公僕、職務に忠実たれ
1
足元を濁々と流れる河は勢いが強く橋がある形跡はそこに立つ支柱ぐらいしかない。
「おーい、どうだ、承太郎?」
承太郎と呼ばれた背の高いがっしりとした体つきの男は後部座席に乗り込みつつ運転席の銀髪をおったてた男に答えた。
「やはり、ここを車で渡るのは無理だ」
「だろうな。一目で分かるぜ。……花京院?」
助手席で地図を広げていた青年が呼びかけに応じて答える。
「上流に行けばもっと川幅が細いところがある。橋はないがちょっとした広場もあるし助走できそうだ」
それを受けて後部座席の壮年の男が言った。
「我々なら問題無く渡れるじゃろう。ポルナレフ、そこに回してくれ」
「了解」
「くれぐれも運転は丁寧にな」
「分かってますよ、ジョースターさん」
サイドブレーキを外すなり勢いよく発進させようとしていたところに釘をさされてポルナレフと呼ばれた運転手はゆるゆるとクラッチを放し、そっとアクセルを踏んだ。上々の滑り出しだ。
曇天模様の空の下、車体をがたつかせつつ車は行く。
「これで一ヶ月だってんだろ、川を渡れないの。よっぽどひでぇ雨だったんだな」
「いや、雨自体はひどくなかったらしい。断続的に降っていたっていうことの方が重要だろう。増水した川が元の水位に下がるまでが長くかかるんだ。」
「ふーん、そんなもんかねぇ」
前に座っている2人が会話を交わしつつ運転とナビとをやっているのに比べ、後部座席はえらく静かだった。と言っても別に後ろの2人の仲が悪いわけではなく、そのうちの1人、空条承太郎が無口なためだ。実のところ、もう一方の人物ジョセフ・ジョースターはけっこう話好きだ。が、しゃべりたくない人間相手にやいのやいの言うほど悪どくはなかったので今はこうしてぼんやりと外を眺めるにとどめている。
「このあたりがいいんじゃないか、ポルナレフ」
「そうだな」
狭かった道がたしかに広場につながっている。ポルナレフは車をゆるやかにUターンさせて一時停止した。
「いい具合に飛び越えるにはぴったりの角度で助走できるな。……
助手席の花京院は自分の脇に自己の分身たるスタンドを呼び出した。ゆらり、と現れた奇怪な人影は精神の投影であり、通常の人々には見ることができない。スタンドを見ることができるのはごくわずかなスタンド使いだけだ。
そのあいだに承太郎が外に出て車からワイヤーウィンチを引っ張り出した。
「準備は?」
「いいぜ」
花京院の
向こう岸に着地すると、
さてと。出番だぜ……
「
承太郎は自らの分身たるスタンドを出現させた。筋骨隆々たる闘士の姿をしたそれはワイヤーウィンチをぐっとつかんだ。
「いくぜ、承太郎!」
言うなり、ポルナレフはアクセルをぐっと踏んだ。向こう岸までは飛び越えるには無謀な距離。しかし、その場の4人は誰も恐怖の色を浮かべなかった。車が地面を離れるなり、スタープラチナがウィンチを引っ張る。引っ張られた車は宙を飛び、余裕で対岸に着地した。
「上等上等。御苦労、承太郎。乗れ」
後部座席のジョセフ・ジョースターが御機嫌で扉を開ける。承太郎は帽子をちょっと直して車に乗り込んだ。
再び走り出した車の中でポルナレフが言った。
「しっかし、ずいぶん上に来ちまったな。花京院、この辺に町はあるか?」
「あるようだ」
「ちっこい辺鄙な村じゃねぇの?」
"辺鄙な"をいやに強調してポルナレフが言う。
「分からないけど、道が3つ集まっているあたりにあるからそのあたりを統括するような町なんじゃないかな」
「よし、今夜はそこに宿を取ろう」
一行のリーダーたるジョセフが決定を下した。
4人の男たちが車から降り立った。
「割と大きな町だな」
外気をすってソフト帽をかぶりなおしながらジョセフが言った。
「なんだか静かな町ですね」と、これは花京院。
実際、町は活気らしきものに乏しかった。といって、別段、寂れた風でもない。人通りは多すぎもせず少なすぎもせず、町の外からやってきたこの4人組みに好奇の目を向けるものは多いものの、駆け寄ってきて物乞いをするとか怪しい品物を売りつけるとかする人物はいない。
