さんぽ

act.1

子供の時、何食べた?

何気ない会話から、相手の違う面を知ることもよくある話で。

そして、ゼンガーはソフィアのそういうところを知ることとなった。

「黒パンと牛乳とチーズと酢キャベツにソーセージ」

「栄養学的には文句のつけようがないわね。それでそんなにおっきくなったの」

「……。お前はどんなの食べてたんだ?」

奥方殿はリビングテーブルに肘をついて吐息をついた。

「焼きバナナに、ドラゴンフルーツ。オレンジ。白粥に小麦粉を練って揚げた油条とザーサイに豆乳。クスクス。甘いミルクティーにチャパティ。エイシっていう平たいパンに豆の煮込み。チュロスにホットチョコレート。バター茶。ドーナツとコーヒー。トーストとみそ汁の時もあったわ」

「お前、どこの国に住んでたんだ?」

「やたら引っ越しが多かったのよ、父親の仕事の関係でね。で、イルイになに食べさせてあげようかなって思った時、標準的な朝食のイメージがわいてこなくて」

「ちょっとまて。えーと、イルイはなに食べてたかなあ……」

戦艦の中でうしろをちょこちょこついてきていたから、食べていたイメージはあるのだが、なにしろゼンガー自身あの頃は戦争のことで頭がいっぱいで、イルイがなに食ってたかまではよく覚えていない。そもそも、戦闘時のパイロットの食事は通常とは違う。少量で高カロリー高タンパクを摂取できるようなものを一日六回ほど食べる。その代わり量は少ない。

だいたい、ナッツ類、チーズ、卵、クラッカーに添加物まみれのレバースプレッドかバジルスプレッドをつけたものを、これまた添加物まみれの栄養ドリンクで流し込む。だいたい飴やチョコレートが歓迎されるが、徹底して甘いもの嫌いなゼンガーは許される限り砂糖ぬきのチョコレートをポケットに入れていて、うっかりそれをイルイにやろうとしたことがある。

くれないの?

ただでさえ痛みきっている良心に硫酸がぶちまけられたような気がした。その代わりナッツをやったが、子供にはチョコレートのほうがよさそうだった。しかしそれはチョコであってチョコにあらず。一粒たりとも砂糖の入らぬ苦さ満点の食品である。こんなもん子供が食ったら泣くことくらいは、ゼンガーにも想像がついた。同僚ですら顔をしかめたやつがいるほどの代物だ。

「甘いものとナッツとかは食べてた。それと、えーと、ヨーグルトと、砂糖とミルクまみれのコーヒー。ああ、パンはおいしそうに食べてたな、ベラ艦長手製だったから」

「ああ、セシリーさんの。今度取り寄せてみようかしら」

「レシピならたぶんあいつが持ってるぞ」

「……自動ベーカリーでいいならね。毎日となると難しいわよ」

「ふつうに牛乳とパンとかでいいんじゃないのか?」

「それでいいと思う?」

なぜ聞き返されるのかわからなかったが、ゼンガーはうなずいた。

「ああ」

「うーん。あの子、ちょっと体が弱いのよね。年の割に小さいし。栄養に気を使ってあげたいなって思ったのよ」

「そういうことか」

昔より、穏やかな顔になった。それはイルイのおかげだろう。ゼンガーが密かに愛した女は、姿を少し変えてより愛しい女になった。

「そう考えると、あなたの食べてたものが一番かしらね。あなた、家にいる時はまたたくさん食べるんでしょう?」

「でないと胃の容積が縮む」

小量多食を繰り返しているとどうしても健康にはよくない。というわけで自宅にいる時はきちんと食べるのがゼンガーの仕事でもある。今でこそそうでもないが、昔は虫歯があっただけでも問題になった商売だ。

「俺は自分の飯くらい自分で作れるし、どうせ当番制だ、気にしなくてもいいぞ」

「うん、あなたの好みは昔からわかってるからいいのよ。

あーあ、イルイの遺伝子分析して、最適な栄養割り出してそっからメニュー組み立てようかなー。手抜きだけど」

ある意味究極のハンドメイドである。レーツェルが聞いたら異論がありそうだ。

「……それでどーやって食事を決めるんだ」

「人間の必要とする栄養を割り出して、そこから摂取すべき栄養を含んだメニューを検索するわけ。一番てっとり早いのは点滴だけどそれはいろいろまずいでしょう」

「それ、レーツェルには絶対いうなよ」

「わかってる。……ご飯食べるなら点滴のほうがましだ、研究は続けられるし栄養も満点だなんて研究者の言い分聞いたら、彼卒倒するでしょうね」

「お前やってないだろうな」

「とりあえずイルイちゃんはヨーグルトは食べられる、と。やっぱり遺伝子と体のスキャニングやってそれからメニュー決めたほうがいいわね」

露骨に話題をそらした奥方の肩をつかんでこちらに向けた。

「これまではともかくこれからはやめてくれ。もしお前になにかあったらなどとは二度と考えたくない。点滴で栄養とってると胃が縮むし弱るぞ」

「……なんで知ってるのよ」

「俺の場合は、周りに怪我で入院した輩が多いからだ。食いたくても食えないやつがいるというのに、健康なやつが点滴多用してどうするっ!」

ソフィアがそこまで追い込まれたのは、実はカルネアデス計画の真っ最中、ゾルダーク以下科学者全員でえくせりおん級の戦艦を多数造ってたからだ。俗にデスマーチというが、これが本気でこけたらデス一直線マーチだと言ったのはロブだったか。

