背もたれにもたれかかった。
「それで、彼はコネクションの命には背けなかった」
「私、やめてと言ったんです。私は私で引っ越しとか考えるからって。だって、軍の中にいるのに、そんなことずっとできるわけないもの……」
そこで、マリーは寂しげにアムロを見た。
「ジョゼフ、ラー・カイラムに配属になって喜んでいたんです……。『英雄の
――英雄、か……。
ぼんやりアムロが感慨にふけっていると、
「ああ、ブライトさんね、ありゃ確かにいい人だよ」
「そうだな。軍人にしては珍しく」
「おやおや、元レッドローズの隊長さんがそれを言っちゃあおしまいじゃないの?」
ヒラヒラとキッドは手を振った。
「肌に合わなかったから辞めたんじゃない」
「そりゃそうか」
ついアムロは苦笑してしまった。言いたい放題である。マリーも泣き笑いのような顔になって、
「ブライト艦長は雲の上の人で、ジョゼフにとってはそれで何が変わるってわけじゃなかったんだけど……でも、変わりたいって……言ってくれていたの……。英雄の
「だが、裏切った」
静かにアイザックが言うと、マリーは黙り込み、青ざめた。だが、さきほどと違って、アイザックは僅かに軟らかい表情になって謝った。
「すまない。私が言いたかったのは、なぜ裏切ったのか、なのだ」
「マリーちゃんを盾に取られたんじゃないの?また」
「それもあるだろう……だが、依頼を受けたときから考えていた」
「何か考えがあるようだね」
万丈がアイザックに水を向けると、彼は頷いた。
「変わりたいと決心した男がなぜすぐにそれを翻したのか。何か、きっかけがなかったか。何か、彼を幻滅させるか自棄に至らしめるか、そんなきっかけが」
そこでアイザックは言葉を切った。しばしおりた沈黙が重い。それが気にくわなかったのが、キッドがすぐに言った。
「もったいぶるなよ、アイザック」
対して、アイザックは一度目を閉じ、口を開いた。
「証拠のある話ではない。推論ですらない。単なる想像だが……。ジョゼフはその命令を軍人から受けたのではないだろうか」
「つまり、ラー・カイラムの中にまだコネクションに繋がる者がいる、と?」
「あるいは基地か……。それで幻滅したとすれば、彼の行動も不思議ではない」
「……その可能性は高い」
アムロはマリーに向き直った。
「君は自殺ではないと言った。ブライトも俺もそう思っている」
マリーは、アムロが何を言い出すのか一言一句聞き逃すまいと、じっと見つめている。
「彼は拘束中に銃で自殺している」
「なんだって?!拘束中の人間が何故銃を?!」
さすがにキッドの反応は早かった。アムロは頷いた。
「誰かが銃を渡した――と言うより、殺されたんだ」
突然、ボロボロとマリーの目から涙が溢れ出た。
「それが、コネクションのやりくちだ」
「ヌビアめ!」
珍しく口を挟まずじぃっと聞いていたトッポが拳を振り回した。が、途端に、J9の面々が目をぱちくりさせた。
「ヌビア?」
「ちゃうちゃう」
「違う?」
さすがに万丈が驚いて問いかけると、アイザックが冷静に指摘した。
「動いているのはボルガ・コネクションだ」
マリーが言葉に詰まりながら、付け足した。
「ジョゼフはボルガ・コネクションに……そのせいで……エミリアンとは疎遠になってしまって……」
「エミリアン?」
「ジョゼフの弟だったの……エミリアン・カーブル……彼はヌビア・コネクションだったから……でも、もういない……。もう何年も前に行方不明になって……」
アムロと万丈は互いに顔を見合わせた。彼らの中で輪がつながった。エミリアンが戻ってくることは、もう、ない。ヌビアの息のかかった彼は、アースクレイドルに行き、そこで死んだ。
万丈はアイザックに向き直った。
「ボルガ・コネクションは今どんな状態なんだ?」
「コネクションの勢力はカーメン・カーメンの出現以来、ヌビアが優勢になってきている。ヌビア以外となると、現在、残っているコネクションで大勢力と言えるのはボルガのみだ」
「ローカルの小さいのは残ってるんだけどね」
お町が付け加えると、アイザックが重々しく頷いた。
「そのボルガも劣勢は免れない」
うーん、と万丈は唸った。
「そうか……起死回生の策が欲しいのはヌビアではなくてボルガなんだ……」
「どゆこと?」