車を停めたのはこの町の本通りと思しきところで、緩やかなカーブを描いてはいるものの見通しはよく、山を背負うようにして建っている館が道の先によく見えている。
「よし、ポルナレフと花京院は今夜の宿を探してくれ。承太郎とわしは買い物だ」
「あと、うまい飯を食わせてくれるところも探しておいてくれよ。──行こうぜ、花京院。まずはそこからだ」
ポルナレフと花京院は立ち並ぶ店のなかから手始めにそれらしき建物へ向かった。
「この町、フランス語か英語通じねぇのかなぁ。うへぇ……花京院、これ読めるか?」
軒先にぶら下がっている看板を指差してポルナレフがうめく。言われた花京院は慌てる事もなく
「『快適な宿をお安くご提供。朝食付き。空室あり』」と読み上げた。
「すげぇ、おめぇ、これ読めるの?!」
花京院はだまって看板をひっくり返し、ポルナレフに自分の方に向いていた側を見せた。ちょっと黙ってしまったポルナレフに言う。
「少なくとも英語は使えるようだね」
「あるのね、英文……」
なんだか気が抜けた感じでアルファベットを目で追っているポルナレフに中から声がかかった。
「英語が使えないとこの町じゃやってけないんだよ」
「え?」
二人揃って中を見ると、カウンターの向こうで小太りの女性が笑いかけている。いかにも愛想のいい宿屋の女主人だ。
「この町はね、この地方に住む人間が集まる町なんだよ。けど、もともとが小さな部族の入り交じるところだったから、それぞれの言葉の方言がきつくて母国語じゃ意志の疎通ができないのさ」
「なるほど、それで英語が共通語として使われているわけですね」
「そう。村から出ない人は英語なんか知らないけどね。宿を探してるのかい?」
「ええ、そうです」
会話を交わしながら2人は中に入り、カウンターに近づいた。
「泊まってきなよ。サービスはちゃあんとするよ」
冗談っぽく言う口振りには何の屈託も無い。そのとき、カウンターの向こう、女主人の後ろの扉が開いてパタンと閉じた。不思議に思っていると、カウンターからひょこっと子どもの頭が現れた。ポルナレフと花京院の二人と視線が合うと、慌てて頭を引っ込めたが、好奇心はあるのかソロリソロリとまた目をこちらに向けた。
「これ、お客さんに挨拶しなさい! ごめんなさいねぇ、愛想が無くて」
客に対して親に挨拶を強要されるという構図は自分にも覚えがあったので花京院は苦笑した。
「息子さんですか?」
「ええ」
花京院が受け答えしている間にポルナレフはごそごそとポケットからコインを取り出した。それを自分の大きな手のひらにのせると、それを子どもの目の前に広げる。じぃっと注視している子どもの目の前で、手のひらを返す。コインはクルリと移動して今度は手の甲にのっている。子どもの目が丸くなった。不思議そうに見ている子どもの前で、今度は指を小指から順番にちょっとずつ曲げると、コインはその動きに合わせてカタカタと親指の上まで移動した。ポルナレフがさらに指の動きを早くすると、コインはゆるやかにその手の上を踊った。とうとう、子どもが乗り出してきてそのコインに触ろうとしたとき、いきなり、ポルナレフが子どもをぐっと抱き上げポンと自分の肩に乗せた。子どもは驚いたような顔をしたが、すぐにはにかんだ様に笑った。そこにコインを差し出すと、ポルナレフのやったように自分の小さな手の上にコインを乗せて指をちょっと動かした。チィンと音を立ててコインは落ちて、カウンターにあたってかたりと倒れる。それを見て大人たちは揃って笑った。
「ここに泊まろうぜ、花京院」
「そうしよう」
「はいはい、2名様ね」
「あ、あとでもう2人来ます」
「そうだ、車が停められるようなスペースあるかな」
「ちゃんとした駐車場じゃないけど、裏に停められるよ。4人で車で旅かい?」
「ええ」
「じゃ、やっと川が渡れるようになったんだねぇ」