しかしたぶんそれを言っても旦那は聞かないだろう。ソフィアにしても、今はもうそんなことはしたくない。

「もうしないわ、だって大事な人がいるし、今後子供できるかもしれないこと考えると無理はできないもの」

「ちょっと待て」

ゼンガーが止めた。「イルイが落ち着くまで子供は作れないだろう」

「そりゃそうだけど、世の中には間違いとかうっかりとかがあるし。私もあなたも手を尽くしたとしてもよ、妊娠確率がゼロになる、ってのは、お互いが修道院生活おくらないかぎり無理ね。私はそれでもいいけど」

ちなみに現実でも妊娠確率についてはそうだったりする。

「いやまてそれはまてお前閃きもってないのか?」

「戦慄と激怒とど根性はあったみたいだけど、ってあなたこそてかげんとか閃きとかもってないの?」

「俺にそんな精神コマンド期待するな。ツインコマンドの時だって、敵味方併せて唯一の戦慄もちだ」

夫婦そろって戦慄持ち、というのはスパロボ史上でも珍しいのではなかろうか。子育てに向いてないコマンドであることは間違いない。

「……。まあ、ゼロではないけど限りなくゼロに近いから」

「人事を尽くして天命を待つしかないな」

「じゃ、とりあえず、明日の朝ご飯はパンとミルクとソーセージと酢キャベツとチーズでいいかしら」

「ああ。酢キャベツの缶詰なら地下に山ほど買っておいたし、ソーセージもチーズもミルクもあるしな」

「……。酢キャベツとか缶詰とかたくさん買ってたけど、そんなに好きなの?」

「お袋が作る料理では一番はずれがなかった。少なくとも腹をこわすことはない」

なるほど、ゼンガーの深層意識では酢キャベツもしくは缶詰が生命線であったわけだ。甘いもの嫌いもなにかしらそのあたりに理由がありそうだが、ソフィアは追求しなかった。

「今までは朝なにたべてたんだ?二人で数日いただろう?」

「パンとヨーグルトと果物と紅茶。私の好きなものばかりにつきあわせて悪いなあと思ってたのよ」

「イルイ、そういうの嫌いなのか」

「別に、おいしそうに食べてたけど、成長期にはもう少し栄養があってもいいなって」

仕事の関係で家族のスタートはイルイとソフィアだけで始まった。ゼンガーがそう望んだせいもある。どうしてもイルイはゼンガーになついているので、数日だけでも二人で過ごして、イルイにはソフィアの、ソフィアにはイルイのいいところを知って欲しかった。どちらかというと前者がつよい。

ソフィアは文句なしに素敵な女性で人間的にもすばらしいが(少なくともゼンガーはそう信じている。信仰の域に近い)、イルイはソフィアのことをろくに知らないのだ。

「どうだった、数日二人で過ごして」

「うふふふふ。可愛すぎてもうめろめろ。昨日は一緒に寝てね、朝起きてもしばらくおしゃべりしてたわ。

あの子、私の化粧品に興味があるらしくて、ずーっと見てたの。

だから、今度のお休みに化粧ポーチを買ってあげたいと思うんだけどどう?」

もちろんゼンガーは反対した。

「まだ早すぎる」

「コンパクト型の手鏡と、ブラシと、ハンカチとティッシュを入れる小さなポーチなんだけど。身だしなみは整えるレディになって欲しいじゃない?」

「なるほど」

女というのはいろいろ気が回るものである。「手鏡はプラスチック製の割れにくいものがいいな」

「ああ、転んだときとか危ないものね。それらしいものをピックアップしておくわ」

ほほえんだソフィアにゼンガーは珍しく肘をついて訪ねた。

「ソフィアは?なにが欲しい?」

ことあるごとにソフィアソフィアと名前を呼びたがる夫に、内心くすぐったく思いながらソフィアは顎に指をたてて考えた。

「香水のアトマイザー、かしら。スプレータイプの。この間結婚祝いにもらった香水、持ち歩けたらいいとおもって」

「なるほど」

時計が十二時を打った。二人は立ち上がり、片づけを済ませると寝室へ入った。

act.2

イルイは遊園地にいた。不思議な遊園地だ。メリーゴーラウンドの馬はソーセージでできていて、観覧車にはハムがぶら下がっている。ジェットコースターにはベーコンが敷かれ、油の上を熱々の目玉焼きが滑り落ちていく。