万丈はどこから話そうかな、と手を組んだ。ギャリソンがタイミング良く皆のカップにおかわりを注いで歩く。
「ジョゼフが何をして、なぜ僕とアムロ大尉がここに来たかだが」
「何やったの」
「彼はスレードゲルミルを砲撃したんだ」
その単語がJ9の面々に浸透するまで少し時間がかかった。だが、やがて頭の中を理解が覆うと、異口同音の叫びが部屋を満たした。
「スレードゲルミル?!」
「スレードゲルミル?!どうしたのですか、これは?!」
ソフィアは搬入物を見て驚いた。基地からの補給物資ばかりだと思っていたのに、機動兵器がアースクレイドルの格納庫に輸送されてきたからだ。搬入につきあったロブはソフィアを振り返り、わずかに頭を振って見せた。驚くだろうなと予想はしていた。
「持ってきたんですよ。長官の計らいで」
「ええ?!」
「ほら、博士がマブロック准将に言ってたじゃないですか。この機体を手元から放すのは嫌なのか、と」
「それは言いましたけれど、あれは……」
「報告があったと思うんですが、基地でスレードゲルミルが奪われかけたんです。その件に関して基地の指揮系統のどこかに瑕疵があった疑いがあって、ここに待避させた面も無くはないんです。どうも、ナラカイ長官が博士とマブロック司令の遣り取りを耳にされたようで、この方が解析もしやすいだろうから、と」
「困ったわ。そんなつもりで言ったわけではなかったのですけれど……」
だろうなあ、とロブはポリポリと頬をかいた。
「基地にあった方がよかったのに」
「何故です?」
「基地で何があったか正確には把握していませんが、どんなに言ってもここの方が手薄ですから。またゼンガーの負担が増えてしまうわ。それに、ごめんなさい、あなたに向かってこんなことを言うのはどうかと思いますが、私はこの機体を復活させて良いものかどうか迷っているの」
ロブが薄々感じていたことを、ソフィアははっきりと言った。
「やっぱり」
「……そんなに態度に出ていましたか?」
「ええ、まあ。……でも何故です?」
「軍は、本当はスレードゲルミルだけでなく、アウルゲルミル――と言うより、そのブラックボックスたるアストラナガン、これも喉から手が出るほど欲しいはずです」
「そうでしょうね。大きな戦力になるのは確かですから」
「新たな火種になるのも」
間髪入れずにソフィアは言った。
「大戦は終わったというのに、まだ何が必要なのでしょう」
ポツリ、とソフィアは言った。その表情が沈んでいる。
「アウルゲルミル、スレードゲルミル、共に持つべき物ではない、と?」
「かつて世界は核による抑止力を唱えたことがあります。でも、兵器という物は存在すること自体が脅威であって、対話が無くなったとたん、人々は疑心暗鬼に陥る物、そうでしょう?」
「……耳が痛いな」
根っからのロボット好きで、いくつも設計してきているが、それが兵器であるという罪からは免れないのではないか、とは薄々ロブも思っている。
「ごめんなさい……あなたがたを責めているわけではないのです」
「いえ、そこを忘れたらダメだとは俺も思っています」
「解析は必要なのかもしれません。でも、連邦は少し距離を置くべきだと思うのです。あなたもニュースを見たでしょう。ここにアースクレイドルが現れただけでも近郊の街では不安の声が溢れ、様々な勢力がその所有権を主張する……」
「ただ、ネート博士。スレードゲルミルだけは……きっとゼンガー少佐には――あのゼンガー少佐には――必要になりますよ」
「……」
ソフィアは思い出した。輸送機を守るために飛来したゼンガーを。目の前で彼が散っていくのではないかという不安に怯えたあの時を。
「おおい、大体見たぞ」
気分も話の流れも流し去るダミ声が響き、二人は声の主を見遣った。
「エドモン博士」
「ありゃあ、使い物にならんよ。――と、お前さんは?」
俺?と思わずロブは自分を指さし、
「ロバート・H・オオミヤです。専門はロボット工学です。ロブと呼んでください」
「ああ、ジョナサンのところの。そういえばそいつはテスラ研の服だな。わしはエドモン・バチルス」
そう聞くなり、ロブの目が興味深げに輝いた。
「シンクロン理論の?お会いできて光栄です、バチルス博士」
エドモンはひらひらとハエでも追うように手を振った。
「よしてくれ。背中が痒くなる。おやじで十分だ。たいていの奴はそう呼んどる」