花京院とポルナレフはその言葉にちょっと困って顔を見合わせた。
「いや、通れるってほどじゃないですよ。僕ら、人に止められたのに無理して渡って危ないところでしたから」
「そそ、それで、この町でおとなしくしようって決めたってとこ」
「ああ、そうなのかい。この町はちょっと雨が続くと陸の孤島になっちゃうのが困り物でねぇ」
「え、じゃあ、西にも行けないんですか?」
「西にも北にも東にも南にもね。西と東は川に挟まれてて北はあのとおりの山。南には道が無いから」
「じゃ、食料はどうしてるんですか?」
「川に挟まれている一帯で自給自足はできるのさ。山には動物もいるしね。もっとも、なまじ困らないせいで放っておかれて道の整備が進まないんだろうけど」
「ははぁ……」
「あ、そうだ。電線が切れちゃっておとといから電気は使えなくなってるから、夜は早めに寝てくださいね。いちおう、燃料はあるけど、もうしばらく川を渡れないんならとっておきたいし」
「分かりました。それじゃ、連れを呼んできます」
2人が道に出てみると、何やらガヤガヤと人だかりがしている。制服を着た一団が背の高いがっしりとした2人組みを手荒く扱ってどこかへ連れて行こうとしているのだ。
「あれ……ジョースターさんじゃねぇか? 承太郎も?!」
言うなり、ポルナレフが駆け寄ろうとするのを花京院がぐっと引き止めた。
「待て、ポルナレフ!!」
ジョセフがそんな2人に気づいて視線を一瞬だけこちらに流した。その唇が『来るな』という形に動いた。
「なんで止めるんだよ!!」
「いっしょに捕まったら身動きが取れなくなる。なんで承太郎もジョースターさんも大人しくしているか考えてみろ。あの2人ならわけなくこの囲みを突破できる。でも、それをして追われる身になったら、困難な旅がますます困難になる。公的機関を敵にするのはまずい。まずは状況を把握するんだ。あの一団が軍隊なのか、警官なのか何なのか。なんでジョースターさんたちが拘束されたのか。そして……」
「あれが単なるアクシデントなのか、敵の策略なのか、だな」
あの一団全員がスタンド使いだったらやっかいだけどな、とポルナレフは付け足したが、さすがにそれはないだろう。
「あんたたちの連れって、あれかい? あの、今、警官たちに連れて行かれた人たちかい? よく見えなかったけど、ずいぶん背の高い人たちだねぇ」
すぐ後ろから声がかかる。店のおかみがカウンターから出て外を見に来たのだ。
「そうです。でも、あれは何かの間違いです!」
「そうだ、断じて犯罪を犯す奴等じゃない!……たぶん」
"断じて"と"たぶん"が矛盾してるぞ、と花京院は心の中で突っ込みをいれるが、ポルナレフの勢いが弱くなったのもよく分かる。承太郎もジョースターさんもけっこう無茶する方だし、承太郎などは黙って我を通そうとするときがあるから要らぬ喧嘩を売られがちだ。
「ああ、そんなに慌てなくたって追い出したりはしないよ。あんたらが悪い人じゃないってのはこの子が珍しくなついたので、よぉく分かってるよ」
この子、そういう所は勘が鋭くてねぇ、といくぶん自慢げにおかみは言う。
「たまにあるのさ。旅の人が連れてかれるときが。署長さんが変わった頃から人の出入りに厳しくなってねぇ。大丈夫、2週間もすれば出てくるさ」
「にしゅうかん!?」
「それはひどい!」
「何もしてないのになんで2週間も拘束されなくちゃならねぇんだ!」
「そんなこと私にいわれても……」
確かに、ここでおかみに文句を言っていてもしょうがない。
といって、何もしないで2週間を費やすには彼らに時間が無さすぎた。1日2日なら面倒を避けるために費やしてもいいが、2週間もここで足止めを食らうわけにはいかない。目的地エジプトまではまだまだあるのだ。この間にも承太郎の母親ホリィの命は刻々と削られていく。彼女を救うために早くエジプトに行き、潜伏しているDIOを探し出して倒さねばならない。
