第三章

Wir wandeln dieses um;
es ist nicht hier, wir spiegeln es herein
aus unserm Sein, sobald wir es erkennen.

Aus "Requiem" Rainer Maria Rilke

我らは万物を変えるのだ;
万物はここに在るわけではない、我らは事物を見留めるなり
己の有り様に従って、己の中に事物を映すのだ。

ライナー・マリア・リルケ『鎮魂歌』より

いつものように眼を覚ました。

いつもと違うのは、隣の部屋に気配があることだ。

それがここしばらく続いている。

幻覚であろうと思った女は日が経っても消えることはなかった。それだけではなく、女は毎日毎日制御室や司令室を行ったり来たりして、システムを直そうとしているようだった。

「通信が途絶えてしまったの」

ソフィアはそう言って、自分の持ってきた小型の通信機をゼンガーに渡した。

「調整は?」

「最後の通信では、設定はそれでということだったのですけれど」

こんなにも容易に通信機を渡されたことを意外に感じながら、ゼンガーは通信機をいじってみた。ヘッドセットを左耳に押し当て、ゼンガーは難しい顔になった。どうも、この調子では――

「どうですか?」

「駄目です」

このガリガリ行っている感じには覚えがあった。通信障害、あるいは、妨害。このソフィアが何なのか判断がつかないままに、取り巻く環境はますますややこしい。

以来、女はどうにかしてアースクレイドルの大型通信機を直そうとしている。ゼンガーの見るところ、女はその作業を本気で行っている。表に出すまいとはしているが、焦りの表情がたまに垣間見られることから、たぶん、これは女にとっても予想外の事態だったのだろう。だが、作業はパワープラントの時のようにはうまくいかなかった。

ゼンガーはゼンガーで毎日グルンガスト――スレードゲルミルの修復をしている。

二人は互いに別々の場所で別々の物を直そうと努力し、食事の時だけ落ち合った。

食事の際の会話は少なかった。主に、ゼンガーが原因である。彼はもともと楽しい会話をするようにできてはいない。それでも、とりたてて気まずい雰囲気でもなく、和やかでさえあった。

たまに、思い出したようにゼンガーはソフィアを見張ってみた。それは、見張るというよりも眺めているという方が当たっている。

ソフィアはゼンガーの存在を気にすることなく、難しい顔をしながら、コンソールを叩いてみたり、回線のつなぎ具合を見てみたり、パーツを入れ替えたりしていた。時々、ブツブツとひとりごとを呟きながら作業をしている様は、まさに研究に没頭しているときのソフィアそのものだった。

これが幻覚だとしたら――と、ゼンガーは思った――案外俺も想像力があるものだ。

むろん、そんな考えは馬鹿げている。

敵はいる。そう思う。だからこそ、ゼンガーはスレードゲルミルを修復しようとしている。

自分は精神的な攻撃を受けているのではないか、というのがゼンガーが下した〈ソフィア〉へのひとつの解釈だ。

そんな物が通用するかと啖呵を切ってみたいところだが。

――あいにく前科持ちだからな、俺は。

結局、人が認識する世界は感覚器からの刺激を解釈する脳が生み出す物だ。脳に直接介入すれば、視覚も触覚も生み出すことができる。ソフィアについての記憶はゼンガー自身の記憶から生み出せばいい――

もっとも、ゼンガーはこの解釈に固執する気は無かった。

こんなにも完璧に脳に干渉できるものなのか。壊れかけたアースクレイドルの中にいるはずのゼンガーにそんなことのできる機材があるものなのか。いつそんなものが仕掛けられたのか。

そもそも、いつも疑問は「何故」に落ち込む。

理由が分からない。こんなまどろっこしい真似をしなければならない理由が。

ただ、〈ソフィア〉が自分に危害を加える存在とは思えなくなっていた。どちらかといえば、おっとりしていて、多少足音を殺して近づけばゼンガーの気配に気づかない。存在に気づいて驚いた顔をすることもしばしばあった。そんな者が諜報員とは思えない。それさえも演技だとしたら賞賛に値するだろう。