「おやじ……ですか……」
似合っている。確かに、エドモンは一見「頑固な職人」風で、「おやじ」という呼び方は似合っているのだ。ただ、一流の科学者であり政府の科学顧問というその正体を知っていると、少々呼びにくい。
ロバートの戸惑い顔を見て、にやにやとエドモンは笑った。
「お前さんもか」
「俺も、とは?」
「そっちの美人もだからだ。強情に『博士』などと呼ぶわい。行儀のよい科学者には呼びにくいか」
「自分だって科学者でしょうに」
するとエドモンは呵々と笑い、
「まあ、おいおい慣れていってくれ」
「はあ……。それで、使い物にならないとは?」
「エドモン博士は先にいらしたから、アウルゲルミルを見ていただいていたの」
ソフィアの『エドモン博士』という呼びかけに、少し茶目っ気のある口調を感じて、ロバートは笑みを浮かべながら、エドモンの方を見た。
「といっても、操作法らしきものが分かったから、ちいとばかし実験してみただけだがな。一〇立方センチの空間を三〇秒未来に送ってみた」
「でも、送れなかった?」
「いや、送れはした」
「なら成功じゃないですか」
「金属材料を時間移動させることはできるだろう。だが、おそらく、生物は送れまい」
ロバートにはピンときた。
「……移送させた空間がランダムに変動した?」
「ふむ、さすがだな。システムXNに関わっているだけはある」
「私は専門ではないですから素人質問をしますが、それは時空転移システムにはよく起こる現象なのですか?」
「そうなんです、ネート博士。たぶん、原点をどう取るか、それがブレないようにするにはどうするか、そこのところが難しいのです」
「いつも不思議だったのですけれど、原点はどこに取るのですか?地球は自転しながら公転しますし、それも含めて私達の銀河は回っているでしょう?」
「システムによります。地上で使うシステムなら地球中心部です。どちらにせよ相対座標です。そこは他の時空計測システムと同じです。通常空間で言う慣性の法則のような物があって、系全体で見ると概ね合う物なのですが、系の内部ではどうしてもこういうブレが起きてしまう。それと、もう一つ難しいことがあります」
「それは?」
「空間を分割して
ロバートはパネルのスイッチを入れた。
「システムの転送量にもよりますが、全て同時に移動させることはできない。最初のパケットが出る」
パネルに矢印をぐっと引く。
「その後、ナノ
最初の矢印の下に次の矢印を書く。始点だけはずらし、間にΔtを書き込む。そうやって、Δtずつずらしながら何本も線を引く。
「点ごとにわずかにΔtが違って行くわけですね。その誤差を修正するのが難しいと?」
「そうです。本当はデータをアナログで扱えれば本当の意味での連続処理ができるので、解決するのかもしれません。アウルゲルミルに時空間転移を正しく実行する能力があったのは事実ですから、その処理が分かるといいのですが」
「ただ、エドモン博士の見立てでは、現状、ここにあるアウルゲルミルは正常に働いていない、というわけですね」
「ああそうだ」
「でも、ゼンガー少佐は無事にこの世界に移動したのです」
「無事といえるかな」
「……」
憂いがソフィアの面に浮かんだので、エドモンはすまん、すまんと肉付きのよい大きな手を振った。
「まあ、確かに、概ね無事に現れとるからなあ」
「アースクレイドル移動の際に壊れた可能性ありますよ」
ロバートが言うと、
「そうさなあ。まあ、わしの見立てより、より詳しい専門家が来たんだ、任せた方が確実だろうな」
頼むぞ、とでも言いたげにエドモンはロバートの胸を拳でトンと叩き、今度はソフィアに向き直った。
「それで、わしのここに来た本来の目的になるんだが」
「はい、博士にならなんなりとご協力いたします」
「うむ。マシンセルについての情報がほしい。ありったけな」
「マシンセルへの命令、ですか」
ゼンガーはソフィアの前で真っ直ぐ立ったまま鸚鵡返しに繰り返した。
「ゼンガー、座って」
首が痛くなるから、と心の中で付け足すと、そんな場合ではないのに胸の内にほんのりと笑いが浮かんだ。そのまま心の中で呟く。――大丈夫、まだ笑える。
ゼンガーは素直にテーブルを挟んでソフィアの前に座った。