「大使館に連絡して、どうにかしてもらおう。ポルナレフ、君はアメリカ大使館に連絡を。僕は日本大使館にあたってみる」
「それで早く解放されりゃあいいけどな」
そこに、話を聞いていたおかみが横やりをいれた。
「どうやって連絡するんだい?」
悪い予感に思い当たって、おそるおそる訊いてみる。
「もしかして電話も……」
「通じないよ」
あちゃぁ……と、ポルナレフは天を振り仰いで片手で目のあたりを覆った。花京院は右手の親指を唇にあてて考え込んだ。
となると、SPW財団を頼るというのも無理だ。
「なぁに、どうせしばらくは雨のせいでこのあたりから出られないんだから」
慰めているつもりなのか、おかみがそう言った。しかし――
「……晴れてきた……」
2人を嘲笑うように雲が急に切れ、日が射してきた。その光景はほとんど幻想的なまでに美しく、それだけにいまいましかった。
2
天井近くのごくごく小さな明かり取りからサァッと光が射してきた。
「晴れてきたな」
「……」
「ふぅ、なんで捕まったのか分からんが、一晩はこの牢屋の中か」
「……」
「やれやれ、この歳になってまた留置所に入れられるとは思わんかったわい」
"この歳になってまた"だと? このじじぃ、若い頃は相当のワルだったな。ま、人のことは言えねぇが。
「どうせ、この町に一晩泊まるつもりだったんだ。静かでいい寝場所だと思えばいい」
とは言ったものの、留置所内はじめじめしていて"いい寝場所"には程遠かった。コンクリートの壁は冷たく、水がしみだしたような跡がそこかしこにあった。
ジョセフと承太郎は警察官と思しき一団に突然、逮捕された。1人が指差してワーワー騒いだときにヤバイとは思ったのだが、役人を敵に回すのはまずいと逃げ出さなかったのはジョセフの判断だった。
今は警察署の中だ。取り調べらしきものは何も無く、そのまま牢に入れられたのが気になる。
「花京院とポルナレフはどうしたかな」
「さぁな」
「ま、一緒にいなかったのが不幸中の幸いってとこじゃな」
乱暴に扉の開く音がした。ジョセフは鉄格子にはりついて、誰が来るかと首をのばして外をうかがった。ねっころがっていた承太郎はその体勢のままちょっと目を向けた。
警官が1人、やってきた。
「ジョセフ・ジョースターと空条承太郎だな」
「そのつもりで捕まえたんじゃねぇのか?」
承太郎が軽く憎まれ口を叩いたのも意に介さず、警官はガチャガチャと錠前をはずした。
「出ろ」
やれやれ、釈放してくれるわけじゃなさそうだぜ。
「君、我々は何の罪を問われているんだ?」
ちゃんとした答えが返ってくるとは思っていないが、一応、ジョセフが聞いてみる。案の定、警官はその問いは無視した。代わりに事務的に告げる。
「貴様らは署長宅併設の特別拘置所に移送され、そこで署長直々に取り調べを行う」
「特別待遇だな」
へらずぐちを叩きながらも承太郎は逆らわずに立ち上がった。ここで四の五の言っていてもしょうがない、署長を相手しなければ埒が明かないだろう。
警官のすぐ後ろを2人はついていく。と、ジョセフがスタンドで話し掛けてきた。
──承太郎、おまえなら犯罪者の隣に住みたいか?
──何が言いたい?
──"署長宅に併設の拘置所"とこの男は言った。いくら仕事熱心でも、わしなら御免被りたいな。自分に逆恨みしてるかもしれない奴を家のそばに近づけるのは。
──てめぇが仕事熱心とは初耳だな。
ジョセフはむっとした顔をした。
──ともかくだ。この町の警察はおかしい。
承太郎も、ジョセフの言いたい事は分かる。仕事と家庭は切り離すのが普通だろう。仕事熱心であろうとなかろうと警察という仕事に就いているからには犯罪者に対する警戒心も普通以上だろう。家族がいるなおさらだ。
薄暗い留置所の廊下から警官が2人詰めている部屋を通り抜けて表に停まっている護送車へと誘導される。部屋を出て車に乗り込む、その一瞬、承太郎の目に壁の張り紙が飛び込んできた。
──じじぃ、見えたか?
──何が?
