続・青年期の悩みにおける傾向と対策・
八神庵の場合(傾向篇)
〜TWIN RED〜

caretakerさん主宰「庵の部屋」にて
“同じ台詞を同じキャラに言わせる”
というルールのもとに展開された「笑点」シリーズ。

その群青バージョンがこれです。

それも姑息なことに自分の小説の続編に仕立ててしまった僕。

ちなみにお題は〈「わかっていたさ、京……」と言って自嘲的に笑う庵〉でした。

“庵”(かっこつき庵)は庵のバックアップみたいな存在。

庵の中にいて、同じものを見、同じものを聞き、同じものを感じ、
同じものを愛してきながらあくまでも庵でない存在。この上なく近い平行線の間柄。

とても良く似た、とても近い存在でありながら決して交わらない二つの心。

今後結構出番があるのではないでしょうか?少なくとも再登場くらいはするかも。

全て未定ではありますが。

普通に生活してるとき、庵は“彼”のことは全然覚えてない。

庵の行動に影響を与えるっていうこともない。

けど、庵が捨ててしまった、あるいは捨てたつもりになっている感情や記憶も
全部“彼”は持っていて。

もしもいつか彼にそれらが必要になったらコピーしなおしてくれるのでしょう。

「草薙京」という人を認めることができて(認めるべき所は、ね)、
ひょっとしたら庵よりずっと庵のこと大切に思ってて。

その割に厭世観強くてちっとも幸せじゃない。

ああ、せめて、庵と“庵”に幸いあれ。

そんな感じです。

「わかっていたさ、京……」

庵は自嘲的につぶやいた。うっすらと、笑みさえその唇にうかべて。

脳裏に、まるで麻薬中毒者のフラッシュバックのように鮮烈にひらめく一枚の絵。ふとした瞬間に、遠慮なく彼の中に浮かび上がるそれ。

「わかっていたんだよ、俺は!」

たたきつけるように言葉を発し、庵は周りのすべてを拒否するように固く目を閉じ肩を震わせた。

「だから……俺の前から消えろ、消え失せろ……早く!俺をどうする気だ!?」

悲鳴のような声に、京の無邪気な笑顔は姿をかき消した。自分の視界を取り戻し、庵はにじんだ汗を乱暴にぬぐった。

両の拳を膝の上で固く握りしめ、彼は何かを拒絶するようにその目を伏せ、何かを振り切りたがっているように頭を振った。

暗いここはどこなのだろう?彼にはわからない。しかし、ここがどこであるかなど、今の彼にはまったく興味を持ちえない問題だった。

奇妙な息苦しさを覚え、彼は空をかきむしった。

「なぜそんな目で俺を見る?なぜ俺に向けてそんな顔で笑ってみせる? なぜだ京、なぜ八神の者に向かってそんなに!そんなに、友好的な顔ができる……?」

嬉しそうな笑顔で、京は庵に接した。まるで数年来の友にするかのように。

知ってはいるのだ。京にとって八神・草薙両家の長きにわたる確執の歴史など意味をなさない。あの者は、ただ強い者と戦って勝利し、自分のさらなる強さを認識したいだけなのだ。だから、似通った技と同程度の実力を持つ自分に興味を持ち、やれ拳を通じた交流だのという甘ったれた世迷い言を掲げているに違いないのだ。

「そんな……そんな甘えた考えで八神家の復讐の炎が消せると思うか!? 六六〇年もの恨み、消えはせんぞ!」

悲鳴のような叫び声も、何の救いにもならなかった。自分の中のもう一つの声が、闇の中から冷静に問いかけてくる。

『奴が強さを追っているだけだと?本当にそう思っているのか?ならば仮にあの男が草薙の血を引かぬただの喧嘩上手であったなら、奥義(おくぎ)の紐をといてでもあの者を倒そうとしたか?』