ゼンガーを、ソフィアを捜したけれど誰もいない。

そういえば人はみんなソーセージの着ぐるみを着ている。ソーセージそのものなのかもしれない。急にイルイは心臓がどきどきし始めた。

ソーセージ人がくるりと後ろを向いた。

「イルイだ」粗挽きソーセージ人が言った。

「イルイだな」ハーブソーセージ人が続けた。

「イルイだね」サラミソーセージ人は決めつけた。

「イルイに違いない」皮なしウィンナー人は断定する。

「イルイに決まっている」重々しくフランクフルト人が告げた。

何千本ものソーセージ人がイルイを見ている。イルイは走り出した。おかしい、絶対におかしい。

「イルイがいた」

石代わりに敷かれたベーコンがささやいた。

「イルイが逃げる」

壁にされているハムがつぶやいた。

「捕まえようか?」

魚肉ソーセージが提案した。

「それがいい」

ビーフジャーキーが賛成した。

「それがいい」粗挽きソーセージ人が言った。

「それがいい」ハーブソーセージ人が続けた。

「それがいい」サラミソーセージ人は決めつけた。

「それがいい」皮なしウィンナー人は断定する。

「それがいい」重々しくフランクフルト人が告げた。

走り出した脚が重い。ベーコンの油に絡まって上手く走れない。

「イルイを捕まえろ!」

大合唱の中、ベーコンがイルイの身体をくるもうとし、サラミは自分を切ってイルイに投げつけ、フランクフルトは体当たりをし、ハムは転がって邪魔をしてくる。

肉、肉、加工肉。

つぶされる。つかまっちゃう。

「た……助けて、助けてゼンガー!」

それで目が覚めた。

act.3

ここ数日同じ、窓から見える枝は冬枯れて葉がなく、すずめがさえずっている。

白と柔らかな色の木で作られた天井の高いロフト部屋でイルイはベットから起きた。初めてみた瞬間うっとりした、ピンクと白の淡い色でいっぱいの鳥と花々を描いたキルトの上掛けを掴んで、ようやくどきどきが収まってきた。

「イルイちゃん?起きた?」

ソフィアの優しい声がしてドアがノックされた。

「は、はい、今起きました!」

肌触りのいいパジャマはすこしぶかぶかで、薄いピンク色で白の水玉模様だ。ソフィアはドアを開けて入ってくると、窓を開けてイルイにレモネードの小さなカップを渡した。

「目が覚めるから、ゆっくり飲むといいわ」

顔も洗わず歯も磨かず、いきなり飲み物を飲んでいいのか不思議だったが、自宅だったらいいのだ、とソフィアはいう。暖かくすこし甘い飲み物はイルイのような小さな子供だけでなく大人の目も覚まし、糖分が脳にいきわたり、水分は代謝を促す。

小さなカップでレモンのにおいをかいでいると、すこし気分がよくなってきた。なんなんだろうあの肉の夢は。思い出しただけで胸焼けがしてきた。

「どうかした?」

「あ、ううん、なんでもないです」

あまりに馬鹿馬鹿しくていう気にもならなかった。加工肉でできた遊園地でハムに襲われるなんて。それにしても何だろうこの肉の焼けるにおいは。気分が悪くなってくる。

服を着替えて髪をとかし、顔を洗って食卓に行くと、その正体がわかった。

大皿の上の肉の山。

レバーケーゼ、ヴァイスブルスト、ビアーブルスト、ゼンガーの出身地であり彼がこよなく愛する加工肉類が調理されて積み上げられている。その隣には酸っぱい匂いがするなにか白いもの。石鹸のにおいがするチーズ。

胃からなにかが突き上げてきた。

「おはよう、イルイ」

「お、おはようございます、ゼンガー」

コーヒーサーバーを手にゼンガーはイルイの頭を撫でた。「今日は豪華版の朝食だぞ。卵もソーセージもベーコンもパンも山ほどある。たくさんたべて大きくなれ」

「……う、うん」

食べるのか。これを。

この大皿一杯の焼けた肉を。

イルイは胸がむかむかしてきた。

「さ、ソフィアもきたし、朝食にしよう」

「待たせたわね、イルイちゃん。コーヒーと紅茶どっちがいい?」

「こ、コーヒーでいいです」

「子供には早いだろう。薄くして、たくさんミルクを入れて飲むといいぞ。

さて、今日もご飯をいただけてありがとうございます。

いただきます」

「いただきます」

「い、いただきます」

ゼンガーもソフィアも無宗教なのでこういうことになるが、幼少時のくせというのは中々ぬけない。特に子供の前だと、ちゃんと神様がどーだの、お祈りはこーだのと教えたほうがいいような気がする。なんか躾けの問題にはいると思うが、二人とも信じてないものを子供に教えてもしかたない。