──壁に俺達の手配写真が張ってあった。
「……まずいな」
声を出してジョセフが言ったとたん、車が動き出した。前のめりになったのを2人は揃ってふんばって、落ちそうになった帽子を各々手で押さえた。
護送車が警察署の前を走り去ってから4,5分経って。女主人に警察署の場所を聞き出して、そちらへ急いでいた花京院とポルナレフだったが、通りに面した建物の壁にとある手配書が貼ってあるのを目にして絶句していた。
「凶悪犯・ジョセフ・ジョースター,空条承太郎……か。他人の空似ってわけじゃなさそーだ……」
「何をしたのかが書いてない。発行は1ヶ月前か……。何かがおかしい」
「何もかもおかしいってんだよ、こーゆーのわ!」
1ヶ月前といえば、まだ日本にいた頃か。この国にも入っていないのにこんな町に手配写真が貼られたのはなぜだ? いや、「貼る事ができた」のはなぜだ?
「彼らはどうやって写真を手に入れたのか」
花京院がつぶやく。
「……DIOか? やはり、奴が絡んでいるのか?」
かすかな囁き声でポルナレフは言った。
確かに。DIOならできるかもしれない。ジョースターさんのように奴も僕の目の前で念写してみせた。ポルナレフは水晶に両右手の男を見せられたといっていた。
「ありえるな」
「……でもよぉ、なら何で俺達の写真はないんだ?」
「その点なら説明がつく」
「え?」
「いいか、僕らが肉の芽を抜いてもらってジョースターさんたちに同行したのは1ヶ月前より後のことだ。肉の芽を抜かれた瞬間DIOが裏切りを悟ったとしても、それを差し向けた刺客に伝えるには時間がかかる。奴は念写はできるかもしれないが、それを離れた場所にいる人間に伝えることはできない。で、だ……。僕は奴に操られていた間、奴に連絡を取った覚えはない。君だってそうだろう?」
確認を取るようにポルナレフを見ると、ポルナレフが頷いた。
「差し向けられた側から電話でもしない限り、奴には瞬時に伝わる連絡手段はない。となると、僕らがジョースターさんたちの側に回った事が刺客に伝わるまではタイムラグがある。僕が承太郎を襲った後の刺客は
「……今となっちゃよくは覚えていない。なんせ、あのくそったれの肉の芽が埋め込まれている間は頭がボーっとしちまってたしな。でも、知らなかったように思う」
「──それから、君が僕らの仲間になる。次に襲ってきたのが
「なるほどな……」
「しかし、その時、この町は閉鎖状態になってしまっていた」
ポルナレフはそれを聞いて、ポリポリと頭を掻いた。
「けど、花京院、俺達は入れたぜ。奴の側にそれができるスタンド使いがいないってのもおかしな話じゃねぇか」
花京院は頷く。
「おかしな点ならまだあるんだ。DIOがこのことに絡んでるとする。となると、その人物はこの町の有力者でなくてはならない。警察のトップというのが妥当な線だろう。なぜなら、そうでなければこんな曖昧な指名手配写真を貼る事は許されないだろうからだ。それで、例えば警察署長が敵スタンド使いだとして、おかしな点が2つある。1つめ。なぜ、敵は僕らをねらって出てこないでここに居座っているのか。2つめ。なぜ、この町なのか。僕らがこの町を通る事が判明したとしても、それはごく最近、この国を車で移動している事、このルートを取った事が分かってからだ。だから、「僕らが来るのに備えて」「1ヶ月前から」ここに張り紙を張っているというのはおかしい」
「そしたら、やっぱ奴は絡んでないのか?」
「分からない」
だが、店の女主人は言っていた。"署長が代わってから人の出入りに厳しくなった"と。これが妙に気にかかる。DIOに配置されたと考えられないか? しかし、いくらDIOといえど、この国の警察機構に働きかけて警察署長の人事を左右する事ができるか?
