巷でリアルバウト餓狼伝説2が稼働を開始したころ。 しばらく平和だったサウスタウンは、またぞろ不穏な賑やかさに包まれた。 ギースの側近という立場上、何をためらうこともなく愛用の三節棍を手に参戦を決めたビリーが敗北を喫し、帰宅した日のことであった。 赤やら青のあざで顔中派手に装飾した兄の帰宅に、いつものように朗らかにドアを開けて兄を出迎えようとしたリリィは危うく卒倒しかけたが、彼女は気丈に踏みとどまると救急箱片手に居間へと舞い戻った。 濡らしたタオルで顔を冷やしていたビリーに顔を上げさせ、リリィはオキシフルを含ませた脱脂綿をピンセットでつまむと腫れ上がった傷口を拭いてやった。 ぶつぶつと文句を言ったビリーの台詞にリリィの手が『ぴたっ』と止まる。綺麗なブルーの瞳が愕然と兄を見つめる。ビリーは自分が失言したことに気づいた。 嘘ではない。ギースを守るのがビリーの仕事である。そのための怪我なら給料の内であった。 しかし、ビリーの仕事の内容をリリィは知らない。教えていない。この優しい妹に余計な心配はさせたくなかった。……それが裏目に出た。 綺麗な綺麗な青い瞳にうるうる見つめられ、ビリーは敗北を悟った。しゅんとして頷くと、リリィはかわいい顔をくしゃくしゃにしてビリーに詰め寄った。 泣きべそかきながらも傷口を一生懸命拭いてくれる妹に、何と言ったらいいのか見当もつかず、ビリーは短い謝罪の言葉に無量の思いをこめた。 べしべしと脱脂綿で腫れた箇所をたたかれる。打撃力はたいしたことはないのだが、怪我をした場所を消毒薬付きの脱脂綿でたたかれたらそりゃあ痛い。 ぐさっ。しこたま傷つけてしまった妹の、泣き声での糾弾がビリーの良心を直撃する。 弁解を試みようとしたビリーは、妹が形のいい唇を噛んで震えているのを見た。次の瞬間、リリィはわあっと泣き出した。 泣きながら、ビリーの手をすりぬけ駆けていく。目の前でドアが音を立てて閉まるのを茫然と見送り、ビリーはがっくりと肩を落としたのだった。 生きるためとはいえ、因果な仕事に手を染めた罰かもしれない。以前とは比較にならないほど余裕のある生活を得られた代償として、可愛い可愛い妹を泣かせてしまう。リリィにだけは無条件で優しい兄には、それは堪えがたかった。 かちかちかちかち、ぼーん。 誰もいない部屋で柱時計が鳴った。リリィの趣味で買った、アンティークの仕掛け時計だ。時刻になると12時の所が開いて、人形が鐘を鳴らすのだ。 鐘は、8回鳴らされた。カーテンも開けっ放しの部屋は、真っ暗だった。 チーズオムレツ、サケのムニエル、ソイソース風味のハンバーグにパンケーキにアップルパイにレアチーズケーキにイチゴのショートケーキと兄の心づくしで彼女の好物ばかり取り揃えられた夕食の食卓から湯気が消えても、リリィは飛び出したきり帰って来なかった。 兄は三節棍をひっつかみ、鉄砲玉さえ裸足で逃げ出す迫力で全サウスタウンの徹底捜索を開始した。 三日後。 側近の無断欠勤三日目を数えるに至って、ついにギース・ハワードは秘書に声をかけた。 ハゲ頭がオカッパ頭に言い付けると、オカッパ頭は頓狂な声を上げた。それ以上何も言ってもらえず、オカッパ頭のホッパーはおとなしく会釈を残してギース・ハワードの執務室を後にした。 どこにいるのかさえ見当がつかない。とりあえず車を走らせていたホッパーは、まずビリーが妹と住まうこじんまりとした一軒家を訪ねることにした。 だんだんだん兄貴ー兄貴ーと繰り返していたホッパーは、返事が返らないことにため息をついた。 ここの他に心当たりなんてないよ、とつぶやいて、ホッパーはドアノブに手をかけてみた。 意外なことに、あっさりとドアは開いた。 彼はビリーに妹がいることを知っている。ビリーが妹を非常に大切にしているのも知っている。そのビリーが、鍵を壊れたままにしておくとは考えられない。鍵はかけられていないのだ。 きょろきょろと、昼なお暗い部屋を覗き込む。暗い部屋の隅で、何かが動いた。 咄嗟に懐から銃を抜き、壁を背に構えて固定する。その辺のセオリーは、ホッパーがいかに上司や先輩からとんちき呼ばわりされていようときっちりと把握していた。善良な一般市民に比べれば、ホッパーは確実に『こっち側』の人間だった。 やだなあもう、びっくりしたじゃないですか、と言いながら銃をおさめて電気をつける。 ホッパーは、今度こそぎょっとした。 例の三節棍片手に部屋の隅にうずくまっていたビリーの頬はげっそりこけ、目元には深い苦悩がくまをつくらせていた。 それでも視線が生気を失っていなければ、まだ凄みがあるといって誉められもした。が、そこには生気もへったくれもありはしなかった。ハリウッドの最新技術も、今のビリーを再現できまい。 ゾンビも逃げるぜ、これ……。 言いたかったことを飲み込むことにかけては、ホッパーはハワードファミリー一であった。 おそるおそる聞いてみる。文字通り生ける屍状態のビリーは、どろりと視線を動かした。ホッパーのことなど見てはいない。部屋を見回し、ビリーは乾いた唇を動かした。 わかってるなら聞くなよ、とは言わない。平常時なら、そんなことを言おうものなら平気でGC紅蓮殺棍くらいぶちかましてくれる鬼先輩の今の状態は、あまりにも非常であった。 最近のボヤ騒ぎの犯人はこの人か。後で報告書書かされるのきっと兄貴じゃなくて俺だな、もう慣れたけど、などと思いながら半ば独り言のようなそれを聞いてやる。 ビリーが口を閉ざし、頭をかかえると、ホッパーはおずおずと先を促した。 力無い、悲鳴のようなビリーの声。ホッパーは困惑して、どうにもならない慰めを発した。 今一度、尋ねてみる。ビリーは顔を上げ、鬼気迫る形相でホッパーの肩を掴むと力いっぱい揺さぶった。 半ベソかいてるお兄さん二人の動きが『ぴたっ』と止まる。締め上げられていた手を離され、ホッパーは涙目になりながらさかんにむせた。 ホッパーが半ば命懸けでタックルなどかまさなかったら、完全に錯乱しているビリーによって、全サウスタウンは日付が変わるまでに火の海と化していただろう。 肉体精神共に遥かに限界を越えていたビリーがタックルの衝撃で気持ちよく人事不省に陥ったのを確認すると、ホッパーは涙を拭いて立ち上がった。「きゅう」とばかりのびているビリーを三節棍ごと引きずって、乗ってきた車の後部座席に押し込む。 普段『安全第一』を座右の銘に回りからとんちき呼ばわりされているホッパーが、べったりアクセル踏み込んで、ロケットスタートなど綺麗に決めてのけたのは、ひとえに車の中でビリーが覚醒するのが怖かったからであった。 |