ソフィアがゼンガーに会うのは久しぶりだった。調査班ベースをアースクレイドル直近に移し、やっとアースクレイドルで合流したのである。情報を共有した後、今後お互いに指揮をどうとるかを決めておく必要がある。
背の高いゼンガーが座ると、互いの顔が近くなる。ゼンガーは普段と変わらぬ様子だった。その落ち着いた着実さは周りに安心感を与えていることだろう。ソフィア自身ゼンガーの様子に安心を覚えつつ、自分もこうありたいと思っている。
「アースクレイドルにおいてシステムに負荷をかけ続けながらループしているシーケンスがあることは聞いていますね?」
「はい。イージー博士が強制的に切断するかを決めかねておられました」
「イージー博士?」
聞き返した瞬間にそれが誰のことか気づいて気が付いて、ソフィアはふふと小さく笑った。気安いはずの渾名に変に丁寧な呼称を付けられて、イージーが内心嘆いているのが目に見える。しかも、「安易な博士」では。笑いを浮かべたままソフィアは続けた。
「ループしているシーケンスを解析して分かったのです。あれはマシンセルへの命令です」
「どんな命令なのですか?」
「そこまでは分かっていません。より正確に言うと、マシンセルへの
「高負荷になっているのは、多量のマシンセルを制御するためでしょうか」
「いいえ。励起を促されているマシンセルの量はアースクレイドル全体から考えるとたいしたものではありません。それよりも、合間に行っている計算量が膨大すぎるのです」
ゼンガーは任務に就いている限り、ソフィアに対して部下の矜持を崩さない。自然、ソフィアの態度も相応のものになる。
「アースクレイドルのどこかを修復するためでしょうか?」
「分りません。
ソフィアはそこで口を閉じ、横の壁を見ながら考え込んだ。
「今日、エドモン博士にマシンセルについて説明しながら私も改めて考えてみたのですけれど……」
「……ネート博士?」
言葉を切りなお考え込むソフィアをゼンガーは訝しげに呼んだ。ソフィアは向き直って居住まいを正した。
「マシンセルとはなんだと思いますか?」
「博士がズフィルードクリスタルを解析して作った自律型金属細胞、そう聞いています」
ソフィアはその模範解答を聞いて、どう誘導したものかと考えた。
「マシンセルには、どんな能力がありますか?」
「大きく二つ。自己再生能力、自己進化能力です」
真面目な生徒が先生に答えるように、ゼンガーは神妙な面持ちである。
「そうです。では、それを実現するための仕組みは分りますか?」
ゼンガーは眉間にしわを寄せて考え込んだあげく、とうとう、
「……寡聞にして知りません」
ソフィアは吹き出した。
「博士?」
「ごめんなさい。困らせてしまったようね」
目の前に座る長身の偉丈夫は、一見威圧感を周囲に撒き散らしており、中身も外見に変わらず随分取っつきにくいのだが、己の及ばないところについては素直な面を見せ、それが可愛げにも取れる。大の男相手に「可愛げ」もあったものではないのだが、それがソフィアには楽しく、愛おしい。
「マシンセルというのは、ひと言で言ってしまえば相互通信機能を持ったナノマシンシステムです」
「相互通信?単体では働かないのですか?」
「ナノマシンとしては動作するでしょうけど……。例えば、臓器を人工的に作るとしますね。臓器を構成する細胞を積み上げたらできあがるかしら?」
「……人体はそんなに簡単な物なのですか?」
疑問を呈したゼンガーは、思い当たって慎重に続けた。
「それに、細胞は日々入れ替わる物なのではないのですか?古い細胞が死んで、新しい細胞に差し変わる、そういうものだと昔習った覚えがあります」
すっかりソフィアは先生になった気分で、
「よく気づいたわ。それに、細胞ひとつが勝手に働いたらどうなるかしら。一定量でいいはずの細胞が、臓器を形作るのに必要な量以上に増殖したら?」
「癌、ですか」
この生徒はなかなか優秀だ。ソフィアは頷いた。
「分かりますか?細胞は相互に作用してこそ意味を持つ動きをするのです。ですから、マシンセルの骨子といえる部分はナノマシン単体のことではないのです。相互通信することにより、集合体全体で目的を遂行するように作用することが重要であり、ナノマシンにそのシステムを構築したことこそが私が作り上げた部分なのです」
「なるほど。博士の専門はシステム工学でしたね」