「おい、花京院、とりあえずそこんところを考えるのは後だ。さっさとジョースターさんたちを脱走させないと。この際、手配されるのはしかたないぜ。2週間も足止め食らったんじゃ追手がかかったまま行く方が進めるぶんまだマシだ。もし、本当に敵が関わってるとしたらなおのこと、さっさとジョースターさんと承太郎を解放しなくちゃならねーぜ」
「それにはまず2人がどうなっているか知らなければ」
だからこそあそこに行くんだろう? と花京院が指差した先になるほど警察署らしき物がある。窓から警察官とおぼしき制服の男が働いているのが見える。
2人は一区画ほど離れた地点で立ち止まった。花京院が
「中には警官が1人……いや、2人だ。1人は書類に何かを記入している」
「その書類ってのに処理記録とかなんかそういうもんはねぇのか?」
「今、記入してるのがそうだと思うんだが……参ったな。今開いているページは見る事ができるけど、前のページは見る事ができない。この警官、しっかりページをおさえてる」
どうしたものかと花京院は思案に暮れる。
「せめてこの警官の注意が他を向けば……」
すると、ポルナレフがふーんと鼻の奥を鳴らした。
「注意を引くのね。英語が共通語なのね……」
言うなり、花京院が止める前に大股で警察署へ向かっていき、中に入った。花京院はポルナレフが何をやらかすかと
ははぁ、道を訊いている旅行者ってところか。
花京院には彼の早口のフランス語は分からなかったがそう思えた。警官もそう思ったらしい。どうしたんだ、と書きものをしていた警官が声をかけるたのに対して「どうやら道に迷ったらしいんだが」と答えている。ポルナレフは英語の単語を交えつつまくしたてる。なまじ、分かる言葉も入るものだから警官も見捨てきれないでいる。
うまいもんだ。そういえば、僕らの前に現れたときもこんな感じだった。あれでいて、結構、演技はうまいのかもな。実際、僕らも食事が出てきてポルナレフみずから敵である事をあらわにするまで気づかなかった。
だんだん、声が大きくなる旅行者を前に困っている同僚を見かねて、書き物をしていた方の警官がとうとうペンをおきポルナレフの前にでてきた。これ幸い、と花京院は
ジョセフと承太郎の名前を探しながら花京院は妙な事に気づいた。旅人がよく捕まっている。また、この規模の町にしては凶悪犯罪者が多すぎるような気がする。そういった凶悪な犯罪者は"特別拘置所"に移送され、"署長自ら"取り調べるものらしい。そして、そのほとんどが処刑という結果で結ばれている。
花京院は
まずいぞ、これは。急がなければ。──収監場所が特別拘置所なのは書類を調べ出してからすぐに予想をつけた通り。しかし、特別拘置所はどこにある?
花京院はスタンドをひっこめて、自ら警察署に向かった。入るなり、ポルナレフに駆け寄って言う。
「ここだったか」
ポルナレフの方も調子を合わせ、フランス語で何事か言いながら花京院の肩をバンバンとたたいてほっとしたような表情をして見せた。
「あんた、この人の連れ?」
「ええ、そうなんです。はぐれてしまって……着いたばかりで宿の場所も僕しか知らなくて……」
警官たちはほっとしたようだった。
「なんにせよ、よかったよ。もう、はぐれんでくれ。なんせ、言葉が通じないのにけたたましくまくしたてるもんだから、ほとほと困ったよ」
「ええ。──ほら、行こう」
警察署を出かかったところでちょっと立ち止まって振り返る。
「そうだ、特別拘置所ってどこですか? 凶悪犯がたくさんいるから近づかない方がいいと人に言われたんですが、場所が分からなくて……」
「ああ、それならその道をまっすぐ山の方に行ったつきあたりだよ。でも、心配する事はない。警察署長の屋敷に併設してあって、警備も厳重だ」
わけの分からない外国人から救ってくれたという気安さもあってか、それとも別に秘密でもなんでも無いのか、いとも簡単に警官は答えた。
3