そもそも人造神だった子供に何を祈れというのだろーか。

というわけで、日々の糧を稼げたことと、命を頂くことに感謝して食べようと夫婦で話が決まったわけである。家庭を築くと言うのはかくも雑事がともなう。

「イルイ、何食べる?いっぱいあるぞ」

皿を手に笑っているゼンガーに、イルイはあわてていった。「い、いいよ、自分でとれるから」

「そういうのはお父さんの役目なんですって」

「しきたりだからな。さてどうする、まず少しずつ全部食べてみるか」

全部。

あの肉を全部。

イルイは聞いただけで満腹になってきた。

「あとは、チーズと酢キャベツと。パンはこれくらいでいいかな。ほらイルイ」

イルイには絶望的な量だった。

「多かったら残してもいいのよ、イルイちゃん」

「は、はい……食べます」

まず、たべられそうなものを探した。パンとバターだ。パンにバターを塗って、金色にとろけるバターとパンを口に運ぶ。熱い。熱くて粉っぽいにおいと、バターの口当たりがべたつく。ミルクと砂糖たっぷりの薄いコーヒーを飲んで流し込む。

なんとか食べられた。

斜め前に座ったゼンガーを見る。

まるで蒸気を上げて走る機関車の釜に石炭を放り込むように食べていた。

ソーセージを一口でほうばり、酢キャベツの山はフォークというよりパワーショベルで掬い取る勢いで削られ、ゼンガーの口に入る。パンはハムとバターとチーズをはさみ、一口で噛み千切られ、二口目で全て消えうせる。

ぽかーんと見ていたイルイにソフィアが笑いかけた。

「久し振りにみたけど、やっぱりよく食べるわね、ゼンガー」

「まあ、食べられるときに食べるのが仕事だからな」

いつもの、というかイルイの知っているゼンガーの食事はそういうのではない。ナッツとコーヒー、たっぷりバターをぬったクラッカーを三枚。よくわからない飲み物一杯。あとでレーツェルに食べさせてもらってみたら苦くて食べられたものじゃなかったチョコレート。

なんであんなに大きいのにイルイと同じくらいの量で平気なんだろうと不思議だった。

「ゼンガー、じゃない、おとうさん、そんなに食べてるの?」

ぽつんとフォークを皿の端に乗せたまま、両手を膝の上に置いてイルイは訪ねた。ソフィアがピッチャーからオレンジジュースを注いで渡してくれる。

「すごく食べるわよー。食べ放題とかに連れて行くと元が取れてすごく便利。見てて楽しいのよね、ゼンガーが一杯食べてるとこ」

言われた方がむせかえった。

「何が楽しいんだいったい」

「あなたが食べてるとこ。あんまりたくさん食べるので、見てて気持ちいいのよ。はいお水」

なるほど。

夫婦というのは、こういうところでマッチングしていくのか。

イルイは人生の神髄を一つ学んだような気がした。

ソフィアはというと、イルイよりやや多めの食事をとっている。真横に切ったパンにバターを塗って酸キャベツとハムとチーズを挟み、サンドイッチのようにして食べていた。

吐息をついてイルイは自分の皿に取りかかった。

ソーセージ一本。半分だけのハム三枚。小さなチーズ二つ。ゆで卵半分。酢キャベツ多め。パン一個。

酢キャベツをすこーしだけとって口に入れる。酸っぱいので少しだけ食べられた。勇気をだして、ソーセージをぷつん、と切って、小さな欠片を口にいれる。

脂っこい。

噛めば噛むほど肉汁と肉のにおいが鼻をつく。べたべたしているような気がする。オレンジジュースを一気に飲んで押し込んだ。ぷは、と小さく息をつく。

一日かかっても食べ終えられないような気がした。

どうしよう。

せっかくゼンガーが取り分けてくれたのに。

ゆで卵を切ってみた。塩をふって、口にいれる。

硫黄くさい。

またオレンジジュースを飲む。

おなかがたぷたぷしてきた。

傍らのゼンガーはソーセージの三本目にとりかかり、たっぷりマスタードを塗って一本ごと口に放り込む。いい音がして中で肉と皮がはぜ、口の中に肉汁が広がった。飲み込むとハムを二枚一気にとって口にする。

「どうした、イルイ?」

「気分でも悪いの?」

フォークが止まっているイルイに二人が問いかけた。

「あ、ううん、なんでもないです。たべます、はい」

がんばって食べようとしたところにエプロン姿のソフィアがやってきて、イルイの額にひやっとした手を当てた。

「あら、少し熱があるみたいね」

「何っ?風邪か、インフルエンザか、結核か?それとも熱中症か感染症かマラリアか赤痢か小児ぜんそくかポリオか日本脳炎か!