だから、ただ、ゼンガーは次の展開に備えて準備した。

もらった刀を持ち歩くようにし、武器と弾薬を部屋に一番近い倉庫に移した。

そして、スレードゲルミルを直している。

ゼンガーは手を止め、しばし、外を眺めた。

大雨は、あの一日で()んだ。もともと乾いた土地にあの雨で、地盤は弛みきっている。しかも、あれ以来、重苦しいほどの曇天で、辺りには霧さえかかっている。

スレードゲルミルの肩に乗ると、いつもならば辺りの様子を見渡すことができるのだが、濃い霧により視界は著しく悪い。可視度は一〇メートルといったところか。

乾いた大地に水が巡るようになったことは喜ばしいことではあったが、今、この状態での霧は歓迎できない。アースクレイドルのセンサー類は稼働していない。となれば、視認範囲が敵の識別範囲になる。

また、天候の変化があまりに急激すぎるように思う。気候変化とはもっと徐々に起こるべきではないだろうか。このような急激な変化は暗い視界と相まって凶兆のように思われた。

外で何かが起きているのではないだろうか。ソフィアの言っていた〈迎え〉とやらも来はしない。

ゼンガーは人の入ってくる気配に振り返った。

ソフィアだった。

ゼンガーが気づいた範囲では、ソフィアが格納庫にやってきたのは初めてだった。

ソフィアは回りの壁に並び沈黙を保つベルゲルミルを見回し、それから、中央の残骸――アウルゲルミルである――に一瞥をくれ、最後に、外に一番近い場所に佇むスレードゲルミルの巨体を仰ぎ見た。

ゼンガーは見上げるソフィアの隣へと滑り降りた。

「この機体は?」

「グルンガストです」

ここしばらく、ジロンたちがそう呼ぶので〈スレードゲルミル〉と呼んではいたが、彼にとってそれはいつまで経ってもグルンガストであった。そして、紛いものであるにせよ、ソフィアに答えるにはグルンガストがふさわしいと思った。彼とソフィアとが眠りについたとき、この機体はグルンガストだったのだから。

「グルンガスト?」

「はい」

「でも、こんな……」

もう一度機体を見上げ、ソフィアは問うような目をゼンガーに向けた。ゼンガーは何も答えなかった。

「動くのですか?」

「はい」

嘘ではない。重機代わりにしていたのは本当のことだ。

ただし、この機体の全体に渡って使用されているマシンセルが機能していない。それは、自己修復能力を失ったのみならず、装甲がほとんど紙であることを意味している。自重で崩れないだけましというものだ。肩パーツの機構も死んでいるため、その一部と化している斬艦刀も使えない。

根本的な問題として、燃料がない。今のところはベルゲルミルのエネルギーパックを無理やり転用しているが、本気でスレードゲルミルを戦闘に使おうとすれば、ベルゲルミル数機分のエネルギーが要る。残りは少ない。稼働可能時間は短い。

「使うのですか?」

「はい」

それは、いつも彼の機体であったし、これからもそれは変わらない。現実問題として、人が乗るように作られた機体はこの場には他にない。

保有戦力の話は極力避けたかった。話題を変えるべく、ゼンガーは口を開いた。

「通信は回復したのですか」

「いえ。内部通信(インターコム)は一部回復したのですけれど、外へは……。これだけ破壊され尽くしているところから思えば、動く機械があることの方が奇跡なのかも知れませんが」