「もともと私は生体細胞を人工的にシミュレートできないかを研究していました。ズフィルードクリスタル解析チームを組織したときにビアン博士が呼んでくださったのはそのせいです」
「マシンセルは生体をシミュレートしているのですか?」
「そういう部分もあります。ただ、より短絡的な物になっています。目的を特化して」
「時間がなかったからですね」
「……そうです」
あの時は、この時代に目覚めてこんな風に話をすることになるとは思わなかった。……この人を伴侶とする日が来るとは思わなかった。
自分にその資格があったのだろうか。
折に触れふと沸き上がる暗い物を今は胸の奥に押しやって、ソフィアは待っているゼンガーに説明を続けた。
「目的とその実現方法で分けるとしたら、マシンセルには二種類があります。ひとつは生体適応型で、もうひとつは標準回復型です」
「それぞれどのような働きをするのですか?」
「生体適応型は、マシンセルシステムを生体細胞として使う物で、生体がもともと持つ細胞の働きを転写・複製、場合によっては変更します。『正常』という状態をもともとの細胞に求め、回復作用・進化作用に優れています」
「それはマシンナリーチルドレンに使われた物でしょうか」
「おそらく。フェフ博士がチームリーダーでしたから。でも、ノウハウに当たる部分についてはフェフ博士が亡くなってしまったから失われてしまった……」
「……もうひとつの方は?」
「標準回復型?これはある意味劇物ね……」
「劇物?フェフ博士が生態適応型マシンセルの担当ということは、そちらこそがネート博士が主に携わっていた物ではないのですか?」
「そうです。地球環境修復に特化したマシンセル。いえ、短絡的すぎて環境修復とは言えない物になってしまったのです」
「どういうことですか?」
「地球を構成する粒子の割合――昔で言うクラーク数みたいなものだと思ってください――それを『標準』として記録しておきます。マシンには、周囲の環境を測るセンサー機能も持たせます。周囲の環境が『標準』の割合から外れる、例えば重金属が多くなり過ぎるとか、放射性同位体が自然界に普通にある量以上になったら発動して、『標準』の割合に強制的に戻すのです」
「……それで?」
「え?」
「先ほど、エドモン博士とマシンセルについて検討されたときに改めて考えてみたとおっしゃいました。何が引っかかっておいでなのですか?」
「ああ……。実は、このアースクレイドルに使われているマシンセルは、さっき言った二種のどちらでもないのです」
ゼンガーは少し考え、
「つまり、ナノマシンに組み込まれたシステムが、博士の開発したソフトでは無いと言うことですね」
「そう。多分、目的を達成するためになのでしょうけれど、ハードであるナノマシンの作りも少し違った物のようです」
「つまり、メイガスが作った物と推察されるわけですか」
ソフィアは言われてはっと息をのんだ。ゼンガーが訝しげな顔になる。
「ネート博士?」
「私がメイガスと同化して……私が充分な時間を手にしたのなら……私は完成させたのかもしれない……」
「何を?」
「第三のマシンセルを」
「第三のマシンセル?」
「そう。……当時……プロジェクト初期の頃……多世界へのアクセスが……微粒子ならば可能であるという技術情報が……出てきていた……」
一言一言を噛みしめていく。ふわふわと掴み所のない思いつきの断片が、ゆっくり形になっていきそうな気がした。
「その技術を使うと、何か劇的な効果があるのですか?」
「各種の保存則を破れるのです。少なくとも、この時空だけを観察したとき、エネルギー保存則、質量保存則、それが破れたように見える」
ソフィアの声が熱を帯びてきた。
「なぜ、それを組み込まなかったのですか?」
「開発時間がなかったの。計算量が膨大になりすぎるのは分かっていたから。可能性の世界をすべて網羅し、都合のいい場合だけを選択するという計算をナノマシンの大きさに収めることは、とうていできないと思ったの。マシンセルに組み込みきれないのでは、自律させることができない」
「だから、スレードゲルミルやアースクレイドルは、メイガスが居なくなって朽ちて行ったのですか?自律できないがゆえに」
ソフィアはゼンガーの発言を聞いて、はたと彼を見据えた。
「ゼンガー、あなた、天才?」
第13章に続く