「馬鹿な!……俺は暴力は好かん、人が傷つくのも血を流すのも嫌だ」

即答だった。うつむいて目元に手をやる。

「人の血は嫌だ……」

暗闇に押しつぶされそうな感覚。固く目を閉じ、頭をかかえて庵は呻いた。あまりの苦しさに、頭が割れそうに痛む。

「うあ……あぁ!」

思わず悲鳴がもれた、その瞬間に、目の前の闇が音もなく剥がれて消え去った。いつもと変わらぬ殺風景な部屋の景色が広がる。

「……夢?」

初めて息を吸い込んだかのように、細く強くひゅうと音をたてて空気が流れた。

『今のお前に闇は辛いようだな』

「何……!?」

いたわりというにはあまりに冷ややかな響きを有する聞き慣れた声が降ってくる。

『代わりに部屋の景色を貼った。これの方がよかろう』

場所が変わった訳ではないらしい。もとより生活臭のないこの部屋に、風の音さえ今は聞こえない。

五感すべてはっきりしているのに妙にぼやけた感覚は、

夢とはとても良く似ている。しかし、ここに夢のような心地よさは存在しない。

「……ここは、俺の心の中か。また来てしまったか……チッ!」

『そうだ。お前は眠っているようだな』

うずくまっていた彼の前に冷たく立っているのは、“八神庵”。もはやなじみとなったもう一人の己に、庵は投げやりな視線をくれた。

『月を象徴に生きる八神の末裔が闇を怖れてどうする?庵よ』

「やかましいぞ、黙れ……“庵”!」

奇妙なやりとりがかわされる。鏡に映したように同じ経験的知識、あるいは記憶と感情を持ち、まったく同じ2つの姿として象徴されながら、互いに同一ではないことがこんなにも如実にわかる。

冷たく張りつめた緊張は、視線をそらした“庵”のつぶやきのような言葉によって、わずかながらも和らいだように思われた。

『……今日は大変だったな』

「……ああ。奴があそこまで脳天気だとは思わなかった」

長く息をはきだして、庵は座ったまま天井を仰いで目を閉じた。

『まったくだ。あんなのが我ら一族の仇とはな、拍子抜けもいいところだ』

“庵”もまたため息をつく。そして、とまどいよりは自嘲めいた様子で遥けく視線を飛ばした。

『だが……あんなものを食ったのは久しぶりだったな。あんなふうに温かくて甘いものを食ったのは……』

「うまかったとは思うぞ……だが自分で買ってまで食おうとは思わんな」

けだるげな庵の台詞に、短く息を吐き出すように笑う。庵はとがめなかった。

「めずらしい体験をさせてもらったからな……。今日の所は勘弁してやってもいいさ」

『そうだな、今日くらいは許してやってもよかろう。ユキとやらに免じてな』

二人はにやりとし、そして庵はもう一度目を閉じた。

『時間だ。もう行け』

「言われるまでもない」

“庵”がうながす。庵は立ち上がった。

『また、いずれ』

「会いたくもないがな」

『……違いない』

くっくっ、と声を押し殺して笑ったのはどちらだったか。あるいは、両方か。

部屋の景色に、澄んだ音とともにひびが入った。ゆっくりと、あっという間にひびが広がり、部屋を覆い尽くす。

乾いた音がして、景色が割れた。“庵”の姿がかき消える。

光が差し込む。

庵は目を開けた。

いつもと変わらぬ朝。冷たい水で顔を洗い、口を漱いでタオルを手に取り、庵は何気なく目の前の鏡に映った己が顔を見た。

夢を、見ていたような気がした。

「……知らんな、そんなもの」

つまらなそうに言い捨て、男は鏡の前を離れた。

鏡の中で、赤い髪が嗤ったことに、庵はついぞ気付かぬままだった。

Author's Note

上の「傾向と対策」の続編です。副題は「twin red」、「双子の赤い髪」ということで。

caretakerさんの「庵の部屋」の企画物(=笑点)として投稿したものです。 イオロチ君、初登場。

1997.10.19up、群青作。

(※Sousui注:上述の企画は,caretakerさんの「庵の部屋」が閉鎖したため,全作品をSousuiがもらい受けました.「書架 presented by 淙穂」にある『糸は未だ交わらず』と『Next DJ Station -前夜- 』(Sousui作)と『癒しの雨』(caretakerさん作)がそれです.