ブローノ・ブチャラティ
VS
エンヤ婆
Round 3
“行け 我が想いよ 鈍色 の翼に乗って”
恐怖した人々を意に従わせるのはたやすい。
そのことをエンヤ婆はよく知っていた。あの御方の能力があれば誰であれ恐怖に陥れる事が出きるし、その点で言えば自分の能力も引けは取らない。
じゃが。
この能力にも欠点はある。それは
もっと分かりやすい『恐怖』があればたやすく人々を動かす事ができる。
エンヤ婆が目に付けた『恐怖』、それが『核』だった。
実際、そのために集めた人材も見事なぐらい怯えていた。何と言ったか……そうじゃ、マルチェロ・フェリーニ。あの貧弱な精神の男なぞ、見よ、いいように動いてくれるわ。うまいこと事務をごまかし、うまいこと人を集め、うまいこと建物の内と外を出入りする人間を調整してくれる。
便利な男だった。いや、便利な男だ、と進行形で書いてもかまうまい。もっとうまい使い方がある。
彼女は賢かった。力もあった。うまくいくに違いない。
ブチャラティは転がり落ちていた友人の右手を拾いあげた。机の上に無造作に放置された友人の身体の側にそれを置く。そのままブチャラティは動かない友人を眺める。敵はもうすぐ現れるだろう。
「フェリーニ、共に戦ってくれ……」
ゾンビに扉をこじ開けさせてみると、相手は机の上に横たわる友人をかばうようにエンヤ婆の前に立ちはだかっていた。
「てっきり隠れておると思っておったぞ」
「やはり、あんたか。ゾンビの背後に隠れているとは、予想通りだな」
「へらずぐちを。それで、挑発のつもりかえ?」
エンヤは嘲りの笑みを浮かべた。
狂人ではあるが、冷静、か。
「そなた、スタンド使いじゃな」
「そういうあんたもか」
「そうじゃ」
静かに言ってからエンヤは口調を変えた。
「そなた、〈生きる〉ということに迷いを覚えたことはないか?」
あまりに唐突すぎる質問にブチャラティはぐっとつまった。
今の自分。今の生活。自分をどん底に追いやった〈麻薬〉を扱う組織に黙って従っている自分が脳裏を閃光のようにかけぬけた。
「迷うておるな?ん?よいか、〈生きる〉ということは己の欲する事を手に入れる事じゃ。自分の
ひどく利己的で――ひどく正論だ。
「そなた、わしやあの御方に持てる力を役立ててみぬか?さすれば、そなたが〈生きる〉ことを手助けしてやるぞ?」
「――俺は…俺の生活はたしかに矛盾していて……俺はそこから抜け出したいと思っている――」
エンヤは満足げにうなずく。
「――だが、俺の道はお前らと共にはない!」
「理解せぬのか。お前もその辺におる愚昧な者どもと同じじゃ!」
言うが早いか、エンヤがさっと手を上げる。
やいなや、エンヤの前に立っていたゾンビがブチャラティに襲いかかった。
対するブチャラティもそれは予期している。
スティッキー・フェンガーズを繰り出してゾンビを遮る。
スティッキー・フィンガーズが腕をふるうとゾンビに腕に縦にジッパーがつけられた。それを開いて素早く手近な機械の軸に絡まらせ、一気に閉じる。腕が機械から離れないゾンビはもはやブチャラティの邪魔ができない。
片腕一本でできるたやすい作業だ。
そうやってエンヤの方に一歩一歩近づいていく。本体を叩けば終わりだ。
が……
「くそ、いったい何体いるんだ?」
エンヤのいる扉から無尽蔵と思えるほどゾンビが入ってくる。
「ほうれ、まだ増えるぞ。罪の無い人々をもっと殺してゾンビにさせたいか?」
ブチャラティは無辜の人々の事を考えて一瞬ためらった。が、すぐに言い切った。