ソフィア、医者だ、車を出す!」

「はい落ち着いて」

ぽん、とソフィアは夫の肩に手を置いた。「医者は目の前にいるでしょう?みたところ、大変な病気じゃありません。

ただちょっと風邪の引きかけよ。

イルイちゃん、ご飯はもういいから、上で休みましょう」

「よし、運んでやる」

いうまもなくイルイはゼンガーにだっこされて階段を上っていた。ベッドに寝かされていると、ソフィアがパジャマと下着をもってきた。

「イルイちゃん、ちょっと着替えましょうね。汗かいてるでしょうから。

はいゼンガー、下で食事しててね。娘の着替えはみちゃだめよ」

「……承知した」

早くも尻に敷かれているさまを露呈しながら、ゼンガーは不承不承という感じで下へ降りていった。ソフィアが窓を開けてくれて、新鮮な空気が入ってくる。

「熱はそんなにないわね。午前中寝ていれば大丈夫よ」

タオルで汗をふき、下着を取り替えて、新しいパジャマに着替えている間に、ソフィアは布団をはたいて空気をいれてくれた。

ふかふかのふとんにはいると気分がだいぶよくなった。

ソフィアが両手でイルイのほほを挟んでほほえんだ。

「もう大丈夫。ゆっくりしてたらいいわ」

「ご本読んでていい?」

「いいわよ、でも肩は冷やさないでね。何のご本にする?」

「うーんとね、えーとね、『少年太平記』!」

子供向けにかかれた太平記だが、セレクトが渋すぎる。

「……それでいいのイルイ?」

「うん、昨日ゼンガーが読んでくれたの。続きしりたいから」

きらきらと目を輝かせる娘に、母となったソフィアは、内心将来の心配をせざるを得なかった。

act.4

食事そっちのけでなにをやってるのかと思えば、ゼンガーはソファで『家庭の医学』という分厚い本をひもといて熱心に読みいっている。猫のようにその上に身を投げて、ソフィアはゼンガーを見上げた。

「みゃお」

「ふざけてる場合か、イルイの一大事だぞ!」

「あなた医師資格もってる?」

「……救命士なら軍隊でとった!」

「私は医師資格持ってるの、知ってるわよね?現地で診察やってたことも」

「……」

ゼンガーは腕を組んだ。「覚悟は決めた。言ってくれ。ポリオでも結核でも天然痘でも、それがイルイにかかる苦難というなら、父として立ち向かおう!」

「単なる胸焼け」

ぴらぴらと『家庭の医学』が風でめくれる音が響いた。

「……。……胸焼け?」

「あなたは一生縁がないでしょうねえ」

それだからイルイに熱があるなどと言って上にやったのだ。優しい子だから、ゼンガーが取り分けた皿で胸焼け起こしたなどと知ったら落ち込むに違いない。ゼンガーにしても自分を責めるだろう。

ところが意外な返事が返ってきた。

「いやある。酒飲まされて起きたあとだ。頭痛、吐き気、むかつき。あれが胸焼けだと初めて知った。知りたくもなかったが。

……そんなに食べてもいなかったのに、なんで胸焼けなんか起こしたんだ、イルイは」

「たぶんね」

体勢を戻して、ソフィアは髪を整えた。「においだけで気分悪くなっちゃったのよ」

「……あいつ、肉、嫌いだったか?」

昔ハンバーグを喜んで食べていたような気がしたが。

「うーん。朝起きて、まだ胃腸が起きてないときに、肉類のにおいを嗅いでちょっと気持ちわるくなっちゃったのよ。

小さい子供や食の細い人にはありがちな話しなんだけど」

「あー、むかし胃弱のやつがそんなこといってたな。気合いで直せといったが……」

イルイにまで根性論を語るつもりはない。

「解決法はあるわ。ちょっとあなたにも協力してもらいたいんだけど」

「どんなことでもかまわん」

「じゃ、ちょっと耳貸して」

こしょこしょとささやかれて、ゼンガーは妻の言葉に眉を寄せた。

「それだけでいいのか?」

「要は体全体が起きれば済む話だもの。いい運動にもなるでしょ、イルイなら」

「確かにあの子は少しからだが弱いからな。鍛えるにしても基礎が弱いから困っていたが、そんなことから始めればいいのか、なるほどな。

なあ。それならこうしたらどうだ?」

こんどはゼンガーがソフィアにささやいた。

「それなら、手間が省けるだろうし、ちょうどいい距離だ」

「いいアイディアね。私には思いつかなかったわ。

そういわれてゼンガーはソフィアを見た。「……家族というのはいいものだな。そうやって、お互いに足りないところを補い合える」

「そうね」

ソフィアはほほえんだ。

act.5

翌日。

イルイはゼンガーの声で起こされた。

「蜂蜜紅茶、ここにおいておくぞ。それからパン買いにいくから、暖かい格好してこい」

ドアを開くとゼンガーは階段を下っていくところで、蜂蜜紅茶が入ったカップがおいてあった。たとえ親子であろうとも女性のねぼけた姿は男性に見せるものではないし見るものでもない、という方針をゼンガーは貫いている。ちょっと寂しかったが、一人前の女性扱いされているのはうれしい。

暖かい紅茶を飲むと頭がはっきりしてきた。今日はいやな夢はみなかった。

頭をふって夢の世界から戻ると、顔を洗って歯を磨き、ブラウスの上にセーターとスカート、それにタイツをはいて上にダウンジャケットを着た。もこもこの白いファーがついているお気に入りだ。それにクリスマスにもらったウールのマフラーにウサギのミトンをはめて、白いふわふわのイヤーマフをつける。