午後の日差しは強かったが、高地のせいだろう気温はさほど高くはならなかった。傾きだした太陽を背にポルナレフと花京院は"警察署長の家"というのを塀越しに見上げている。傾きだしたとはいえ、まだ日が暮れるまで時間がある。
警察署長の家というのは"屋敷"というにふさわしいどっしりとした造りだった。正門から見える玄関の横には車がゆうゆう2台は入る車庫がある。
正門から移動する。曲がり角を曲がり、表通りからは見えない位置へ。
敷地はひろびろとしていて、木々が鬱蒼と生えている。その向こうに屋敷が見え隠れしている。"拘置所は署長の屋敷に併設している"というから質の違う建物が2つあると予想していたのだが、そうではないらしい。どうやら、"併設"というよりも"一体化"しているらしい。あるいは地下があるのかもしれない。
花京院は
「警備は厳重だと言っていたが……見張りはいないようだ」
塀の外から見上げているときには分からなかったが、木々は下枝が切られていて屋敷の側からは塀が丸見えだ。しかし、今、屋敷に人影はない。
「ポルナレフ、ちょっと腰をかがめ気味にして壁に手をついてくれないか?」
「こうか? ──って、痛てて、ちょっと待てよ、痛てぇ、痛てぇって。俺、肩むきだしなんだぜ? 靴のまま乗るかぁ?」
「静かにしろ」
「……ったく。お前ってたまにそういうとこあるよな」
まだぶつぶつ文句を言っているポルナレフを花京院はきっちり無視した。
「どうだ? 入れそうか?」
なんだかんだ言って肩にのった花京院の体重を支えてふんばっているポルナレフも人がいい。
「大丈夫そうだな、誰もいないようだし──しまった!!」
建物から偶然出てきた男とバッチリ目が合ってしまった。建物まではけっこう距離があったのだが、塀の上に頭一つ出ているのは一目瞭然だろう。花京院はとっさにポルナレフから飛び降り「逃げろ!」とだけ言った。その辺は心得たもので「なんで?」などとは訊き返さずにポルナレフも花京院を追って素早く道の向かいへ走り、裏通りへの細い道の物陰に潜んだ。
花京院は再び
「各窓の当たりに人影が見える。
「警戒が厳重になっちまったわけだな」
「屋敷内は非常体制だろうな。……外に出てくる者はいない」
おかしい。僕なら、まっさきにここに、この道のこのあたりに人を遣る。なぜ誰もここを見に来ようとしない?
「どうあっても侵入しなくちゃならないが、こう明るくっちゃ、いまは無理だぜ」
ポルナレフが肩をすくめて首を振った。
「しょうがない。夜になるのを待とう」
2人は静かにその場を離れた。
あてがわれた宿の部屋からそっと抜け出す。高地の夜は寒い。風がひんやりしている。
公共の主要な建物には電灯が点いていた。停電を免れたか自家発電でもあるのかあるいは復旧を急いだのか。が、大部分の家々に明かりはなかったので、満月近い月の光が明るく感じられた。
シンとした町並み,弱々しい人工の光,夜影を強調する月光、それらすべてが不気味な雰囲気を演出している。
目的地に着くと花京院は
──塀の向こうに2人見張りがいる。
塀を挟んですぐ近くに見張りがいるので花京院は声を出さずにスタンドを使って伝えた。
──こちらの道路に面した辺に配置されている。このあたりからこのあたりまでを一定の歩調で左右に移動している。
花京院は自分の目の前でシュッシュッと両手を左右にすれちがわせてその様子を示して見せた。
──塀の上に特に注意を払っているようだ。
──ふーん。……どのあたりですれちがう?
問いに答えるべく、足音を立てないように移動し位置を指し示してみせる。
──この見張りをどうにかしなければ塀を乗り越えて侵入するのは無謀だな。
──乗り越えなければ?
"言う"なり、ポルナレフは自分のスタンドを瞬時に側に現れさせた。白銀の騎士、
──見張りが両端に移動したら教えろ。
──……行った。
その言葉を待って、
──見張りがすれちがう瞬間、侵入する。花京院、おめぇは
──分かった。……よし、いまだ!