「望み薄ですか」

「そう言わざるを得ません。ただ、中の通信回路が生きていることを考えると、外への送受信装置あるいは純粋にアンテナが壊れているのかも知れません」

「そうですか」

ゼンガーは熱意もなく頷くと、格納庫の扉に手をかけた。

「何を?」

「機体を外に出します」

力を込めると、重い開口部が鈍い音を立ててゆっくりと開いた。

「どうして?」

「……」

格納庫を閉鎖するためだ。いままで、ソフィアがここに入ってこなかったから手を打たなかっただけだ。機動兵器を吟味されるのはまずい。

微妙な平衡を保つ関係性の中で、対応が後手に回っている。

スレードゲルミルに乗り込み、ゆっくりと動く。起ち上がりが悪い。しかも、右足がガクンガクンと妙な具合に揺れた。前は飛行もできたが、こうなるとそれも怪しい。

ベルゲルミルの武器はあったが、サイズ差がありすぎる。スレードゲルミルに今武器は無い。

機体を外に出し、開口部を閉め、促すようにソフィアを格納庫から外に出すと、ゼンガーはその扉を閉鎖し、ロックをかけた。

皮肉なことにソフィアが復活させたパワープラントにより、ロックシステムも復活した。生体認証システムの登録キーには当然のことながら軍事部門の責任者たるゼンガー自身が入っている。ゼンガーと今は亡き副部門長の。

手のひらをべったりとセンサーに当てると、なんなくロックは作動した。

数千年前の自分と今の自分は同一人物らしい。当たり前のことだが、奇妙なものだ。

後ろを振り返ると、薄暗い廊下の中でソフィアが不審げにゼンガーを見ていた。

「下層に降りてみますか。そこにも通信機はある」

「中枢司令室の?たしかにあそこは一番堅牢な作りになっているはずですね。いい思いつきだわ」

――何でも知っているのだな。

極力情報を与えないようにしようとしていることなど、莫迦らしいことのように思えるのだ。

前に立って歩きながらゼンガーは思う。

自分はいつもの寝台に横たわったままなのかも知れない。あるいは、あの地震で物資に押しつぶされて意識を失ったままなのかも知れない。そうして、夢を見ているのだ。死者が歩き回る不可解な夢を。