部屋の中ではちょっと暖かすぎるほどだ。

「あら、白うさぎさんが起きてきた」

テーブルを拭いていたソフィアが笑う。「朝ご飯、ちょっと時間かかるから、ゼンガーと二人でお使い行ってきてくれる?」

「はーい」

「じゃあこれ、お金。それと、メモ。

余ったお金で三つまで好きなパン買ってきていいわよ」

ソフィアはイルイの前にやってくるとマフラーやそこらの服を細かくなおした。「はいカイロ。寒いから気をつけてね」

「ああ、来たか」

裏からゼンガーが来た。年代物のフライトジャケットを着ている。

「あら、それどこから出してきたの」

「終焉戦争の時に買った。なにしろ私服がないし軍服は目立つから、砂漠の真ん中で商人と競りあって三分の一まで値切ったんだ」

「まさか本物のパイロットが買ってるとは思わないでしょうしね」

くすくす笑うソフィアに、イルイはつい言ってしまった。

「おとうさん、その中のTシャツ、日本でかったの?」

黒地に金で描かれた跳ねる鯉。紅の筆文字で『不当福津』とか描いてある。

「いやブルックリンにもらったんだ。なんかしらんが日本土産らしい」

「あの人漢字の勉強したほうがいいわね」

「この程度の誤字脱字で驚いてどうする。なんでだか俺への土産だの結婚祝いだののTシャツだの手ぬぐいだのは、『極楽浄士』とか『大婦冂満』とか『豕冂按金』とか、ろくなのがなかったぞ」

「最後のは読み方すら分からないじゃないですか!

っていうか、誰がそんなもんあなたによこしたんですか」

「家内安全はトウマで、最後のはレーツェルだ。あとで二人ともにとっくりと拳で語りあったが。だいたいあんなもん送りつけてきやがって、どう使え……。

いや、お使いだったな。行くか、イルイ」

玄関先で長靴を履いて外に出る。

息が白く、空はもっと真っ白だった。

act.6

手をつないで歩く、これが結構難しい。というのがゼンガーの身長190センチ、イルイ1メーター弱では手と手が出会わない。というわけで親子は近距離を歩いていた。

イルイはよくけつまずく。ずーっとゼンガーの顔を見ているからだ。

「前を見ていないと転ぶぞ」

「うん」

でも、またすぐずーっと見ている。あきらめたゼンガーは訪ねた。

「留守中、なにやってた?」

「あのね、あのね、お化粧みせてもらったの」

イルイは目をきらきらさせながら言った。「すごいんだよ。絵の具みたいに、いっぱいいっぱい色が入ってるの。でね、それを混ぜながら唇にぬったりするんだよ。あ、これ秘密だった」

「なんで秘密なんだ」

「んー、好きな人にはね、お化粧するところを見せちゃいけないから黙っててね、って」

「そういえば化粧してるところを見られたくないとは言ってたな」

厚化粧なのだろうか。いやそんなこともあるまい。肌の色と顔の色が違ってるわけでもないし。

「今度ゼンガーが許してくれたらお化粧ポーチ買ってくれるって。いい?」

「身だしなみをちゃんとできるならな。

それに、ブラシとかハンカチくらいだぞ?口紅とかは早すぎる」

「うん!ブラシとハンカチが入るのがいい!

んーとね、んーとね、なにがいいかな?

