第6回

事の顛末
もしくは
災厄は終わらない

 どぎゃぎゃぎゃぎゃ、とそら凄いエンジン音を響かせバイクで疾走していたビリーはおもむろにブレーキをきかせ、車体を180度回転させて止めるブレーキスピンを芸術的な完成度で成功させた。車のたぐいに対し、『純粋な移動手段のひとつ』以上の認識を持たない彼は、半ば乗り捨てるようにバイクから飛び下り駆け出した。

 ビリーが突っ込んでいった建物、気の毒なその店の名を『パオパオカフェ・2号店』といった。


「ジョーさん。場外乱闘だっけっはっ、クレグレも気をつけてくだサイね。改築したばかりなんですカラ」
「だっはっはー、何堅いコト言ってんだよボーブ!……あ、いや、そうだな、やっぱりチャンプはクリーンに戦わないとなっ、うんうん」

 ジョーがあっさり主張を翻したのは、ボブが彼の累積した飲食費、及び意図のあるなしを別として破壊したパオパオカフェの備品の請求書を引っ張り出したからであった。
「今日のチャレンジャーはニューフェイスなんデスから、手加減しろとは言いませんがあまり酷いことをしちゃいけませんよ」
「俺は別に荒っぽくても結構だ」
「リック・ストラウド!アナタもです、ああああそんな嬉しそうな顔をしないでくだサーイ」

 リチャードから預かったお店なんデース、壊す訳には行きまっセーン、と言う彼の主張は非常にもっともだったが、この二人がどこまで聞いているかははっきり言って大変に怪しかった。
「火災保険だけじゃダメでしたかねェ……とほほ」

 早急にもういくつかの保険に加入することを考えるべきであろう。パンフレットを取り寄せましょうかねえ、というボブの悲しいつぶやきは、嬉しそうに睨み合う二人の男がゴングを求める声にかき消された。
「……わかりマーシタ。それじゃ……“Get in the ring!Round one.Ready……go!”」

 ボブが高らかに宣言する。二人の足が同時にリングを蹴った。
「行くぜ、先輩?」
「来やがれ後輩!」

 嬉しそうに、互いが最初の一撃を繰り出す。避けようなどと最初から思っていないような、探るような一撃がヒットする。まずは相打ちかというボブの予想は、事態が思いがけない方向へ転がったせいで覆された。
「ちょっと待ったぁ!」

 じゃりいん、と金属が擦れる音が鳴り渡った。互いの一撃が相手に触れるより一瞬早く、乱入者が彼らの間に割って入っていた。ボブがその名を叫ぶ。
「ビ……ビリー・カーンじゃありませんか!何事デス!?」
「悪いな、カポエラ兄ちゃんにニューフェイス。ちょっ……とでいいから時間をくれるかい」
「おい!何だ、貴様……」
「あー!よしなさい、リック!焼け死にたいですか!?」
「暑いのは嫌いじゃないが、焼け死ぬのは痛そうだから嫌だ」
「アナタは黙ってらっしゃい」

 この状況下においてすら天然ボケを遺憾なく発揮しているニュー・フェイスを、ぴしゃんとボブが切って捨てる。ぼけぼけなリックの分までピリピリと神経を張り詰めさせ、ボブはビリーのほうを見やった。
「そう怖い顔しなさんな、ボブ・ウィルソン。俺が用があるのはそっちのパンツだ」
「ジョーさんに?」

 じゃらん、と棍に音を立てさせてジョーを指し示す。ボブが振り返った先で、ジョーは本気で首をひねった。
「なに、俺?ビリー……最近のお前、唐突だぞ」
「すッとぼけてンじゃねえこのパンツ!こいつぁテメエの差し金だろうが!?」
「野郎の下着を連呼すんな、きたねえなハゲ!」
「ハゲたぁなんでえ、露出狂!」
「あってめえ神聖なるムエタイのユニフォームに向かってなんてことを!」
「いいかげんにしてくだサーイッ!!」

 どこまでも程度の低い言い争いに、ボブが怒りのポテンシャルパワーアタック・ダンシングバイソンをフルヒットでぶちかます。『温和な奴ほど怒らせると怖い上に容赦がない』という警句は彼にも適用された。
「幼児ですかアナタたちは!?」