ゼンガーは歩きながら壁に手を当てた。ひんやりとした手触りが伝わってくる。夢とは思えなかった。

無意味な試みだと思い、壁から手を離した。

中枢司令室は三層目にある。

さらに下の部分がメイガスの膨大なデータセクションを納めた部分であり、最下層が冷凍睡眠(コールドスリープ)施設だ。

「ゼンガー、ここまで降りてきたことは?」

「あります」

「使っていたの?」

「私ではありませんが」

「そう……」

ソフィアは中枢司令室に辿り着く前に足を止めた。

――そこは……

彼女が足を止めたのは、正しくソフィアの私室の前だったのだ。

偶然なのかも知れない。だが、目の前のソフィアがその扉を開けようとするのを見ながら、ゼンガーは落ち着かない物を感じていた。

扉のロックは生体認識システムである。もし、この扉が開いたなら――

「開かないわ」

「……」

ゼンガーは奥歯を噛みしめ、黙ってまた歩きだした。

中枢指令室を開け、ゼンガーは先に立って中に入った。ソフィアは入るなり部屋を見回し、訝しげな顔をした。

「他の部屋より整っていますね」

「……」

それはそうだ。つい一年前までここにはメイガスが陣取り、イーグレットの三つ子が付き従っていたのだ。

自分も目覚めて指令を受けるのはここであり、出撃後睡眠に入る前に報告に来るのはここだった。

――排除せよ。――了解しました。

――排除しました。――ご苦労。

それが、ここで交わした会話のほとんどすべてだ。

黙りこくっているゼンガーの前を女が横切った。かつて目付き鋭く女主人然としてメイガスが腰掛けていたその場所に女が座る。

既視感。

違う、あれは現実だった。夢と(うつつ)との境界が曖昧だったあの頃の、それは(うつつ)の側だった。

女は――ソフィアは――あるいはメイガスは――くるりと椅子を回転させ、ゼンガーに背を向けた。

「ゼンガー」

「……」

「ゼンガー?」

再び女がこちらを向くのを見て、ゼンガーは自分が彼女を見つめた状態で固まっていたことに気が付いた。

「はい」

「……電源供給(パワーサプライ)パネルを見ていてもらえませんか?」

「……」

ソフィアはカチカチと手元のメインスイッチを入り切りした。

ゼンガーは壁に埋め込まれたパネルを見た。

「どう?反応はありますか?」

「いいえ。入れた時にわずかにレベルが変動するだけです」

「やはり、プラント一基だけでは無理があるということですね。上層への供給を切って全てこちらに回せばなんとかなるかもしれないけれど」

ソフィアは拳に顎を乗せて考えるふうな素振りをし、

「だめね。水の生成が止まる。こうなってはあれが生命線なのだから」

「……」

「水の生成装置だけ残して電源供給(パワーサプライ)をこちらに回せないかしら。回線を()り分けるところから始めないと。施設データにアクセスできればいいのだけれど。設計図がないと時間がかかるわ。――戻りましょう、ゼンガー」

今度はソフィアが先に立って歩いた。次にするべきことを把握したしっかりした足取りだ。上層、司令機能を持つ部屋としては最も格納庫にほど近い戦時の指令室にソフィアは迷うことなく歩いていく。