ピンク色のがいいかな、それとも猫さんのかいてあるのがいいかなあ?」

「汚れにくくて丈夫なのが一番だぞ」

夢も希望もへったくれもないということにさすがに気づいて、ゼンガーはフォローした。「まあ、イルイがいいというものにしたらいい。しかし、あまり高いものはいけない」

「はーい。なにいれようかな。こないだ拾ったどんぐりに、きれいな黄色の葉っぱに、貝殻に……」

思わずゼンガーはイルイの頭をくしゃくしゃなでた。

「おとうさん、どうしたの?」

「ん?」

白い息を吐きながら、ゼンガーは微笑した。「平和というのは、いいものだな、とおもってな」

「うん。あ、霜柱!」

「お」

霜柱なぞまともに観察したのは何年ぶりだろうか。ゼンガーは土を持ち上げている氷の柱を見た。「ふむと、足跡がつくぞ。ほら」

いい音がしてつぶれる。子供の頃よくやったな、そう思って振り向くと娘が沈んだ顔をしいる。

「どうした」

「つぶれちゃった……せっかく白くてきれいだったのに」

「……」

霜柱はつぶして足跡つけてなんぼだ、という価値観が崩れ去った。

「あー。えーと。イルイ。霜柱は丈夫だ」

「でも、つぶれちゃった……」

「ああ、でもな、明日もちゃーんと生えてくる」

果たして霜柱というのは生えるという言葉を使っていいものかどうか。

「そうなの?」

「ああ。明日もあさっても、雪が降るまではな」

「わかった。お大事にね、霜柱さん」

雪の日に一番に起きて校庭に足跡つけまくった子供時代の自分がよみがえる。絶対に相容れない。女の子というのはそういうものか。

「霜柱さん、いっぱい居るね」

「冬になったからな」

公園を通り抜けると、パン屋まではすぐだ。

「あ、なんか、いい匂い」

イルイが鼻をくんくんさせた。

「ああ、ベーカリーが近いから」

「お腹すいてきちゃった。早く行こっ」

ぱたぱた走り出したイルイを見て、朝食前に軽い運動をさせたのはやっぱりよかったとゼンガーは思った。

act.7

商店街の外れ近くにあるパン屋は少し古風な外見だった。もっとも店内は全く違う。レーズンやイチジク、砂糖漬けのオレンジやレモンを宝石のようにちりばめたライ麦パン、とろけたチーズを王冠のようにかぶった白いパン、中に煮たリンゴがたっぷり詰まったアプフェルシュトゥルーデルがあり、ぷっくりふくれた三つ編みパンに白いアイシングをかけたものが下がっている。

かごの中には一杯のクロワッサン、棚には桃やイチゴやリンゴを乗せたデニッシュや甘いチーズクリームを詰め込んだカンノーリまである。世界中のおいしいパンや焼き菓子だけを選び抜いて持ってきました、という風情だ。

「……えーとー、メモメモ」

ポケットからイルイはメモを取り出す。ゼンガーはトングとトレイを持った。

「えっと、カイザーゼンメル五つ。ふぉ……フォルコルンブロート一袋。クロワッサン三つ。ラントブロート一個。ミルヒブレーロヒェン二つ。

あとは好きなもの買ってね、って」

「カイザーゼンメル五つだな」

「うん、そこの棚のパン。上にヒトデが乗ってるの」

「……」

生まれてこの方カイザーゼンメルは体の半分ほど食べたと思うが、そんな恐ろしく生ぐさげな代物は食べたことがない。ゼンガーはよくパンを観察した。

よく焼けた丸いパンの中心から、白い五つの曲線が渦をまくように流れている。確かに、ヒトデ型にも見えなくはない。なくもないが。

子供の発想力を否定するのもよくないとゼンガーは沈黙を守った。

「つぎはー、ふぁ、じゃなくて、ふぉ、フォコルブロート」

「フォルコルン。俺に続けて言ってみろ」

「ふぉ、フォルコルン」

「ブロート」

「ブロート」

「フォルコルンブロート」

「……フォルコルンブロート!言えた!」

「いくつだ?」

「一袋!」

味の濃い、人を選ぶライ麦パンをトングで取って入れた。これを薄く切ってバターを塗って食べるのがゼンガーは好きだ。

「フォルコルンブロート、フォルコルンブロートっ♪」

「イルイ、スペル読めるのか」

「……」

浮かれていたイルイがぴたりととまった。「……知ってる単語は、なんとなく」

「そうか。すごいな」

「書けないよ?今だって、よく言うからなんとかわかっただけだし」

「それでもえらい」

家の中でドイツ語英語日本語がごっちゃまぜになっている。ゼンガーはもともとドイツ語が母語で、英語も話せるバイリンガルだった。後で日本語を覚えて、それからはなんというか寝言で日本語を話すとソフィアに指摘されるほどだ。

ソフィアはというと、これは話せない言語があるのかと聞きたいくらい使いこなす。

さていったいこの娘は何語を話して暮らすのやら。贅沢な心配をゼンガーは抱えた。

他に頼まれていたものを全てトレイに入れた。

「次はどうする、イルイ?」

「なんでも……なんでもいいんだよね?」

「おつりの範囲でならな」

イルイは一生懸命考えて指を折る。「えーと、えーと、ええと……。おつりもらってから買ってもいい?」

「そういう時は…お前かけ算できなかったか」

「かけ算てなに?」

「まだいい。それじゃ三つ、好きなものを買っていい」

なるほど。ゼンガーは感心した。

イルイくらいのとき、ソフィアだったら掛け算だろーがスペルだろーが気にもせず買い物をしていただろう。自分だったらどうだろう。

まず、メモを店主に渡していたと思われる。

人はそれぞれだ。案外判ってるようで判らないものである。

それが面白いと思う自分は、ずいぶん変わった。

「うーん」

思索を破ったのは悩む娘の声だった。「うーん、えーと、なんにしようかなあ。イチゴのデニッシュか、アップルパイか、それともそれとも果物がいーっぱい入ったあのライ麦パンかなあ?ゼンガーはどれがいい?」

「お前の好きなものでいい」

「うーん、でもね、三つだったら、私とソフィアさんとゼンガーと、一個ずつ三人の好きなものにしたいなーって。

ソフィアさんは苺とかベリーとかが好きだから、このデニッシュがいいかな?」

「……そうだな。それにしたらいい」

苺とベリーがたっぷり乗ったデニッシュをトレイにとる。

「じゃ、私もそれにしよっと」

「違うのにして、二人で半分こしたらどうだ?」

「うーん、悩みがたくさんだなあ」

見回すイルイにゼンガーはつきあった。ふと目に留まったのは、上にココアを振りかけてオレンジピールを飾ったパンだ。ほとんどお菓子だろう。中にはたっぷりとマーマレードが含まれている。