 ふしゅうう、とか煙を上げている二人の幼児に厳しいおしおきを施し、ボブは腕を組んでふいと顔を背けた。本当は俺も混ぜろと言いたかったリックだったが、ボブが黙っていろと言うからおとなしく黙っていたのは正解だった、と素直に思っていた。
「……はい、じゃあやり直してくだサイ。どこからデシたっけ、その紙がジョーさんの差し金だったところからデシたか」
「だから俺の差し金とかじゃねえよ、こいつが……」
「なんだとう!?」
「二人ともいいかげんにシましょうねえ」
「俺、その話、聞いたぞ。『バンダナ野郎がジョーの泊まってたホテルの部屋のドア叩き壊して侵入して来たと思ったら部屋を荒らして出て行った』って」

 リックの台詞に、ジョーが重々しく頷く。
「まったくその通りだぜ、俺が何したっつんだよ」
「待てコラ、それじゃ俺が押し込み強盗みてぇじゃねーか!」
「違うのか」

 大きな目をぱちりこさせて首を傾げるニューフェイスに、思わずぶん殴ってやろうかという衝動が沸き上がる。が、ブレイクショット後に連続技でも叩き込まれてはちょっと困る。ビリーは苛立たしげに唾を吐き出した。
「テメエも天然かよ……くそったれ」
「俺変なこと言ったのか、ボブ」
「んー、変と言いマースかねえ、アナタの言動は時と場合によっては凶器デスからねえ」
「潜在能力アタックだって目じゃねえよ、リック……」

 こいつらにしんみり言われてはかなり終わっているが、幸いにしてニューフェイスのリックはそんなことは知らなかった。
「とにかくだ!俺はこの請求書に納得いかねぇ、取り下げろ!」
「ヤだよ、冗談じゃねえ!何で俺が、お前が燃やしたドアの弁償しなくちゃいけねーんだよ!」
「テメエが安宿泊まってンのが悪いんだよッ、防火処理がなってねえな!宿のオヤジに言っとけ、火災保険に入っとけってな!」
「言いたい放題言ってんじゃねえぞ、ビリー!?」
「お互い様だ!Hey、カポエラ兄ちゃん!」
「ボブ!ゴング鳴らせ、こいつぶっ飛ばす!」
「……好っきにしてくだサーイ……。“Here comes new challenger!”リック、ゴング」
「お、おう」

 かーん、と鐘が鳴り渡る。それを契機に、睨み合いから鎖を解かれたように激しいバトルが展開される。
「負けるな、ジョー!あんな因縁をつけてくる奴は悪い奴に決まってるぞ、絶対勝て!」
「リック……サウスタウン超近代史のテキスト差し上げマスから、読んでおいてくだサイね……?」

 月刊NオジオFリークのバックナンバーを引っ張り出したボブの頬に、とうとう涙が光った。彼は占いを信じないタチだったが、今日の星回りはどう考えても最悪だった。


「出直して来なッ!」

 得意そうにビリーが宣言する。今度こそ正しい用途で使用されたサラマンダーストリームでもって、ご丁寧にもジョーごと請求書を燃やしてしまう。彼は上機嫌で棍を振るい、炎の残滓を払った。
「……Wow、ラッキーカラーは赤デスねー。今日のビリー・カーンの火は赤デスもんね、火災保険が下りマスね、やったー……」
「……ボブ?しっかりしろボブ、目が虚ろだぞ」

 改装したばっかりだったのに、ゴメンなさいリチャードとかぶつぶつ言ってるボブの目付きが怪しい。
「ん、じゃーなッ!邪魔して悪かったぜ、カポエラ兄ちゃんにニューフェイス♪」

 『爽やか』とさえ形容できるような笑顔を残し、足取り軽く去って行く鬼のような乱入者をおとなしく行かせてしまうのはリックとしても業腹だったが、精神崩壊の危機に瀕しているボブを残して今再戦を挑む訳にもいかなかった。こうしてビリー・カーンは敵を作っていくのであろう。

 ぺちぺちボブの頬をはたきつつ、どっかへ行ってしまっている彼を引き戻すべくリックは強く呼びかけた。
「しっかりしろ、ボブ!店とジョーの仇は俺が討ってやるから、とにかく消防車と救急車を呼ぼう」
「大丈夫デス、消防車はすぐ来マス。火災報知システムは最新式なんデスよ、自慢なんデス。ジョーさんなら放っておいても平気デス、丈夫が取り柄ですカラね」
「店主のボブが言うならそれで良いが……」