ソフィアが通信機能を回復しようと躍起になっていた部屋はここである。コンソールの下にあたる部分が開いており、回路や配線が剥き出しになっていた。

ソフィアはゼンガーのことなど忘れたかのように、勇んでコンソールに向かい、猛然とキーを叩いた。

その様子を背後から見守っていたゼンガーは、突然、衝動的にその名を呼んだ。

「ソフィア」

「はい」

作業の手を止め、女が振り返る。

「何ですか?」

「……」

ゼンガーが何も言わないので、女は怪訝な顔をしたのだが、また背を向けて作業を始めた。

「メイガスが使えないとやはり作業効率が悪いわ」

「……」

彼女は誰だ。

メイガスは死んだ。この自分がとどめを刺したではないか。

ソフィアは死んだ。この自分が埋葬したではないか。

「ライブラリに反応がないわ。破損しているのかしら。設定から……」

アクセスキーを請求する画面が現れ、ソフィアはべったりと自分の手のひらを押しつけた。

〈Access Denied〉

そっけない文字を見て、ソフィアは困ったような顔をした。

「認証されない?部屋も開かなかったし……」

そして、ゼンガーを振り返った。

「ゼンガー、試してみてくれませんか?」

少し身体をずらしたソフィアを見て、ゼンガーは躊躇(ためら)った。自分ならば認証されるのを彼は知っている。いつもコトセットが来た時はそうして作業をしているのだ。

だが、アクセスさせていいのか。

その一方で、拒否することも無為な気がするのだ。彼女は何でも知っているではないか。

「ゼンガー」

促すような口調に、ゼンガーは歩み寄り、センサーにべったりと手を押しつけた。

〈Access...Done〉

「あなたの認証データはあるのね。ずるいわ」

少しおどけたように言ってコンソールに向き直ったソフィアよりも、自分の手のひらを見つめてゼンガーは考え込んだ。

「だめだわ。設定の画面は出るけれど受け付けてはいない」

ソフィアは見切りをつけて立ち上がった。

「ゼンガー、センサーは持っていますか?回線を選り分けます。稼働している水の生成装置からの回線だけ分かればいいのだから、かかる時間は妥当な範囲内だと思います」

「了解しました」

ゼンガーは手から顔を上げ機械的に言い、すぐに部屋の外を出た。ソフィアがついてくる気配がする。

地上部の外縁の倉庫はほぼ武器庫である。整備士が使うような備品は内側にある。

中心へと向かい、部屋を開けた。

「ひどいものね」

ゼンガーの後ろから部屋をのぞき込んだソフィアが呟いた。

必要あって一応は整理したはずの部屋だったが、地震でめちゃくちゃになった後は手をつけていない。

格納庫に出ているセンサーで用が足りるかを先に訊くべきであったかもしれない。だが、それをゼンガーが言い出す前にソフィアはスイッチも点けずに中に入り込んでいた。

「簡単な物でいいわ。確か、被覆の上から挟むだけの物が――」

不穏な気配を感じたのはそのときだ。

部屋の中の何かに引っかかりを感じたのだ。

視界を巡らす。

何か、ぞわりと自分の感覚を逆なでするのは……

「ネート博士!」

「え?」

手を伸ばして箱を取ろうとしていたソフィアをゼンガーは躊躇なく引き戻し、廊下へと押しやった。

あれは何だ。あの暗がりに蠢く黒い影は。

「何が……」

「離れてください、博士!」

それは、遙か昔に襲い来たる脅威だった。アースクレイドルの崩壊はそもそもがそこから始まったと言っていい。

「トカゲ?!まさか……」

ゆらり立ち上がった巨大な爬虫類をゼンガーは睨め付けた。

「戻ってください。外縁へ。ここでは武器もない」

ゼンガーは部屋の入り口に立ちはだかった。

「恐竜帝国は……崩壊したというのに……」

「急げ!」

ゼンガーが横を向いたとたん、相手の得物が振り下ろされた。刀を抜き、それを受ける。アイアン・ギアーの者が置いていった刀は、刃こそ無かったが鈍器にはなる。

女の足音が遠ざかっていく。

ゼンガーは、一度力を込めて押し戻すと、部屋の外から扉を閉め、外縁へと走った。扉が完全に閉まる前に、ぞわりぞわりと闇の中に立ち上がる巨体の影が数体見えた。

地中を突破された?だが、なぜ中心部から現れる?最下層のさらに下からか?そこから中心の射出口を登ってきた?

自分が甘かった。ゼンガーはそれを認めた。

このアースクレイドルに防衛力など無い。外へこの事態を伝える手段もない。

ゼンガーが通信を回復させていなかったのは、受け手となる者がいなかったからだ。アイアン・ギアーには大戦の折りに通信機を搭載したそうだが、彼らも別な運び屋とのやりとりはスピーカーで叫び合うしかないのが現状だ。

ゼンガーは、刀を振るえるだけの空間を求めて走った。

バラバラと不揃いな足音が追ってくる。

四つ角で振り返る。振りかぶられた長斧。刹那、ゼンガーは前に飛んだ。

ガッ!