オレンジにビターなチョコをかけたオランジェットという菓子をソフィアの白い指がつまんでいたのを思い出す。一口食べたが、なんとか妥協できなくもないがあまりしたくない、ソフィアが食べてるんじゃなきゃ食べたくなかったという味だった。

「ゼンガー、あれがいいの?」

自分はソフィアの好みはしっていても、イルイのそれはあまり知らない。

「ん、いや、珍しいなと思っただけだ」

付き合いの長さから考えて当たり前の事実を把握していなかったことに気づいた。知らないうちに、自分が大人だというだけで、イルイのことならなんだって世話してやれると思っていた。

イルイの好きなパンの種類も知らないくせに。

「あれにしよっかな。ゼンガーすきそうだし」

「いや、俺はプレッツェルでいい」

あんなもん食べると考えただけで虫歯になりそうだった。あわてて自分の分を取る。

「うーん、美味しそうだな、あのパン」

「上のココアが苦いかもしれんぞ」

「でもいい。それにするっ」

「判った判った」

パンを取る。会計を済ませて、外に出た。寒そうにしているイルイのマフラーを巻きなおしてやった。

「おなか、すいたねー」

「まったくだ」

「早くかえろ。走って」

「走ったらパンが崩れるぞ」

「んー、じゃあ、早歩き」

「……ちょっと待て」

パンの袋を置いて、イルイを抱き上げる。肩車して、袋を手にもった。

「これなら早いだろう」

「うん!」

そしてゼンガーもイルイが転ぶ心配をしなくてもいい。

「なあイルイ」

「なあに、ゼンガー」

「お前、果物は何が好きだ?」

「バナナ」

意外なこたえだ。「あとね、いちごと、桃と、煮たりんご、それと干しぶどう」

「レーズンパン買えばよかったな」

「ううん、いいの。昨日ね、ソフィアさんとバナナブレッド作ったの。それ食べるから」

「バナナブレッド?」

「うん、バナナのケーキ」

パンとケーキは違うだろう。

少なくともマリー・アントワネット時代のパリ市民はそう思うはずだ。

「だってケーキなのにパンなのか」

「うん、私もそうきいたの。そしたらね、明日……今日一緒に調べてみよう、って」

「そうか。判ったら教えてくれ」

「そうするよ。あのね、あんまり甘くないから、ゼンガーでも食べられるよ」

甘いものが徹底して苦手だ、と妻子に認識されている男は苦笑した。

「ではありがたくいただこうか」

「バナナはね、わたしがつぶしたんだよ」

「ほう。イルイが潰したのか」

「そう。袋にバナナを入れてね、手で袋の上からぎゅーって潰すの。それでね、ぎゅうぎゅうして、なめらかになったら、ソフィアさんがバターとか卵とか混ぜ混ぜしたボウルに入れてね、型にいれてね、オーブンでちーんするの」

ソフィアは菓子など作れたのか。意外な驚きだった。

フナムシを躊躇なくつかめるタイプの女性だからなんというかそういうものには疎いと思っていた。失礼な認識は改めようと思った。

家族だというのにお互いのことをあまりにも知らない。

……これから、知っていけばいい。

そしてたぶん、彼女らも自分のことを知らない。

ゼンガーは幾分姿勢を正した。自分のことを語るなどとはおこがましいと思っていた。

けれど話さなければイルイはゼンガーの好きな果物すら知らない。

「イルイ、蜜柑はしっているか?」

「うん。お蜜柑おいしいよね」

「俺はあれを、一日外に出しておいて、凍らせたのが好きで……」

とぎれとぎれの会話の果てに、家が見えてきた。

ソフィアが手を振っている。二人して振りかえす。

「お腹、すいたね」

「では、急ごうか」

娘を抱え直すとゼンガーは駆けだした。家が近づいてくる。

補足説明

林檎の午後』の補足で紹介した元旦チャットには続きがありまして,

さはら
両方の話楽しみにしてます(笑)
Sousui
えええ.ううん,確約は1個で勘弁して.
さはら
んじゃ大サービスでイルイがゼンガーと朝に散歩する話もつける!>両方
Sousui
うーわ.努力シマス.<両方 || あ,あくまでバーターだよ?

というわけでもらったのがこの話です.

戦艦の中でうしろをちょこちょこついてきてで身悶えし,くれないの?と言われて固まっているゼンガーを想像してはニヤニヤ笑い,砂糖とミルクまみれのコーヒーという表現で「そんなに嫌か!」とツッコミを入れ,と大変楽しく読みました.

朝に手を繋ぎながら他愛ない話をして散歩.波瀾万丈すぎる彼らの道程を考えると,ずいぶんと幸せな光景だなあと思わずにいられません.