 少し心配そうにリックがつぶやく。ボブはきっぱり顔を上げ、拳を固めた。
「そうデスとも、ワタシの名前はボブ・ウィルソン……パオパオカフェ・2号店主!このお店はワタシの大事な財産デーっス!目には目を、損害には賠償を!善良な市民を怒らせた報いをお知りなさい、ビリー・カーン!……リック、紙とペン」
「お、おう……」

 わたわたと焼け跡から焦げた紙とペンを掘り出し、手渡してやる。さらさらさらさらと何やら長い文を一息で紙に書き付け、ボブは笑った。その笑みに、リックは思わずガードを固めて後ずさった。
「……俺、ボブだけは怒らせないようにする……」
「それがお利口かも知れまセンね、リック♪じゃあ、これ速達で出して来てくだサイ。その後お掃除も手伝ってくれると嬉しいデスねえ」

 にこお、と笑って『お願い』される。勇気ある否よりも自己保身の為の承諾を口に出したことを、リックの内に流れる誇り高い血は責めはしなかった……。




「お兄ちゃん。お話がありますっ」

 社へ戻った後も大過なくその日のおつとめを終え、日本生まれの黄色いネズミのでっかいぬいぐるみを抱えて帰ってきたビリーを待ちうけていたもの。それは世にも珍しい、最愛の妹が『怒っている』顔だった。

 先だっての喧嘩うんぬんのときの彼女の表情は、どちらかといえば悲しみとか傷ついたとかいう形容のほうが相応しかったのだが、今日の彼女はどう控えめに見てもお怒りであった。
「……リリィちゃん?な、何を怒っているのかな?」

 ほらほら黄色いネズミ、リリィ好きだろと言ってみて彼は慌てた。頬を赤くしたリリィがおっきな瞳を潤ませて、白くなるまで唇を噛んだからだった。
「リ、リリィ!?」

 おたおたと黄色いネズミをほうり出した兄に、リリィは一枚の紙片を突き付けた。
「……この請求書、なあに!?」
「請求書!?」

 突き付けられたそれには、縦にも横にも長く数字が列をなしていた。
「パオパオカフェ・セカンド……!?」

 リリィの手から紙片をひったくり、思わずうめく。何かの間違いだと言おうにも、あまりにもついさっきの出来事ゆえに身に覚えがありすぎた。
「……おにいちゃんっ!?」
「え、あ、いや、その、あのねリリィちゃん……」
「そうなのねやっぱり身に覚えがあるのねっ!?お兄ちゃん、どうして自分のおこづかいで足りないようなことするのっ!?おこづかいが足りないんだったら言ってくれればいいのに、どうしてそんなっ……」

 リリィのおっきな瞳から涙があふれた。後から後から、あふれだして止まらない。
「あっあっリリィ泣かないでくれ、俺の言い分も聞いて……」
「お兄ちゃんの、ばかあああ!!」

 妙に景気の良い音を立てて平手打ちが炸裂した。無論、鳴ったのはリリィの手のひらとビリーの頬であった。
「うわーーーんっっ!!」

 どっかで見たような光景が眼前で繰り広げられる。すなわち、彼女はぱっと身を翻し、ビリーの横をすりぬけて駆けていったのである。
「待て、待ってくれリリィ!頼むからー!」

 兄の魂のシャウトだったが、しかし閉まるドアに空しく遮られてしまう。ビリーはがっくりと肩を落とした。
「泣かれちゃったよ……」

 思わず涙で目の前がにじんでしまう。なんてったって、『あの』可愛い可愛い大事な優しい妹に平手を食わされてしまったのだ。彼女の怒りと嘆きは相当のものであったのだろう。

 しょぼくれてすごすごとキッチンへ戻り、ほっぽりだした黄色いネズミを抱き上げて軽くはたいてやる。殺人的に愛らしい黄色いネズミのその顔は、今のビリーにはとても直視できなかった。
「……ネズミよおおお、俺どうしたらいいんだよおおおお」

 黄色いネズミを変形するまで強く抱きしめ、べそをかきだした兄の姿に、心優しい黄色いネズミは、おしゃべり機能が装備されていない己の身を悲しく恨んでいた。


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