飛びすさってゼンガーは己の失敗に気づいた。いつものように切り上げてしまったが、刃の付いていない鉄の棒では致命傷に至らない。

それを見て取るなり、ゼンガーは改めて刀を立てた。柄を両手に握り締め、得物が垂直に天を向くなり、

「鋭!」

音声(おんじょう)と共に突進する。相手が構え直す間など与えもせずに、その脳天に振り下ろした。

ゴッ。

鈍い音がした。ぐらりと巨体が揺れ……倒れた。だが、振るった刀も無事ではなかった。ゼンガーの膂力(りょりょく)についていくことができなかったのだ。

――予想以上に脆かったか。

(ひしゃ)げた刀を打ち捨て、次の一匹に果敢に体当たりする。相手もろとも体勢を崩したところに別のトカゲが長柄を振り下ろした。明らかに味方のことなど考えていない。

――こいつらは……

その時だ。

「ゼンガー!」

とっさに、相手の腹部に蹴りをいれて離れた。

見ると、ソフィアが擲弾発射器(ランチャー)を肩に構えていた。動きにくいと見え、柔らかいスカートを太ももまでたくしあげ、見よう見まねで照準をのぞいている。

「ゼンガー、こっちに!」

「天井に向かって撃て!」

「ええ?!」

「早く!」

「ですが……」

「それは火器ではない!早く!」

細い指先に力が入った。

シュ……

破擦音がした。と同時に、降り注ぎ、空間を満たす白煙。煙に巻かれたトカゲたちは標的を失って右往し左往している。ゼンガーには彼らの影がうっすらと視認できるのに、だ。

――やはり、こいつらは……

「全弾撃ってください!」

ソフィアはもう疑問を挟まなかった。続け様に破擦音が鳴った。

こいつらは機械だ。電波欺瞞物(チャフ)を撒かれてセンサーが利かなくなると、物の識別ができなくなるのだ。

「博士、動かないでください!」

ゼンガーはトカゲに飛びかかり、長斧を奪うなり、靄のかかる視界の中を、縦横に走った。味方がいないのをいいことに、影と見たとたん、問答無用で得物を振り下ろした。

しばらくして、動く物がなくなったと見定め、ゼンガーは呼ばわった。

「ネート博士!ご無事ですか!」

「私は大丈夫です」

声を頼りにゼンガーはソフィアの(もと)に戻った。途中、(ひしゃ)げてしまった刀を拾い上げる。もう鞘には入るまい。

「荷物のあるところまで戻りましょう」

「ええ」

背後に気を払いながらやや急ぎ足で寝起きに使っている部屋へと戻る。追ってくる者は今のところはない。

部屋にたどり着くとすぐに、

「指令室に移動しましょう。あそこの方が堅固だ。いざという時に外に出る通路もある」

「すぐにここの調査をやめて外へ出た方がいいのではありませんか?」

「調査?」

訊き返して思い出した。そうだ、この女はそもそもアースクレイドルの調査に――

――なぜ、そこに俺が入る?

このソフィアは俺を何だと思っているのだ?

今更の疑問だ。

「外も危険かもしれません。奴らの進入路や部隊展開を検討しなければならない。闇雲に外に出ても脱出は無理だ。まずは様子をみましょう」

「分かりました」

ソフィアは異を唱えず、すぐに自分の荷物を持ってきた。ゼンガーは向かいの部屋に固めておいた銃器の類いから小銃や短銃を選び出した。これは、エルチが物々交換と称して置いていった物だ。稼働することは確かめてある。

「博士、持てるならば、ここにある箱を持ってきてもらえませんか」

ソフィアはすぐにやってきて、それが銃弾のカートリッジと見て取ると、疑問も挟まずにありったけを持った。

「行きましょう」

指令室に入ると、ゼンガーは持っていたものを床におき、すぐにコンソールに飛びついた。

認証が終わるのももどかしく、命令を打ち込む。

――動くか?!

ガコン、ガコン、ガコン……

「何の音?」

次第に近づいてくる音に、ソフィアが廊下を見た。

「下層の隔壁を閉鎖しました」

「進入路を塞いだのですね」

「完璧というわけにはいきません。システムがこの状態では操作通りに隔壁全てが降りたか分からない。――銃を撃ったことは?」

「さっきが初めてです」

ゼンガーはソフィアに短銃を渡した。ベレッタM八四、そのレプリカ。エルチが使っている物と同じ物だ。さっきソフィアが使った擲弾発射器(ランチャー)は新西暦期の物でゼンガーにも馴染みが深いが、西暦期の武装については詳しいわけではない。この銃が最善かどうかは分からなかった。

「これはあくまで威嚇用、護身用です。訓練の無い者が咄嗟に撃って当たる物ではない。もし襲われたら、逃げることを最優先してください。どうしても使用する場合は、両手で持ってしっかり支持してください。それができない状況なら使うべきでない。セイフティはこれ。普段は掛けたままにしてください」

「分かりました」

「私は食料と水を確保しに行きます」

「分かりました。私は通信できないかもう一度やってみます」

ゼンガーはうなずき、指令室を出た。

通信が途絶えたのは、襲ってきた連中のせいだろう。ソフィアが主張した、「アースクレイドルに近づくと機器が故障する」という現象ももしかしたら本当のことだったのかもしれない。