「あいにく、そんな狂った論理にビビるような生き方はしていない!」
エンヤは驚き、内心、舌を巻いた。
こやつ、本当に惜しい人材じゃ。
杖を一振り。ゾンビどもは動きを止めた。
いままで奮闘していたブチャラティが逆にあっけにとられて動きを止める。
「ほんとうに、強情な男じゃ。じゃが――」
エンヤの瞳が狡猾に光った。
「そやつは従順であったぞ」
ガッ
背後から何者かがブチャラティに襲いかかった。
それを見てエンヤが嗤う。
「死してなお従順じゃ」
苦労して首を捻じ曲げ自分を後ろから羽交い締めにしているゾンビの顔を見る。
ゾンビはニタリと笑った。
自分の知っているフェリーニとは思えなかった。
ブチャラティの知っている気弱な笑みではなく、悪意を込めた嘲りの表情。
「どういう気分じゃ?友人の手で
「これが友人だと?これをフェリーニと呼べと?!魂を伴わないならもはや同じ人ではない!これで俺が決心を揺るがせると思ったなら大間違いだ!」
あらたな怒りで力が沸いてきた。
もみあいながら身体の向きをクルリと回転させ、ゾンビに向き直る。力を込めてその身体を押しやり、自由を奪われている腕を引き離し――た。
と、思った瞬間、とつぜん、押しやっていたはずのゾンビの身体がぶつかってきた。腹部に鋭い痛みが
「馬鹿な……貴様……どこまで……」
ゾンビの――フェリーニの身体ごとエンヤが長鋏をつき立てていた。切っ先がブチャラティの腹までしっかりと達していた。
胸からこみあげてきたものを吐く。
血だった。
そして、こいつの前で怪我をしたということは……
だが。本体もこの部屋に入ってきたという事は……本体さえ殺ってしまえば……
「スティッキー……」
「遅いわ!」
いつのまにか長鋏はエンヤ婆からフェリーニに移っていた。ゾンビは無表情のまま鋏を振るう。
ひとふり。ふたふり。
切っ先が動きの鈍っているブチャラティの両腕を傷つける。傷から流れるはずの血が空中に
き…り……?奴のスタンドは霧なのか?
ブチャラティの目の前で両腕に円く穴が開く。
右腕が緩やかに引かれ――自分の意図せぬ動きだ――顔面を殴りつけた。たまらず、ブチャラティは後ろにふっとび、最初にフェリーニが横たわっていた机に叩きつけられ、その上に置いてあったもの何もかもと一緒にそのさらに後ろに落ちた。
「自分の〈手〉で殺されるのもなかなか乙なものじゃろう?」
エンヤは様子を見るべく机の上に登った。雑多なものにまじって男は倒れ、うめいている。やがて、どうにか身を起こすと、凝りもせずスタンドを呼び出した。
「馬鹿め!貴様のスタンドの能力は見きっておるわ!腕を使えねばジッパーをつける能力は使えまい!」
男は片膝をついた姿勢で唇をかんだ。エンヤは嘲りと共に叫んだ。
「受けるがよい!正義の裁きを!」
両腕がエンヤの思い通りブチャラティの首を絞め……絞め……
馬鹿な!絞めているのは左手だけだ。
虚空をさまよっていた右手が地面を叩く。
「スティッキー…フィンガーズ!」
とたんに、四方八方にジッパーがはしり、天井が落ちてきた。
「馬鹿な……なぜじゃ……!」
轟音と共に瓦礫が落ちてくる。エンヤがおもわずブチャラティの束縛をはずした隙にブチャラティは改めて地面を殴った。
地中にジッパーで道をつけながらどうにか地上に顔を出す。片で息をしながら自分が逃れ出てきた建物を覗いてみると、1階が見事に
動く者はいない。生者であれ死者であれ。
霧がうっすらと晴れてきた。
片膝をついた姿勢のままブチャラティは呟いた。
「受けるがよい……お前の侮辱した死者の裁きを……」
少し血を吐いた。