ポルナレフが塀に体当たりをくらわせる。とたんに、ぽっかり四角く穴があいて塀のその部分が内側に倒れた。突然、塀が自分たちに向かって崩れてきたため、見張りが叫び声をあげようとしたが、その口を花京院が
「花京院、おめぇも手伝え。はめときゃしばらく気づかれない」
2人で持ち上げてはめ込んでみると、なるほど、それはピッタリはまりこんで一見まったいらな壁に見える。
再び、花京院が
「昼間は外に面した部屋には人がいたんだが……今はいないようだ」
警戒を解いたか、他へ回したか……
「ともかく、一番近いとこから中に入っちまおう。月が明るすぎる」
そうだな、と答えると
しめっぽいベッドが2台。そのそれぞれに長々と身を横たえている。ジョセフと承太郎はほぼ同じ体格であったから、ベッドに空く空間も同じぐらいだ。承太郎の方は仰向けにねっころがって、両手を頭の後ろで組んでいる。ジョセフの方は横向きになって左腕を枕代わりにしている。2人とも起きていた。靴も脱いでいない。
「どうする? このまま署長とやらが来るのを待つか? それとも夜に乗じて抜け出しちまうか?」
「出よう。事を荒立てたくなかったが、どうも様子がおかしいからな。幸い、見張りがだんだん減ってきたようじゃ。そいつらがどこに行ったのかは気にかかるところだが」
それに、待つ気なんぞ無いんじゃろう? というジョセフの言葉に承太郎は口の端だけでニヤリと笑った。
この牢には窓が無い。明かりは鉄格子の向こう側、5メートルぐらい先の所にある机の上のランタンだけだ。そこには見張りが陣取っていて、じっとこちらを見ている。椅子に座って身動きさえせず、ただただ2人を見張っている。眠たげな様子も見せない。
勤勉なもんだ……
皮肉でもなんでも無く、承太郎の感想はそれだった。ちょっと視線をジョセフに移すと、ジョセフはじっと壁に耳をあてていた。承太郎の視線に気づくと、壁に耳を当てろ、と身振りで示した。
壁に耳をあててみる。
カリカリカリカリ…………
小さな音が続いている。何か硬いものを削っているような、もしくは固いもの同士をこすりあわせているような音だ。
ジョセフが上半身を起こした。ベッドが体重の移動のせいでギシギシと軋んだ。すると、カリカリという音は止まったが、しばらくじっとしていると再び鳴り出した。
「何の音だ?」
さあな、とジョセフはかぶりをふった。
「まずは──」
「出るか? 鉄格子をへし折るのは簡単だが──」
「あの見張りに騒がれるとやっかいだと言うんじゃろ。まかせておけ」
ジョセフは豪語すると、自分のスタンド
見張りにならねぇな。奴が悪いわけじゃねーが。やれやれ、仕事熱心なのに気の毒なこった。
承太郎がそう思っている間にジョセフの
「波紋……か」
「ニシシ。なかなか便利なもんじゃろう。どれ、ついでに鍵もいただくか」
ジョセフは
「殺したのか?」
「まさか。気絶させただけじゃ」
守備良く牢から出る。
「TVかカメラ、どこかに無いかな。まずは、この館の見取り図が知りたい。そうじゃ、承太郎、その見張りを連れてきてくれ。何か役に立つ事を知っているかもしれん」
承太郎は頷くと、見張りを担ぎ上げようと近づいた。しかし、床に倒れ伏したその体を見て絶句した。
「こいつは……!」
どうした? と言いながら側に来たジョセフも同じく絶句した。承太郎が言った。
「これは……何だ?」
それに答えたジョセフの言葉には憤りが込められていた。
「……わしには分かる! こいつに見慣れすぎるほど見慣れていた時期が、わしにはある!!」
そっと音を立てないように窓を開ける。まず、花京院が身体をすべりこませた。
部屋には時代物の調度品が調和を持って配置されている。それが過不足無く似合うほどに部屋は大きい。
「思ったより広そうだな。屋敷の地図が欲しいところだ」
と言いながら振り返った花京院の目の前でポルナレフの体に瞬時に緊張が馳った。
「花京院、横に飛べ!!」
ポルナレフの戦士としての勘については絶対の信頼を置いていたので、間髪入れずに花京院は飛びのいた。ポルナレフが瞬時に
白銀の閃光に見えたのは
「助かったよ、ポルナレフ」
緊張を解きかかった花京院をポルナレフが鋭く制した。
「まだだ、花京院!」
「まだ? どう見ても致命傷だぞ……?」
ポルナレフが冷や汗を流している。全身で緊張した姿勢をとったままだ。
「どうやら……俺には……分かったぜ、花京院……。俺には……敵の正体が分かったぜ!」
ポルナレフの言葉が終わるか終わらないかのうちに動かないはずの男の体が不自然なまでに勢い良く起き上がった。その男の頭部にポルナレフが怒涛の突きをいれる。
完全に動かなくなった男を前に、ポルナレフはやっと臨戦態勢を解いて告げた。
「