問題は、一連の出来事におけるあのソフィアの立ち位置だ。それが分からない。

ゼンガーは手早く保存食を小さなコンテナに詰め込んだ。水も容器に入れて放り込み、ズルズルと重い音を立てさせながら、そのコンテナを指令室に運び込んだ。

ソフィアは双眼鏡を目にあてて、強化ガラス越しに外を見ていた。

「通信は?」

「駄目でした」

ゼンガーは、壁際にコンテナをくっつけた。そして、ふと、横に(ひしゃ)げた刀があるのに気づいた。

「これは?」

問いかけると、ソフィアが振り返った。

「あなたが忘れていたから持ってきました」

見つめる瞳が透明だった。

「大事なものなのでしょう?」

「……はい」

武器として用をなさなくとも、それはアイアン・ギアーの者たちにもらった大事な物だった。

再びソフィアは外の様子をうかがった。

「視認できる範囲では動く物はありません。進入路はやはり地下なのでしょうか」

「外の様子を見に行ってきます。博士、内部通信(インターコム)は一部使えるとおっしゃっていましたね」

「ええ。この地上部外郭ならば、ほとんどの場所で聞こえると思います」

「分かりました。敵が来たら、すぐに呼んでください」

ゼンガーは地上部一階から梯子を上り、アースクレイドルの天蓋に当たる部分の外に出た。天蓋中腹にはメンテナンス用に狭い通路が一周している。

相変わらずの霧だ。視界は芳しくない。風は無く、大気は淀んでいる。何かが攻め入るような気配も音も無い。

一周した後で外に立たせておいたスレードゲルミルに取り付いて、肩、腕、膝、と伝って地上に降り立った。地面に耳をつけてみる。不審な音は聞こえない。

ゼンガーは立ち上がると、急ぎ足で外壁沿いを歩いた。剣の修練に使っていた鉄棒の束を見つけると、まとめて抱え上げ、外壁に開いた割れ目から中に入る。

司令室の扉は閉まっていた。

「ネート博士」

閉め出されたかも知れないと思いつつ呼ばわったのだが、ごそごそと中で動く音がして、扉が開いた。

「どうでしたか」

「今のところ、動きはありません」

「そうですか」

「今のうちにベッドを運び込んでおきましょう。長丁場になるかもしれません」

「ここを離れないのですか?」

ゼンガーはしばし考えた。

自分をアースクレイドルから引き離すための提案かもしれない。

だが、実際のところ、残念ながら大挙して押し寄せられでもしたら防ぎようがない。

これが一人自分だけの問題であったら立て篭もるという選択も考えた。だが、恐竜帝国が再び現れたのだとしたら、まず為すべきことは人々に知らせることだ。

そして、このソフィアは――

たとえ、諜報員だとしても、可惜(あたら)命を散らすことはない、とゼンガーは思っている。

だいたい、見極めがつかないのだ。敵であるという見極めが。

「夜になっても動きがなければ、ここを出ましょう。こんな土地で昼に歩くのは自殺行為だ」

「分かりました」

「念のため、ベッドは運び込みます」

言いながら、ゼンガーは手近の部屋に入り、簡易ベッドをひっぱりだした。

「博士、マットレスと毛布を」

「はい」

寝具を二セット運び込むと、ゼンガーはそれを扉のすぐ横に設置した。

「日が沈み次第、出発します」

「分かりました」

ソフィアはベッドを椅子がわりにして、横がけに座った。

「きっと……不安に思っているでしょうね……」

女がポツリと(こぼ)した言葉は、彼女がここにきて初めて沈んだ調子に染まっていた。

「ここは……アースクレイドルではないのね……」

「アースクレイドルで……ない?」

ゼンガーははたと女を見据えた。

「ええ、つまり、私たちが――

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